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東雲(しののめ)⑤

 それから二日後の城の上空には、曇り空が広がっていた。


 あの後、城へ戻った二人は医務室へフィリカを運びその容態を見てもらった。医師はトゲの刺さった彼女とジャックの右手に持ったモンスターから何があったのかを察してすぐに対応し、処置を施してくれた。


 結果としては命には全く別状はないとの話。だが、薬で麻痺を和らげることは出来ても完全に取り除くことは出来ないため、フィリカはそれから医務室のベッドでしばらく過ごす事となっていた。


「はぁ、暇ですね」


 一階窓の外を見ながら、今日の曇り空のような溜め息を吐くフィリカ。そして「一雨来そうですね」と、ひとりごちた。しかし、私は関係ないですけどね。と気付くと、まだ麻痺で歩くことが出来ぬフィリカはむすっと息を吐いては肩を竦めた。


 医務室はベッドが数十個並ぶものの、患者はフィリカと六人の兵士だけ。足にギブスをはめる者。首から三角巾で右腕を固定する者。頭に包帯を巻いた人。そして、見た目上は分からないものの眠ったままの人。それらの者を看護師が見回っては世話をしていた。


 そんなベッド三つ毎に点々とするような彼等に目を向けたフィリカは、みんな大変なんですねぇ。と、染々。そして、自分の目の前を通る、医療品を乗せてワゴンを左から右――入り口のほうへと押して歩く看護師の女性をそれとなしに追った。


 ――と、ちょうどその時、その彼女とすれ違うように見慣れた二人が現れる。


 その二人は入り口を通り抜けるワゴンを身体を少し横へ傾けて避けるようにしていた。そして、こちらを見ると手を上げる。


「元気? フィリカ」

「おう、元気か?」


 入り口から三番目のベッドのここへ。


「はい、おかげさまで。昨日よりも少し腕も動くようになりました」


 見舞いに来た二人のうち一人――ミーナは「それは良かった」とすっかりいつもの笑み。それを見るフィリカも自然と微笑む。


「医師の薬もよく効いてるみたいね」

「はい」


 フィリカは自分の手や腕をあちらこちらに動かしてはその様子を伝える。


「とはいえ、歩くのはまだ心許ないですけどね。動かせても力が入りませんから」

「いいのよ無理しなくて。ゆっくり治してちょうだい。それより、背中のほうはどう?」

「そっちも経過良好です。下手に触らなければ傷跡も残らないみたいですので万事オッケーです!」


 と、敬礼するフィリカ。だが、すぐに、


「ただ、ちょっとむず痒いのが気になるんですよねぇー」


 背中に手を伸ばそうとする。すると、


「駄目よフィリカ。折角、私が安心してるんだからやめて」


 ミーナがその手を掴んで下へ降ろす。


「むー」

「頬膨らましても駄目。傷になっちゃうでしょう」

「別に私はミーナさんが責任を取ってくれるなら······」

「馬鹿なこと言わないの。そんな言うこと聞かないなら折角買ってきたものあげないわよ?」


 すると、それを聞いて耳をピンと伸ばすように「買ってきたもの?」と目を丸くしつつも喜びを見せるフィリカ。ミーナが目配せをすると、その隣にいた彼が、持っていた紙袋を顔の側へ掲げる。その果物のロゴが入った紙袋を見たフィリカはさらに目の色を変えた。


「あぁー! 『オレンジ』のパンじゃないですかー! あそこ名店だから一時間は並ばないといけないのに! ありがとうございますうううぅ!!」


 そして、はやく、はやく、というように手を伸ばすフィリカ。――も、彼の持つ紙袋にギリギリその手は届かず、ミーナが意地悪な顔を見せる。


「じゃあ、背中掻かない?」

「はい、掻きません!」

「ホントに?」

「はい!」

「ホントー?」

「はい!」


 そうしてミーナは、はやくしてやれよ、と言いたげだった彼の顔に目配せ。果たして紙袋を受け取るフィリカ。布団を足に被せたままのフィリカは我慢できないというようにその紙袋を開ける。中には焼きたてのブルーベリーパンが三つ。それを爛々とした眼で見たフィリカは、紙袋が顔に付くほど近付けてその匂いを嗅ぐ。そして、


