陰と陽
龍の宮では、維心は嫌なことはさっさと済ませたいという気持ちから、維月はあっさりと炎嘉の所へ行き、そうして三日であっさりと帰って来ていた。
相変わらず龍王の石だけは絶対に離さず体につけて持っていたので、いつものように悲壮な気持ちを持つこともなく、その三日を待てたらしい。
維月は、案外に落ち着いている維心にホッとして、また宮で王妃の仕事に勤しんでいた。
そんな時、ふと空に何やら気配を感じて庭を振り返ると、突然に庭の芝の上に、碧黎の姿が現れた。維月は、いきなりだったので、一瞬何が起こったのか分からなかったが、すぐに父親が来たと急いで庭へと飛び出した。
「お父様!」
碧黎は、冷静に飛んで来る維月を凌いで受け止め、後ろへと勢いで吹っ飛ぶのは回避された。碧黎は、フーッと息をついて、言った。
「主はまた…それは条件反射なのか?なぜに我を見たら飛び掛かって来るのだ。こんな庭などで吹っ飛んだらお互い大怪我をするぞ。すぐに治るが。」
維月は、碧黎に抱き着いたまま、答えた。
「そういえばどうしていつも抱き着くのかしら。幼い頃からこうしておったので、癖のような感じかもしれませぬわ。もちろん、お父様を見て嬉しくて飛びついておる時もあるのですけれど。」
碧黎は、息をついて維月を下ろすと、手を取って維心の居間へと歩き出した。
「そのようだから維心に余計な心労をかけて、煩そう言われるのであるぞ?我とて主と触れ合っておったら心地は良いが、それでもそれでは維心も十六夜も良い気がせぬものよ。主もそろそろ弁えねばの。」
維月は、そう言われてしゅんとした。
「はい、お父様。」
碧黎は、途端に元気のなくなった維月が可哀そうになり、付け足した。
「まあ、二人の時なら良いから。分かったの。」
維月は頷いて、十六夜の名が出たので話を振ってみた。
「お父様…十六夜は、どうしておるでしょうか。」
碧黎は、片眉を上げながら居間へと足を踏み入れた。
「十六夜?特に変わったところはない。本日も午前の宮の会合に出ておった。主、月から話すのではないのか。」
維月は、頷いた。
「はい。ですが今までとはやはり違った感じで。余裕がないような感じなのですわ。里帰りなど今までと変わりませぬし、この間の里帰りでも、私がああして龍王の石になっても、普通に過ごしておりましたのに。」
碧黎は、維月と並んで座りながら、言った。
「そうよ。主が月から降りた以外は、変わったことなど何もないのだからの。我は主らが共に過ごすことまで禁じておらぬから。何でもまた、来月には戻って参るのだと聞いたが。」
維月は、それにも渋々頷いた。
「はい。十六夜がそれは何度も維心様に申して。これまで、一年ほど里帰りせずでも何も言わなかったのに、戻ってすぐから何度も申しておったのですわ。私もこちらでの責務もありますので、ひと月も宮を空けるとなると時期が悪いと断っておったのですけれど、毎日のように。なので、来月にと。結局半年経ってしもうたので、いつもの頻度と変わらぬのですけどね。」
碧黎は、考え込むような顔をした。
「やはり月の繋がりが無うなったので、不安なのだろうの。」
維月は、碧黎を探るように見上げた。
「それで…十六夜は、どんな具合ですか?お父様の評価は上がりましたでしょうか。」
碧黎は、維月を見た。碧黎には、維月の目が蒼と同じに見えて、苦笑した。
「我の目は厳しいのだ。確かに十六夜は、やっと責務と向きあう気持ちになったようぞ。だが、まだ結果が何も出ておらぬ。蒼にも同じことを聞かれたが、我が今まで甘やかせておったため、あれはゼロから始めたばかりぞ。十六夜と、同じぐらいの力を持つ維心が負っておる責務を思い出すが良い。十六夜は、維心にならねばならぬのだ。そして、蒼はその補佐であるから、炎嘉にならねばならぬ。というて、蒼にはそこまで強くは言わぬがな。主を十六夜との対に戻すのは、それからぞ。」
維月は、息を飲んだ。十六夜を、維心様と同じになんて。
「そんな…とても無理ですわ。維心様は前世からずっと神世を統治して参った王の中の王。十六夜は、月でしかありませんのに。」
碧黎は、首を振った。
