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思惑

永は、岩屋の入口近くでじっと座って様子を伺っていた。

享は、それほど利口な主君ではなかった。

それを、永は知っていた。それでも、長く生きて仙人などと暮らしていたため、神が思いもつかないような、仙術を知っていた。そしてそれを駆使し、時には創り出し、そうして神世を混乱させることが可能なだけの能力はあるのを見て取って、側近くに来た。

永自身は、龍王などには全く興味はなかった。

世の中を手中に収めるとか、そんなことなど意味はない。そう、命を延ばす、その術を、知れさえしたら、それで良かった。

だが、愚かな享も、それだけは何としても漏らさなかった。

永は、手を変え品を変えその術を聞き出そうとしたが、それでも享は、それだけは固く口を閉ざしてこれっぽっちも語らなかった。

だが、ああして享が今も生きおおせていることは確か。

永は、だからこそ側に居て、何とかしてその術を探り出そうとしていたのだ。

朱伊は、早くから自分の思惑に気付いていたようだった。なので、享に近付くのを嫌がり、享も朱伊を信頼していたのだろう、自分を遠ざけるようになった。

なので、龍が気取って近くに潜んでいたのを知っていたが、永はそれを朱伊に教えなかった。

朱伊は捕らえられ、他の者達は死んだ。

かくなるうえは、享が術を放って失敗し、死ねば命を延ばす術が手に入るのではないか。

永は、そう考えて、この術を放つのは月が今夜のように上弦に近い日ではなく新月、(さく)の夜でなければならないのを無視して、享に急がせたのだ。

永は、ちらと岩屋の外を見た。

そこには、享について来た僅かな神達が、気遣わしにこちらを見上げて立っている。

この岩屋の外には、月の光が降り注ぎ、まるで昼のような明るさだ。

月が、どれほどに闇を警戒しているのかそれで分かった。

ゆらゆらと揺れている、この新月の月の結界は、恐らくもうすぐ崩れるだろう。

その時、何が起こるのか、永にも全く分からなかった。だが、闇が月に勝てるなどということが、起こることは考えられなかった。

そう、陰の月を手中に収めることが出来なければ、闇は消されるままになるしか、無いのだから。

永は自分の立ち位置を、もう決めなければ、と思っていた。


明蓮は、目を覚ました。

屋敷の、自分の寝台の上のようだ。

何が起こったのか分からずに起き上がると、回りを見回した。すると、脇の布が揺れて、そこから母が入って来て明蓮に微笑んだ。

「まあ明蓮。目が覚めたのですね。よく眠っておったようだけれど、良い夢を見ましたか?」

相変わらず母は美しく、優しく自分の頭を撫でてくれる。

明蓮は、戸惑った。

「母上…?我は、いつここに戻って参ったのでしょう。父上は?」

母は、困ったような顔をした。

「何を申しておるの?あなたはずっとここに居ったでしょう。父上は、お仕事でまだ宮からお戻りになりませぬ。本日は、宮から教育の龍が来るのだと申しておったでしょう?楽しみにしておったのではありませんか。さあ、着替えて、あちらで待ちましょうね。」

明蓮は、言われるままに寝台から降りたが、解せなかった。あれは…夢?

「母上…乳母はどこでしょうか。着替えを手伝わせましょうほどに。」

母は、着物を持っていたが、それを寝台に置いた。

「本日は母が手伝います。さあそれを脱いで、こちらを。」

明蓮は、怪訝な顔をした。

「母上…?着替えを、手伝えると?」

母上は皇女であったため、自分の着物すら侍女に手伝われなければ着替えられなかった。なので、母はいつも、明蓮が乳母や侍女に着替えさせられるのを見ているだけだったのだ。

母は少し、イライラしたような顔をした。

「何を申しておるの?先ほどから、あなたらしゅうないわ。」

…良いか、ここには父も母も居らぬ。どんなにその姿が似ておっても、それは闇。決して言うことを信じてはならぬ…

紫翠の、言葉が頭の中に流れた。そうだ、我は夢など見ていたのではない。我は己で戦わねばならぬ。己だけ信じて選び取らねばならぬ!

