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「やめろマヌエル……!」


 続いて発せられたのは、アーネストの苦し気な叫び。エメラインは寝台の中で身体をびくりと震わせ、そっと隣を伺った。


(何なの……?)


 暖炉のほの明るい光が二人を照らす。ごろ寝していたはずの彼らが、何故か重なり合っている。


 アーネストがマヌエルに組み敷かれ、短刀を突きつけられているのだ。


 一体なぜこんなことになっているのか。もしや恨みによる行動かもとエメラインは考えたが、それはないかとすぐに思い直した。彼が酷い態度をとるのはエメラインに対してだけだ。


(と、とにかくなんとかしなくては……)


 何が何だかわからなかったが、ぼーっと見ている場合ではない。そっと寝台から抜け出し、恐々と彼らににじり寄る。そしてエメラインは震えながらも口を開いた。


「あ、あの、どうか争うのはやめて下さい。話し合って解決しましょう!」

「バカか! 逃げろ!」


 マヌエルに視線を固定させたまま、アーネストが怒声を張り上げる。それで隙が生まれたのか、マヌエルの短刀が彼の喉元目がけて振り下ろされた。


 アーネストが首を逸らして、紙一重のところでかわす。だがすかさず頬を殴られ、腹に蹴りを入れられた。


「ガハッ」


 流石のアーネストもこれにはたまらず、腹を抑えて呻いてしまった。これで刺されれば彼はひとたまりもないだろう。

 しかしマヌエルは止めを刺そうとはせず、身をひるがえしてぎょろりとした目をエメラインに向けた。彼の手に握られた短刀が、暖炉の炎を浴びて怪しく光る。


(狙われていたのは私――!?)


 そこでエメラインはようやく理解した。もしやと思っていたが、マヌエルが狙っていたのは自分だったのだ。信じられないことに、アーネストがそれを止めていてくれたのだろう。


(逃げないと……)


 頭では分かっているけれど、エメラインの身体は恐怖で凍り付いたように動かない。何しろ荒事なんて見るのはこれが初めてなのだ。


 それでも震える体を叱咤して、彼女は何とか声を張り上げた。


「や、やめて下さい! そんなことをすれば傷つくのは貴方です……!」


 マヌエルは止まらない。短刀を振り上げ足を踏み出し――


 バキッという音と共にマヌエルの身体が勢いよく傾いた。


 同時に手から短刀がすっぽりと抜けて、ありえない軌道を描いて壁に突き刺さる。


「ヒッ」


 エメラインはか細い悲鳴を上げて、倒れ込んできた身体を咄嗟に避けた。その拍子にマヌエルが寝台の縁に額を打ち付け、もんどりうって倒れ込む。そこへ悶絶から立ち直ったアーネストが駆け寄り、マヌエルの顎を殴りつけた。

 そこでようやく暴漢は白目をむいてぴくりとも動かなくなった。どうやら気絶したようだ。


「おい、縄を寄越せ!」

「は、はい」


 エメラインはアーネストの指示通りに、壁に掛けてあった縄をもたつく手つきで差し出した。


 マヌエルをぐるぐると縛りながらアーネストが言う。


「……おかしいだろ、今のは。何なんだ、お前は……」


 彼の驚きも最もだろう。エメラインだって、実際自分の目で見て驚いているのだから。


 マヌエルが踏み抜いた床をエメラインはじっと見つめた。腐食した様子もないし、頑丈な木材が使われているからこんな風に割れることなんてあり得ない。


 これもあの力の威力か、とエメラインは身を震わせた。


「お前、マヌエルがしくじる事を分かっていたような口ぶりだったな。やはり、呪ったのか……?」


 何も言えずにいると、アーネストに胡乱な目を向けられてしまった。

 言いたくはなかったが、黙っていてもらちが明かないし、逆上して襲い掛かられたら彼まで危険な目に遭ってしまうだろう。エメラインは観念して白状することにした。


「断じて呪ってなどいません。……私を害そうとするすれば、相応の報いを受ける。という加護を、この山の神であるカルナートさまがかけて下さったのです」


 そこまで言って、エメラインは唇を噛みしめ俯いた。


(あの時、もう少し私が賢ければこんなことには……)


