龍王の石
十六夜は、どうなったのか分からずオロオロとする蒼には目もくれずに、そのまま光に戻って、月へと打ち上がって行った。
維月ももちろんのこともう、月へは戻れないので十六夜を追うことは出来ず、維心と一緒に蒼を促して、維心の対へと歩いた。
その道すがら、維心が事の次第を蒼に話して聞かせた。
なので維心の対に着いた時には、蒼は何が起こったのか大体のことは把握できていた。
維心と維月は、正面の椅子へと座り、蒼はその前の椅子へと腰かけた。
「ということは、母さんは龍王の石になったから、もう陰の月ではないんですね。」
蒼が言うのに、維心は頷いた。
「そういうことらしい。見たところ何も変わらぬし、気も大きな変化はないが、それでも碧黎がそう言うのだからそうであろうの。」
維月は、複雑な表情で維心を見上げた。
「間違いありませぬ。今まで月を使って地上を見ることが出来ましたが、全くできなくなりました。ですが先ほども申しましたように、大変に安定感があって、こちらの方がむしろホッとするような感じでございます。何かに包まれ、守られておるような。」
維心は、頷いた。龍王の石のペンダントは、龍の宮へ献上された、そこにしかないという龍王の瞳と同じ色の鉱物を、龍王妃の維月のためにと、加工させて持たせている物だった。他にもいくつか原石はあったが、一番大きい物をそうやって加工させたので、他は小さなクズ石のような物だった。それでも貴重で、維心は娘の瑠維にはそれでブレスレットを作って与えた事がある。確かに自分の皇女だと、証明するものだとして持たせていたのだ。
そんな稀少で貴重な物なので、維月もいつも肌身離さず身に着けていた。どこかに置いておくのは心配だったからだ。
それを、今は維心が首から下げて、持っていた。この世で一番安全な場所が、そこだと維心が言うからだ。
大事な維月を、誰かに盗まれでもしたらと思うと、維月に持たせておくのも怖かったらしい。
なので、維月の守られて包まれているというのも、あながち間違った感覚でもなかった。
「我が、命に代えてもこれを守るゆえ。主は案ずることはないのだ。それにしても、十六夜が案じられる。責務と申して、あれがこれまでそんなものに囚われず気ままにしておったのは事実であるし、今さらにそんなもの、探して果たすことなど出来るのか。出来なければ、維月はずっとこのままこの石ということに…」と、維心は自分の胸に触れた。「…ま、それも悪くはないが。我の手の中であるし。」
蒼は苦笑した。確かにそうなんだけど。
「今度は十六夜の精神状態が心配になってしまいましたね。公青のことが何とかなりそうだと思った途端にこれだ。」
蒼が息をつくと、維心も険しい顔をした。
「あれも早まったことを。碧黎にあんなことを言って、ただで済むはずはあるまいが。いくら親と言うて、あれは厳しい命ぞ。むしろ今まで、よう許しておったと思うほど。十六夜もそれを自覚して、己のやるべきことを探すことに前向きになってくれれば良いのだが。」
蒼は、空を見た。暗くなった空に、月が浮かんでいる。十六夜の気配はあったが、地上に意識を向けている様子はなかった。
「…困ったなあ。はぐれの神の事とか、いろいろ相談もしたかったのに。このままじゃ、月の宮の中がバラバラの状態で対応することになりそうだ。母さんは石になるし。」
蒼が維月に言うと、維月は悲し気に頷いた。
「ごめんね、蒼。不穏な気配はあったのに、それを話す前に十六夜があんな風に怒ってしまって。お父様も、朝に話したことを思い出して、堪忍袋の緒が切れたのでしょう。でもまさか、私を取り上げると言っていた方法が、月から降ろす事だったなんて。」
維心が、同情したように言った。
「あれが最も怖がっていたことぞ。維月と対だということが、あれの心を支えておったようなもの。それを取り上げられたのだから、今は公青並みにつらいであろう。十六夜も碧黎が親であるから、そこまでは無いだろうと甘えがあったのやもしれぬな。我ならあそこまで強く言えなかった。碧黎を怒らせたら、我などひとたまりもないことは分かっておる事であるからな。しかしこれからのことぞ。困ったもの。里帰りはどうする?十六夜と主がここで過ごすことは禁じられておらぬし、今まで通りで良いのだとは思うがな。」
