勇者パーティ現る②
円形のウィルドニア国にある船乗り場の一つ――北西の船乗り場から『ムスリカ村』へと出発した三人は、水馬が引く、中型の木船で川を緩やかに遡っていた。
「水の中はモンスター、出ないんですかねー」
フィリカは、川を覗き込みながらミーナに尋ねる。
「そんな事ないのよ」
隣で背中を船縁の木に預けながら、脚を抱えるように座るミーナは答えた。そしてもう一言。
「この辺りは海や森に比べて川が、モンスターも出にくく、危険が少ないってだけ。単純に、この辺は水が苦手なモンスターが多いだけなの」
「へぇー」
川の流れも穏やかで、時折、吹く風が水面に波を作ったり、ミーナの纏った髪を揺らす程度だった。フィリカはまだ船から顔を出していた。急に、その彼女の顔が映る水面が陰る。彼女が上を見ると、木々が太陽を隠しては、またしばらくして顔を出していた。
「いつの間にか、森に入ってたんですねー」
木漏れ日が綺麗な道を作り、時折吹く優しい風によって木々が揺れると光の差す場所も変わり、木漏れ日の雨が降った。まるで、それが船を導くように。
「とても、モンスターが居るとは思えませんねぇ······」
「そうね。今日は暖かいし、その辺で寝てるんじゃないかしら」
ミーナは微笑でフィリカにそう言うと前を向き、目を瞑った。この静かで穏やかな森に耳を傾けた。
鳥のさえずり。
川のせせらぎ。
青葉の話し声。
――仕事だってこと忘れちゃいそう。
落ち着いた様子が多いミーナだが、日常と仕事の疲れも幾らか溜まっていた。彼女の仕事は『自分の好き』ではあるが、それがまだ軍全体には認められてないこと。それによる上からの圧力。マイペースを出来れば崩されたくない彼女からしたら、それはただのストレスでしかなかった。自分のこの研究だけは間違いないという確信めいたものがあるだけに、尚更だった。
だが、そんな上層部に対する鬱憤に満ちた心を、ここの自然は日溜まりのようにじんわりと彼女を癒していった。一応は善意の行動――国のためにもなる行動のため、これに関しては上層部も口出しはしなかった。そのため、
――着くまでの間は、気を緩めたっていっか。
と、ミーナも安心してその揺らぎへと浸った。
鳥のさえずり。
川のせせらぎ。
青葉の話し声。
眠りについてそうな心地良さだった。もうここで研究したいくらい、そう思ったミーナはもう一度、その自分を癒してくれる自然達へと耳を傾けた。
鳥のさえずり。
川のせせらぎ。
青葉の話し声。
そして、微かにイビキの音が聞こえた。
途端、ミーナは眉根を寄せ、険しい顔になる。
自然へと身を委ねていたミーナは目を開け、興を削いだその原因へと睨むように視線を移す。それは船尾のほうだった。そこには、半口を開けたまま眠る、兜を脇に置いた、月白髪の兵士だった。彼は鎧を着たまま大の字で仰向けで、そこを独占するようにだらしなく眠っていた。
ミーナは溜め息を吐いた。
だが、それと共に険しい顔を緩めると、自分の膝に頭を預け、
「はぁ、まったく······」
と、ここらの自然と同じように、彼を見ていた。
*
彼等の出発前――それは、あの葡萄を食べながら報酬の件について確認し終えた辺りのこと。
「まぁいいや、そこまで知れたら十分だ。――で、今回、敵の情報は?」
自分にも得な事があると知ったジャックは、若干のやる気を出していた。とはいえ、
「それがサッパリ。さっき言った、人や牛を狙うってことだけ」
それは出鼻から挫かれるわけだが。
「はっ? なんだそれ。依頼しといてそれはないだろ」
「知らないわよ、私に言わないで。――とにかく、強いてそこから分かるのは、敵が中型または大型の肉食型ってことよ。ハンターウルフみたいなのなら、きっとこの話も浮上しないだろうから」
それは『相手が弱い』という意味ではなく『目撃者が残らない』という意味だった。だが今回『人や馬が狙われる』という情報がある。御者や付き人も多少の武器は持つが、あくまで牽制が出来る程度。ハンターウルフ――それらの魔物を追い返すほどの力はない。
ジャックは一瞬悩んだが、その彼女の含意を汲み取った。
「ふーん。まっ、どっちにしろ村に行ってちゃんと話聞かないことには、作戦なんも練れないわけか」
「そうね。まぁそれでも、念入りに準備はしておくけどね。――良かったじゃない。流石に今回もナイフだけって事にはならなさそうだから」
