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最初の魔法①

 ここは、()()()火山洞窟にある広い空間。


 岩肌に囲まれた空間の隅ではマグマが沸々と、まるで弱火で煮える鍋のように気泡を浮かせながら湯気を立てていた。その熱気――光源にもなるほどのその赤さは、仮にもそこへ人が落ちたなら火傷では済まないことを示していた。


 だが、そんな人には相応しくないスープを便りに、ここを棲み家としている一匹の生き物――魔物がいた。

 

 その魔物とは――。


「なんでいきなりドラゴンなんだよっ! バカっ!」


 そう。ドラゴンであった。


 鳥と蜥蜴とかげを掛け合わせたフォルムに、刃さえ通さぬ頑丈な赤黒い鱗。岩をも砕くアイボリー牙に、申し分ないほど鋭く伸びた鷹のような黒い爪。それらは自分の食糧となる牛や馬、また、自分より下等な存在を幾度と捕らえきたに違いなかった。


 そこには当然、人も含まれていた。


 だが、この魔物――ドラゴンは『縄張りを侵されない限り人は襲わない』と、一部の人間には知られていた。ただそれ以前に、世界へ蔓延る魔物には準備なく近付かないというのは、この世界の常識でもあったが。ともあれ、


 魔物――モンスターの中でも上位へ君臨するドラゴン。


 そんなものに普通の人間、また武器を持つ人間でも余程の理由がない限り近寄らないのがマトモと言えた。そう、それがマトモ。正常な思考でもあった。


 ······が、二人は違った。


「しょうがないでしょ! 一番可能性があると思ったんだから! それに誰も倒せなんて一言も言ってないわよ、真性バカっ!」

「誰が真性バカだ!」


 家族の仇なんて理由はなく、そんなマトモでない()()()理由を持った、常識外れの行動を取る少年少女――『ジャック』と『ミーナ』。彼らは口論をしながら、二本足で走る、四メートルは超えるそのドラゴンから命からがら逃げていた。


 だが当然、彼等の体力はあっという間に消費。こんな状況にも関わらず余計なことをしているため仕方なかった。故に二人とも身体はすぐに悲鳴を上げていた。


「ちょっと、そこ······そこに隠れよう······っ!」


 息を切らしながら月白色の髪をした少年――ジャックが、力無く斜め前方を指差す。その先には、二人の身長より少し大きめの、身を一時的に隠すのなら手頃な岩が一つ転がっていた。その案に、隣を走る燃えるような赤髪の彼女は声も出さず、頷いて同意を示す。


 間もなく、岩陰へ隠れた二人は出来るだけ存在を消し、ドラゴンの視界に入らぬよう自身の背をピッタリと岩へくっつける。二人はそのままにひどく肩を上下。その中、息苦しさを感じながらも訥々(とつとつ)と言葉を紡ぐ。


「ドラゴンがこんなんだなんて、聞いてないぞ、まったく······」

「私だって、こんなんだとは、思わなかったわよ······」


 二人は静かに、しかし素早く呼吸を行い、一秒でも早い体力の回復を図る。岩の向こうでは、ドラゴンが鼻をひくつかせながら獲物を探している。


 そんな、生き物の気配を背中に感じつつ警戒しては、ジャックはまだ敵が来ぬこと悟ると天を仰ぎ、溜め息混じりに彼女へこう言葉を漏らす。


「最初からこんなんじゃ、先が思いやられるな······」


 そんなウンザリとするような言葉を聞く少女は、


「······そうね」


 その発言に共感するも、物憂げな表情で自然と俯いていた。





 彼等がドラゴンに追われる数時間前のこと。


 周囲に川を巡らせた円形の国『ウィルドニア』。その国の中心に鎮座する、四方を石塀に囲まれた重厚な城『ウィルドニア城』の広場にて、その演説は行われていた。


「昨今、モンスターの侵攻により兵士の数が大変不足しておる。だが、今回これだけの者が志願しては訓練を乗り越えてくれた事は、大変嬉しきことであると、我々は思っている」


