混乱
維心は、訪ねて来た炎嘉に対応していた。維心が破邪の舞いの儀式をすることは、昨日のうちに全ての宮に告示され、当然のこと炎嘉もそれを知ることになり、突然にそれをしようと言い出した経緯を聞きに来たのだ。
維月も、横で座ってそれを黙って聞いていた。
炎嘉は、全て聞き終わってからため息をついた。
「…また面倒なことになっておるな。して明蓮の行方は?」
維心は、首を振った。
「昨日まではまだ結界内に居るのだと思うておったが…先ほど、義心が南西の結界境に、焼けただれた魔法陣の燃え残りを見つけて参った。」
炎嘉は、厳しい視線を維心に向けた。
「…出たの。」
維心は、頷いた。
「恐らくは明蓮を何かに包むか、入れるようにしてその上からあれを貼り付けて運び出したのだろう。あれが小さいゆえ耐えられぬと見て、包むものに代わりをさせたのだ。今、軍神には南西を中心に結界外を探させておる。」
炎嘉は、長い息をついて、額に手を置いた。
「仙術の…ほんに面倒な。しかしそうなって来るとこれは政や久礼、定利の仕業ではないな。」
維月は驚いたような顔をしたが、維心は頷いた。
「あれらにこのようなあからさまなことは出来ぬ。前ならいざ知らず、新月が戻って定士の所業が知れたのが分かっておるのに、同じようなことをして追い打ちをかけるようなことが出来るほど気概のあるやつらではない。それに、数代前よりあれらの恨みは深くはない。だからこそ、放って置いたのだからの。」
炎嘉は、考え込むような顔をした。
「そうよなあ…こうなると、新月が戻ったことも考えねばならぬやもしれぬぞ。」
維心は、それはとっくに考えていたことのようで、特に驚く風でもなく頷いた。
「分かっておる。あまりに機が良過ぎるのだ。」
維月は、維心と炎嘉を代わる代わる見て、言った。
「私にだけお話が見えておらぬようですけれど…それはつまり、此度の敵は、新月を戻したかったということですの?」
維心が答えようと口を開きかけたが、炎嘉が先に言った。
「地を揺らすなど神であれば誰でもできる。そして、新月がそれを己の隠していた力を現わしてでも押さえようとすることも、あれの性質を知っておったら分かろうもの。そしてそれを月に気取らせ、居場所を知らせ、戻るよう説得させようとしたとも考えらえる。そう思うと、まんまと策謀に掛かったということになろうな。」
維月が絶句していると、維心が続けた。
「だが、あれは成人しておるし瑤姫から続く龍の王族の血と、蒼からの月の命でかなりの能力を持っておる。今更簡単に誰かにかどわかされることも無かろうし、まして我も観察しておったが、普通の神より理解力もある。簡単には利用など出来ぬはずではあるが…。」
炎嘉は、それを受けて続けた。
「とは言うて、そんなことは敵も知っておるわな。やたらと賢い子ばかりを集めておるのも気にかかる。公明には会ったことがあるが、志心も言うておったが賢しい子であっただろう。今ならもっとであるはずぞ。それから明蓮も、瑠維の子なら維心の筋であるから、かなり利口なはず。おおよそ、子供らしゅうないほどにの。」
それには、維月が頷いた。
「はい…瑠維の出産の折には、連れて来ておったので私も面倒を見ておりましたが、まるで小さな維心様を見るような。大変に賢くて、私も読めぬような古い書もスラスラと読んでおりました。考えも深く、落ち着いた子で。あの歳ではあり得ぬほど礼儀正しくて。」
炎嘉はそれに驚く風もなく頷いた。
「さもあろうの。維心など生まれてすぐからしっかりした目をしておったと聞いておる。半年で意味のある文章を話し始め、一年経てばそこらの神よりスラスラ話したと聞く。そういう血よな。」
維心は、息をついた。
「我のことは良い。それより、子らを探し出して、何かをしようとしておるのなら阻止せねばなるまいて。だが、膜を使っておるのは容易に想像できるし、その何かが起こる前に探し出せるのか疑問ぞ。」
