生き残る術
そこには、まるで水泡のような黄色い膜が張られ、簾と律、そしてまた黄色い膜に覆われる箪笥が中に収まっていた。
簾と律は頷き合うと、律が進み出て泡を弾くように、箪笥の膜を破った。
そして、箪笥の扉を開くと、中からは二人の、利口そうな視線がこちらを捉えているのが見て取れた。
もう一人の赤子は、箪笥の隅で背を丸めてすやすやと寝息を立てている。
律は、小さい方の子供に話しかけた。
「今話しかけたのは主か。」
明蓮は、頷いた。
「我ぞ。」と、二人の腕の傷を見て、一瞬ためらうような顔をしたが、言った。「…痛むであろうな。先ほどより浸潤速度が速い。」
簾が、驚いたように後ろから言った。
「主、分かるのか。確かに急に進み始めた…最初は表面を焦がす程度で悪くなる速度もそうでもなかったのに、急にぞ。」
明蓮は、頷いた。
「父上から聞いておる。王の結界の気に焼かれた者は、徐々に気で身を冒されて行くが、最初は表面だけに見える。しかし深くなるにつれて血管へと到達し、血の流れに乗った後は早い。波が砂の山を崩すように朽ち始めるが、その時にはもう、全身に血液と共に毒は回っておる。そのままにしておけば、あと数時間かと思われる。」
簾は、顔色を青くする。律が、焦ったように明蓮に腕を突き出した。
「留めることが出来ると言うたな!早う何とかせよ!」
明蓮は、じっとその律の目を見つめた。
「主、我に何か頼める立場ではあるまい。目の前で乳母を殺したであろうが。母と妹がもはや警戒した父上と王に守られるのは分かっておるから我にその脅しは聞かぬぞ?我がそれをすることで、我に何の益があるのか申してみよ。」
まるで、成人した神と対峙しておるようだ。
簾も律も、明蓮の落ち着いた様子にそう思った。そう、これは子供ではないのだ。こちらが闇雲に脅しても、動じることもない。そして自分達が自分達の命を大切に思う限り、明蓮という龍を殺せないのもまた知っている。
律が明蓮を睨んでいると、簾が進み出て言った。
「我らは己の命を守りたい。主はもはや、我らを助ける気などなかろう。主が龍に交渉し、我らの命を救うことを確約するなら主らを守って再び龍の結界に参ることを約そうぞ。お互いの命をお互いに守り合うのだ。我らが行き倒れることは既にあちらも知っており、我らが死んでも別の奴らが主らを回収しに参るぞ?恐らくもうその辺りまでは来ておるはず。我らは、それから主らを守って結界へ送ると約す。」
明蓮は、無表情に空の星を見上げた。おおよそ子供らしくないその様に、龍王を感じてまた簾の身は痛んだ。
明蓮は、言った。
「…ここは龍の宮北西か。」
それには、律が答える。
「その通りぞ。ここから主らを龍の宮まで連れて参るのは時が少しかかるが、龍軍があちこちに出ておるゆえ堂々と飛べばすぐに見つけられような。」
「ならば、炎嘉様の宮へ。」明蓮は、言った。「ここより一番近い場所ぞ。主らの追手、近いのだろう。恐らく主らではその追手は抑えられぬと思われる。主が持っておった巻物の中で、面倒な仙術を見つけたのでな。あれを数人で掛けられてはひとたまりもない。」
律は、言われてハッとしたように自分の懐をまさぐった。そして、それが無いのを知って、苦々し気に笑った。
「…フン。やはり賢しい子か。」
明蓮は、自分の懐からその巻物を出した。
「皆覚えた。案じずとも我らも背後から加勢するゆえ、炎嘉様の宮ぐらいまでなら何とかなろう。だが体の大きさだけはどうにもならぬ。主らに期待するよりない。」
簾も、観念したかのように、苦笑して頷いた。
「せいぜいご期待に沿えるように働いてみせようぞ。」
明蓮は、小さな手を差し出した。
「それへ。我が出来る限りの処置を施そうぞ。」
簾と律は明蓮の前に来て、その大きさに合わせて膝をつく。
明蓮は、二人に術を放った。
しかし公明から見てその様は、まるで軍神が王に従っているように見えた。
義心は、その様子をじっと見つめていた。
部下達が、気で締め上げた気を失った朱伊を傍らに、その脇に控えている。
そのうちの一人、慎也が言った。
「…やはり明輪の子は瑠維様のお血筋だけあって他の子とは格段に違っておりまするな。」
義心は、頷いた。
「王のお血筋とはかくも優れておるのか。聞き及んではおったがこれほどとは思わなんだわ。これなら、我らが居らぬでも己で帰って参ったやもの。しかしまだ子供。無理をしておるな。」
慎也は、少し驚いたようだった。
「我には全く動じておらぬように見えまするが。」
義心は、首を振った。