「それ聞いてナイフだけってのは、流石にどうかしてるだろ」
と、ジャックは呆れるように鼻で笑い、剥いた葡萄を口へ入れる。それから葡萄の甘みを味わいつつ、天井を見上げては、ジャックは何の気なしに幼馴染を見る。すると、
「どうした?」
彼女は机に右肘をついて窓へ身体を向けては、葡萄を食べる手を止め、一点を見つめていた。虚空を見つめる彼女の唇へ触れたままの果実から、水滴がゆっくり、彼女の指へと伝い始めていた。
そして、ジャックの問いに答えることがないまま、それが人差し指の付け根へと辿り着く頃、彼女はようやく、意識を取り戻したように瞬きをした。そして、
「······ジャック。今日はちゃんと鎧着ていいわよ」
と、彼女は持っていた果実を口へ含むと、その指に垂れた透明な水滴を、伏し目がちに、その真っ赤な舌でペロリと舐めた。無意識ではあったが、それは少女らしからぬ、どこか妖艶さ漂う、男を魅了しかねないとても艶かしい動作であった。無論、ジャックも少年――男であった。のだが、
「おぉ! 俺、今回兵士の装備していいのか!?」
勢いよく立ち上がったジャックは残念ながらそれに気付くことはなかった。一気に別のほうへと意識を持ってかれていた。
鎧を着る。そしてナイフではない。というロジックから、それはつまり『剣を持つ』イコール『兵士と同じ装備』である以外にジャックには考えられなかった。
そして、報酬の件とは比べ物にならないほどやる気に満ち溢れた彼の様子に、黙々と葡萄の領域侵犯を進めていたフィリカは思わず反応した。
「ジャックさん、そんなに兵士に興味あるんですか? 訓練にも出てるって聞きましたし」
「何言ってんだ、おまえ。俺の経歴はちゃんとした元兵士なんだぞ?」
「何をまたまた、ジャックさんが兵士だなんて。兵士にしては紳士さと誠実さが足りないと私は思いますよ? ――ねぇ? ミーナさん」
「そうね。その辺りはもう少し磨いて欲しいわね」
ミーナは、フィリカが騎士と兵士を混同していることには今は触れずに同調した。本心で思っていたからだった。とはいえ、事実はちゃんと伝えなきゃね。と思うミーナは、正しい情報をフィリカに伝える。
「でも、ジャックの言うことは本当よ。彼、元兵士なの」
「えっ、うそ······」
フィリカは机に葡萄を落とした。が、それをサッと拾い上げる。「三秒ルール、三秒ルール······」と言って。そして、それを軽く拭っては持ったまま、
「じょ、冗談じゃないんですか?」
と、恐る恐るミーナに尋ねる。そしてミーナは「えぇ、ただ」と前置きをして、正しい情報を伝える。正しい情報を。
「服役日数はゼロだけど」
「へっ?」
目を見張るほど驚いていたフィリカだが、途端、目が点になった。葡萄が落ちかけた。
「おい、そこ言うなって。俺の経歴が霞んじゃうだろ」
と、やや怒るように言うジャックだが、それは自分の都合が悪い部分を隠してると認める発言だった。誠実さの欠片もなかった。それ故、それを良しとしないミーナは、
「そんな張りぼて、私が粉々に砕いてあげるわ」
「誰のせいで元兵士になったと思ってんだ」
「知らないわ。偉い人の決定でしょ」
「おい、都合の悪い時だけそれ持ち出すんじゃねぇ」
「何のことかしら」
知らぬ顔で葡萄へ手を付け続ける幼馴染に、ぐぬぬ、と顔を顰めるジャック。だがやはり、ぐうの音も出なかった。事実のため。軍に所属する限り、上の決定は絶対だった。
ジャックは肩を落とし、仕方なく気持ちを切り替える。ともあれ、兵士の装備が着られることには変わりはなかった。
「まぁいいや。んじゃ俺、倉庫行って鎧借りてくる」
そして机の下へと椅子をしまったジャックは、今しがたの不満を感じさせない、浮き足立った歩調で部屋を出ようとした。――が、それをフィリカが呼び止めようとした。
「ブドウ、まだ途中ですよー?」
しかし「全部食べといてくれー」と、ジャックは背中を見せたまま手だけを上げ、そのままに部屋を出て行った。すると、それに続くように、
「私も準備するわ。あと食べていいわよ」
「えっ、ミーナさんまで」
ミーナも立ち上がり、出発に向けての支度に入る。
「じゃあ私も······」
と、遅れをとってはいけないと思ったフィリカも立ち上がった。が、彼女は既に『イーリアの森』へ向かう時と同じ、あの鞄を持って来ていた。
