東雲(しののめ)②
翌日。
「――と、こうなるわけね」
ジャックは、出発前から疲れた顔。
「いいじゃない。兵士は盾みたいなもんでしょ?」
「お前それ、いつか暗殺されるやつだぞ」
「ふん。私が王ならそれさえ起きないよう見せしめを作るわ」
「とんでもねぇ独裁者だな」
「ちなみに、見せしめはあなたよ」
「ざけんな! せめて俺はお前の盾だろ! 流れ的に!」
「······ジャックさん、恥ずかしいこと平気で言えるんですね」
「ほんとね」
「うっ、い、いや······今のは――」
「まぁいいわ。もうすぐ約束の時間よ。行きましょう」
「はい」
「あなたも受け入れなさい。一応は皆で決めたことでしょ」
「······はぁ、仕方ねぇか」
そして三人は、唇をやや結んだミーナを先頭に研究室を後にする。
炭鉱内は所々に灯りが掛けられ、暗闇の道で進むべき方向を優しく照らしていた。
「いやー、あれから道具を買い換える費用も節約出来てね、そのお金で新たに人を雇ってるんだ。炭鉱の掘削もどんどん進んでねー、それもこれもミーナちゃんのおかげかな」
「いえ、とんでもないです。また困った事があれば言ってください」
「ハハハ、ありがとね。助かるよ」
汚れきった土色のタオルを首に掛ける黒髪中年の鉱夫は上半身だけツナギを脱いで、中のタンクトップを見せる姿で歩いていた。が、話が途切れた所で彼はふと後ろを見ると、ミーナに苦笑いを見せる。
「それにしても、彼、すごい重装備だね······」
「今回の魔物から身を守るためなんです」
「うーん、そっか。まぁ、あれだけあれば彼は大丈夫そうだけど」
と、ジャックのほうへ眼を移す鉱夫はさらに濃い苦笑い。ジャックはそれにさえ反応を返せず、一人汗をかいて、はぁはぁ、と喘いでいた。
鉱夫は視線を前へ。それと共に到着を報せる。
「ここだ。この道が、その魔物の出始めた道だよ」
彼が立ち止まった前には左右の二つの分かれ道。右は灯りが掛けられこれまでのような明るさが続いていたが、左は暗く、彼の指すその方向には進入を阻むように、腰の高さほどの木箱が横一列に置かれていた。
「この木箱はその魔物が来ないようにするためのもんだから、中入ったらまた塞いでおいてくれ」
彼はそう言いながら木箱を軽々と横へ動かす。引き摺られるその箱からは空洞を知らせる軽い音。その一つだけを退かし終えると彼は右の道を指し、
「じゃ、僕はこっちで仕事してるから終わったら声掛けて」
と、特に大きな心配を見せるでもなく、もう一方の道へ歩き出す。――が、突如何か思い出したように「あっ、そうだ」とすぐに振り返った。彼は、その背に礼を述べようとしていたミーナの、腰に提がる物をチラと見ると、
「ミーナちゃん。そのランタン以外で火を使う予定ってあるかな?」
「えっ? あ、えーっと······使うかもしれません」
と、ここで話を聞いていた、ミーナと同じような照明を左手に持つフィリカが会話に加わる。
「火、使っちゃ駄目なんですか?」
「いや、駄目なことはないけど、ガスが出るトコもあるから下手に使うと爆発する事もあってね」
「爆発!?」
聞きなれない単語にフィリカが思わず声を上げる。――が、鉱夫は落ち着くようにと右手を前へ出した。
「あぁ、ごめんごめん。驚かすつもりはないんだ。その道は僕等が一度は歩いてるから大丈夫なんだけどね。ただそれでも、むやみに壁を壊すとガスの漏れることがあるから、それだけ気を付けてもらいたくてさ」
と、その理由を聞いたフィリカは「そうでしたか」と深い納得を見せる。ミーナも「それには気を付けます」と返事。だが、彼の忠告はまだあった。
「あと、火のことを尋ねたのはもう一つ理由があってね」
と、彼は首に掛かる汚れの染み付いたタオルで額を一度拭う。するとミーナが、
「酸素ですね」
と、鉱夫の言おうとしていたことを先に答える。彼は頷いて「そう」と言っては念を押すように、
「あまり大きな火を使うと、酸欠起こして倒れちゃうからね。それだけ気を付けて欲しいな」
「はい、わかりました」
それを言い終えると「うん、それくらいかな」と彼は言って「んじゃ、怪我の無いよう気を付けてね」と、今度こそ右の坑道へ消えていく。そんな鉱夫の背に「ありがとうございます」とミーナ。
