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第二話;楽しい年末の過ごし方

はい、そういうわけでちょっとだけ出戻り。

一年放置とか洒落にならん。楽しみにしている方にはホント申し訳ない。

去年は・・・なんかもうよく分からないな! ホント色々あった! 主に仕事の面だけど、なんかもうよく分からないくらいに色々あった!

と、いうわけでやることはタイトル通り。

いつものように、物語を書きましょう。

 お正月すぺしゃるのようなもの。

 12月30日くらいのもんだけど。



 曰く、男の子というものは永遠の馬鹿野郎なんだとか。

 織奥様が言ったその言葉を最初は理解できていなかった私だけど、最近段々分かってきたような気がする。

 かといって、女性の方が理知的であるかと言われればそうではないけど。

「前々から思ってたわ! 香純はもう少し素直になるべきだと!」

「前々から思ってたよ! 鞠姉さんはもう少し大人になるべきだと!」

 鋭い剣戟。まるで演舞のようで、その実は真剣勝負。

 妹二人の争いを見つめながら、私はお茶を飲みつつおせんべいを食べていた。

「いやー……二人とも相変わらず凄まじい腕前だよね。全然見えないや」

 私の隣でのほほんとお茶を飲んでいるのは、私の上司というか命を握っている人というか、ご主人様的な存在みたいな、高倉天弧という名前の鬼畜さん。

 天弧さんはにやにや笑いを浮かべながら、自分の隣にいる誰かに話しかける。

「さて、君はどう見る? どっちが勝ちそうかな?」

「どーでもいい」

 ぼさぼさ髪、中肉中背、垂れ目、見た目は人懐っこそうなのほほん系、中身は狼。とずみしろうと書いて十墨志郎と読む名前を持つ彼は、サクサクとう●い棒のチーズ味などを齧りながら呆れ顔で天弧さんを見つめて口を開いた。

「そもそも……僕はこの宿におせちを作りに来たんであって、姉妹喧嘩を見に来たわけじゃねーんだよ、高倉の旦那よ。っていうか、なんで僕がおせち作るの? この宿って専属のコックさんみたいなのいなかったっけ?」

