そして月の宮
維心が月の宮へと近づくと、気取った蒼が到着口へ出て来て待っていた。
維月は居ない…恐らく、朝早いのでまだ寝ているだろう。維心は、帝羽と共に到着口へと降り立つと、蒼の前に立った。
「維心様。」蒼は、頭を下げた。「母さんはまだ寝ていて、オレが出て来ました。もうすぐ、律と簾を連れた隼人も公青の宮から来る予定なんです。」
維心は、頷いた。
「書状を読んだ。主もまた面倒を引き受けようとしておるようだの。はぐれの神に手を付けようと思うておるとか。」
蒼は、苦笑した。
「十六夜が、どうしてもと。オレも気にしていたことだったし、今は碧黎様も常にここに居るので、何か出来るかもしれないと思って考えているんです。律や簾なら、そのただ中に居た神達なので、きっといろいろ助言してもらえるんじゃないかと思って。公青も困り切っていたし、引き受けた次第です。」
維心は、奥にある自分の対へと歩き出した。蒼も、それに従って歩き出す。帝羽は、後ろをついて来ていた。
「月から聞いたが、永からいろいろ聞いて十六夜は己でも責任を感じておるようだ。確かに天上から全て見ようと思えば見えるのに、そういう神は見ておらなんだと思うのは分かるのだが、しかしの…はぐれの神のことは、我らも前世より何とかしようと考えて、成せなかったものの一つなのだ。難しいことになるやもしれぬぞ。」
蒼は、それは聞いていたので、自信なさげに下を向いた。
「はい…神世の王があえて避けていたことに手を付けようとするのですから、恐らく一筋縄では行かぬだろうと思っております。」
維心は、その様子を見て、ため息をついた。
「そうよな…では、獅子の宮に問い合わせをせよ。」蒼が眉を上げる。維心は続けた。「憶えておらぬか?我が前世見つけた獅子族の生き残りの皇子が、そういったはぐれの神の束ねておったではないか。ゆえ、あれを復権し、今でも観は存命で、王よ。元は皆、はぐれの神達の宮をよう律して回しておるわ。あれに話を聞けば、うまくやる策も考えられるのではないか。」
蒼は、ぽんと手を叩いた。そうだ、そうだった。龍の宮南側結界外に位置するかつての無法地帯で、隠れ住んでいた観が発見されて宮を与えられ、復権した。なのであの辺りは今、龍の管理下ではあるが、獅子の領地とされていて、治安が良くなった。あの辺りのはぐれ神は皆、獅子の宮へと入り、入らなかった者は観に全て殺されたのだ。つまりは、完全に観が監視して治めているのだ。
「そうでした!観が居た。すっかり忘れていました。最近ではすっかり王だし、元からあの辺りの領地を治める王って意識になってしまっていて。」
維心は、歩きながら苦笑して蒼を見た。
「まあ数百年経つとそうなるわな。だが観のお陰で、我はあの辺りを案じておらずで済んだので助かったのだ。同じことが他の所で出来るかというとそれは無理なのだが…観は、王の器でさすらっておったから、あれが出来たのであるが、他の神ではああは行かぬ。なので、他の方法を策すよりないのだが、観ならいろいろ知っておるだろうし答えられると思うぞ。」
蒼は、暗中模索な気がしていたが、そんな身近に専門家が居たと明るい表情になった。
「はい!ありがとうございます、維心様。」
維心は、あまりに素直なので、その表情にまた苦笑した。
「主は変わらぬな、蒼。王になって長いのに染まらぬわ。」
蒼は、維心相手だと思わず素になるのに、慌てて表情を引き締めた。
「も、申し訳ありません。維心様には気やすいので、つい。」
そして、頬をパンパンと叩く。維心は、それを見て堪えられずに声を立てて笑った。
「おお、ほんに主は維月の前世の子よ。やることがよう似ておること。良いのだ、維月の子なれば我の子のようなものであるしの。我も主は、我が子のように思うておる。気にするでない。」
すると、進行方向側から遠く、声が聴こえた。
「維心様ー!」
維心は、すぐに振り返った。長い回廊の向こう側から、維月が軽く浮いて飛んで来ていた。
「おお維月!」
維心は、同じように飛んで、維月と回廊の真ん中で抱き合うと、くるっと宙で回って勢いを逃してから、床へとふんわりと降り立った。いつものことだが、たった七日離れていただけで、何年離れてて再会したのかという大袈裟な再会の様子だった。
蒼はいつものことなので見慣れていて、邪魔をしないように遠めにそれを見ていた。帝羽は、横でどうしたものかと立ち尽くしている。
