赤い髪の(小)悪魔③
「あっ、それ私知ってますよ」
「おっ、そうなのか? やっぱお前物知りだなー。その辺あいつといい勝負なんじゃないか?」
「そんなことないですよー。ミーナさんには及びませんってー」
成長するほうを間違えつつあるジャックのさもしい策略とはつゆ知らず、憧れの人と比べられては「いい勝負」と言われ、少女は嬉々として疑う素振りも見せなかった。
「偶然、本で読んだだけですから」
「偶然でも十分だろー」
そしてその少年の言葉の後に、俺にとっては、と付くことを彼女は知らない。
「まぁせっかくだけど、今回はあいつの出題ミスだな」
「ミス?」
「いや、なんでもない。――それで、その理由ってのはなんなんだ?」
一瞬、油断を見せたジャックだったがすぐに何事もなかったかのように振る舞う。そして一瞬だけ首を傾げるも彼女は大したことではないと思い、「えっと」と話し出す。
「その理由というのはですね、落ちた葉が根元に生える草にとって毒になることで殺草してくれるんです。それによって、その木は領域を守るんですよ」
ジャックは「ほぉー」と感嘆。
ただこの答えを聞くためだけに大きな違和感無く、自分の幼馴染を一泡吹かせるためだけに、手段を選ばすここまでの言葉運びを見事に為したジャックは、なるほど、これが成長か。と感嘆の裏で感慨深く思った。もしこの会話が赤い髪のその少女に聞こえていたなら冷たい眼で蔑んで罵倒されたことだろうが、それは考えないでいた。
ともあれ、そんなジャックは、
「なるほどねぇー。いやー納得したよ。いやースッキリした。ほんとサンキューな、フィリカ」
「いえいえ。でもジャックさん、やけに嬉しそうじゃありませんか?」
「ん、気のせいだろ。分からないことが分かるってのは誰だって嬉しいもんだろ?」
「それはそうですけど······」
フィリカは怪訝に思うも、ジャックという人間をまだそこまで知らない彼女は、それ以上訪ねることはなかった。そして代わりに「ともあれ」前置きをして、およそ木の周りを一周した現状と変化を口にする。
「僅かにですけど、近付きましたかね?」
「あぁ。三歩ぐらいな。ほら、そこ草踏んだ足跡あるし」
「あっ、本当ですね。ちゃんとツタ越えてますね」
顎でジャックが指した箇所をフィリカは見て喜ぶ。が、ちょっとした疑問、あまり考えたくのないことがすぐに浮かぶ。
「でもこれ······ずっと繰り返すんですか?」
ジャックもそれにはあまり答えたくなかった。イエスという選択肢以外にないと分かっているから。一周で十分ほど。そして内に行くほどその時間は短くなるとはいえ、六周はくだらないということをジャックは既にその計算していた。
しかし、
「あぁ、やるしかないだろ······」
ジャックは引きつった苦笑いで答えた。そして、
「はぁ、一度休みたい······」
「ジャックさん、残念ながら座れる場所はなさそうですよ?」
「お前の魔法はホント優秀だな。ちょっとぐらい精度落としてもいいんだぞ?」
「何言っているんですか。さっさと進みましょ」
と、それを聞いたジャックが落胆。「お前はいいよなー」と仕方なく歩みを進める。が、その時だった。
ガァーッ!!
