勇者パーティ現る①
「うーん······」
少女は仕事部屋――木机の前で腕を組み、口を尖らせては眉根を寄せ唸っていた。と、そこへ偶然、こっそり司書の仕事を抜け出して遊びに来たフィリカが現れる。木製の扉をそーっと開けて現れたその存在に気付くと、ミーナは一瞬目を丸くするも、すぐ呆れたように嘆息。
「もう、あなたまた仕事抜け出してきたの?」
「違いますよー。司令部に資料を運んだ帰りです。だからついでですってー」
と、そう扉から身体を出した彼女は言うが、帰り道――中央棟にあるそこから書庫へと、この研究科への道は全くの正反対である。どう頑張ってもついでにはならない。況してや、この部屋は三階一番端の部屋にあるのだから、仮にこちらの棟へ用があるとしても、滅多なことでは近くに寄ることもない。そう、意図的でない限り。
嘘も甚だしいが、ミーナもここまでハッキリされると怒る気にもなれなかった。加えて自分に会いに来てるのだから。
「はぁ、迷惑掛けない程度にしなさいよ」
「はーい」
ついでにフィリカは「書庫出る時、誰も居ませんでしたから大丈夫ですよ」と付け足していた。この言葉は真実と分かるも、本当に迷惑を掛けてなければいいのだけど······。と、ミーナは頬に手を当て心配そうに小首を傾げる。まるで保護者のように。
しかしそうしている内に、親の心子知らずなフィリカはミーナの側――机の向かいまでやってくる。そして「ところで」と手を組み前置きすると、
「どうしたんです? 私が最初覗いた時、ミーナさんいかにも“困った······“って顔してましたけど」
やや誇張気味にその真似をするフィリカ。だが、その言葉でどうして気落ちしていたのか思い出したミーナは、彼女の真似に触れることはなかった。その代わり、自然と同じ顔をする。そして、
「もうこれだけしかないのよ」
ミーナは不満気にそう言って、目の前の麻袋をフィリカに見せた。中には細かく刻まれた調合用の葉が入っていたが、その残りは袋の角へ収まる程度。小さじ一杯程度だった。
魔力をストックできる小瓶を作ってから二週間。ミーナは次の魔法を作るため下準備実験を幾度と繰り返していた。そのため、材料の消費もあっという間に。
「ありゃあ、もうこれだけですか」
「ねぇ、前買ったばかりなのに。もっと買い溜めしておくべきだったわ」
前も溢れるほど買ってましたけど、まだ足りないんですね······。と、フィリカがほとほとそう思っていると、その肝心の荷物持ちが居ないことに気付く。
「あれ? そういえば今日、ジャックさん居ないんですね」
「あぁ。彼、今日は軍の訓練に参加してるのよ」
「軍にですか?」
「えぇ。暇な時行きたいって言うから許可したの」
「へぇ、そうでしたか」
しかしフィリカは、でも、なんでまたそんな所に? と首を傾げる。フィリカはまだ、ジャックが元兵士であることを知らなかった。そのため、今ここで彼女はその疑問を投げ掛けようとする。が、
「荷物持たせようと思ったのに」
「私が持ちます!」
少し早いミーナの呟きに、猫が耳を立てるように反応するフィリカ。ミーナと一緒に買い物へ行ける機会を見つけた瞬間、同時に頭からジャックの事はシャボン玉のように霧散。もう二度と浮かぶことはなかった。
それに対し、突如ハツラツな言葉を浴びたミーナは眼を見張って驚いた。しかし、やがて彼女は平時へと戻ると、
「だーめ。あなたまだ仕事中でしょ? それに足りないのこれだけなんだから、一人でも買いに行けるわよ」
流石の彼女もフィリカを叱る。
「むぅー」
その優しめの鞭に、駄々こねる子供のように顔を膨らまし、不満を見せるフィリカ。なのだが、
「でも、途中までは一緒に。次の日取りでも決めながらどうかしら?」
「はい!」
飴をばら撒かれ、掌を返したように嬉々とする猫、改め犬。
それからミーナは白衣を脱ぎケープを取るとオイルランプの火だけを消し、他の実験器具はそのままにして、犬――もといフィリカを連れて部屋を後にした。
ウィルドニア国の南西、川沿いの市場。露店が並ぶ石畳のその道をミーナは一人で歩いていた。馬で荷を運ぶ商人。籠を持った主婦。様々な往来の中、彼女は颯爽かつ優美に通り抜けていく。
