舞エンド結 彼編:いやいやちょっと落ち着こう
やっちまった。本当に不定期すぎる。一ヶ月単位でチェックしている方はちょっと損をするほど早く仕上がってしまった自分の馬鹿さ加減に嫌気が差します。
しかも長い。携帯で見ている人はパケット代注意。下手を打つとえらいことになります。
注1:下らない前置きをしてみよう。
注2:この物語のヒロイン、高倉天弧は生粋のツンデレである。
注3:実際のところツンデレというものは『落差』や『ギャップ』に属する定義だろうと作者は思っている。最初の印象は最悪で、その後もわりと印象は良くなく喧嘩を繰り返し、なぜかある時を境に属性が反転する。その落差を総称してツンデレと呼んでいるらしが、ここから先は様々に派生し、系統化され、よく分からないカオスなことになっているので、調べたい人はネットでツンデレを調査してみるといい。近年生まれた言葉でここまで爆発的に広がった言葉は萌えとこれくらいなもんだろう。ちなみに、田山はそれらの言葉はあんまり使わない。姉貴曰く『萌えってのは言葉にならない魂の叫びを無理矢理言語に置き換えたもの』だそうなので、肝心な時に使おうと思うそだけど。
注4:話は脱線したが高倉天弧は生粋のツンデレである。屋敷にいる時にはほぼ全員にデレているのであまり詳しい描写はしていなかったが、こいつにもデレる前のツンという状態が存在する。コッコ嬢に対しては命を助けられる前、冥嬢に対しては命を賭して自分を助けてくれた時、舞嬢に対しては自分に説教をしてくれた時、京子嬢に対してはほぼ初対面から(可愛い+格好いいでほぼ一目惚れ状態)、美里嬢に対しては自分をぶん殴った時、由宇理に関しては一見して馬鹿女だと思った女性が思ったよりもいい奴だと認識できた瞬間となっている。由宇理を例に取れば分かるが、実際デレる前の状態は惨憺たるものだ。女性扱いしているかどうかも怪しいところだろう。
注5:さて、ここで少し原点に立ち返ってみる。疑問を解くコツの一つは、まず疑問を抱くこと。伏線を見抜く力というのは物語を楽しむ力でもある。
注6:そもそも、なぜ高倉天弧は女性が苦手なのか? 母親のせいか、師匠のせいか、コッコ嬢のせいか、他の要因が絡んでいるのか、それとも……全部が要因か。
注7:忘れてはいけないのはコッコさんつヴぁいの語り部は嘘吐きであるということ。そして、嘘吐きに限らず人間は時として無自覚に嘘を吐くということだ。
注8:では、予備知識を得たところで物語を開幕しよう。
注9:これは、勇者が愚者と語り合うだけの物語。
注10:難易度は毎度のごとく最強。相手は20年に渡り平気の平左で嘘を吐いてきたプロフェッショナル。そんな愚者を真正面から言い負かせば閉幕となる。
注11:まぁ、嘘だけど。
エンディング条件。
・前置きが済んだところで、さらに前置き。
・これまで散々『舞さんとのフラグ〜』というセリフを書いてきたが、ごめん。あれは輪をかけて性質の悪い嘘だった。
・さらに付け加えると舞嬢との間にそもそもフラグなど存在しない。Sランクエンド以外のあの野郎に勇者を口説く甲斐性など存在しない。つまり、天孤→舞というラインはどう足掻いてもくっつくことはないのである。
・少しだけ悩んで、仕方なく相川ハーレム(地獄の総称。全ての悪意がここに在る場所)から一人の大魔王にご登場願った。相川ハーレム(人が存在できない世界。悪夢のように苦くて甘い場所)はあまりに濃すぎる人たちで構成されているために、現在ほんのちょっとずつ手直ししている猫日記くらいに濃い物語じゃないと登場できないのだが、なんかもう面倒だ。手っ取り早く説得してもらおう。
・いやまぁ説得っていうより脅迫なんだが。
・Sランクエンディングではフラグが成立しているが、あれはこの物語の亜流の経緯を経て大喧嘩の末デレに至ったと思いねェ。