空から、辺りを覆うように、嗄れた生き物の声が空から響く。思わずビクッと身体を震わせるフィリカ。その振動は彼女を背負うジャックにも伝わった。
「おわっ、あぶね。······おい、あんま急に動くなって」
「す、すみません、つい······」
周りを警戒しつつフィリカが空を見上げると、木々の隙間から鳥の黒い大きな影が旋回するように飛んでいるのが見えた。
「不気味ですね······」
それは、同じように見上げたジャックの目にも映る。
「あー、俺等を狙ってんのかもな」
「ちょっとやめてくださいよ。縁起でもない」
と、彼女のわずかな震えがジャックの肩に伝わると、
「大丈夫か、フィリカ。今後もこういうことはあるんだぞ?」
「そ、そこはなんとか慣れていきます。ただほら、ジャックさんって見た目が頼りなさそうじゃないですか。そう考えたらもしもの時怖くて······」
「······ちょくちょく思ってたけど、お前サラリとひでぇこと口にするよな」
「客観的事実です」
「余計ひでぇだろ。まぁいいや、ちょっと落ち着いたら行くから大丈夫そうなら言えよ」
「はい」
そうして腰を屈めて休むこと、程なくして二人はまた歩みを進める。
本当に少しずつだが、ジャック達は進んでいた。
一周、二周。そして三、四、五と。もっと沢山回らなくていけないのかと、単純計算七周か。と、落胆していたジャックだが、進むにつれ次第にツルも少なくなっていくという嬉しい誤算もあって元気を取り戻しつつあった。それは当然後ろの彼女も同じ。
故にそんな二人は、
「ジャックさん! ジャックさん! あと少しです! あと少しで実まで着きますよ!」
「わかってる! わかってるから、頼むから、煽るようなこと言わないでくれ!」
数十分前と打って変わって囃し立てる声とそれを必死で我慢するジャックの構図になっていた。しかしそうなりつつも、二人はついに最後の一穴へと辿り着いていた。
「いいか、絶対動くなよ」
「わかってます······わかってますって······」
二人の正面――最後のツタ間は歪な六角形だった。屈むようにして、なんとか潜ることが許される隙間。
それを見据える二人は、同時に固唾を飲んだ。
ジャックは肩に今までより強い握りを感じながら、慎重に、まずはその右足を上げた。そしてつま先が、やや大袈裟にツタから離れた位置でその上を通過する。音も立てぬほど慎重な具合で、まだ未踏の草の上へそれをそっと下ろす。
まだ身体は抜けてないのだが、それだけで安堵の深息。そして次に、今日一日幾度と繰り返した通り抜けで、まるで阿吽の呼吸のようにジャックが屈むと、フィリカが身を縮める。
そのままゆっくり重心を前へずらし、ジャックは上体を向こう側へと運んでいく。後ろの少女の髪がツタへかかりそうになるも、彼女は肩に乗る人差し指でトントンと叩いてそれを合図。そのフォローでジャックが少しだけ腰を落とすと、そうしたことで彼女も無事通り抜ける。
あとは、後ろの足を持ち上げて引き寄せるだけ。
だが、ジャックの身体はより、亀のように鈍く、慎重の極みだった。しかし、それとは裏腹に鼓動だけは全力疾走をしていた。どうしてここまで鼓動が聞こえるんだ、落ち着け、俺······っ! と、頬に汗を流しながら思うほど。そして、どうして左足がこんな重く感じるんだ、ともジャックは思った。
だが当然このまま止まるわけにはいかない。
やがて意を決すと、ジャックは唇を噛むように結んで全神経を残る足の全てへと注ぎ尽くした。
宙へと浮き始める左足。
間違って靴が脱げるんじゃないか。またあの鳥が騒ぐんじゃないか。ちゃんと俺の左足は上がっているか。気を取られ過ぎてバランスを崩すなよ!
この、一秒にも満たぬ、その一瞬の間にジャックは何度もそう思った。そして俯き加減で左足の位置を確かめながら、ツタより上へ持ち上げたその左足を慎重にこちら側へと引き寄せていく。
つま先震える。膝が震える。唇を噛む力により力が加わる。今までのことが嘘のように全身が熱を持ち、滂沱のように顔から汗が出る。汗が顎へと滴り、靴ほどの草の上へポタリと落ちていく。
そして、その一滴が跳ねるように、足元の葉の先端を弾いたと同時だった。
「············や、やった」
二人は、最後のツタを潜り抜けた。
ジャックはすぐさま間違っても後ろへ倒れぬよう二、三歩前へ進んだ。そして、