石畳の端――川側には、階段また黒に染められた鉄柵が設けられていた。階段の下はコンクリート製の広い船着き場になっており、川を行き交う船がそこへ停留、係留をする。ほとんどが交易のための船だった
そんな、時折見える船の屋根や、荷を積み降ろしする人を階段越しに見ているうち、彼女は目的の露店へと辿り着く。そして一言。
「こんにちは」
「おっ、いらっしゃいミーナちゃん! 今日は何買ってくね?」
白い頭巾を頭に巻いた恰幅と威勢の良い男が、立ち寄った彼女に返事をする。互いに馴染み顔であった。
「そうね······」
ミーナは胸に手を当てて、まるで主婦のように木箱へ並ぶ商品へ目を滑らせる。だが、商品を見て物を決める主婦と違い、既に彼女は買うものが決まっていた。なのに何故、彼女がこうしているのかというと、
「前買ったやつ、もう無いのかしら? 小袋一杯に欲しかったのだけど」
目的の品が見当たらなかったから。
それを聞いた店主は申し訳なさそうな顔で、
「あぁ、あの薬草かい? 悪いね。アレ最近仕入れの方が滞っててね」
「あら、珍しいわね。何かあったの?」
世間話をするように、ミーナはもう一度木箱へ目を滑らせながら事情を尋ねる。
「いやなんでも、薬草の取れる『ムスリカ村』周辺にモンスターが現れるようになったみたいでね。――知ってるかい? ムスリカ村」
「えぇ、名前くらいは」
そう言うと、ミーナは耳を傾けつつ「これ二つ」と箱上の葡萄を指差す。店主も「まいど」と返すと、慣れた手つきでそれを手に取る。そして彼は、葡萄を茶色い紙袋へ入れながら、
「それで、見て分かる通り、僕らの取引は船が中心なんだけど、その村から川までの道中、そこでいつも馬車が被害に遭ってるそうなんだ。荷じゃなくて馬や御者が狙われちゃってね」
「それは大変」
「あぁ。護衛を頼んじゃいるそうだが、なんせ貧相な村だから、安い賃金しか出せず人が来なくて困ってんだと。確かに、腕の立つ奴含め、傭兵も全員報酬のいいトコへ行っちまうからなぁ」
「難儀なものね」
「全くだよ。まっ、ミーナちゃんに言ってもしょうがねぇんだけどよ」
店主は歯を見せ朗らかに笑うと、葡萄を入れ終えた紙袋をミーナの前へポンと置く。
「ほい、銅貨三枚ね」
「えっ?」
ミーナは目を丸くした。この店の葡萄は一房銅貨三枚である。
「三枚? 私は二つ頼んだはずなんだけど······。それにさっき入れたのだって――」
「いいのいいの。ミーナちゃん、本当は薬草を買いに来ただけなんだろう? なのに冷やかさず律儀に買っていってくれるんだから。いつも贔屓にしてくれてるおまけだ。気にしないでくれ」
そして、さらに前へ紙袋を差し出されるミーナは、あまりに気前の良い店主の親切心から無下にも断われず、仕方なく、渋々、腰の革袋から三枚の銅貨だけを取り出した。しかし、彼女もこのままではどこか納得いかなかったので、
「そんなおまけしてくれるなら、私の可愛さでもおまけしてくれれたらいいのに」
と、銅貨を渡す際に軽く冗談を言い返した。が、
「ははっ、手厳しいな。ミーナちゃんの可愛さを出されたら、うちはあっという間に大赤字になっちまうよ。店が潰れちまう」
「あら、それは困るわね」
「だから勘弁頼むよ」
返しは店主のほうが一枚上手だった。熟練の腕である。
そして、すっかり機嫌を良くしたミーナは「じゃ、またね」と手を掲げて店を後にする。その彼女の背に向け、店主は店から軽く身を乗り出し「また来てよ」と手を振る。振り返ったミーナは、愛想笑いして手を振り返すと石畳の道を軽やかに戻っていった。
次の日、
「——というわけで、『ムスリカ村』行くわよ」
ミーナは黒板前の椅子に座り葡萄を食べながら、昨日の事を二人へ話していた。その二人――ジャックとフィリカも、昨日買ったもう一房の葡萄を彼女と別の机で分け合っている。
「すっかり乗せられてんじゃねぇのか?」
「違うわよ。彼、私が軍に居ることさえ知らないもの」
「どうだか。そういう人達の情報網ってのは案外舐め切れねぇぞ」