準備することが何もなかった。
それに気付いた彼女はもう一度、ストン、と椅子へ腰を落とす。そして黙って再び、フィリカは葡萄へと手を付けてはもぐもぐと、ついでに鼻歌を歌いながら、二人の準備が終わるのを待つ事にした。
フィリカは、二人の準備が終わるよりも早く、ミーナの葡萄も食べ終えていた。
*
こうして、兵士の装いをする事になったジャックだが、そんな彼を、遠出が楽しみな子供みたい。と、ミーナは女性的な――慈愛に満ちた目しっとりと思っていた。
膝へ乗せた腕に、頭を預けるようにしながら。
――と、そこへ、そんな風にミーナが目を細めて見ているとは露知らず、船縁から顔を出していたフィリカも、その彼女の背中越しに、だらしなく寝ている兵士の姿に気付く。そして、先の会話を引き継ぐ彼女は、
「あれもモンスターですか?」
と、表情の見えぬミーナへと尋ねる。
ミーナは少しの沈黙の後、徐に振り向いた。どこか平静を装った様子だった。が、すぐに、
「そうね」
と、首を傾げ、やんわりとしたいつもの笑みを見せた。その彼女の誤魔化しには気付かず、フィリカはつられたように微笑んだ。そして、そのまま顔を合わせる二人は、数秒して、また小さく笑った。
やがて、森のトンネルを抜けた木船は大きな水門の前に来ていた。この水門は、川上と川下の二つの門を使い水位を操作しては、高低差のある川を上っていくためものだった。
ミーナ等の乗った船は、川上の閉じられたその水門の前へと進んだ。そして、後から来た船が二艘入る。すると、川下の門が閉じられた。その水門が人の手によって全て下ろされると川上の水門に備えた小窓が二ヶ所開かれ、そこから濁流のような音を立てながら大量の水が流れ込む。
「はぇー、凄いですね······」
それを初めて見るフィリカは、閉じられたここの水位が徐々に高くなるのを感じながら圧倒されていた。また、それに圧倒されてたのは彼女だけではなかった。
「よくこんなもの造ったわよね」
「ですねぇ。······ん? ミーナさん。これ作った方、御存知なんですか?」
「本で読んだだけだけどね」
「ほぇ、そうでしたか。それで、ちなみにその方ってのはどなたなんでしょう?」
と、小首を傾げるフィリカ。ミーナもその濁流のほうを見ていた。
「私達の国の王――『初代ウィルドニア国王』よ」
「国の名前にもなってる、あのウィルドニア国王ですか?」
「そうよ」
フィリカは「ほぇー」と感嘆の声を漏らす。そして、その国王が作った水門をぐるりと見渡す。
「相当な力を持ってたんですねぇ」
「それにもちゃんとした理由があってね」
「へぇ、どんな理由ですか?」
「まだ争いが絶えなかった頃、彼はいつも誰よりも働いては希望を持ち、最前線で戦っては戦果を上げてたみたいよ」
「ほぉ、誰よりも。――ん? でもそういう人は意外と今でも居そうなものですが、その国王さまは何か特別なものでもあったんですか?」
ミーナは「そうね······」と俯き、記憶を確かめるように目の前の虚空を見つめる。
「武芸はもちろんのこと知にも勇にも長け、時には単騎で敵国へ乗り込んで話し合いで和平を結び、ある時は月日をかけた作戦をその決行日にたった一つ『不安』があるからと、迷わず放棄したそうよ」
「たった一つでですか······。とんでもないですね······」
「周りから見れば些細な不安だったそうよ」
自国の初代国王にそんな破茶滅茶な逸話があることを知り、フィリカは唖然する。――が、少々疑問に思うことがあった。
「ですが、そんなことしたら相当恨まれたんではないでしょうか? その作戦だって周りも準備は大変だったでしょうに」
「そうね。戦に関することだから引き返すことも出来ないし間違いなく恨まれたと思うわ。でもね――」
ミーナは、フィリカのほうを徐に見る。
「その放棄した日に、彼が立て直した代替案で万事事が上手くいったの。たらればの話だけれども、もし前の作戦を実行していたら自分達は壊滅だった、とも当時の人に言われているの」
「はぇー、国王さまは先見の明があったんですねぇ」
ミーナは、そう、と言うように頷く。
「その一件で、彼への不信は瞬く間に覆ったわ。前以上にね。――つまり、そういった並み外れた行動力と決断力。またそうした未来を見通すような神通力が、彼にはあったと言われているの」
