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西の分裂4

炎嘉が宴の席で焔と志心と共に酒を飲んで居ると、開が躊躇いがちに近付いて、膝を付いた。

「王。書状が参りました。」

炎嘉は、面倒そうな顔をした。

「なんぞ無粋な。宴の最中であるぞ?主はそのような事も弁えぬか。明日見るゆえ。」

炎嘉が手を振って開を追い返そうとするのに、焔が言った。

「弁えておって持って来るからには何かあるのではないのか。」と、開を見た。「誰からよ。」

開は、頷いた。

「龍の宮より。宛名の字が龍王様のものであり、御自らのお手であると慌ててお持ち致しました次第です。」

炎嘉の顔色が変わった。

「あの筆不精が?」と、急いで開から書状を引ったくるように取った。「…誠に維心の字。何事よ。」

炎嘉は開いて中を確認し、そうして、そのまま言った。

「…そうか、もう動いたか。」

志心が、案じるように言った。

「何を言うて来たのだ。公青の事か?」

炎嘉は、頷いた。

「主も知っておるか。やはり翆明を抑えようとしておるようよ。維心は急ぎ義心をやって紫翆を龍の宮へ囲う事にしたようだ。あれは翆明の妹を娶っておったが返してしもうておるだろう?ならば、次は紫翆を押さえようとすると読んだのだ。」

「己の地位が脅かされるなど考えもせなんだだろうしな。しかしそうなると、攻め入るやもしれぬぞ。今なら力で押さえ付けられると踏んでおろうが。」

焔が言う。炎嘉は、焔を見た。

「そうはさせぬ。主、綾は臣下の娘か。」

焔は、察して渋い顔をした。

「そうよ。主も知っておろうが。臣下の娘のために軍を動かす事は出来ぬぞ。」

炎嘉は、考えた。

「…だが、兄の母。」と、焔にずいっと寄った。「燐をあちらへ行かせよ。母の機嫌伺いだと申せ。なに、牽制するだけで良いのだ。何なら維織もついでに同行させても良い。鷲と月が繫がる宮に、公青も簡単には攻め入る事は出来ぬ。時を稼げ。その間に我ら考えるわ。」

焔は、気が進まぬような顔をした。

「あれは今、あまり政務には首を突っ込むこともなく、維織と仲良う穏やかにやっておるのに。だが、まあ主が言うのももっともぞ。戻ってすぐに行かせよう。というていきなりであったら不審ではないか。」

炎嘉は、首を振った。

「今にも翠明が公青の宮へ呼びつけられて、何をされるか分からぬのに。維心もそれを懸念しておるのよ。ゆえに急ぎ紫翠を手元へ囲ったのだ。とにかく焔、主、もう帰れ。」

焔は、大袈裟に傷ついたような顔をした。

「おいおい、このように夜更けてから我を追い出すとはなんということぞ。」と言いながらも、表情を険しくなった。「ま、そんなことは言っておられぬな。分かった、宮へ戻る。数日中には燐を南西へやるわ。」

焔は、立ち上がった。それを見た炎嘉も、志心も立ち上がった。

「我も様子を伺おうぞ。この中では我が領地が一番あちらに近いからの。戻る。」

炎嘉は、志心を見た。

「すまぬな志心。あれも恐らく主が気安いゆえ、有事の際には主を頼るやもしれぬ。すまぬが間に挟まろうの。どちらを選ぶかは、主次第ではあるが、主は間違うまい。」

志心は、その穏やかな顔を険しくして、炎嘉を見た。

「…そのように牽制せずとも、己の宮の立ち位置は知っておるわ。だが我とて、主らが間違っておると思うたら分からぬぞ。甘く見るでないわ。」

炎嘉は、少し驚いた顔をした。志心は、それを後目に踵を返して、出て行った。

炎嘉は、その背を見送りながら、ここ数百年はおとなしく穏やかで居たので志心が昔、あの辺りで暴れ回っていた事実を忘れていたと眉をひそめた。あれも長年生きているが、志心の父王、志幡(しまん)について、龍と鳥、獅子、虎と何度も戦を繰り広げたのだ。炎嘉も前世、志幡には手こずったものだった。維心ですら、面倒な動きをすると眉を寄せていたものだ。

炎嘉は、息をついた。志心には気を付けなくてはいけない。すっかり安心し切っていたが、あれも闘神として戦国の世を渡り歩いた一人なのだ。


義心に抱かれた紫翠が龍の宮へと着いたのは、その夜が更けてからの事だった。

維心と維月が居間でそれを待っていると、義心が紫翠を連れて、居間の戸を入って来て膝をついた。

「王。紫翠様をお連れしました。」

紫翠は、小さな体できちんと着物を着こなして、スッと背筋を伸ばして立っている。その目には、涙の跡も何も無く、この幼さでは考えられないほどしっかりとした視線を維心と維月に向けていた。

