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見送り

公青の西の島中央の宮では、暗い空気が立ち込めていた。

奏の部屋には、公青と公明、そして楓と晃維の四人だけが居た。

つい先ほどまでは取り囲んでいた臣下も、治癒の神達も、公青に任を解かれて下がっていて、部屋の中は本当に静かだ。

もう泣くだけ泣いて涙も出ない公明と、何が起こっているのかいまいちわかっていないような幼い楓を横に、公青が奏の手を握って立っていた。

晃維が、手を上げて寝台の向こう側で奏に気を補充し続けている。

いくら龍の王族であっても、明花と代わってからもう一日、疲れと心労から目は落ちくぼんでさすがに消耗しているようだった。

それを見た公青も、もういよいよだと腹をくくった。

明花を帰そうと決めた時点で、そもそも覚悟を決めたはずだったのに、晃維が術を放てるのに甘えて、ここまで一日、あともう少し、あともう少しと伸ばして来てしまったのだ。

本当に、もう今、思い切らなければならないだろう。

奏の母の、和奏も龍西の砦で老衰により危篤状態なのだという。あちらは奏での様子を知り、奏の側に居てやって欲しいと言うので案じることは無いと晃維は言うが、気にならないはずはない。

なので公青は、思い切って言った。

「…晃維殿。覚悟が出来申した。」

晃維は、顔を上げた。

「良いの?では、最後に一気に我の月の力と共に気を流し込む。それで意識は戻ろうが、一瞬の事ぞ。それで、終いぞ。」

公青は、浮かんで来る涙を押さえもせず、頷いた。

晃維は、それを見て両手を上げて、一気に気を流し込んだ。

すると、それまでぴくりとも動かなかった奏が、スッと薄く目を開いた。そして、すぐ目の前で手を翳している晃維に目を止めると、言った。

「…お父様…。」

晃維は、目を細めて何かを我慢するような顔をしたが、頷いた。

「奏。」

奏は、ゆっくりと公青を公明、楓の方へと首を向けた。

「公青様…公明、楓…。」

力の無い声だったが、それでも言葉はしっかりとしていた。公明は、涙を浮かべながらも、無理に微笑んだ。

「奏。公明であるぞ。無事であるからな。もう、何も案じることは無いのだ。」

奏は、じっと公明を見ていたが、何かを思い出したらしい。一瞬、息を詰めたが、次の瞬間には、安堵の表情でゆっくりと頷いた。

「良かったこと…本当に、良かった。我は…公明を守ることが出来たのですね。」

奏は、公明があの後連れ去られたことを知らないのだ。公青は、何度も頷いた。

「主が時を稼いだゆえな。主の手柄ぞ。」

公明は、涙を流したままそれを見ている。公青が、そんな公明の背を小さく押すと、公明は、奏に近寄って、顔を覗き込んだ。

「母上…我の、我のせいで…。」

奏は、薄っすらと笑って、ゆっくりと首を振った。

「誰のせいでもないのですよ。あなたは、跡取りの皇子であるから、危険な目にも合うことがあるやもしれぬと、父上も、我も分かっておりました。守り切ることが出来て、本当に良かったこと…。」

奏は、公明の頭を、重そうに手を上げて、そっと撫でた。そうして、公青を見た。

「公青様…我は、少し疲れておるようで…。もうしばらく、休んでおっても良いでしょうか。」

公青は、力なく段々に小さな声になる奏に、駆け寄るようにして寄って行き、その手を握った。

「よう務めたの。我の正妃よ。主は誠に、我のただ一人の正妃よ。」

奏は、閉じて来る瞼に抗うようにして、薄っすらと目を開いたまま、微笑んだ。

「まあ公青様…。いつなりそう申してくださるのに甘えてしもうておりまするのに…。しばし休んで、また精進して参りますゆえに…。」そうして、目を閉じた。「お父様も…しばらく…失礼を…。」

晃維は、涙で霞んで来る視界を何とか振り払って、奏を見つめて頷いた。

「我のことは気にせずとも良い。しっかり休め。」

奏はまた口の端を上げたが、そのまま、息を一つ付いて、そうして、呼吸を止めた。

奏の気が抜け去って行くのを、公青も晃維も、成す術なく見送るしかなかった。

公明のしゃくりあげる声が聴こえる中、奏は旅立って行ったのだった。


その知らせは、月の宮にも龍の宮にも飛んだ。

十六夜はいち早く月から奏の気が消えて行くのを感じ取って、蒼にそのことを知らせていたので、蒼はその知らせが来た時、驚くこともなく、ただ淡々と受けた。

あれだけの大騒ぎの末に一緒になって、幸せに暮らしていた二人のことを思うと、遺された公青のことが気に掛かる。

そして、娘と妃の二人を同時に失おうとしている晃維のことも、蒼は気になった。

悔やみの挨拶を送り、いろいろな出来事の中で悲しみに鈍感になっている自分に、蒼は気付いていた。


そして十六夜は、龍の宮の方へも遣いが飛ぶのを見て、維月を案じてそちらにも意識を向けていた。

維月は、維心にその事実を聞いて涙を流していたが、ここ数日のことで打ちのめされ続けたこともあり、維月の方も、悲しみに鈍感になって来ているようで、泣き崩れるほどではなかった。

