報せ
月の宮の蒼は、人から月になってもう、700歳を越えていた。
前世、ずっと神世に慣れるようにと世話をしてくれた維心がその当時1700歳だったのだが、1800歳になってすぐの頃、月の陰陽の後を追って黄泉へと向かい、再び転生した今生ではまだ、蒼よりは年下だった。
月は不死だと知ってはいた。だが、自分の妃や娘までも寿命を迎えて先立つのを見送って来て、未だ変わらない姿の自分が、やはり不死なのだとやっと実感していた。
蒼には、公には娘ばかりだとされていた。
だが、最初の妃、前世の維心の妹である瑤姫が生んだのは、瑞姫ともう一人、月夜という皇子であったことは、今では誰も知らないことだった。
蒼が、今日も昇る月を見上げてため息をついていると、聞きなれた声が呼びかけた。
「蒼。主に申しておかねばならぬ。」
蒼は、驚いて声の方を振り返った。
そこには、地の陽の化身である、碧黎が立っていた。
「碧黎様。何かありましたか?」
碧黎は、頷いた。
「居場所が知れた。主がいつも我に尋ねておった、あの男のことぞ。」
蒼は、目を見開いた。この数百年、ずっと碧黎に尋ねていた。地である碧黎には、見えないものなど無いはずなのに、碧黎は一向に分からぬと言っていたのだ。
それが、分かったと。
「月夜ですか?」蒼は、必死の形相で言った。「生きて…生きておったのですか?」
碧黎は、頷いた。
「瑤姫の血が濃いのか、龍であるからの。だが王族の血筋であるので、まだ老いが来ておらなんだ。瞳は、維心と同じ深い青。あの月特有の気が混じる様といい、間違いなく、あれが主の息子の、月夜であろうと我は思うた。」
あの瞳の色は、龍の王族にしか出ない特殊な色。蒼は、それを聞いた時、それは間違いなく月夜だと確信した。
「どこに?」蒼は、碧黎にすがるように言った。「どこに居ったのですか?今は、どうして暮らしておったのでしょう?」
碧黎は、顔をしかめた。
「それは本人に聞くが良いぞ。我は、居場所を確かめただけ。あれは、ずっと行方をくらましておったのだろう?」
蒼は、頷いた。
「はい…この月の宮が出来て間なしの頃、世話をしていた侍女の一人に連れ去られ、そのままに。侍女は死んで見つかり、月夜はとうとう、見つからぬまま…維心様にもかなり長い間、龍の軍神に探させてくださいましたが。」
碧黎は、息をついた。
「龍であっても、半分は月であるからの。隠れようと思えば、どうにでも出来る。そういう命なのだからな。普通の神に見つけ出すのは困難よ。我とて気配探るのに、かなりの時間を要したのだ。だがまあ、もうあれの気を覚えたゆえ、いくらでも居場所の追跡は出来よう。会いに参るなら、いつなり呼ぶが良い。ではの。」
碧黎は、蒼の答えを待たずに、さっと消えた。蒼は、慌てて言った。
「碧黎様!」
だが、反応はない。
今すぐにでも会いに行きたかった…瑤姫も、当初はかなり心配し、侍女が死んで見つかった時にも、気を失ったほどだった。ずっと案じてはいたものの、それでも最後には、最強と信じて疑わない兄の維心が探しても見つからないのに、もう命はないのだと諦めてしまっていた。
いつしか、月夜の失踪は、宮でも口にすることははばかられる事になっていたのだ。
そこへ、慣れた癒しの気配がふわっとしたかと思うと、十六夜の声がした。
「蒼。」
蒼は、急いで顔を上げた。十六夜が、同情するような顔で蒼を見つめて、肩に手を置いて来た。
「親父が、見つけたんだってな。生きてたなんて、オレも驚いた。」
蒼は、十六夜の顔を見た途端に、溢れて来る涙を抑えきれずに、声を上げた。
「生きてたんだよ!ずっと…なのにオレは、見つけてやることが出来なかった!」
十六夜は、頷いた。
「どうしてだが、あいつは自分を隠してたんだ。だったら、見つからなくて当然だろう。親父でさえ、探し出すのに時間が掛かったぐらいなのに。自分を責めるんじゃねぇ。」
蒼は、それでも涙をぼたぼたと床に落としながら、十六夜を見上げた。
「瑤姫だって、どれほどに心配してたか!死んだんだって思って、それから深く沈んで、しばらく口も利けなかった。あのことも手伝って…オレと瑤姫は、あんまり一緒に過ごすことが無くなったような気がするんだ。そんな気持ちに、瑤姫もなれなくて…。」