「放せ!」明蓮は、その手を払った。「主は我の母などではない!」

途端に、母の顔は見る見る歪み、その美しい顔が恐ろしい形相へと変貌した。

「おのれ子供であるからと手加減しておったらこの小童め。」その醜い母は言った。声は低く掠れたような声だ。「さっさと我が糧になれ。その力その命を我に捧げるのだ!おとなしく我のかいなで眠るが良いわ!」

側の着物が舞い上がって明蓮に覆い被さって来る。

明蓮は、必死に身を翻してそれを避けた。


公明は、ハッとして起き上がった。

ここは、自分の部屋…我は、眠っていたのか。

いつの間にか宮に帰って来ている事に戸惑った公明は、寝台から降り立って言った。

「三津。」

すると、脇の布が揺れて、乳母かと振り返ると、そこには律と廉が立っていた。

「呼んでも誰も来ぬ。我らと共に参れ。」

公明は、体を硬くした…もしかして、あの夜か。我はあの夜に時を越えて戻ったのか。

「母う…」

叫び掛けて、公明は止まった。ここに母上を呼んではならぬ。母上は律に、殺されてしまう!

公明がぐっと黙ると、律はにやりと笑った。

「母を呼ばぬのか?隣りに居ろう。このままでは主は連れ去られて術の糧にされようぞ。主は死ぬ。術に殺されるのはつらいものぞ。何しろ、消滅するのだ。二度と戻ることの無い暗闇へと落ち込み、どう足掻こうと抜け出すことは出来ぬ無限の苦しみよ。主のような餓鬼には耐えられぬ地獄ぞ。今なら母が身代わりになってくれよう。我らも子供にそんな思いをさせるに忍びないからの。」

公明は、ブルブルと震えた。思いもつかない地獄とはどんなものなのか。そんな中に放り込まれて、自分は永遠に苦しまねばならぬのか。

律は、クックと笑った。

「そう、母を呼べば良い。さすれば主の命までは取られまい。元より母は、主のためなら命を差し出すなど何ほどの事でもないわ。死は安らかぞ。術に殺される事を思えばの。早う呼べ。」

公明は、律を見つめた。母を殺した憎い神。それでもこれは、最後には自分を守ろうとしていた。その生き様は、迷っているようだったのに、それでも最後は…。

…信じてはならぬ。

ふと、律の腕を見た。ここに来た時には既に怪我を負っているようで、腕に巻いていたはずの布が、その腕に、ない。

「…我は母を呼ばぬ!」公明は、言った。「主は律ではない!ここは我が宮ではない!全て偽りぞ!」

律の隣に居た、簾がフッと消えた。回りの部屋の様子が、スッと真っ暗な空間へと変わった。

「愚かな餓鬼よ。主が母を殺した事実はそんな事では変わらぬぞ?このまま宮へ帰るつもりか。母を殺したのは自分だと父に言うのか。そうして、主の居場所があると思うのか。何もかも失うのだ。既に母は世にないぞ?主の味方など誰も居らぬ。母殺しのお前は、一生それを背負って生きるのだ!ここで我が糧になり永遠に世に君臨して生きる方が、よほど良い生ぞ!」

公明は、律を見た。

「永遠に、君臨…?」

律は、笑い声を上げた。

「そうよ!我は主、主は我になるのだ!糧とは言葉のあやよ。我らは同化し、共に世を治めて参るのだ!もはや死の恐怖もない。我は不死。主も不死の身を手に入れるのだ!」

公明は、迷う素振りをした。

「母は…母を生き返らせることは出来ようか。」

律は、頷いた。

「黄泉とて我には思うがままよ。母を取り戻しとうないか?母にも不死の命を与えよう。力満ちた我に出来ぬ事など無い。何事も思うがままよ!」

「母上…。」

公明は、律を前に、立ち尽くしていた。

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