維月は、首を傾げた。
「十六夜が降りて来ぬことには、私にも何とも。落ち着くのを待つよりないのかもしれませぬわ。どのみち観様がいらっしゃるのを、維心様はお待ちになるのでしょう?それから、龍の宮へ帰るのか考えてもよろしいかと思いまする。」
それに、蒼が思い出したように維心を見て言った。
「あ、そうだ、維心様。観が来るのは明日になりました。ですので、明日話をしようと思っているのですが、立ち合っていただけますでしょうか。」
維心は、頷いた。
「始めからそのつもりであったしな。では、我も観と同じだけ滞在を。あれが何日居るのが知らぬが、その間ここに居る。維月が帰れるのなら共に連れて帰るし、そうでないなら取り決め通り戻ってからひと月の日に迎えに参るわ。」
維月は、座ったまま維心に頭を下げた。
「はい。蒼のこと、よろしくお願い致しまするわ。」
維心は、維月の肩を抱いた。
「我に任せよ。」と、また自分の胸に触れた。「主の本体、絶対に落ちるなどということがあってはならぬから、宮へ戻ったら我立ち合いの元絶対に切れぬ鎖に換えさせようほどに。」
維月は、苦笑した。
「まあ維心様、細工の龍はそつがないので、今でも充分に切れるはずなどない物ですわ。そのように案じられては。」
維心は、ブンブンと首を振った。
「ならぬ。我は主を預かっておるのだ。今までこれほど危機感を持ったことはなかったわ。思えば主の本体が空にある時は、誰の手にも掛からぬと安心であったということが分かった。主の本体が地上にあるなら、誰の手にもかからぬように我が身に着けておるのが一番なのだ。ほんに維月が普通の神でなくてよかったことよ。それなら我は、維月の側をまさにひと時も離れられぬところであったわ。」
蒼と維月は、それを聞いて本当に普通の神でなくてよかったと思った。維心なら、本当に維月をどこにでも連れて行って側を離すことなど無いように思ったからだ。ストーカーどころでない事態になっていただろうことが目に浮かんだのだ。
「とにかく、細工の龍には宮へ帰ってからそのように。オレは、自分の対に戻ります。明日、観が来たらお呼びしますので、よろしくお願いします。」
維心は、頷いた。
「任せておくが良い。ではの。」
蒼は、立ち上がって頭を下げた。そして、少し疲れた様子で出て行った。
維心は、維月を見て立ち上がった。
「では、我らも休もうぞ。明日も務めがある。」
維月は、息をついて立ち上がりながら、言った。
「十六夜も気になりますけれど、では、そのように。ですがその前に、湯殿へ参りたいですわ。本日はいろいろと、疲れましてございます。」
維心は、ピタと足を止めた。
「湯殿…?主を持っておるのに、そのような。これは湯に漬けても大事ないものであったか。」
維月は、困ったように維心を見上げた。
「維心様、石でございますから。大丈夫ですわ。父がそんな脆いものに私を宿らせるはずもありませぬし。別に湯に浸かっておる間は脱衣所に置いておいてもよろしいかと思いますけれど。」
維心は、何度も首を振って抵抗した。
「ならぬ!大事な主の本体であるのに、放って置くなど!」
維月は、息をついて維心を促して歩きながら、優しく言った。
「では、保護の術を。維心様がお持ちになっておるのなら、それで私は充分に守られまするから。そう考えると細工の者に鎖を換えさせなくても、それで大丈夫なのではありませぬか?」
維心は、維月に並んで歩きながら、嬉しそうに目を輝かせた。
「おお!確かにの。主は利口であるな。ではこれには、我が保護の術を施して肌身離さず持っておろうぞ。では、湯殿へ参ろう。」
維月は、維心が落ち着いて来たので、ホッとして微笑んだ。
「はい、維心様。」
維心が、機嫌良く歩いて行く。
維月は、早く月へ帰れないと、維心がいつまでも神経質に龍王の石を抱き込んで大変だなあと困惑していたのだった。