「んはぁ······」


 それだけで幸せそうな顔。


「良かった。喜んでもらえて」


 ミーナは首を傾げて微笑む。そしてベッド傍に備えられている丸椅子へと座った。フィリカの反応に苦笑いだった彼――ジャックも、隣のベッドから椅子を拝借。


「せめてベッドから出て食えよ? 怒られるぞ?」


 ジャックは携えていた剣を台に立て掛けてはミーナの隣へ座りつつ、そう窘める。が、好物の匂いを堪能したフィリカの耳にはもう届いていなかった。彼女は既に紙袋からパンを一つ取り出し、ベッドの上でそれに口を付け始めている。


「んふー、おいひー」


 丁寧に、このパンの全てを無駄なく食い尽くそうと食べるフィリカだが、咥えて千切る際にはどうしてもパンくずは飛んでしまっていた。


「あぁ、知らね······」


 彼女の脚に掛かる真っ白な布団は点々と茶色の欠片を増やしていく。――と、ここで、よく噛んで味をこれでもかと味わっていたフィリカだが、


「んっ! んんー······!」


 それをつい勢いよく飲み込んでしまい手をジタバタとさせる。パンを喉に詰まらせていた。


「もう、なにやってんのよ」


 ミーナは急いで傍の台にある水差しへ手を伸ばし、少し水が飛び散るほど勢いでコップへ水を注ぐと、それをすぐフィリカへ渡す。彼女は急いでそれを仰ぐように飲むと、自身の胸をバンバンバン、と二、三度強く叩いた。


 そして、


「ん······んああっ!! はぁ、はぁ······さすが名店。殺人的な美味しさですね。危うく死ぬところでした」


 そう言って口を拭うフィリカへ、「何言ってんだ馬鹿」とジャックの容赦ない突っ込み。だが、それにも慣れた彼女は気にすることはなく、また右手のパンを頬張る。


「ったく、普通に危ねぇからゆっくり食えって」

「そうよ、フィリカ。彼の言う通りよ。あなたとはいえパンなんかで死なれたら、私、あなたの葬式で笑っちゃうわよ?」


 と、叱るようにミーナは言うがフィリカのペースは変わらず。彼女を見る二人は一度、目だけを隣へ向けては呆れたように溜め息。ミーナももう止めることはせず、フィリカの空のコップを受け取っては、また同じことになってもいいようにと水を注いでおいた。


 それと水差しを傍の台にミーナは置きながら言う。


「でも、もう、自分で食べられるようになって良かったわ」


 ちょうど、一つ目のパンを食べ終えていたフィリカは、


「はい、おかげさまで。まだ痺れる感覚はありますけど、こうして食事くらいは出来そうです」


 と、コップへ手を伸ばしては一口、自力で水を飲む。すると、


「俺はもっとかかると思ってたんだけどなー」

「なんです、その言い方」

「だってそしたら、もう少しこの科休みになるだろ? そしたら······いや、なんでもない」


 途中で言葉を止めるジャック。


 それを怪訝に思うフィリカは「うんー?」とジャックを疑いの目で見る。そしてしばらくして、その細めた目を戻すと「なんだ、そういうことですか」と溜め息。


「ミーナさんと二人きりが良かったんですね」

「ちげぇ」

「どうせデートでも誘おうとしてたんでしょう?」

「ちげぇから」

「まぁ、そうは願っても問屋が卸さないですからね?」

「だからちげぇっての」


 と、いつもの冗談の延長だったが、それを見ていたミーナは特に笑みを作るでもなく、恥ずかしがる様子でもなく、どちらかと言えば少し憂いた表情だった。


 そして、もう少し二人のやり取りは続く。


「ってかな、まずミーナはお前の世話ずっとしてたんだぞ。だからその分、俺が今回の経緯を報告してな。これで休みが取れるなー、って思ってたとこなんだ。寝て楽してたお前とはちげぇんだって」