それでも暗く沈むのは確かで、維心が必死にそれを慰めようとしているのが見えた。

十六夜は、声を掛けて維心の邪魔をしてもと思い、そのままその様子を見ていた。

「維月…黄泉は良い場よ。案じずとも、奏は良い所へ行っておるはず。今頃は、あちらで迎えに出た誰かと会っておろう。そのように嘆くでないぞ。」

維月は、取り乱すほどでは無く、しかし涙を流しながら、頷いた。

「はい。分かっておりますわ。泣いておる場合では、ありませんもの。まだ生きておられるかたがいらっしゃる。炎嘉様のお命を留める方法を、探してこれ以上の犠牲が出ぬように努めねばなりませぬのに。」

一生懸命涙を拭う維月に、維心は、しばし黙った。何か、言いたいことがあるらしいが、思い切りが着かないようだ。

維月もそれを気取ったのか、顔を上げて維心を見上げた。

「維心様?いかがなさいましたか。そう言えば、先ほどから何か言いたげにしていらっしゃいましたわ。炎嘉様がいらしていたようですけれど、何か?」

維心は、じっと維月を見つめていたが、びくっと肩を震わせた。こういう所は、維心は絶対に維月に隠し事が出来ないのだと見ていておかしくなる。十六夜は、しかし炎嘉が何を言ったのだろうと、耳をそばだてた。

維月が、何かあったのだと気取って、維心に詰め寄る。

「何かありましたのね?炎嘉様は…まさか、まだ術が見つかっても生き延びることはしたくないおっしゃっておるのですか?」

維心は、ため息をついた。そして、首を振った。

「いや…我のことを我がままだとは申したが、それでもある条件を飲めば、方法が見つかったなら生きて責務を果たすと。」

維月は、少しほっとしたような顔をした。

「まあ。維心様が心込めて説得なさったから、炎嘉様も譲歩するお気持ちになられたのですわね。」

そうだろうか。

十六夜は、月でそれを聞きながら、首を傾げていた。確かに炎嘉は維心をいつも案じていたが、それでも維月のことでは、月を見上げて辛そうにしている事が多かった。なので、十六夜も無理に炎嘉をこの世に留まらせるのはとも思っていたが、今の状況で維月の精神状態がこれ以上追い詰められないようにしようと思ったら、炎嘉にはとりあえず生きていてもらわなければならなかった。だが、それが炎嘉にとって酷なんじゃないかとも思っていたのだ。

維心は、そんな十六夜の心など知らずに、維月に首を振った。

「そうではないのだ。ただ己の望みを言っただけで、我が押し切ったような形ではあったが、炎嘉が条件などと言って来るとは思うておらなんだ。だが、炎嘉はその条件を飲まねば絶対にこれ以上は世に留まらぬと申す。なので…我は、維月に訊ねてから返事をすると申したのだ。我だけでは…とても、決断できるものではなかったゆえ。」

維月は、途端に不安そうな顔をした。

「なんでございましょう…あの、私は維心様を愛しておりまするし、他の殿方に嫁いで暮らして参るなど、いくら炎嘉様でも出来ませぬとお答えするよりありませぬが…。」

維心は、何度も首を振った。

「そのようなことなら、我は己の独断でとっくに断っておった。主に後で何を言われようともの。我とて主を側から離して生きてなど行けぬ。そうではなくて…」維心は、言いにくそうにしていたが、しかし、息をついて、もう一度思い切ったように言った。「…炎嘉は、子が欲しいと申す。宮の、臣下達の為に。もしも自分に何かあった時、後を継ぐ皇子が欲しいのだそうだ。つまりは、主に己の子を産ませることを、承諾せよと申すのだ。」

維月は、口を押さえた。確かに、炎嘉は時に子が欲しい、と言うこともあった。だが、そんなことは無理だ。何しろ、子供となると十月十日自分の腹の中で育てなければならない。その間、維心と交わることも出来ぬので、側に居ることも出来ないし、龍王の妃である自分が、他の男の子を腹に持ったまま龍の宮に居ることも出来ない。そうなると、維心と一年は離れていなければならないだろう。

前世、十六夜が維心にそれを許したように、維心にもそれを、炎嘉に許せと言っているのだ。

「…それは…、」

維月は、袖で口を押さえて絶句した。二の句を継げないでいる。維心は、急いで維月の顔を覗き込んで言った。

「もちろん、我はそれをせよと申しておるのではないぞ。我も、主と少しでも離れておりたくないのだ。だが、これを頭から断ったら、炎嘉はもう、我らの話を聞いてはくれぬだろう。交渉の余地を残そうと、我は維月に聞いてからと答えたのだ。別に、臣下のためと申すのなら、他の誰でも良いではないか。なぜに主でなけらばならぬ。我は、そんな乱暴な話はないと思うておる。どうしたら良いのか、我にも分からぬのだ。」

維月も困っているようで、じっと黙って考え込んでいる。

維心は、そんな維月を気遣わしげに見ていた。

十六夜は、ため息をついた。気持ちは分かるが、炎嘉も炎嘉だ。意地になってるんじゃねぇか。

なので、維心と維月に話しかけた。

《おーい、維心、維月。聞いてたぞ。炎嘉と、オレが話して来てやろうか?》

維心と維月は、驚いて空を見上げた。

十六夜は、どうしてこんなことになるんだろうと、ため息ばかりついていた。

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