それぞれの憂鬱
龍の宮でも、明維からの知らせは来ていた。
そういう筋ではないが、それでも案じているだろう維月のためを思った知らせのようで、書状も維月宛てに遣わされた私的なものだった。
維月は、その書状を維心と共に居間で見て、さすがに力を失くしてフラッと倒れた。
横に座っていた維心が慌てて維月を支え、そうして維月を抱きしめた。
「維月…。」
いつもなら何度も慰めの言葉を掛けるのだが、さすがにもうここ数日でそれは使い果たされてしまっていた。可愛がっていた前世の曾孫の奏は死に逝くしかなく、今生の孫の明蓮はさらわれ、それは見つかっているものの、前世の孫の新月の中に闇の仙術があり手だてがないのを聞かされ、そして同じく前世の孫の和奏は、老いで死にかけている。
ここ数日の怒涛の不幸に、さすがに気丈な維月も、耐えられなかったのだ。
「維心様…もう、本当にもう、身が裂かれるようで耐えられませぬ。月へ…しばらく帰らせてくださいませ。」
維心は、維月を抱きしめながら複雑だった。前世から、維月は耐えられないほどつらくなると、月へと帰りたがった。そこには十六夜が居り、そして何より本体なので、気持ちが安定するのは知っていた。
それでも、維月は自分の側より月が良いのかと複雑な想いになってしまうのだ。
「維月…我が居るではないか。我にすがるが良い。政務はここへ持って来させるゆえ、主を置いて参ったりせぬから。我では、主を癒せぬと申すか。」
維月は、首を振った。
「そうではありませぬの。あちらに居れば、複数の場所を見たい時に同時に見ることが出来まする。ここに居ったら、月を見上げねばなりませぬ。これほどにいろいろなことが起こってしまっては、誰かの報告を待つ方が私にはつらいのですわ。奏と和奏を看取るのも、明蓮の様子を見るのも、新月を見るのも、月なら一緒に出来まする。だから月へ戻ろうと思うたのですわ。」
維心は、悩んだ。確かに維月の言う通り、今言ったことを同時にしようと思ったら、月に居なくては無理だろうからだ。それでも、維心は維月がつらい時に側に居たかった。そうして、癒してやりたかったのだ。
維心が迷って維月を抱きしめたまま座っていると、庭の方の窓が、開いたのが分かった。
「…十六夜。」
維心は、そこに十六夜が立っているのを見た。維月を、連れに来たのか。
維月は、十六夜の姿を見ると、涙を流して立ち上がり、駆け寄って抱き着いた。
「十六夜…!ああどうしたらいいの。気持ちを持って行く場所がないの…!」
十六夜は、維月を抱き寄せてその背を撫でた。
「もう、オレだってつらいんでぇ。あっちこっちいろいろあり過ぎて、オレもお前とおんなじだよ。でもな、今月へ帰って来たら、駄目だ。」
維月は、驚いて十六夜を見上げた。
「え…どうして?」
十六夜は、明らかにやつれた顔で言った。
「新月だ。親父が新月のことを見てたんだが、あれはどうしようもねぇ。賭けみたいな方法ならあるが、多分駄目だろう。だから、新月は月の結界の中で死ぬつもりで居るんだ。なぜなら、もし新月が死んで中から闇が出て来ても、オレの結界の中ならすぐに消しちまえるからだ。闇がオレに対抗するためには、前世で知ってるだろうがお前を取り込むしかねぇ。だが、お前は龍の宮の維心の結界の中に居る。だから、そこまでたどり着けねぇ。維心は最強だから、よっぽどの力の闇に成長しなきゃ、維心の結界だけは抜けて来れねぇからだ。新月がいつどうなるか分からねぇ今、お前が月になんか帰って来たら、闇の思う壺なんでぇ。ここに居な。それが、オレのためでもお前のためでも、世の中のためでもあるんだ。」
維月は、口を押さえた。もう、限界に近いほどいろいろな衝撃を受けて来ていて、今聞いたことが、本当に留めになったようだった。
そして、維月は気を失って倒れた。
