術
開は、また龍の宮へと来ていた。
どうしても、自分の中では絶対の王である炎嘉の、生き延びる策が見当たらない。命を司っているという龍王すら分からぬ術を、十日ぽっちで探すことなど不可能なのだ。
だが、神世で一番情報も神も集って来るのはこの龍の宮。チャンスがあるとしたら、龍の宮しか無かったのだ。
義心に無理を言って、もう一度享に会わせて欲しいと申し入れたが、今日は維心が享に沙汰を下すのだという。なので、行けるとしてもそれが終わってからか、もしくは維心が許したなら共にしか、方法はないようだった。
維心が沙汰を下すとしたら、享は跡形もなく消え去るだろう。そうなったら、もう情報を引き出すことも出来ない。
開は、なのでここで維心を待って、どうにかして共に中へ連れて行ってもらえないか、頼むつもりでいた。
維心も、炎嘉だけは失いたくないと言っているのだと炎嘉から聞いた。だからこそ、情報が欲しいという自分の頼みも聞いてくれるだろうと思えたのだ。
そうやって待つことしばらく、維心が奥から出て来たのが知らされた。
炎嘉が龍であってもはや龍に頭を下げることに抵抗のない鳥の開は、深々と頭を下げてそれを出迎えた。
「…開か。義心から聞いた。主、まだ情報が欲しいと。享からは全て聞き出したのではないのか。」
開は、顔を上げた。すると、維心の後ろには地の化身だと聞いている碧黎も居るのが見てとれた。開は、維心を見た。
「はい。我では引き出せなかったことがあるのではないかと、あれの知識を沙汰の前にどうしても徹底的に引き出したいのでございます。前は叩きのめしたと言うて、龍王の沙汰も終わらぬのに殺してはならぬし手加減し申した。どうあっても、今となっては享しか命を繋ぐような術を引き出せる輩は居らぬかと思いまするので、もっと強く責める事が出来たらと。」
維心は、小さく息をついた。
「ならばついて参るが良い。だが、我はあれの沙汰を下すために参った。なので、あれの記憶の玉を取るつもりよ。もちろん、己がどんなに大それたことをしたのかその記憶にとどめさせるため、記憶の玉は複製として取るつもりでおるから、あれは楽には死ねぬし案ずるでない。その記憶の玉を見ることを、主に許そう。さすれば、あれが自主的に話すことを聞くなどという無駄なことをせずとも良いだろう。」
開は、自分は気が足りずそこまでの力が無かったので、記憶の玉と聞いて目を輝かせて頭を下げた。
「は!誠にありがたきこと!それがあれば、あれの知識は隠れなく知れまする!」
維心は、必死な開にフッと苦笑すると、先に立って歩き出した。
「では、ついて参れ。」
維心は、さっさと地下牢へと降りて行く。その後ろに、無言の碧黎が続いた。
開は、その後ろへと付き従い、その更に後ろに義心がついて、四人で地下牢の享の元へと降りて行ったのだった。
そこは、慣れた開でもあまり気持ちのいい場所ではなかった。
それでも、享はその犯した罪にしたらマシな場所に収監されていて、最下層ではなく、上の明るい牢から二階ほど下った場所に居た。
義心にその訳を聞くと、享は狂ってしまうと面倒な術を繰り出す可能性があって、そんなもので乱されては敵わないからだということらしい。
そんなわけで、そこそこの罪を犯した囚人と、同じ牢に入れられているわけだが、前に来た時に見たが、他には誰も入っていないようだった。
龍王は、誰彼構わず斬って捨てるゆえに、生きて捕らえている者など少ないということだろうか。
開は、維心という神について、炎嘉からいろいろなことを聞いては居たが、それが果たして本当なのだろうかと、訝しんでいた。炎嘉を疑うわけではないが、それでも皆の噂と炎嘉が語る維心自身が、あまりにもかけ離れていたからだ。
炎嘉曰く、維心は不器用で回りとの付き合い方を知らず、だからこそ自分が補佐して今までやって来たのだと。本来それほど残虐な性質でもなく、謹厳で誠実で、そして利口で激昂して何も考えずに神を殺して回ったりしないらしい。素直でこちらの言うことはじっと聞き、納得すれば従う。なので、話の通じない短気な神だという噂は嘘なのだと言っていた。
だが、その言葉の真実を確かめるには、開はあまりにも維心と接しなさ過ぎていた。
奥の方に、ぼんやりと光る牢がある。
そこは、神の気による拘束と、格子という物理的拘束が両方ある牢だ。近くに寄ると、中が見えた。そこには、享が奥の方に寄って奥の壁に背をつけてこちらを見ているのが分かった。
「…待たせたの、享。ではさっさと消してしもうてやるゆえ、案じるでないぞ。」
維心がにこりともせずにそう言うと、牢の中の享は震え上がって更に奥へと、行けないのに必死に下がろうとした。維心は、ついて来ていた義心に頷きかける。義心は、スッと歩み寄ると、その気の拘束を解くと、格子を開いた。
維心は、それこそ面倒そうにその牢の中へと入って行くと、入口辺りで享を見下ろした。