「やった······やったぞ······フィリカ······」
「やりましたね······ジャックさん······。やりました······。やったんですよ。やりましたよジャックさん!」
「ツ、ツタは······周りにないか?」
「大丈夫です! 足元にツタはありません!」
それを聞いて安心し切ったジャックは、フィリカを降ろすと同時、糸が切れたように草の上へと倒れ込んだ。緊張が一気に解け、涌き出るように疲労がやってきていた。
うつ伏せに倒れ、立ち上がることの出来ないジャックのその隣で、そんな彼を呼び起こすように身体を揺らしては「やりましたよ!」と、いまだに叫んでは喜ぶフィリカ。そして、一頻りその喜びを分かち合うようジャックを揺らしたフィリカは立ち上がると、ツタの外で待っている彼女にも、その喜びを伝えた。
大きく手を振って、フィリカは成功の報せを送る。
「ミーナさーん!! やりましたよー!!」
ツタの外から「よくやったわー!」と、労いと喜びの混じる声が微かに聞こえていた。外の彼女も右手を振るように応えて。
そしてフィリカは、またジャックを揺すった。
「ジャックさん、ジャックさん。疲れてるのも分かりますがはやく取りましょう! とっとと取りましょう! はやく!」
「あぁもう、そんな焦んなって······。こっちは疲労困憊なんだぞ······」
「もう十分休んだでしょう!? はやく!」
「お前······なんか昔のあいつみたいだぞ······。仕方ねぇなぁ······んっ······よっこい、せっ、と」
ジャックは疲れが溜まった身体を無理に起こす。そしてフィリカと共にあの透明な果実の元へ。まだ歓喜が抜けきらぬ、それでいて震えた重い足取りのため念には念を込め、フィリカに足元を確認してもらいつつ向かった。
そうして、ようやく待ちに待った御対面。
「長かったな······。これを間近で見るためだけにどれだけ苦労したか」
「そうですね。私は後ろに捕まってただけですけど、ジャックさんずっと休み無しですもんね」
「あぁ。実は途中、ここで転べたらどんだけ楽かと何度思ったか分からん」
「でも転ばなくて良かったですね。文字通り、こうして実を結んだんですから」
「だな。今は良かったと思ってる」
と、目を合わせ、ジャックとフィリカは、軽く喜びのハイタッチ。そして視線を実のほうへ。
「それにしても、透明とは分かってたが近くで見ても水みたいな実だな。向こうが透け見えるし」
「ですねぇ。大きな雨粒みたいです」
リンゴよりやや小振りなその実は、光の具合によっては七色にも見え、埃も汚れの一つも知らないような純麗さがあった。ジャックはその実を眺めたまま、腰に携えたシースからナイフを取り出すと、切るために左手でその実を支える。が、そうしようとした時、ここである不安がよぎった。
「なぁ、これ。本当に触っても切っても大丈夫なんだよな?」
「だと思いますけど······。ツタに触れると黒くなるわけですから、実を持つだけなら、恐らく平気かと······」
だが、二人とも経験的確証が黒くなった場合しかないだけに、ここにきてこの不安は恐ろしかった。もし万が一があれば泣きたくなることはおろか、しばらく放心し、今後これに関わりたくないと思うほど崩れ落ち、立ち直れなくなること間違いなかったかからだった。
とはいえ、
「でも切るしかないんだよなー」
「そうなんですよねぇ。でも慎重にはお願いしますね?」
「わかってるよ」
そうして、不安を覚えながらもジャックは震えそうな左手で、まず実を下から掬うように、今にも割れてしまいそうな水玉をそっと触れにかかる。
震えた指先がピタッと触れる。
――が、幸い、色が黒くなることはなかった。
ジャックはフィリカと目を合わせ、それだけで互いに胸を撫で下ろした。第一の関門突破と言えた。ジャックは左手の触れる面積を、実を撫でるようにそっと増やしていく。ひんやりとした、川の水を彷彿させるような冷たさが手に伝わっていた。
そしてジャックは、右手に持ったナイフをその実の、ヘタの数ミリ下へと近付けていく。だがそこでもまたジャックは手を止め、ゴクリ、と喉をならす。ジャックの人生経験上、果実というのは簡単にナイフが入るものではないと知っているからだった。
しかし、ここまで来たら後には引けない。