彼の姿が見えなくなるとミーナは腰のランタンを取り、側の木箱へ乗せては灯りを点す。そして「フィリカ」と呼んで、そのランタンも点すから、というように手招き。
そうして、フィリカのほうのランタンにも火を点していると、ミーナ等が話している間しばしの休息を取れたジャックが口を開く。
「ってことはさ、じゃあ今回、お前の魔法は無しなのか?」
ミーナはその声に顔を向けず、灯を点しながら答える。
「少しなら使えるでしょうけど、いつもみたいなのは無理でしょうね」
「ふーん」
ミーナはジャックを一瞥。彼は、首の後ろに左手を当てては明後日のほうを見ていた。そんな彼から視線を戻したミーナは、やや大きく「けど元々」と言って中腰の身体を起こすと、
「燃やしたら魔物からは何も取れないわよ?」
と、火の灯ったランタンをフィリカへ渡しながら言う。ジャックは「まぁ、確かに」とミーナに視線を戻し、そして首の手をぶらりと下ろしては、
「とにかく、今回はどんな手段でもいいんだろ?」
「形が残ればね。ドラゴンの時と違って、その辺は簡単じゃないかしら」
「······なんか他人事な言い方だな」
「今回、私はほとんど使えないから」
「珍しく謙虚じゃんか」
「自分の出来ることくらい分かってるわ」
「あぁ、そう」
そしてまた目を逸らすジャックから視線を外したミーナは、オイルランプ型の自分のランタンを手に取る。蝋燭の芯で火を灯すフィリカのランタンと違い、ミーナのその火は少しだけ揺れていた。だが、それには気付かず歩き出す。
「行きましょう」
三人は、奥へと進んで行った。
木箱を元へ戻した三人はフィリカを先頭に、最後はジャックの並びで歩いていた。先は鉱夫の彼に歩くペースを合わせていたが、今はジャックのペースで進行。ジャックは、ジョギングをする程度の軽く息が上がる具合にまで落ち着いていた。
「はぁ、助かるな」
左の道は明かりが設置されてなかったが、自分達の明かりは二つあることでキメリア火山の細道よりも坑内は明るく、また道も広めであったため、あの時のような不気味さはほとんど無かった。それに加えて、
「それじゃあ、フィリカ。『サーチ』お願い」
「了解です!」
とてもウキウキと元気の良い黒髪の少女。その少女は目を閉じ合掌をする。そして、
「なんだってお見通しなんですから······サーチ!」
目を見開くと同時、両腕を左右へ大きく広げた。
彼女は自身の魔力を周囲へ飛ばしていた。
「ノリノリだな······」
手を下ろした少女は、
「こういうのは形から入りませんと」
「そういうもんか······?」
昨日、話し合っているうちに“そういえば魔法に名前がない“こと気付いた三人は、フィリカの『魔力を飛ばして対象の位置を知る魔法』と毎回呼ぶのは不便なため『サーチ』と名付けていた。ちなみに、その名付け親は誰かというと、
「だって、ミーナさんにこの魔法、名付けてもらったんですよー? こんな嬉しい事ありませんってー」
だからって別にその動作必要ないだろ。こいつ、ミーナの影響ホントに受けるな······。と、心で呆れるジャック。
「まぁ、嬉しいならいいんだけどさ」
と、鼻から呆れの息を吐いていると、
「ちなみに、私の炎は『フレイム』っていうのよ?」
聞いてもないのに自分の魔法について話し出すミーナ。昨日話題に挙がらなかったそれを得意気に言う彼女に対して、フィリカの時から呆れでやや細目だったジャックは、
「なぁ、それ、技名か炎そのものかそれとも薬かどれなんだよ」
と、その顔のままにミーナへ突っ込む。背中を見せたままのミーナは顔を少しだけ後ろへ向けては少し楽しげに、
「炎そのものよ。下から上に上がるような炎を『インフェルノ』。で、細く火を伸ばして相手を取り囲むのが――」
と、彼女は技名を滔々と話し始めるが、
「あぁ、いい、いい」
ひとつ名を明かして、これからという所でジャックはミーナの言葉を遮った。この調子だと際限無く出てきそうな気がしたためだった。研究部屋でゆったり聞く分には構わなかったが、今のジャックにその一つ一つが頭に入る気がしなかった。