「主がこれまでして来たこと、我もであるが、主が乗っておるこの地上自身である存在も、不快に思うておる。何よりも地と月が忌み嫌う存在である闇を、主は復活させようとした。闇など、我ら神にはどうしようもない存在ぞ。力のある我ですらそうであるのに、何の力もないただの神である主などに、何とか出来るはずもあるまいが。愚かよの。」
享は、震えながらも、言った。
「我を殺したら、これまでのこと、何も分からぬぞ!そっちの開とかいう神に話したのは、ほんの一部。もっと知りとうないのか。我は仙術をよう知っておるぞ!」
維心は、フンと鼻を鳴らして嘲るように口の端を上げた。
「そんなもの。我が友の命、主のせいで風前の灯火であってな。主の知識、戴くわ。主を生かしておいた価値などその程度よ。記憶さえあれば、主が生きておる意味などない。我らが記憶を取り去ることが出来るのを、主は知らぬのか?」
享は、見る見る顔を青くした。ガクガクと震えてまるで背後の岩の壁に食い込もうとしているのかのような動きをしながら、言った。
「そのような!まさか…まさか記憶を取ることが出来ると申すか!」
維心は、面倒そうに手を振った。
「我でなくともそっちの義心であっても出来るわ。気の多い神ならあっさりとの。だがまあ、義心は記憶を取り去るしか出来ぬでの。我なら複製をつくることが出来るゆえ、主は記憶を失わずで済むのだぞ?感謝すると良いわ。」
維心は、そう言うや否やすぐにスッと軽く手を上げた。享が、何とか逃れられないかと牢の壁を右の方へと飛んだが、維心は難なく自分の手から出た光を、その頭へと命中させた。
「あああああ!」
光に包まれた享は、叫び声を上げて床の上をのたうち回る。
しかしこれは、痛みは伴わないものだと聞いていた。
それに、維心ははっきりと複製を作ると言っていた。つまりは、記憶が喪失して行く心理的な苦痛もないわけで、享が叫んでいるのは、単に訳の分からない術に掛けられているという事実に脅えて叫び声を上げているだけなのだ。
開は、そんな気の小さな器の小さな男が、あんな大それた術を放とうとして、それに巻き込まれて自分の王の炎嘉が命を落とそうとしている事実に猛烈に腹が立った。
維心も同じように思ったようで、ムッとしたような顔をしながら自分の掲げた手のひらの上に握りこぶし大の大きさの玉を形作って浮かせていた。
それに伴って、享を包んでいた光もあっさりと消え失せた。
「よし。終わったの。では、我にはこれ以上主に対して言うことなどない。ではな。」
そう言うと、踵を返してさっさと牢から出た。開が慌ててその後を追うと、入れ替わりに地の化身が、その牢の中へと入って行くのが見えた。
「では、主にこれを預ける。」維心は、牢へと入って行った、碧黎をちらと見てから言った。「義心が主について参る。地下牢入口横の裁きの間を使うことを許すゆえ、主はこれを義心と共に見て、炎嘉に使えそうなものがあるか調べてみると良い。その後、義心にこの玉を返すようにせよ。我に持って参ろうほどに。」
開は、深々と頭を下げた。
「は!感謝致しまする!」
開は、そう言うと、その玉を大事そうに抱えて、義心と共に階上へと上がって行った。
維心がそれを見送って碧黎の方へと向き直ると、碧黎は床に転がって碧黎を見上げ、ガタガタと震えている享に向かい合って立っていた。
「ぬ、主はなんぞ?」
維心よりも大きな気など、見た事が無かったのだろう。それでも、碧黎も維心も、建物の中なので極限まで押さえている状態だった。それでも溢れるその気の大きさは、身をびりびりと震わせて痛いぐらいだろう。
碧黎は、不敵に笑うと、言った。
「我は、地よ。地上の生き物は全て我の上で育んでおる。月は我が子よ。此度は我が曾孫を長くいたぶってくれたようであるの。」
月夜…新月のことを言っているのだ。享は、またがばと起き上がると、脱兎のごとく這い進んで奥の壁へと背を付けた。
「なんだと…?!地?!地の化身だと申すか?」
碧黎は、頷いてわざと一歩足を踏み出した。享は、それに怯えて後ろへと行けないのに足をジタバタとさせた。
「そうよ。我はの、維心よりもっと多くの命を司っておるのだ。維心は、まあ我の手足とするために地上の王として我が生み出させた命。特別なのだ。優秀であろう?」と、ずいと享に近付いた。「主は?我が気にも留めぬほど小さな命であるな。ただの神であろう?ようも我が生み出す命の気を、二千年もの長い間無駄に消費してくれたものよ。我が命の気を与えるのは、誠地上を治めて平和裏に収めようと努める誠実な命のみぞ。うぬらのような浅ましい神などに、やるためではないわ。」
享は、脅えて顔が白くなり、目も灰色に濁っていた。碧黎は、構わず続けた。
「笑止よなあ。このように器の小さい神が、我に抗おうてか。闇などという、我や月が最も忌み嫌う輩を復活しようなどということを考えるとは、愚かよ。そんなものは、許す訳には行かぬ。そう、なので我は、主を殺すなどという温情を与えようとは思うておらぬ。」
それを聞いた維心は、片眉を上げた。殺さぬと?