「へぇー」
ミーナは「それに加え」と付け加える。そして、視線を、水門の傍で指示している兵士へ移すと、
「『全ては人ため平和のため』。そんな今の軍にも残っていることを素で行えた人だから、仲間からも国民からも絶対的な信頼を得られたんだって。だからあの街もこの仕組みも、きっとそんな彼だから出来たもの」
「まるで、存在が残ってるようですね」
「そうね。『象徴』と呼ぶにも相応しいくらい」
フィリカは「ですね」と呟くと、ミーナの隣へ同じように膝を抱えて座る。そして、水が緩やかになり始めた水門を見上げる。
「そんな国王さまの恩恵を私達は今受けられているだなんて、なんだかとても神秘的なお話ですね」
「もう何百年も前のことだものね」
「私達がこうしていることも、王さまは見通していたのでしょうかね?」
「ふふっ、そうかもしれないわね。それくらい簡単なことなのかも」
その会話から程なくして、水門内の水は満たされた。川上の門が開かれる。程々に開いたところで、水門脇の兵士が白の旗信号を送っていた。
それを見た御者が牛革の手綱を引く。同時、足も動かさずプカプカ浮いていた水馬が動き出し、彼女等の乗る船を引き連れて進んで行った。川上との高低差はなかった。
門を抜けた先は、前の“眠るような森“と違い、より鬱蒼として緑が濃く、山奥の森とも言える薄暗い雰囲気が漂っていた。小さな木船は、その中をとても静かに進んでいった。
それから数分してのこと。目的の桟橋は見え始めていた。さっきと同じ場所へ座ったままのミーナが、離れた彼へ話し掛ける。
「ジャック起きなさい。着くわよ」
「ん······あと五分······」
と、ジャックは、また夢の中へ戻ろうとする。
「川に捨てられたい?」
「あぁ、起きてるって······」
ミーナの声だと分かるジャックはそう言うと身体を起こす。が、彼は座ったまま目を瞑って、コクリ、コクリ、と何度も頭を落としていた。
ミーナは溜め息が吐く。すると、隣の少女が言った。
「器用ですね······。身体だけは起きてますよ······」
と、無駄な特技でも見るように苦笑。が、それを聞いたミーナは慣れた様子だった。
「放っときましょ。着いて起きないなら川に落とせばいいから」
「は、はぁ······」
フィリカは、今度はミーナのほうに茫然とした。
やがて、水馬が桟橋を少し超えて止まると、ミーナはここまで運んでくれた御者に銀貨を一枚渡し、船を降りた。フィリカと、目がまだ開ききってないジャックも続く。
先に降りたミーナが御者に尋ねる。
「あの、村までどのくらいかかりますか?」
「歩いて二十分程だよ。――それより、君等だけで大丈夫かい? 見たところ装備してるのは彼だけだけど」
「大丈夫ですよ。彼、それなりに腕は立つので」
「んー、そう······なんだね」
「――?」
何故、言葉を詰まらせたのだろう? と、疑問に思うミーナは御者の彼の視線を追う。すると、その理由はすぐに分かった。ミーナの右やや後ろ側で――船縁に足を引っかけ、転んでいるジャックがいた。御者の彼はミーナの背後で、寝惚けて足元がおぼつかず跨ぐのにもたついてるジャックが視界に入っていた。
「何やってんのよ······」と目頭を押さえるミーナ。彼女もやや不安になった。だが「ともあれ」と言って話を戻す。
「私達も少しは戦えますから。それに、逃げるのには自信がありますので心配は大丈夫です」
と、炎の事は伏せてその旨を伝える。御者はまだ渋った顔だったが、ミーナから溢れる妙な自信からそれ以上は聞かなかった。
「そっか。でも、まぁ気を付けてな」
「ありがとうございます」
「じゃあ約束通り、また明日の迎えに来るよ」
そうして、ミーナが「お願いします」と返事をすると、彼は「んじゃまたな」と言って手綱を引く。ゆっくりと水馬が動き出し、木船はさらに川上へと上って行った。
それを見送ると、ミーナは後ろを振り返る。
ジャックが川の水で顔を洗い、目を覚まそうとしていた。転んだ際に着いた土を洗い落としてるようにも、ミーナには見えたが。凍えるほどではないが、ヒンヤリとした涼やかな水をその顔に数度合わせたジャック。
「······よし、行くかー」
と、顔を左右へ振っては手のひらで残りの水滴を落とし、気合終える。しまいに、自分の両頬をパンパンと叩いていた。そして立ち上がった彼はミーナの元へ歩み寄る。が、その彼女は呆れた顔を見せた。
