動向
炎嘉は、維心をじっと見て自分の膝に肘をついて、その上に顎を乗せて言った。
「主、あれをどうするつもりよ。何かに気に入らぬか?我も何やらすげないのと思うておったが、ついに昨日、公青から聞いて参ったわ。」
維心は、ハッと気が付いた顔をした。
「ああ、そうだったの。まだ気取るまでしばらく掛かるかと思うていたが、もう聞いて参ったか。主に先に話しておこうと思うておったが、後手になったわ。そう、それはな、蒼と話し合って、公青があまりに呆けておるゆえ、政務に早う戻すために、不穏な動きを気取らせて、危機感を持たせようとしておることよ。いくら悲しんでおっても、宮は守れぬ。あれが王として終わっておらねば、宮の危機には政務に戻ろうが。そう思うて、あからさまにではなく、何とのう嫌がっておるような感じを演出しておるのだ。戻って後は、蒼は公青と友人関係に戻りたいらしいので、主、公青に良うしてやってくれぬか。それで、種明かしをする時には主の口から申してやって欲しい。さすれば信じようが。我もあまり不審の種は撒きとうなかったが、そうするより他あれを政務に引っ張り出すことなど出来まいが。」
炎嘉は、眉を寄せた。
「我ならうまく言いくるめようが、しかし今の状況では良うないの。」維心がまた眉を上げる。炎嘉は続けた。「翠明よ。あれは思うたより上手くやっておる。今ではあちらの島は翠明の元に回っておる状態ぞ。神世はとかく薄情で、それまでどれだけ世話をしてやっておっても、力を無くした途端に手の平を返したようになろうが。嘉張が調べて参ったところによると、公青が政務に見向きもせぬから臣下は公明に基本的なことを教え、あれが賢しいのを良い事に公明の判断で内勤を凌いでおるのだとのこと。公明は、分からぬことは父親が頼りにならぬので、翠明に問い合わせておるらしい。この半年で、公青が居らぬでも宮も島も回るようになってしもうておるのだ。」
維心は、椅子の背にもたれた。
「確かにの。頼りにならぬ王など、神世では王と認められぬからの。ならば公青の権力も危ういのか。」
炎嘉は、頷いた。
「今戻ってもどこまであれについて参ることか。宮は良いのだ、公明が賢しいとはいえまだ幼いのだから、公青が戻れば万々歳であろう。だが、島の他の宮ぞ。翠明は、公青ほど煩そうないようだ。だが、助けて欲しいと申せば、それなりのことをしよる。後は小さな宮では何とか回そうと努める。それで回り出したので、皆公青のように強権的な支配より、翠明のようにある程度放って置いて、困った時だけ何とかしてくれる王の方が、やりやすいと感じておるようぞ。四方の、甲斐、安芸、定佳もそうぞ。今まで定期的に公青に報告に上がる必要があったのが、今では己らが必要な時だけ翠明の宮へ集まって話し合えば良いのだ。大きなことは、翠明がこちらの会合に持って参って何とかする。ゆえに楽なのだな。」
維月は、口を押さえた。
「では…西の島が、割れそうなのですわね。」
炎嘉は、維月を見て頷いた。
「その通りよ。もう割れておると思うて良いな。中央の公明ですら翠明に頼っておるのだぞ?ならば皆、回りくどいことはせず直接翠明に話に行こうが。今、公青が政務に戻ったと言われて、誰が従うのだ。翠明は、少々面倒でも己の好きにすることが出来るようになった。回りの宮は、わざわざ翠明、公青という流れがなく、翠明だけですぐに用件を聞いてもらえる。定佳、安芸、甲斐は幼馴染で気安いので何を話すにしても翠明なら面倒がない。ゆえ、中央の宮は今や衰退しておるのだと思って良い。見た目は良くとも、水面下ではそういう状況ぞ。」
維心は、息を長く吐いた。
「まあ自業自得とはいえ、中央は飾りのような状態になってしもうたということであるな。ここから権力を取り戻すのは難しいであろう。これからは翠明が西への門になるのやもしれぬな。そうして、西の島では公青、翠明の二つの宮が並び立つような形になろう…こうなって来ると、安芸や定佳、甲斐にも序列をつけた方が良いの。このままでは公青は、翠明を討って、宮の権力を戻そうとするやもしれぬ。公明に、弱い宮を残したくはないであろう。それが、己のせいとなると尚更に。他の宮もそこそこ並べば、公青も全てを滅することはためらうであろうし、他の手を考えるだろうしな。」
維月は、息を飲んだ。炎嘉は、維心と同じように息をついた。
「そうであるな。困ったことよ。まあ、公青はもう、ぼうっとしておられぬわ。ゆえ、主らが何某か演じる必要はない。なので、蒼にももう、普通にしておって良いと申せ。それより、これからの西の島の情勢が不穏よ。よう見ておかねばならぬぞ、維心。公青は奏を失った後のショックが抜けておらぬのだ。何をしよるか分からぬぞ。今は、戦などしておる時ではなかろうが。西はやっと大人しゅうなったところなのに、今度はそれを治めていた公青が面倒なことになりそうよ。」