 と、これにはフィリカはやや怒ったように反論。


「何言ってるんですか。こっちはこっちで大変だったんですよ?」

「大変って何が? 寝てるだけだったろ」

「自分で動けると動けないとじゃ大違いなんです! ······だって······トイレも碌に出来ないんですから······」

「あぁ。そういうこと」

「デリカシーないわよ、あなた」

「その世話をしてくれたのが女の人だったとは言え、物凄く恥ずかしかったんですから······」


 自分で言ったことに耳を赤くするフィリカは、それを誤魔化すように二つ目のパンにかじり付く。が、一口囓かじった時「あっ」と、あることに気付く。


「でもそしたら、もうミーナさんに御飯食べさせてもらえなくなるのか」


 同時、歯形の残ったパンを布団の上に落とし、しまったー! というように頭を両手で抱え煩悶するフィリカ。


「なんで残念がってんのよ」

「もっかいトゲ刺してやれば? こいつの為にも」

「そのほうがいいかしら?」


 そんな彼女はまだベッドの上で「私のバカー!」と伏せては布団を叩いて自分を責めていた。


「こんな子だったかしら······?」

「麻痺でどうかしたんじゃねぇか?」

「だといいけど······」


 と、二人が一歩引くように呆気を取られていると、


「ん?」


 その時、医務室の扉が開き一人の兵士が入ってきた。傷や汚れのない銀の甲冑に槍を持ったその装いから、城門で警備をする兵士だと気付くジャック。


 そして部屋にその男性の声が響いた。


「ミーナさんは居ますか?」


 突如名前を呼ばれた彼女は疑問の色を浮かべながら「はい、私ですけど」と右手を上げた。その包帯を巻いた手に気付いた兵士はこちらへ早足で向かってくる。


「何かしら?」

「さぁ······」


 心当たりのないミーナは、とりあえず立ち上がってそちらへ行こうとする。が、門兵がそれに気付くと焦ったようにベッドの側まで駆け寄る。結局、身体の向きだけを変えるに終わるミーナ。


 そんな彼女に敬礼をして、彼は用件を伝える。


「お話中、失礼します。怪しい輩が城門をくぐろうとしておりましたので引き止めた所、その者が『あなたに会いたい』と言ってるものですからお伝えに来ました。しかし、その風貌があまりに奇抜でしたので一度そのまま追い返そうと悩んだのですが······」


 兵士はその先の言葉をつぐむ。あなたならそんな変わった人とも知り合いかもしれない、とでも言いたそうな困惑顔をして。


 しかしミーナはそれは気にせず、


「誰かしら······?」


 と、首を傾げる。


「どんな方です?」

「金の鎧に身を包んだ男と、おっとりした風格の女性です」


 それを聞いてミーナだけでなく、傍で聞いていた二人もピンとくる。自然と目を合わせる二人。


 あの一行しか思い浮かばない、というように。


「あの人達ね。――見た目は確かに怪しいけど知ってる顔です。すぐ行くと伝えてもらえますか?」

「分かりました」


 そうして頷いた兵士は、伸ばしていた背筋をさらに伸ばすように敬礼をすると、早足で医務室から出て行った。


「ホントに来るなんてね」


 あの時のやり取りを社交辞令と思っていたミーナは、肘を抱えるように腕を組んでは頬に手を当てていた。そして「本当になんも用意できないのだけど······」と困ったように小さく呟くと、顔を上げて振り返る。