ともあれ、そうしたことで口を止め、不完全燃焼に終わるミーナ。彼女は、
「ふん、なによ、折角考えたのに」
少し拗ねたように鼻を鳴らして前を向く。だがジャックは、
「別に考えんなとは言ってねぇよ」
と、それが悪いとは言わず、そこに間違いのないことだけはそれとなく伝える。不満の乗った背中から「ふーん」と聞こえると、幾らか雰囲気が和らぐ。そうして、ジャックは代わりに「たださ」と話の途中から思っていた事を尋ねる。
「コンタクトもそうだけどさ、人が名付けたものならまだしも、そういうのを自分で言うのって恥ずかしくないか?」
それを聞いたミーナはケロっとしたように、
「そう? 私は気にしないしむしろ好きだけど」
「ですよねー。自分だけの技! って感じでいいですよね!」
「そうそう」
楽しそうに同調する二人。すると今度は、前にいる彼女等から置いてけぼりのジャックがやや不満顔。少しうずうずとするような、羨ましいような、仲間に入りたいような、そういった顔だった。そんな子供のような感情を引っ提げて、ジャックは自分も話せる、
「じゃあ、あの実はどうすんだ? あの魔法を吸収する液体」
魔法と関係はあるものの、技にならないそれについて尋ねた。すると、
「あれだって、もう決まってるのよ?」
ミーナは、くるりと後ろを振り向いてそのまま歩く。そうするとその背後から、
「えっ!? そうなんですか!? 何て言うんです!? 教えてください!」
熱望するフィリカの声。それを聞いたミーナは「ふふん」と立ち止まると、歩き続けるジャックよりも後ろへ立つ。そして一回、コホンと咳。
「いいわよ、聞きなさい」
ジャックとフィリカも立ち止まって後ろを振り返る。ランプを持ったまま腕を組む彼女の顔は自信で満ち満ちしていた。その斜め下から照らされる不遜の笑みを、ジャック達は黙って見守る。
赤い髪の彼女はすぐには言わない。
だが、二人が固唾を飲んで、今か今かとその緊張が張り詰めたところで、彼女はゆっくりと唇を開いた。
「············『バキューム』よ」
それを聞いた二人は思わず、
「······はっ?」「······えっ?」
聞き直すような声を漏らすと隣の顔と見合わせ、互いに思っていることが同じだと分かり、顔を引きつらせる。そして、また前を向くとその顔のままで二人は黙り。そのため、
「えっ?」
思わぬところで訪れた沈黙に、
「な、な、な、なによその反応······!」
ミーナは完全に狼狽えていた。
半口を開け、ジーッと遠い目で黙って彼女を見ていた二人は、ゆっくり顔を動かして再度、顔を見合わせると、二人して同時に溜め息を吐いて項垂れる。「なによ!」と叫ぶミーナに、ジャックが自分達の言わんとする胸の内を吐露。
「いや、言いたいことはわかるよ。吸い込むって意味で『バキューム』だろ? でもさ、ほら、それってどっちかって言うと、“空気系“の言葉だろ? だからさ、サーチ、インフェルノって来て、普通ここで『バキューム』って······いや、ねぇよなぁ··················いや、ねぇよ」
「改めるように言わないで!」
「風で吸い込む魔法とかならアリですけどね。あの液体にこれは············流石にないですよね······」
「ちょっと! フィリカまでそんなこと言うの!?」
フィリカはこれまでで会ってから、一番の失望にも似た落胆の溜め息を吐いていた。
そんな、自分も愛す後輩に、百年の恋が冷めたとでもいうようながっかりした姿を見せられ、ミーナは涙目になるのさえ忘れるような、筆舌尽くしがたいショックに陥る。だがしかし、彼女はそれでも挫けず、むしろ、少しでも汚名を返上するかのように声を上げる。
「いや、だって私、昨日寝る間も惜しんでずっと考えてたのよ!? それでその中で一番良いと思ったんだから悪いはずがないでしょ!? 違う!?」
――が、そのミーナの謎の熱量とは裏腹に、その理由にならない理由を聞かされた二人は、今度は諦観するような憐れむような目をしていた。冷たい空気がさらに坑内を漂う。
「お前、何にでも必死になるんだな······。なんか俺、哀しくなってきたよ······」