そして何より驚いたのは、山吹色の神に、紫の瞳で、それは美しい皇子だったことだ。燐を見知っていた維月は、確かにこれは燐と同じ血筋だ、と直感的に思った。

維心が、言った。

「よう来たの、紫翠。我が、この宮の王、維心。こちらが正妃の維月ぞ。主はしばらく、こちらで生活することとなった。主としても心細いであろうし、我が軍神の明輪の子、明蓮を宮へ召す手配をしておる。あれを話し相手に過ごすが良い。侍女もつけようと選ばせておったが…」

と、維月を顔を見合わせる。紫翠があまりに美しい顔をしていたため、翠明が奥が荒れて面倒がっていたのを思い出したのだ。そして、少し考えてから、続けた。

「…正妃の侍女に世話をさせようぞ。特別に奥宮に部屋を与えよう。」

維月は、微笑んで紫翠を見た。

「紫翠。私がしばらく母代わりに面倒を見まするから。何でも申して良いのですよ。」

紫翠は、維月を見て意外なことに、パアッと嬉しそうに微笑んだ。

「はい。よろしくお願いいたします。」

やっとしっかり歩けるようになったばかりだと聞いていたのに、ぴょこんと綺麗に頭を下げる。その愛らしさに、維月は悶絶しそうだった。

「まああああ…!」

袖で口を押さえて身悶える維月を見て、維心は、眉を寄せた。

「こら維月、幼子ぞ。」

維月は、驚いたように維心を見上げると、言った。

「まあ維心様、ついぞこのように愛らしい幼子を見ておらぬので。維心様の御子は皆、本当に愛らしいのですけれど、維明も維斗ももう大きくなっておりまするし、婚姻もまだで孫も望めぬのですもの。紫翠をお世話出来て、嬉しいのですわ。」

維心は、ため息をついた。

「まあ紫翠が寂しい思いをせぬなら良いが、主もあまり居間を空けぬようにの。我を放って紫翠の世話にかまけるでないぞ。」

維月は、苦笑しながらも、頷いた。

「はい、維心様。」と、紫翠に手を差し伸べた。「さあこちらへおいでなさい。このように遅い時間になってしもうておるし、もう休まねばね。」

紫翠は、ちょこちょこと歩いて維月に手を上げた。維月は、脇を持って紫翠を抱き上げた。

「良い子だこと。人見知りもなく綾様はよう育てておられること。」

維月は、上機嫌で紫翠を連れて脇の戸から奥宮を歩いて行った。維心はそれを見送りながら、もう一人ぐらい産んで置く方が良いか、などと考えていたが、義心が目の前に居るのを思い出し、表情を引き締めた。

「して、義心。あれからの返事は。」

義心は、懐から書状を出した。

「は。こちらに。」

維心は、それを受け取った。中を見ると、急いで書いただろう翠明の文字で、公青からすぐに来るようにと夕刻に書状が来たことを知らせて来ていた。翠明は、それに明日の朝行くと答えているらしい。

そしてその後に、驚くような美しい文字で、綾からの言葉も記されてあった。紫翠を、どうかよろしくお願い致します、と維月宛てに書かれたようだ。

やはり、綾は幼い頃から宮で育てられたので、それなりの教養を持っているのだなと思いもしなかった事に、維心は少し感心した。

維心は、顔を上げて義心を見た。

「やはり公青が会合後すぐに、宮へ呼びつける書状を送っておるらしい。翠明は明日行くと答えておると。」

義心は、スッと眉を寄せた。

「王のお考えが正しかったと。紫翠様を明日、宮へ来させよと申されましょう。」

維心は、頷いた。

「そうよな。さすがは公青、判断が速く対応も早い。だが、無理があったの。相手に不信感を持たれては事が思うように進まぬのに。あれにそれが分からぬわけはあるまいに。」と、立ち上がった。「全ては明日。主ももう任務を離れて良い。炎嘉も先ほど書状を返して来た。焔に根回しをしておいたと申しておった。少し志心を侮っておったとあれには珍しく悔やむようなことを書いて来ておったが、まあ問題ないだろう。志心は、確かに最近では大人しいがあれで激しい神。しかし、愚かではない。これまでの姿勢をそう簡単には崩さぬだろうよ。」

義心は、少し驚いたように維心を見上げた。

「志心様の事は、歴史書で見ておりまする。以前こちらの訓練場で見た時のあの動きはすばしこくしなやかで、月を思わせる厄介なもの。あまり敵にはしとうない神の一人でありますな。」

維心は、奥への扉へと歩きながら苦笑した。

「我もそのように。だが、負けるとも思うた事は無いがの。」

維心は、そう言って奥の間へと入って行った。

義心は、明日のために早めに休もうと軍宿舎へと足を向けた。

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