幼子
何かが、自分のことを揺すっている。
公明は、目を開いた。そして、薄暗いそこが知らない部屋の天井であるのを見て、事態を悟ってガバッと起き上がった。
「気がつかれたか。」
幼い声が聴こえる。
ぼんやりとしたロウソクの炎の向こうに、自分より小さな体の、黒髪に鳶色の瞳の、しっかりとした強い視線を持つ男児が座ってこちらを見ていた。
自分は、床の上に直接敷かれた褥の上に寝かされていたようだ。
公明は、じっと相手を見て言った。
「…主は、誰か?我は、なぜにこのような所に。」
相手は、頷いた。
「我は、明蓮。父は龍の宮軍神序列第三位明輪、母は龍王第一皇女瑠維。主は?」
公明は、驚いた。龍の宮…神世最大最古の序列最上位の宮だと書で読んだ。ならばこれは、幼いがかなりの地位の親の子だ。
公明は、姿勢を正した。
「我は、西の島公青の第一皇子、公明。母は五代龍王の第三皇子の皇女、奏…」
そこまで言って、公明はにわかに思い出した。そうだ、我は部屋で寝ようとしておって、そうしたら母上が来て…。
その後のことを思い出した公明は、いきなり立ち上がった。
「我は帰らねば!母は…ここはどこぞ?!我は帰らねばならぬ!」
すると、明蓮は慌ててそれを諫めた。
「ならぬ公明殿、騒ぐと気取られ申す。」公明は、驚いて明蓮を見た。明蓮は続けた。「我らは、囚われておる。逆らえば、家族の命は無いと言われておる。ここは、おとなしくしておらねばならぬ。」
公明は、自分より年下であろう幼い明蓮が、険しい顔をしながらじっと落ち着いて座っているのに、恥ずかしくなった。何やら悔しいような気がして、視線を反らすと、褥の上にどっかりと座った。
「…不甲斐ないことぞ。我は…寝ようとしておった時に、目の前で、母が刺されるのを見た。早う手当をせねば、母上が…。」
それを聞いた明蓮は、スッと同情したように目を細めた。そして、言いにくそうに言った。
「今は、もう次の日の夜。主は、ここに夕刻我が着いてすぐに連れて来られたゆえ。」と、側の大きな籠を見た。そして、その籠の中の何かに布をかけ直している。「主の母上は、恐らく侍女に見つけられてもう手当されておるだろう。案じるでない。」
公明は、気になって籠の中を覗いた。
「何がある?」と、見た事が無いほど美しい顔立ちの、まだ一年経つかどうかという赤子が眠っているのが見えた。「なんだと…赤子?」
明蓮は、頷いた。
「紫翠と申すらしい。」明蓮は、じっと紫翠の寝顔を見つめながら言った。「ここに居る間は、我らに世話をせよと。気はもう、己で取れるようになっておるので乳は要らぬし良いだろうと。」
公明は、戸惑った。妹の世話も、面倒でしなかった。書を見ている方が楽しかったし、自分はもっと世界を知りたかったからだ。それを、赤の他人の子を?
「そも、主はなぜそのように落ち着いておるのよ。いったい幾つであるのだ。」
「我は、5年。」公明が仰天しているのを見て明蓮は言った。「主は?」
「我は10年になったばかり。」と、公明は息をついた。「主、我も賢しいと言われておったが、主も大概よな。何を聞いた?我らを捕らえておるのは何者ぞ。」
明蓮は、首を振った。
「何者かは知らぬ。だが、我は乳母を通してこのままでは母上も妹も危ないと聞いた。父上は気取られておらぬで、信じて下さらぬと。我も、変な気配を気取っておったのだが、父上は信じてくださらなかった。なので、乳母の言うことなら尚の事聞かぬだろうと思うた。我が出て行かねば、母上も妹も殺されると乳母は訴えた…なので、我は屋敷を出た。屋敷の父上の結界を出た所で、男に会った。二人で、乳母は目の前で殺された。我は、母と妹を殺されたくなくば、おとなしくついて来るように言われ、そのまま屋敷を後にした。」
公明は、驚いた。では、こやつは己から出て来たのか。
「主は、己から出て参ったと申すか。」
明蓮は、頷いた。
「その通りよ。我の命より、我にとって母と妹の方が大事ぞ。妹は生まれたばかりであるしな。」
公明は、それを聞いて下を向いた。自分は、あの瞬間に母に助けを求めた。そして母は…。
「…我は、気を失ったまま連れ出されたゆえその後どうなったのかも、誰に連れ去られたのかも分からぬ。」
明蓮は、息をついた。
「しようがないと思う。あれらは、手段を選ばぬ。我とて、しばらく何やら変な模様が描かれた箱のような物に籠められた。気が付くと、ここだった。なので、ここがどこなのか、龍の結界の外なのか中なのかも分からぬのだ。主と同じようなものよ。」
公明は、そう言いながら眠る紫翠の方を気遣わしげに見る、明蓮の横顔を見つめた。まだ、赤子のような幼さが残るのに、明蓮は大変に美しい顔立ちだった。そして、幼いのにその血に潜む大きな気は、なんとなく感じ取れた。
龍王の血筋、か。
