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先輩と後輩⑥

 昔、こんな絵本があった。


 ◇


 影の上でしか生きられぬ小人がいた。

 だが、その小人は太陽に憧れ、太陽をもっと見たいと願った。

 小人は、世界が平らになれば、どこでも太陽が見られると思った。

 小人はひとつ、またひとつと塀を消しては、影で太陽を眺めた。


 しかし、あるとき小人は気付いた。

 影が足元しかないことに。


 だけど、この影だけは消せなかった。


 跳ねても、転んでも。


 だから小人は怖くなった。

 夜が来て、影が見えなくなることに。


 小人は膝を抱えた。

 太陽がくれた影の上で。


 そして小人は涙した。

 隠れる場所がない、この場所で。


 それでも太陽は、ずっと見ていた。

 変わらぬ高さで、変わらぬ煌めきで。


 ◇


 こんな仕打ちをされても尚、笑顔を向けてくれる少女に、ミーナはひどく胸を締め付けられた。幾度となく見てきた表情の中で、初めて見る少女のそれは、あまりにも儚かった。まるで、一つの夢が、途中で旅を終えてしまったかのように。


 忸怩たる思いと罪悪感がミーナの内で交錯し、やがてそれに堪えきれなくなると、彼女は思わず、面前の少女から目を背ける。


「ごめんなさい、フィリカ。こんな形になってしまって······」


 だが、不用意にもここまでフィリカを傷付けてしまったのは私だと、すぐ、寸前目を逸らしたことを慚愧ざんきするミーナは、再び少女のほうを正視。そして、


「ねぇ、お願い。ちゃんと聞かせて。あなたがこれを、ここまで隠したかった理由わけを。包み隠さず、全て、教えて」


 なぜ、微笑む彼女がここまで哀しんでいるのか、せめてそれを知ることが、彼女に対する礼儀であり贖罪ではないかとミーナは思っていた。たとえそれが、目の前の少女にとって辛い選択であっても、中途半端に踏み込んだままの自分本位な無責任さより幾らか優しいのではないか、と思っていた。


 ただそれもまた、もしかしたら自分本位な考えとも言えるのかもしれないが、その拒絶も許容も選ぶことが許される唯一の少女は、


「······はい」


 小さな声で表情に影を落としては、窓が鳴き止んだこの部屋で全てを打ち明けることを選んでいた。





 三年前、あの日、書庫でミーナと出会ったフィリカは、その彼女のようになりたいと強く憧れた。


『ごめんね、大丈夫!? 怪我してない?』


 そのきっかけは些細なものであったが、自分より二、三年上なだけの彼女が軍の中で色褪せず、凛として輝き、それでいて優しいというのは、当時のフィリカにとっては衝撃的なものだった。


「最初は、魔力の事をきっかけにミーナさんと、もっと近くでお話出来たら良かったんです」


 どうしたら彼女に近づけるか、彼女がどんな人なのか、自分を本の中から拾ってくれた彼女はどんなことに興味があるのか知りたくなったフィリカは、それらを周りから聞いているうちに、昔、彼女が魔力に興味を持っていたということを耳にする。


 そして、それを知ったフィリカは早速、書庫にあった本を借りては家で読み、独学で魔力の使い方を学ぼうとした。それは魔力を覚えては憧れの人を驚かせて、もっと近くで話したい。という子供のような、ただそれだけの、純粋な想いだった。


 それから毎日のように、司書の仕事が終わってから寝るまで、フィリカはずっと、本に書かれていた事を実践していた。だがある日、


「ミーナさんは軍で活躍しているというお話を聞いてたので、そんな人なら、魔力も魔法もきっと上手に使うに違いないと思ったんです。それで私も、頑張って魔法の一つくらい身に付けなきゃと思ったんですが······全く上手くいきませんでした。魔法以前に私は、まだ自分に流れている魔力すらまともに感じ取れていなかったんです。だから、そこで何度やめようと思ったかは······分かりません。ですが――」