・まぁ、喧嘩するほど仲がいいってコトで一つよろしく。
以上を踏まえて、ご覧下さい。
Aランクエンディング・彼編:いやいやちょっと落ち着こう。
五年前、こんなことがあった。
知り合いのにーちゃんに、どうしようもない男がいる。
その人は、僕から見てもわりとよくできた人で、オールマイティのさらに上を行く性能を有する男の人で、章吾さんに匹敵するんじゃねぇかってくらいに優秀な人だった。
なにをやらせても上手にこなし、なにより間合いの取り方が絶妙に上手い。母さんが世界最強ならその人は精緻の極限。力ではなく技術で最強に匹敵する達人だった。
ある日、にーちゃんはいきなり僕の家にやってきて、いきなり土下座をした。
なんでも惚れた女を助けるために、少しばかり遠出をしなければならないため、その間家族の面倒を見て欲しいとかなんとか。
美しい話に僕はあっさりと快諾し、にーちゃんが戻ってくる間、その『家族』というやつの世話をすることになった。
世話といっても家事全般ということだったので、実際のところ大したことはないだろうと踏んでいた。家族構成は話してはくれなかったけど、まぁなんといっても『家族』のことだ。他人に話しづらいこともあるだろうと思って、僕はあえて聞かなかった。
最初から最後まで、僕がよく話を聞かなかったのがまずかった。
いや、あれだけの詐欺に遭ったのは生まれて初めてだったね。冗談抜きで。
にーちゃんの言う通り、確かに用件は『家族』の世話だった。
血の繋がらない妹。少々兄に傾倒する傾向あり。
刃のように鋭い従姉。口から出るのは毒ばかり。
金髪の他人。にーちゃんとの共通点は殺害テクニックのみ。
黒髪のハッカー。家を度々留守にしては迷子になる超問題児。
いや……ないよね? どう考えても、ないよね?
知り合いを虎口に放り込む人間がいるか? どう考えても土下座程度じゃ割りに合わない。明らかに僕に殺意を抱いているようにしか思えない。
が、約束は約束だ。仕方なく僕は割り切ることにした。僕はあくまで『家政夫』として雇われたのであって彼女たちとはあまり係わり合いのない人間だ。絶対に、確実に、間違いなく、にーちゃんには慰謝料を請求するけど、今はとにかく耐え忍ぼう。にーちゃんが帰ってくれば地獄は終了。僕はまたいつもの日常に戻れるって寸法なわけだし。
とにかく、無関心を貫こうと決心した。
「下着を玄関に放置する女がどこにいるんじゃあああああああああああぁぁぁぁぁ!」
30秒で挫折した。
にーちゃんの家族は、毒女を除いて家事が出来ない人たちだった。
全員に10分程度の短い説教をした後、脱ぎ捨てられた服をかき集め、かなり嫌だったが洗い方と色別に洗濯機に色別に放り込み、大きなゴミと思われるものは全てゴミに放り込み、小さなゴミは例外なく掃除機で吸い取り、雑巾がけをして窓を拭いて、トイレや風呂場も完璧に綺麗にしたところで僕は疲れ果てて倒れ込んだ。
「テンちゃん、ご飯まだ?」
年上の女性をぶん殴ってやろうかと思ったのは久しぶりだった。
全員の好みがバラバラかつ、全員が自分の主張を譲らない連中だったため、仕方なく僕は間を取って、僕が好きなものを作ることにした。当然のことながら全員からブーイングを受けたが、『これ以上なんか言ったら夕飯抜き』という言葉にはさすがに渋々従ってくれた。結局、作ったものは全部食べてくれたので、味は気に入ってもらえたらしい。
「テンちゃーん、明日の朝食は手作りフレンチトーストとかがいいんだけど」
「材料があれば作るけど、もう卵はないよ」
「買ってきてよ。牛乳も今ので切らしちゃったから、よろしく」
「あ、テン。ついでに生理用のナプキンもお願い。そろそろだから」
「にく。三丁目の角の店が安い。夕飯はすきやきがべすと」
