新月4
月夜は、それからソっと維月と維心を見ていた。
二人はそれは仲睦まじく、維心は正に片時も側を離さない様子だった。
政務があれば一人で出ては行くが、さっさと済ませると真っ直ぐに維月の待つ居間へと戻って来た。
それほどまでに共に居るにも関わらず、飽きる様子もなく維心は少しでも維月の姿が見えないと、宮の中を探して歩くほどだった。まさに飲み込まんばかりに愛していて、神世で溺愛していると言っていたのは間違いでは無かったのだと月夜は思った。
しかしその様子は、月夜の心に深く暗い想いを湧き上がらせた。
維月…あれが祖母になるのだと分かっている。それなのに、この気持ちはなんだ?長く離れていたからか。父から来た僅かばかりの陽の月の気が、維月を見るたびに吸い寄せられるかのように側に側にと乞う。
これは、恋情か。あの、叔父が抱え込んで離さぬ月を、我は望んでいるのか。だが、維月の心はどうなのだろう。龍王に嫁いで月の宮は力を持ったのだと聞いている。もしかして、維月は叔父を望んでいない?なのにあの力を権力を傘に着られて、抜け出すことが出来ぬでおる…?
月夜は、苦しかった。
父に話しても父は困るだけだろう。
維月にしても、月の宮のためにああしているのに、我などが割り込んで壊してしまっては何もかもが崩れてしまう。月の宮の、臣下達も、父も、母もその生活が崩れてしまう…。
月夜は、ソっとそこを離れた。自分は、やはり戻れないのだ。このまま月の宮に戻っても、維月が里帰りして来た時は会わねばならぬ。幼い頃のように、何気なくなど過ごせそうにない…。
月夜は、北へ向かった。明玄が、北へ向かうと言っていた。自分も、この寿命が尽きるまで、あれらと共に潜んで生きよう。もう、死んだものと思われているのなら尚更に…。
月夜は、明玄を追って北へ北へと飛んで行ったのだった。
明玄を探して行き着いた先は、思ったよりずっと北だった。
最果ての凍てついた地であったが、そこに住む人は皆善良で、気が澄んでいて過ごしやすかった。
神も中央の神との交流もないような、権力争いなどとは無縁で来た穏やかな神達で、たどり着いた時に様子を見に来たが、歓迎ムードで拒絶する雰囲気もなかった。
なので神の居ない地域に当たりをつけ、そこに人の屋敷の大きなもの程度の宮を建てた。
本当に幼い頃に住んでいた、記憶の中の屋敷を模して作らせた物だった。
そうするとなぜか分かるのか、人が祠を建てて神社をその近くに建て、そこに住む明玄や月夜を祀り始めた。
きちんと供え物も3日に開けず置いて行くので、月夜達は人の世話をし始めた。
軽い病ならすんなり治してやった。
災害もなるべく被害のないようにと気を遣ってやった。
中央から神が迷いこめば、拾って共にせわしてやった。
そんな風に穏やかに、緩やかに生活しているうちに、明玄も、それに付いて来た神達も歳を取り、月夜だけが老いを止める中、次々に年老いて旅立って行った。
「主だけを残して参るの。」最期の時に、明玄はしわがれた声で絞り出すように言った。「主はやはり、王族なのだ。なぜに我を追って参ったかあの時には聞かなんだか、逃げてはならぬ。主には、その血に刻まれた責務があろう。戻るが良い。こんな所に居てはならぬ。」
そうして、明玄は去った。
月夜は、まだ世話する神が居るにも関わらず、また独りになったのだと、涙を流した。
明玄がああ言ったにも関わらず、月夜は戻る気にはならなかった。
自分の身が老いを止めた時、確かに己自身でもこの血のせいだと分かっていたのだ。
それでも、無理だった。
維月と十六夜、維心が次々に亡くなった報を聞いても、なぜに今更と長く離れた自分が戻る事を許せなかった。
そうこうしている間に、中央では龍王が再び代替わりし、再び維心が王座に就いた。
維心が五代龍王の生まれ変わりで記憶を有しているのも噂で聞いていた。
