潜むもの
「朱伊が居らぬ?」
享は、戻って来た軍神の一人に、怪訝な顔をして言った。相手は、膝をついたまま顔を上げて頷いた。
「は。様子を見に参ったのですが、子らを籠めていたらしき箪笥が空でそこにあり、簾と律は居らず。そこから、血の匂いを辿って行こうかと探したのですが、潜んでいた屋敷から続く血肉の匂いもそこで掻き消えておって、気配も気取れませぬ。朱伊殿を探したのですが、そのごく近くに二人の仲間の遺体があり、朱伊殿のお姿だけございませんでした。」
享は、手にしていた茶碗を床にたたきつけた。三江が、それを見ておずおずと欠片を拾い集める。
報告して来た軍神は、顔色を変えずに言った。
「龍王が、気取っておりまする。」
享は、立ち上がってうろうろと歩き回った。守備は上々のはずだった。必要な命を手に入れ、まんまと隠しおおせ、後はゆっくりと時間をかけて一か所に集めるだけ。そうすれば、龍王も叶わぬ力を手にすることが出来るのだと…。
「…子を取り返すのだ。龍王が破邪の舞いを舞えば、我らは皆地上から消え去る。その前に、あの龍王の息の根を止めてしまわねば、長く温めて来た計画が全て水の泡になる。主が取り返して参れ、永。」
永と呼ばれたその軍神は、享を見上げた。
「もはや普通の方法では取り返すことは出来ませぬ。恐らくは、泳がされておる状態ではないかと。我がここへ子を連れて参ったら、それを追って龍軍が参りまする。享様が発見されるようなことは、何としても防がねばなりませぬ。」
享は、永を見た。
「策があるのか。」
永は、視線を鋭くした。
「…享様。すぐに儀式の始めを整えねばなりませぬ。このままでは、我らと龍軍では多勢に無勢。あれが暴れれば、それなりのダメージがあるはずです。子らはあれに奪って来させれば良いではありませんか。誰かの結界に入る前に、行動をおこされるべきです。幸い、我らが子を奪いに参るのを待っておるのか龍軍は動かない。あれらが待っておる間に、こちらは手はずを整えましょうぞ。」
享は、ピタと足を止めた。
「そうだ…確かにその通りぞ。これ以上使える人員を失うわけにはいかぬ。どうせ呼ぶのなら、今初めて呼べば良いのだ。」と、その屋敷の中を歩き出した。「儀式の岩屋へ参る!皆を回りの守りにつけよ!」
永は、頭を下げた。
「は!」
そうして、享はその屋敷を出て行った。
永は、息をついて踵を返し、遅れてその後をついて行った。
月の宮では、明けて来ようとしている空を、蒼は睨んでいた。
ここ数百年で、蒼も必要な時には眠りを制御する方法を教わって、こうしてずっと起きていようと思えば、気を張ってさえいれば眠気も来ず普通に起きていられた。
十六夜もそうなので、月に戻っている今もずっと起きているようだったが、それでも気は元気そうだった。
《奏は晃維が今、明花に代わって気を補充して安定してるぞ。》十六夜が、蒼に向けて言った。《気の補充を止めたら死ぬのは変わらねぇけどよ…でも明花と晃維が代わる代わる頑張れば、公明が戻って来るまでは何とかなりそうだ。》
蒼は、頷いた。
「そうか…何だか明蓮達も見つかったし、後は黒幕捕まえたら終わりじゃないか。ところで十六夜、玲が作ったあの魔法陣、うちの結界にも張ったのか?必要ないって玲は言ってたけど。」
十六夜は首を振ったようだった。
《いいや。オレの結界は元々魔法陣検知用の気を混ぜてるから何かあったらそれがズームで見えるんだよ。だから、何も。》
蒼は、首を傾げた。
「それって、どう見えるんだ?結界は十六夜に任せてるしオレは見たことないんだけど。」
十六夜は、答えた。
《ああ、魔法陣持って入って来ようとした奴は大きく光って見えるんだよ。それで、どんな魔法陣持ってるのか分かるんだ。で、それはオレが結界で弾く。維心みたいに自動じゃなくて、オレは手作業さ。》
手作業と聞いて蒼の脳裏には、十六夜が月からそれを見ていて魔法陣を持った神を指先でピンッと弾いているのが浮かんだ。
「それって、その神が懐とかに隠し持ってても見えるのか?」
十六夜はまた答えた。
