被害者
永は、庭へ出てからも治癒の対に居る蕾から見えるような位置を歩いて、振り返りながら距離を測っているようだった。
そうして、ギリギリ見えているだろうという場所まで来てから、立ち止まって十六夜を見た。
「まずは、十六夜殿には礼を言わねばならぬ。王から、落ち着いたら我に軍へ参れと御役目を賜り、宮下に立派な屋敷まで頂いた。我は、そのような立場でもないものを。このように正式に月の宮へと迎え入れて頂けるとは。」
十六夜は、永を見た。
「立派ったって、普通の家だぞ?居間と風呂と寝室が三つだろ?それがここの標準の臣下の居住地だからな。軍でも上の立場の奴らなら、もっと大きな屋敷に侍女も侍従も居るからな。別にそんなに恩義を感じなくていいよ。」
永は、首を振った。
「我らのこれまでを考えたら。享に仕える前は、我ら空き家を整えて何とか住んでいるような状態だった。我が留守にしておったら、変な輩がやって来ては物も無いのに家を荒らして行くような場。蕾を地下に穴を掘ってそこに隠してから、出掛けるような毎日だった。享に仕えてからも、住む場所など与えられぬ。仕方ないので、享が潜む側の小屋に蕾を住まわせておった。満足に着物も与えてやれぬ上、誰が来るかといつも怯えておらねばならぬ。もちろん風呂など無いので湖で行水して、冬場はそれも出来なんだ。ここへ来てから、清々しい気に包まれ、新しい着物を身に着けて、誰も襲撃して来ることもなく、安心して過ごすことが出来る。蕾は、目に見えて顔色が良うなった。我は、心から感謝している。」
永は、薄っすらと目に涙を浮かべていた。十六夜は、戸惑った。はぐれの神のことなど、今まで考えた事も無かったのだ。それでも、こうして精一杯生きて来た。それなのに、誰も助けてくれることもなく、足掻いて、希望を捨てることもなく…。
「…オレ達にだって問題があるんだよ。お前達のような神が居るのに、知ろうともしていなくて。蕾もあんなに小さいのに、不自由な体で生きてたんだろう。不憫でならないって、蒼も言ってたんだ。」
永は、それを聞いて息をついた。
「王がそう言ってくださるのは心強いが、我らの数は多い。それに、宮へ入って王に仕えて真面目に生きて行ける神も、少ないであろう。気ままに生きるのに、慣れてしまった者達なのだ。全てを王に従って生きることなど、出来ぬだろうしな。我はどん底を経験しておるし、蕾のためにもこの生活を守りたい。ゆえ、王のどんな命にも従って生きる覚悟はあるが、何も持たぬ者達は、その限りではないからの。一概に我らを放置しておる王達を、批判することも出来ぬのだ。」
十六夜は、蒼が言っていたのと同じだと思って聞いていた。そのただ中に居た永が言うのだから、本当にそうなのだろう。
「ま、真面目にしてりゃあ、お前も蕾も平和に生きては行けるだろうよ。ここには、誰も侵攻して来れねぇからな。お前も、蕾の心配ばっかしてなくていいんだ。…だが、永、蕾はお前の何なんだ?拾ったって言ってたが、拾っただけでここまで面倒見るのか?嫁って言うには幼すぎるし、娘や妹にしては気が全く違うしって蒼も言ってたんだが。」
永は、それには一瞬、口をつぐんだ。
そして、じっと見つめる十六夜の視線から目を反らすように背後の庭へと視線を向けると、思い切ったように、言った。
「…軽蔑されようが、月に隠すことも出来ぬ。我は、享に仕える前は、あの辺りに住まうはぐれ神の集団の中に居た。そこの長は、身の回りの物を揃えるのに、何でもやった。それこそ、その辺りの集落を襲って盗賊のようなこともしたし、神をさらって来いと言われたらそれもやった。我も、特にそれが悪いことだと思わずに、皆と悪行の限りを尽くしておったのよ。生きるため、皆も必死だった。」
十六夜は、黙って聞いていた。確かに、そんな事があることは聞いて知っていた。永は、先を続けた。
「そんなある日、長がまとまった着物が手に入ると、妊娠している女を数人探して来いと命じた。さすがに妊婦を殺すのは我らも良い気がしなかったが、殺すのではないのだと言う。なので、我らも言われるままに三人ほどの女を探し出し、連れて来た。もちろん、皆はぐれの神の、さらい易い女達だった。」永は、息をついた。後悔しているようなのは、その声の重さで分かった。「そして、長は三人を連れて行った。そして、その後気を失ってはいたが、特に何の問題も見当たらない女を連れて戻って来た。そして、我らに元の場所に返して来るように言い、我らもそれに従った。後日、その集落の辺りを飛んでいた時、その時の女を見つけたのだ…皆、もう出産していたが、子を連れていなかった。不思議に思うて調べてみたら、その女のうちの二人は、生まれた赤子がとても育たない気の量であったと、森の中へ捨ててしまったという。我は驚いて、その捨てたという場所へと行ってみた。すると…そこには、赤子が死んで土へ還ろうとしておった。我らがさらった女が生んだ子ばかりがそんなことになっているのが、偶然には思えなかった。我がそこで呆然と立っていると、そこに、最後の一人の女が、赤子を抱いてやって来たのと会った。その女は、我を見て怯えた顔をしたが、我がその赤子をどうするつもりだと詰め寄ったら、とても育たないので、捨てようと思うて連れて来た、と申したのだ。」
