幼子2
「我にはまだ知識が少ない。本当なら本日より宮の龍について学ぶはずであったのに、己で母上が取り寄せてくださった書を読むしか出来なんだ。なので心もとないのだ。分かることだけ話そう。主も共に考えて欲しい。」と、窓の外に薄っすらと黄色く光るのを指した。「あの膜。我が軍では軍神達に知らされておるのだそうだが、恐らく仙術で気を遮断するという厄介なものぞ。なので、我らの気は外へは漏れぬ。目視に頼るより他なく、海に落ちた玉を探すようなものであろうの。」
公明は、それを見た。気を遮断…初めて聞く。
「そのような膜があるとは。」
明蓮は、頷いた。
「つい数百年前までは知られておらなんだらしい。我が王はいつなり狙う輩が居るゆえ、新しい脅威に出会う確率が高いのだと父上はおっしゃっていた。その度、新しい脅威に対する対処法を龍軍軍神達は覚えて参るのだそうだ。父上は、知っておいて損はないとおっしゃって、そういった事を時がある時我に知らせてくださった。なので知っておる。あれを破るのは外からでなければならぬ。内からは何の気も通さぬから、無理ぞ。」
公明は、考え込む顔をした。
「ならば、あれらが我らをここから出そうとした時しか、我らはここから出られぬということか。」
明蓮は、また頷いた。
「そうよ。ここへ入れられる時部屋の外の様子を見たが、この屋敷自体がすっぽりと覆われておるようぞ。なので部屋からではなく、屋敷から出られる時しか膜の外へは出られぬな。それに、あれらが外へ出そうとして我らの気を漏らすようなことをするとも思えない。恐らく一人一人を包む膜を張られるように思う。」
公明は、息をついた。
「ならば手詰まりではないか。僅かばかりでも相手に傷をつけようと思うたら、我らの力では気を発するより他なかろう。だが、体を包まれたらそれが出来ぬ。」
明蓮は、フッと笑った。それこそ子供らしくなく、公明が驚いていると、明蓮は言った。
「だが、膜の中が広ければこの限りではなかろうが。同じ膜の中に居る者同士なら、相手に傷をつけることも可能ではないか。」
公明は、ハッとした。確かにそうだ。
「ならば…この部屋から出されてから、膜に包まれる前に相手を倒すということか。この、屋敷内で。」
明蓮は、頷いた。
「それしかあるまい。後は屋敷の膜から出る術であるが、主も考えてくれぬか。」
公明は、じっと頭の中を探った。仙術の巻物など、僅かしかなかったし興味も無かったのであまり読んで来なかったのだ。しかし、その僅かばかりの知識を引っ張り出して来た。
「…確か…仙術は術者が死ねば消えるというのが多かったように思う。張っておる本人を消すより無いのかもしれぬの。」
明蓮は、顎に手を置いて考え込むような顔をした。
「そうよな…主、立ち合いはしておるか。」
公明は、頷いた。
「軍神筆頭の隼について、いくらかは。だがまだ体が小さいゆえ、成人した神を消せるかと言われたら、難しいやもしれぬ。主もであろう?」
明蓮は、ため息をついた。
「我も父上についていくらか立ち合っておるが、刀に振り回されておる状態ぞ。逃げることは出来ようが、しかし立ち合いでは無理ぞ。だが、あれらが我らを殺そうと思うておるならとっくに死んでおろうが、こうして生かされておる。ということは、我らが抵抗しても、相手は殺しにかかることは無いであろう。そこに、勝機があるのではないか。主も我も、持って生まれた気は幸い大きい。紫翠ですらそうよ。ならばその力を合わせて気を放てば、相手はひとたまりもなかろうかと思う。」
公明も、それには同意した。
「主の言う通りよ。子供だと思うておるし、我らの事をそこまで警戒もせぬだろう。甘く見ておるうちに消すしかない。」
それには、明蓮は少し、顔色を暗くした。
「…そこよ。」
公明は、眉を上げた。
「どこぞ。」
「だから子供であるということよ。」明蓮は、考え込むような顔をした。「我とて、同じ年頃の同じように軍神の子供と話す機会は多かったが、皆我が思うておるよりずっと子供であった。言葉も拙く、礼儀もあまり知らぬ。主と話しておるようなことなど、到底話せぬ。我はここに籠められた時、主を見てこれは我が紫翠と主を守らねばまずいと思うたもの。だが、主は違った。己が賢しいと言われると言うておったが、その通りだと思う。我は対等に話す子供とまだ、会ったことは無いのだ。主が初めてぞ。」
公明は、それにはすぐに頷いた。
「我とてそうよ。主のような子供、見た事もないわ。だが、龍王など生まれてすぐから物の名前を解し半年ほどで意味のある言葉を発し始めたと聞いておるから、主の血筋のせいだろうと思うておったのだが。」