「ゆえ、破邪の舞いか。」炎嘉が先を続けた。「まあゆっくり構えておったとしても、主の舞いの威力を知っておる奴らが聞けば事を急ごうとするであろうの。己の命は、その日で潰えるのだからな。」
維心は、グッと眉を寄せて宙を睨んだ。
「子をさらって何かを謀るなど気に入らぬ。此度は徹底的に始末しようぞ。維月、止めても聞かぬ。我は甘くてはやはり駄目なのだ。押さえ付けておかねば、調子に乗る輩がどんどん出て参る。我が抑えきれぬほど増えたら、戦ぞ。」
維月は、それを聞いて何も言えず、下を向いた。炎嘉も、それにはやはり真剣な顔で頷いた。
「今生の主は甘かったしの。我もどうかと思うて様子を見ておったが、蒼や十六夜の沙汰の甘さも手伝って、良い方向へは行っておらぬ。昔の主なら、その日のうちにさっさと宮ごと滅して草も残さなかった。だからこその、太平であったのだ。我も手伝う。戦国に戻すのは本意ではない。」
維心は、炎嘉を見て頷いた。
維月は、そんな二人を見て、いつもの見慣れた神ではないように見えて、ただ不安になって来るのを抑えることが出来なかった。
翠明が必死に公青の宮の軍神達と自身の宮の軍神達を率いて、先頭に立って結界内から結界外まで幅広く紫翠と公明を探している間、綾はただ、じっと座って窓の外を向き、目を閉じていた。
侍女達が、気遣わしげに声を掛けて来るが、綾はそのまま微動だにしない。そんな様なので、侍女達は案じて、無理を言って紫翠が居なくなってから戻って来なかった翠明を呼び戻した。
翠明が、甲冑姿のまま居間へと入って来ても、綾はこちらを見ることもなく、出迎えもせず、ただじっと窓側を向いて座っている。
翠明は、息をついて綾に声を掛けた。
「…綾。何をしておる?体に障る。腹の子の気で具合が悪いのではないのか。」
綾は、さすがにスッと目を開いた。
「…邪魔をなさらないで。紫翠を探しておりまする。」
翠明は、綾の横に座った。
「我も探しておる。気を探っておるのだろうが、あれは気を遮断する膜に籠められておるのではないかと公青殿が言うておった。どう探っても、なので気は気取ることが出来ぬのだ。我ら、しらみつぶしに探させておるゆえ。主は休め。」
それを聞いて、綾は初めて翠明の方を見た。
「まだあのように幼いのですわ!公明様は10年、明蓮と申す御子も5年と聞いておりまするのに、紫翠はまだ今月でやっと1年。子に子を世話せよと申して無理であるのに、どんな目に合っておるのか…我は、我は案じられてならぬのでございます!」
綾の美しい目からは、涙がポロポロとこぼれ落ちた。だが、視線はとても強く、そこらの女神のように臥せって誰かに任せきりではいられぬ性質が見てとれた。
「綾…気持ちは分かる。だが腹の子ぞ。主は二人を抱えておるのだ。紫翠のことは我に任せよ。主は、腹の子のことを考えよ。」
綾は、キッと翠明を睨んだ。
「どちらも我が助けまする!腹の子だとて、そのように柔い子ではありませぬわ!我の子ですもの!」
翠明は、頷いた。
「分かっておる。だが女の身で何ができるのだ。気を探っても無駄だと分かっておるのに、主はどうしようと言うのよ。」
綾は、また遠く山の端の方へと視線をやった。
「…我ら鷲は、特有の周波数を持っておりまする。気より細い糸のようなものですが、それゆえ遠くへ飛ばすことが出来る。紫翠にはそれが使えるはず。気が使えぬと言うのなら、我は紫翠から伸びるその糸を手繰り寄せてみせまする。」
翠明は、それで綾の気が済むのなら、とため息をついた。
「どんな気も遮断する膜と聞いておるが、主がそれを使うと申すならやってみるが良い。だが、無理はせぬようにな。我は、また探しに参る。」
綾は、しっかりと頷いた。
「はい。どうか、他の二人の母のためにも、お子達を助けてくださいませ。」
翠明は、頷いて綾を抱きしめると、また急いでそこを出て行ったのだった。