十六夜は、そこまで聞いて悟った。つまりは、その赤子は…。
十六夜の顔を見て、永は頷いた。
「そうよ。それが、蕾だった。」永は、下を向いた。「我は、偶然ではないとそれで確信した。長がどこかへ連れて行ったその時に、恐らく女達は何かされたのだ。だが、赤子には何の罪もない。我は、自分が面倒を見ると言って、蕾を抱きとった。そして、空き家を探してそこに蕾を隠し、長からどこへ連れ出したのか聞き出して、そうして享に行きついたのだ。」
十六夜は、絶句した。享は、そうやって命を吸い上げていたのだ。生まれた赤子の命は、半分ほどになっていたはず。
永は、体の横に力なく垂らしていた、手を握りしめた。
「我は、享を探った。あれが、術を施して己の命を繋いでいるらしいことは、最初の数年で探り当てた。だが、どんなに探っても、その術がどんなものなのか調べることが出来ない。ただ、赤子や胎児から命を吸い上げているだろうことは、定期的に赤子や妊婦を連れて来ることで分かっていた。我は、どうしてもその術を探り出して、奪い取った蕾の命を、享から吸い上げて取り返したいと思うておった。だが…ついに、それは分からず仕舞いだった。あれは、病ではない。命を取られ、あれは長く生きられないのだ。」
十六夜は、永の後悔をそれで知った。自分が蕾の母親をさらって来たせいで、蕾の命がああなってしまったことに、責任を感じているのだ。そうして、蕾を助けようと、享に仕えているふりをして、一生懸命術を探していたのだろう。
そして、あの時、月に向かって取引を持ち掛けたのだ。
最初から、永は享の事などどうでも良かったのだ。蕾の命さえ、長らえるなら。
「お前は、後悔してるんだな。」十六夜は、背を向けたままの永に言った。「蕾が自分のせいでああなったって。だから、どうしても蕾を、幸せにしてやりたいんだ。」
永は、十六夜を振り返った。そして、頷いた。
「我のせいなのだ。我が、何も考えずにあのようなことをしたばかりに。享などに命を吸い上げられて、本当なら健やかだったはずの蕾は、ああして不自由な体で生きねばならない。我に命を、せめてあれにやれたら良いのにと、思うたこともある。だが、どうしようもない。我には、そんな術はない。ならば、せめて残された生を、穏やかに過ごさせてやりたいと思う。」
十六夜は、何かの感情が胸の内から突き上がって来るのを感じた。はぐれの神を、放って置いたのはこんなにも罪なことなのか。オレは、神が人より優れていて、何でも思うままに出来るからと、それほどつらい思いをしている神など居ないのだと思っていた。事実、神は物を食べる必要もなく、自然の命の気を取り込んで飢えを感じることもないし、人が飢えに苦しむことがどれほどにつらいのか見て来た十六夜には、はぐれの神とは言って、それほどでもないと思って来たのだ。
それが、実際は他の神に襲撃されたり、生きるために襲撃して奪ったり奪われたり、幼いほどつらい思いをしているのだ。
「オレは…甘かった。」永が、驚いたように十六夜を見る。十六夜は、泣いているような声で続けた。「人より神が力があるし、放って置いても命の危機までないんじゃないかって。だから、気を入れて見てなかったのも事実なんだ。維心だって炎嘉だって助けようとしたが出来なかったと聞いていた神達だし、オレに何か出来るなんて思わなかったから。だが、蕾のことも、それにお前だって、きちんと生きてりゃ立派な軍神になれただろうに。そんな事をさせられて、その責任を負わされて生きなきゃならねぇなんて。他の神のことも、オレはこれから気を付けて見てるようにする。お前のような思いをする神が少なくなるように、もっと監視しておくよ。もちろんお前は、ここで仕えて生きてったらいい。オレがお前らをまとめて守ってやるから。安心しろ。」
永は、十六夜の真っ直ぐな気持ちが伝わって来て、また宮の方に背を向けた。そして、涙を流しながら、頷いた。
「我らのことは、感謝し申す。だが…はぐれの神達のことは。そのように、簡単に行かない事であるのだ。そこに居った我には分かる。だから、あまり主が気に病むことは無いゆえ。全ては、神世の王達に、少しでも、気に留めてもらえたらと思う。」
十六夜は、そっと宮の方を見た。治癒の対の、大きな窓の向こうで、治癒の神が蕾に何か話しかけて居るのが見える。
十六夜は、月として、小さな神達も見逃さないように、しっかりと地上を見下ろして行かなければならないと、今までのような気軽に生きているだけでは駄目なのだと、心底思っていた。




