3.不可解な調査結果
数日後。とある雑居ビルの一室で、スノーはパソコンと向き合っていた。キーボードをたたく音は数分前から途切れている。彼は考え込むように腕を組み、モニターを睨み続けた。日の光が入らない室内は薄暗く、モニターの光に照らされた彼の表情をことさら厳しくみせていた。
そんな彼を恐れることなくナイトは声をかける。
「プリントアウト終わったよー。ここに置いておくね」
「あぁ」
デスクに書類の束をおくと、彼女は近くにあるソファーに寝転んだ。バウムクーヘンのように置かれた黒の革張りのソファーは10人以上座れるほどの大きさで、部屋の半分を占めていた。残りのスペースは数台のパソコンとその周辺機器ばかりで埋め尽くされ、リビングとオフィスを無理矢理一つにしたような空間であった。リビング側はカウンターを挟んでガスコンロと流しがあるキッチンに繋がっている。本格的な料理をするには向かず、腰の高さまでしかない冷蔵庫の中身も空に近い。電子レンジのオーブン機能も未だかつて使われたことはなかった。
大きなソファーといい、数台のパソコンといい、二人で使うには十分すぎるほどで、その事実は暗に二人以外の人物の存在をにおわせていた。
ナイトはここが実家と言わんばかりに足を伸ばしくつろいでいる。手にタブレット端末を持ち、何の気なしに指を滑らせた。
「へー。洞窟に中世ヨーロッパ時代の服の痕跡。人喰い巨大蜘蛛伝説……。こわいなー」
世界のどこかの曖昧な情報。そんな電子の海に彼女は浸かる。彼女はひたすら情報を飲み込んでいく。
世界の天気は予想と変わらず。政治・経済はいつだって悪いことばかりだ。全国ニュースでは今日も誰かが血まみれで、芸能ニュースに切り替えれば興味のない色恋沙汰と宣伝文句で溢れている。地方紙も目立った記事はなく、裏社会の界隈へ足を延ばしても平和と言って差し支えない程度の事件ばかりだ。
情報を掬っては戻し、また掬う。他愛のない水遊びだ。
「ナイト、ちょっといいか」
スノーの呼びかけで我に帰る。手のひらの上の0と1はするりと零れおち、画面の向こうに消えていった。名残惜しくなどない。とるに足らないことばかりだ。
身体を起こし、座り直す。低めのソファーからスノーを見上げると、モニターから目を離した彼と視線が交わる。
「K市近代美術館の件だが、依頼主の事が知りたい」
彼女は記憶をたどる素振りさえ見せずに答えた。
「石村利明(43) 本名は小野田清二。その手の世界ではそこそこ名の知れた贋作家だよ。依頼内容は『憂鬱』に対する評価とK市近代美術館のセキュリティについて。なんなら彼の出生から現在に至るまでの経歴も言おうか?」
「いや、そこまではいい」
手元に置かれた書類に目を通す。ナイトの調べた『憂鬱』の評価が時系列に沿って列挙されていた。批判的な意見は当然あるものの、全体の意見からすれば少ないもので、価値が高いと判断してもいいだろう。
書類から目を離し、再びモニターを見やる。映し出されているのは美術館のセキュリティに関わる事項。入念に調べ上げた結果、致命的ともいえる警備の穴が露呈していた。
美術的価値とセキュリティ。彼の思考を先読みしたナイトが口を開く。
「盗んでほしいとは言われなかったよ。うちはあくまで情報屋だしね。盗むつもりなら腕のいいビジネス泥棒さんを紹介するって営業トークだけはしたけど」
「直接会っているのか」
「彼のアトリエにお邪魔したよ。あ、もちろん護衛として他のメンバーも同行させたから安心して。それでね、石村さんとは気が合ってさ、面白い話がいっぱい聞けたよ。そのおかげか今回の報酬金は多めなんだ」
「そうか……。一人で出かけていないならそれでいい」
