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炎嘉は、寝台に横になっていた。

真っ暗で、シンと静まり返っている。

昨日までは猛が側から離れず、その暗闇でじっとこちらを見つめて膝をついて控えているのが感じられて、落ち着かずによく眠れなかったので、今夜は眠れぬので寿命が縮まるわ、と言って追い出した。なので、ここには今、誰も居なかった。

本当は、この残りの10日は維月と共に過ごしたかった。ここに維月さえ居れば、と毎夜思って眠っていたのは確かなので、残りの命が少ないのなら、そんな寂しい思いもしたくないと思ったからだ。

しかし、維心が自分の命を惜しむあまり、飲み込むほどに愛して側を離さない維月と自分が子を成すことを許したと聞いた時、もういいと思った。

維心は、それだけ自分を大切だと思っていたのだ。

それを知った今、この命の終わりまで、維心に心労をかけて逝きたくないと思ったのだ。

だが、最後の三日になった時は、維月に会いたいと思っていた。

なので、その時は申し出ようと思っていた。

炎嘉は、このまま眠って目覚めなかったらと考えると、維月に会ってから死にたいと思う自分に自嘲気味に笑った。死にたいと言いながら、自分にはまだ、命を惜しむ気持ちがあるようだ…。

炎嘉は、そのまま目を閉じて無理に眠ろうとした。

そうすると、ふと、何かの気配がした。

猛ではない。炎嘉の命が縮むという言葉で、震え上がって猛は飛んで出て行ったのだから、明日の朝まで戻って来ることは考えられなかった。

炎嘉には、思い当たることがあった。なので、眠っているふりをして、そのまま寝台の上で動かずに居た。

すると、その気配は炎嘉の枕元に来て、そうして、そっと炎嘉の胸に手を触れた。

炎嘉は、スッと目を開くとその手を掴んだ。

「!!」

相手は、ビクッと身を震わせてをの手を退こうとしたが、炎嘉に捉えられて離れられる神など維心以外に居ない。炎嘉は、相手の顔を見て、言った。

「…開。我の(めい)を違える気か。主、己の命を使うつもりであろう。ここには他に誰も居らぬではないか。」

開は、炎嘉に手を掴まれたまま顔を歪めた。

「我が王よ。龍王様は神世の大きな力を持つ王達に伝達してその方たちに術を放たせようと思うております。ですがこの術は、我ら鳥であれば難なく習得できまするが、他の神には難しいだろうと思われまする。複雑な音調を使っており、我らでも何度も予行を繰り返して問題ないと分かってからでなければ使うことなど出来ないほど難しいもので、しかも間違えると、術者は愚か術の対象になっている者まで巻き込まれて命を落とすかもしれませぬ。そんなことを、いくら気の大きな王達でも任せることなど出来ませぬ。だからこそ、我が己でと。」

炎嘉は、体を起こした。

「ならぬ。我は臣下の命など欲しいとは思わぬ。他の臣下の命を少しずつでも分けてもらうことすら嫌であるのに。それでも、主らがそれで進めておるゆえ、どうしてもと申すならと考えておったまで。誰かをこの世から追い出してまで、我は命を繋ごうと思うておらぬ。主なら我の心持ちが分かろうと思うておったのに。」

開は、首を振った。

「分かりたいと思いませぬ。王、王は大変に貴重なお命なのです。臣下達も、わけを話すと我も我もと命を差し出して参りました。我ら、王の御ためなら黄泉へ参るのもいとわないのです。我とて、鳥も廃れ生きる希望もないと思うておる時に、王に見つけて頂いた。そうして、心細く命を繋いでおった鳥たちが、ここで王の御もとに集い、再び生きる気持ちになれたのです。今、王が居られなくなれば、鳥はどうすればよろしいのか。この龍南の宮で、龍王維心様に従って生きることに抵抗がある者もまだ、あれらの中にはおりまする。せめて王にお子が居られたら、それをよすがに我ら生きて参れまするが、それもない。せっかくにここで生きて行こうとしておる眷属達を、王は見捨てて逝かれると申されるのか。」

炎嘉は、いつもより長く、ゆっくりと噛みしめるように話す開を不思議に思ったものの、それも真実心から思っていることを炎嘉に訴えたいのだろうと判断し、言った。

「…子のことに関しては、我も心残りであるが、しかし我のように、中途半端に転生してしもうた神が、子など残してもとも思うのだ。我は今、龍であろう。龍の子は龍ぞ。真実、我の血を残して行けるわけではない。我は、この身に転生してしもうたが、今この瞬間も鳥ぞ。そういう意識しかない。我はの、死して黄泉へと向かい、そうして再び己を己として生きて行きたいのだ。龍としての生など、我は望んでおらぬのだからの。これは、この器しか無かったゆえに、転生を急いだ我の責であるし、一度全て終わらせてやり直してたいと思うておる。主らには、また我が生まれ変わって参るのを、待ってもらうしかないのだがな。」