「京子さんは昔の友達と一緒に温泉旅行に行きました」

「……高倉の旦那よ。その寂しそうな表情は大人としてどうかと思うぞ」

 全くの同意見だけど、天弧さんは子供のまま大人になってしまったような青年なので、基本的に大人数で騒ぐのが好きだし、誰かに甘えるのも好きなのだった。

 まぁ、それはこの宿の人間全員に言えることではあるけれど。

 ついでに言えば、天弧さんを育てたのは私のようなものだけど。

 ちなみに、京子さんだけでなく美里、舞さん、冥さんも色々と用事があって年末は留守にするらしいとのこと。

 必然的に宿も休業状態なのだけど、どうせ年末はお客さんは来ない。

 というか、お客さんたちは年末こそがやたらと忙しい人たちばっかりなので、むしろ年明けこそが忙しくなるのだった。

「っていうか、いい加減に止めた方がよくないか? あれ」

「まぁ、たまには姉妹喧嘩も悪くないでしょ。ほら、喧嘩するほど仲がいいってよく言うし、あれもコミュニケーションの一つだと思えば微笑ましくなるってもんだ」

「止めてくる」

「あれ? 志郎くん? 人の意見を完全無視っていうのはお兄さん感心しないぞ?」

「女同士の喧嘩を傍観できるほど、僕は大人じゃねーんだよ」

 言いながら、彼は二人の喧嘩に割って入った。

 鞠の剣をかわして足を払い地面に転がし、香純の剣を両手で挟み、手首を掴んで地面に投げ飛ばす。

 投げ飛ばしたついでに、バケツに汲んであった冷水を頭からぶちまけて、ぬかるんだ地面に顔を押し付け、頭を踏みつけているあたりになんらかの悪意を感じた。

 どうやら、十墨くんと香純は悪意の伴う知り合いらしい。

「毎度思うんですけど、天弧さんの知り合いの方々ってどうしてあんなに規格外に戦闘能力が高い方ばかりなんでしょうね」

「んー……彼の場合はちょっと事情が違うけどね」

「見れば分かります。どうやら、天弧さんとは同質だけど真逆のタイプの人間みたいですが、まぁそれはどうでもいいことでしょう」

「……あの、コッコさん。なんかちょっと怒ってない?」

 鋭い指摘に、私は少しだけ目を逸らしてゆっくりと息を吐く。

「多少は」

「……えっと」

「乙女心は色々と微妙なのです。まぁ、私は天弧さんの所有物なので別になにも言いませんが、冥さんあたりなんかは色々言ってくると思いますよ?」

「んー……じゃあ、あとで一緒に買い出しに行こう」

「はい」

 天弧さんの身内に対する即決即断なところは、わりと好きだったりする。

 お客さんを放置するのは悪いことだけど、二人は私の妹で、一人はバイトの人なので特に問題はないだろう。

「もーっ! 十墨はいっつもそうだ! 私の邪魔をして楽しい!?」

「はいはい、うるせぇうるせぇ。オメーは馬鹿の相棒と馬鹿やってろ馬鹿」

「馬鹿って三回も言ったな! 由宇理はともかく、私は馬鹿じゃないわよ!」

「はいはい、馬鹿はいつでもそう言うんだ。四の五の言ってないでさっさと風呂入って泥落としてこい。僕も入りたいから3分以内に上がれよ」

「なんで十墨は私にばっかり冷たいんだよ! 由宇理にはやたら優しいくせに!」

「はっはっは、僕は自覚のある馬鹿が大好きだからな」

 どこかで聞いたようなセリフを言って、十墨くんは香純の襟首を掴んでズルズルと宿の方に向かって歩いて行った。

 それはまるで……駄々っ子とお母さんみたいだった。

 そんな二人を見つめて、鞠はゆっくりと立ち上がって私に近づいてきた。

「元気そうですね、姉さんも香純も」

「まぁ、いつも通りって気がしますけど。そう言う鞠はどうなの?」

「元気がなくなったので、休暇をもらって骨休めに来たんですよ。……年末はかき入れ時だと思ってたんですが、当てが外れたどころかお邪魔虫です」

「あはは」

 邪魔をするつもりはなかったと、言外に主張していた。

 普通の旅館は年末年始は忙しいだろうけど、このお宿はそうでもなかったりする。

 と、不意に鞠は少しだけ頬を緩めた。

「しかし……なんというか、私たちの男運は本当に微妙ですよね」

「香純はそれほどでもないかもしれませんよ? まぁ……本人がいい人を引き当てられるかは分からないですけど」

「……まぁ、そうですね」

 嬉しそうに口元を緩めながら、鞠は黒塗りの太刀を拾い上げて鞘に納める。

 そして、ゆっくりと息を吐いて私に言った。

「それじゃあ、私もお風呂に入ってきます。香純たちの世話は任せて、姉さんたちは楽しい買い物に行ってきてください」

「了解。今回ばかりは鞠の言葉に甘えさせてもらうね」

「ま、これくらいはしておかないと」

 にやりと楽しそうに笑って、鞠は背を向けて宿に向かって歩いて行った。

 私は口元を緩めながら彼の方に振り向いて、にっこりと笑う。

「と、いうわけで唯一のお客様の許しが出ましたので、買い物に行きましょう♪」

「はいはい。……で、なにを買おうか?」

「それは歩きながら考えましょう」

「了解」

 苦笑を微笑に変えて、彼はゆっくりと息を吐く。

 呆れたような、あるいは諦めたような、それでいて少し楽しそうな。

 そんな表情を浮かべながら、私を見つめていた。



 桂木香純。現在、高校三年生。

 とはいえ、時系列的には現在は年末となっているものの、一年ごとにいちいち年齢を進行させると色々と面倒なことになっちゃうので、多分来年も受験生だろう。

 と……まぁ、そんなメタ発言が許される程度には、僕という男はろくでなしだ。

 僕。十墨志郎。とすみしろうと読む。この名前だけは非常に気に入っている。

 妹萌えという幻想に生きる、そんなクソみたいな高校二年生だ。

「まったく……志郎君は本当に全くよ! どうしていつもいつも私に対して嫌がらせをするの? 全く意味が分からない!」

「うるせーよ、百合先輩。可愛いバカップルの邪魔をする前に、さっさと家に帰って由宇理先輩とクソみたいな絵師に世話を焼いて死ね。そっちの方がお似合いだぞ」

 体に染み渡る温泉の効能に、頬を緩めてゆっくりとつかる。

 ちなみにこの温泉宿、露天風呂は混浴となっているが水着での入浴が可となっているのでドッキリイベントはあんまり発生しません。おもんねぇの。

「志郎君……じゃあ、なんで君は普通にタオル一枚で入浴してるの?」

「香純に見られても恥ずかしくもなんともねーもん」

「だから、どうして私の扱いだけそんなに酷いのよ! 呼び捨てだし、由宇理は先輩付きだし、四季に至ってはクソ絵師とか酷いこと言うし!」

「あの人の絵は僕にとっちゃ二束三文以下の価値しかない。よってクソ絵師。香純は色々と尊敬できないから、先輩みたいな敬称はつけたくありません」

「……なんで?」

「人に嫌われないように生きるのは、わりとしんどいことですが、人に嫌われないように生きていることが人にばれると、なぜか嫌われてしまうんですね、これが」

 知ったかぶり。

 知ってるようなふりをすること。知った風なことを言うこと。

 それでも、その言葉はわりと重かったのか、香純は目を細めて僕を睨みつけた。

「十墨君になにが分かるのよ?」

「知らねーよ。めんどいし、知りたいとも分かりたいとも思いません。でも……アンタの目付きは嫌いだな。なんかずっと観察されてるみたいで気持ち悪い」

 その言葉は図星だったのか、香純は思い切り口元を引きつらせた。

 自覚のない馬鹿はこれだから困る。

 自分の馬鹿さ加減を理解せずに馬鹿をやるから、馬鹿を見る。

「年末で説教ってのもアレだからこの辺で切り上げるけど、観察する人間の目付きを知っている人間もいる。そういうことをちゃんと理解しておいて欲しいかな」

「……この宿の主人だって、似たり寄ったりよ」

「そーかもな。でも、高倉の旦那のアレはただの趣味だ。あの野郎は既に『人を選び終わっている』からなんの問題もない。あくまで敵対し得る人間を常時監視しているに過ぎない。それに、自分の身内以外には激烈に厳しいし、わりと自分勝手だろ。香純のは嫌われなくないから、相手に好かれたいから、相手を観察して、相手に好かれる挙動を心がけてるだけだ。そんなものはコミュニケーションとは言わない」

「………………」

「少なくともさー。四季さんとか由宇理先輩とか空倉の兄貴あたりには、わがまま言っていいんじゃねーかと僕は思うんだけど、どうかな?」

「……分かってるわよ、そんなこと」

 ぷりぷりと怒りながら香純はそっぽを向いてしまった。

 どんな根暗女だろうと、桂木香純は人のことを考えられるとてもいい女性だ。

 僕としてはそんな彼女の本性ってヤツをちょいと見てみたいだけなんだけど、彼女としてはそれが色々と気に食わないらしい。

 自分の姉貴に甘えに来る程度には甘えん坊のくせに、困ったもんだ。

「……ねぇ、十墨君」

「んー?」

「じゃあ、そういう十墨君はどうなの?」

 先輩面したい時は十墨君、本性が出ている時は志郎君。

 呼び方が変わっているのに本人は気付いているのかいないのか。まぁ、それはどっちでもいいことだけど、香純の顔はわりと真剣だった。

 口元を緩めて……僕は笑った。


「僕は別にどうも。自分が良ければそれでいい性分だからな」


 高倉の旦那のように言い訳をするわけでもなく。

 空倉の兄貴のように彼女一筋でもなく。

 由宇理先輩のように誰かを思うわけでもなく。

 香純のように自分をないがしろにするわけでもなく。

 僕は僕が良ければそれでいい。

 僕が得して気持ち良ければそれがいい。

 単純明快で分かりやすく文句のつけようもない最適解。

 僕が得して気持ち良ければ、楽しく過ごせればそれでいい。

 そのための努力なら惜しむつもりもない。

「僕は余計な首は突っ込まない。危ないところには近づかない。リスクを背負うようなことはしない。香純みたいな面倒な生き方はご免こうむる」

「………………」

「睨むなよ。桂木香純。その生き方を選んだのはアンタだろうが?」

 選びたくて選んだのではないとしても。

 今、正義の味方のように見知らぬ誰かを助け続けているんだったら、それは選んだも同じことだろう。

 下らなくて尊い生き様を選び取った。

 だったら、他人を羨んだり、恨んだりするのは、筋違いだ。

 香純は思い切り拳を……血が滲むほどに握り締め、僕を睨みつけて言った。

「十墨君。私はあなたが嫌いよ」

「僕も香純のような人間は嫌いだよ」

 嫌いだから嫌がらせをしているわけじゃないけれど。

 嫌いなのは事実で、なにが嫌いかも明確に理解できるけど。

 未来永劫、彼女にそれを語ったりすることはないだろうと確信しておく。

 もしも語ることがあるとしたら……それは、僕が僕らしく彼女と向かい合う、その時になると思う。

「問題なのは、僕は香純のことは嫌いだけど香純のようなスタイルの女性はわりと嫌いじゃなかったりするあたりで、ぶっちゃけ……野暮ったい水着の上からでも分かるくらいエロい体してますね」

「っ……だから、そういうことを言って茶化すんじゃないわよ!」

「僕は真剣だ」

「なお悪いわあああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 とうとう我慢できなくなったか、香純は木の桶を僕に向かって投げつける。

 それを受け止めながら、やっぱりこの歪な先輩をいじるのは非常に楽しいなぁとしみじみと思うのだった。



 ゴトゴトと、田舎道を車が走る。

 ハンドルを握るのは天弧さんで、私は助手席で悠々自適……というわけではない。

 車が揺れまくるのは、わりと苦痛だったりするので話題を振って車酔いしないように心がけなければならない。

「そういえば、二人きりっていうのも久しぶりですね」

「まぁ、普段はみんながいるからね。……二人きりの方がいい?」

「たまには」

 普段と違うことをするのはわりと新鮮だったりする。

 新鮮さを保つのが関係を持続するコツだと、織奥様は言っていた。

 まぁ、あの人の言うことなので当てにはならないけど。

「というか、二人きりとか死亡フラグ以外の何物でもないと思うんですが……」

「そのへんはいつものことだよ。むしろ、みんながコッコさんと僕を二人きりにするなんて、なにか思惑があるんじゃないかと邪推してしまうくらいです」

「………………」

 思惑というか、なんというか。

 体よく押し付けられたような気がしないでもない。

 特に、美里なんかは凶悪な笑顔を浮かべていたので絶対になにかしら悪いことを考えていたに違いない。

 例えば、クリスマスの時に舞さんと天弧さんを二人きりにした時の私があんな笑顔だったんじゃないだろうか?

 ちなみにクリスマスの時はお酒を飲んだ天弧さんが舞さんの膝枕で爆睡していたので、木に吊るす羽目になった。

 空気を読めと言いたい。それとも確信犯なんだろうか?

「クリスマスの時は疲れてたせいで爆睡しただけなのに、なぜか木に吊るされて一晩放置されましたからね。死ぬかと思いましたよ」

「……天弧さんは膝枕で幸せでしたけど、舞さんは果たしてどうだったでしょうか?」

「んー……どうなのかなぁ」

 最近の舞はよく分からないからなぁ、と……彼は困ったように言った。

 まぁ、確かに天弧さんから見れば分からないかもしれないけど、それは私の口から言うようなことでもないし、今さらと言えば今さらのことだろうとも思う。

 あえて言うなら、本格的にデレてきたということだろう。

 舞さんは意地っ張りな上に意固地な性格なので、絶対に自分から積極的に好意を口にすることはないと思うけど。

 なんにせよ……てこ入れは必要かもしれない。

「天弧さん」

「なんですか?」

「舞さんとちゅーはしてるんですか?」

「ぶっ!?」

 ゴドッ! ゴドゴドゴドゴドッ!