「自分で買いに行けテメェら! あと、さりげなく思春期の男が買っちゃいけないもん平然と頼んでるんじゃねーよ!」
「……四の五の言ってないでさっさと買ってきなよ、クソ狐。君に分からない痛みを抱えてる人間の必死の訴えを無視するつもりかい?」
「あくむさん。分かったからアンタは寝てろ。貧血で顔真っ青じゃねーか」
「はっはっは……いやぁ、ごめんごめん。………まじでごめん。嫌わないで。見捨てないで。この人たちの相手を一人でするのは本当に辛いから!」
「いや、それくらいじゃ嫌わないから。むしろ顔が本気すぎて引くから。後でマッサージでもなんでもやってやるから、とりあえずお腹を中心に体を適度に温めて、安静にしといてください」
「わぁ、テンちゃんやっさしーい♪ それってどう考えても口説いてるよね?」
「いや……ここまで弱ってる人間に対していつもの調子は出ないって、さすがに」
「えー? テンちゃんって複数人の女の子に言い寄られて、にっちもさっちも行かなくなって結局大好きだった年上の女性に裏切られそうな顔してるよ」
「……え、なにその具体的だけど在り得ない未来予想図。そんな結末を想像しても、僕はこの世界に生を受けて以来、女の子にもてたためしはないよ?」
「それは女の子の見る目がないんだよ」
「テンみたいに便利な男の子、兄さん以外に見たことないわ」
「一家に一台」
「……ごめん、キツネ君。否定できない。君の便利さは異常だ」
「あっはっはっはっは……とりあえず今日だけで10発か。先が思いやられるなぁ」
女性をぶん殴るわけにもいかなかったので、ストレスのぶんだけにーちゃんをぶん殴ろうと心に誓った。
最初の一日で心が折れかけたが、にーちゃんが戻ってくればなにもかもが元通りになると信じて、僕は家族の世話を焼き続けた。
にーちゃんは、三週間ほど帰って来なかった。
「結局にーちゃんが帰ってくる頃には五万発ほどぶん殴らなきゃいけない計算になってな、もう面倒だったから一週間死ぬほど奢らせる程度で済ませたんだ。……うん、親しい人に500万円ほど奢らせたのはさすがにやりすぎだったかなって少し思った。後悔はこれっぽっちもしてないけど」
「あ、流れ星だ! 田舎は空気が綺麗だから星も綺麗だね」
「おいおい藤原。怖いからなんか胸に残った思い出でも話してくれって言ったのはお前だぞ? ちゃんと、僕の人生の一端を聞いておくように」
「そんな香ばしい思い出だったら聞かないほうがましだったよ!」
肝試しとは別の意味で、藤原は涙声だった。
周囲は真っ暗というより『真っ黒』。懐中電灯は持ってきたが、頼りになる明かりが月明かりくらいしかないため、詳しい様子は分からないけど、さぞかしいじめがいのある顔をしているんだろう。
殺人鬼が出てこない闇夜はそれなりに慣れているため、僕はサクサクと歩みを進めるが藤原は僕の腕にしがみついたままおっかなびっくり歩いていた。
「うう……薄々予想はしてたけど、こんなに酷い人生を歩んでいるとは思わなかった。ある意味お化けより怖いよ。先輩の人生はどう考えても波乱万丈どころじゃない。最初からクライマックスだ」
「予想してたんだったら聞かないで欲しかったな。残念ながら、僕は人に自慢できるような人生を歩んでないんだよ」
「……じゃ、じゃあなんかこう恋愛みたいな甘酸っぱい思い出とか」
「………………」
特にないな。
いや、困った。本当にない。初恋と屋敷のことはあんまり話したくないから省くとしても、それ以外だと本当になんにもねぇぞ。
と、ここで恋愛経験があまりないことを暴露しても良かったのだが、ふと気になったので普通ならあまり女の子に聞けないことを聞いてみることにした。
「で、そう言う藤原は誰かと付き合ったことってあるの?」
「ああ、まぁ人並には。今は彼氏とかはいないけど」
あっさり人並とか言いやがったよ、この後輩!