「違うぞ、維月。十六夜は、前世我が維心の代わりにしようと思うて生み出した命。だからこそのあの力と、不死の命なのだ。だがいつまで経ってもあの調子ゆえ、維心が死ねずにずっと君臨しておったではないか。あの二人は、同じだけの時を生きておる。なのに維心はああして王になり、十六夜は気ままなままぞ。そして、意識も低い。あれでは月で居る価値はない。これは前に言うた通りよ。我も子がかわいいゆえ、長く放って置いたがの、そろそろ厳しくしても良いかと思うた。だからこそ、ここへ来たのだ。」
維月は、口を押さえた。これ以上厳しくなんて、どうするつもりなの。
「そのような…、」
維月が何と言って碧黎の気持ちを変えようかと口ごもっていると、居間の戸を開いて、維心が帰って来た。
「今帰った。」
維月は、急いで立ち上がって頭を下げた。
「お帰りなさいませ、維心様。」
維心は、頷いて手を差し出した。
「これへ。」
維月は、その手を取った。そうして、正面のいつもの椅子へと維月と並んで腰かけた。
「聞いておった。碧黎、十六夜に厳しくするとは?今もあれにとってはかなり厳しいとは思うが。」
維月が、横で心配そうに碧黎を見つめている。碧黎は、答えた。
「維月を対ではなくするというのは確かに厳しいと思うが、別に主と同じではないか。主は明確に維月と対だという形が無かったのに、維月を娶って仲良くやっておったのではないのか。十六夜は、その婚姻という繋がりだけでは満足せぬのか。我は、別にこれまで通りに過ごしておっても何も言わぬだろうが。」
そう言われてしまうと、確かにそうだった。婚姻関係は何も変わらないのだから、同じように過ごしていいのだ。ただ、対でなくなっただけで。
「確かに…そうではあるが。維月が月であろうとなかろうと、我は別に良いのだが、しかし十六夜が落ち着かぬのも気になっておっての。里帰りも、頻繁に申し入れて参るし、しかし維月は王妃でやる事が山積しておるので、簡単に応じるわけにもいかぬし。」
碧黎は、首を振った。
「そんなことは我は知らぬ。主らで何とかせよ。我は約したことは違えぬ。あれが、今我が言うておったように主と同じだけのことをするようになったら、考えようぞ。」と、真剣な顔で維心を見据えた。「我は、もしあれが改心出来ぬようであるなら、主と維月を月へ上げて、あれを地上で依り代を与えて何某か他の責務を与えても良いと思うておる。」
維心も、それを聞いていた維月も、絶句した。
龍王を…この世を抑えている龍王である維心を、陽の月にしてしまうというのか。
維月は、あまりのことにはらはらと涙を流した。維心は、それにハッと我に返って、そうして維月の肩を抱きながら、碧黎に言った。
「我は、龍王ぞ。この身を捨てて、月へ上がるなど出来ぬ。確かに維月と対になるのは我とて夢見たことはあったが、それでも十六夜の居場所を取り上げてまでなど思うたこともない。あれが月から降りて、そうして何が出来ると申すのだ。月に居った方が、いくらか主の求めに応じるであろうぞ。」
碧黎は、また首を振った。
「そうではないのだ。維心、主が陽の月になれば、恐らく神世はもっと落ち着くだろう。主はそつなく世を見渡して、広くなった視野で厳しく治める能力を持っておる。なので、もし十六夜が不貞腐れて努力をしておらなんだら、我は有無を言わさずそうしておった。むしろ、今生なぜそれを思いつかぬでおったのかと思うたほどぞ。だが、あれは取り合えずやろうとしておる。ゆえに、今は保留しておるだけぞ。」
維月の涙が止まらないので、維心はそれを自分の着物の袖で拭いながら、戸惑いがちに言った。
「そのような…確かに、我は月になろうと同じように地上を治めようが、しかし…十六夜は、主の子であろう。それをそのようにつらい立場にするなど…なぜにそのようなことを申すのだ。」
碧黎は、鋭い目になった。
「維心、主らしゅうない。我は、考えを改めた。確かに維月と十六夜は我の命を分けた同族ぞ。それに惑わされておった。他の神なら、無駄な命の寿命などさっさと切って黄泉へ送り、その後転生してもそんな役に立たぬ命は重要な位置へはおかなかった。それなのに、我は己の手元にある命のことは、見ぬようにしておったのだ。これでは地上の命に責任をもっておる我が、他の命に申し訳が立たぬ。これまで目こぼししておったのだから、これからは十六夜のこと、厳しく見る。甘やかせはしない。あれが成せぬと見たら、主を月へ上げる。維月と共にの。それを心にとめておくが良い。」