 彼の動揺に反応してか、車が激しく揺れる。

 シートベルトと柔らかいシートのおかげで私の方は無傷だったけど、天弧さんの方は精神的動揺が激しかったのか、思い切り口元を引きつらせていた。

「いきなりなんの話ですかっ!?」

「いえいえ、話を聞く限りでは黒霧姉妹にだけあまりセクハラ行為に及んでいない感じなので、思い切ってかまをかけてみたのですが」

「……いや、別にそんなことは……ないですけども」

 天弧さんは基本恥ずかしがり屋なので、こういう話題は苦手なのだった。

 ちなみに、話題を振る私も恥ずかしいと言えば恥ずかしいけど……織奥様と一緒に仕事をしていた関係で耐性がついた。

 世界には天弧さんなんて目じゃないくらいに馬鹿な殿方がたくさんいるもんだし。

「舞さんは世話焼きさんのしっかり者ですが、基本は猫属性ですからね。甘えたい時に甘えさせないと、どこか遠くに行っちゃいますよ?」

「む……確かにそれは困るね」

「まぁ、実はクリスマスの件に関してはある意味成功なんですけどね」

「吊るされたのに?」

「私たちの心情で吊るしただけで、舞さんの心情とは関係ありませんもの」

 膝枕。動けない。シャンパン飲みながらこっそりとにやにや。

 世話焼きじゃなくても、嫌いじゃない人に甘えられれば嬉しいものだ。

「天弧さんは世話焼きさんのしっかり者ですが、基本は猫属性ですからね。甘えたい時に甘えておけば、わりと大丈夫だと思います」

「……むぅ。まさか、コッコさんにそんなことを言われる日が来るとは」

「私は天弧さんの所有物ですが、口も手も足も出します。私が天弧さんのことを好いているのと同じ程度には、今の職場を愛していますから」

「………………」

「そういうわけなんで、頑張ってくださいね。私も頑張りますから」

 当たり前のことを当たり前のように言って、私は窓の外に目を向ける。

 いい天気で、空気は綺麗で、道は最悪で、彼が隣でハンドルを握る。

 まぁ……なんというか。照れ隠しで説教じみたことを言ってしまったわけだけど。

 二人きりというのも、意外と悪くない。

「なんというか……逃がした魚がクジラになって帰ってきた気分だよ」

「それは、私のウエストが太いとかそういう暗示ですか?」

「そんなわけないでしょ。とにかく、運転と買い物に集中したいので、しばらくちゅーとかそういう話題は禁止。……でないと、この場で押し倒します」

「はーい♪」

 軽やかに返事をしながら、私は窓の外に視線を戻す。

 さて、押し倒されないうちに色々と考えよう。せっかくの二人きりなんだし、屋敷があった頃のように、ちょっと甘いムードで過ごすのも悪くはない。

 なにを買おうか考えながら、自然と頬は緩んでいた。



 十墨志郎という人間は、オープンなドスケベである。

 少なくとも、私はそう思っている。彼には慎ましやかさという概念が欠如しており、思ったことをズバズバ口に出してしまうため、凶悪な数の女子を敵に回している。

 慎ましやかさというよりも……デリカシーがない。

 とにかく、失礼な野郎なのだ。

 そんな風に語った私の妹、浴衣姿の桂木香純は、珍しくぷりぷりと怒っていた。

「全く……本当にあいつは全くだわ! 嫌いなら嫌いで無視すればいいじゃない!」

 怒りながら牛乳を一気飲みして、ビンを机に叩きつける。

 ビン底に罅が入ってしまったような気がするけど、それは今の私にはあんまり関係ないことだったりする。

 弛緩した体をなだめながら、私は欠伸混じりに口を開く。

「目障りなら、香純が無視すればいいじゃない?」

「……そうもいかない事情があるのよ」

「ふむ」

 たとえば……何回か命を救われているとか。

 たとえば……共通の友人を持っているとか。

 たとえば……香純にとって必要な人が彼を気にいっているとか。

 たとえば……愚痴を叩きつけられる人が彼しかいないとか。

 彼にしてみれば些細なことでも、香純にしてみれば大きなことだったんだろう。

「なら、仲良くしちゃえばいいじゃない?」

「鞠姉さんは、あいつの根性の悪さを知らないからそーゆーことが言えるのよ。大体、私はあいつのことが嫌いだし、あいつは私が嫌いだもの」

「………………」

 なんとも……面倒な人間関係らしい。

 宿に来る前にある程度調べておいたけど、彼自身については特筆すべきような情報がほとんどなかった。

 銭湯で話した時も、普通の少年だったし。

(……いや、逆に考えた方がいいかもしれないわね)

 彼自身は普通でも、彼の周囲は普通とはかけ離れている。

 異常の中の普通。それはつまり異常の中で正常を保っていると言い換えてもいい。

 強固な自我。圧倒的な個性に埋もれない普通人。異常から逃げるでもなく、立ち向かうでもなく、ただ真っ向から受け止める。

 香純には悪意は向けているけど……敵意は向けていないのも気になる。

「直接話した方が早いかしら」

「……鞠姉さん。なんか悪いこと考えてない?」

「悪いことは考えてないわよ。色々考えなきゃいけない立場だけどね」

 友樹様のこととか。姉さんのこととか。香純のこととか。彼のこととか。

 それでも、考えても無駄なことだってたくさんあるけど。

 と……私がそんなことを考えていた、その時。


 私たちの目の前に、大きな紙袋が置かれた。


「……っ!?」

 紙袋から放たれる匂いは、なんというか吐き気をもよおすような匂いだった。

 その紙袋を持ってきた少年……十墨志郎は私の隣に腰掛けて、躊躇なく悪臭を放つ紙袋に手を突っ込んで、中に入っているものを取り出す。

 それは、どこかで見たことのある木の実だった。

「えっと……それって、銀杏?」

「ちょっと量を間違えたんで差し入れです。好きに食っていいですよ」

 丁寧に殻と皮を剥きながら、彼は口元を緩めて笑う。

 その笑顔だけは年相応の少年のものだったけど……なにかを諦めたような人間の笑顔に見えなくもない。

 笑い方が、友樹様そっくりだ。

 まぁ……それはともかく、剥いた銀杏に少しだけ塩を振って口に放り込む。

 匂いは少しきついけど、とても美味しかった。

「香純も食っていいぞ。僕のばーちゃんが住んでる田舎で取れた銀杏でな、匂いはちょっときついけど味の方は最高だから」

「……ふん」

 鼻を鳴らして、香純は銀杏に手を付けずにさっさと立ち去ってしまう。

 まぁ、それが当然だろう。嫌いな人間の側には一秒だっていたくない。

 普通に……そう考えるはずだ。

 その後ろ姿を見送りながらも、志郎君は銀杏を剥く作業をやめなかった。

 ほんの少しだけ口元を緩めていただけだった。

「香純と仲が悪いのかしら?」

「ええ。……まぁ、僕が喧嘩するように香純に仕向けただけですけどね」

「どうしてそんなことを?」

「僕自身の下らない事情です」

 パキンパキンと機械的に銀杏を剥きながら、彼は苦笑していた。

 そして……まるで、正義の味方のように、吐き捨てるように言った。


「香純は、すごくいい子だと思うんです」


 パキンパキンと機械的に銀杏を剥きながら、憎々しげに呟く。

「でもまぁ……なんつーか、香純がいい子過ぎてそれに甘えたりする絵師やら同級生やらが超むかつくというか、そのくせちゃんと世話を焼いてくれる相棒にはいっつも突っかかってばっかりで、気に食わないことがあっても相手のことを気遣って言いたいことも言えないみたいだし……それが、見てて気に食わないというか、なんというか」

「好きなの?」

「んー……好きとはちょっと違いますね。仮に好きでも告白とかはしませんが」

「どうして?」

「僕自身が最高に下らないことに巻き込まれてましてね」

 苦笑いを浮かべながら、十墨志郎君は口元を緩めた。

「そーゆーことに、香純を巻き込んじゃいかんでしょ。ただでさえ他人のことまで一緒に背負い込んじゃってにっちもさっちもいかなくなってるんだから」

「………………」

 うーん……不思議だ。世界は不思議に満ちている。

 明らかにくっつた方がいい男女に限って、妙な感じでややこしくなっているのはなんでだろうか?