 時折、書庫へ現れては、必ず手を振って、声を掛けてくれる太陽。


「ミーナさんの顔を見る度に、もう少し頑張ろう、って、折れそな自分を励ましながら頑張れました」


 フィリカはミーナに向けそっと微笑むが、知らず知らずの内に重荷を背負わせていたことを知るミーナは、哀しみの――複雑な面持ちを作ることしか出来なかった。


「そして半年ほどが過ぎてようやく、魔力が掴めるようになりました。その時すごく嬉しかったのは、今でも覚えています」


 そう言って俯くフィリカは、無気力ながらも少し嬉しそうに笑う。――が、


「ですが、それも少しの間だけ。操作の方はまだ上手くいってませんし、魔力の全体量も並々と知り、これから先どれだけかかるんだろうと、途方に暮れました」


 徐々に、元の様相へ戻りつつあるフィリカ。


「それでそんなある日。帰り道、夕暮れを飛び交うコウモリを見たんです。呆然と見てただけでしたが私はすぐに、あぁ、これだ。と思いました。仕事の最中に読んでいた本のおかげで、音波については知っていましたから」


 ミーナさんの言う通りですよ、というようにフィリカは目を細め、微笑む。しかし、やはりミーナには、その消えそうな微笑みに笑顔は返せない。


「それからはほとんど、鼓動で魔力を飛ばせるようにする事だけを練習しました。昼の仕事中でも、これなら出来るという点もありましたしね。ただ、当初は量の調節が上手くいかなくて、魔力はすぐに尽きてしまいましたけど。······しかし、仕事中密かに出来るということもあって、それからは早いほうだったと思います。ひと月ほどで、次第に跳ね返ってくる魔力も掴めるようになりましたから。まぁそれでも、最初はボンヤリとして、形なんて何にも掴めませんでしたけど」


 そのぼやけた輪郭を思い出しては、俯いたフィリカはひとり静かに笑う。


「ですが、日が経つにつれてそれらも磨かれました。ボヤけていた輪郭は鮮明になり、厚く飛び過ぎていた魔力も、今では身体の供給と同じぐらいで飛ばせるようにもなりました」


 それを聞いて、今までずっと黙っていた少年は無意識に「すごいな······」と感嘆の声。そして、それを機に、喉で言葉を抑えていたものがなくなり、その少年から言葉が溢れる。


「でもどうしてそれを、もっと早くミーナに言わなかったんだ? お前はその為に頑張ってきたんだろ?」


 フィリカはその彼のほうを見るも、すぐにやんわりと目線を落とし、腿の上に置いた自分の手を見る。そして、服を掴むようにその握った両手へと力を入れては、


「············怖くなったんです」

「怖くなった? どうして――」

「ジャック」


 俯いたフィリカは、さらに手に力を込めていた。ミーナはそれに気付き、聞いてあげなさい、というように静止を促していた。


「最初から······間違っていたのかもしれません······」


 フィリカの柔らかい髪が、彼女の消え入りそうな顔と心を隠す。だがそれでも、既に堰は切れてしまったかのように、彼女の言葉は奥から訥々と溢れ出す。


「会う度に······日ごとに······ミーナさんの眩しさが増していくんです。魔力の事を······色んな事を知る度に、ミーナさんの存在が······。でも、これだけ知って······これだけ頑張って、それでも万が一拒絶されたらと思うと······どうしよう······って。それなら······このまま······このままのこの関係でいたほうが······いたほうが······」


 嗚咽を漏らすフィリカの手の甲に涙が落ちる。


「だからそのほうが······そのほうが、幸せなのかもしれないって······今の関係は······壊れることはないって······そう······そう思ってたんです······なのに······」


 それを、よりにもよって、尊敬する人にこんな形で暴かれてしまった。


「最初から······普通に話しかければよかったのに······私は······ミーナさんに近付きたくて······ちょっと特別になりたくて······ただ、それだけだったのに――」