だが十六夜と維月…月の陰陽が復活したのは知らなかった。
たまに月に気配が有ったが、それが前世のままの二人であるとは、本当につい最近まで知らなかったのだ。
それは、興味だった。
死んだと聞いた維月の身代わりとは、いったいどんな月なのか。
本当に、ただ純粋に興味だけで見に行き、そして月の陰陽も転生して来ていたこと、維月は相変わらずな慕わしい気、慕わしい様であること、また龍王がいち早く娶った事実も知り、月夜はもう、完全に戻る気持ちなど失せてしまったいたのだった。
長い長い話を聞いた蒼と十六夜は、話し終わって月夜がじっと黙っているにも関わらず、しばらく口が開けなかった。
月夜は、戻ろうとしていたのだ。
だが、恐らくはその身に流れる陽の月の気が、維月を側にと乞い、また維心と同じ龍王の血がまた維月をと乞い、それに抗えずここに籠って出て来ずでいたのだ。
「じゃあ…お前は維心を恨んでるのか。あいつが、権力振りかざして維月を前世今生と側に置いていると。」
月夜は、下を向いて頷いた。
「主が己の片割れであるにも関わらず、ああして龍王にも許しておる様を見ても分かるであろう。月の宮は、力があるとは形ばかりで、その実龍の庇護のもとに回っておるのだと聞いている。ならばそうなるのも、仕方がないのかと思うたが、あれがそのように、生まれ変わってさえも己の自由に出来ぬのかと思うと不憫でもあったし、だからといってそれで皆が幸福にしておるというのなら、我にも手出しなど出来ぬし、黙っておっただけのこと。戻れば干渉せずにはおけぬ。なので我は、その存在を知られてはならぬと思うておった。」
蒼は、まだ絶句していた。そんなことになるとは、思ってもみなかった。自分には月夜の他は、皆皇女ばかりでこんなことにはならなかったのだ。確かに維月を慕ってはいたが、お祖母様お祖母様と、縁戚として慕っている感じで、大事になることなどなかった。
しかし、皇子となると分からなかった。確かに、十六夜の陽の月と、維心の龍王の血が混ざって生まれた男である月夜にとって、離れて他人のように育っていたのも手伝って、維月はそういう対象になってしまうことも充分に考えられたことだった。
蒼は、ため息をついた。
「まず、主がオレを疎んじて戻って来ぬわけではないのだと分かって、少し安心した。だが、もっと早くに自分の気持ちを話に来てくれた方が良かったな。瑤姫があれから、明るくしていてもどこか暗い物を持っている風になってしまって、そのまま逝かせてしまったのはオレとしても本意ではないし。」
月夜は、頭を下げた。
「は。母上には我も、何度か顔を見に参っては居たのです。西の砦へ参った後のことでございまするが。しかし、母上の前には出て行けずにおりました。」
蒼は、結構何度もこちらへ様子を伺いに出て来たいたのだと少し驚いたが、頷いた。
「それから、維月のことであるが…」と、十六夜を見た。「十六夜と維月のことについては、もう前世から当人たちの間で解決しておることなのだ。なぜに三人が同じぐらいの時に死んだと思うか?十六夜と維月が、維心様を迎えに参って連れて参ったからぞ。そして、同時に転生した。三人は、お互いにお互いを大切に想っておるのだ。主が事情を知らぬのはしようがないが、それでもそれで維心様を恨むのは間違っておる。」
月夜は、顔を上げて蒼を鋭い目で睨んだ。
「そうせねば月の宮が維持できぬからなのでは?父上に、二人が言えることなど無いと思いまするが。」
蒼が、その鋭い目に一瞬維心を見て驚いていると、横から十六夜が言った。
「あのな、月の宮だってそれなりだぞ?帝羽って鷹の第二皇子がしばらく月の宮で仕えてくれてたんだが、その時にかなり宮の収支を見直してな。今じゃ、龍の宮から支援されてねぇぞ?建物だって前世の維心の維月との婚姻の結納だし、今生は関係ねぇ。軍も確かに龍が多いが、みんな月の宮に仕えてる軍神達だし、龍の宮の駐屯兵は今はいねぇ。だからオレ達は、別に誰かに面倒見てもらえわなくても、今はきちんと自立出来てるのさ。」