 石畳の広場を悠々闊歩しながら、数百もの新米兵士を前に演説をする一人の男。髪一つない頭皮に、口上へ髭を生やした彼の眉間はシワが深く刻み込まれており、その者の人生と齢を的確に表していた。


「いいか。いくつかある部隊の中で君等の役目は、街の周辺に蔓延る魔物からこの国、ここの国民を守る事だ。街に侵攻してくる魔物は手強いが、訓練を受けた君等ならそれらを跳ね返し、この日常を守る事が出来るはずだ」


 重厚な石造りの城の前で歩く、深緑の軍衣を纏った彼の左胸には、最高司令官の証である三つ星の記章が朝日に輝いている。兵士達はその二つの威厳を前に一糸乱れず背筋を伸ばし、耳を傾けていた。


 そのまま演説は十分弱続く。兵士としての理念、信念が彼によって一通り話されるが、誰一人あくびさえすることもなかった。


 そして、いよいよ演説も終わりに近付く。


「ちなみに、役目以上の成果を出し続けた者にはそれなりの見返りを与えるつもりだ。だが無茶は許さん。国民を守るのもより高い所へ向かうのも全て、その命あっての物種だ。故に、安易な死だけは絶対に許さん! 上へ登りたくば互いに協力し助け合い、そして仲間と共に歩め! それを胸に深く刻め。決して忘れるな!」


 その重みのある言葉に「話は以上だ」と付け加えると、彼は最後に場を締めるように敬礼を見せる。


「全てに帰するは我が国、我が国民の為! では皆の衆! 今日からよろしく頼む!!」


 規律整然と並んだ兵士は一斉に「はっ!!」と、城を背にする上官へと敬礼を返した。




「ようやく兵士として働けるな、ジャック」

「あぁ。長かったな」


 ジャックは同じ訓練生だった一人の兵士と、城広場から街へと繋がる石畳の道を歩き、担当予定である南地区へと向かおうとしていた。腰に剣を携え、甲冑を身にまとう彼等の顔には、今日から始まる自分の役目に、生き生きとしたもので満ち溢れていた。


「いやぁ楽しみだ。命の危険があるとはいえホントに楽しみだ」

「スライ。お前そうやって浮かれてると真っ先に死ぬぞ?」

「心配すんな。俺は頭喰われたって死なねぇから。胴だけでも歩ける」

「嘘つけ。えぇから。そこは死んどけって」


 金色こんじきの髪を兜の隙間から覗かせる彼の冗談を、ジャックは小馬鹿に笑って受け流す。その後「魔物と間違えられるかね?」「ありえるな。そしたら俺が葬ってやるよ」など、年頃男子のくだらない会話をしながら二人は歩く。


 ともあれ、そんなこと冗談混じりな事を言いつつ、二人が城の広場を抜け、いよいよ街へ出ようとしていたその時だった。


「あー、きみきみ!」


 と、響くような低く渋い男の声が聞こえた。その声を耳にした二人は立ち止まると後ろを振り向く。すると、深緑の軍服を身に纏う、黒髪の男が小走りでやってくるのが見える。


 徐々に彼の顔が見え始めてくる。齢四十ほどの中年で、アゴから顔の輪郭に沿って髭を生やし、優しい顔つきをした男だった。しかし、逆立つような黒髪と同じ黒瞳くろめは、野心のような強い意志を感じさせる、鋭い何かが宿っていた。


 黒獅子とも例えられる男。


 そんな彼の左胸には煤けた星の記章が一つ、朝日に凛と照らされていた。その記章――『司令官』の証を確認した二人は慌てて敬礼をする。しかし、


「あー、いい、いい」


 彼はそう言って軽く右手を前に出すと、それを止めさせた。ジャック達はその言葉に従い手を下ろす。だが背筋は伸ばしたまま、姿勢を休めることはなかった。


 上官は顔を左右へ振りながら「えっと、青瞳あおめに白の髪は······」と小さく漏らし、目の前にいる二人の特徴を見比べる。そして、二人にその類似がない事を確かめると、


