略奪
その頃、遠く龍の宮で月の宮から多くの気が南へと飛び立つのを気取った維心は、維月を介抱しながら奥の間に居たのだが、居間へと出て来て、叫んだ。
「義心!月の宮から軍が出て南へ行く!我が軍も1万連れて、行け!早く!」
《間に合わねぇ!》十六夜の声が、いきなり悲痛に響き渡った。《駄目だ、炎嘉!新月に触れるな!皆、離れろ!駄目だ!無理だ!》
維心は、背筋に冷たいものが流れた。新月…?炎嘉?
「…十六夜?!炎嘉が、炎嘉がどうした?!」
《お前はそこに居ろ!》十六夜の声が怒鳴るように言った。《維月だけは守れ!維月が取り込まれなきゃ、オレが何とかする!お前が死んでも維月だけは守れよ!地上が終わるぞ!》
義心が、ためらうように目の前の空に浮いている。維心は、拳を握りしめていたが、言った。
「…待機せよ。」維心は、義心に言った。「宮を守る。新月が来るやもしれぬ…あちらの様子は分からぬが、恐らくは惨状よ。月に任せよ。」
義心は、出撃して行きたそうにしていたが、降りて来て膝を付き、頭を下げた。
碧黎の気が間近に強く立ち上がり、分厚い板のような物が、奥の間の周辺を覆ったのを感じた。碧黎が、維月を守ろうと普通の神なら絶対に通っては来れない結界を張ったのは分かったが、しかし闇はどうなのか分からない。
維心は、通常の結界の他に、更に奥の間に自分も強力な結界を張って、備えた。
その少し前、明蓮達五人は、暗くなって来たので森の中を再び歩いて進み出していた。
ここは、月の光も通らないので足元は暗いが、それでも神である五人には足元が見えた。
そうやって進み始めた時、簾と律がふと、足を止めた。そして、見る見る表情を変えると、サッと明蓮と公明、紫翠を脇の茂みへと放り込んだ。
「な、な、何?!」
公明が、突然のことに地面で尻餅をついて言うと、明蓮が紫翠を抱き起し、茂みに伏せた。
「何やら、物凄く大きな気を感じる。真っ直ぐに、北東から来るようぞ!」
公明は、息を飲んだ。確かに、感じる。感じたことのないような殺伐とした暗い気でありながら熱いような、そんな気がこちらを目指して飛んで来る。
そしてそのずっと後を、また多くの気が追って来ているのを感じた。
「月の宮の方角ぞ…」
明蓮は、それが何を意味するのか、分からなかった。どうみても、後ろからくるのは、軍神だ。それも、闘気をまとった軍神達だ。戦でもないのに、なぜ?
ぐんぐんと迫って来たその前を行く大きな気は、辺りの木々を事も無げになぎ倒して、丸裸にした。
そして、明蓮は、それを見た。
上に浮いているのは、龍王にも似た黒髪の美しい顔立ちの男で、その目は金色に光り、そして赤い色を帯び始めていた。
「新月…!術が、始まったのか…!」
律が、明蓮達の前に立ちはだかりながら、言った。すると、新月の口は動いていないのに、声がした。
《裏切者よ…我が糧を返してもらおうぞ。》
律と簾は、刀を抜いた。
「我ら…取引をした。」と、浮き上がった。「だからこそ連れて行かせるわけには行かぬ!」
二人は、それは素早く新月に切りかかって行った。それでも、新月はそれをあっさりと塵でも払うように手を振って、気で叩き落とした。
《無様なものよ!もうそろそろ死ぬだろうに!》その声の楽し気な色とは違い、新月の顔は全くの無表情だった。《さて、来るが良い。》
明蓮は、公明と紫翠の前に立って、二人を庇った。しかし、気の帯が伸びて来て、簡単に三人を捕らえた。
「ああ!」
明蓮は、締め上げられて、声を上げる。するとそこに、龍軍の甲冑を着た軍神達が、わらわらと降りて来てその気を断ち切った。
回りを見ると、青い甲冑の者達が新月の回りを囲んで浮いている。
…見つけられておったのか。
明蓮は、誰かの腕に抱えられながら、そう思った。
「怪我はないか。」
聞き慣れた声に、ハッとしてその腕の主を見ると、明輪が顔を覗き込んでいるところだった。
「ち、父上!」
明蓮は、思わず叫んだ。父が来た…我を、助けに!