維心は、頷いて考え込んだ。炎嘉も、その前でじっとそんな維心の様子を見ている。
維月は、ため息が出るほど美しい二人の神を、同時にこうして眺めていられる自分の幸運に感謝した。本当に、この二人は月と太陽のような、違った美しさがある。炎嘉は自分が美しいのを知っていて、維心は自分の美しさを知らない。維月が二人に見とれていると、炎嘉がふと、こちらを見て、フッと口元を緩めた。維月は、びっくりして赤くなった。そう、炎嘉は知っているからこうしてピンポイントでこちらの気を惹くような視線を振って来る…。
「…そうよ、長く主と過ごしておらぬの、維月。待たせてしもうたが、宮も落ち着いた。これから参るか?いつなり我を見ておることが出来るぞ。」
維月は、赤くなった顔を押さえて下を向いたが、維心が慌てて言った。
「ならぬ!というか、その、約したことを違えるつもりはないが、今、こちらも困ったことになっておって。」
炎嘉は、維心を恨めし気に睨んだ。
「なんぞ?別に子を作りに行くというておるのではないぞ?ちょっと借りるだけではないか。何が悪いのだ。」
維心は、困ったように自分の胸を押さえていたが、そっと、そこから龍王の石のペンダントを引き出した。術が掛かっているので薄っすらと光っているそれは、以前見たより、妖しい美しさが増しているように見えた。
「それは、維月に与えたのではなかったか?いや、ちょっと待て、何やら力を感じるの。以前見た時より、美しくなったような。」
維心は、頷いた。
「これは、今、維月なのだ。」
炎嘉の目は、点になった。
「は?何を言うておる?」
維月は、見かねて横から言った。
「本当なのですわ。半年前に父が、十六夜が責務を果たしておらぬと申して。私を取り上げると月から降ろし、龍王の石を依り代にしたのですの。ですので今、私はこの石なのですわ。」
炎嘉は、呆然とその維心の手にある龍王の石を見つめた。確かに…維月の気配がする。
「なんということになっておるのだ!」炎嘉は、いきなり叫んだ。「なぜに知らせぬ!維月が月でなくなっておるなど、初めて聞いたわ!こんな…確かに美しいが、こんな小さな石であるとは!危のうてならぬ!」
維心は、何度も頷いた。
「そうなのだ。だからこそ、我が保護の術を掛けて、肌身離さず持っておる。この世で我の懐ほど、安全な場所はないゆえ。湯殿でも外したことはないぞ。」
炎嘉は、少し落ち着いたようだった。
「確かに主の懐ほど安全な場所はないの。なんと恐ろしい。まさかそんなことになっておるとは。」と、維月の手を取った。「維月、まあ石でも何でも良いわ。とにかく、また改めて迎えに参るゆえな。維心が本体を抱え込んでおるから、まず誰かに奪われることもないであろうし。それにしても、十六夜はどうしておるのか。気に掛かることよ。」
維心は、その手を横から振り払うこともしづらくて、仕方なくそのまま言った。
「毎日、月の宮へ降りては蒼と一緒に政務の話に付き合っているらしい。碧黎が許すまで、維月を返してもらえぬからの。里帰りも問題ないのだ。碧黎はそこまで禁じておらぬし、維月が月でなくなっただけだからの。だが、十六夜にしてみたら、対の命でなくなったのがよほど堪えたようよ。真面目に責務を探しておるのだそうだ。」
炎嘉は、維月を見つめながら、頷いた。
「ならば今は主も落ち着かぬの。だがしかし、いろいろあって長く一緒に居らぬし、一度我の宮へ参れ。維心も、今なら本体を抱えておるから少しは気持ちも楽であろうしな。数日中に日程を決めさせるわ。」と、維心をチラと見た。「維心、約したことぞ。分かったの?」
維心は、渋々ながら頷いた。確かに、あまりに長い間、炎嘉が何も言わないのを良い事に放って置いたのだ。今なら、炎嘉の言うように胸には維月の本体がある。だから、少しは気持ちも楽だろう。
「分かった。西の島のこともあるし、しばらくは落ち着かぬやもしれぬが、数日なら良いであろう。」
「三日。」炎嘉が言った。「もう二年近く来ておらぬのだからの。この間我が具合の悪い時は、計算に入れずぞ。我は一切手を付けておらぬしな。そういう心持ちでなかったし。」
維心は、顔をしかめた。
「分かっておるわ。いちいちうるさいの。こちらも心の準備が要るのだ!ではの、炎嘉。今日はもう良いだろうが。我も西の島の事を義心に調べさせねばならぬわ。対応を考えておく必要がある。」
炎嘉は、不貞腐れたような顔をして、椅子から立ち上がって維月の手を放した。
「またいつもながら勝手よな。せっかくに来てやったというに。だがまあ、我も西のことはもっと詳しく調べておかねばと思うておる。用も済んだし、戻るわ。ではの。」
炎嘉は、憮然として踵を返すと、居間を出て行った。
維月は、ふうと肩で息をつき、また懸念の種ばかりが増えていく、とうんざりしていた。