「君がジャックだね?」


 と、彼は鋭い眼光を宿した視線を、ジャックへと固定する。


 その眼と質問にやや身を緊張させ、多少の不安と疑問を抱きつつ、ジャックは「はい、そうです」と答える。その返事を聞いた彼は口角を少し持ち上げては二度頷き、自分の尋ねた相手が間違いでないことを再認識。


 そして彼はここへ来た用件を話す。


「私は司令部のハイゼルだ。軍の戦略と指揮、そして今は人事を主に任されている。それで確か、君は南地区を担当する事になってたと思うんだがね······」


 そこで彼――ハイゼルは、ジャックの隣に居たもう一人の兵士のことも思い出す。


「あぁ、すまない。君もだったな」


 と、彼は申し訳なさそうに述べると「長くなるかもしれないから、君は先に行っていてくれ」と持ち場へ向かうよう促す。


 上官のその配慮を受けた彼は礼を述べると、敬礼をし、踵を返す。そしてその去り際ジャックへ「またな」と言うと、街のほうへ足早に消えていった。


 その影を見送ったハイゼルは、やがて同じように目で追っていたジャックのほうへと視線を移す。


「彼とは仲が良いのかな?」

「あっ、はい。と言っても、仲が良いというよりは気の合う同期ですが」

「そうか」


 それを聞いてハイゼルはやや悩ましげな表情を見せる。が、しかし、そんな顔をあまり下の者へ見せるべきではないというような、今しがたのことを自省するように、彼は「ゴホン」と咳をすると顔を改める。


「あー、それで本題へ戻ろうか。その······まぁ、なんだ。それを聞いた上でこれを言うのは申し訳ないんだが、実は君には南地区でなく違う場所へ行ってもらいたくてね」


 それに唖然とするように、少し目を見張るジャック。


 初日からの異動。おまけに就労直前。


 そうなるのも仕方なかった。だが、新米兵士と上官という立場上、もちろん異議を申し立てすることは難しい。兵長ならまだしも、目の前にいるのは司令官という、軍の中枢とも言える場所に属する人間。大袈裟に言うならば、国そのものの決定とも言ってよかった。


 流石にそんな彼へ異議を述べるつもりもないジャックは、少なくとも別地区へ飛ばされるだけだろう、とタカをくくり、仕方ないと自分に言い聞かせては小さな不満を忘れる。


「······分かりました。それで、どちらへでしょうか?」


 ジャックは尋ねた後、どうせ飛ばされるなら北区がいいな。東区も捨てがたいけど。と、能天気な考えをしていた。


「そのだな」


 しかし、ハイゼルはそれだけ言うとまた言葉を区切った。さっき顔を改めたばかりの彼だが、またあの顔で左頬を掻きながら言葉を渋る。それを見たジャックは、


 あー、この反応は西区かなー、人気なかったし。まぁ忙しくはないって聞いてるから悪いとこではないよなぁ、給料はもらえるし。ただ活躍の場面がないのはなぁ······。


 と、楽観的に考え、続きを聞く前から少々落胆。そして、これ以上新しい所属先が浮かばなくなると、まぁどこでもいいや、と諦めにも似た、投げやりな感情で締める。


 やや兵士らしからぬが、どんなものでも受け入れられるようなそんな気持ちでジャックは上官の言葉を待った。だが、どんな場所でも受け入れられるような、そんな覚悟で気構えたにも関わらず、その即席の防衛線は、


「魔法科学部へ行ってくれないか?」


 そんな上官の言葉によって、いとも容易く崩壊した。





 それは、ジャックが想像しようにも想像することの出来ない場所だった。理由は単純。その場所を聞いたこともなく、一度も見たことないから。先の候補に挙がるはずもなかった。


「はい?」


 いつもは気の抜けたようなぽけっとした顔のジャックだが、動揺から先より目を開き、立場も弁えず言葉を紡いだ。


「ど、どういうことですか? 俺は兵士を志願したんですよ? なのにどうしてそんなとこに。それにそもそも、魔法科学部なんて名前も初めて聞きました」


 と、やや興奮気味に言うジャックだが、実は正確には一部、聞き覚えのある言葉があった。またそれには、何故か胸を刺すような感覚も。


「まぁ落ち着きたまえ、一つずつ話すから」


 と、やや前のめりのジャックを、ハイゼルは両手を前に出してひとまず宥める。その言葉で、はっ、と自分の立場を思い出すジャックは、前のめりになっていた身体を元へ戻し、鼻から息を深く吸っては自分を落ち着ける。が、彼はまだ心の中で思う。


 ――なんで『魔法』がこんな気にかかるんだっけ······?


