また会う日まで
少し厚めの雲に覆われた中、時折思い出したかのように太陽が顔を出すような、そんな8月中旬の暑くも寒くもない夏の1日、中央スイスのKleine Scheidegg (クライネシャイデック)とGrindelwald (グリンデルヴァルト)に行ってきました。うちからクライネシャイデックの山の麓の駅、Wilderswilまでルツェルンを超えて車で1時間半。そこWilderswilからは登山鉄道でクライネシャイデックまで約1時間。Wilderswilに到着すると、すでに駅からユングフラウとシルバーホルンが見え、そっと出迎えられたような気持ちになりました。
約1年前、2021年の夏、おばあちゃんがこの世を去りました。コロナの真っ只中で、たとえ即スイスを発ち日本の地を踏めたとしても、隔離を余儀なくされ、とても間に合わないので、やむを得ず、一時帰国を断念しました。大事なおばあちゃんのお別れの会に参加できなかったこともあり、いつもどこかでおばあちゃんを思いながら過ごしていたある日のこと、そうだ、Grindelwald へ行こう!と急に思い立ちました。なんでもおばあちゃんは七十を過ぎてから三回もスイスを訪れたのだとか。クライネシャイデックには作家、新田次郎氏の記念碑があります。おばあちゃんも、新田次郎氏の妻、てい氏の開く作家教室の作家仲間ととともにこの地を訪れた、とおばあちゃんの手紙にあったことを思い出し、おばあちゃんの訪れた新田次郎氏の記念碑を自分も訪れることでおばあちゃんとの個人的なお別れの会を開こう、と思いついたのでした。
思いついたのはいいものの、なかなか時間がとれません。クライネシャイデック周辺は夏でも氷河が目の前に迫っているような土地なので、是が非にでもこの夏の間に行っておきたい、と、最適な天候とは言えませんでしたが日程的にこの日を逃すと次の夏になってしまいそうだったので、半ば強引に家族を引き連れて出かけたのでした。
Wilderswilから乗り換え駅のLauterbrunnenまで15分、そこまではそれほどの急な斜面ではなかったもの、この Lauterbrunnenを過ぎると急に急斜面の登山鉄道になります。右に左に山が迫り、急斜面に建設された鉄道を電車が蛇行して上がっていきます。おばあちゃんも、この鉄道に揺られて上がったんだなぁ。
鉄道からの風景。氷河が見えます。
この氷河ですが、1931年~2016年に半減したとか。また過去6年だけでも氷河の体積の12%が失われたとのこと。昨年の冬には雪が少なく、また今年の夏も観測史上最高気温を記録する異常気象が続いたので、氷河にとっては最悪の年だったとか。30年ほど前でしょうか、おばあちゃんが来た当時は、おそらくもっと多くの氷河が見えたことでしょう。
ようやく、クライネシャイデックに到着しました。ようやくと申しましても3時間弱で到着してしまうので、日帰り旅行にはちょうどいい距離です。
クライネシャイデックの駅
駅に降りて、やはり驚かずにはいられなかったのは、アジア人が多かったこと。ほとんど中国人かと想われますが、日本人も数グループ見受けられました。
このクライネシャイデックからはアイガー、ムンヒ、ユングフラウと、三つの有名な山が見えます。
左はMönch (ムンヒ)、右はJungfrau (ユングフラウ)
このアイガーの、ほぼ垂直に切り立った断面には圧倒されるばかり。
Eiger (アイガー)、 3’967 m
第二次世界大戦前、緊迫した空気の中、まるでそれが戦前の力比べの象徴であるかのように、各国のチームはこのアイガーのロッククライミングに挑戦し、少なくない人が命を落としたといいます。1965年日本人も初登攀しましたが、もう一人はここで命を落としました。新田次郎氏はこのストーリーを元に「アイガー北壁」という小説を書いたのだそうです。
山との挨拶を終え、さて新田次郎氏の記念碑はどこだろう、と駅員さんに尋ねても、知らないよ、と、また少し上がったところにあるレストランのお姉さんに聞いても、ごめんね、知らないわ、と言われ、どうしようと想っていたところ、ウロウロしているわたしを放っておいてくれた夫から電話があり、「見つけたよ。駅まで戻っておいで。」とのこと。早速戻ると、駅から一分もかからない斜面の石段を数段上ったところにありました。
男の人の手よりも少し大きいくらいのサイズでしょうか。
アルプスを愛した
日本の作家
新田次郎
ここに眠る
Japanese novelist
JIRO NITTA (1912-1980)
sleeps here
一説によると、ここには、新田次郎氏のメガネ、万年筆、取材ノート、磁石がおさめられているそうです。
駅から十分ほど上ったところにあるレストランの展望台からの風景
写真の中の一番左上にある建物はホテルbellevue。大戦前のアイガー登攀の際には、たくさんの記者たちがこのホテルから北壁挑戦者を観察していたといいます。
この地での目的を果たすことができたので、グリンデルヴァルト経由でWilderswilまで下山することにしました。
グリンデルヴァルトに到着して、さらに驚嘆。ここは一体どこの国でしょうか。さまざまな肌の色の人々が、さまざまな国の言葉を話し、世界ではまだコロナ禍で制限を余儀なくされている方々も少なくない中で、この街は、人という人でごった返しております。看板、表札、メニューなども、ドイツ語と英語と中国語で表記され、日本語も多く見られました。この街を囲う景色がなければ、自分が今、どこの国にいるのやら、全くわかりません。レストランも、インド、中華、イタリアン、チーズフォンデュの店となんでもあり。街をぶらぶらと歩いている途中でアイスが食べたいという家族のためにアイスを買ったところ、ダブルを三つで19.5スイスフラン、日本円に換算すると2、790円。先日イタリアでは同じダブル3つが6.5ユーロ、900円だったので、スイスはもともと物価が高いですが、ここはさらに高いように思われました。グリンデルヴァルトは、観光地でした。しかし、それもそのはず、この景色ですもの。雄大という言葉がぴったりなこの景色が人々の心を掴み、時代を超えて人々を魅了し続けるのでしょう。
おばあちゃんが後に何度も思い出したという美しいスイスの景色も、お手紙から察する限りこの辺りの景色だろうと想われます。
グリンデルヴァルトからの電車での帰り道、夫が言います。「もし君一人だったら、今頃まだ記念碑を探していただろうね。」ふむ、それは、そうかもしれない・・・。
もし、新田次郎氏やおばあちゃんが見ていたとしたら、くすくすと笑っていたに違いありません。いや、おばあちゃんは、やれやれと苦笑していたでしょうか。
相変わらずではございますが、家族に、周りの人に支えられながら、なんとか、こうして生きております。
おばあちゃん
おばあちゃん、ありがとう。