「私もです······。あっ、でも、ミーナさんも頑張るほう間違える事あるってことですよね。そこはホッとしました」
「そんなのでホッとしないで!」
「まぁいいや、もう行こうぜ」
「はい、行きましょうか」
そして二人は、ミーナを置いて歩き出す。
「ちょ、ちょっと! 待ちなさいよ! ······じゃあいいわ! 今度もっと驚くような名前考えてきてあげるから!」
「良いほうでな」
「当たり前でしょ!」
と、怒りながらも彼女は、しっかり二人の後を離れないよう付いていく。そんなフンスカ鼻を鳴らす後ろの幼馴染を窘めるように、
「ったく、んなムキになんなよ。別に軽い気持ちでいいだろ。『ポーション』とかで。――なぁ?」
「あっ、それいいですね! その前に吸わせた魔法の色とかつけるのどうです?」
「あっ、それいいな」
「でしょう? ――ねっ、どうです? ミーナさん」
「えっ? ······そうね。炎の魔力は少し赤くなるし、クリムゾンポー――」
「普通にいけよ」
ここまで順調に来てたのは奇跡なんじゃねぇか? と、ジャックは苦笑。
「炎のやつは赤くなりますから、レッドですかね?」
「だよなぁ」
「レッド······」
それを聞いたミーナは、これまでの不満な顔を少し緩め、
「レッド······ポーション······。なによ、いいじゃない」
「いいのか······」
些か不貞腐れてはいるものの、彼女はすっかりそれを気に入り機嫌を取り戻す。
「じゃあ、あの魔法薬は何にします?」
「うーん、ドラゴンパウダーかしら? ······あっ、そうそう。今度あれも少し改良しようと思っててね。小さなボール状にでもしようと思うから、それはやっぱり名前をドラゴンボ――」
「だからなんでそんなズレんだ!」
「なに必死になってんのよ」
「どうしたんでしょうかね?」
結局その後、軍の外部でもという隠語も踏まえて、薬だけは『ヒイラギ』ということに。ただ、それが決まるまで先のと似たようなことが数度あり、ジャックは無駄に疲れていたが。
ともあれ、名前が決まってからミーナとフィリカは前で横に並んで話していた。
「やっぱ、名前がカッコよく決まるといいわね」
「ですねー」
「ジャックに私のあれが負けたのは癪だけど」
「俺もあれには負けねぇよ」
「あっ、そう。まぁいいわ。今回はいい感じだから譲ってあげる」
「なんで上から目線だよ」
鼻で笑うジャックだが、呆れながらも自分のが採用されたことにほんのり嬉々。――と、ここで「ミーナさん」とフィリカ。
「これからも沢山魔法増やして、こうやって沢山名前を付けていきましょうね」
「えぇ。忘れられないような良い名前を一緒に付けていきましょう」
「あれは忘れらんないけど。······いてっ。いてぇ! 引っ張んな!」
「ふんっ。――フィリカ。今は始まりに過ぎないけど、私達はいずれ世界を驚かすのよ」
「はい」
「そして、私達の魔法は世に知れ渡るの」
「はい!」
「そして私達は何千年経っても消えないような、大きな歴史を世界に刻み込むのよ!」
「はい!!」
「······目標変わってるし」
ジャックは鼻の頭を赤くさせ、二人のそんな出任せのような目標を涙目で見ていた。
その後、そのまましばらくは二人の野望話だった。
それをジャックはその話をジト目で静聴。
――と、その時だった。
「待って下さい」
急に、ミーナより少しだけ前を歩くフィリカが静止するよう手を出しては歩みを止めた。
それだけで場は一転。緊張が走る。
程なくして、声を潜めたフィリカは曲がり角を指差して二人に見えるものを伝える。
「そこの陰に居ます。止まってますが、トゲのあるキノコに見えますから、恐らく標的の魔物かと」
フィリカの照らす明かりがなんとか映す曲がり角。そこを見るミーナは「ようやくお出ましね」と同じように声を潜めて言う。そして、
「じゃあ、予定通りにいくわよ?」
「あぁ」「はい」
前にいたフィリカと、ジャックが位置を入れ変える。
「やっとか」
小さくそう言ったジャックは甲冑の音を立てぬよう背中に担いだ大盾をそっと前に構え、“いつでもいける“と頷いて二人に合図をした。