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当然王の答えだって否である。
「そのようなことを許可する訳がないだろう」
「ギデオンさまを救うための心当たりが有るのです。もしそれで結果が得られなければ、如何なる処罰も受けましょう」
「ほう」
それならいいかもしれん。王はあっさりと考えを改めた。
だが一人は駄目だ。真摯な様子を見せていても、逃亡する可能性だってあるのだから。
「ならば供の者を付けてやろう」
「ご配慮感謝致します」
「では私が!」
「誰にするかな……」
すかさず名乗りを上げたカルヴィンを無視して、王は並み居る騎士を見渡した。
ブラッドフォード側の人間は絶対だめだ。エメラインの逃亡に加担する恐れがある。敵対していて尚且つ変な問題を起こさないような男といえば……。
やがて王は生真面目そうな金髪の青年に目を止めた。
「ではアーネスト、お前がエメラインと共に行け」
「はい」
(よりによって彼なのね……)
指名された青年を見て、エメラインは憂鬱になった。
グライス子爵、アーネストはエメラインが苦手とする人物だ。明るく快活な人柄だが、彼女に対する態度は少しばかり辛辣で陰湿だ。嫌われているというのはわかる。何故嫌われているのかは見当もつかないが。
なるべく彼の気を荒立てないようにしなければ。そんなことを思いながら、エメラインはアーネストに向かって恐々と口を開いた。
「アーネスト様、よろしくお願いいたします……」
「ああ。で、向かう場所は?」
「ブラッドフォードの北部にあるカルナート山です」
「わかった。ではすぐに支度をする」
そう言うと彼は王に挨拶をして素早く退出していった。迅速な行動に、エメラインの気持ちが少しだけ明るくなる。
そういえばアーネストはギデオンと仲が良かった。きっと心配しているのだろう。友人の為に尽力してくれる人なのだ。そんな人を嫌だなんて思うなんて。エメラインは先程の自分を恥じた。
だが自責の念はすぐに消えた。
「怪しい行いをしたらすぐにでもお前を拘束するからな」
なんせ馬車に乗って開口一番がこれである。偉そうに腕を組み、敵意をむき出しにして見られれば不快感は抑えられない。幸いにも感情が表に出ない性質なので、ばれることはないが。
「それで、皆にどんな呪いをかけて回ったんだ?」
アーネストの中で、エメラインは既に犯人として確定されているらしい。だがそんなことを言われても困る。やっていないものはやっていないのだから。
「呪いなどかけていないと申したでしょう。アーネスト様もあの場にいらしたはずですのに、もうお忘れですか?」
エメラインとしては事実を言ったまでだったが、淡々と無表情で語るその様はアーネストの怒りを煽った。彼の目には実にふてぶてしく、自分をバカにしているような態度に見えたのだ。
「お前と話していると不愉快になる」
「そうですか……」
しょんぼりと頷きながら、エメラインはふと思い出していた。そういえば以前友人が言っていたっけ。嫌いな人物がすることは、どんなことでも不愉快な行動に見える、と。
今のアーネストはまさしくそれなのだろう。エメラインのする会話から行動、全てが不愉快なのだ。
(私はもう何も言わない方が良さそうね……)
この会話の流れからして、自分が黙っていればアーネストも黙るに違いない。
そう思っていたのに、アーネストときたら
「エルバーン子爵はお前に親切だったのに」
まだ喋る気でいるようだ。
「そんな彼に大怪我を負わせたそうだな。お前に手を振り払われて階段から転げ落ちたというじゃないか」
ああ、あれか……。エメラインは遠い目をして、当時の事を思い返した。
エルバーン子爵は確かにエメラインに優しかった。が、やたらとスキンシップが激しい男だった。ギデオンがいる前では普通なのだが、彼が居ないところでは途端にべたべたし始めるのだ。はっきり言ってエメラインは彼のことが嫌いだった。