 別に恋愛漫画とか恋愛小説じゃないんだから、素直にくっついてしまえばいいのに。

 くっつかなくてもいいのに、大勢の女性とくっついてしまった馬鹿野郎が二人いるけども、ああいうのは例外だと思っていい。

 香純の見る目がないのか、あるいは彼が一歩引いているのか。

 はたまた、その両方か。

「ねぇ、十墨君」

「なんでしょう?」

「香純の周囲で、香純に優しい男の子とかいない?」

「二、三人くらいは思いつきます。まぁ、僕としてはそいつらの誰かとくっついてもらえればとっても安心なんですが……少なくとも、あのクソ絵師と寄生関係を構築してるよりはいいんじゃないかとも思いますし」

 クソ絵師とは四季様のことだろう。

 どういう経緯かは知らないが、十墨君は四季様をとにかく毛嫌いしている。

 四季様の方は十墨君を嫌っていないどころか、『彼はいい。一家に一人欲しい逸材だ』と、絶賛されているあたりがなんとも性質が悪い。

「まぁ、僕には関係ないことですから、ぶっちゃけ、どーでもいいんですけどね」

「……十墨君」

「なんでしょうか?」

「自分が嫌われるように会話を誘導するのは、あまり良くないと思うわ。確かに私の立場からすれば、四季様をクソ絵師と呼ばれたり香純のことをどうでもいいと言われれば腹を立てるしかないけど……君自身は全然そんなことは思っていないでしょ?」

「いや、別に僕はそんな……」

「覚えておくといいわ。世界には香純のようなお人よしもいれば、私のような人見知りもいる。……ただ、私は人見知りだけど成果主義者でもあるのよ」

 薄皮まで丁寧に剥かれた、銀杏の山を見つめて言葉を続ける。

「どうでもいいと言いながらも、あなたはちゃんと香純のことを気にかけてくれる。お人好しに節操がなく、困っている人なら誰であろうと助けたがるウチの馬鹿な妹を、『すごくいい子』だと評価してくれた。……姉としては感謝の言葉しか出てこないわね」

「いや、その前にクソミソに貶してますヨ?」

「成果主義だと言ったでしょ? 香純がいない間はあなたが四季様とあの家の世話を焼いてくれていることは、既に調査済みなのよ」

「………………」

「私は言葉は信じない。言葉なんて解釈の仕方でいくらでも変質し変容する。でも、行動したことは疑いようがない。……あなたがいくら香純に嫌われたいと望んでも、私は騙されない。四季様のお世話をやり遂げ、香純を思い遣るあなたを信じる」

 銀杏に塩をかけて口に放り込みながら、私は口元を緩めた。

「嫌われたいんだったら、もっとうまくやりなさい。十墨志郎」

「……ですね」

 厳しいことを言われても、彼は少し寂しそうに苦笑するだけだった。

 私も苦笑を返しながら、彼を見つめて口を開く。

「で、十墨君は、どんなことに巻き込まれているのかしら?」

「僕の妹が世界の守護者になっちゃいましてね。……大変残念なことに、妹には戦う力がないので、僕が代わりに世界を守っているわけです」

「………………」

 その言葉に、嘘はなかった。

 嘘偽りなく真実で、事実で、どうしようもないことだった。

 それが……世界を守るという下らないことが、彼の事情だった。

「信じてくれなくてもいいです。でも、それと似たような……非常に面倒なことに巻き込まれていると思ってください」

「信じてくれなくてもいい、という言葉を使う人間は本当のことしか語らないと相場が決まっているわ。……それに言ったはずよ。私はあなたを信じる」

「……ありがとうございます」

 剥き終わった銀杏を紙袋に放り込んで、彼は厨房に戻っていく。

 が、不意に足を止めて少しだけ振り向いた。

「雑煮は何味がいいですか?」

「え? お雑煮って醤油味じゃないの?」

「地方によって違うんですよ。醤油味もあれば味噌味もありますし、小豆を入れて甘くするところもあります。……味は違えど、どれも美味しいですよ」

「じゃあ、味噌味で。食べたことないし」

「了解しました」

 可愛い恩返しだなぁと思いながら、私は彼の背中を見つめる。

 背は高い方じゃなく、平均的で、その辺にいる男の子と変わらない。

 それでも、その背中が……一瞬だけ、とても広く見えた。

 まるで勇者のように、まるで英雄のように、誰かの背中と同じに見えた。

 銀杏に塩を付けて口に放り込む。

「さてさて……ウチの妹はどうするつもりかしらね」

 嫌うなら嫌うでもいいだろう。彼は表面的にはそのように振舞っているし、香純に嫌われることもどうでもいいと思っているはずだ。

 それでも、姉としてはこうも思う。

 気を遣わなくてもいい人と。

 好き放題悪口や愚痴を言い合える相手と。

 友達になっておいてもいいんじゃないかと……思っていた。



 現在、私は多額の借金を背負っている身なので、あまりお金は使えない。

 それでも、天弧さんからは毎月ちょっとだけお金が支給されるので、必要なものはそれでまかなっている。

 もっとも、この一年私服とかはあんまり買わなかったし、仕事で忙しくて休んでいる暇がなかったので、それなりの額の貯金があるわけだけど。

「……ここはやっぱり、防寒より食い気に走った方がいいですかね?」

「いや、あの……なんの話ですか?」

「ひざかけを買うか、すき焼き用のお肉を買うか、そういう話なのです」

 ひざかけを買えば冬場はわりと温かく過ごせる。

 お肉を買えば今日一日だけ最高の満足感が得られる。

 むぅ……実に難しい問題だ。総合すれば満足感はどちらも似たり寄ったりというあたりが、実に難しいと思う。

 後々のことを考えると、やっぱりひざかけだろうか?

「いや……妹たちのことを考えると、やっぱり奮発して高いお肉を……」

「あの、コッコさん? 夕飯の買い物くらいは僕が持つから」

「そういう甘言に乗って後悔したことは、一度や二度ではないのですが? どーせ、後で大量の仕事を押し付けたり、昨日みたいに人を抱き枕にするつもりでしょう」

「……あっはっはっは……いや、ホントすみません……」

「まぁ、首筋に思い切りキスマークをつけておいたので問題はないのですが」

「嘘っ!?」

「嘘です」

 慌てて首筋を抑えた彼に向って、ちょっとだけ舌を出してやる。

「私は天弧さんの所有物なので、生殺しでも特に問題はありませんが、時々……他の四人の四分の一くらいでいいので、気を使ってもらえると助かります」

「……気をつけるよ」

 溜息を吐きながら、天弧さんは肉屋の店員さんに一番いいお肉を注文した。

 お肉を受け取ってお金を払って、それから私に手を差し出した。

「じゃ、次に行きましょうか?」

「はい」

 当たり前のようにその手を握って、ゆっくりと歩き出す。

 その手は、ちょっと……じゃなくて、かなり汗ばんでいた。

「天弧さんは、まだ女の子が苦手なんですか?」

「女の子が苦手というより、好きな人といると緊張するだけです」

「…………ふむ」

 なるほど、私と似たり寄ったりか。

 なんとも……こういうことにかけては経験の浅さが露骨に出るものだ。

 仕方がないので、手を離して腕を組むことにした。

「……あの、コッコさん? それはさらに緊張を加速させるんだけど……」

「知っています。私なんて心臓が破裂しそうですもの」

「いや、あの……それは分かってるけど……というか、直に伝わってくるというか」

「しかしですね、今この緊張を克服しないと私の野望が達成できないのです」

「野望?」

「まぁ、時期が来たら話しますよ」

「……その時には、なんかもう色々手遅れになってそうだなぁ」

 危険察知の賜物なのか、なかなかいい直感を働かせた彼は、言葉とは裏腹に楽しそうに笑っていた。

 笑いながら、私の歩調に合わせて歩き出す。

 腕を組みながら、私もゆっくりと歩き出した。



 逃がしたトカゲは、ドラゴンになって舞い戻ってきましたとさ。

 そんなことを思いながら、梅酒を片手にぼんやりと天井を見つめる。

 んー……なんというか、僕は相変わらず意志薄弱な人間なんだなと思ってしまう。

 宿のみんなではないけれど、みんなと一緒に鍋を囲んで、鞠さんは十墨君を手伝ってから再び温泉に向かい、十墨君は仕込みが済んだ後はぼんやりとテレビを見て、香純さんは夜風に当たってくると言って外に出た。

 皆さん、別にそこまで気を遣わなくてもいいんですよ?