《見えるぞ。今まで見えなかったのはねぇと思う。玲がよく魔法陣持って結界の出入りするんだがめちゃくちゃ見えてるぞ。だが…そうだな、もしかして飲み込んでたりしたら見えねぇかもしれねぇなあ。そいつの気で隠れてさ。》
蒼は、顔をしかめた。
「飲み込むって魔法陣描いた紙をか?それは無いだろうが、不便だな。ちょっと深めに見えるように設定し直してくれよ。石とかに仕込んで飲んで入って来て、出したらどうするんだよ。月だってかかる仙術多いんだからな。神の気対応の魔法陣だから、効果が無いだけで。」
十六夜は面倒そうに答えた。
《わーったわーった、すぐにやってみるよ。親父に聞いてみるかなー。あんまり変なことして殺しちまったら寝ざめ悪りぃしよー。維心の結界のえげつないのったらないだろう。オレは相手を腐らせてまで捕らえようなんて思えねぇし。》
蒼は、それには維心に同情した。
「それぐらいでないと、龍王を恐れさせることが出来ないからじゃないか?維心様だって好きでやってるんじゃあないと思うけど。」
十六夜は、維心の話になると少し不機嫌なようだった。
《お前は維心寄りだからなー。じゃ、親父探すわ。またな。》
十六夜の声は途切れた。
蒼は、また維心と十六夜が口喧嘩でもしたんだろうかとため息をついたのだった。
そして、蒼が今日も宮の執務の説明をしに翔馬が来るかと居間の正面の椅子に座っていると、新月が入って来て頭を下げた。相変わらず、起き抜けとは思えないほどすっきりとしたいで立ちで入って来た新月に、本当に自分の息子なのだろうかと心の中でため息をつく。
その息子は、言った。
「父上。そろそろ政務の説明に参る時間かと参りました。」
蒼は、頷いた。
「座るが良い。」
新月は、すっすと歩いて来て、蒼の隣の椅子へと座った。そして、窓の外に昇って来る朝日の方を見て、目を細めた。
「…何やら騒がしいのはまだ収まりそうにありませぬか。」
蒼は、首を振った。
「いや、そろそろかと思う。維心様も、もしかして破邪の舞いの式はせぬかもしれぬな。」
新月は、驚いたようで蒼を見た。
「昨夜、何か?」
蒼は、新月にはまだ何も言っていなかったと口を開いた。
「いろいろと進展があった。まず、玲があの魔法陣の対策用魔法陣を完成させた。」
新月は、片眉を上げた。
「あれはかなり優秀な男なのでありますな。普通、仙術などなかなかに編み出せぬものであるのに。しかも、対抗仙術となると。」
蒼は、苦笑した。
「まあ完全な対抗仙術ではないが、それでもあれを阻止することは出来よう。神世の宮には、昨夜の内に告知しておる。それから、さらわれた子らが見つかった。」
新月はまた、驚いた顔をした。
「…早い。何かあり申したか。」
蒼は、頷いた。
「子らの中に鷲の血筋が混じっておった。鳥族は、特定の周波数を持っておって、それは気を遮断する膜を抜けて参るのよ。ゆえ、炎嘉様がその周波を気取られて、維心様と共に様子を見に参り、潜伏先を見つけたのだ。しかし、既にもぬけの殻であったがな。」
新月は、考え込むような顔をした。
「それで、どうやってあれらの逃走場所を?」
蒼は、十六夜の結界がある場所を見上げた。
「月の宮の結界はそうではないが、維心様の結界は維心様が指定しておる条件のものを焼く。何度も仙術の攻撃も受けておる維心様は、魔法陣の対策も取っておられ、結界を抜ける前に焼き消すのだ。そして、維心様の結界に焼かれた者は、龍に治療させねば傷が癒えることはない。腕に仙術を描いておっただろうそやつらは、血と腐り落ちる肉を落としながら逃走しておった。ゆえ、龍の軍神達は事もなげに見つけたのだ。今は、それらの様子を見ておるところ。炎嘉様の結界近くであったし、どこにも逃げることなど出来ぬ。泳がせておる状態よ。」
新月は、少しほっとしたように南の方角を見た。
「ならば、あちら…。あれらも、親の元に戻れ…、」
朝日が、居間へと流れ込んで来る中、新月は、急に言葉を詰まらせた。蒼は、驚いて新月の顔を覗き込んだ。
「…新月?どうしたのだ?」
新月は、何やらくぐもった泡立つような音を立てて、声を出せずに居る。そして、胸を掴むように押さえて、体を折り曲げていた。