「あんた、まだ寝惚けてんの?」
「ん?」
ミーナが何を言っているか分からず、ジャックが首を傾げていると、彼女は左手を腰に手を当てる動作をした。それでようやく、後ろを振り返るジャックは気付いた。
「あ、いけね。忘れるとこだった。慣れねぇといかんもんだな」
「本当に。しっかりして、昔とは違うんだから」
「分かってるって」
反省の色薄めでそう言うジャックはしっかりとした足取りで、顔を洗う際に置いた剣の元へと行く。そして「わるいわるい」と戻ってくると、不平ではなく、しみじみするように小言を言う。
「まさか、お前に指摘される日が来るとはな」
「何のことかしら」
「忘れるの専売特許はお前のだろ。前も言った気がするけど」
「知らないわ。別人でしょ」
「んなわけあるか」
「あなたが来た日のことなんか知らないわ」
「ガッツリ知ってんじゃねぇか」
と、冷笑するジャックだが、若干の嬉しみが垣間見えていた。ミーナは彼が顔を背けたため、それには気付かなかったが。――と、そんな、いつも通りのやり取りをしているように見える彼等の横へ、手を胸に当てたフィリカがやや怯えた様子でやってくる。
「相変わらずのもので、お二人は頼もしいですね」
フィリカは魔法を使うことが許されたとはいえ、やはりこれから自分達が進む道――草が枯れ果てるほど踏み固められた広い獣道を見て不安を抱いていた。左右に伸びる木々は『イーリアの森』より低いため青空がよく見えるほどだったが、青空がよく見えるということは、空から敵に見つかりやすいこと、また、緑が生えぬ広い道は、地上から敵に見つかりやすいことを意味していた。
「普通の魔物も出るのでしょうか?」
それはミーナも分かっていた。
「出たとしても大丈夫よ、こっちは炎があるんだから。この辺は炎が効かない魔物は出ないはずだから、特に気を付けるのは馬車を襲う魔物だけよ。馬を拐うほどなんだから」
フィリカへ安心を与えつつ、それが出た時は最大に警戒するように、と言うようにミーナは言う。だが、彼女も面倒だと思う部分はあった。
「ただ、行きは会わないことを祈りましょう。第三者が居なきゃ
倒しても証明しにくいもの」
と、冗談っぽく言いながら、ミーナは粉薬を口へ含んだ。フィリカは「そうですね」と、少しだけ和らいだ様子だった。ジャックは、別に俺が倒せば跡は残るけど。と、思ったが黙った。
そうして、彼らは村へと向かう道を歩き始めた。
御者の彼が言っていた通り二十分弱で、三人は村へと辿り着いていた。幸い、魔物と遭遇することもなかった。
「ここね」
木製の柵に囲まれた小さな村だった。五分もあればぐるりと一周出来てしまう程度の。入り口は両開きの、柵と同様木組みのもので、少しだけ開いていた。三人はそこから中へと入る。
そして、その入り口付近で彼等に背を向け農作業をしていた老婆に、ミーナが尋ねた。
「あの、お仕事中すみません」
「ん?」
控えめで艶やかで、それでいて凛と涼んだ声で話し掛けられ、ようやく背後の存在に気付く老婆。彼女は首だけそちらへ向けると、三人の装い――自分達の息子より遥かに若い彼等を見て、少し目を丸くした。
「誰だい? 珍しいね、こんなところに」
「私、ウィルドニアから来た者でミーナと言います。積み荷の護衛を募集してると聞いて来たのですが」
と、それを聞いた老婆は身体も翻した。
「あぁ! あんた達、わざわざ仕事引き受けに来てくれたのかい。ありがたいねぇ······」
老婆は、横着鎌を持ちながら手を擦り合わせていた。ミーナはつい両手を少し前へ出し「い、いえ」と、それを止めさせようとする。しかし、老婆は一通り自分の中で感謝した。それを終えると、
「まぁワタシに詳しい事は分からんから、あの茅葺の家へ行ってくれると助かるよ。あそこに大きいのがあるだろ? そこに村長がいるから、そこで話を聞いておくれんかね」
ミーナは、老婆が顔で指す場所を見る。そして顔を戻す。
「そうですか、分かりました。ありがとうございます」
「いいやぁこちらこそ、来てくれて嬉しいよ」
と、日に焼けた皺をより一層濃くして笑う老婆は、また手を合わせる。「ありがたや、ありがたや」と今度は言っていた。三人は顔を合わせると「では」と一言言って会釈し、老婆の言うその茅葺屋根へと向かった。