 僕としてはみんなでワイワイ騒いでた方が、落ち着くわけだし。

「……って、それじゃあ駄目なんだよね」

 分かっちゃいるが、どうにもならないことってのはいくらでもあるわけで。

 明確に、きっぱりと、十墨君流に言ってしまえば、そろそろ理性が限界です。

 意志薄弱っていうか……誘惑に弱いだけなんだけども。


『誘惑に弱いというよりも、歯止めが利かなくなるってのが本当のところだろ。相川の馬鹿も高倉の旦那もそういう所はわりと似てる。紳士な空倉の兄貴を見習って欲しいね』


 うるせぇ、馬鹿。パーフェクトカップルみたいにはいかねぇんだよ。

 脳内の十墨君(オープンスケベ)に毒づきながら、ゆっくりと溜息を吐く。

 十墨志郎。現在、高校二年生。

 家族構成は母と妹。特に母親の方は敏腕キャバ嬢で、客と周囲に妬まれない程度の器量を発揮し、さりげなくとんでもない額の稼ぎを弾き出しているらしい。

 その反動なのか、家に仕事を……というか、酔っぱらった同僚を招くことも少なくないらしく、十墨君の家事技能と女性に対する諦観と達観はそこで身に付いたものだとか。

『女の子ってのは、基本的に馬鹿で感情豊かで……みんな可愛いもんさ』

 慣れたようにお酒を作り、慣れたように口元を緩める。

 諦めたように、諦めきれないように、笑っている。

『いや、それは多分間違いだな。あいつらは馬鹿で感情豊かで可愛いと……そういう風に思わせている。理性的にじゃない。本能的に、どうすれば僕らを支配できるのか知っているのさ。子供から大人まで……女性は、あくまで女性なのさ』

 男は頭で考える。

 女はハートで考える。

 理性じゃなくて、心に訴える。

 だから、男じゃ永遠に女に勝つことはできない。

 どうして彼がそんな考えに至ったのか、僕には分からない。

 僕の周囲にいるみんなは、馬鹿でも感情豊かでもなく、ただ真っ直ぐに誇らしく、それでいて可愛い人たちばかりだったので、彼の考えは理解できない。

『それは……アンタがついてない男だったのさ、高倉の旦那よ』

 じゃあ、僕と関わった時点で君もついていないのかもね、十墨君。

 僕の周囲には、面白い子がたくさんいる。例えば、君の先輩に当たる灰色の髪の女の子とかがそうだね。あの子は……真正のお人好しだ。

『ああ、知ってる。噂も聞いてる。魔法使いで正義の味方。……いずれ、僕の前に立ちふさがることも、分かっている』

 そうかい。じゃあ、仲良くしてあげて欲しい。

 お人好しなあの子は……昔、色々なものに裏切られた。

 だから、裏切られるのが怖くて、お人好しのふりをしているんだよ。

『へぇ……そうかい』

 彼は目を細めて……口元を歪めた。



『そいつは――気に食わないな』



 女性らしくはないけれど、ワインとビールを抱えて彼の部屋へ。

 寝巻も色気のないもので……むしろいつも通りだけど、その辺は時間もなかったのでスルーするしかないだろう。

 まぁ、お酒の力を借りなければどうにもならないというのが本音なので、あえて突っ込みはなしの方向でお願いします。

「…………むぅ」

 気分が高揚しているのは、ちょっと舐めてきたブランデーのせいか。

 あるいは、単に嬉しいせいか……どっちもどっちというところだろう。

 まぁ、こういう期待は大抵裏切られるのが常だけど。

「ったく……お約束というか、なんというか」

 部屋のドアを開けて、私は思わず肩をすくめる。

 予想通りとはいえ、なんとも……肩透かしというか、なんというか。

 彼は梅酒を片手にこたつに突っ伏して、ぐっすりと眠りこんでいた。

 疲れていたのか、あるいは緊張がピークに達していたのか、それとも……私と同じくお酒でごまかそうとしたのか……ま、どれでも同じことだけど。

 ……舞さんの時もこんな感じだったんだろう、多分。

「天弧さん。こたつで寝てると風邪引きますよ?」

「…………ん」

「天弧さーん? 起きてください。起きないとちゅーしますよ?」

「………………」

 反応なし。完全に寝入っているようです。

 うーん……彼を抱えてベッドまで運ぶことはできなくもないけど、それはなんか絵的に嫌な感じだ。

 仕方ないので折衷案。電気代は食うけど、彼が悪いので仕方ない仕方ない。

 まずはこたつの電源をカット。

 それから、暖房を快適な温度に引き上げる。

 空気清浄機兼加湿機は出力を最大に。これで翌日喉が痛くなったりもしない。

 持ってきたおつまみとワインとビールをセット。いつもは冥さんの定位置である天弧さんの隣に陣取って、おつまみを食べつつお酒を飲む。

 ……色気は消失してしまったけど、まぁ……これはこれで悪くない。

 少なくとも、アマゾンの奥地で敵の襲来と毒虫に怯えつつ年を越すよりは、百倍以上くらいはましだと思う今日この頃。

 ちらりと天弧さんを横目で見ながら……ふと、いたずらを思いつく。

 にやにやと口元を緩めながら……多分、舞さんもこんな気分だったんだろうと思いながら……私は彼に顔を近づける。

 さて、明日がとても楽しみだ。彼はどんな顔をするだろうか?



 幸せの形は、人それぞれだ。

 高倉の旦那のように家族と過ごしたい人もいれば、陸の兄貴のように好きな人と一緒に過ごしたい奴もいる。鞠の姉御のように、ゆっくりしたい人もいるだろう。

 誰も彼もが、僕のように自分勝手ではない。

 幸せの形は様々で、人によって違っていて……だからこそ価値があると思う。

「それで……私に何の用なのかしら? 十墨志郎くん」

 宿の近くにある草原。彼女はそこで剣を振るっていた。

 戦闘モードに入っているせいか、彼女の領域に踏み込んだ瞬間に両断されるイメージが頭を掠める。

 殺気立っているのとは少し違う。

 多分……灰色の彼女は、そういう生き方しかできなかったんだろう。

 好ましいことに、あるいは誇らしいことに。

 月の光が反射して、灰色の髪は手にした刃のように銀色に光って見えた。

「……なんでだろうな」

「?」

「僕は、香純に憧れるだけの一般市民で良かったんだよ。本当は」

 正義に対峙する理由もなく。

 悪に属する勇気もなく。

 ただただ茫洋と日常を歩む、つまらない人間。

 それで良かったはずだ。……世界と相対する理由なんて、なかったはずだ。

「香純。お前さ、今まで一度でも負けたことはあるか?」

「ええ、たくさん負けたわ。でも……心まで屈した記憶はない」

「……そうか」

 目を閉じて、ゆっくりと息を吐いて、僕は覚悟を決める。


「香純、お前は世界の敵だそうだ」


 香純は目を細める。僕を真正面から睨みつけて、吐き捨てるように言った。

「私が世界の敵? 冗談も休み休み言ってくれない?」

「冗談でこんなことが言えるか。……言っておくが、僕はドヘタレだからな。明らかに自分より強いと分かっている相手に喧嘩を挑むような人間じゃねーんだよ」

「……で、どうするの? 私を倒すの?」

「そうなるな」

 真っ直ぐに香純を見つめて、少しだけ腰を落とす。

 香純は目を細めたまま、ほんの少しだけ身を沈めた。

「納得……いくかああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!」

「っ!?」

 叫び声と共に跳躍。いつの間にか握られていた剣が鼻先を掠める。

 続けざまに放たれたナイフが首筋を掠め、どうやって取り出したのか分からない太刀の刃が膝に掠り傷をつける。

 うわ、やばい怖い。死ぬ。本気で殺される!

「私が世界の敵? ふざけんじゃないわよ! いっぱいいっぱいで生きてきて、精一杯生きてきて、どうしていきなり世界の敵にされなきゃいけないのよ!」

「……僕が知るかよ、そんなこと!」

 叫びながら距離を離す。

 実際に、僕はなぜ香純が世界の敵なのか、その理由を知らない。

 知っているのは世界の守護者である僕の妹だけで、教えろと何回言っても僕にだけは教えられないと突っぱねられた。

 世界を危機から救うためには、僕が香純と戦うしかないと言っていた。

 しかし……僕と香純じゃ、戦力はウサギと戦車程度には違う。

「……ったく、あの馬鹿野郎。なにが兄上様に任せるだ。無茶言いやがって」

「なにをごちゃごちゃほざいている、世界の守護者!」

「テメェの正義と違って、やりたくてやってるわけじゃねーんだよ!」

 使うしかない。

 相手は生粋の魔法使い。全世界でも有数の能力者。

 対する、僕には世界しか味方がいない。僕以外には誰もいない。

 これ以上味方を増やすつもりもない。

 これ以上……こんな腐れ仕事に誰も巻き込むわけにはいかない。

 息を吸う。息を吐く。

 世界の守護者は一時的に空間を支配して、自分の望んだ力を得ることができる。

 ただ、個人の限界を超えた力は引き出せない。普通の人間なら、自分自身の握力程度の力場を作るのが精いっぱいだろう。

 イメージは粘土。僕の思い通りに形を作る粘土。あとは僕の想像力が全てだ。

 僕の限界を超えないように、僕が作れる限界を見極めながら、形を作る。


「空間制圧:イダテン」


 自分の四肢と各関節に力場の粘土を張りつけるイメージ。

 力場で自己の運動強化補助と四肢の防御力強化を行う。今の状態では香純の剣が腕や足を掠めただけで吹き飛ばされる可能性が高い。

 最近、お高い自転車に付属されている電動補助みたいなもんだ。

 そして、てこ入れにもう一つ……こっちは戦いながらやらなきゃいけないが。

 どちらにしろ勝算は低いが、やらないよりはましだろう!

