術の記憶
維心は、足を奥宮へ戻る方向へと向けたが、そこに維月が居ないのを思い出した。今頃は、内宮の重臣たちの部屋で、一緒の術の巻物を調べているはずだ。
なので、自分も炎嘉の事をまず何とかしなければと、維心は碧黎の言葉を無理やり頭を振って振り払い、裁きの間へと足を向けた。ここに、義心と開が居るはずなのだ。
そこへ入って行くと、何やら開と話していた義心が、ハッと気づいて膝をついた。開も、深々と頭を下げる。
維心は、テーブルの上に記憶の玉が乗っているのをチラと見て、そして言った。
「記憶は見たか。」
開が義心を見たが、義心は真っ直ぐに維心を見上げて言った。
「はい。最近の物から遡って見て参りました。開が聞いて参った術の、詳しいやり方などそれで知ることが出来ました。」
維心は、頷いた。
「そうか。しかしあれはまだ話していないことがあるとか申しておったのではなかったか。」
義心は、開を見た。開は、頭を下げたまま言った。
「は。大筋は同じでありましたが、記憶を見て深く分かった次第でございます。」
維心は、また頷いた。
「申せ。」
開は、戸惑ったように頭を上げた。そうして、しばし考えてから、言った。
「…はい。あの、享が命を繋いでいた術と申すのは、赤子や胎児からその残りの生をもらうという許しがたいもの。というのも、世にある神の中でそれらが一番に長い時を持っておるからで、その気を奪うことで、その生を己のものにしてしまうという術でありまする。ですが、その赤子の気を全て取ってしまうと、赤子は死に、命を司る存在に気取られる可能性があるというので、享は決まってその気の半分を奪うようにしておったよう。ゆえに、あの辺りのはぐれの神の中では、気が少なく生まれながらに長く生きられぬと思われる赤子が多数生まれておりまする。はぐれの神は、己の命を繋ぐのも難しいような厳しい環境に居る者達。ゆえ、先がないと思われた赤子は、よう捨てられておったようです。死んだ者も多いでしょう。」
維心は、険しい顔をした。はぐれの神については、維心とて炎嘉とて、何とかしようと前世からいろいろと対策を練っては居たのだが、それでも、外で育った神は、王に仕えて厳しい決まりの中で暮らす事に慣れておらず、諍いを起こした。ゆえに、結局は自分の民を守るために結界外へと追放となり、それ以上対策出来ずに居たのだ。
「確かに…我も炎嘉も、そういう神が居ることは認識しておったが、どうにもならぬで放って置いたのも確か。そのような神が、犠牲になっておったのに知らぬでおったのは我らの責よな。だがしかし、享はその他にも術を使っておったのであろう。あれの気、その昔我が感じておったものと似ても似つかぬようになっておった。気の色を付けるのは、我らのような気が大きい神にか出来ぬもの。であるのにあれは、己を隠すためにそれを成しておったのであろう。」
それには、義心が答えた。
「は。あれは自分の気の色のままではバレると考え、時をかけて現にある術を組み替えて相手の気を取り込む時に、その色も取り込めるように謀っておったのでございます。ゆえ、あのように。」
維心は、考えたくもない程下等なことをしていたのをこれまで気付かなかったことを、口惜しく思った。そんな犠牲になった神が、いったい今まで何人居たのだろう。碧黎が、あれほどに怒ったのも道理なのだ。
「…主らにしても腹立たしいことであろうが、しかしあれは、これまでの神が受けた仕打ちの中で最も重い罰を碧黎から受け、消えた。どうなったかと知れば、少しは溜飲も下がろうぞ。」
険しい顔をしていた義心も開も、それを聞いて期待を込めた目で維心を見上げる。維心は、続けた。
「我に出来るのは、せいぜい痛めつけて殺すだけ。さすればその後、黄泉へと向かおう。それで終いぞ。だが、碧黎は違う。今までは何があってもそれは神のこと、主たちで解決せよと言うて来た碧黎が、此度は己で処断すると己から参って、そうして今、享は消された。跡形もなく、の。ま、抜け殻は残っておったが、すぐに霧散したわ。」
義心は、少し眉を上げた。開も、戸惑いがちに維心を見上げて、言った。
「龍王様、それは、殺したのとは何が違うのでしょうか。」
維心は、開を見た。
「今申したの。我が殺したら黄泉へ参る。碧黎が消せば、それは文字通り、消える。黄泉へも参らず、本当の無ぞ。命そのものが、消されるのだ。碧黎には、その力がある…我には無いがの。そこまでの権利が無いゆえな。」
義心も、それを聞いてハッとしたような顔をした。開も、その事実に驚愕した顔をした…そんなことは、考えた事も無かったのだろう。
「死は…極刑では無かったということに。」
維心は、頷いた。
「その通りよ。これより、我はこれを神世に告知せねばならぬ。今まで碧黎の力を真に知らずに居た者達も、それで碧黎を恐れるようになろう。これまでその力があったのに見せる事がなかった碧黎が、こんなことをして告知させようというのだから、此度のことがどれほど碧黎の腹に据えかねたのか分かろうほどに。」