月夜は、十六夜を見て怪訝な表情をした。
「では…なぜに前世今生と、維月を龍王に渡すのだ。主、維月が別の男の元に居って平気なのか。」
十六夜は、はーっと息をつくと、頷いた。月夜はそれには驚いた顔をした。十六夜は、続けた。
「お前にゃ分からねぇよ。オレと維月は、心も本体も繋がってるし、オレはそもそも体なんてどうでもいいから、維月がオレを愛してたらいいのさ。それに、維月は維心だって愛してる。お前はこんな所にいて、あいつらがどんだけ派手な夫婦喧嘩するか知らないだろう。維月は維心にちょっとでも女の影があったら速攻帰って来るぐらい嫉妬するし、維心だって必死にそれを追いかけて来るし、あいつらはあいつらで愛し合ってるんだよ。オレはそれでいいと思ってるんだ。オレは自分の好きなように過ごしたいし、年がら年中維心みたいに維月の側に居ることも出来ねぇからさあ。」
月夜は、呆然と十六夜を見つめた。まさか、そんな事を言うなんて思わなかった。
「…なんと申した?主、これで良いのか。維月は、龍王を愛して側に居ると。」
十六夜は、頷いた。
「オレが維月の嫌がることをさせると思ってる時点でお前は間違ってるんだよ。あいつが良いって言ってなきゃ、オレは絶対維心にだって渡さねぇ。考えてもみろ、オレの結界を抜けて来られるのは、同じ月の力を持ってるヤツしか居ねぇ。維月だってほんとに嫌なら月に帰って降りて来ねぇよ。あいつがどれだけ大人しい女だと思ってるんだよ。」
そう言われてみれば、そうだ。
月夜は、目が開かれるようだった。維月は、今生完全な月として生きていたのだ。つまりは、月へ帰りたければいつなり帰れるはずなのだ。おとなしいかと言われたら、確かに自分はあの維月の性質など知らない。遠い記憶で覚えているのは、いつも優しい祖母だった。だが、確かに今まで自分が見て来た神の女とは違っていたような気がする…あくまで、遠い記憶なのだが。
「あれは…普通の女神とは違うと申すか。」
十六夜も蒼も、間髪入れずに頷いた。
「お前、一回維月と一緒に居てみろ。分かるって、あいつはお転婆で手が付けられねぇ子供だったんでぇ。そのままオレと親父が甘やかしてしまったから、そのまま育っちまって。前世の記憶が戻って来たからその程度だが、気は強いし意見ははっきり言うし、女神だと思ってかかると大変だぞ。」と、蒼と顔を見合わせた。「じゃあ…お前、一回帰って来い。で、ほんとの維月を見てみるといい。お前、維月自身をしらねぇから、多分焦がれてるんだと思うぞ。確かにあの気だけでも惹かれる神は多いが、それだけだったら憑き物が落ちたみたいにある日突然、冷めるからよお。維心なんかな、龍の宮の池の、国宝級の錦鯉を維月が釣り上げても、いきなり走り出して着物の裾踏んですっころんでも、すぐに飛んで行って後始末をしてやるんだぞ。前世からだ。それなのに追い回してるんだから、あれぐらいでないと維月を嫁になんて出来ねぇぞ?」
月夜は、呆気にとられた。
「なんだって?庭の池で釣りっ?錦鯉を、釣ったと…」
王妃が。
月夜は、声も出ないようだ。
蒼と十六夜は、何度も頷いた。
「そうそう、主のは多分思い込みだ。龍の宮の王妃なんだから、きっと模範的な女神だろうとかなんとか。違うからな!それだけは、言える。」
蒼が言うのに、月夜は、じっと考えていたが、顔を上げた。
「…いろいろと、知らぬことが多いのは分かり申した。維月のことはさておき、我は確かに月の宮へ戻るべきなのでしょう。神世のことを、神伝えで知るのみで真実など分からぬ。しばらく月の宮へ行き、学んでから考えたいと思いまする。」
蒼と十六夜は、ホッとして頷いた。
月は天空へと昇り、もう傾いて来ていた。