「っ!?」

 強化といっても大したもんじゃないが、それでも香純を短時間誤魔化せる程度の速度を得ることはできる。

 しかし……彼女はにやりと笑いながら剣を構えた。

「なるほど、それが剣聖芳邦鞠と私を止めることができたカラクリってわけ?」

「半分当たりで、半分外れだ!」

 今の自分は電動補助が付いた自転車のようなものだ。僕のイメージが続く限りは強化補助が行えるが、僕の集中力が切れたら補助が切れてそれで終わり。

 あと、香純が速度に慣れちゃってもそれで終わり。

 終わりばっかりなので、続くように戦わなきゃいけないのが非常に面倒くさい!

「っ!?」

「しゃっ……らあああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁ!」

 香純のバランスが崩れた時を狙って、剣を握る手を蹴り飛ばす。

 不意にバランスが崩れた理由は極めて簡単。

 香純の手首の関節に、力場を張りつけただけに過ぎない。

 素人と玄人の差は経験に付随する完璧な姿勢にある。剣を扱う人間の場合は、剣を振るうという経験を積むことによって、どのような形で剣を振れば最大限に活かせるのかを体に覚えさせている。

 ならば……その精密動作を少しでも揺るがせてやればいい。

 しかし、手首を蹴られたはずの彼女は、剣を手放すことなく不敵に笑う。

「で……今のがもう半分ってわけ? 由宇理に比べると、甘っちょろい能力ね」

「仕方ねぇだろうが!」

 壊すことに特化しながら、不殺を貫く彼女と比べないで欲しい。

 僕は……あくまでその辺にいる一般市民に過ぎないんだから。

 だから、ない頭で考えることくらいしかできなかった。

 彼女が世界の敵になってしまう理由。その理由を考察することしかできなかった。

 ……だから、これでいい。

 僕が納得しているんだから、これでいいんだよ!

「うん、大体分かった。避けにくく、戦いづらく、実に面倒な能力だね。よく考えてあるというか、小賢しいというか……」

 にっこりと笑う香純の笑顔は可愛かったけど……同時に背筋が凍えた。


「でも、こういうのは防げないでしょ?」


 腕を掴まれる。足を払われる。投げられると同時に肩が抜ける。

 激痛で目の前が真っ白になる。

 剣で戦う魔法使いは、当然のように無手の戦いも心得ていた。

 集中力が途切れて強化補助も解ける。痛い。シャレにならないほど痛い。世界の敵なんてもんじゃない。こいつは相手にしちゃいけない敵だ。

 逃げ出そうと一歩踏み出す。肩を蹴られて絶叫する。もう駄目だ。この時点で負けだ。命乞いするしかない。いや、無理か。命乞いなんてとてもじゃないが不可能だ。

 嫌いだって言われたじゃないか。

 嫌いな相手は、目の前からいなくなって欲しいもんじゃないか。

 ああ、嫌だ嫌だ。最近は嫌なことばっかりだ。嫌なことしかしてないじゃないか。なにが世界の守護者だ。そんな職業は誰だって願い下げだコンチクショウ。

 あの根性廃棄物妹のわがままに付き合った挙句が……末路がこれだよ。

 死ねばいいのに。

 みんな死ねばいいのに。

 幸せそうな奴はみんな死ねばいいのに。

「さて……最後に聞いておきましょうか。なにか言い残したいことはある?」

 僕を抵抗できないほどにボコボコにしておきながら、香純はまるで油断せず、たくさんの剣を作りだして、その全ての切っ先を僕に向けていた。

 あー……超痛い。痛いけど、耐えられないほどじゃない痛みってのが面倒だ。

 戦わなきゃいけないのかもしれないけど、剣の切っ先を向けられては僕にできることなんて何一つない。

 切っ先と共に夜空を見上げて……そこで、ふと気がつく。


 この戦いの本当の意味に、気づいてしまった。


 死ねばいいのに。

 僕なんて死ねばいいのに。

 彼女を悪しき様に言い放った僕なんて死ねばいいのに。

 腐れ外道妹と己の道に準ずる香純と、どちらの言葉を信じるべきかなんて自明の理で、分かり切っていたのに。

 くそったれ。だから妹なんて大嫌いだってんだ。

「……香純」

「なに?」

「ごめん。なんか色々と手違いがあった。やっぱり香純は世界の敵でもなんでもねーわ。……ごめんじゃ済まないとは思うけどさ」

「………………」

「遺言はそんだけだ。僕を殺したら、灰にして海にでも沈めてくれ」

「……手違いだったの?」

「ああ。今回は僕が全面的に悪い。本当にごめん」

「………………はぁ」

 香純はゆっくりと……呆れたように溜息を吐いて、口元を緩めた。

「間違いなら間違いでいいわよ。……たまにはそういうこともあるでしょ」

「へ?」

「いやー、びっくりしたわ。まさか世界の敵にされるとは思わなかった。あ、さすがに『やっぱり敵でした、死んでくれ』とか言われたら、今度こそ容赦しないわよ?」

「えっと……いや、殺さないの?」

「殺すわけないでしょ。あんたのことは嫌いだけど、なんで友達を理由もなく殺さなきゃいけないのよ? ま、誤解でよかったわ」

 友達だから、嫌いでもなんでも殺すわけがない。

 そんな当たり前のことを、香純は平然と言い放った。

「でも、怒ってるだろ?」

「怒るより叱られる方が怖いってば。そっちの腕、抜いちゃったからしばらく使い物にならないでしょ。……四季はああ見えて平和主義者だし、姉さんの旦那どもなんて、両方ともへたれのくせに私に厳しいし」

「なんで香純が怒られるんだよ? どう考えても悪いのは僕だろ?」

「正義の味方なら友達の苦悩くらい見抜いて見せろとか言われるのよ。なるべく努力はしてるつもりだけど、こればっかりはどうにもね……」

 滅茶苦茶言いやがるな、あいつら。

 香純が苦労性なのは前々から分かってたけど、ここまでとは思わなかった。

 あー……きっついこと言っちまったな。

「悪かった」

「え?」

「いや、風呂場で色々ときっついこと言っちゃっただろ。あんなこと、別に僕に言われなくても香純自身が自覚してたことだろうし、あえて言うことでもなかったなと今更ながら反省してるわけだ。……うん、本当に悪かった」