「もういいわ、フィリカ」


 ボロボロと涙をこぼすフィリカの頭を、ミーナが優しく抱きしめるてはそっと撫でる。彼女の柔らかい髪の繊細さが、ミーナの手に伝うようだった。


「ごめんね。あなたがそんな思いをしていたなんて······」


 少女は泣きながら、腕の中で小さく頭を振る。


「ミーナさんは······何も、悪くありません······」

「ううん。私はもっと早くに、あなたのことに気付いてあげるべきだった······。だってそしたら、あなたはこんな苦しまなくて済んだでしょ? ちがう?」


 フィリカはその言葉に嗚咽を返すだけで、何も示さない。


 フィリカは本当はどこかで気付いて欲しかった。ミーナならいつか気付いてくれると、心の奥で本当は思っていた。言葉では変わらぬ日常を望んでても、元々望んでいた本当の望みは消えない。どれだけ消そうと思っても。


 だからこそ、彼女は今ここで、全てを打ち明けた。


 嗚咽を漏らす少女を優しく包みながら、ミーナは静かに視線を隣へ滑らせた。一つの意思を決めたその視線を受け取る少年は、ただ一度黙って頷いた。その深紅の瞳に。


 そしてミーナは、目の前の少女へ視線を戻す。


「フィリカ、聞いてくれる?」


 ミーナは、抱いていた小さな頭をそっと放し、膝をついて彼女の前へ柔らかく座った。俯いたままのフィリカは鼻をすすり、目を擦りながら頭を小さく縦に振っていた。


 ミーナは目の前の――自分より小さな左手に、そっと自身の手を重ねる。そして、


「フィリカ。あなたは私が知ってる中で、誰よりも努力が出来るすごい子よ。だって三年間も、ずっと一人で頑張ってきたんでしょう?」


 だが、そんなことない、というように首を振るフィリカ。しかし、そんな彼女を誉めるように、ミーナがその小さな頭を優しく撫でると、一段、彼女のしゃくる音は大きくなった。


「そんな子を責めることなんて、絶対に私はしないわ」


 そして、ミーナは両手を彼女の手に重ねる。


「だからお願い。もう我慢しないで聞いてほしいの」


 途端、しゃくりあげていたフィリカの肩がピタリと止まった。彼女は続く言葉を恐れた。彼女にとって我慢をやめるというのは、今の関係が終わることを意味しているからだった。


「いや······いや······」


 フィリカは、消え入りそうな嘆声で呟いた。


「違うのフィリカ。聞いてくれる?」


 そんな彼女を、ミーナはしっかり言い聞かせようと手をより強く握った。だが、少女は怯えるようにより一層、身を震えるように竦めた。そして、


「いや······ききたくな――」

「聞いて」


 そう強く言うと少女は動きを止めた。

 だが、手の震えはミーナには伝わっていた。


 その手を、大丈夫、というように優しく包み込むミーナ。

 そして彼女は、優しい口調で言葉を掛ける。


「私はね······私は、あなたに力を貸して欲しいの。私は······フィリカ、あなたと一緒に仕事がしたい。あなたに側にいて欲しいと思ったの」


 それを微動だにせず聞いていた少女は、震えを止め、ゆっくりと顔を上げていた。目を腫らし、頬に涙を流しては鼻を垂らし、口を強く結びながら。


 その頬の滴をそっと拭うミーナは、


「あなたのその力は、その魔法は、必ずみんなの役にも立つわ。もちろん、無理にとは言わない。当然、司書の仕事を続けてたままでも構わない。だから、時々でもいい、それでもいいから······それでも私の――私達の力になってくれないかしら?」