その家の外観は丸太をそのまま並べたような壁と、その上に茅を乗せた簡素な造りだった。周りの家々も同じ造りだったが、ここは一際大きかった。
ミーナは扉をノックして「こんにちはー」と呼び掛ける。だが、イチイの心地よい音が跳ね返っただけで、反応はなかった。またも顔を合わせる三人。が、こうしていても仕方がなかったので、ゆっくりと開き戸を開けた。
すると同時、中から何かを煮込んだような香ばしい匂いが漂い、彼等の鼻を刺激した。真っ先に反応したのは、
「いい匂いですねー」
村に着きすっかり安心しきった、鼻をくんくんとさせるフィリカだった。目を瞑り、犬のように鼻を伸ばしている。――と、その時、玄関というよりは土間、その向こう正面にある引き戸がそっと開かれる。そして、そこ――居室から一人の老人が現れた。
「おや、見ない顔だね。誰かな?」
目を丸くする、柔和な顔の、まだ初老ほどの足腰がしっかりした彼は、三人を見てそう尋ねた。
「村の方に村長さんの家がこちらだと聞きまして」
ミーナは自分の身分とここへ来た理由、そして経緯を話す。
「――ああ、そうでしたか! これはこれは、失礼しました」
立っていた彼は居住まいを正して、頭を下げる。そして、ミーナ達のいる土間より一段高い、木の床へ正座する。
「こんな場所にわざわざ足を運んで頂き、ありがとうございます。募集したものの、誰も来てくれないと思っていたからねぇ。いやぁ、本当にありがとう」
少し前へ出た村長はミーナの右手を取り、あの老婆同様にまるで拝むように何度も感謝をする。ミーナは例の通り空いた手で「いえ、そんな」と恭しく言った。そして、
「とりあえず、詳しい話を聞かせてもらえませんか?」
「えぇ、勿論ですとも。······そうだ!」
と、ミーナの手を放し、立ち上がる村長は、
「街から来たんだ、恐らくここまで何も食べてないでしょう? ちょうど昼を食べてた所だから、良かったら御一緒にどうぞ。そこでお話でも」
彼は笑顔でそう言って、三人に中へ入るよう手招きをする。
顔を見合わせる三人は黙っていたが、それで意見を(主にフィリカの眼を見た二人によって)一致させると、御厚意に与ることにした。
天井からぶら下がった鉤には鍋が掛けられ、村で取れた野菜、ハーブと猪肉がその中で煮込まれていた。それを四方から囲む形で座った。食事を分け終え、自分の椀を持ちながら座る村長が自分の名を名乗る。
「申し遅れました。私は村長の『ミゲル』です」
ミーナ達も順に名乗った。そして一通り自己紹介が終えると、ミーナが話を切り出す。
「それで、被害というのはいつからなんですか?」
村長は「そうですねぇ······」と天井を見ては記憶を探りつつ喋り始める。三人は椀に入る食事を食べつつ、彼の話に耳を傾けていた。
「一週間ほど前からですかね······。急に、空から鷲のような爪を持った獣に襲われた、と命からがら逃げ帰った御者から報告がありましてね。その魔物はその鋭い爪とクチバシで、仲間の護衛や馬を掴むと大きな翼を広げ、山奥へ消えてしまったそうなんです。それで、連れ去られた彼らは今もまだ······戻っておりません」
自然と、場にいる全員へ影が落ちる。――と、その暗さを紛らわせようと、
「ミーナ。その魔物、心当たりあるか?」
と、ジャックが魔物に関しての話を振る。それを聞いて、少し表情を戻すミーナは器を置くと、顎に手を当てた。
「そうね······恐らくグリフォンじゃないかしら。鷲のような鋭い爪と大きな翼。爪やクチバシを使って人や馬を襲う――きっと肉食で山奥へ飛んで消えるといえば、それが一番近いと思うわ」
「グリフォン、か······」
ジャックはその魔物を見たこともなかったが、噂でその大きさは馬より一回り大きく、剣で一人で戦うには厄介だと聞いて、知っていた。
――どう戦おうかねぇ。
ジャックが俯いてそう考えていると、彼の左にいるミーナが村長のミゲルに向け、口を開く。
「でも、この地方に現れるなんて私は初めて聞きました」
「ええ、私も七十年生きて初めての事です。しかしほら、住んでいた場所の餌がなくなって人里に降りる熊と言うのも珍しくないですし、それと同様のものだと私共は思っておりますが······」
「そうだといいのですけど······」