一度あまりにひどい時があったので、「おやめください」と言って肩口に添えられた手をやんわりと退けたことがある。そして彼の顔など見たくもないので、別れを告げてエメラインはさっさと踵を返した。その直後、子爵は何故か階段から転げ落ちていたのだ。
エメラインは彼に対して断じて何もしていない。……が、私のせいではありません、と胸を張って言えないのが悲しい所だ。
「そうなる前にも何故かお前に近づくと不吉なことが起きたと聞いているぞ。それにミシェルの件だってある」
(ミシェル・グラフトンの事ね……)
アーネストがミシェルと呼び捨てにするのは一人しかいない。カスター伯爵の一人娘だ。明るく溌剌としていたが、少し変わった令嬢だった。
「俺は見ていたんだ。お前が陰険なやり方で彼女を転ばせていたのを」
確かに彼女は自分の前で転んでいたことは何度かある。しかしエメラインは手も足も出してはいない。何故そういう解釈になるのか。エメラインは頭を抱えたくなった。
全くの誤解だらけだが、ここで弁明してもアーネストは更にやかましくなるだけだろう。隣に座っている忠実な侍女も、それをわかっているのか懸命にも黙っている。但し眉間の皺が凄いことになっているが。
それからもアーネストの話は続いた。彼から放たれる話題はとにかくミシェルミシェルミシェルだった。どうやらアーネストはミシェル嬢を特別に思っているらしい。そうでなければこんなに熱くはならないだろう。
ミシェルが、ミシェルを、ミシェルに……。終わらないミシェル談議に、エメラインはいい加減疲れてきた。この調子なら、多分アーネストはエメラインが聞いていようがいまいが構わないだろう。だから彼の言葉を右から左へ聞き流すことにした。
そんな感じで適当に相槌を打ちながらやり過ごしていると、馬車の揺れが増してきた。それでもアーネストの喋りは止まらない。つっかえつつも喋りまくる彼を、エメラインはちょっとだけ凄いと思った。
「いいか? お前は、この件を、機に、反省すべきだ! そし、てミシェ、ルに、謝罪し、ろ!」
ようやく言葉が途切れたので、エメラインはすかさず口をはさんだ。
「アーネスト様、そろそろお口を閉じた方がよろしいと思われますが」
「はっ! 相変わらずのふてぶてしい態度だな。まるで自分が微塵も悪いっ――!?」
アーネストが口を覆って俯く。どうやら舌を噛んでしまったらしい。とっても痛そうだ。
「馬車が揺れを増したので、喋っていると今のように舌を嚙んでしまいますよ」
「……噛む前に、言え」
「言いました」
「もっと早くだ」
「口を挟む隙がなかったもので」
するとアーネストがようやく黙り込んだので、エメラインはほっと胸を撫で下ろした。やっと小言から解放されたのだ。いつもは閉口する激しい揺れにも、この時ばかりは感謝である。
そうしてしばらくは穏やかな沈黙が続いたが、揺れが収まって来たのでエメラインはごそごそと懐を探った。アーネストもそろそろ落ち着いた頃だろうし、また喋りだされては叶わない。
「アーネスト様、手持無沙汰でしょうからこれなどいかがでしょう」
そう言って、エメラインは変わった形の輪っかを取り出した。真鍮製のそれには、それぞれ違う形の輪っかが三つほど付けられている。
「呪いの道具なんて俺には必要ない」
「呪具なんかじゃありませんよ。これは知恵の輪という物です」
疑念の目を向けるアーネストに侍女は呆れ、「こうやって遊ぶのです」と輪っかを外してみせる。
「そうです。このように外したり、輪を組み合わせていろんな形にして遊ぶんです。外すのは中々難しいのですよ」
「難しいだって? こんなもの簡単だろう」
アーネストは馬鹿にしたように笑い、知恵の輪を弄り始めた。だがじきに彼の顔に浮かんでいた笑みは消え、真剣な表情に変わる。
こうしてエメラインの思惑通りに、アーネストは無言で知恵の輪に夢中になった。これで侍女と心置きなく会話できる。
だがしばらくすると「やかましい」と叱られたので、エメラインたちも知恵の輪を始めることにした。
馬車の中はカチャカチャという地味な音で満たされた。