別に女性と付き合ったことがないってのはコンプレックスでもなんでもないけど……妙な敗北感がある。なんだか異様に悔しいぞ。
「先輩はどーせ女の子と付き合ったりしたことはないんだろ?」
「いや、確かにないけどさ。……断定されるとさすがにちょっと悲しい」
「断定もするさ。先輩って、そもそも女の子苦手だしね」
藤原が言い放った言葉は疑問ではなく、まごうことなき断定だった。
僕の腕にしがみついている藤原を見ると、彼女はいつも通りにっこりと笑っていた。
月光でもはっきり見える透き通った瞳で……僕を見つめていた。
「うん、今だから言ってしまうけど、私は先輩のことは気持ち悪いと思っていた」
「藤原。さすがの僕もフルパワーで怒るぞ?」
「仕方がないよ。……先輩は、私の理解の範疇を軽々越えてたんだから」
白髪と眼帯と着物。三人合わせて三馬鹿トリオ。
白髪も着物も高校生とは思えないスペックを誇っていた。誰も追いつけず、誰も届かず、誰も追随できない。だから馬鹿をやっても許される。それだけの力がある。
でも……眼帯は、高倉天弧は違った。
普通のくせに、他の二人にあっさりとついていくことができた。
「三馬鹿って言えばウチの高校だとものすごく有名だから、少しだけ興味を持った。友樹先輩と刻灯先輩については『段違い』だったから有名になったのも納得できるんだけど、高倉先輩だけはどこまでも凡人だったからね。……そこだけは納得できなかった」
「藤原が納得できようができまいが、結局のところ『段違い』ってのはその程度のもんだってことだろ。スポーツじゃあるまいし、僕らはわりとあやふやなルールの中で戦ってるんだから、その中でなんとかすればいいんだよ」
「……それが出来る人間が、何人いるかな?」
「そこまでは興味はないな。僕は僕の世話だけで手一杯だ」
前は余裕のあるふりをしていた。無理をしていた。
今は違う。……僕は僕だけで手一杯で目一杯だ。余裕なんてありはしない。
藤原は僕の言いたいことを既に分かっていたのか、苦笑を浮かべるだけだった。
「うそつきなんだね、先輩は」
いつかどこかで、そんな言葉を聞いたような気がする。
いつかどこかっていうか、わりとつい最近。遊園地でその言葉を聞いた。
そう……僕は嘘吐きだ。二流の嘘吐きで、嘘を嘘だと見抜かれてしまう言ノ葉使い。
嘘を吐くには才能が要る。僕には才能が欠けていた。それでも嘘を吐いた。
自分は大丈夫だと言い聞かせて嘘を吐いて、破綻した。
だから、今回はちゃんと笑った。
「うん。僕は嘘吐きだ。これからも都合の悪いことには嘘を吐くよ。いつも通りに」
「都合の悪いことって?」
「人には言えない色々。自覚はあるけど他言はしたくない本性とかね」
破綻したことで自覚が芽生えるってのも嫌な話だけど、少なくとも考える時間が増えたおかげで、僕自身の願望ってのが多少は見えてきた。
いっぱいいっぱいだった頃には見えなかったものが、悩みを重ねていくうちにほんのちょっとずつだけど、見えてきた。
他言できないほど恥ずかしいことだけど……それでも、分かったことがある。
「最近分かったのは、女性の苦手な僕に誰かと付き合ったりとかホント絶対に無理ってことなんだけどね。主従関係ならぎりぎりいけるくらいで」
「恋愛より絶対に主従関係のほうが難しいと思う! 先輩は色々おかしいぞ!」
「ハ、なにを言う。僕のような嘘吐きでひねくれ者を好いてくれるような女はこの世には存在しない。一家に一台あれば便利程度の男だからな」