 ジャックはうっすらとは思い出していた。そのチクリと胸を刺されるような単語を『誰か』が大事にしていたことを。だが、その『誰か』が思い出せなかった。また、その存在との『どんな記憶』であったのかも。


 ただ、その中でもう一つ思い出せた事もあった。


 それは『物心未熟な幼少期』であったこと。それに加え、自分と『誰か』との間にあるその記憶のほとんどは良い記憶より、自分が苦労させられた記憶が圧倒的に多いこと。ぼやけたように形を掴ませないそれらであったが、溜め息の出そうな感情と共に、ジャックは不思議と、確信に近い形でそれは間違いないと断言することができた。


 そんな頭の中を整理するように深呼吸をするジャックだが、息は整うも、脈を打つ音はまだ収まらなかった。しかしそんな時、呼吸だけは落ち着いたのを見て、目の前の司令官は「良さそうかね?」と尋ねる。


 まだ完全には落ち着いてなかったが、上官を待たせるわけにもいかないので、ジャックは背筋を伸ばし直すと「はい」と首肯をした。それを受け取ったハイゼルは「うむ」と頷くと「実はだね」と続きを話し始めた。


「"モンスターの力を利用する"という研究のために、新しく設立されたばかりの部署があってね。簡単に言うとそこの責任者······と言ってもまだ部も一人なんだけどね。まぁ、その子が補佐に君を指名してるんだ」

「ちょ、ちょっと待ってください」


 話の途中から顔を渋らせていたジャックは、思わず手を前へ出し一旦話を遮った。モンスターの力の利用。新設の部署。そしてまだ一人な上に、その補佐からの単独指名。初めから終わりまで突っ込み所満載だった。しかし、ハイゼルはそれらが何でもないかのように、


「どうかしたかね?」


 と、止めた理由を尋ねる。目の前の兵士の非礼を気にしている様子ではなかった。


 ジャックはその反応につい「えっと······」と、何から触れればいいのか戸惑い、首の後ろを掻く。それ自体も今は非礼なものだが、それでも耳を傾けてくれる上官にとりあえず、


「俺は"街の皆を守る兵士"になるつもりで兵士に志願したんです。それなのに魔法の研究って······知識も経験もない自分にはそれはかなり見当違いなものだと思うのですが」


 と、ジャックは自分が兵士になった理由と共に、その場所が自分に相応しくないであろうことを述べた。――が、


「それがそうでもなくてね」


 やや困惑顔ではあるが、まるで予想していたかのようにハイゼルは頬を掻いてそう答えた。その迷いのない返事に、手玉に取られてるような錯覚を覚えるジャックだが、それよりも何故『そうでもない』のかが気になり、首を傾げる。


 ハイゼルは、そのジャックの周りに浮かぶ疑問符を感じ取ると、彼の――ジャックの腰に差さる片手剣を見る。それにつられてジャックも一瞥。


「君は今期生じゃ、一か二を争う剣の腕だそうだね。それに運動能力も良いと聞いてるよ。感心だ」

「あ、ありがとうございます」


 突然の上官の称賛に、ジャックはたじろぎながらも礼を述べる。そしてジャックがやや嬉々としていると「それで、だ」と彼は言う。


「君を推薦したその子なんだがね、武器が使えない割りに街の外へと行きたがっていてね。困ったもんだよ」

「だいぶ命知らずなんですね」

「あぁ、手を焼かせてくれる子だ。良くも悪くもね」


 小さく溜め息を吐く様子から、相当手を焼いているんだろう。とジャックは推測する。もはやハイゼルも自分の体面を気にする様子もなかった。そして「ともあれ」と彼は話を続ける。