開は、涙ぐんだ。炎嘉が言っていることは、開には苦しいほど分かったからだ。炎嘉が自分の体と心に違和感を持っていて、龍に転生したことを悔やんでいたのは知っていた。だからこそ、開も炎嘉を龍として扱ったことなど無かった。いつまでも敬愛する鳥族の王、炎嘉として見ていたのだ。

「…王。我ら、王が龍だなどと思うたことなどありませなんだ。龍であっても、王が王であれば我らは仕える意味をそこに見いだせる。どうか王よ、我の命を受けてくださいませ。我は、鳥族達のために、王に生き残って頂きたいのです。王がいらっしゃらない世など、考えられませぬ。」

炎嘉は、ふうとため息をついた。どう話せばわかるものか。昨日の夜猛も、開に術があると聞いてからというもの、自分の命を炎嘉にと煩かったのだ。

なぜに、死なせてはくれぬ。なぜに、我を引き留めて不自由な龍の身に籠めようとする…。

炎嘉が、とにかくは今夜は引き上げさせようと口を開くと、何か、自分の胸が詰まったような感じがした。

なんだ…?何かが、流れ込んで来るような?

炎嘉は、崩れるように胸を押さえた。開が、炎嘉の手から解放されて横に立っている。炎嘉は、胸を押さえたまま顔を上げ、開を見た。

「開…?主…しかし、何も…、」

そう、開は何もしていない。今まで、炎嘉と話していたのだ。その術は複雑な音調を使う必要があると、他ならぬ開自身が言っていたのではなかったか。だがそういえば、話しているその影に、何やら変わった音が混じっているような気がしなかったか?

開は、炎嘉を気遣わしげに見ながら、その体を寝台へと横にならせた。

「王、お許しください。確かに最初は我が密かにこちらへ参って、術をと思うておりました。しかし、それを知った者が、どうしてもと。王は、決して寝ていてさえも、我の術を気取られて遮ってしまわれると。その通りであり申した。」

炎嘉は、霞んで来る目を開に向けて、言った。

「…ならぬ。いったい、誰の命を…誰がこのようなことを…、」

開の目は、寝台の反対側へと向いた。炎嘉は、自然とそちらへと目を向ける。

するとそこには、嘉楠が何やらブツブツと唱えながら、もはや立っても居られぬような状態で、汗を額ににじませながら立っていた。

ふらつく体を支えようと、寝台の支柱の左手で掴み、それでも変わった音調をその口からまるで歌うように呟いている。

「主か…!ならぬ嘉楠…!」

嘉楠は、微笑んだ。そして、その最後に長く伸ばす美しい旋律を唱え終えると、その場に、バッタリと倒れた。

「嘉楠…!」

炎嘉は、必死に嘉楠の方へと手を伸べて、それと同時に気を失った。

その時、炎嘉の体から眩しい光が湧き上がり、嘉楠へと伸ばした手から何かが流れて行くのが見える。

「!!王!!」

開は、何が起こっているのか分からず、その流れ出るものを何とかしなければとその光に手を突っ込んだが、光は収まる様子もなく、そうしてそのまま、その光は消えた。

「王…!王…!」

開は、ぐったりと動かない炎嘉の体を見た。だがそれは、もはや何も感じられず命の兆しはない。

まさか…まさか嘉楠はやり遂げられなかったのか…!

開がその事実に愕然としていると、開の目の前で、炎嘉の姿は見慣れない小さな老人の姿へと変貌して行き、それが誰かと判断も出来ないで居る間に、塵となって霧散して行った。

「王…!」

開は、残った着物を手に泣き崩れた。嘉楠は、しくじったのだ。それとも、最期の最期で気が尽きて炎嘉に命を分けることが出来なかったのかもしれない。享のように自分に命を取り込むのとは違い、嘉楠は自分の命を与えていたのだ。そんなことが起こっても、おかしくはない…。

そして、床の上に崩れて倒れている、嘉楠の動かぬ体を見た。それでも、命を懸けて炎嘉を助けようとしたのには違いない。

開が、嘉楠の体を綺麗に横たえると、触れたその体には、力強く、命の気を感じられた。だがそれは、嘉楠の気配では無かった。

「…まさか…?」

開は、慌ててその体に手を翳した。その気を読むと、それは、いつも敬愛して感じ続けた、間違いない炎嘉の気だった。

「王…!」

開は、急いで気を使ってその体を寝台の上へと横たえる。すると、嘉楠の金髪は薄っすらと茶色味掛かった色へと変わり出し、体つきも見慣れた王の物へと変わって、気が付くとそれは、間違いなく炎嘉の姿に変貌していた。

開は、溢れて来る感情が何なのか分からぬままに、涙を流した。これは、王だ。王の命は、間違いなくこの嘉楠の体へと流れ込み、そうして、嘉楠は去って、炎嘉が復活したのだ。

開は、嗚咽を漏らしながら、何も無い宙に向かって言った。

「嘉楠殿。主が言うた通り、我一人では成し得なかった。王は、お命を繋がれた。礼を申す…鳥の眷属、全てから。」

嘉楠は、答えない。

術は、違った形であったが、成功していた。

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