「いくら賢しいても身は子供よ。気が思うようにならぬようになって来ておるのではないかの。眠りを制御しておるようであるが、それでは幼い体に必要な気が補充出来ぬ。子供の頃は気を睡眠で回復する割合が多いゆえな。あれではそう長くはもたぬ。」と、月を見上げた。「状況が変わって参った。王にご報告をしてこの後のご指示を仰がねばならぬわ。主はそやつを宮へ連れ帰って牢へ繋げ。我はここで王のご指示を待って行動する。」
慎也は、頭を下げた。
「は。では。」
慎也は、軍神一人を連れて気を失った朱伊を引きずり、飛んで行った。
義心は、月を見上げた。
「十六夜。見ておったか?状況が変わって参った、王にご報告を。」
十六夜の声が、嫌そうに答えた。
《えーマジかよー面倒だな。あいつ起こしたら鬱陶しいんだもんよー。維月にしよう。維月なら維心起こしても大丈夫だからさ。じゃあな、義心。》義心がそれを聞いて目を丸くしていると、一旦消えたはずの十六夜の声が戻って来て付け加えるように言った。《あ、そうだ義心。お前さ、まだ維月が好きか?》
義心は、突然のことに驚いた。そして、他の残っている軍神達を慌てて見たが、他の軍神達には聞こえていないようだ。
「…そのように込み入ったことを今申すでないわ。」
十六夜は、イライラと言った。
《聞いときたいから聞いたんだっての。好きか?好きなんだな?》
義心は、聞こえていないとはいえ回りの軍神達が気になって仕方がなかったが、十六夜は恐らく答えるまでしつこく聞くだろう。なので、言った。
「…だから我はいつまでも変わることはないというに。だがこれで良いのだ。」
十六夜の声は、答えた。
《何がいいんでぇ。ま、いいさ。それが確認出来たらいいからよ。またな。》
義心は、急いで月を見上げた。
「そっちこそ何がいいのだ!十六夜!」
しかし十六夜は答えない。
義心は、こんな時に気になることを言いおって、と不機嫌に、王からの指示を待って再び明蓮達の方へと視線を向けたのだった。
維心の声は、落ち着いていた。
「ならば慎也を戻らせるゆえ、子らは慎也に任せて義心には北へと何か気配が無いか、潜伏している奴らを探せを申せ。」
維心と維月は、まだ奥の間の寝台の上に居た。並んで座って十六夜の話を聞いている。十六夜の声は、答えた。
《分かった。じゃあ慎也が戻って来るまでは義心に見張らせとくよ。だが明蓮は気の補充が追いつかなくなって来てるぞ?どうするんでぇ。》
維心は、息をついた。
「あれの父親の明輪も行かせる。親の気を分けられるのが一番手っ取り早いからの。いよいよとなったら、明輪に手を出させよう。それまではそのままで。そのように伝えてくれぬか。」
十六夜に気遣っているようで、先ほどまでの命じるような口調ではない。十六夜は、それに気付いているのか居ないのか、あっさり言った。
《わかった。じゃあな、維心。》と、維月に言った。《維月、この件が無事に終わったら里帰りして来いよ。この前ちょっと帰って来ただけだっただろうが。維心がついて来てたしよ。》
維月は、気遣わしげに維心を見たが、頷いた。
「ええ、終わったらね。今はそれどころじゃないから。」
十六夜の声は、それでも満足そうに答えた。
《分かってるよ。じゃあな。》
そうして、十六夜の声は消えた。維心は、ため息をついた。いつあれが怒りだすかと思うと気が気でない。月を通信手段にするのが一番早いから使っているが、気を遣って仕方がない。
「…さあ、夜明けまで数時間あるが我は朱伊とかいう男を調べて参らねばならぬわ。慎也が戻った。結界を抜けたのが分かる。さっさと済ませて参るわ。主は寝ておればよい。」
維月は、そう言われたが一緒に寝台を降りた。
「居間でお待ち申し上げますわ。私も、奏のことも気になりまするし明蓮のことも。あの子は賢いので余計に無理をしておるのではないかと、案じられてなりませぬ。」
維心は、維月に着付けられながらまたため息をついた。
「いろいろと面倒な。しかし大本を叩かねばな。」と、窓から空を見上げた。「炎嘉に明蓮達が向かっておると連絡をしろと指示するのを忘れたわ。使者を使うか。」
もう一度話しかけるのは面倒らしい。維月は、慌てて言った。
「私が致しまするわ。」維心が片眉を上げる。維月は続けた。「私も月ですので、月を通せば話せますので。」
維心は、それを忘れていたので何度も頷いた。
「頼んだぞ。十六夜なら月に居るから常に見ておるとつい使っておったが通信ぐらい主でも出来ような。これからは主に頼むことにする。あやつは扱いづらいわ。」
維月は苦笑して、頭を下げた。
「終わりましてございます。」
維心は、頷いて歩き出した。
「では、行って参る。」
そうして、また暗い中、維心は牢の方へと向かったのだった。