 深い後悔と共に、当時の光景が脳裏に蘇る。


 あれは十二年前。彼の神との出会いはもちろん、カルナート山。そしてその時エメラインは、急斜面から転げ落ち、すり傷だらけで泣いてる所だった。


「大丈夫?」


 突然降って来た声に、エメラインは泣くのも忘れて顔を上げた。


 誰もいなかったはずの隣には、金髪の少年が立っていた。年の頃は十二、三才程だろうか。白の法衣を身にまとい、どこか浮世離れした雰囲気を漂わせていた。


「一人ってことは抜け出してきたのかな。悪い子だね。皆心配しているよ、エメライン」

「え、あの、なんで……?」


 いつの間に傍に来たの? とか、何で私の名前を知っているの? なんて心の中では色んな疑問が飛び交っていたが、驚き混乱していたせいかまともな言葉が出てこない。 


 そんなエメラインを面白がるように少年は笑い、おもむろにしゃがんだ。そして擦り傷だらけの腕に触れてくる。

 直感的に悪い人ではなさそうだと感じていたので、エメラインは彼の挙動をぼんやりと見守っていた。


 ややあって少年の手が光る。エメラインは驚いて目を見張った。


「え……!?」


 しかも不思議なことに、触れた所から傷が見る見るうちに治ってゆくのだ。

 びっくりして自分の腕と少年の顔を交互に見比べていると、彼はより笑みを深めた。


「僕はカルナート、って言えば疑問は色々解けるだろう?」

「あ……!? はい、あの、たすけてくれてありがとうございます」


 エメラインは大した疑問も抱かず素直に納得した。

 こんなに不思議なことができるのは神さまを置いて他にはいないと思ったからだ。


 するとカルナートは満足そうに頷き、頭をなでてきた。


「やあ、十年ぶり……あれ、七年ぶりだったかな?」

「ごねんぶり、だとおもいます……」


 エメラインには全く覚えがないが、赤子の時にカルナートの祠に行ったことがある。きっとその時のことを言っているのだろう。


 何故そんなことをエメラインが知っているかと言えば、自分の家の妙なしきたりのせいだった。赤子が生まれたら、ブラッドフォード家の守り神たるカルナートにお披露目する、というものである。


 今回山に来たのも弟が生まれたからだ。まずは麓で家族そろって祈りを捧げ、それが終わると両親は弟を連れて山の中腹へと登って行った。残されたエメラインは麓の屋敷で祖母とお留守番である。


 だけどエメラインはそれが不服で屋敷から抜け出した。自分だって両親と一緒に行きたかったのだ。


「それはともかくさ、いくら寂しかったからって、黙って抜け出すのはよくないよ。危なっかしいちびっこさん」


 そんなことも神であるカルナートにはお見通しのようだ。からかうように額を小突かれ、エメラインはちょっとむくれた。


「こうやってこっちにこれるなら、あいにきてくださればよかったのに。そうすればお父さまもお母さまもいかずにすんだでしょ?」


 幼い頃のエメラインは、物怖じせずはっきりと物を言う娘だった。

 お前は表情が乏しいから、何を考えているか分からない。だから思ったことははっきり言いなさい。という祖母の教えに従っての事である。

 加えて神がどういうものかをまだ理解していなかったので、こうもずけずけと言えたのだ。今にして思えばとんでもない話である。


「生意気だなあ、お前。神にも色々と面倒な制約があるんだよ」


 カルナートは眉を上げ、今度はちょっと強めに額を小突いてきた。


「いたいです」

「不遜な娘へのお仕置きだ。さあ、とっとと戻るよ」


 そう言うと彼はエメラインの体を抱き上げ、ふわふわと浮きながら麓まで送ってくれた。


「じゃ、もう抜け出すんじゃないよ……ってなんだよこの手は」


 地上に降ろされたエメラインは、到着してもカルナートの衣をぎゅっとつかんで離さなかった。


「もうちょっといっしょにいてください」


 束の間の空中遊泳は、エメラインの心を躍らせた。こんなことができるなんて凄い。彼とこのまま一緒に居れば、もっと素敵な物が見れるかもしれない。というかはっきり言ってしまえば、自分と遊んでほしい。


