西の分裂2
居間に着くと、維心と維月は正面の定位置に腰掛ける。
兆加は、進み出て維心の前に膝をついた。
「王、翠明様は、何と?」
兆加が言うと、維心は答えた。
「会合の様子を教えて欲しいと。あれは、本日の会合に来ておらなんだ。だからこうして、会合の行われておる時間に宮へ書状を送って来れたのだ。」
維月は、目を丸くした。
「え、でも翠明は真面目に毎回会合に出て参っておると申しておられたのに。」
維心は、維月を見て微笑んだ。
「主、石から聞いておらなんだのか?我の胸にあったというに。炎嘉がそれを懸念して、わざわざ我を出迎えて到着口で待っておったのだ。公青が来ておった。そして、翠明は炎嘉に参加の意思を知らせて来ておったにも関わらず、来なかった。恐らくは、公青の差し金だろうとの。あれは、己の他の王が西の島で台頭するのを抑えようとしておるのだ。だが、それは我ら翠明に序列を付けた神に対する冒涜ぞ。なぜなら、我らが序列を付けたと言う事は、一人前の王として認めたということであるからの。しかも、あれは上から三番目。あちらで50もの宮を束ねておる手腕と実績をかってのことぞ。それを、また己の利で押さえて表へ出さぬなど、認めるわけには行かぬ。だが、面と向かってそれを問うたところで、公青はそれを認めぬだろう。翠明が、勝手に来ぬのだと言い切るはず。このまま放って置いたら、翠明は公青に討たれるやもしれぬ。何某か言いがかりをつけての。公青は、今翠明を脅威に感じておるのだ。その証拠に、この書状では翠明は公青から、その権利をはく奪されて公青に聞いてからでなければ他の宮を助けることが出来ぬようになったと書いてある。」
維月は、口を押さえた。会合のことを聞く頭を働かなかったので、聞いていなかったのだ。兆加も、それを聞いて厳しい顔をする。
「それは…最悪の結果でございまするな。しかし公青様も勝手でいらっしゃる。己が引きこもってご政務も放って置かれたのにも関わらず、それを代行して西を何とか回しておった、翠明様をねぎらうどころか、厄介者扱いなさるとは。しかし…公青様は、炎嘉様に迫る気の持ち主。これは翠明様には、お辛い事になりましょう。」
維心は、兆加を見た。
「そうはさせぬ。翠明のことは、ここで面倒を見て居った時から目をかけておったのだ。ようやくに序列を付けてやることが出来てホッとしておったのに、そのような勝手な勢力争いで失脚などさせとうない。なので、我と炎嘉は考えて、翠明一人ではなく、他の三方の王達にも序列を与えようという事になった。これで、西の島は公青と合わせて5強となり、翠明一人を消したからと、公青の元の政務が戻って来るわけではなくなるのだ。次の会合で、三人を召喚するように我が命じた。ゆえ、あれらに序列が付くことになろうぞ。」
兆加は、パッとは表情を変えた。
「それはそれは、我が王が命じられたのなら最早公青様にそれを妨げることは出来ますまいな。ならば、翠明様はしばらくはご安泰かと。」
維心は、首を振った。
「いや。このままではどちらにしろ翠明を狙って来ようの。表立って攻め込むことはせずでも、己の力をひけらかして、脅して支配することは出来よう。」と、じっと自分の手の書状を見つめた。「…紫翠は、まだ赤子であるが、確か賢しく育って来ておるのだと聞いておるが。」
兆加は、いきなり話が変わったので驚いた顔をしたが、答えた。
「は。しかし賢しいと申してあれからやっとしっかりと歩く事がお出来になられるようになり、幼児といったお年であられまするが。それでも、話す事はしっかりと理解し、受け答えも卒がないともっぽらの噂でございまする。」
維心は、頷いた。
「紫翠を預かると申せ。」兆加は、驚いた顔をした。維心は続けた。「龍の宮で王の礼儀をしっかりと教えて育てるのだと言わせるのだ。早い方が良い。書状を。兆加、今我が話したことを全て書き記し、その後に紫翠をこちらへ送って参れと申せ。何なら義心に書状を持たせてついでに連れて来させよ。綾はあちらに居た方が良い。焔にも書状を。いや、炎嘉ぞ。炎嘉に書状…あれは今、宴か。我が書く。さすれば宴の最中でも見ようほどに。紙を。」
途端に、侍女が慌てて紙を持って入って来た。他の侍女は、急いで墨を擦りながら入って来る。維月が慌ただしいことに目を白黒させていると、兆加も慌てて自分の懐から紙を出し、その場で必死に書を綴り出した。