「その発言は私に対する挑戦と受け取っていいんだなっ!?」
藤原は顔を真っ赤にして叫んだ。
そこで、僕はなんだか奇妙な違和感に気づく。
あれ……なんか今、聞いちゃいけない言葉をうっかりミスで聞いてしまったような気がするケド、いやいやまさかな。ないだろ。ないさ。ないに決まってる。
「……先輩。なんだか呆けたような顔をしてるけど、まさかこの期に及んで全然気づいていなかったとかそういうことはないよね?」
「あっはっは、大丈夫だ。ちゃんと気づいているよ。……地球は僕たちみんなで守っていかなきゃいけないことくらい、ちゃんと気づいているさ」
「セ・ン・パ・イ?」
うお、ものすごい闘気だ。さすがの藤原も今のは怒るか。
いや……だって仕方ないじゃん。自分のことを日常的にいじめてる男を好きになるって、そんなの絶対にありえないっていうか、完全にマゾヒストじゃん。
ちょっと待て。まさか本当にマゾヒストなのか?
「先輩。言っておくけど、私はマゾじゃない。単につり目のヘタレが好みなだけだ」
「藤原、僕らの友情は永遠に不滅だからな」
「結果はなんとなく分かってるけどさぁ! せめてちょっと悩むくらいの素振りを見せろ馬鹿野郎!」
怒鳴られた上に頭を殴られてしまった。ちょっとだけ痛かった。
まぁ、濁したり誤魔化そうとはしているけど、決して悩んでいないわけじゃない。相性は悪いわけじゃないし、僕も藤原が嫌いってわけじゃない。むしろわりと好きだ。
軽く考えるわけじゃないが、付き合ってみるのも案外悪くはないかもしれない。
「一応確認しておくけど、真剣なんだよね?」
「真剣だよ」
「それじゃあ、こっちも真剣に切り返していいってことか」
少しだけ溜息を吐いて、僕は目を細める。
友情に罅が入ってしまうかもしれないが、ある程度は仕方がない。
それも生きるってことの一つだ。
「正直言っちゃうと、藤原のことは嫌いじゃないし、むしろ結構好きだし、付き合うのも悪くはないって思うんだケド……逆に、相性が良すぎるような気がするんだよ」
「いいことじゃないか」
「いや、そうでもない。人付き合いにおいて、ある程度の相性の悪さってのは必要なんだと今は思ってる」
昔は思っていなかった。相性の良さが破綻を招くだなんて思ってもいなかった。
色々あったしそれだけが原因じゃないと思うけど、同じ失敗は繰り返したくない。
「例えばさ、僕はわりと好きな人に尽くすタイプの人間だと思う」
「ああ、それはよーく分かる。正直異常だもの」
「いやまぁ、異常か正常かはこの際置いておくけどさ、じゃあ僕と藤原が付き合うことになったとして、藤原はそれに耐えられる?」
「言われるまでもない。私がいちゃつき程度で動じるとでも? 昼間は多少面食らったが、思えば『彼氏』として考えればあの程度は普通の範疇だ。むしろ先輩の方が私の可愛らしさに理性を決壊させると断言しようではないか」
「…………ふむ」
異性と付き合ったことのある人間は言うことが違う。これが舞あたりだったら顔を真っ赤にしているし、冥あたりだったら一歩引いているところだ。
うーん……本当に面白いな、藤原は。もういっそ付き合っていいんじゃねぇかって思えてきちゃうじゃないか。おっかないなぁ。
「ん……藤原がそこまで言うんだったら、ちょっとだけ試してみようか」
「はっはっは、女性と付き合ったことのない男が、今更私のなにを試すと?」
「だいすき」
「ひぃああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」