十六夜は、優しく蒼の背を擦った。
「どっちにしても、お前のせいじゃねぇ。自分を責めるな。それで、落ち着いたらオレが月夜の所へつれてってやろう。」
蒼は、驚いて十六夜をまじまじと見た。
「え…十六夜、分かるのか?」
十六夜は、頷いた。
「親父に、気の性質と色を教えてもらった。自分と一緒より、オレと一緒の方がいいだろうって言ってさ。とにかく、今は駄目だ。取り乱し過ぎてる。気持ちを落ち着けて、それから月夜に会いに行こう。それで、ここへ迎えるのかどうか決めたらいいじゃねぇか。今は、寝ろ。」
蒼は、反論しようとしたが、当身を食らわされるように、十六夜からの気の衝撃を受けて、その場へ倒れた。
十六夜はため息をついて、蒼を気で持ち上げると、奥の寝台へと運んだ。そうしてそこへ寝かせてから、月を見上げて呟いた。
「維月…もう、寝たか?」
龍の宮では、維心と維月が、並んで月明かりに照らされる庭を、居間の窓から見ていた。そろそろ休む時間なので、二人とも夜具に着替えて寛いだ格好で居る。維心が、維月の髪に顔を埋めて、言った。
「維月…そろそろ休まぬか?我は時が惜しい。夜が明けるまで数時間なのだぞ?」
維月は、困ったように維心を見上げて微笑んだ。
「まあ維心様…明日だって共に居るではありませぬか。夜が明けても、離れることはありませぬのに。そのように、急くことはないのですわ。」
しかし、維心は首を振った。
「何を言う。朝になれば、また政務で主から離れるではないか。我は出来れば一日中でも、主と奥へ篭っておりたいのに。」
維月は、毎度ながらの子供のようなわがままに、維心の背を抱いて撫でた。
「まあ…お子様のよう。またお休みが取れましたなら、別宮などに二人で参りましょう。そうしたら、ずっと共に過ごせまするから。でもそれには、政務を終わらせてしまわなければ…段取りをつけておかないと、臣下達が困ってしまいまするから。」
維心は、維月を抱きしめ返して、息をついてから頷いた。
「わかった…ならば早よう済ませてしまわねばの。だが、今夜はもう…」
そこまで言った時、維月がピクッと体を動かした。そして、驚いたように月を見上げる。維心は、何事かと維月を見た。
「維月?どうした?」
すると維月は、まだ月を見たまま、言った。
「まだ起きてるわ。どうしたの?」
それが自分に向けて発しられた言葉ではないことを知った維心は、同じように月を見上げた。十六夜…。
今度は、維心にも聴こえる念の声がした。
《維月…月夜が、見つかった。》
維心も維月も、息を飲んだ。
前世のことだ。維月がかなり心配して夜も寝ないので、維心も必死に軍神達を使って捜索した記憶がある。
それでも見つからなかった月夜が、見つかったと。
「どこ?!どこに…無事でいるのね?つらい思いはしておらぬの?!」
十六夜は、直接にはそれに答えなかった。
《親父が見つけたんだ。詳しいことは、蒼と一緒に本人に会いに行ってからまた話す。ただ、前世では維心もかなり探してくれたからな。見つかったことだけ、伝えとくよ。》
維月は、月に縋るように立ち上がって言った。
「そんな…様子だけでも。分かっておることで良いの!」
十六夜の声は、単調だった。
《オレにもわからねぇ。親父から、気の色だけ教えてもらったんだ。蒼が落ち着いたら、行って来る。心配すんな。》
「十六夜!」
十六夜の気配は、途絶えた。
維月は、涙を流して言った。
「ああ、生きておったなんて…!維心様にすら探し出せないのに、瑤姫ももはや命はないと、生前どれほどに嘆いておったことか。お父様も、長い時間掛けて探しておられるのは知っておったけれど、まさか見つけることが出来たなんて…!」
維心は、泣き崩れる維月を、抱きしめた。
「維月…。」
維心は、月を見上げた。
碧黎も、十六夜も月夜のことを詳しく言わない。何か良くないことがあるのかもしれない…それでも、あの数百年前の失踪からこれまで、気の残照すら見つからなかった月夜が、まさか今、出て参るとは…!