 その願いを聞いたフィリカは鼻をすすっては、喉の奥からなんとか声を絞り出し、涙声で彼女に尋ね直す。


「······ほんとうに?」

「えぇ。ほんとうよ」


 ミーナは、いつも彼女に見せていた笑みを(たた)えて、それに応えてみせた。すると、ぼやけた視界の向こうでそれを見たフィリカは椅子から前へ崩れ落ちる。泣きながらミーナへ抱きついていた。


 驚きながらもそれを受け止めるミーナは、顔の見えぬ彼女にそっと微笑むと、彼女の柔らかい髪を優しく包むように右手で撫でては、自分のほうへ軽く抱き寄せた。


 大声を出して泣くフィリカは夕陽に照らされ、さっきまでとは違う、新しい涙を延々と流していた。





 翌日、彼等は次の目標に向けて支度をしていた。


「準備出来ました! ミーナさん!」

「気合い入ってるわね、フィリカ」

「俺まだ、準備出来てねぇんだけど」

「ジャックさんが遅いんですよ」

「そうよ、フィリカの言う通りよ」


 髪を結い上げたミーナの横で、フィリカは生き生きとした表情で寄り添うように立っていた。その表情は、まるで昨日のことが嘘であったかのように。


「はいはい、仲がよろしいことで······」


 結局、フィリカは司書の仕事は辞めず、時々こちらに顔を出すという形で参加することとなった。ただ今日は“初めてミーナと一緒に仕事が出来る"という事で、無理を言って、別の人と仕事を代わってもらって来たのだが。


「あ、そうだ、フィリカ。また時間ある時でいいから、私にもあの魔法教えてくれないかしら?」

「えっ!? もちろんです!」

「ほんと? ありがと。じゃあ、いつにしよっか?」

「私はいつでも大丈夫です! 仕事休みますから!」

「休むなよ。そんなんで」

「うるさいわよジャック、早くしなさい。――じゃあ明後日はどう? きっと研究も終わって、時間は空いてるの」

「たしか······昼で交代なので大丈夫です!」

「よかった。じゃあ昼からにしましょ。楽しみにしてるわ」

「はい! 私も楽しみにしてます!」


 そう笑顔で会話する二人は、まるで姉と妹のよう。

 やや、妹に元気は有り余っているが。


「そうそう、フィリカ。きっとあなた、ジャックより魔法使うの上手よ」

「ほんとですか!?」

「えぇ。彼、すぐ調子に乗って魔力の調整ミスるもの」

「おい、聞こえてんぞ」

「ほんとですか!? ジャックさん」

「確認すんな! ホントだよ!」

「それでね、聞いてよ。この間なんかさ、新しい魔法試させたら、大事な書類全部燃やされたの」

「全部ですか! それはひどいですねぇ」

「こんなのに試させた私が間違いだと、心の底から反省したわ」

「お前はその口反省しろよ」

「いや、ミーナさんが悪いことは何一つないですよ! それ、絶対悪いのはジャックさんです」

「フィリカ、お前も燃やされたいのか」

「やっぱ、そうよねぇ」

「そうですよー」

「おい!」


 一つ一つジャックは怒声をあげるが、彼女等は目もくれず話を続ける。ジャックは「あー、進まねぇ······」と溜め息。そして、そうしながらぼやいていると、


「じゃあこれからは、私達二人だけでやっていくのも良いかもしれないわね」


 と、ミーナ。そして隣の少女は、


「はい!」

「はい! じゃねええええぇっ!」


 思わずジャックの手が止まる。すると、見兼ねたもう一人の姉は溜め息を漏らし、


「もう、あんなのは放って行きましょう。遅すぎるもの」

「はい! 行っちゃいましょう!」


 と、まだ準備をしているジャックを置いて、部屋を出て行く姉妹。そして、扉は開けられたまま。ジャックには遠ざかる二人の後ろ姿だけが目に入る。


「おい!! 待てや、こらああああぁー!!」


 廊下では仲良く喋る二人の姉妹と、部屋から怒号を飛ばすジャックの虚しい声だけが鳴り響いていた。


 少女の影を鮮やかに残して。

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