「君が断ったら一人でも行くそうだ、最悪ね」


 肩を竦め、手のひらを空へ向け、呆れたように微笑。手に負えないよ、という声が聞こえてきそうだった。――と、ここで


「まぁ、ここまで言えば分かるかな?」


 手を下ろしたハイゼルは顔を引き締めると、ジャックに、ジャック自身がすべき役務を問い委ねる。その問いかけに、期待されている事と自分の役目が兵士と近い事を予想したジャックは、明朗に「はい」と答えた。


「つまり俺は、その責任者を守ることが仕事というわけですね」

「そういうことだ」


 期待通りの返事に、ハイゼルは満足気に頷く。


 そこでふと、何か思い当たることがあったかのように、ハイゼルは整えられた顎髭に手を当てると、


「この辺はあの子と似てるな」


 と、ジャックの顔を見て小さく呟いた。


 それは決して誰に向けたものでもなかったが、すっかり活力を取り戻したジャックは無意識にもその言葉を捉えていた。


 ――ん? 先程から司令官が言う「あの子」「その子」という言葉。手を焼かせる性格。命知らずな一面を持っていたり······。もしかして自分の上につく人間は子供なのか? いや、別に今言った「あの子」がその責任者というわけでもないか······?


 と、思考を巡らせるジャックだが、何気なく切り取ったその独り言に一抹の不安がよぎる。先刻の「魔法」という単語を聞いた時と似たような、ぼんやりとした既視感が。


 一度ならず二度までもその感覚に襲われたジャックは、急に、これから自分の上に立つ人間の素性が気になった。


「あの、一つお聞きしてもいいですか?」


 自分が指名されたことを怪訝に思い、ジャックは眉を潜めた顔で、正面にいる――まだ顎に手を当てていた上官へ平身低頭に尋ねる。――と、その声で、考えに耽っていたハイゼルは視線をジャックのほうへ戻すと「ん? あぁ、なんだね?」と手を下ろす。温厚な顔に付いた黒の双眸は、ブレることなくジャックの目を捉える。


 そんな彼を見たジャックは、どうせ後で分かるのだから焦って聞くだけ野暮だったか? と、今さら心の隅で思う。自分より下の相手であれ、ただ目の前にいる人間の声を純粋に聞こうとしてくれる上官に、許可を得た後にも関わらずどこか気が引けた。


 だが、尋ねた手前「やっぱいいです」というのは友人ならまだしも、上官には失礼でしかないため、ジャックは本質へ触れざるを得なかった。


「その······誰なんでしょうか? 司令官のおっしゃる責任者とは」


 そっと尋ねるジャックだが、すると意外にも、その質問に彼は驚いたように目を丸くした。そして「そういえば」と、いまだ自分がその責任者の名へ触れていなかったことを誤魔化すようにその表情のままポンと手を打つ。


 その剽軽さは司令官というよりも、親族や人当たりの良い店主がやりそうなものだった。ジャックはガクリ項垂れていた。失礼と分かっていても。


 程なくして、あぁ、なんだよ。と気を取り直すジャックは、溜め息が出そうなのを堪えては居住まいを正す。そして、また背筋を伸ばした状態で名を明かされるのを待った。······が、彼からすぐにその名は返ってこなかった。


 先の小さな無礼で機嫌を損ねたなどではなく、彼はどう答えるのか思慮をしていた。初対面の誰が見ても「揶揄うぞ」と見れる含み笑いを浮かべて。


 当然、顎髭を指で触りながらそんな表情を向けてくる上官に、ジャックは苦笑い。制服さえ着ていなきゃ親戚の叔父さんだよなぁ······、と。


 やがて手を下ろすはハイゼルは、最初にジャックと会った時のような口角の端を少しだけ上げた柔和な顔を作る。何をどう言われるか分からないが、ようやく名前が聞けそうだ。と、やや逸る気持ちを自身の内に感じながら、ジャックは僅かながら背筋を正す。そうして、