 もはやカルナートが神であるということは、すっかり抜け落ちていた。この時のエメラインにとって、彼は優しいお兄さんでしかなかった。


「何、僕に遊んでほしいってわけ? 神であるこの僕に?」

「だめですか? ちょっとくらいならいいでしょ?」


 子供らしい屈託のなさで首を傾げる。まるで自分を理解していない子供の様子にカルナートは呆れていたが、最終的には折れてくれた。


「はあ、まあいいけど。でも呼ばれたらすぐ戻るからね」



 それからカルナートは甲斐甲斐しくエメラインの面倒を見てくれた。口では結構酷いことを言ったりするけれど、川でずぶ濡れになれば乾かしてくれるし、転んだら土ぼこりを払ってくれる。しかも子供の遊びに本気で付き合ってくれて、エメラインは本当に楽しいひと時を過ごせた。


 だからカルナートから戻ると告げられた時、エメラインが彼との別れを惜しむのは無理もない話だった。


「もういっちゃうんですか? またあえますか?」

「洗礼が済んだら僕は寝るから、会えるとしたら十年後かなあ」

「じゅうねんも?」


 エメラインは目をぱちくりとさせたあと、しょんぼりと俯いた。


「そう惜しまれると後ろ髪引かれるね。……そうだ、プレゼントをあげるよ」

「なんですか?」

「僕の加護を授けてあげる。お前を害しようとした者には、相応の報いを受けるっていう守護をね」


 エメラインはよくわからず、首を傾げた。何せ幼い子供にとって、彼の紡ぐ言葉はちょっと難しい。


「そういうのじゃなくて、表情がゆたかになるまほうはないんですか?」

「……生憎ないね。守護でいいじゃないか。これがあれば魑魅魍魎がはびこる王宮内にいても安全だ。お前がずけずけと本音を言って恨みを買っても何の心配もなくなるよ」

「あの、いっていることがむずかしくてわかりません……」

「まあつまり加護があれば、お前が傷つくことはないってこと。不埒な行為からだって身を守ってくれるんだぞ」

「ふうん……? じゃあおねがいします」


 やっぱりよくわからなかったが、何だか凄そうなのでとりあえず頷いておいた。

 それがいけなかった。よくわからないものは拒否するべきなのだ。この時の自分は本当にバカだったと、エメラインは心底思っている。


「よし。で、一つ約束だ。この話は絶対誰にも明かしちゃ駄目だ。家族にもね。でも、お前が大人になって結婚が決まったら、夫となる男にだけは打ち明けること。わかったね?」

「なんでけっこんするおあいてだけなの?」

「お前が結婚するとき、加護を解くつもりだからだよ。その時は二人で挨拶に来てよ。見定めてやるから」


 そう言ってから、カルナートがにんまりと笑う。とっても黒い笑みだった。エメラインの背筋が何故かゾクリと震える。そして少しだけ思った。


 もしかして自分はとんでもないものを貰ってしまったんじゃないだろうか、と。


 結果的に言えば、当時の予感は残念なことに当たってしまったわけだ。


 そのことに気が付いたのは、エルバーン子爵が階段から転げ落ちた時である。

 彼は自分の側に来ると、何故か決まって間抜けな姿を晒していた。まさかそれが加護のせいだなんて夢にも思わない。というのも、今の今までエメラインの事を傷つけようとする者はいなかったからだ。少なくとも、大っぴらには。


 しかし事件のあと、一部始終を見ていた侍女の話を聞いて、エメラインはようやく事の重大さを理解した。


 エルバーン子爵の不埒な手を退け背を向けたあと、彼は物凄い形相に変わりエメラインに向かって手を伸ばしていたという。直後、彼は不自然な倒れ方をして階段から転げ落ちていた、と。


 その頃には何でもかんでも本音を言うのが正しいとは限らないということを理解していたし、自分では波風立てないように立ち回っていたつもりだった。しかし結果はこの体たらくである。


 上手く人間関係が築けず、恨みを買い、その果てに誰かが傷ついてしまう。しかもよりによって大切なギデオンまで加護のせいで倒れてしまうとは。これでは自分は歩く厄災だ。


 だからエメラインはカルナート山に来たのだ。ギデオンに掛かってしまった呪いを解いてもらうために。そして自分の身には不相応な加護を解いてもらうために。


 

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