ちょっと耳元に囁いただけなのに、藤原は飛び上がって僕から距離を取った。
闇夜でも分かるくらいに顔は真っ赤だったし、ちょっと涙ぐんでいた。
「い、いきなりなんだ!? わ、私をこの場で殺そうという算段かっ!?」
「いや、ただの不意打ちだけど……なんだ、付き合ったことあるって言っても大したことないんだな。僕と付き合うとなったらこんなもん日常茶飯事なのに」
「っ……い、いやぁ、そーゆーコトなら教えて欲しかったかな。ちょっとびっくりしちゃったじゃないか、うん。要するに高倉先輩のセクハラに耐えればいいんだろ?」
「いや、お試しみたいなもんだから藤原からなんかしてもいいけど?」
「なんかって……な、なに?」
「藤原がそれに耐えられるんだったら……僕を自由にしていいけど?」
「……い、いや。ちょっと待て先輩。それは一足飛びどころかワープしてる! そういうのはもっとこう、仲が深まってからやることだ!」
「はっはっは、これは異なことを。僕は抱きつく程度だったら普通じゃないかと思うわけだが、藤原は『自由』という言葉から、なにを想像したのかな?」
「う……うあ」
藤原は端から見てても分かるくらいに、慌てふためいていた。
自由って言葉からなにを想像したのかは藤原だけが知っているが……まぁ、恐らく僕の想像の範疇外の、とても口に出せないようなことだろう。
面白そうなので、畳み掛けてみることにした。
「それで……藤原はなにを想像したのかな? 僕にはちょっと分からないんだけど」
「ち、違うんだ先輩。私は決してそのようなことを考えたわけじゃなくて……」
「うん。それで、藤原はなにをして欲しいのかな?」
「あ……だから、その……」
顔を真っ赤にして俯く藤原は、まぁ本人が言うほどではないにしろ、かなり可愛かったことはまごうことなき事実だった。
本当に可愛いなぁ。もっといじめたい。このまま一生面白おかしくいじめてやろうかと思うくらいに、この後輩は面白い。
ただ……やっぱり相性が良すぎる。そこは本当に残念だ。
「ふっ」
「にゃあああああああああああああああああああああああああああああっ!?」
耳に息を吹き込んでやると、藤原は尻尾に火がついた動物のように、一瞬で恐慌状態に陥った後、とんでもない速度であっという間に走り去ってしまった。
逃げていく藤原の背中が見えなくなったことを確認して、僕はゆっくりと息を吐く。
それから、後ろに振り向いた。
「殺人鬼はいなかったけど……大魔王はいたって感じかな?」
「おやおや、久しぶりだっていうのに随分と失礼だね。テンちゃん」
「失礼なのはお互い様だよ。……ミナねーちゃん」
肩まで届く長い髪。黒のロングスカートに編み上げブーツ。なぜか『獄炎』と書かれた皮のジャケットを羽織っている。意地悪っぽい笑顔はいつものことで、人をいじめる時は口元がやや上の方向に傾く。人を食ったような女性。人を食ったような存在。嘘吐きの天敵にして正義の仇敵。
彼女の名前を相川美奈子という。知り合いのにーちゃんの義理の妹だ。
「アンナさんのことだから、絶対になんかやってくるとは思ったけど……まさかミナねーちゃんを雇うとは思ってなかったよ」
「雇われたのはまこちーなんだけどね。私もついでに雇ってもらったの」
「まこちーって……ああ、にーちゃんが連れ帰った鬼のねーさんか」
三週間後。にーちゃんが帰って来た時に連れていたのが鬼のお姉さん。
正直あんまり面識はないけど、相川ハーレム(泥のように甘い甘い空間。並の人間なら3秒で逃げ出す)で最も苦労している人で、最も常識人だとか。