「そうだなぁ、君もよく知っていると思うが――」


 そう冒頭に述べたハイゼルは、その柔らかくも鋭い眼をジャックへ向けると、間を与えるでもなく、場を引き延ばすでもなく、眼前の兵士が思考を働かせる絶妙なところで、


「ミーナ君だよ」


 と、あっさりと口にした。



 ◇



『ミーナ』


 その名を聞いたジャックの中で、時間は止まっていた。

 名前は心で反芻され、やがて記憶の枝葉を揺らしていく。


『······ックは······将来······るの? ······みたいに······』


 あぁ。


『······たしは······ってより······かな······』


 そうだ。


『······らわない?』


 あぁ、この記憶だ。


『わたし······法を······たいの』


 あいつとの大事な記憶だ。


『モンスターから魔法を作るの』


 ◇


 目を見開くと同時、ジャックの時間が動き出していた。朧気だった――あのぼんやりとした記憶かこを、ジャックは完全に取り戻す。そして全てを納得。······全てを。


「あいつ、かぁ······」


 記憶を呼び起こした時と打って変わって、心から悔しそうにジャックはそう漏らした。その右手は両の瞼を押さえ、その覆うような手の内は、苦虫を噛み潰すような顔中の皺を寄せに寄せたひどいもの。


 こんな所でまであいつに振り回されるのか、とジャックは心でひどく悪態をつく。思い出したきっかけは良い記憶であったものの、それをすぐさま埋め尽くすほどの苦労が湯水のように溢れていた。本来なら喜びそうな場面であったが、それ故ジャックはこの苦々しさに満ちた顔をせざるを得なかった。


 あまりの反応に、名を明かした後で揶揄からかうつもりだったハイゼルが思わず「そんな顔をするな。長い付き合いなんだろう?」と苦笑いで宥めていた。


 しかしそのハイゼルは、元々気の抜けた顔をしているであろうこのジャックの顔を、名前だけでいとも簡単に崩したその彼女に呆れた感心を覚えていた。


 今回の新しい部署が設立した時、ハイゼルはその彼女へ補佐の話を持ち掛けていた。そこで、ジャックは小さい頃に付き合いのある幼馴染ということを聞かされていた。また、使いやすくて仕事をする上で都合のいい存在だとも。


 と、それを彼女から聞いたハイゼルは「それはいいかもしれない」「なら私が話を付けよう」と、責任を持って快諾をしていた。


 ――のだが、実際こうして打ち明けてみると、ジャックの反応は同情のようなものを感じざるを得ないものだった。故にそれを見たハイゼルは、これも彼女の計算の内だったか。と気付き嘆息。


 そんな、ここへ立ち会わぬ彼女にまんまと一杯食わされる二人は消沈とするが、だが、話はまだ途中であったため、ハイゼルはこうなった経緯いきさつを話し始める。


「いやね、我々上層部も彼女には色々とお世話になっていてね。例えばいま君が持っている剣。それら軍の武器が一段丈夫な物になったのも彼女のおかげなんだ」


 手を下ろしていたジャックはなんとか平静を装いつつも、小さく「はぁ」と言っては耳を傾ける。


「まぁ、それだけ大きな功績を残してくれたもんだからね。ほら、演説でも聞いただろう? 成果を出せば見返りがもらえると」

「はい、覚えてます」

「だから彼女にも当然それが与えられてね。それで、褒美に何が欲しいかって尋ねたんだよ。そしたら"新しい部署が欲しい"と言われちゃってね」


 ハイゼルは肩を竦め、軽くおどける。


「驚いたよ。何を考えているんだとね。だが彼女の話を聞いていくうちに私も面白い、と心を引かれてしまってね。軍の役にも立つようだから、つい設立を許可してしまったんだ」


 それから「ハハハ」と大袈裟に笑うハイゼル。だが、対照的ににジャックはジト目で彼を見ていた。――と、その冷ややかな視線を感じ取るハイゼルは誤魔化すように、ゴホンッ、と一咳。


