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悲しみを

次の日の朝、維心が居間へと出て来ると、兆加が待っていて文箱を手に頭を下げていた。

維心は、正面の椅子に座り、言った。

「誰かが何か言うて参ったか。」

維心が言うと、兆加は頭を上げた。

「はい。蒼様から夜明けに書状が参りましてございます。」

「蒼から?」

維心は、文箱を受け取ってそれを開いた。

中に入っている折り畳まれた紙を持ち上げると、維心は、それを開いた。そうしてスッと視線を動かすと、すぐに下ろした。

「…公青は律と簾を蒼に任せることにしたようだ。」

兆加も、驚いたような顔をする。

「それは…はぐれの神への対応の件と関係があるのでしょうか。」

維心は、首を振った。

「いや。全く関係無くもないが、しかし公青は蒼に丸投げしたのであるな。あれも、己の感情で二人を殺したくて仕方がなかったが、その後に何が残るのか考えた時に、何も残らぬのを悟ったのだ。だからせめて王として、間違っていない方向で進めようと考えたらしい。だが、己で世話をする気力が無く、蒼に頼んだようであるの。」維心は、そこで息をついて、兆加を見た。「もしも我なら、気力どころかまともに会話も出来なんだであろう。前世維月が先に逝った後、呆けてしもうて政務は全て将維に任せておったしな。なので、公青の気持ちも分かる。どうしたものか…蒼は、何とかしてやれたらと申しておるが、我にも何も思いつかぬの。」

兆加は、気の毒そうに顔を曇らせた。

「はい。王の前世の事は、我も覚えておりまする。しかし公青様には公明様しか皇子は居らず、まだ10と幼いのでそれもお出来にならぬでしょう。案じられまする。我にも、落ち着かれたら他の皇女でもご紹介する他ぐらいしか、御慰めする方法は思いつきませぬが…しかしあれほどにご執心の妃を亡くされたのに、そのようなことで御慰め出来るのかとも…。」

維心も、それには頷いた。

「そうであるな。我もそのように。新しい妃など思いもせぬだろう。余計に心が重くなるだけぞ。あれがその気になるまで放って置く方が良い。だがしかし、西の島を統治しておるのだから、あれも長く籠っておる場合でもなかろうに。」と、維心は額に手を置いて顔をしかめた。「ほんに、享はどこまで面倒なことをしてくれたのだ。後始末が面倒で腹が立つことよ。」

兆加は、それを聞いて膝を進めた。

「王、そのことでございまする。」

維心は、うんざりしたようにチラと兆加を見た。兆加は続けた。

「王が決して口外してはならぬとおっしゃっておった、享の術の件でございまするが。我が宮では一切誰もそのことについて話す者は居りませぬが、どこからか漏れておるようで。炎嘉様が復活なされたのが、その術のお陰であることは、誰もがもう、知っておるとみて間違いありませぬ。」

維心は、想定していたことだったので、息をつきながらも頷いた。

「まあそうであろうの。誤魔化すことは出来ぬだろうと思うておった。」

兆加は、頷いて先を続けた。

「しかし、どこの宮でもその術の詳しいことは知りませぬ。知っておるのは、開と嘉楠の二人でありました。他、我が王と、義心。その事実は、誰も知りませぬ。神世の噂では、軍神の一人がその術を知り、炎嘉様の許可なく施して、そうしてその術諸共死んで参ったという形になっておるようです。なのでその術の存在は知られ申しましたが、その術そのものを知っておる者は、もうこの世には居らぬということになっておりまする。」

維心は、それを聞いて少しほっとしたような顔をした。

「うまくとどめたもの。しかし、開が筆頭重臣であるのは誰もが知ることであるし、筆頭軍神が知っていて、筆頭重臣が知らぬということは無いだろうと思われる可能性もある。開には、重々身辺気を付けるように申した方が良いな。術を知らぬ者は良いが、知る者は狙われよう。義心に密かにあれに忠告してやるように申せ。」

兆加は、深く頭を下げた。

「は。では、王は本日お出かけになるということですので、御前失礼致します。」

維心は、立ち上がって言った。

「月の宮へ。何かあれば知らせるが良い。すぐに戻って参れるゆえ。帝羽を連れて参る。義心に連絡を。維明に代行をさせよ。」

兆加は、頭を下げ直した。

「は!」

そうして、出て行った。維心も、やっと維月に会えると、帝羽が後ろから来るのを感じながら、居間の窓から飛び立ったのだった。


律と簾は、龍の宮で拘束され、その後公青の西の島の宮へと送られた時点で、もう命は無いものだと思っていた。

だが、そこでも王に目通りすることなく五日も地下牢で捨て置かれ、出されたのでいよいよかと腹をくくっていたのに、またその宮からも連れ出されるようだ。

隼人という軍神が無表情でやって来て、出ろと言われてついて行くと、そのまま宮の出発口へと引き出されたのだ。どこかで切り捨てられるのかと思っていたら、公明が走り出て来た。

「律、簾!」

二人は、驚いて振り返った。

「公明ではないか。主、このような場へ出て参って良いのか。この宮の皇子なのだろうが。」

公明は、二人に駆け寄って、首を振った。

「良いのだ。我らは、約したこと、守ったぞ。明蓮も、同じく我らが主らと約定を交わしたことを話しておった。龍王が主らを移送して来る時に、父上にその旨も合わせて書状に記して参ったのだ。ゆえに、我と臣下が父上に嘆願を。主らは、生きて月の宮で償うことになった。」

律は、驚いたような顔をした。

「我らの助命嘆願を?そのような…主の母を、殺したのであるぞ。」

公明は、驚くほどしっかりとした顔をしたかと思うと、またゆっくりと首を振った。

「我の母を殺したのは、享ぞ。主らは、命じられた通りに動いただけ。我には、それが分かっておる。享が死んだ今、我には恨む者などもう残ってはおらぬ。主らが我らを守ったおかげで、神世に闇が復活する危機から逃れたのだ。その事実は、充分に主らが生き延びる意味になる。だが、今まで何も考えずに享などの言いなりになっておった罪を償いたいと申すなら、月の宮で他の神のために努めるが良い。月の宮は、はぐれの神の事に向き合って参ろうとしておるようぞ。ならば、主らがその力になれると我は思うのだ。その神達との橋渡しや、どうすれば相手が納得するかなど、主らにしか分からぬことがあろう。」

律と簾は、顔を見合わせた。たった10年しか生きていないこの皇子が、そんなことを考えたのか…この、僅かの間に。

律は、胸に何かがこみ上げて来るのを感じたが、グッと抑えて、言った。

「…なるほど、主とは血から違うのだな。我らなど、数百年生きてやっと己の過ちを悟ったのに。しかし主らのような神に従えば、神世は良くなるのかもしれぬ。主からの(めい)だと思うて、我らは月の宮で求められるなら仕えて参ろうぞ。」

公明は、少しほっとしたように頷いた。

「蒼殿は穏やかな王ぞ。きっと主らを悪いようにはせぬ。また、我も様子を見に参るゆえ。こんな子供の我に馬鹿にされぬよう、それまで努めて参るが良い。」

隼人が、じっと背後で公明が話すのを聞いて、待っているのを感じた。律と簾は、公明に膝を付いて頭を下げると、言った。

「公明様。それではこれより、その命に従って月の宮へ参りまする。」

公明は、少し驚いたような顔をしたが、皇子らしく会釈した。

「行って参れ。」

二人は、立ち上がって隼人を振り返った。隼人は、二人に頷きかけて、そうして月の宮へと、飛び立って行ったのだった。

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