そして、ミーナは囲炉裏の火へと視線を移す。気に掛かることがあった。――と、彼女がジッと一点を見つめて考え込んでいると、村長が遠慮がちに口を開いた。
「その、それで······そんなものを相手に、本当に引き受けてくださるのでしょうか?」
やはり、村長が抱く不安はそれだった。だが、ミーナは顔を彼に向けると真剣な顔で、
「ええ、もちろんです」
「あぁ、よかった······。ありがどうございます······っ!」
白髪の短い髪をした彼は、深々と頭を下げた。たった三人――加えて少年少女だったが、ミーナのその自信と迷いのない返事に、彼はその言葉を信じた。
そして、今度はミーナが控えめに言う。
「それで、お願いが一つあるんですが」
「はい、なんでしょう?」
ミゲルが顔を上げる。
「今日一日この村へ泊めさせてもらえないでしょうか? 空き家でも物置でも構いませんので」
「えぇ、もちろんですとも! ここの隣の部屋が空いてますので是非そちらをお使いください」
「ありがとうございます」
ミーナは少し長めに頭を下げた。
「村の者に今日準備をさせ、明日出発出来るように致しますので、何もない村ですがそれまでゆっくりしていって下さい」
と、彼が言うと、今度は軽く微笑んでミーナは礼を述べた。
明日まで特にやることもないため、食事を終えた三人は家を出ては村を見て回る事にしていた。「何もない」と彼が言っていた通り何もなかった。それでも、三人は端から端まで村を歩き回った。
と、その途中、敢えて尋ねてなかったが、村長の家を出てから村を柵に沿って一周しても、まだ腑に落ちない顔をしているミーナにジャックが話し掛けた。
「何か気になるのか?」
ミーナはジャックを一度見ると、また少し俯いてやや口を尖らせた顔をした。そして話す。
「グリフォンは普通、高い切り立った崖のような山に寝ぐらを作るの。そんな高低差あるような山は辺りにないし、何処から来たのかと思って」
「村長の言ってた通りじゃないのか? 人里にってやつ」
「魔物だって生き物だから、環境に適応しようとするその可能性は十二分にはあるけど······」
と、ミーナはまだどこか腑に落ちない様子だったが「まぁいいわ、後で考えれば」と言った。すると、話の合間を縫うように、ミーナの左にいたフィリカが「あの」と口を開いた。
「グリフォンってたしか、基本群れで行動してるんですよね?」
「えぇ、そうよ」
「もし村長さんの言う通り人里降りてきた魔物なら、その一つの群れをやっつけるまでが、私達の任務になるんですよね?」
「そうなるわね。じゃないとまた襲撃を受けてしまう可能性が高いからね」
その情報は知らなかったな。と、右を歩くジャックは目だけを彼女等のほうへそっと滑らし、心の隅で思った。ついでに少し不安が過った。その魔物が複数同時だったからだった。ただ――それでもこいつはそれらを倒せる自信があるのか? と思うジャックは少し離れた位置からその事を尋ねようとする。
「今回、作戦とか考えないのか?」
だが、ミーナの答えはドラゴンの時と違い、かなりサッパリしたものだった。
「考えるも何も、集団で襲ってくる敵を全て倒す。それ以外にないわ」
そりゃあそうだけど······。と、ジャックは思う。そうして次の言葉に悩んでいると、ミーナが立ち止まった。そして彼女は、
「でも陣形だけは決めておきましょ。私とジャックは前線で敵を、フィリカは馬車のほうをお願いね」
と、ポケットから薬包紙を取り出すと、それをフィリカに渡した。「出発の前にでも飲んでおいてね」と言った彼女の言葉に「わかりました」と答えるフィリカは、両手を差し出してその薬を受け取る。
そのやり取りを見ていたジャックは、それが自分には向けられずつい、
「俺は、魔法無しか?」
と、尋ねた。するとミーナは素っ気なく言う。
「だって、あなたそんな魔力ないもの」
否定も出来ず、その言い方地味に傷付くぞ。と、目を細めるジャック。だが「それに」と続いた彼女の言葉で、彼女も彼女なりに理由を持っていたことを知る。
「もし戦ってる最中、急に炎が使えなくなったら焦るでしょ? あなたが自分の魔力を感じ取れてるとはまだ思えないから、だったら私は初めから剣一つで戦ったほうがいいと思ってるわ」