二人の関係はあくまで仕事上のパートナーだ。お互いの行動を熟知しているわけではない。しかし、個人的な繋がりで依頼された仕事を別のメンバーが手伝うことはごく当たり前の仕組みになっている。今回もその仕組みは例外ではない。ナイトが受けた仕事をスノーが手を貸している状況だ。彼が依頼主について尋ねたのも今回はこれが初めてのことだった。
スノーは贋作家という言葉を反芻しながら、漠然とした疑問を投げかける。
「そいつは『憂鬱』を手に入れて何をすると思う?」
「贋作家の荒稼ぎの方法として考えられるのは、まず本物を手元において時間をたっぷりかけてコピーする。それから闇ルートで贋作を売りさばく方法かな。本物が表の世界にあるのに裏で本物と偽って捌けるわけがないからね」
「普通に考えたらそうだよな」
一人、思考を巡らすスノーにないとは首をかしげる。
「どうしたの?」
すぐに返事はなかった。彼は無言で席を立ち、ナイトの丁度対面の位置にあるソファーへ腰をおろす。徐に胸の内ポケットから財布を取り出し、三千円をガラスの机に放った。
「石村利明の情報を買いたい」
「今回の仕事絡みならお金は取らないよ。私が受けた仕事なんだし」
「仕事そのものはもう片付いているだろ。あとは俺の好奇心だ」
「そう? じゃあ遠慮なく」
ナイトが札を懐にしまい、タブレット端末をソファーに置いた。スッと彼女の内側から情報屋の顔が現れる。感情を切り離し、真実を見透かすような瞳をスノーに向けた。
「何を知りたい?」
「まず、住所と連絡先。よく行く店や行動パターン。取引先と手がけた作品。好みの芸術作品。好評悪評問わず周りから見た奴の人間像を教えろ」
「OK」
矢継ぎ早に出された質問にナイトはよどみなく答えていく。手元に資料の類はなく、記憶した情報のみでその全てを伝える。それはある種の異常さを伴った光景だった。スノーはその異常さに慣れているのだろう。怪訝な顔一つせず、ごく当たり前にメモを取り質問を重ねる。パソコンに記録した情報を引き出しているかのような作業はものの数分で終わった。
「お前から聞くべき情報は揃った。礼を言おう」
話を聞き終えると彼は立ち上がり、出掛ける準備を始めた。
ナイトはまだ話し足りないのか口を開きかけたが、結局何も言わずに口を閉じる。黒のジャケットを羽織る彼の背をみつめるだけだ。
パソコンデスクに置いたままの書類をケースにしまい、ついでにパソコンの電源を落とす。ファンの回る音が途切れ、室内に静寂がおとずれる。その空間にスノーの声はよく響いた。
「出掛けてくる。夕方には戻るから余計な事はするなよ」
「私がいつも余計な事をしているみたいに言うんだ」
「先月、取引先に送るデータを削除したのは誰だったか」
スノーの言葉に思わず顔を背け、下手な口笛を吹く。居心地の悪い空気に耐え切れず、そうそうに彼女は開き直った。
「あれは提出用だって知らなかったし、文字数にしてたった7万字だったじゃん。ちゃーんと一字一句違わず復元できたよ」
「それを余計な事と言うんだ。おとなしくしないなら縛り付けるぞ」
「わー緊縛って奴? えっろーい」
はやし立てるナイトに、スノーは氷のような眼差しを向ける。シャツのボタンを留めながら冷え切った声で告げた。
「逆さ吊りだな」
「……わりとすぐ死ぬ奴だね」
「そうだな」
スノーの表情が一向に変わる気配がなく、ナイトの背に冷たい汗が伝う。天井にはプロジェクターを固定する為の頑丈な金具が四つついていることを思い出し、慌てて笑顔を取り繕った。
「私、読書でもしていようかなー。ま、まだ読んでない本があるんだ」
「あぁ。大人しくしてくれる分には何も困らない」
「いってらっしゃいませー」