「別にいいわよ。腹は立ったけど、事実だしね。……もっとも、私としては局部を丸出しにしてた方を反省してほしいんだけど?」

「はっはっは、それは無理だ。香純に見られても恥ずかしくもなんともねーし。……というか、そもそも内臓まで見れられて今更恥ずかしいもへったくれもないし」

「治療と……その、ああいうのは意味合いが違うでしょうが!」

「内臓をまじまじと見られるのって、結構恥ずかしいんだぞ……」

「羞恥心の方向がおかしいでしょ! 内臓より、下半身丸出しの方を恥らいなさい!」

「彫像とか局部丸出しじゃん」

「芸術と露出狂を一緒にするな!」

 出しているものは一緒のような気もするが……まぁ、下ネタはもういいか。

 今後は少しばかり自重しよう。香純も『一応』女の子なわけだし。

「十墨、なんだか微妙な視線を感じたんだけど気のせいかな?」

「あだだだ! 外れた腕をつつくのはやめろ馬鹿!」

「んー……ちょっと筋を痛めてるみたいね。戻しておくけど、後でちゃんとお医者さんに行かないとまずいかもしれない」

「ちょ、戻しておくとか簡単に言ってるけど、脱臼って外れた時も入れる時も最高に痛いんじゃぎぉぅ!」

 香純の奴はなんの躊躇もなく腕を捻り上げて、よいしょとか気の抜けたかけ声と共に僕の腕をはめ込んだ。

 あまりの激痛に頭が真っ白になり……僕の意識は闇の中に落ちた。



 いつも通りに目を覚まし、いつも通りに洗面所へ。

「へぶっ!」

 そして、いつも通りじゃない衝撃にちょっと涙目になり、そこでようやく気付く。

「むぅ……そういえば天弧さんの部屋で寝ちゃったんだっけ」

 おでこをさすりながら、私は欠伸をした。

 別にやらしいことはしていないし、思った以上に楽しかったので、これはまぁこれで良いんだけど、腑に落ちないのはいつものことで。

「……ま、いいか。別に今焦らなくてもチャンスはたくさんありますし」

 それに……ぶっちゃけてしまえば、野望達成には私が頑張らなくてもいいのだ。

 まぁ、主に頑張ることになるのは舞さんやら美里あたりだろう。京子さんと冥さんあたりはなにを考えているのやら。そこは本人の自由意思とかそんな感じで。

 私は……まぁ、優先順位としては最後でいいだろう。

 背伸びをしながら彼の方を見ると、彼はぐっすりと熟睡していた。

 大学生と宿の仕事を兼任しているせいか、年末ということもあって最近は目が回るような忙しさだったみたいだし。

 ただ、本人もペース配分はしているようなので、屋敷の二の舞ということはないだろうと思う。

「やれやれ……今回は見逃してあげますか」

 負け惜しみを口にしながら、口元を緩めて彼の布団をかけ直す。

 それから、持ち込んだワインのボトルなどを手に、彼の部屋を出た。

 大掃除などの仕事は大体終わらせてあるので、今年はもうやることもない。あとは今日帰ってくるみんなを出迎えて、年を越すくらいしかやることはない。

 うん……まぁ、なんだ。

 みんなが帰ってくるまでは、一緒にいてもいいか。

 ぼんやりとそんなことを考えながら、自然と足は厨房に向かう。

 なにか、体が温まるものでも食べてから、久しぶりに二度寝でもしよう。


「十墨、茶碗蒸しってこんなもんでいいの?」


「こんなもんどころじゃねぇよ、完璧だよ。どんだけ料理上手いんだお前は」


 と、厨房では私の妹とその彼氏がせわしなく動き回っていた。

「誰が彼氏ですか。訴えますよ?」

「そうよ、大姉さん。十墨が彼氏とかまずないから」

「まぁ、それは冗談にしても……十墨君の右腕が吊られているのはなぜ?」

「……えっと、色々あって、私が抜いちゃった」

 ばつが悪そうに頬を掻く香純とは対照的に、十墨君は溜息を吐いた。

「今回は全面的に僕が悪いです。お説教なら僕にお願いします」

「ん……まぁ、双方が納得してるなら私から言うことはなにもないけど……ああ、天弧さんと友樹君は怒りそうかな。なんかあの二人、香純には厳しいし」

「香純が怒られるようなことがあったら、僕がぶん殴りに行きますけどね」

「………………」

 あの二人に対して、そこまで言い放つ子も珍しい。

 十墨君は左手に持った中華包丁で鳥を骨ごと叩き斬りながら、口元を緩めた。

「取引しませんか?」

「……また、唐突ですね。どんな取引ですか?」

「今から、美味しいご飯を作るので香純が怒られないように便宜を図ってください」

「天弧さんはともかく、友樹君の方はどうにもできませんが?」

「そっちは既にみそラーメンで取引済みです」

 私より先に鞠を買収するとは、十墨君はなかなかの心胆の持ち主のようだ。

 まぁ……取引としては、思った以上に悪くない。

「それじゃあ、香純が食べてた茶碗蒸しを含めた和風御前で」

「了解」

 わりと無理難題を言ったつもりだったけど、十墨君は厨房に引っ込むやいなや、三十分程度で和風御前を作ってしまった。片手で、恐らく利き腕ではないだろうに。

 アサリ出汁を使った炊き込みご飯、タケノコの味噌汁、銀杏の入った茶碗蒸し、漬物各種、卵焼き、鮭の塩焼き、梅と大根のサラダ、デザートにヨーグルト。

「立派なお嫁さんになれそうですね」

「僕はどちらかというと、立派なお婿さんになりたいんですが」

「大丈夫です。お嫁さんやお婿さんなんて、所詮は役割的なものです。偉い人にはそれが分からないのです」

「……十墨が嫁は嫌だなぁ」

 本当に嫌そうに言うあたり、私の妹らしいというかなんというか。

 しかし……まぁ、なんだかんだ言いつつも、まだまだ甘い。

 恋愛ってのはおおむね勢いだと織奥様は言っていたけれど、男女の仲というものは勢いだけではどうにもならないこともあるわけで、ぶっちゃけずっと退却姿勢でいたにも関わらずいつの間にか追い詰められていることなんてよくあることなのだ。

 少女漫画ほどあからさまではないし。

 少年漫画ほど単純でもない。

 主役も主人公もいるかもしれない物語。それでも……いつ、誰が、メインヒロインになってもおかしくはないのだ。

「じゃ、天弧さんの方は私がなんとかしましょう。あと……香純、喧嘩はいいけどやり過ぎないように。特に、脱臼は癖になっちゃうから」

「……うん……まぁ、喧嘩ではなかったような気もするけど」

「んー……納得できないなら、お姉さんが直接体に教え込んであげてもいいけど? ダンプカーと人が衝突したら、謝らなきゃいけないのはどっちかしらね?」

「すみませんお姉さま! 香純はものすごい勢いで反省しました!」

「分かればよろしい」

 納得や理不尽など、わりとどうでもいいことだ。

 問題なのは、香純は人より強く、十墨君は人並だという事実だけ。

 力には責任が伴う。その責任を果たすためには、強くならなければならない。

 まぁ……本当は、私が言っていいことじゃないけど。

「じゃ、二人とも……あとはよろしく♪ 私は別の場所でご飯食べるから」

「高倉の旦那の所に行くなら、お茶でも飲ませてやってくれ」

 そんなことを言いながら、十墨君はさりげなく茶葉の入った袋を私に手渡す。

 んー……なんだか、どこかで見たような気遣い。

 天弧さんに似ているようで、似ていない。似ているけど真逆。

 そう、あえて言うなら……天弧さんの気遣いは『家族』に向けたものだけど、彼の気遣いは『誰か』に向けたものだ。

 家族だから大切にするし、愛して当然なのではなく。

 自分がやりたいことをやっている。……そんな感じがある。

 まぁ、彼は彼で大変なんだろう。そういう時は、誰かに助けを求めるほどに、苦しんで足掻くのが正解だ。

 足掻いて生きろと……天弧さんなら言うだろうから。

「ああ、旦那の嫁さん。飯の前に一つだけいいかな?」

「なんでしょう?」

 和風御前を片手に持ちながら振り向くと、十墨君は口元を緩めていた。

 呆れたような、疲れたような、そんな微妙な表情を浮かべて問いかける。


「あんたは……絶望って見たことあるか?」


「ええ。毎日、わりと、頻繁に」


 まるで……天弧さんのように不敵に笑って、私はきっぱりと言い放つ。

「だから、毎日それを叩き潰すのが私の役目です」

「………………」

「疲労は心を荒らす。荒廃して壊滅する。そこに絶望が巣食う。だからこそ……疲れて帰って来た誰かの愚痴を聞いて、頭を撫でて寝かしつけてあげるのが、私の役目です」

「それでアンタはいいのか?」

「いいに決まっているでしょう。私は聖人じゃない。私は、私なりの野望と欲望のために絶望を叩き潰す。リスクとリターンがきっちり等価で釣り合っている……こんなに楽しい役目はないと思ってますよ」

