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5.最終報告 

 仕事を終えたスノーは寄り道することなくナイトの待つアジトへと帰還していた。


「おかえりなさい、スノー」


 ナイトは出かける前と同じソファーに寝そべっている。机には読み散らかした文庫本の山が積みあがっていた。迎え入れる表情は明るく、スノーの帰りを待ちわびていたようだ。

 日も傾き、さすがに暗いと感じたのだろう、部屋の隅にあるフロアスタンドが柔らかな光を放っていた。

 スノーは大きな変化がないことを安堵し、鞄を片付ける。ジャケットとベルトをはずしハンガーラックにつるすと、今日は出番のなかった帽子とネクタイが労うように揺れ動いた。

 ナイトの隣に腰をおろし、背もたれに体をあずける。


「石村利明の件は終わった。報告書は後日提出する」

「はーい。おつかれさま。コーヒー飲む?」

「あぁ」


 ナイトは立ち上がり、ダイニングキッチンにおいてあるコーヒーサイフォンにお湯をそそいだ。その様子を横目で追いながら声をかける。


「お前がコーヒーなんて珍しいな」

「私は紅茶のほうが好きだけどさ、淹れるのはコーヒーの方が好き。だからスノーが飲んでくれると助かるよ」

「そうか」


 慣れた手つきでアルコールランプに火をつけ、フィルターをセットしていることを確認し、スノーは目を閉じた。報告書の提出は後日といえど、最低限の報告は今のうちにしてしまおうと考えたのだ。情報の取捨選択と話の順序を組み立てる。思考の邪魔にならない程度に、あたためられた湯の沸騰する音が空間を満たしていた。こぽこぽと音をたて、無限に球体が湧き上がるさまをナイトは楽しんでいるのだろうと予想する。そんな彼女に水を差すことを心苦しく感じながらも事実を口にしなければならない。目を閉じたままナイトに声をかける。


「ナイト」

「んー?」

「――『憂鬱』は石村利明の作品だった」


 彼女はいたく『憂鬱』を気に入っていた。なるべくなら知らない方が幸せかもしれない。それでも彼女に真実を告げたのは、情報屋という彼女のあるべき姿を最優先させた結果である。

 スノーはじっと、ナイトからの言葉を待った。


「あ、うん……。そっか」


 彼女は残念そうに言葉を切り、力のない笑い声を漏らした。


「――やっぱり気づいちゃったんだ」

「は?」


 思わず立ち上がり、見知らぬ人を見るような目でナイトをみつめる。そのわずかな間にすべてのピースが当てはまっていく。

 胸の中にストンッと納得の二文字が納まった。


「フーメルのスランプの情報を石村に売ったのか」


 彼女は竹べらでコーヒー粉をほぐしながら頷く。そこに感情の起伏はない。彼女にとってとうの昔の話だった。


「うん。石村さんと知り合ったのは『憂鬱』が生まれるより前のこと。スノーは別件で忙しくて知らなかったよね」


 違和感は最初からあった。

 ナイトが美術館で『憂鬱』以外の作品に興味を示さなかったこと。数ある窃盗団の中で、自分と関わりのある窃盗団を石村が利用していたこと。石村のアトリエに人が訪ねてくるのが久しいということ。得体の知れない情報屋であるスノーに石村が心を許し本心を語りつくしたこと。まだまだ未熟だといった石村の発言の意味――。

 考えれば考えるだけ不自然なことばかりであった。


「すべて、茶番かよ」


 殺意と見間違うほどの強烈な視線にナイトは動じない。


「そんな風に言わないで。たまにはスノーの実力を再確認したかったの」

「もし俺が石村以外の相手に情報を売っていたらどうなるかわかってんのか」


 美術館のセキュリティに関する情報を悪意のある人物に売る。当然美術館の目玉である『憂鬱』に目をつけるだろう。しかしそれは罠だ。偽物とわかった時点で情報屋としての信用は地に墜ちる。待っているのは逆恨みによる破滅だ。


「スノーが勝手に情報を売りさばかないことは知っているよ。それに私たちの情報に嘘はないんだからどうにでもなる。まあそんな事態が起きる前に種明かしをするつもりだったよ」


 アルコールランプの火をけし、コーヒーの抽出を待つ。部屋はすでにほろ苦いにおいでいっぱいだ。彼の怒りを抑えるように沁みわたっていく。


「さっき石村さんから電話があったよ。スノーの帰宅途中に。石村さんってばスノーに本当にヒントを与えてないかをわざわざ確認してたよ。私がスノーの実力を確かめたいって言ってる手前、ヒントなんて与えるわけないのにね」

「そんなことはどうでもいい」


 まだ怒りの静まりきらないスノーはこぶしを震わせ、歯を喰いしばった。自分だけが何も知らないまま働いていたことにも腹が立って仕方がない。それでも感情をコントロールし、つとめて冷静に危険性を指摘する。


「失敗したら大惨事だ。信用がなくなれば情報は売れないし、新しい情報も入ってこない。お前はその危険性をちゃんと考えたのか。お前一人の組織じゃないんだぞ」


 彼女は答えない。フラスコに抽出されたコーヒーをかるく揺すり、コーヒーカップに注ぐ。両手にカップを持ち、ソファーの前のテーブルに置いた。


「ちゃんと考えたよ」


 彼女はいたずらっこの笑みを浮かべ、スノーの隣に腰掛ける。彼を見上げながら、かたく握られたこぶしを丁寧にほどいていく。


「大失敗するのも大いに結構。それはそれで楽しいんだもん」


 スノーは何も言えなかった。ソファーに座り直し、大きなため息をつくと頭を抱える。

 彼女にとってすべてが遊びのようなものなのだ。他人だけでなく自分の人生すらも気軽に賭け、スリルを味わう。それによって得られるものはあまりに少ない。だが、彼女はうっとりとした目つきで天をあおぐ。


「それにしてもフーメル氏はこれからどんな作品を描くのかなぁ。いっぱい苦しんで、悩んで、怒って、泣き出して……。彼が本物の芸術家ならその想いを描かずにはいられないよね。楽しみだなぁ」


 コーヒーカップを一つ手に取り、熱いと声をもらす。「手のひらサイズの太陽だ」そう呟きながら楽しげに息を吹きかける。白い湯気はいとも容易く踊りだし、スノーの手に糸のごとくからみついた。

 二人をつなぐ淡い糸。それはあたかも傀儡師と人形のよう。

 彼女の罠に嵌った自身を彼は嘆く。


「……憂鬱だ」


 つぶやきを受け止めたコーヒーはまだ冷めない。


ありがとうございました。

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