しかし、碧黎に何か考えがあるのだろうと、維心は黙っていた。享は、殺されないと思ったからか、急に肩の力を抜いた。そして、震えも少し、収まって来ていた。
「それは…主は、我を殺さぬと?」
碧黎は、頷いた。
「殺すとは、その身を奪うことよな。殺されたら主の命は、黄泉へと向かう。黄泉は、どんな場所でも己というものが残り、苦しんだとしてもいつかは許されて転生することが出来る場所。そう、暗く寒くつらい場であっても、耐えて待てばそのうちにまた生きて世に戻り、やり直すことが出来るのだ。維心などはいくら罰したというて、殺すことが極刑であるが、我にはそれが極刑ではない。」
維心は、少し目を見開いた。碧黎は、それ以上のことが出来る…?確かに、碧黎の力の限界など知らない。では、碧黎が考える極刑とは何であろうか。
それでも黙って見ていると、享は、首をかしげた。殺されるより、悪いことと?
碧黎は、薄っすらと暗く笑った。
「我は主を許すつもりはない。ここ最近で最も憤った出来事であったしな。死を極刑だと思うておる己が間違っておったのだと、よう知らしめて送ってやろうぞ。」と手を上げた。「主は跡形もなくなる。やり直す機など与えるものか。主という命、意識は綺麗さっぱり消え失せて、無かったことになる。そう、存在すらしなくなる。分かるか?黄泉へ行く命は存在しているが、消される主は存在せぬようになる。消滅ぞ。真っ暗な闇へと落ち込んで何も見えなくなった後、普通なら黄泉路を辿るものであるが、主は何も無くなるゆえ、二度と目覚めることが無いのだ…無くなるのだからの。」
維心は、ハッと息を吐いた。そうか、消滅…自分は、命を消滅させることは出来ない。せいぜい黄泉へと送り込むだけだ。しかし、碧黎は命そのものを消し去ってしまうことが出来るのだ。自分という命を創り出したという碧黎なのだから、消す事も確かに、出来るのだろう。
享は、じわじわと碧黎が言っていることが頭に浸透して来てようだ。見る見る顔色が土気色になり、震えが復活して牢の隅へと必死に下がった。
碧黎は、それを楽しむようにそちらを向いた。
「己が何をしでかしたのか、やっとわかったようであるの、享とやら。主がどうなったのかは、神世に告知させようぞ。主は、今後このようなことをしたら、一体どんな沙汰が下されるのかを、神世に知らしめるという重要な役割を最後に担えるのだ。さあ、去るが良い。もはや生きることも、存在することすら許されぬ命として断じられた己を憐れんでな。さらばぞ。」
碧黎が手を享へと向けると、享は必死に叫んだ。
「待って…!待ってくれ…!!」
しかし、碧黎の手が向いた途端に、何やら蛙でも踏み潰したような、クシャ、というか、ペシャ、というような音がしたかと思うと、享はその場にくたりと倒れた。手から光も出る事もなく、維心が思っていたような大層な衝撃もなく、本当にあっさりとしたものだった。
いつもなら、その体から気が抜け去って行くのを感じられたものだったが、享の体からはそんな様子もなく、ただ体にあった気が、そのままスッと消えた感じだった。
そして、体はそのままスーッと着物だけを残して、霧散して消えて行った。
呆気なく済んだことに維心が茫然としていると、碧黎が振り返って、険しい顔で言った。
「終いぞ。主はこれを神世に告示して、二度とこのようなことをしでかす輩が出ぬようにせよ。主が沙汰を下したのではなく、地が沙汰を下したのだとの。我も甘すぎたわ。闇にまで手を出す輩が出て参った以上、我とて黙ってはおらぬ。」
そのまま、維心の前を通り過ぎて去って行く碧黎の背を追いながら、維心は思っていた。碧黎は、今まで神世には関わって来なかった。ゆえ、碧黎によって直接滅しられた神もまたいなかった。ゆえに、誰もその力の大きさは分かっていても、恐れているかというとそうでも無かった。それが、これを告示することで一気に恐れられるようになるだろう。碧黎はそれを分かっていて、こうしたのだろう。それほどに、闇は重い存在なのだ。
維心は、それを実感して、闇というものに改めて恐れを感じたのだった。