 そして「まぁ」と仕切り直す。


「ともあれ、君も知っている通り彼女は女の子だ。一人じゃ危険も付き纏うし不便な事も沢山あるだろ? だから君にはそんなミーナ君を守ってもらいたいんだ。もちろん手助けも役目だ。それで、その君の守る彼女――ミーナ君の研究した結果が、この国にとって、国民にとって大きな財産になると私は信じている」


 と、力説をするハイゼル。だが、ミーナの名前を聞いてからジャックは話を聞いている途中でも昔を思い出し、すっかり気落ちしていた。もはや先のように「はぁ」と溜め息を吐くだけの人形のように。


 ――が、そんな兵士の訓練を乗り越えた者として相応しくない態度を目の当たりにするハイゼルは、腕を組み、自分に向けての姿勢ではなく、国に仕える者としての姿勢を叱責する。


「ジャック。君と彼女の過去について詳しくは知らないが、これはちゃんとした仕事でもあるんだぞ? それにあくまで結果としてだが、この役目は"街の皆を守る"という君の意志にもちゃんと則したいるだろう?」


 そう諭すハイゼルは微笑しながらも、あの獅子のように鋭い黒の瞳でジャックをしっかりと捉える。冗談混じりな口調ながらこの言葉にも、今朝のあの演説者かれにも似た重圧が込められていた。


 急にそんな重圧を醸し出され、目を開くジャックは自分の前にいま立っている者が上官であることを再認識し、咄嗟に背筋を伸ばす。しかし、姿勢を改めてもまだ彼の威圧は消えなかった。ジャックのこめかみに汗が一筋流れる。


「それともなんだ? もしかしてミーナ君は"街の皆"には入らないのかな?」


 その空気のまま、トドメのように、そう問い質されるジャックは思わず息を呑んだ。頷くことにはまだ窮したが、司令官の持つ重圧、また自分が口にしたことを材料に詰問され、もはや逃げ道がないとジャックは悟ると、わだかまりりを持ちつつもその言質を素直に認めた。


「いえ、すみません」


 そして、


「分かりました。是非やらせてください」


 と、与えられた役目を受け入れた。


 半ば不本意であろう事を分かるハイゼルは、それを理解した上で「うん、悪いね」表情を緩める。先より少しだけ頬が上がっただけの表情だったが、それでも、ジャックの周りにあった重みは嘘のように消え去っていた。今の短い時間は夢だったのでは? と、ジャックは小さな錯覚に陥ってはやや茫然。


「まぁ、話はこんなところだね」


 そうしていると、それが夢ではないこと知らせる上官は用件が済んだことを知らせる。そして、まだ茫然自失の兵士の左肩へ手を置くと、


「それじゃ、よろしく頼むよ」


 と、励ますように力強く二回、ポンポンと。


「それじゃあ僕は行くとするよ。会議があるからね。ちゃんとミーナ君に会うんだぞ?」


 そうして彼が『僕』という単語を用いると場は穏やかになり、余計な緊張が解けたジャックは「はい」と自然な敬礼を。


 そして、同じように敬礼を返し「期待してるよ」と別れの言葉を手向けたハイゼルは、敬礼を続けるジャックを背に意気揚々と、国の真ん中にそびえ立つ石造りの建物へと帰って行った。


 その姿がしばらくして見えなくなると、ジャックはゆっくりと手を下ろすジャック。しかし、


「はぁ······」


 ハイゼルが去った後、その期待を込められた左肩を力無く「痛いし」と右手で押さえた。





 城の内部は三部分で構成されていた。


 軍の武器開発や実験施設、新人兵士の訓練施設などが置かれた右翼。城を守る兵士や給仕をする者たちが生活をし、また、あらゆる資料を保管する左翼。そして、国王が居住をし、司令部なども置かれ、国の中枢とも言える一段高く聳える中央部。


 その中で、ジャックが歩いていたのは右翼――東棟三階の廊下だった。


「ってか、場所教えといてくれよ······」


 ジャックの目指す部屋は、いま歩く廊下の突き当たりに位置する――城の一番奥とも言える部屋だった。ジャックはそれを知るまで幾つも他の場所を回っては聞き、回っては聞きを繰り返していた。だがしかし、新設の小さい部署のため、ほとんどが知らぬ存ぜぬの回答。