「………………」

「なにを見たのか知りませんが、見えたのだったら叩き潰しなさい。あなたのやり方で、最高と最善を尽くして、ね」

 なにが最高で、なにが最善なのかは、自分で考えることだ。

 私は格好良くそれだけを言い残して……食堂を後にする。

 さて、首尾よく美味しいご飯を手に入れたところで、天弧さんの部屋に戻ろうか。

 空を見上げる。今日はいつになく……年末には珍しく、いい天気だった。



 よいか、兄上様よ。世界はいつでも危機に晒されている。

 空を見上げる。昨日から見え始めた………可視なる絶望を見上げる。

 猶予は一年。その間に兄上様を戦士として育て上げ、本物の絶望を直視できるようになってもらう。謝礼は願いを一つ。成功報酬でもう一つ叶えてやる。

 空に浮かんでいるのは、青い空と白い雲。

 だから……兄上様よ。早く気付くがよい。お前は資格を手に入れた。


 星も両断できそうな、巨大な黄金の剣が見えた。


 十年前に生まれた、最強の敵と相対する資格を、兄上様は手に入れたのだ。


 後で妹から伝え聞くことになる、その剣の名はゴルディオンセイバー。

 十年前に突如誕生した、最強の世界の敵。

 あれを砕く術を探すことが……僕の使命らしい。

「十墨、なにしてんの? お雑煮の味を見て欲しいんだけど……」

「ここの空は綺麗だなと思ってさ。……それより、香純の姉ちゃんって二人とも超おっかねぇな。殺されるかと思ったよ」

「んー……まぁ、色々と油断ならない男運だからね、二人とも。……それにさぁ」

 苦笑しながら語り出す香純に曖昧な返事を返しながら、僕は空を見上げる。

 星に切っ先を突きつける、とんでもなく巨大な黄金の剣。

 砕く術など思いつくはずもないけど……まぁ、なんとかなるだろう。

 魔法使いだろうが正義の味方だろうが、妹や香純やこの宿の連中に比べたら、どうでもいいくらいの雑魚敵に違いない。

 世界を壊す……そんなことは世界を知ろうともしない子供しかやらない。

 そんな奴相手に負けるつもりは、毛頭ない。

「ってなことがあってさ……十墨、聞いてる?」

「聞いてるよ」

 今度は確かに相槌を打ちながら、僕は空から香純に視線を移す。

 さて……それじゃあ、世界の敵と戦う前に。

 まずは――――。



 半分ずつ食べたらしき、和風御前。

 お茶を煎れる準備は万全で、あとはお湯を注ぐだけ。

 隣の彼女はすぅすぅと寝入っていて、起こすのは忍びない。

 ぼんやりとした頭でこたつの上に置いた手鏡を覗き込み、口元を引きつらせる。

 首筋に赤い筋。……まぁ、極めて分かりやすいキスマークというやつだ。

 どうやら、僕が寝入った隙にやられたらしい。

「ったく……ずいぶんと、まぁ、可愛くなっちゃって」

 ドラゴンどころじゃねぇな、などと呟きながら、僕は箸を手に取る。

 半分ずつってのもアレだけど……今日くらいは別にいいか。

 ご飯を食べたらお茶を飲んで、彼女を起こして、またデートでもしようか。

 そんなことを考えながら、僕は口元を緩めて笑った。


 さて、それじゃあ。

 今年を越えて、来年も頑張りましょう。





 キャラクター紹介っぽいもの


・十墨志郎。

 凡骨。正義でも悪でもない一般市民。

 なんの因果か、あるいは世界の選択か、世界の敵と戦うことになった少年。

 ぼさぼさ髪、中肉中背、垂れ目、見た目は人懐っこそうなのほほん系、中身は狼。

 中身は狼の名の通り、かなり積極的なオープンスケベ。おっぱい大きいねくらいは平気の平左で言えてしまう野郎である。

 まぁ、そのオープンさ加減は過去の色々が関係している。

 家族構成は母と妹。妹には色々と複雑な事情があるので、嫌いではないが現状ちょっと苦手な状態。

 特技は料理……というか、家事全般。

 趣味はボードゲーム。麻雀から囲碁までなんでもござれ。外堀を埋めながらの戦いが得意で、持久戦、あるいは耐久戦に持ち込むとかなり強いらしい。

 能力は力場の作成。力場と言うと分かりづらいが、要は念動力。遠く離れた物をつかんだりできる。彼の場合はその力を自己の運動能力強化や、相手の行動の阻害に使っている。応用力は広いが、劇的な効果は望めない能力と言い換えてもいい。

 自称、自分勝手。自己の快楽のために他人に尽くす。

 全ての戦いで敗北し、全ての戦いで敗走し、たった一度の勝利をもぎ取るために死ぬほどの苦労を背負うことになる守護者の物語。

 メインテーマは『みんなの嫁』。

 他者を攻撃する人間は基本的に自分の弱さを見抜かれたくない人間のことで、つまり彼もそういう人間で、おまけにそんな自分に自己嫌悪を抱いている有様である。

 自称自分勝手。自称、ちっとも優しくない人間。

 他人から見ればそんなことはないが、彼自身はそう思い込んでいる。

 おまけに、彼の敵……つまり世界の敵は、そんな彼の心に土足で踏み込んでくる無礼者ばかりなのだが、そんなことには頓着せず料理と笑顔を振りまいて友達になってしまう……というのが、概要。

 友達を殺さず、いかに世界の敵から脱却させるかが勝負の鍵。

 ちなみに、彼と死ノ森あくむ、相川透は世界の仕組みをある程度知っているため、メタ発言が許される立場にある。

 ただ、そんなことはこの物語には一切関係ない。この物語においては、彼はおせちを作りにわざわざ宿までやって来た物好きである。



・桂木香純

 灰色の魔法使い兼、高校三年生で受験生。

 姉に誘われてノコノコ温泉旅行にやってきた、世話焼き女。

 某エンディングに出てきた時と口調と態度が違うが、こっちの方が本性である。

 本編の方では出番は多くないが、基本気配り上手で他人に好かれる。ただ、気を配り過ぎて依存関係に陥ってしまっているのがたまにきず。

 十墨君としては、それが色々と気に食わないらしい。

 彼と彼女がこれからどうなるかは、作者もよく分からない。


・芳邦鞠

 メイド。今回は妹を誘って温泉旅行に来た。

 姉とは色々あったものの結局和解し、たびたびメールのやり取りをしている。

 今回、出番は少なめ。


・高倉天弧

 忙しい大学生。でも、忙しいのは年末だから。

 お酒に弱いのは相変わらずで、最近はものすごい勢いで下僕に振り回される毎日。

 ちなみに、空気を読まずに下僕に対してなにもしなかったので、帰って来た宿の面子に一発ずつぶん殴られることになるが、それはいつも通り。

 いつも通りじゃないのは、『まぁ、冥さんと舞さんは若いからいいですけど、妹の誕生を心待ちにしている美咲ちゃんの気持ちは酌んであげてもいいんじゃないですか?』という、下僕の爆弾発言に口元が引きつりまくること終始。

 それでまたひと悶着あったりするのだが……それはまぁ、別の話。


・山口コッコ

 彼の所有物。最近は非常に楽しそうな、お宿のお姉さんにして主人公。

 主人公にのし上がる(あるいは主人公に成り下がった)だけあって、立ち回りがなかなかえぐい。開き直ると誘い受けの小悪魔さんだったそうな。

 ちなみに彼女の野望というのは『十人以上の孫に囲まれて、みんなより後に笑って死ぬ』という壮絶なもので、その野望のために現在色々と頑張っているらしい。

 一人あたり二人産めば楽勝ですよね、とかなんとか。

 とりあえず、宿の面子の息子や娘なら自分の子供も同然らしい。

 我が師の師ならば我が師も同然……って、このネタは古いか。

 作者的には恋愛みたいなプロセスをすっ飛ばして、いきなり妊娠出産に挑ませるつもりは毛頭ありませんよ? 魔女●宅急便の原作だって子供産んで終わったでしょ?

 今年の課題は『エロくないのになんかエロい』。苦手だったべたべたした人間関係ってやつをなんとか物語的に盛り上げられたらいいかと思う。

 最近の趣味は息子やら娘の名前を考えてノートにまとめること。高倉家の人間は自覚あるなしに関わらずネーミングセンスが最悪で、おまけに出産直後というのはテンションが上がっているため、変な名前をつけられる子供も多い。

 それを食い止めるために、今日も彼女は口元を緩めて名前を考えるのだった。

この一年小説を書いていないかと言われれば、そんなことはなかったりするわけで、別の物語を別のペンネームで書いていたりする。

まぁ・・・あんまり読者数は増えちゃいませんがw

増え過ぎない程度でちょうどいいお題なので、そっちはマイペースで書いていますが、区切りがついたらこっちの方でも紹介するかも。

・・・つっても、一年放置してたから、見捨てられてるかもしれませぬが。

いや、これは本当に申し訳ない。時間があったらちょくちょく戻ってこようかと思っていますし、まだ書かなきゃいけないあとがきもあるんですが……社会人3年目に突入してから時間がなくなってきた。

うん、今年はあとがきの書き残しの消化をとりあえず目標にしよう。

・・・初日から仕事がクライマックスなので、ちと時間はかかりますが。


ともあれ、新年明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします♪

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