「新月?!」と、空に向かった。「十六夜!誰か、碧黎様は?!誰かある!」
新月は、胸を押さえていないほうの手で口を押さえ、苦し気に嗚咽を漏らしている。すぐに、パッと十六夜と碧黎の二人が目の前に現れた。
いつもなら、突然に出て来ることをまず咎めるのだが、蒼は今それどころではなかった。何より、二人の顔を見てホッとして言った。
「十六夜!碧黎様!新月が…急に!」
十六夜は、急いで新月に歩み寄った。
「なんだ…何が起こってる?!体の中が暴れてるみたいになってるぞ!」
碧黎が、眉を寄せてじっと新月を観察した。
「…結界ぞ。十六夜、今我が言うように張り替えたであろうが。その影響を受けておるのだ。」
十六夜は、驚いて蒼を見て、新月を見た。
「なんだって…あれは仙術対応の…蒼がもっと深くまで見えるようにしろとか言うからよ!」
その時、新月は咳込んで口から血の塊を噴き出した。最早座っても居られないようで、そのまま床へとくずおれる。蒼は、慌てて叫んだ。
「とにかく結界を元に戻せ!調べないと!」
十六夜は、慌てて空を見て手を振った。すると、痛みから体に緊張が走っていた新月が、ぐったりと力を抜いて床にうずくまった。
碧黎は、そんな新月をじっと見つめ続けていたが、何も言わない。十六夜は、碧黎に叫んだ。
「親父!誰が命に関わるような結界にしてくれって言ったよ!あの波動だったら主の言うような形になるとか言ったじゃねぇか!」
碧黎は、まだ新月から視線を反らさずに答えた。
「確かにそうよ。こちらの命に関わるようなものでなければ、命までは獲らぬのだ。術の大きさに合わせて攻撃を仕掛ける仙術対応の結界ぞ。」と、十六夜に視線を移した。「新月の身の中に、命に関わる大きな術の何かが潜んでおると言うことぞ。」
蒼が、息を飲む音が聴こえる。新月が、薄っすらと目を開いて、口から血のしずくを滴らせたままで、小さく言った。
「…我の中に…仙術があると申すか。気取れもせぬのに…?」
碧黎は、頷いた。
「我も気付かなんだが、何かに包まれた術が、眠っておる。何を機に発動するかも知らぬが、だがかなり古いものぞ。十六夜の結界が、それを気取って排除しようとした。危険なのに消せぬものなら命事消しにかかるはずだが、それが今、目の前で起ころうとしておったのよ。つまり、我らには見えぬが、その仙術はかなり危険なものなのだろう。月の気が有無を言わさず消しに掛かるなど、なかなかにない。そこまで月の気が敵意を示すのは…世に一つぞ。」
蒼が、呆然と碧黎を見上げた。
「…闇。」
碧黎は、頷いた。
「そもそもの月の存在理由ぞ。十六夜の意思など関係ない。月の光と対照となるのは、闇。闇や黒い霧、主らが意識せずとも力が勝手に浄化し攻撃して回ろうが。そういう性質なのだ。」
蒼は、愕然と新月を見下ろした。この、息子の中に、闇と繋がる何かの術が隠されているというのか。
「どうしたらいい…取り出すことは出来ねぇのか。霧に憑かれた神や人なら、オレ達の光が外へ追い出して消しちまうだろう。そんな感じに。」
碧黎は、首を振った。
「だからこれまで気付かず身の中に持っておったぐらいなのに、しかも月の結界の中でも平気で存在していたものなのに、どうやって引き剥がすのだ。無理ぞ。新月の命ごとでなければ消せぬ。だからこそ、月の力はあんな風に反応したのだ。」
新月は、口を着物の袖で拭って、体を起こした。蒼が、急いで手を貸そうとするが、新月はそれをやんわりと制した。
「…痛んだ場所、心の臓の辺り。恐らくそこに、その術はあるのでしょう。月の力がそれを物凄い勢いで掴み出そうとしているようであった。回りの臓器にも波及しておるので、我の護りが修復しておるが時が掛かりそうぞ。少し、休ませていだだけまいか。」
蒼は、頷いた。
「治癒の対へ。」
新月は、首を振った。
「いえ、部屋へ戻りまする。我の身…恐らくは、ただでは済まぬ。」
蒼は、それを聞いて自分の心臓を押しつぶされるような衝撃を受けた。新月…やっと見つけたのに。新月の中には、いったいどんな術が隠されているのだ。どうしたら、それを取り除いて阻止することが出来るのだ…!




