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恨み

宴の席へは、綾も出て来て華やかに行われた。

毎度のことだが、綾を見てしばしそこに居る全員が呆けたようになって黙り込み、しばらくシーンと静まり返る。

しかし、翠明が宴開始の声を掛けると、ハッと我に返って、皆綾の美しさを肴に、思い思いの酒を飲むのだ。

翠明が上座で綾に酒を注がれながら飲んでいると、徳がやって来て頭を下げた。翠明は、気軽に手を振った。

「おお、徳か。そこへ座れ。」

徳は、頷いて上がって来ると、翠明の斜め前へと腰かけた。

「誰も居らぬで退屈しておったところよ。本日は紗季(さき)(らく)も居らぬよな。宴は辞退して宮へ帰らねばと言うておったが、あれらは宮の中が今大変なようぞ。」

徳は、侍女に酒を注がれながら、真剣な顔で頷いた。

「はい。紗季は妃が臨月でいつ生まれるのかとハラハラしておる様子であるし、楽は妹が嫁ぐので荷の準備が追いつかぬと必死でありまして。本日ここから翠明様にいくらか下賜されて安堵してはおったのですが、それでも贅沢はと妃に釘を刺されておるらしく、あまりこのような席には居れぬようで。」

翠明は、ハッハと笑った。

「あれも妃に頭が上がらぬようぞ。」と、横で微笑む綾を見た。「ま、我も同じようなものであるがな。」

綾は、少しムッとしたように表情を変えると、言った。

「翠明様には我のことはよう分かっておいでですのに。その上で娶られたのではありませぬか?」

翠明は、苦笑した。

「分かっておるからこそ怒らせたら怖いこともまた知っておると申すのよ。だが、まあ、よう努めてくれておるわ。」

綾は、ポッと赤くなった。そんなことを言われるとは、思ってもみなかったらしい。

慌てて扇を上げて顔を隠しながら、言った。

「それは…翠明様であるから。我も、良い妃であらねばと思うておりまする。」

翠明は、微笑んで綾の肩を抱いた。

「分かっておるよ。主はそれで良い。」

綾は、それこそ顔から火が出るのではないかというほど真っ赤になったが、翠明に肩を抱かれているのにも関わらず、物凄い勢いで立ち上がった。

「も、もう皇子の乳の時間ですわ!御前、失礼致しまする!」

そう言ったかと思うと、呆然とする徳と翠明を残して、扇で顔を隠したまま物凄いスピードで奥へと引っ込んで行った。

翠明は、それを見ながら苦笑していたが、徳が小声で言った。

「その…それは美しい妃であられるので、さすがは翠明様よと我らは思うておったのですが、その…」

言いにくそうにしている。翠明は、ピクリと反応して、同じように小声で言った。

「…一佳か?」

徳は、仰天したように翠明を見た。

「え?!ご存知でしたか?」

翠明は、やはり、とため息をついた。

「もしやと思うただけよ。最近は一佳も我の前では険しい顔ばかりしておるし、一度は綾と話があったにも関わらず、あれの母の頑なな反対に綾が辞退して婚姻に至らなかったであろう。その後、我が綾を娶ったゆえ。」

そういえば、一佳が居ない。

翠明は、サッと大広間を見渡してそう思っていたが、何も知らない徳は、それを聞いて重々しく頷いた。

「はい…。翠明様はご存知ないかと思いまするが、一佳はあの後宮へ帰り、母君の説得をしておったのでございます。どうあっても綾殿を娶りたかったようで。しかし、その最中に翠明様より告示があり、綾殿を妃となされたと。我らにとっては綾殿は、まるで雲の上の女人でありましたので、翠明様ほどの宮の王でなければやはり娶られなかったか、と思った程度でございましたが、一佳は違いました。あの時、母君の反対さえなかったら、翠明様より先に宮へ連れ帰り、妃に出来ておったのですから。」

翠明は、やっぱりそうかと遠くを見るような顔をした。

「確かに、そう思っても仕方がないの。我とて、最初はあれを娶る気持ちなどこれっぽっちもなかったわ。強い性質で厄介なところがあるのを知っておったし、一佳の宮がまあまあ大きいので、そこの妃に収まればと、あれにも一佳を勧めておった。しかし、綾は一佳の母と争うのを嫌って、断ったのだ。主らは知らぬが、あれは二夫にまみえねば惨めなことになるはずであった。なので、それが不憫で帰る間際に我が娶ろうと決心したのだ。気にはしておったが、あの後すぐに一佳が春を娶ったので大事ないと思うておったのに。」

徳は、暗い顔をした。

「そのことでございますが…我も、妹があの宮に落ち着いてくれるならば、これよりのことは無いと喜んでおりました。幼い頃より知っておるし、菊華も居る。春も心安いだろうと。しかし…、」

徳が、言葉を濁すので、翠明は焦れてせっついた。

「なんぞ?何かあるのか。」

徳は、しばらくじっと黙っていたが、思い切ったように顔を上げた。

「…一佳は、変わってしもうた。一佳は、婚姻の当日から春とは部屋を別にしており、未だ共に休んだこともないのです。母君のことは、離宮とは名ばかりの房のような小さな屋敷へ籠められ、庭へ出ることすら制限されてお暮しで、春が不憫に思うて訪ねることすら、咎めておるのだとか。菊華も奥でおとなしくしておるようにと言い渡され、確かに公青様の宮ほどならば奥だけと言われてもそれなりに広いので上位の宮ではそのようだと聞いてはおりまするが、あの一佳の宮の奥宮にでございますよ?春も、必然的にそうなり、まるで牢獄のようだと。そのように育ったのならいざ知らず、我らは王族の女であっても、内宮外宮関係なく出入りしておりましたし、そんな規模の宮ではありませんのに。」

翠明は、絶句した。一佳は、己の宮で上位の宮のように女達を過ごさせているという事か。確かに、この自分の宮もそれなりの規模なので、公青と同じように王族の女は皆奥へと籠るが、一佳の宮はそこまでではない。それなのに、そんなことを。

「…そうよな。我が口出しするようなことではないが、確かにあれはやり過ぎであるの。しかし、今のあれでは我の言うことは聞くまい。」翠明は、長く息を吐いた。「…少し、考えてみる。こちらも面倒が起きておってな。そのことも合わせて公青殿にお伺いを立てねばと思うておったところであるし、次の会合で話してみるわ。」

徳は、すがるような目で翠明を見て、頷いた。

「はい。我らの面倒を申し訳ありませぬ。しかし、このままでは妹も不憫で、まだ輿入れから二年ほどではありますが、こちらへ迎え取ろうかと考えておる次第でありまして。しかし、それでは菊華も不憫であろうと。よしなにお頼み申し上げます。」

翠明は頷いたが、また面倒なことになった、と思っていた。綾を娶ることで、あの絶世の美女であるのに、何かあってもおかしくはないのだ。綾も、そんな己の運命に翻弄されて生きて来た。それを、ここで幸福にしてやろうと思ったのは自分なのだ。何とかせねば。

翠明は公青の宮の方角を眺めて、そうして深いため息をついたのだった。

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