維月は、筆を手にスラスラとそれは美しい文字で書をしたためている維心を見上げた。
「維心様、どうして紫翠でございますか?そのように幼いのに、母からお離しになるなんて。」
維心は、書き終わってそれを振って乾かすと、スルスルと畳んだ。
「今の翠明には、弱味があってはならぬのだ。折よく翆明の妹が公青に嫁いでおったが、奏を娶る時返しておるであろう。直に我が言っておることが分かるであろう。」と、書状を兆加に渡した。「これを炎嘉へ。急げ。翠明の所には義心を行かせよ。あれにもその意味が分かろうぞ。」
兆加は、自分の書状も書き終えると、ぴょこと頭を下げて、必死に駆け出して行った。その背を見送りながら、維心は、眉を寄せて呟くように言った。
「…間に合えば良いが。まあ何かあるとしても明日であろう。」
維月は、落ち着かない気持ちになって、維心を見上げた。
「維心様、翠明様に何かあると申されるのですか?公青様は、そのように早く何かなさると?」
維心は、維月を見た。
「本日、我と炎嘉があからさまにあれらを庇ったからの。公青があちらの島を支配して置きたいと思うておるであろうことは、我らとて分かっておるし、分かっておることを、公青もわかっておっただろう。公青は、奏の件の時も、我が手を貸したゆえ龍がまだ己の側についておるのだと思うておるようだったが、必ずしもそうでないことを本日知った。我は世を正しく太平に保つために動くのであって、誰かの利のためになど動かぬのだ。公青は、残念ではあるが半年も呆けた事で、あの大きな島を統治する権利を、剥奪されたのだ。当事者にそのつもりは無くとも、回りの状況は刻々と変わって行くものぞ。だが、宮は残るのであるから。それで満足せねばなるまいて。」
維月は、心配そうに袖で口を押さえながら、言った。
「困りましたわね…そう簡単に諦められぬものでしょうし。それでも回りの宮の世話などをしながら努めれば、公青様の気の大きさならすぐにご支配されるのではありませんか?」
維心は、それを聞いて苦笑した。そして、維月の頭を優しく撫でた。
「一度崩れた形は、簡単には戻らぬものよ。そうよな…人の世で言うたら、親の元を離れて自活出来ていた子が、無理に連れ戻されてまた不自由な環境に置かれ、何をするにも報告してからせよと言われたら、反発せぬか?嫌だと思おうの。その子の妻や子が居たなら、それらも一々夫の親に伺ってから何かをせねばならぬようなったら、面倒だと不満も募ろう。元の、自活していた時に戻りたいと、子も、その妻や子も思うはず。それと同じようにの、出来ぬと思うておったことが、やってみたら出来たのだ、翠明は。最初は代理のつもりであったろうが、長引くにつれてその方が楽であると本人も回りも思いだした。友の王ともうまく行く。前のように競り合うこともなく、相手は自分を頼って関係も良い。その友諸共また、不自由な立場へ戻されるのだと思うたら、誰もが面倒だと感じるであろう。いくら大きな力を持っていようと、楽な方向へと流れて行ったものは、元へは戻らぬ。余程無理に戻さぬ限りはな。」
維月は、それを聞いて黙った。維心の話は、とても分かりやすい。維月がどう言えば理解出来るのかわかっているので、いつも本当によく分かった。
でも、その内容はあまりうれしくないものだった。奏を失って悲しんでいたばかりに、公青は西の島を統治する力を失うかもしれない。いや、維心の言い方だと、もう失っているのだろう。
役に立たぬ王は要らぬ。碧黎も、そう言っていた。王とは、それほどに厳しいものなのだ。もちろん、自分の宮だけを見ている普通の王なら少しぐらい呆けていても大丈夫だったのだろう。だが、公青は西の島を統べている王だった。呆けることも許されない立場だったのだ。
「王も…生きておりますのにね…。」
維月が囁くようにこぼすと、維心は維月が理解したのだと知って、息をついた。
「ほんにな。こればかりは支配される方の神が決めること。王は王らしくあらねばならぬのだ。皆が理想とするの。」
維月は、頷いてため息をついた。そして、何のことだか分からないが、翠明の方の何かが間に合えば良いのに、と思った。




