自分のため
開は、早速維心に与えられた裁きの間へと義心と共に入り、急いで玉をテーブルの上へと置いた。
浮かせて中身を読むものなのだろうが、開は生憎そんなことを教えてくれる師も居らず、何でも自己流でやって来たので、こうするのが一番やりやすかったのだ。
義心は、そんな開のやることを黙って見ている。義心はいつも、余計なことは言わずに必要なことだけを言う軍神なので、開は助かっていた。神でもいろいろで、龍はあまり饒舌でも無く面倒なことを言わないので味方として接するなら本当に龍が一番に付き合いやすい。昔、龍に鳥が滅ぼされたのは知っていたが、それでもそれは、炎翔という王に代替わりして短気に面倒ばかりを起こしたせいだと開には分かっていた。龍と深く付き合ってみて、それは確信に変わっていた。炎嘉が、龍と穏やかにやっていたのも、そのせいだろうと思ってもいた。
開がそんなことを思いながら、テーブルの上に置いた玉に手を翳してみようとしていると、義心が横から言った。
「…これは、全ての記憶であるし、始めから見ておっては時が掛かって仕方がないと思う。最近の物から遡った方が効率は良いと思うが。」
開は、言われてみてその通りだと思ったが、記憶の玉自体を扱うのが初めてに近い状態で、どうやったらそうなるかがいまいち分からなかった。
義心はそれを察したのか、自分もその玉に手を翳した。
「では、我が。正面の壁に、最近の物から映し出すゆえ、主とそれを見ようぞ。我も王にご報告せねばならぬから、その方が都合が良いのだ。」
開は、黙って頷いた。義心が、大変に力がある軍神なのは知っている。炎嘉ですら、義心を軍神に持つ維心が羨ましいと言ったことがあるほど、義心は有能な軍神だった。
そんな開の気持ちなど知らず、義心は言った通り、正面の白い壁に、何かの映像を映し出した。
開は、それがこそが享の記憶なのだと、何も見逃すものかと必死に壁を凝視したのだった。
維心と共に碧黎が地下から上がって来ると、明輪が膝をついた。
「王。仰せの通り、朱伊と申す軍神は我らが始末を。他、律と簾と申す者達はどういたしましょうか。」
維心は、それには渋い顔をした。律と簾の生い立ちについては同情の余地があるものの、二人は公青の宮へと押し入り、正妃を刺し殺して皇子をさらっている。
確かに、その皇子を結果的に助けては居るが、それでも王妃の奏を殺したという咎は、受けねばならぬだろう。しかし、ふと思いついて、維心は言った。
「…明蓮は、何と申しておるのだ。」
明輪は、それを聞いて欲しかったらしく、顔を上げてすぐに答えた。
「はい。あれは、律と簾と取引をしたと。三人を助ける代わりに、命を乞いをすると。なので、気にしておりました。あれらは約した通り、最後は命を賭して新月様から三人を守ろうと向かって行ったということです。我らも見ておりましたが、確かに勝ち目がないにもかかわらず、二人は三人を守るために前に出た。そして、術に掛かった後の心構えを、公明様にも伝えたのだと聞いておりまする。」
維心は、眉を寄せて顎に触れた。
「確かに…約したことなら違えることは許されぬ。まして相手もそれを守っておったとなればの。しかし、我独りでは決められぬのだ。事は公青も関わっておるからの。奏を殺しておるのであるから、あれも心中穏やかでないはず。己で殺したいと思うておるのではないのか思うほどぞ。我なら、そう要求するであろうしの。…しばし待て。あの二人の咎は、追って沙汰する。」
明輪は、頭を下げた。
「は!」
明輪は、そこを立って出て行った。碧黎が、横から言った。
「主もいろいろと面倒を抱えておるが、維月の事は頼んだぞ。あれも、恐らくもう持たぬ和奏のこともあるし、ここ最近のことで参って来ておるであろう。十六夜ですら、時にぼうっとしておるぐらいぞ。炎嘉のことがひと息ついたら、月の宮へ一度返してやるが良い。あれも月であるし、本来気ままなのだ。主の世話ばかりで気を遣っておったら消耗してしまうわ。月で休んで、元気になったらまたここへ返してやるゆえに。」
維心は、それはそれで面白くなかった。まるで、自分が維月に心労ばかりかけておるかのように。
「我とて維月のことは気遣っておるわ。あれが我の面倒ばかり見ておるのではないぞ。」
碧黎は、歩き去ろうとしながら手を振った。
「何を言うておるのだ。子を成すのがどうのとか、暗くなって維月に負担をかけておる癖に。現に子を成すのは維月であって、主ではないではないか。なのに主を気遣わねばならぬ維月のことも考えよ。あれは恐らく、月へ帰りたいはずであるぞ。十六夜はあのように大雑把な気質であるし、主のように神経質ではないゆえあやつも楽であるのだ。普段なら耐えようが、このような時ぞ。少しは気遣わぬか。何年共に居るのよ。常、甘えるなと申しておるのではない。このような時だけは、維月にも甘える場を与えてやれと申しておるのだ。主では無理ぞ。己のことで精いっぱいであるし。十六夜ならそんなことは無い。なので、終わったら一度返せ。分かったの。」