公明は、西の宮で読んだ書を思い出していた。特別に強い血。しかし、王族全てに大きく出るのではなく、王となるただ一体の龍だけが、その凄まじい気を持って地上を制するのだと言う…。
公明は、龍王維心を見たことがあった。あの気の大きさに比べたら、明蓮はそこまで大きく育ちそうにないのだ。恐れを感じることはない…。
それでも、龍という種族に対しては、どうしても先入観があって、どこか心の隅で怖いと思っている自分が居ることに気付いていた。母も龍だったが、穏やかでとても龍らしくはなかったのだ。
明蓮は、ふとこちらを見た。
「何ぞ?」
公明は、横を向いた。
「何も。ただ、主は龍王に似ておるなと。」
明蓮は、首を振った。
「我が王になど、おこがましい。母は確かに王に似ておられるが、我はあのかたのお役に立つために生まれたのだ。王はお仕えする敬うべきもの。臣下の我がそのようだとは王を貶めることぞ。」
公明は、目を丸くした。確かに臣下の子はそう教えられて育つのだろうが、この年でそんな事が言えるのか。
公明は、恥ずかしかった。皆に見たことも無いほど利口だと褒めそやされ、己でもそうだと自負していた。書も誰より読み、宮には自分を超えるものなど教育の神でも居なかった。それなのに、目の前の幼子は自分には思いもつかない考えの深さを持っている。ただの書の知識ではない、何かを明蓮は持っている。
公明がショックを受けて黙ると、明蓮はそれに気付きもせずに籠を覗き込んだ。
「…紫翆?目覚めたか。」
公明がハッとして同じように籠を覗き込むと、紫翆が目を開いてこちらを見ていた。思ったよりしっかりした視線で、公明は驚いた…もしや、これもどこぞの皇子か何かか。
「…ははうえは?」
たどたどしい口調だが、言葉はしっかりしていた。明蓮は、首を振った。
「ここは主の部屋ではない。我は、龍、明蓮。紫翆、我らは捕らえられておるのだ。分かるか?」
紫翆は、じっと明蓮を見た。
「…また、うばかじじょがわれをははうえからはなしたのか?」
明蓮は、首を傾げた。
「どうであろうな。とにかくここは宮ではない。おとなしゅうしておれよ。母が危なくなるゆえ。主、母が大事であろう?我も、母の命を盾に取られて身動き取れず甘んじておるのだから。」
紫翆は、赤子ながら考えたらしい。真剣な顔をして、頷いた。
「ははうえは、われがおまもりするゆえ。」
公明は、案外に話せるのかと、紫翆に話し掛けた。
「我も同じぞ。西の島の公明という。主は、どこの宮か?」
紫翆は、じっと考えた。そして、答えた。
「ちちうえは、翆明。ははうえは、綾。」
公明が、驚いた顔をした。
「なんと?主は、翆明殿の皇子か。」と、明蓮を見る。「父上の傘下の宮ぞ。父上は、翆明の宮に仙術を使って潜入した輩がおるゆえ月に相談に参ると、お留守にしておった。我は…その夜、さらわれたのだ。」
明蓮は、ソっと戸の方を伺った。公明が思わず黙ると、明蓮は言った。
「戸の外に二人。」そして、公明に小声で続けた。「あれらが我らをどうするつもりなのかまだ分からぬ。ただ、あれらは仙術を使う。我が王でも、厄介だという仙人の術ぞ。今は動けぬ。」
公明は、小声で返した。
「ならば主は、このまま捕らえられるままではおかぬと思うておるのか。父達の助けを待たぬと?」
明蓮は、幼子とは思えないほど鋭い目で頷いた。
「父上達は間に合わぬやもしれぬ。王の絶対の結界を抜ける術を使うのだぞ?父上は、軍神は己の身は己で守るのだとおっしゃっておった。身を投げ出すのは王の御身、民の身を守る時のみ。我とて軍神になる身。助けられるのだとしても、己で逃れる術も考えておかねばならぬ。」
公明は、またショックを受けた。この明蓮は、生まれて5年の幼子ではない。正確には、龍王の血というのは、自分の身を襲う危機に対して対処する術を生まれながらに持って来るのだ。そうしなければ、龍王という特殊な血筋を狙って来る輩から、逃れることが出来ないからだろう。そうして、この明蓮も、自分とは別の次元の能力をその身に頭に持って、生まれて来ているのだ。だからこそ、こんなことが起こっても、こうして泣き叫ぶ訳でなく、冷静に考えて対処しようとする。誰に頼ろうなど考えることもなく、生まれながらに他を守り、当然のことながら自分を守ることを考えることが出来るように生まれついているのだ。
公明は、背筋を伸ばした。自分も、西の島を治める父の血筋。そうして、遠くとも龍王の血筋であるのは間違いないのだ。ぐずぐずと己の誇りがどうのと考えず、分からぬことは明蓮に問うて、共にここから逃れる術を考えねばならぬ。
急に公明の顔色が変わったので、明蓮は怪訝な顔をした。
「…公明?どうしたのだ。」
公明は、じっと明蓮を見つめて、言った。
「我も共に考えようぞ。主の案を聞きたい。」
明蓮は、頷いて窓の方を見た。