維心と維月は、返す言葉が無く、二人で黙り込んだ。
碧黎は、それを見て言いたいことは言ったのか、立ち上がった。
「それだけ言いに参ったのだ。十六夜が、維心のようになれば良いだけのことぞ。ではな。」
そうして、碧黎は出て行った。
維心は、維月を見た。
「維月…。」
維月は、涙を拭いながら、言った。
「父は…恐らく、月の宮へ籠められた毎日の間に、考えておったのですわ。私たちの命が大切だと闇に取られるのを懸念して、ああして力を神世に示されたのに、そうしてご不自由なことになっておるのに、どうして十六夜にあのような…。」
維心は、息をついて首を振った。
「碧黎には、分かったのだ。碧黎が真に恐れておるのは、維月が消えること。」維月は、目を見開いて維心を見上げる。維心は続けた。「十六夜は、可愛くないわけではないだろう。だが、主の命を任せるにはあまりに浅はか。それは前から我も思うておったことで、だからこそ我が主を守っておる。碧黎もそれを許しておる。つまりは、我に主を守らせたら、それで仕舞いではないか。別に二人居らずでも良い。世を守り、主を守る我が居ったら、他に要らぬと思うたのだろう。だから、碧黎は我を陽の月にして、主を守り地を守る命にしたいと思うたのだ。あの結論に達した碧黎を納得させるには、十六夜に我のことを学べと言うよりない。」
維月は、維心を見上げて言った。
「そのような。十六夜には、無理ですわ。維心様と同じことなど他の神に出来ようはずはありませぬのに。確かに、維心様も十六夜も、同じ父が作った命ではありますが…。」
維心は、維月の肩を抱いた。
「我も、最初からこうだったわけではない。だから、碧黎が無理を言うておるのでもないのだと分かるのだ。だが、ここまで二千年以上の記憶を持っているのだから、今の我に追いつくには大変な苦労をするであろうの。困ったものよ…どうしたら良いものか。我とて、龍の身を捨てる気などない。我が眷属をどうするのだ。維明に任せて空から見守るのか。そうすると我は龍族を基本的に守るぞ。月が偏った気持ちで見て良いのか。ならぬと思うぞ。ゆえに、十六夜にはどうあっても碧黎が満足するように育ってもらわねば。少し、蒼に十六夜をこちらで教育するようにしてはどうかと打診してみるわ。我がどうにかするゆえ。そのように案ずるでない、維月。」
維月は、結局は維心頼みになってしまっていることに、そこで気付いた。神世のことで困れば、いつでも維心。蒼も、十六夜も、碧黎ですら維心に聞けという。そうして、維心はいつも、解決策を見つけて来る。維心だって、知らぬ事もあるのに、それでも間違わずに正解の道へと導くのだ。
「維心様…やはり無理ですわ。維心様に、こんなことまで結局は頼っておるのですもの。十六夜が、そこまでの神に育つなんて、いったい何百年かかるものか。父が、そこまで待ってくれるのかもわかりませぬわ。いつもいつも、維心様にどうにかしてもらっておって…頼ってばかりですのに。」
維月が、絶望的な顔をしているので、維心は慌てて維月を抱きしめた。
「我に任せよ。我も願わぬ未来など要らぬのだ。十六夜は我が何とかする。」と、腕の中の維月の顔を、じっと見た。「維月、主は碧黎をどうにか出来るか?我がいくらか十六夜を形にしておる間、主は碧黎の固まった意思を何とか溶かせ。主にしか出来ぬ。あれは、主の言うことしか今は聞かぬ。せめて、我らを揃って月へ上げる気持ちだけでも無くなるように、何とか説得せよ。月は十六夜ぞ。今は主が月へ戻ることより、我が月に上げられぬようにするよりない。」
維月は、それを聞いて頷いた。確かに、碧黎を説得するなら自分しかないだろう。十六夜のため、維心のために、時間は掛かっても、少しずつ気持ちを変えて行けたら…。
維心は、それを見てすぐに蒼へと書状を遣わせた。まずは十六夜を、龍の宮へ来させるのだ。