回りを見ると、公明も紫翠もそれぞれ他の軍神達に抱えられて浮いている。ひと際上には、炎嘉が同じ龍軍の青い甲冑を着て、腕を組んで浮いていた。
「仙術などに食われおって。だがそれぐらいなら我でも始末出来ようぞ、享よ。主、あのただの神の享であろうが?」
馬鹿にするような言い方だ。相変わらず、新月の表情は変わらない。そして、口も動かなかった。それでも、声がした。
《炎嘉か…!お前などに…!》しかし聴こえる声は激昂していた。《龍などと手を組んでぬくぬくとしておるお前などに我は負けぬわ…!》
新月の目が、一気に真っ赤に変色した。
そして、その体から爆発的に大きな気が、黒い霧と共に吹き上がった。
「く…っ!」
炎嘉は、それを避けて横へと飛んだ。
「避けよ!月に浄化させるのだ!」
炎嘉は叫んで、自分を狙って来るその激しい気の放流を避け続けた。
十六夜の光も激しく降りて来て辺り一面を真っ白に染めていた。そのせいで何も見えないが、しかしこの力でなければ、闇の力は押さえられない。そんな最中でも、その闇の気は炎嘉を追って伸びて来た。
このままでは…だがしかし、まだ完全な闇ではなさそうぞ。
炎嘉は、機を測った。恐らく今は、闇に飲まれようとしておる最中。ならば今しか抑えられる時がない。
光でよく見えないが、それでもこの闇が追って来る方向は分かる。
《駄目だ、まだ闇じゃないんだ、闇が生まれ出て来るエネルギーを利用して戦ってやがるんだ!》
十六夜の声がする。炎嘉は、距離を測ってそちらへ向かって気を放った。
《駄目だ、炎嘉!新月に触れるな!皆、離れろ!駄目だ!無理だ!》
十六夜の声がする。新月の声ではない声が、嘲笑うかのように叫んだ。
《死ね!己より強い者があることを知るがいい!》
「王!」
嘉楠の声がする。
炎嘉は、自分の盾を貫いて放たれた気の放流に捉えられ、地面へと落下した。
《もらって行くぞ!》
「させるか!」
明輪の声がする。
《邪魔ぞ!》
「父上!!」
明蓮の声が叫んでいる。
近くにドサリと音がして、何かが転がって来るような気配があったが、光の中でよく見えない。
公明は、自分を掴んでいた龍の軍神があの気に薙ぎ払われて落下したので一緒に地面を転がって、どうなっているのか分からずに居た。そこに、横からがっしりと腕を掴まれて、ビクッと震え上がった。
「…公明。」律だった。頭からも腕からも、体からも血が滴り、もはや生きているのが不思議な状態だったが、目だけがギラギラと公明を見ていた。「よく聞け!お前達は岩屋へ連れて行かれる。だが、絶対に見たものを信じてはならぬ。不思議な世界を見ようが、信じてはならぬ。己の中の己の声にだけ耳を傾けよ!誰の言うことも、聞いてはならぬ!自分の中にある世を治めるための血を信じて、正しい事だけを選ぶのだ!分かったの!」
そうして、公明の膝に崩れるように、バッタリと倒れた。
「り、律!律!」
「公明!!」真横から、明蓮が顔に擦り傷を作った状態で、言った。「立て!早く…、」
《来い!》
二人は、まとめて何かに掴まれた。
「ああ!」
公明と明蓮は、フワッと持ち上がった。見る見る遠くなる地上には、たくさんの龍達、律と簾が倒れている。その中には、必死に体を起こそうとしている、明輪の姿もあった。
「父上!父上!」
明蓮は、叫んだ。明輪は、血まみれになった手でもがきながら、遠ざかって行くその背を目で追った。
「明蓮…!」
明輪は、そこに倒れた。
そこには月の宮の軍神と、龍南の宮の軍神達が倒れているだけだった。