魔力が枯渇するのには慣れているものの、確かにその状況はジャックにはまだ経験が無かった。加えて彼女の言う通り、自分の魔力が残りどれだけかを把握出来ておらず、また、そうなった際の練習も当然していないため上手く切り替える自信もなかった。
「まぁ、確かに。んじゃあ仕方ないか」
「そっ。そういうこと」
と、今度は軽快に口にするミーナは、
「じゃ、頼むわね。新米兵士さん」
と、ジャックの肩を叩くと、途端に何処かへ行ってしまった。「どこ行くんですかー?」と言うフィリカの問いに「少し自由行動にしましょう」とだけ言葉を残して。
風のように急に去っていく彼女に、置いてかれたままのジャックと、手に薬包紙を乗せ唖然とするフィリカ。フィリカはそれを手に乗せながら言う。
「んー、いいんでしょうか?」
「いいだろ。流石に一人じゃ村も出ねぇし」
「そうですか。まぁ、広い村じゃないですし心配も無用ですかね」
と、ここでフィリカが「ん?」と、あることに気付く。
「どうかしました? ジャックさん」
「ん、あ、あぁ······」
ジャックは歯切れの悪い返事をする。ジャックはまだ、グリフォンとどう戦うか考えていたがその答えが出ず、結局真っ向から行くしかないか、と不安が顔に出てしまったところだった。
とはいえ、自分より年下のフィリカにそのまま打ち明け、不安を伝染させるのも性に合わないため、
「もしかしたらちゃんと戦うことになるけど、お前は大丈夫か?」
と、ジャックは、実際別で抱えていた心配を尋ねる。フィリカは不安でもなく過信でもなく、ただ分からないという感じで答えた。
「不安はありますけど、何とも言えません。魔物とは無縁の生活をしてきましたから」
「そっか。まぁ、無理はすんなよ」
「はい。ちなみにジャックさんはどうなんです? さっきあんな顔してましたけど」
「んー、どうだろうな。大型の魔物とこんな少人数で戦うのは初めてだし、訓練生の時も弱った所への参戦だったし······俺も何とも言えないな」
つい本音が漏れたが、戦闘未経験者の彼女を見ると「けど」とジャックは言って、
「まぁ、やるしかないよな」
と、軽く笑った。不安なのは自分だけじゃないと認識するフィリカは、それでも前向きに捉えるジャックを見て、
「そうですね」
と、表情を和らげると、渡された薬包紙をカバンの中へ大事にしまった。
次の日の朝。村の入り口には、自分達を待つように幌付き馬車が佇んでいた。――が、それを見てやや不満のミーナは口を尖らせていたた。
「こういうのって普通一台じゃないの?」
「知らねぇよ。こっちの確認不足だろ」
その不平を向けられたジャックは、俺に言うなよ、というように鼻で一蹴した。彼の反応はともあれ、その一言だけ言った彼女は溜め息を吐くと気持ちを切り替える。
「まぁいいわ。ちょっと予定は狂ったけど、私が前。ジャックとフィリカは後ろよ」
寸前の不満とは打って変わって、ちゃんとした様子に、二人は頷いて返事をする。
そして、ミーナは「フィリカ」と言って彼女を見る。
「『コンタクト』をしておきましょう。あなたなら川まで持つだろうから、いつ何があっても連絡が取れるからね。もちろん、敵の影を見つけた時はすぐに連絡お願いね」
「わかりました」
そしてミーナは「じゃあ」と言って、右手を差し出す。フィリカも、ここしばらくの彼女との練習を思い出しつつ手を差し出す。――が、フィリカが、差し出されたミーナの右手に自分の手を重ねようとした時だった。
その一行は現れた。
「おい、なんだありゃ?」
コンタクトを待つ間、頭に手を組んで身体を左右へ振っていたジャックがそれに気付いた。二人も、そのジャックの思わず漏れたような声に、コンタクトしようとしていた手を下げて、その彼の見る先へ視線を移した。すると、彼女等からも困惑の声が漏れる。
「んー······なんですか、あれ······?」
「さあ、ねぇ······。仮装軍団かしら······?」
フィリカは珍しい物を見るような目で、ミーナは腕を組み、難しそうな顔をしながら首を傾げていた。
彼らの視線の先に居た者。それは、黄金に輝く鎧に身を包む男と、その後ろを歩く数人の影だった。やがて、その一行は村へと続く最後の木陰を抜ける。その瞬間、朝日を背にした男の鎧がより一層、眩しいほどに輝く。
眼を細める三人。
そして、馬車の側まで歩いてきた彼らは、出し抜けにこんなことを言った。
「その仕事、僕等に任せてくれないかな?」