「あっそ、でも関係ないでしょ。これはれっきとした善意なんだから。それに対して文句ある?」
「薬草かかってなきゃ分かんねぇ癖に······」
「なんか言った?」
「なんも。――で、上にはもう伝えてあるのか?」
「えぇ。頼むよ、だって。それだけ」
「軽いもんだな」
「割く人員がいないからちょうどいいんでしょ」
若干ヤケな口調で、ミーナは房から一つ葡萄の実をもぎ取るが、その右手に悔恨の力が加わってるのは言うまでもない。ともあれ、その話に興味なさげのジャックは「ふーん」と言うと、
「それで、そのムスリカ村って何処にあるんだ?」
と、丁寧に葡萄の皮を向きながら話題を変える。その質問にミーナは皮ごと葡萄を口へ放り込んでは、途切れ途切れに答えた。
「川の上流、水門の奥にあるわ。途中桟橋があるからそこから行けるの」
「へぇ、そこそこ距離あるんだな」
「そうね。桟橋から村までは聞いてないけど、水馬だけでも一時間ってとこらしいわ」
まぁ、そんなもんはかかるよなぁ。
ジャックは葡萄を半分口へ入れてそう思考する。と、同時、彼の正面に居た少女が、
「えっ、水馬に乗れるんですか!?」
ミーナのほうを見て声を上げた。房の半分以上を一人で食べ、ジャックの領域まで侵食し始めるほど食に夢中だったフィリカの脳は、その会話を遅れて処理していた。そして今、葡萄を見た時と同様の輝きを、彼女は眼に湛えている。
「えぇ。水牛で半日掛けて行こうと思ったんだけどね、それじゃ可哀想だからって、せめてもの旅費としてハイゼル司令官が自腹で出してくれたの」
「はぇー、素敵なおじさまです」
「おじさまって······」
水馬は、陸で言う所謂馬車馬なのだが、船を程よい速度で引いてくれるため乗り心地も良く、ウィルドニアでは重宝される生き物だった。何故、この国でそれが重宝されるかについては、単に水馬が川で移動するのに適しているからである。
とはいえ、水牛が全く駄目というわけではない。移動は遅いが引く力が強いため積載量も高く、大量仕入れする商人や住民の引っ越しなどではとても大事にされる。適材適所というわけだ。また、国に巡る運河の水草も水馬より綺麗に食べてくれるため、政府も推奨するほど。
さて······話がズレたが、
「楽しみですねぇ」
一度も水馬に乗ったことがなかったフィリカは、両手で頬を覆いながら妄想に顔を緩ませている。それを見たジャックは、別に船と対して変わんねぇけどな······。と、微笑ましくも苦笑い。そんな彼の胸中はいざ知らず、途端、何かを思い出したように妄想を中断したフィリカ。そして言葉を彼女へ。
「とはいえミーナさん。詰まるところなんですが、私達はその村や道中へ行ってモンスターを倒すってことですよね?」
「えぇ、そうよ」
「私、力になれますかね? なんか足手まといな気が」
先日のこと、また武器の扱いなどからっきしなフィリカは、自分が今ここで加わっているのが不思議でしょうがなかった。索敵はそれなりに自信あるが、自信があるのはそれだけ。故に彼女は、単にミーナさんの気遣いで呼ばれてるのでは? という疑念が払拭できなかった。
水馬の件も含めて、若干の不安が彼女に過る。――が、
「そうね、正直今回あなたはどうしようか悩んだわ。でもここ数日の練習と、もしものことを鑑みてやっぱ連れてこうと思ったの」
「えっ、それって······」
「えぇ、ちゃんと炎が扱えると思ったからよ」
「わー、やったぁー!」
両腕を高く上げるフィリカ。
実はフィリカはここ二週間、司書の仕事時以外ミーナが実験してる側で炎の魔法を練習していた。石机に並べた蝋燭を一気に点けては消し、点けては消しての繰り返しだったが、並び方を変えたり、また紙などの障害物を配置することで練習に工夫を齎せた。実験はしていたものの練習の指示をしたミーナは、それをちゃんと傍で評価していた。
「でもまだ洗練出来るからね。今後も練習はサボっちゃ駄目よ?」
「はい!」
ちなみに、ジャックも兵士の訓練がない時はやっていたが、障害物は割りと避けられるものの火力調整が甘く、蝋燭の胴を熱する具合だったので、残念ながらまだ彼女には認められなかった。
