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依り代

夕方になって、十六夜と維心が、維月を訪ねて碧黎の対へと入って行くと、二人は居間の大きなソファの上で、すやすやと眠っていた。

もちろん二人共着物はきっちりと着ているし、ただ寄り添って昼寝でもしているような風情なのだが、何やら気に入らない気持ちになる。

十六夜が、声を掛けた。

「親父、維月に用があるんだが。」

すると、碧黎は気だるげに目を開いた。その隣りで、維月は普通に眠りから覚めて来たように目を開いて、擦った。

「あら…?十六夜?ええっと、維心様も…今、何時かしら。」

十六夜が、答えた。

「五時ぐらいかな。話があってさ。部屋へ帰らないか。」

維月は、まだぼうっとしてるのか、言われるままに立ち上がった。

「わかった。お父様、それでは私はお部屋へ帰ります。」

碧黎は、まだ自分はソファに横になったまま、頷いた。

「またの、維月。我はこのまま休む。」

そう言うと、碧黎はそのまままた目を閉じた。維月は、十六夜を見上げた。

「十六夜、行こう?」

十六夜は、維月の手を取った。そうして、維心もその隣りに並び、三人でそこを出て、維月と十六夜の部屋へと戻って行った。


その道すがら、十六夜が言った。

「維月、昼寝してたのか?昨日も良く寝てたのによ。」

維月は、首を振った。

「違うの。お父様が最近、命を繋いでないからっておっしゃって、それで横になっていたのよ。夜だと十六夜がうるさいからって言ってらしたけど、ほんとに寝てるだけなのにね。朝、あれからだから、ええっと、あれが9時だから…8時間?あんまり覚えていないけど、それぐらい。またしばらくこんな機会はないだろうからとおっしゃってたわ。私からは心を繋いでおったような記憶しかないのだけど…お父様は、とても疲れたっておっしゃってたわね。」

維心と十六夜は、顔を見合わせた。それがもし、夜のアレと同じだとしたら、確かにぶっ続けで8時間は疲れるだろう。

だが、あくまでも二人は寝ていただけで、体など合わせてはいなかった。維月の着物は、これっぽっちも乱れておらず、碧黎は十六夜と維心に約束した通り、神世の婚姻と言われる行為は全くしてはいないのだ。

その証拠に、碧黎の気も全く維月に残っていなかった。

碧黎は命を繋ぎ、維心と十六夜は、体を繋ぐ。その他は求めないと決めたとはいえ、十六夜は何やら複雑な気持ちだったが、維心は気にしていないのか、十六夜と維月の部屋へ到着してすぐに、公青のことを維月に説明した。

「維月、決めて参った。しばらく月の宮と龍の宮の公青に対する対応を素気無くして、何かあると考えさせる事にした。それで少しは危機感を持つはずぞ。探り出したらあやつも政務に気を向けた証拠ゆえ、しばらくそうしてあれが本調子になるのを待つ。それで良いか。」

維月は、驚いたような顔をした。

「え、あ、そうでしたわ。ありがとうございます、維心様。お考えくださいましたのね。ならばそれが良いようになるように、願いますわ。」

どうやら、維月はそういう事を忘れていたらしい。十六夜は、横から言った。

「お前、大丈夫か?怒って出て行ったんじゃなかったのかよ。何年も離れてたみたいな顔して。」

維月は、困ったように十六夜を見た。

「ごめんなさい、頭がぼうっとして。あの時は、怒ってたわけじゃなかったの。そもそも私も悪いのだもの、お父様にまるで私が責められているように思うってお話して…その後話していたら、忘れてしまっていたわ。今維心様がお話し下さって、思い出したくらい。」と、維心に頭を下げた。「維心様、あの時は話が進まないとあのように申して申し訳ありませんでした。ですが無事に話がまとまって、良かったこと。」