 そのため、ようやく場所を知る者に会う頃にはジャックはすっかり疲弊していた。


 ――と、頭を落とすジャックはそんな時ふと、昔のことを思い出す。あいつとの付き合いはこんなんで『付き合った』というより『付き合わされた』だったよなぁ、と。


 懐かしさが些か甦ったが、やはり溜め息が漏れた。


 そして、そうこうしている内に、辺りはまるで人気を感じなくなるほど静かになっていた。まるで世界を隔離されたように感じるジャックは、ふと半開きになっていた左の部屋を覗く。


 ジャックはそれでその理由を知る。

 この辺り一帯は物置だった。


 こんな場所に部署なんてあんのか? と、ジャックは怪訝に思ったが、また廊下に足を戻すと、まぁいいか。と終わりの近かったそこを進んでいく。そして、


「北の一番奥······魔法科学部は······これか」


 ジャックは廊下の突き当たりにある、一つの木製扉の前に立っていた。ドアの上には煤けた柱があり「研究科」と書かれた真新しい木のプレートが。それを見上げたジャックは、微妙に傾いてる辺り、それを打った者の性格が出てるのかもしれない。と、ふと思う。


 だが、ともあれ、それには触らず確認だけしたジャックはコンコンと一度ノックをする。そして小さく「失礼しまーす」と言っては覗くようにドアを開ける。


 部屋へ静かに入ったジャックは若干の不安を覚える。

 中は、先の部屋ほどではないが雑然としていた。


 石の机に木の机。フラスコや試験管など数多の実験器具がその上に散らばるように置かれていた。また、それらのどれにも中には液体が入っており、歪な色をしているのも多々あった。


 また、部屋の端には石机をくり抜いたような、ここへ置くには少し似つかわしくないカマドが一つあり、そこには煤けた鉄鍋が一つ置かれていた。


 左右の壁は所々の塗料が剝がれ落ち、窓には遠目からでも分かるほどの埃が付着し、それはここが、長年誰にも使われてなかったことを示すには充分すぎるくらいだった。


 ジャックは、来る場所間違えたんじゃないか? と疑いの目を自分へ向けた。――が、その視線を部屋の奥へ向けた時、その考えはすぐ改めさせられる。


 それは、部屋の中央奥――数式と文字列が書かれた黒板と木机の間に、肩下まで伸びた、サラリとした綺麗な赤髪を白衣へ垂らす少女の背中を発見したからだった。


 自分よりやや小さく見える――およそ身長百六十五センチの彼女は、記憶の中にある少女と姿は違えど、その二人が同じ人物だと認識するのはジャックには容易だった。それはその後ろ姿に、昔、何度も振り回されてきた時と同じ、あの懐かしい雰囲気を感たから。


 ジャックは彼女のほうへと歩いていく。すると、


「······久しぶりね、ジャック」


 後ろを向いたままの彼女は、鈴のような心地よい声で、冷めた口調ながらもそっと、机一つ挟んだその距離で、腕を組んだままにそう言った。すると、彼女は髪を軽く払うようにこちら振り向くと、わざと顔を上げた、どこか見下した態度でジャックを見据えた。


 彼女に()()()()()ことを確信するジャック。


 小鼻で眉の整った小さな顔。しかし、それでいて少女さが残るアーモンド目と深紅の瞳。弾力を感じさせるキメ細やかな白い肌と麗顔に備わる桃色の唇。その唇は、僅かに笑みをこぼしていた。


「······久しぶりだな。ミーナ」


 その笑みと幾年振りの再会に、群青色の眼をしたジャックも、左頬を上げては鼻で笑って応えた。

 ここまでお読み頂きありがとうございます。「ジャックとミーナ」「ジミナ魔法」と覚えて頂けたら幸いです。また、面白いと思いましたらブクマ・評価等をしてもらえると嬉しい限りです。

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