維心は、もう維月しか見えていないのか、全く蒼と帝羽が居るのを気にしている様子はなく、維月をしっかり抱きしめてから、口づけて、言った。
「なんとよう七日も主を見ずにおれたものよ。もっと見せよ、側に参れ。」
維月は、フフフとくすぐったそうに笑った。
「まあ維心様、こうやって抱き合っておってこれ以上お側に参れませぬのに。それに今維心様の気を感じて目を覚ましたばかりで飛び出して来ましたので、お手水もまだですの。戻って着替えて参りますわ。」
維心は、それでも維月の肩をがっつり抱いたまま、首を振った。
「良い、せっかくに会えたに。我の対にも主の着物があろうが。そこで着替えれば良い。さあ参ろうぞ。」
維心は、そのまま維月を放すものかと抱え込んで歩き出す。維月は困りながらも、そのまま歩いて一緒に維心の対へと歩いて行った。
蒼はそれを見送って、隼人が律と簾を連れて結界を抜けたのを感じて、苦笑して帝羽に頷き掛けると、帝羽を連れてまた今来た道を戻って行ったのだった。
到着口に到着すると、嘉韻が隼人を後ろに立っていて、蒼を見ると膝をついた。
隼人もそれに倣い、律と簾も同じように膝をつく。
蒼は、帝羽を後ろに、言った。
「嘉韻。案内ご苦労だった。」
嘉韻は、頭を下げた。
「は。隼人が公青様からの書状と共にこの二人を移送て参りました。」
蒼は、隼人を見た。
「では、書状をこれへ。」
隼人は、進み出て膝を付いたまま蒼に折り畳まれた紙を差し出した。
「こちらでございます。」
蒼は、それを受け取って中を見た。公青の字ではなかったが、昨夜言っていた事と同じ事が書いてある。
要は蒼に、どうにでもしてくれという内容だった。
蒼は、それを嘉韻に渡して、隼人を見た。
「あい分かったと伝えよ。二人はこちらで責任を持って預かるゆえに。」
隼人は、頭を下げた。
「は!それでは、よろしくお願い申し上げまする。」
そう言い終わると、隼人は立ち上がって、到着口から飛び立って行った。
蒼は、律を見た。
「律。」
律は頭を下げたまま、答えた。
「は!」
「簾。」
簾は同じく頭を下げて答えた。
「は!」
蒼は、二人を見下ろして言った。
「公青は、主らを生かす事にした。オレもそれが正解だと思いたい。なのでこれより一年の間、主らの働きを見たいと思う。はぐれの神でも、どれほどの事が出来るのか、主らはオレに証明して見せねばならぬ。それによって、月の宮は現在不遇に暮らす神達を、どのように扱って行くのか考えたいと思うておるのだ。主らの立場は重大ぞ。神世の全ての神達が、主らの様子を見ておるだろう。主らは、オレに仕えて生きて行く心積もりはあるか。」
律が、膝を進めた。
「は!我は、これより月の宮蒼様を王と頂き、心よりお仕えして参りまする。」
簾も、同じ様に言った。
「我ら、これよりはこの月の宮のため、神世の不遇な者達のため、一心に仕えて参りまする。」
嘉韻も、帝羽も黙って姿勢を正してそれを聞いている。
蒼は、そんな二人をじっと見ていたが、頷いた。
「…まだ不安のようよな。しかしそれは己らがどこまで出来るのかという不安であって、我らを謀ろうとしておる気ではない。」
二人が驚いた様に顔を上げると、嘉韻が言った。
「我が王蒼様には、月の結界の中、間近に見た神達に邪な思いの有る無しが見え申される。王を謀る事は出来ぬのだ。」
律と簾は、呆然と蒼を見上げた。蒼は言った。
「良い。では主らに軍に居場所を与えよう。序列は最下位から始まるが、努めれば上位に上がることが出来よう。まずは我が軍神筆頭、嘉韻について参るが良い。」と、嘉韻を見た。「嘉韻。宿舎に部屋を与えよ。本日から任務を振り分けるが良い。後は主に任せる。」
嘉韻は、頭を下げた。
「は!」と、立ち上がった。「では、律、簾、こちらへ参れ。」
二人は、躊躇いがちに立ち上がった。取り調べも何も無く、いきなり軍へ入れてもらえるのか。
蒼は、その様子に苦笑した。
「オレに取り調べなど必要ないんだ。何をして来たかはもう知っておるしな。それよりどこまで出来るか見てみたい。これからの行いぞ。ではな。」
そう言い終えると、帝羽に頷き掛けて、蒼は踵を返した。
律と簾は、その背にもう一度頭を下げて、全ては自分達のこれからに掛かっているのだと、気を引き締めて嘉韻に従ってそこを離れて行ったのだった。




