北ヶ崎学園での出来事2
旅行から帰ってきた水曜日。久々の学校は、テスト前になっていた。いつにも増してお勉強をしているクラスメイト。
うぅむ、感心感心。ちなみに私はこのテストは捨てている。どうせできないし、転校してきたばっかりだからビリでも何とも言われないだろう。……多分ね。
一日七時間の授業。それが二回。休んでいる間に十四時間の授業が終わっている。ただでさえ遅れていて大変だったのに、これだ。
でも、きっと、仕方がないだろう。「家庭の事情」なのだから。親が決めたのだから。子供はきっと、従うしかないのだ。
私は、悪くない。悪いことは、何もしていない。
……なのに。それなのに、言うか。
「転校してきたばっかりなのに」「二日も休むとか」「『家庭の事情』とか言ってただ遊んでいただけでしょ」「私立っつーか一貫校ナメてんね」
クラスから聞こえてくるのは、そんな言葉ばかりだった。
ほらね。言ったでしょ。
私は心の中で言う。誰に? それは、わからない。母親? 父親? きっと、転校を勧めまくった人たちみんなに、勝ち誇ったように、私は言っていた。
悪口を言う人はどこにでもいるものだ。
「てかさ、俺たちは小学校の時遊ばずに勉強していたのにさ、小学校だけじゃなくて今までも遊んでいた人に、同じ『北ヶ埼学園中等部の生徒』っていう看板持たせるのヤなんだけど。俺らがどんだけ頑張っていたのかわかってるのかな」
その言葉は一番胸に刺さった。確かに中学受験をした私の友人は五年生から全然遊んでくれなくなった。いつも「ごめんね。勉強しなきゃだから」と断られた。その子は今ここで一番の成績を毎回とっているらしい。クラスが違うから今は全く話さないけれど。
「なんか、必死に勉強していたあの頃の自分がバカみたいだよね。別にさ、小学生としての時間を犠牲にしなくても北中の生徒にはなれたってコトでしょう? なーんかね」
何さ。
私は何も悪くない。
来たくて、来たくて。それで、ここに来たわけじゃない。私だって、学校になんかもう行きたくなかったし。
親の為。そう、親のために来たんだよ! ここに。嫌な思いをするって、わかってて来ているの。褒められこそすれ、悪口を言われる筋合いねぇわ。
彼らの言いたいことは全く理解できなかった。別に転校はここじゃなくても良かった。初めに言われた通り、母と県外に行って、そこの公立中学校に行けばよかったのだ。そしたら、まだ、何かマシだったかもしれない。クラスメイトも、こんなプライドの高い奴らじゃなかっただろう。ならば。何か、明確にはわからないし、わからなくたっていいとも思うけど、違っただろう。
こんな奴らと勉強するのは、もう御免だ。顔も見たくないし、同じ場所にいたくないし、奴らが吐いた空気なんて死んでも吸いたくない。
転校してわずか三週間。私はまた不登校になった。
私は悪くない。絶対に、絶対に間違ってなんかいない。
嫌なことに自分から首を突っ込む必要なんか、無い。
二年生がおわり、三年生になった。七月、修学旅行はどうするかと担任が訊ねてきた。これだけ行っても反感を買うだけだし、そんなことより、彼らに会いたくもないので行かないと返事をした。
八月になった。一切外に出なくなった私は透き通るような白い肌、という理想を通り越して少し血色の悪い不健康な肌になっていた。そのころには、親は何とも言わなくなっていた。二人とも「行ってきます」、「ただいま」、「ご飯だよ」、「お風呂沸いたよ」。それしか言わなくなった。私も、「うん」としか言わなくなった。
諦められたのか。
そう気付いたとき、思った。
何で生きているのだろう。
仮に私が死んだとして、果たして誰が心から悲しんでくれるだろう。いないな、と思った。親も死んだ方が喜ぶ気がする。行ってなくても授業料等は学校に払っているのだろうし。
生きていくことが、嫌になった。
この世に希望なんてないし、そんな世を生きていくことが苦痛で、だるくて、逃げ出したいと思った。
嫌なことに自分から首を突っ込む必要なんか無い。
今の「嫌なこと」が「生きていること」なのだから、それから解放される術は、ただ一つ。
今の私は、いない方がマシだ。イチから人生やり直そう。
次は、もっと可愛くて、スタイルが良くて、なんかもう、完璧な女の子にしてください。
***
「愚かなヤツめ」
飛び降りて、地面が近くなった時、そんな、低い声が聞こえた。
大変長らくお待たせいたしました。
キリが良い所で切ったら思っていたよりもかなり短くなってしまいましたが。
お楽しみいただけましたか?
これで、生きている妃良のお話は終わりです。
次からまた舞台が移ります。
いよいよ、「生きる意味」を探る旅がスタート……?