……かわいそうに。
僕が心の底から同情していると、不意にミナねーちゃんはにやりと笑った。
「いやいや、それにしてもテンちゃんが女の子を振る場面を拝むことができるとは、長生きはするもんだねぇ。おねーさんはちょっとドキドキしちゃいましたよ?」
「別に振っちゃいないよ。……僕がこれからふられるだけのことだから」
「うわぁ、もったいなーい。私が男だったら速攻で付き合うよ? あの子ものすごく可愛いじゃん」
「………………」
「おや? もしかしてわりと真剣だった?」
「まぁ……そうだね。僕には珍しく、わりと真剣に考えた」
苦痛を堪えて、口元を緩めて、僕はゆっくりと息を吐く。
分かっているさ。分かっていて拒絶した。心が痛むのを覚悟の上で、僕は藤原を拒絶した。拒絶しなければいけないと……自分で決めたんだ。
相手のことが分かるから、拒絶しなきゃいけないと思った。
「私には分からないなぁ。あのままラブラブに突入すればいーじゃん?」
「そうもいかないよ。……多分、藤原は傾倒しちゃう子だから。甘えられる相手が見つかったらとことん甘えちゃう女の子だと思う」
それが悪いというわけじゃない。むしろいいことだと思う。
ただ……僕とそういう女の子は相性が良すぎる。相性がいいから破綻する。僕が一年前に彼女を甘やかした時と同じように、終わりは無残なものになる。
藤原にお似合いなのは、常に誰かのフォローが必要な、そういう男がいい。少し頼りないけどやるときはやる。……そういう男がちょうど良いと思う。
藤原は、空気が読めるいい子で、頭の回転がものすごく早いから、ちょっと情けないくらいの男が一番しっくり来るような気がする。
まぁ……僕の推測に過ぎないけど。
と、僕が少しだけ考え込んでいると、ミナねーちゃんはにこにこ笑いながら言った。
「難しく考えすぎじゃない? 恋愛なんてノリでいいと思うケドねぇ」
「ノリで破滅一直線じゃ意味がないんだよ。僕は誰かを好きになったらとことん甘やかしちゃう人間だからね。こればっかりは気質だからどうしようもない。……僕は好きな人に好かれたくて、嫌われたくないから甘やかすんだと思うし」
切った張ったの言った者勝ち。恋愛ってのはそんなものでいいと思う。
好き嫌いは仕方がない。僕らは人間なんだから好きになって嫌いになって、それが当然なんだと思う。
けど……好き合っている者同士が、好き合っているが故に破綻するのは、やっぱり間違っている。
「藤原のことは嫌いじゃない。むしろ好きだし付き合ってもいいかもしれないとも思う。でも、それは僕の個人的な意見であって、客観的に見た場合に明らかな破綻が待ち受けていたとしたら……やっぱり拒絶するしかないって思ったから」
「苦くて酸っぱい男の意見ですなぁ。テンちゃんもしばらく見ない間にそんな顔をするようになってしまったとは……眼帯とかも含めて、実におねーさん好みです」
ああ、背筋が寒い寒い。このねーちゃんは基本ちゃらんぽらんなくせに、どうしてこう時折猛禽類のような鋭い目つきができるんだろうか。
「きっちり考えた末での結論だったら、おねーさんは所詮他人だから特に言うコトはないけど……もしも、テンちゃんの人物評価が間違ってたらどーするの? その藤原ちゃんはテンちゃんの思っているような女の子じゃなくて、もっとしっかりした子だったら」
「逃がした魚は大きかったと思って諦めるよ。僕の見る目がなかったってことだろう」
「なるほどなるほど……相変わらずの諦め上手。そこはちょっと羨ましいかな」