明蓮は、険しい顔を崩さなかった。
「だから、そんな稀な我らがどうしてここに籠められることになったのよ。偶然にしてはおかしくは無いか。もしや、あれらは我らが普通の子供ではないことを始めから知っておって、こうしてさらったのではないのか。ならば我らが何か考えることなど、最初から警戒しておるのではないか。」
公明は、そう言われて確かに、と黙った。知っていて集めたのなら、そのレベルに合わせた対応を考えているはずなのだ。
「…ならば、どうすれば良いのだ。」公明は、困惑して明蓮を見た。「主の考えた手は無理やもしれぬということではないか。」
明蓮は、息をついた。
「だから最初に言うたではないか。あれらがなぜ我らをここへ集めたのか分からぬからと。我にも今は、様子を見るより他ないのだ。いくら己で己の身を護ると言うて、負け戦をするつもりはないからの。まずはここがどこで、誰が何のために我らを連れ去ったのか知らねばならぬわ。」
公明は、ガックリと肩を落とした。明蓮にも手詰まりならば、今は何も出来ない。このまま、ここで放って置かれたら、何も出来ないままになるではないか…。
じっとそのやり取りを聞いていた、紫翠がもの問いたげに二人を見ている。それに、明蓮が気付いて言った。
「…どうした、紫翠?何か言いたいか。主、今の話は分からなんだであろうの。」
紫翠は、困ったように首を傾げる。しかし、口を開いた。
「ちちうえがおっしゃるようでわれにはわからぬ。」やはり、と明蓮が苦笑する。しかし紫翠は続けた。「しかし、ははうえは、あちらに居わす。」
紫翠は、真っ直ぐに後ろの壁の方を指していた。明蓮はびっくりしたように目を丸くする。
「何と?それは適当か、それとも確かにあちらか。」
紫翠は、少し気を悪くしたように憮然とした赤子の顔になった。
「たしかぞ。われは、ははうえの居わすところはわかる。ちちうえはわからぬ。」
公明が、顔を上げて明蓮を見た。
「主…気を遮断する膜と申したの。我にも外の気は一切気取れぬのに。」
「我もぞ。」明蓮は、紫翠を真剣な顔で見つめた。「命が懸かっておるのだ、紫翠。それは、気を読んでおるのか?気が分かるか?」
紫翠は、頷いた。
「わかる。気、ではない。ほかの、波、のようなもの。」
明蓮は、ハッとしたような顔をした。公明が、せっつくように言った。
「だから何ぞ?分かったのか、明蓮。」
明蓮は、しばらく呆然と紫翠を見ていたが、頷いた。
「主…鷹か?」
紫翠は、また気を悪くしたようだった。
「ははうえは鷲。ちちうえはちがう。われもちがうとおもう。」
明蓮は、驚いたようにまじまじと紫翠を見つめた。鷲の血筋…鷲が混じっているから、鳥族の間の周波数というものが使えるのだ。だから鷲である母の居場所は分かる。紫翠は、自分でも分からない間に、母の居場所をそれで探ることを覚えていたのだ。
だが、距離があり過ぎたら分からないはずなのに。やはり翠明から来た王の血筋だからなのか。
「だから何が分かった、明蓮。」
公明が、ブスッとして言う。明蓮は、公明を見た。
「…我は宮の歴史覚書で読んだ。龍と鳥の最終決戦の時ぞ。気を遮断する膜に覆われたら中に何が居るのか分からぬのだが、しかし鳥族は違う。その特有の周波数を読んで、膜に籠められても同族の位置を知ることが出来る。もう鳥は残り少ないが、鷹も然り。ならば鷲とて同じであろう。元は同じ種族から分化したのだと聞いておる。」
公明は、西に居たのでこちらの歴史書は読んでいなかった。初めて聞く事実に、驚いた顔をした。
「紫翠は鷲の血筋か。…もしや敵は、その周波数とやらが膜を通ることを知らぬのでは?」
明蓮は、頷いた。
「我らと共に紫翠を籠めておるのだからの。知っておったら同じ場所に置かぬだろう。確かにあの歴史覚書は、龍の宮の執務用の物だと聞いた。外にはその事実は漏れておらぬのやもしれぬな。」と、紫翠を見つめた。「紫翠、主、母に向けてその波を放て。恐らく遠すぎて、主から母の波が気取れても、母からは気取れぬのだ。ここに居るのだと、主の居場所を知らせるのだ。母から、主の波に応えるまでやれ。」
紫翠は、真剣な顔になった。紫の珍しい瞳が、薄っすらと赤く光ったように見えた。
「やろうぞ。ははうえをよぶ。われのばしょをしらせようぞ。」
そう言って、紫翠はじっと目を閉じた。
それを見て明蓮は、これでとにかく伏線は張れたと思っていた。後は、父達の救助が間に合わぬ時のため、自分達の身を護ることを考えねばならぬ!