義心は、納得したように、それでも考え込むように視線を落とした。開が、横で言った。
「ならばこれよりは、月の宮も面倒なことになるやもしれませぬ。」開が言うのに、義心が、少し驚いたように開に視線を向ける。開は続けた。「月と地は同じものとして神世では認識されておりまする。地と話そうと思うたら月に渡りをつけるよりほかないのは、誰もが知ることであって、しかしこれまでは地と話そうなどと思うものはおりませなんだ。だがしかし、これからは違う。地を怒らせたら怖いということを神世は知り申すが、同時に地が龍以上のことをする事実を知らしめることにもなり申す。ならば、嘆願の数や、何とか抱き込もうとする面倒な輩の出入りも増えて参るということ。龍の宮は、数千年もの間その状態であって誰もが慣れておりまするが、月の宮は違いまする。軍神の数も龍の宮はただ今5万、月の宮は増えたと申して5千。あちらこちらに軍神を派遣したりするには少ない数で、とてもではありませぬが龍の宮と同じことは出来ぬのではないかと。龍の宮も、我が王炎嘉様の南と、西に軍を分けておる上領地が広くあちこちに分散していて、今月の宮から他の宮のために軍を出して欲しいと申して来ても、出せる状態ではありませぬし。」
維心は、片眉を上げた。炎嘉がこの開を筆頭重臣に据えると言った時には若いと思ったが、炎嘉はあれは自分でも扱えるか分からぬほど頭が切れてその上軍神の真似事まで出来る奴なのだと笑っていたが、このことだったのか、と悟った。開は若いが、頭が良く博識でかなり先を読むことに長けているのだ。
「我も、それは思うた。だが、碧黎がそれを考えぬと思うか。」開は、それを聞いて息を飲んだ。維心は苦笑した。「地の考える事など、我にもはっきりとは分からぬ。だが、これは事実であり、闇という力を蘇らせる術など使う輩はこうなるのだと、それでも知らせねばならぬとあれは判断したのであろう。我も、此度のように無力感に苛まれるのはもうたくさんぞ。炎嘉の事といい、我ももう二度とこのようなことは起こらぬようにしたいと思う。ゆえ、碧黎に従うつもりぞ。」
開は、それを聞いて口をつぐんで頭を下げた。維心は、息をついて、続けた。
「…して。主は享の記憶から、何を学んだ。炎嘉の命を繋ぐ方法を、何か知ることが出来たか。享の術は、何かに応用できるのではないのか?」
開は、一瞬顔を上げたが、口を開きかけて、また下を向いた。維心は、怪訝な顔をした。
「…開?」
義心が、そんな開を見て、横から言った。
「王。確かに、享が行なっていた術は下等な神のなす術でありました。あの術は、腹の赤子から命を掠めておったものでありましたが、しかし開と考えた結果、あれは成人した神であっても、使えるであろうと。つまりは、本人の同意によりその命を少しずつ削るという形で、でございますが。もちろん、気の色は炎嘉様のものそのままで良いので、術を二重にする必要もないので、そちらは容易いように思えまする。」
維心は、考えるように眉を寄せた。
「それは…つまり、10人の成人した神から100年ずつなら1000年、とかいうようにか?」
義心は、頷いた。
「は。しかしながら、一度の術にかなりの気を消費致しまする。10人では術を放つ方ももたぬでしょう。だからこそ、享は一番寿命の長い赤子から半分という風に、多く取っておったようでありまするし。」
維心は、ため息をついた。
「ならば術を放つは我が良いか。我の気、ここならすぐに補充が追いつくゆえ無くなる心配などない。黄泉がえりなどもここで行うのはそのためぞ。」
開が、顔を上げた。
「いえ。いくら龍王様でも、あの術を度々には無理かと。命を力を使うので、本来なら己のために己の命を吸い上げるための術。我が王のために、龍王様のお命を削ることは出来ませぬゆえ。」
維心は、開をチラと見た。
「ならばどうするのだ。誰か一人では、炎嘉は承知しまい?あれは誰かの命を引き換えには生き残りとうないと申しておった。主、ゆめ己が身代わりになど考えるでないぞ。なぜに留めなんだと我があれに散々に文句を言われるゆえな。」
開は、グッと黙ってまた、下を向いた。義心が、その様子を見て、察したように維心を見上げる。維心も、そんな義心を見返してから、軽く頷いた。
「…しようのないことぞ。では、他の方法を探すか、何人かでこの享の術を受け持って術を放つか、その辺りで検討するとしようぞ。とりあえずは、一つでも方法が出て参ったのは重畳ぞ。炎嘉の命のためならば、蒼とて十六夜とて手を貸してくれようし、箔翔や志心や焔を呼んで代わる代わる術を放っても良い。誰の命をどれだけ分けるかは、主らが考えれば良かろう。どちらにしろ、あと七日。急ぐが良い。我も享の記憶をざっと見て念のため他の策もないか考えておく。」
維心が行って、踵を返す。
開と義心は、頭を下げた。
「は!」
維心は、そこを出て行った。
開は、まだ何か考えていた。