維心は、頷いて維月の手を取った。

「良いのだ。我ら皆の前で煩う申してすまなんだの。ならば、今宵は共に過ごそうぞ。機嫌が直って良かったことよ。」

維月は、微笑んだ。

「はい、維心様。」

十六夜は、黙っている。維心は、そんな十六夜をチラと見た。

「なんぞ?結局一言も無しではないか。主が謝るとか言うておらなんだか。」

維月は、碧黎が何やら躾けると言っていた事を思い出し、気になって十六夜の顔を覗き込んだ。

「十六夜?どうしたの?あんな風に言ってごめんなさいね。私…、」

十六夜は、維月を睨むように見た。

「…親父と命を繋ぐってのは、そんなに良いのか。オレ達の事を忘れるぐらい?」

維月は、びっくりして口を押さえた。

「え…そんな、心が繋がるようにしか感じないの。良いとか悪いとか分からないわ。ただ、記憶が混ざるから、直後は混乱して…、」

十六夜は、首を振った。

「親父があんなに疲れてるのに、心を繫ぐ程度だって?維心が心を繋いだ後疲れ切ってるのを見たことあるか。オレは?なのにお前は、その程度だって言うのかよ!」

いきなり叫び出したので、維月はびっくりして身を退いた。維心も、急いで維月を袖の中に庇った。

「何を言うておるのだ十六夜!その事は解決しておるだろうが!価値観が違うのだと申したであろうが!」

十六夜は、維心のことも睨みつけて、怒鳴るように言った。

「お前は生身の体があって、やろうったって命なんざ繋げねぇんだからいいよ!オレはな、同じことが出来る同じ命なのに、それが出来ねぇんだぞ!親父の方が、同族の中じゃあ維月に近いって事じゃねぇか!お前にオレの気持ちが分かるってのかよ!」

維心は、グッと黙った。確かに、維心から見て出来ないことをいくら妬んでも出来ないのだから仕方がないと妬む事もなかった。だが、十六夜は違うのだ。それを禁じられていて、出来ない。やり方すら分からないのだから、やろうにも出来ないのだ。

維心が、困って袖の中の維月を見下ろすと、維月は涙目になって維心を見上げている。維心は、仕方なく言った。

「十六夜…その問題は、解決したのだと我は思うておった。維月の価値観は、違うのだと納得したのではなかったか。それをこんな風に蒸し返されても、維月も我もどうして良いのか分からぬ。ならば碧黎に談判せよ。維月だって我らが勝手に決めておるのに、どうしてよいのか分からぬではないか。確かに我は命を繋ぐことは出来ぬ。この身があるからの。なので気持ちが分からぬと言われても、どうすれば良いのか分からぬわ。そも、主は維月にどうして欲しい。己の希望を申すが良い。」

維月は、それを聞きながら維心の袖の中からそっと十六夜を見ている。十六夜は、その目を見返しながら、戸惑うような顔をした。どうして欲しいって…?そんなもの…。

すると、居間の戸がスッと開いた。三人がそちらを見ると、そこには碧黎が着物を着換えた状態で、険しい顔をして、立っていた。

「お父様…。」

維月が、呟くように言う。碧黎は、黙って入って来ると、十六夜を真っ直ぐに見て、言った。

「まだそのようなことを申しておるか。維月のことは、維心も言うたように解決しておるのではないのか。我は主らが維月に触れると諫めたか。約したことを守って体など繋いでおらぬわ。それに、我はあれから維月と命を繋いでもおらなんだのだぞ?本日が二度目のことよ。その度にこうやって騒がれたら、維月も我も面倒でやってられぬわ。たかが数年に一度のことで。」

十六夜は、碧黎を睨んで言った。

「だからなんだってんでぇ!オレだって、親父と同じことが出来る命なんだぞ!維心は違うから聞き分けいいだけじゃねぇか!オレと維月は(つい)なんだろうが!親父が割り込んで来たんだろうが!」

碧黎は、ため息をついた。

「前にも申したの。ならば我も維月と、主らと同じように婚姻関係になるわ。さすれば対等ぞ。それで良いの?」

それには、維心が首を振った。

「ならぬ!それでは我が対等ではないではないか。我だって、後から割り込んだと言われても維月を愛してここまで守って来たのだ。たまにやって来て過ごすのとは違うわ!」

十六夜が、維心を見て怒鳴った。

「あのな!お前に許してやったのはオレだぞ!大きな口を叩きやがって!」

維心は、怒鳴るような育ちでは無かったので怒鳴りはしなかったが、負けじと言い返した。

「それでうまく行っていると言うておったのは主ぞ!今生は我の妃として入ったのが始めで主は後からではないか!いつまでも許しておるとか言いおって!気ままにもほどがあるわ!」

十六夜が言い返そうとすると、碧黎がそれを遮るように手を上げた。その殺気だった様に、さすがの十六夜も、ハッと我に返ったような顔をして、黙った。碧黎は、それを見てから、口を開いた。

「…そう、気ままよ。我も気ままであるが、責務は忘れたことはない。維心も維月に関しては無理を言うが、それでも責務を果たしておる。十六夜、主にはそれが無い。我も、それが気になっておったところ。朝、維月と庭で歩いておる時もそれを言うておったのだが、やはり躾けねばならぬな。」

と、黙ってただ涙を浮かべて見ている維月に、歩み寄った。そうして、維心に頷きかけると、維心は仕方なく袖から維月を出した。維月は、小刻みに震えながら、碧黎を見上げた。

「お父様…十六夜は、悪気はないのですわ。私が我がままなのですから、どうか、あの、穏便に…」

碧黎は、そんな維月に、首を振った。

「あの時も言うたの。十六夜は気ままというて生きておるだけの存在なのだ。大きな力を持って生まれたものは、それなりの責務を負い、そうしてそれに縛られるもの。我とて同じ。地上を守っておるのだ。十六夜にはそれがない。本来生きておる価値すらない。」

