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後悔

維月は、いつも炎嘉と共に歩く炎嘉の居間へと向かう回廊を、一人で歩いた。

奥宮へと繋がるその回廊は、庭の華やかな様が見えていつもなら心が明るくなる。

だがしかし、今は鉛を飲んだように、維月の心は重かった。

炎嘉の気質を表しているような、明るく華やかな庭は、今の維月にはとても重かった。臣下を大切にし、炎翔の代に分散していた鳥を集めては世話をしていた炎嘉が、誰よりも忠実な部下だった軍神の命を、体をもらって命を長らえた事実は、恐らく炎嘉には相当に重いものだろう。

どうやってその重りを取り去ろうと、維月はただ、悩んでいた。

そうやって歩いているうちに、居間へと繋がる大扉が見えて来た。

あの扉を抜けたら、奥宮だ。神の宮は同じような作りになっているので、龍の宮と同じように、奥宮の入口には王の居間があるのだ。

その扉を開いて、そっと中へと入ると、中には誰も居なかった。

そして、静まり返って来て生気を感じない。

維月はそこを抜けて、脇の扉から、炎嘉の奥の間へと足を踏み入れた。

そこには、炎嘉が寝台に横たわって眠っていた。脇には、治癒の鳥が二人ほど立って、炎嘉の様子を見ている。維月が入って来たのを見ると、二人は頭を下げた。

「維月様。」

維月は、軽く会釈を返した。

「炎嘉様は、まだ?」

二人は、頷いた。

「はい。ですがお体に異常は見当たりませず、ただ眠っておられるだけのようでございます。開様がおっしゃるには、夜にはお目覚めになるのではないかと。術が安定するとのことですので。」

維月は、黙って頷いて、炎嘉の側へと歩み寄った。炎嘉は、その見慣れた顔のまま、じっと目を閉じて穏やかに呼吸を繰り返している。これが、嘉楠の体である事実は、維月にも理解出来た。そもそもが、炎嘉がこの世に転生して来る時、記憶を残して置きたいからと、碧黎に相談して、死んだばかりの公李(こうり)の体に入る形で転生して来たのだ。その瞬間のことを、維月ははっきり覚えていた。公李の体は大きくなり、炎嘉の姿へと変化して行った。恐らくは、そのようなことが、嘉楠と炎嘉の間に起こったのだろう。

維月が近寄ると、治癒の鳥は側の椅子を維月が座るようにと脇へ持って来た。維月はそこへと座り、上布団の上に乗った、炎嘉の右手を握った。

すると、その手が握り返された。

「?炎嘉様?」

維月が驚いて炎嘉の顔を見ると、炎嘉は、スッと目を開いた。

「王!」

治癒の鳥たちが、声を上げる。炎嘉は、他には目もくれず、維月を真っ直ぐに見て、言った。

「維月…我は、我は嘉楠を…。」

維月は、急いで炎嘉をなだめようと、身を乗り出して炎嘉の髪を撫でた。

「分かっておりまするわ。炎嘉様、炎嘉様のせいではありませぬ。それが嘉楠の選択でありましたの。」

炎嘉は、首を振った。

「あの瞬間、我は嘉楠に命を返さねばと思うたのだ。そうしたら…うまく行かなんだ。気が付くと我は、嘉楠であった。体も動かせなかったが、我が命を返そうとしたことで、享の術に乗って我の命は嘉楠へと移ったのだと思うた。確かにあった嘉楠の気配は、それで消えて行った…。」

炎嘉の目からは、涙がこぼれていた。炎嘉は、維心とは違ってこういう感情の発露はとても素直だ。維月は、炎嘉の気持ちを思って自分も涙ぐみながら、炎嘉を抱きしめた。

「炎嘉様…全て、存じておりまする。ですけれど、嘉楠が望んだのですわ。炎嘉様、あなた様が生きてくださることを。そのように、ご自分をお責めになってはいけませぬ。どうか、嘉楠のためにも、生きて鳥たちを守ってあげてくださいませ。嘉楠が望んだのは、炎嘉様を王と頂いての、鳥族の繁栄なのですわ。」

炎嘉は、維月に抱き着いて、泣いた。

「維月…!維月、我は己のことばかりを考えておったのに…!そんな我に、あやつは命を取られてなんと不憫であることか…!その上、体までこうして奪われてしまったのだ…。我は、長く仕えてくれた臣下に、なんということを…!」

子どものように泣く炎嘉を前に、治癒の鳥たちはおろおろとしているばかりだったが、維月はひたすらに炎嘉を抱きしめて、その背を頭を撫で続けた。

そしてその気が、前世の炎嘉と全く同じ物であることが分かり、それに懐かしさを感じていた。

そう、龍になって龍の気配がしていた炎嘉は、すっかり鳥の炎嘉へと変わっていたのだった。


その知らせは、その日の夕方に維心に届いた。

維月が、維心に手紙を書いて帝羽に託したのだ。

思ったより早めに炎嘉が目覚めたのは良かったが、炎嘉の後悔の念は、遠く離れて気を探っていた維心にも伝わって来ていた。

なので、維月から連絡が来る以前に、維心はその気が前世感じていた鳥のものに変わっているのは知っていたのだ。

維心はため息をついて、昇って来ていた月を見上げた。

「…ということだ。真実炎嘉が戻って参ったということよな。」

十六夜の声が応えた。

《やっぱり。なんか気が違うって思ってたんだよ。龍だったあいつは不安定なところがあったんだが、今のあいつはお前並みに落ち着いて安定してるんだよな。嘉楠の体と命をもらったからああなったのか。》