碧黎は、一方的にそう言い置くと、サッとそこを出て行った。
維心は、言われたことにショックを受けて、しばらくそこを動けなかった。そんなにも、我は我がままか。維月も、あの最中は月へ帰りたいと言った。我は自分が癒したいと言った。それさえも、我のわがままなのか。だったら、どうしたら良いのだ。確かに我は、十六夜のように大きな心で見てはやれぬかもしれぬ。だが、我だって夫として、あれに必要とされたいのだ。
維心がそんな風に思いながらまた、落ち込んでいる姿を、十六夜は遠く月から、じっと見ていたのだった。
維月は、臣下達と一緒に術の巻物を見ている最中だった。
維心や炎嘉など力のある神の王ならまとめて読んでしまえる術の巻物も、臣下達には内容までしっかり頭をに入れようと思ったら人よりは断然早いが、それでもやはり、時間が掛かったのだ。
維月がフッとため息をついて巻物を置くと、兆加がそれを見て言った。
「…王妃様?あとは我らが確認致しまするゆえ。お疲れでございましょう。巻物も後少しでありまするし、我らが確認しておきまする。王もそろそろお戻りになられるかと思いまするし、どうぞ、奥宮へ。」
維月は、頷いて立ち上がった。
「そうね。維心様が戻っていらっしゃるし、私は居間へ戻っておかないと。それに、私の読む速度は遅いからあなた達に任せた方が速そうだし。後はよろしく。」
維月が言うと、そこに居た臣下達は、一斉に頭を下げた。
「はは!」
維月はいつまで経っても慣れない頭を下げられるということに、苦笑しながらそこを出て維心の居間へと向かったのだった。
その途中、奥宮へと向かう回廊で、十六夜の声が話しかけて来た。
《維月、ちょっと庭へ出て来い。》
維月は、驚いて回廊のガラス張りの窓へと寄った。
「どうしたの?居間へ戻るから、そこで話すわよ?」
十六夜の声は、首を振ったようだった。
《いや、維心が帰って来るし。そこから出られるだろうが。》
維月は、仕方なくそこの窓を横へと開いて芝を踏みしめて外へと出た。
「もう、強引ね。なあに?維心様に言えないようなこと?」
十六夜は、少し困ったように言った。
《というか、オレより維心が聞かれたくないんじゃないかって。あのさ、親父があいつにまた、気にしてることをえぐるようなことを言ったんでぇ。だから、帰って来たらまた落ち込んでるだろうし、お前に先に言っといた方がいいかと思って。》
維月は、顔をしかめた。
「なあに?お父様、いったい何をおっしゃったの?」
十六夜は、はあとため息をついた。
《今はいろいろあって維月が参ってるから、炎嘉のことが終わったら月に帰らせてやれって。維心は神経質だけど、オレが大雑把だから維月も戻った方が楽だから、いつもなら別に維月に甘えていいけど、今は戻らせてやれと。維月が疲れるってさ。》
維月は、ぐっと眉を寄せて渋い顔をした。
「もう…お父様ったら。維心様が一番気にしていらっしゃることなのに。確かに十六夜と居たら楽よ。十六夜は、何を言っても大丈夫って安心感があるから、気を遣ったこともないもの。本体が一緒だから命が安定して月は和むし。でも、維心様のお気持ちも分かるから、維心様のお気持ちを優先してこちらに居るだけなのに。」
十六夜は、頷いたようだった。
《親父の言うことも分かるんだよ。あいつは自分のためにお前の側に居たいって言うし、自分のためにお前を癒したいとか思うんだよ。つまりはあいつの考えの中心は自分の気持ちなんだよな。でもよーそんなこと前世から分かってたわけだし、今更なんだよな。お前もオレも、そんなあいつを何とかしてやりたいから一緒に来たわけだしよ。あんまり調子に乗ってたら、確かにオレも割り込んでって文句は言ってやるけどさ。》
維月は、笑った。
「確かにそうね。でも、私もあのかたの側に居たいと思うからこそ一緒に居るのよ。確かに、本当につらい時は月に戻りたいと思うけど…それが維心様を傷つけるのかもしれないと思うと、これからは言い出すのも難しくなりそうで困るなあ。お父様ったら、私のためだって言うのなら、むしろ言わないでいて下さった方が良かったのに。」
最後の方は、拗ねたように口をとがらせる。十六夜は、苦笑したようだった。
《まあ、これが終わったらオレが強制的に連れに行くよ。維心だってオレが来たら仕方がないだろうし。でも、まあ気を付けてやってくれ。炎嘉のことがあるからよ。あいつに一気にストレス掛けたらまた何をしやがるかわからねぇからよー。》
維月は、頷いた。
「分かったわ。任せて。」
そうして、維月は回廊に戻って居間へと戻って行った。
十六夜は、それを見送って月の宮の方へと降りて行ったのだった。