「でもあくまで、私達の手が回らないようなもしもだからね。基本は私達の後ろ。分かった?」
「はい、分かりました!」
明朗快活に敬礼をするフィリカ。ミーナほど完璧ではないとはいえ、炎の魔法でお墨付きを得たような彼女は有頂天だった。
その一方で、フィリカに先を越されたことからではなく、ミーナの言葉、あくまで私達なんだな。と、そちらで溜め息を漏らすジャック。頼られてるようで多少嬉しくもあったが、相変わらず、という意味合い。元より、ミーナを一人前線へ行かせる気など彼にはさらさらないわけだが、それでもやはり、漏れるものはしっかりと漏れた。
「まぁ、運が良ければ素材も手に入って一石三鳥か······」
軍のこまねく魔物の排除、魔法の素材、そして薬草の流通回復。結局、総括すれば彼女にとって得な事ばかり。なにが善意の行動だよ、とジャックは改めて思ったが、元兵士で横着な彼にとっても、事が同時に済むのはそう悪いことでもなかった。
延いては今回、人のためという大義名分。今までの、『利己』に命を懸けたのと比べたら幾らかマシなほうか。と、どこか感覚が麻痺しつつあるジャックは、二度目の溜め息を誘引してはそう結論付けた。
ジャックは、持っていた葡萄を口へ放り込む。
そんな時ふと、先の自分の発言が不的確では、という考えが彼の頭を過った。もしかして、一石三鳥ではなく四鳥ではないか、と。ジャックは次の葡萄と向き合いながら、同じように葡萄と向き合い黒板の前に座る上司へと何気なく尋ねる。
「なぁ、そういえばさ。俺等って軍の人間だけど、依頼遂行した際ってその報酬貰っていいもんなのか?」
国に尽くす兵士として入ってきたものの、ジャックはその辺の事情についてはからっきしだった。だが彼女は対照的。部署を作れるほどの人間だ。
「えぇ、こういった場合はね。一個小隊とか率いる際は駄目だけど、そうじゃないなら、基本当事者たちの裁量に委ねられてるわ」
「へぇー。じゃあ、なんか俺達のほうが得な気もするな」
「ん? そんなことないわよ」
「――? なんで?」
「だってあなた、仮に魔法知らなかったとして、剣や槍、弓だけの少人数で、多数いるモンスターと戦いたいって思う? あまり思わないでしょ?」
ジャックはふと、二週間前の事案と照らし合わせてみる。
「あー、確かに。思わないかも」
「でしょ?」
あの時は魔法のおかげで助かったが、あれが無ければジャック達は今頃どうなっていたか分からない。
「だからそういうこと。得する分、損するリスクも大きいの」
ジャックはミーナの言うことを理解した。
彼女の言う損は所謂、怪我から死までについて。それは誰だって、出来るなら避けたいと思うもの。
訓練はその個人そのもののミスを減らし力量を高めるものだが、束になるメリットはこういった側面がある。協力という相乗効果で力を得るだけでなくそれらの軽減。『味方の数が多ければ多いほど、個人の危険が減る』という得。それを選ぶのは、別に人として何ら不思議なことでもなかった。
加えるなら、無意識下ではそちらのほうが多くなるのは当然とも言えた。掲げたのが正義であろうと、大半の人間は己の命を優先しようとするのだから。
「まっ、腕に相当自信あるか命知らずは知らないけどね」
彼女の魔法を知ってるため若干鈍っていたが、通常ならばそれが普通であるとジャックは改めて気付かされる。また同時に、彼女の使う魔法は、それらの均衡をいとも簡単に覆せるのだ、ということも。
「なるほどねぇ」
ジャックは少し自分の非力さを痛く感じたが、まぁ関係ないか、今さら。いつか自分も魔法は使わせてもらえるだろうし。それまでの辛抱だ。と、前向きに考えることにした。返事を聞いた彼女も特に気にする様子でもなかった。
それから少女は、本来の位置へと話を戻す。
「とにかく心配しないで。ちゃんと報酬はあなた達と分けるから。まぁ······今回、過度な期待はしちゃ駄目だけど」
それは無論、人が来ない村からの依頼だからである。が、そこは彼も重々承知。
「分かってるよ。だから、善意の行動なんだろ?」
「そうね」
一羽は小鳥の可能性もあるが、ジャックは一石四鳥であることを確認した。