維心は、首を傾げた。

「どうであろうな。我とて全て分かるわけではないが、炎嘉が使っておったのは死んだ公李の体だった。だからこそ、あれは龍として生きていた。だが、それを捨てて嘉楠の体に入ったと申すなら、鳥になってもおかしくはない。それにしても、己の全てを炎嘉に捧げて旅立ったとはの。嘉楠も、よう炎嘉に仕えたものよ。」

十六夜は、言った。

《他人事みたいに言うけど、義心だってお前がああなったらおんなじことするだろうと思うぞ?神世の軍神は、特に筆頭なんかはみんなあんなだ。》

維心は、息をついて睨むように月を見上げた。

「分かっておるわ。あれがどんなに我に複雑な気持ちを持っていようとも、あれの忠誠心を疑ったことはない。だからこそ、我はあれを筆頭据えておる。」と、またフーッと息を吐いた。「…だが、維月からの知らせでは、炎嘉はかなり己を責めておるようであるし…我もしばらく、我慢せねばならぬかと覚悟しておるところぞ。あれにはまだまだ生きてもらわねばならぬからの…神世が、変わろうとしておる時であるし。」

十六夜は、頷いたようだった。

《オレも信頼できる神が居てくれた方が心強いからなあ。炎嘉なら、付き合いは長いし維月の扱いも丁寧だし別にオレは悪かないと思うんだよ。夜はむしろお前より炎嘉の方が優しい感じとか言ってたしさー。》

それを聞いた維心は、見る見る表情を変えた。十六夜は、維心が珍しく物分かりがいいので、つい普段は言わないことを言ってしまったと後悔したが、遅かった。

維心は椅子から立ち上がると、空に向かって叫んだ。

「なんぞそれは!維月は主に、炎嘉とのことまで話しておると言うか!我より炎嘉が良いと申しておるのか!」

十六夜は、慌てて言った。

《いや、だから違うっての!いいとか悪いとかじゃねぇよ!受ける感じだよ感じ!お前とオレの違いを聞いたんだが、お前ってとにかく激しいんだろうが。オレは優しいって話になって、炎嘉はどうだと聞いたら、炎嘉もあれで夜は優しいとか言ってたんで、維月は雑に扱われてねぇんだなって安心したってだけだ!お前がそんなだから普段からいろいろ言えねぇんじゃねぇか!いちいち怒るな!》

維心は、月を睨みつけて言った。

「それでも維月は、そんなことまで聞かれたら主に話すのだろうが。我には絶対に言わぬのに。」

十六夜の声は、呆れ気味に言った。

《今更じゃねぇか。維月はオレが聞いて言わねぇことなんてねぇよ。隠すなんてよっぽどのことだ。そもそもオレは、お前みたいに根掘り葉掘り聞かねぇし、維月が言いたいことだけ言わせてるんだ。お前はオレになれねぇし、オレもお前になれねぇ。そうやってやって来たんだろうが。もう気にすんな。》

維心は、それでもまだ何か言いたそうだった。だが、十六夜は話題を変えた。

《で、どうすんだ。公青から律と簾を引き渡せと言って来たんじゃないのか。事情は話したのか?》

維心は、仕方なくまた椅子へと座ると、答えた。

「…公青には、明蓮から聞いたことは一応知らせておいた。だが、子供との約定であるし、王妃を殺された公青の気持ちになるとの。あれが二人を約定に反して処刑しても、我は何も言えぬわ。我とて維月を殺されたら、それを匿っておる宮まで押しかけてでもすぐに殺しておった。公青がどれほどに奏を娶る時難儀しておったのか、我らは知っておることであるしな。」

十六夜も、それには反対出来なかった。いくら簾と律が不幸な生い立ちを背負うはぐれの神であっても、罪もない奏を殺したことには変わりない。公青がどんな沙汰を下しても、こちらは文句など言えなかった。

《オレも蒼も、今回はもう参ってるし、公青が何をやっても口出しはしねぇつもりだ。奏のことはかわいそうに思うし、公青だって公明だってそれは悲しんでるしよ。だがまあ、律と簾に関してはちょっと、生い立ちを知っちまったからかわいそうには思う、とだけ言っとく。》

維心は、頷いた。

「ああ。とりあえず、我はあの二人を公青に引き渡すつもりぞ。後は公青に任せようほどに。もし命を繋いだ時は、処遇はまた決める。」

十六夜の声は、頷いたようだった。

《その時はまた教えてくれ。じゃあ、維月がなんか呼んでるからあっちと話す。炎嘉の様子でも知らせて来ようとしてるんだと思うし。》

維心は、慌てて言った。

「何か改めて分かったら我に知らせよ。維月と直接に話せぬのだ。」

十六夜の声は、もう心ここにあらずだったが、答えた。

《あーわかったわかった。じゃあな。》

そうして、こちらには答えなくなった。維心は、これは炎嘉の方が長引くかもしれぬ、と覚悟した。子を成すとかそんなことも、今の状態の炎嘉は考えられないだろうし、維月と長く離れる事になるかもしれない、と覚悟するよりなかった。何しろ、今の炎嘉を癒せるのは維月しかいないだろうことは、維心には嫌になるほど分かっていたのだ。維心自身が、恐らくそうだろうから。

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