十六夜がそれを受け止めたが、維心が慌てて側に寄って来て維月を抱き上げた。
「今申したことは誠か。」
十六夜は、頷いた。
「オレはよっぽどでなきゃ嘘はつかねぇ。全部ほんとだよ。だからお前、維月をしっかりがっつり守ってくれよ。結界はいつもより強化しててくれ。親父も守るって言ってたから、まあ抜けて来るのは無理だろうけどな。闇の切り札は陰の月だから、オレが取り逃がしたりしたら、ここへ来る可能性は高いしよ。」
維心は、しっかりとひとつ、頷いた。
「任せておくが良い。維月だけは、誰にも、闇にも渡さぬ。前世のようなことは、もう二度と。」
十六夜は、はあとため息をつくと、頷いて踵を返した。
「オレだって参ってるし維月と一緒に居たいが、今度ばかりは前世のことがあるからよ。親父は闇に対してはオレより力が無い。そのためにオレ達を作ったんだし。だから、オレが何とかしなきゃならねぇ。頼んだぞ。」
そうして、十六夜は日暮れの中、光に戻って月へと打ち上がって行った。
その頃、夕日が落ちて行くのを、簾と律、明蓮、公明、紫翠の五人は木の洞の中から眺めていた。
あれから、外の様子を見に行った律が持ち帰った近くの湖で汲んで来た水を飲み、明蓮も紫翠も少し眠った。
公明はついさっきまでずっと寝ていたが、気も回復して体は大丈夫そうだった。
それでも、母が死んだと聞かされたショックはまだ癒えていないようで、表情は暗かった。
律はその様子を見て分かっていたので、気遣って公明には話し掛けなかった。なので、明蓮が小声で話しかけた。
「公明…もうすぐであるぞ。炎嘉様の結界内に入れば、もう心配は要らぬ。あのかたは、我が王の次に力をお持ちであるのだ。父王にもすぐにお会い出来ようぞ。」
公明は、それを聞いてしばらくじっと明蓮を見つめていたが、視線を反らした。
「…別に…そうではないのだ。」明蓮が、どういうことかと眉を上げると、公明は続けた。「律が、母上を殺した。だが、それは律だけが悪いのではない。」
明蓮は、急いで言った。
「確かに、命じた享と申す神が悪いよの。」
しかし、公明は首を振った。
「そうではないのだ。」と、公明は思い切ったように明蓮を見た。「主、母と妹が危ないと聞いて、己から屋敷を出て参ったというたの。」
明蓮は、戸惑いがちに頷いた。
「乳母が…父上の結界を、どうしてだが抜ける術があるというので、我が出て参れば、二人が助かるのならと。」
公明は、泣きそうな顔をした。
「我は、違った。」明蓮が驚いていると、公明は続けた。「律と簾が押し入って来た時、母上は次の間に我の着替えを取りに参っておったのだ。我より他に居らぬから、あれらは入って来た。そのままあれらに主のようについて参れば、母上は簾と律に遭遇することもなかったのに。我は…母上を呼んだ。連れて参ろうとする簾と律に怯えて、母上!と叫んだのだ。母上は、すぐに飛んで来て我らを見て軍神を呼ぼうと声を上げようとして…」
公明は、こらえきれずに泣き崩れた。明蓮は、呆然とした。では、公明は助けを求めて、母が来たゆえ、刺されたと。
「我のせいぞ。」公明は、涙の中から言った。「簾と律は殺そうとしてはおらなんだ。母が居らぬ時に来た。なのに、我が呼んで、母上が来たゆえ、刺した。ゆえ我も同罪ぞ。我が、母を殺したのだ。」
明蓮は、公明の告白にどう答えていいのか分からなかった。公明は、それを気に病んでいたのか。それで、時に暗く沈んでおったのか。
泣いている公明に、黙っていた簾が、言った。
「…主のせいではない。普通の子なら、あのような時親を呼ぶ。側に居るなら尚の事。我らが主の母を殺したのだ。主が殺したのではない。その責を負うのは、我らぞ。」
しかし、公明は泣き止まなかった。
そのまま、公明は日が沈むまで、泣き続けたのだった。