「ごめんなさい。まぁ、そういう訳だからちょっと行ってくるわね。――ジャック、フィリカをよろしくね」

「······あぁ」


 二人へそう言い残すと、ミーナは肩下まで伸びたサラリとした赤い髪を揺らしながら早々に部屋を出て行った。


「······」


 すぐに彼女の姿は見えなくなったが、その姿が見えなくなった後もまだ一人だけ、その先を追いかけるようにずっと扉を見据えていた。

――と、そんな少年に気付いては見兼ねる彼女。


「ジャックさんも行ってきたらどうです?」


 と、彼女はその彼へそう声を掛ける。が、


「どうして? 別に俺に用じゃないだろ」


 何ともないように素っ気なく彼は言った。だが、その顔は平静とは思えぬ、不安とつまらなさを滲ませたような、普段は見せぬ憂いた表情だった。


そんな様子に、彼女はもう一度溜め息。


「もう、ミーナさん心配じゃないんですか?」

「······なんで」

「なんでじゃないですよ。だって彼、前ミーナさんを口説いてたでしょう? 知りませんよ。ミーナさん一人、自分だけ勝手に彼等についていくとを決めたとしても」


 自分よりも年下の彼女にそう諭される彼は、奥歯を噛み締めたように顔を歪める。だかそれは決して、彼女の今の言葉に対しての怒りではなく、その言葉が自分の『嫌』の核心を深くついていたからだった。


「ジャックさんが行かないなら私が行くとこですけど、生憎この身体なんです。他に誰が行けるんですか?」


 彼女は自分の脚の辺りを布団の上からパンパンと叩く。しかし、椅子に座ったまま両足に肘を預ける前傾の彼は虚空を見つめ、まだ黙りとしていた。そんな彼を見て、


「もう、何を意固地になってるんです? いいんですか? もしそうなっても」


 やや強めの語気で言うが、それでも彼は動かなかった。しかし、


「私は嫌ですよ。もしもミーナさんが急に居なくなるだなんて」


 と、顔を逸らせて言ったその言葉には、彼は指をピクリとさせた。


「きっとミーナさんのことですから置き手紙でもして勝手に消えますよ。いらぬ気を遣わせぬようにって。でももしそうなったら私達はどうなるんです? 別に元の司書と兵士になるだけですけどやっぱり寂しいじゃないですか。それでもジャックさんは――」


 ガタッ。


 椅子を鳴らせて、彼は立ち上がっていた。


「······そうだな」


 俯き加減だった彼はそう言ってゆっくりと顔を上げる。そして、


「やっぱ行ってくるわ」


 小馬鹿にするような軽い調子で、彼は笑った。


 フィリカは、また後で躊躇ためらうのではないか、と一瞬思ったが、調子に乗った表情ながらも深海を彷彿とさせる青の瞳が真っ直ぐ見ていることから、それは杞憂だとすぐに思えた。


 彼は、立て掛けていた剣を手に取る。

 そして、それを腰に差しながら、


「パン、あんま焦って食うなよ。帰ってきて死んでたなんていったら、ホントに葬式で笑ってやるからな」

「揃いも揃ってひどい人達ですね。大丈夫に決まってるじゃないですか。······もう、早く行ってくださいよ。そんな疑いの顔されたら私の折角のだぁーいじなパンが不味くなるじゃないですか」

「そうかい。そんだけに大事思うならゆっくり食えよ」

「うるさいですね」


 と、やや頬を膨らませるフィリカは、シッシッシッ、と彼を追い払うように右手を振る。そして紙袋を覗いては「あぁ、無駄話してるから少し冷めたじゃないですか」と小言。


 だが、そんな彼女の態度は気にせず、腰へ剣を携えた彼は笑う。


「サンキュな、フィリカ」

「いいえ」


 そして今度こそ、彼は入り口のほうへと駆けていった。――が、扉を開けて部屋を出て行こうとした時、彼はその扉を押さえながら振り返った。


「また今度、そのパン買ってきてやるよ。別のも足して」

「へへ、楽しみに待ってます」


 そんな笑顔の彼女を残して、顔を引き締めたジャックは、いつの日にか一度消えた“あの幼馴染“を追いかけた。

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