それを聞いた、維月も維心も、十六夜もショックを受けた顔をした。碧黎は、手を上げた。

「主を月から降ろす。十六夜が責務に忠実に生きるようになったら、また戻そうぞ。主を陰の地にしても良いが、そうすると陽蘭がはじき出されて本格的に黄泉へ参る事になろうし、あれにとっては箔炎と同じ所へ逝けて万々歳やもしれぬが、我に決められることではないゆえな。だが命だけだとふわふわして心もとないであろうし、別に依り代を与えようぞ。」

十六夜は、呆然としている。維心が、慌てて言った。

「そのような!そんなことをして、維月の命に何が起こるか分からぬではないか!」

碧黎は、維心を見た。

「我が維月に何かあるようなことをすると思うてか。そも、月へ上げたのは我。案ずるでない、滅多な事はせぬわ。」

碧黎の手の先が、薄っすらと光り始めた。そこで我に返った十六夜が、必死にその腕を掴んだ。

「分かった!これからは親父が言うように責務を探してそれを果たすようにするから!面倒だとかもう言わねぇよ!だから維月を月から降ろさないでくれ!」

碧黎の手の光は、どんどんと大きくなった。

「ならばそれを見せよ。さすれば戻してやろうぞ。今まで甘やかせ過ぎたのだ。何も成さない命に、褒美を先に与えておるような状態であったゆえの。取り返したければ、それなりのことをするが良い。維心とて、その働きで維月を手にしておる。主は何を成した?」

十六夜が答えに窮していると、碧黎の光は維月を捉え、そうして月から何かの光が維月に向かって落ちて来た。

「あ…!」

維月が、ふらりとふらつく。維心が慌ててそれを抱きとめ、悲壮な顔で維月を覗き込んだ。

「維月!ああ命をどうにかするなど…!」

維心は、心労で気を失いそうな顔をしながら、維月を抱きしめる。碧黎は、そんな様子を無表情に見ていたが、そのまま、その光は徐々に収束して、そうして、維月の胸の辺りに消えた。

一瞬の事に、十六夜もただ、立ち尽しているだけだった。蒼が、何事かと部屋へと駆け込んで来るのが分かったが、そちらを見ることもなかった。

「維月…!維月…!しっかりせよ!」

維心が、泣き喚かんばかりの声で必死に維月を揺する。

維月は、普通に目を開いた。

「…私…特に苦しくもありませぬ。月から降りて来たような、そんな感じなだけでございます。」

まるで茶でも飲んでいたような軽い感じで語る維月に、維心はホッとして、涙を浮かべたまま、頷いた。

「良かったことよ。碧黎が失敗でもしたらと案じてならなかったが。どこも何ともないか?」

維月は、維心に抱かれたまま、ゆっくりと体を起こした。

「はい。特に何も。むしろ依然より、地に足をつけておるような安定感が。」

碧黎が、それに頷いた。

「さもあろうな。地上の我の上にある安定した鉱物に宿ったからぞ。本体が地上にあるのだから、そう感じるであろう。」と、維月の首の辺りから、鎖を引き出して、いつも身に着けている維心にもらったペンダントを見せた。「これぞ。龍王の石。主は今、これに宿っておる。維心も言うておったが、世に他にない稀少な鉱物よ。主が宿ったことで、更にそうなったがの。しばらくは、これに入っておるが良い。滅多なことでは砕けぬが、心せよ。砕けたら面倒な事になるゆえな。」

維心は、維月を抱きしめながら、碧黎を見上げた。

「面倒な事とは何か?」

碧黎は、維心を見た。

「主の身が砕けたらどうなるか考えたら分かるであろうが。不死であるから命だけが出て死ぬことは無いが、依り代を砕かれることで記憶も砕かれてしまう恐れがあるのだ。なので、面倒だと申した。」

維心は、慌ててそのペンダントは維月の胸元に突っ込んだ。そんなことが起こってはと思ったらしい。

蒼と十六夜が、呆然と立っているのに、碧黎は向き直った。

「さて、維月は龍王の石になった。月には、今十六夜一人ぞ。まあ問題ないであろうが、陽が陰を守るという責務は無うなったのであるから、その他の責務は簡単に務められよう。せいぜい励むが良い。」

碧黎は、そう言うとさっさとそこを出て行く。

蒼が、訳が分からないままに、十六夜と碧黎の背を何度も代わる代わる見た。

「え?どういう事?母さんが、龍王の石?え?」

十六夜は、そこに座り込んだ。

維心と維月は、困惑した表情で顔を見合わせた。

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