ジャックは全てを擲つ程の気持ちで、崖から飛ぶ程の気持ちでそっと刃を当てた。
すると、透明の実は色を変えることなく、その鋭さを恙無く受け入れた。もしかしたら刃を入れた瞬間、水風船のように弾けて割れるのではないかという不安がジャックにはあったものの、それは無事杞憂で終わった。
その後、刃はまるでゼリーを切るようにスルスルと中へ入ることを拒まなかった。力を入れる必要もなく右から左へと刃が滑る。
そしてナイフが通過し切った時、ジャックは手に、大きな水滴がこぼれ落ちることなくそのまま乗り続けているような不思議な感覚を覚えた。実だけを見ていると、そこだけ時間に忘れられたような、重力に逆らうような、もし仮に手を放してもそこに居続けるのでは、と思わせるだけの錯覚がそこにはあった。
しかし、決してそんな錯覚に飲まれてはいけないと、ジャックは慎重に左手を下へと引き離していく。勿論ゆっくり、焦らず。そしてそれと同時、
「お、おおおぉ······」
「おぉー······」
二人から歓喜が歪んだ変な声が漏れた。目標を達成した喜びと、実が持つ不可思議さ故だった。
二人はそれを顔の近くへと運んでまじまじと見る。
「潰れないんですね······」
「あぁ······。刃は簡単に入ったが、触ってみると意外と弾力あるんだな······」
「不思議ですねぇ」
透明の実をその手に持ったジャックが、一度木漏れ日にそれを掲げると「綺麗だな」と小さく歓喜の声。眼鏡越しのフィリカも魅入るようにそれを見つめていた。
二人は、ついに『虹の実』を手に入れた。
「これで、安心して帰れますね」
「あぁ。今回の任務達成だ。――あっ、そうだフィリカ。これカバンに入るだけ入れといてくれよ。大事なもんとか入ってるか?」
「いえ、おやつと水筒しか入ってないので大丈夫です!」
「おっ、じゃあ頼むわ。三つあればいいってあいつは言ってたけどまた来るなんてゴメンだ。沢山持ってこうぜ」
「はい! ミーナさんも驚くほど沢山持っていきましょう!」
そうして、樹木の枝に実る果実をジャック等は一つ一つ切っては摘み取っていく。一つ、二つ、三つと。だが四つめの果実を切り取ったその時だった。慣れから切り方が雑になり始めていたジャックの口に、その切った実――飛び散った果肉とも果汁とも取れるその一部が不意にも入った。
「······んっ? ――!? うまっ!! なんだこれ!!」
水滴一粒にも等しいものだったが、ジャックの口に入ったそれはやがて舌の上で蕩けるように、かつて経験したことのないフルーツ的な甘味と爽やかさと、それでいて鼻腔で広がる幸せな芳醇さを兼ね備えて押し寄せていた。
すると、そのたった一滴で魅了されたジャックは、フィリカに渡そうとしていた左手の果実をバッと引っ込め、迷うことなく自分の口へそれを運んだ。
「ちょっとジャックさん! なにやって——」
フィリカは驚いたように叱るが、
「う、うんめぇえええぇー!!」
ジャックの口内には先よりも強い、香り高く爽やかな甘味が脳まで支配するように広がっていた。食という欲を完全に満たしてくれるような、デザートとして全くの非の打ち所がないこれはまさに、国賓でも味わうことの出来るか怪しいほど素晴らしい天恵の産物だった。つまり、
「なんだこれ、美味すぎる。こんなの食ったことねぇ。ちょ、もう一個············あぁー、うまっ······うますぎ」
そんな俗世とは掛け離れた代物に、一庶民であるジャックが唸らぬはずもなかった。それでもって、
「えっ! そんなに美味しいんですかこれ!? 私にも! 私にもください!」
あまりに美味しそうに食べるジャックの姿に興味を引かれ、目を爛々とさせては彼の腕を掴み、フィリカは幼子のようにねだっていた。
「ばか、やめろ。落としたらもったいねぇだろ。今採ってやるから待ってろって」
ジャックは近くに成っていた実へ手を伸ばすと、慣れ始めた手付きでそれを切り取り、隣の少女の小さい手へそれを乗せた。少女は自分の顔の近くへとすぐそれを持っていき、覚悟するようにその実を見据えると、ゴクリと喉を鳴らし、一度深く呼吸をしては、一気にガブリとかぶりついた。
「······」
彼女の口にも、ジャックと同じだけの刺激が広がった。
「ん······んんっ! んんんんっ!! おいひぃーー!! なんでふかコレ! めひゃふひゃおいひいじゃないでふかー!!」
「だろ!? すんげー喉越しのいいフルーツジュースみてぇだろ!?」
「はい! こんなおいしくて癖になる食べ物は初めてです!」
「甘いのにくどくなくて、後味もフルーツの甘みでいっぱいでやめられないだろ!?」
「はい!」
「ほれ、もう一個やる」
「ありがほうごがいまふ!」
二人は一つ実を食べてはまた一つ食べ、一つ食べてはまた一つ食べ、すっかり本来の目的を忘れて、その恍惚とした味に酔いしれていた。食べても食べても一つが小さいため、腹が満たされることも中々ない。そのため、
「もう一個食お」
「あっ! ずるいですよジャックさん! 私も!」
「ったく、しょうがねぇなぁ」
「わーい」
と、二人は疲れもすっかり忘れて、完全に実の虜になっていた。顔もだらしなく綻んでいた。まさに幸せの境地。
――だったが、その時だった。
「ねぇ! どうしたのー!?」
馴染み深い少女の強い声が微かに届いた。
二人はハッとし、驚いたように後ろを振り返る。ジャックだけでなくフィリカもミーナの事をすっかり忘れていた。
「ねぇ! まだなのー!?」
彼女の声には怒気が孕んでいた。だが、それは二人が実を食べていたからではなく、いつまで経っても一向に戻ってくる気配のない二人に、痺れを切らしたからだった。ミーナには、二人が実を食べている事は見えていなかった。
そして、そんな彼女の声でようやく現実へと戻ってくる二人。
「い、いけませんね······私としたことが、つい取り乱してしまいました」
フィリカが口元を手で拭う。
「これあいつにバレたら怒るなー。ってかもう既に半分怒ってるか。どうすっかなぁー」
ジャック達は夢中になって気付かなかったが、実はミーナは何度も呼び掛けていた。なのにシカトをされ続けられ、彼女はその分だけ怒りを蓄積。そして、ジャックはそれを幼馴染の誼みで感じ取っては少し参った顔。
だが、
「ジャックさん。いくらミーナさんでも、これを食べさせてあげれば、怒りなんてたちまち吹き飛びますよ」
と、無垢な悪女の囁きがジャックの悪心を刺激する。
「本当か?」
「はい。女性は美味しいものを食べたら、怒りもたちまち吹き飛ぶんですから。私達の件なんかあっという間にさよならですよー」
「なるほどなー。お前案外悪いやつだな」
「いえいえ、ジャックさんほどでは」
と、悪巧みで結託する二人。
「じゃあ尚更沢山持ってかなきゃな。あいつの怒りを静めるためにも」
「はい。バンバンに詰めて帰りましょう」
と、ミーナの知らないとこでそんな会話をしていた。
そしてその後、取れるだけ実を取った二人はいよいよ彼女の元へ戻ることに。だがその時、既にカバンから落ちそうなほど実を詰め込んだフィリカが、ジャックの腹の辺りにある、ちょっとしたモノに気付く。
「あれ、ジャックさん。それなんです? なんか汚れてますけど」
「えっ?」
ジャックは、指差すフィリカに指摘された腹の部分を見る。
着ていた服のその部分が、黒く染みて汚れていた。
ツタを潜るまではなかったその汚れに、全く心当たりのないジャックは小首を傾げると、さっき倒れ込んでいた場所を何気なく振り返る。そこには、トマトのように潰れた黒い果実が落ちていた。
ジャックは首を傾げたまま考える。なんだっけ、これ? と。それは隣の彼女も同様だった。しかし程なくして、二人はその果実が『何か』を理解する。
結果、二人は同時に顔を蒼白にし、思わず目を見合わせる。
「ジャックさん。これ······マズイですよ······」
「あ、あぁ······。まさかとは思ったがあれしかないよな······」
それは、ジャック達が幾度と黒くして来たもの。
あの実――潰すと魔物をおびき寄せる黒い実だった。
そして潰してから時間は大分経っていた。
「は、はやくしないと魔物が――」
しかし、フィリカがそう口にした時だった。
――ガルルル······。
遠くで、獣の唸る声が森に響いた。魔物にとっては御馳走の、人にとっては災禍のその香りは、既に風に乗って辺りへと広がり始めていた。
「くそっ、やっぱもう嗅ぎ付けやがるか」
すぐさま事態を悟り、身を引き締めるジャックはしまったばかりのナイフを引き抜いては再びそれを手にする。そして身体を翻しては、
「行くぞフィリカ! 道開けるからついてこい!」
「はい!」
一刻でも早くここから離れるよう、二人は跳ねるように外へと走り出した。