猛禽類のように目を細めて、ミナねーちゃんはにっこりと笑う。
背筋が凍える。ゾクゾクと寒気が駆け上がる。
「でもね……ほんのチョッピリ、気に食わないね」
ミナねーちゃんこと相川美奈子は、苦しい恋愛を続けてきた女だ。
恋する相手は義理の兄という時点でわりと修羅の道なのに、その兄貴にはたくさんの女が言い寄ってくる始末。
壮絶な死闘の末に和解したらしいが、その経緯を僕は知りたくもない。
「特に『客観的』ってあたりが気に食わないなぁ。恋愛なんて二人の主観的なものでしかないわけだし、将来の破綻なんてどーでもいいじゃない。今が幸せなら」
「いや……さすがにそういう刹那的な考え方はちょっと」
「恋愛なんて勢いだよ。それ以上でも以下でもない。人を愛するのは難しいけど、恋をするのは極めて簡単。誰もやらないだろうけど、試しに若い年代の男女をストレスのない環境に閉じ込めてごらんよ。よほど相性が悪くなければ、恋愛は成立すると思うケド?」
ミもフタもないことをきっぱりと言い放つ。
あまりにも残酷な発想だったが、ミナねーちゃんは顔色一つ変えなかった。
顔色一つ変えずに、明快に、明朗に、妖艶に、奇矯に、口元だけで笑った。
「うん、やっぱり気に食わない。気に食わないから尋問するね」
「っ!?」
「尋問されたくなければ、逃げるといいよ。まぁ……無理だろうけど」
言いながら、ミナねーちゃんは僕に向かってダッシュをかける。
相川美奈子は大魔王だけど、その身体能力は普通の女性程度に留まる。舞や由宇理のような特殊能力もない。思い切り人をぶん殴って気絶させる程度はやれるだろうが、僕を一瞬で拘束してしまうような技能は持っていない。
それでも、僕は一寸も油断せずにミナねーちゃんを迎え撃つ。
この人は本当に、なにをしてくるのか分からない――――。
「私、実は妊娠三ヶ月目に突入」
「え?」
信じられない言葉を聞いて、僕は一瞬だけ油断した。
その一瞬が命取りだった。
「ま、嘘だケドね」
どこから取り出したのか、砂の詰まった皮袋でぶん殴られる。一発じゃなく、二発三発と頭を容赦なくぶっ叩くミナねーちゃんに、僕は成す術がなかった。
五発目で目の前に火花が散って、僕の意識は闇に消えた。
テンと藤原ちゃんが一緒に出てから十分後、私と由宇理は手を繋いで歩いていた。
本当は手を繋ぐ必要はないんだけど、私はテンや由宇理や冥ちゃんのように夜目が利く方じゃない。放浪生活をしたこともあるけれど、危険な上に街よりも食料の入手が困難と思われる、夜の山には決して近寄ろうとはしなかった。
というか……幽霊とかは別に信じてないけど、こう暗いとやっぱり怖い。さっきからアンナちゃん仕込みのどっきりびっくりギミックが発動しまくってるわけだし。
さすがに、地面から一斉に腕が生えてきた時は心臓が止まるかと思った。
そんな恐ろしい闇の中を、サクサクと由宇理は進んでいた。
「んー……やっぱり肝試しっていってもあんまり面白くはないッスねぇ。これなら枕投げでもしてた方が良かったかもしれないなぁ」
「……そ、そーね。あはは」
「舞ちん。別にテンはいないんだから、こんな所で見栄を張らなくていいんスよ?」
「なんでそこでテンの名前が出てくるのよ? いや……まぁ、普通におっかないんだけどさ。いきなり生首が振ってきたりとか。あれってアンナちゃんの仕込みよね?」
「……うん」
由宇理は目を逸らした。決して私と目を合わせようとはしなかった。
なんだか顔も真っ青だけど、私はなんか悪いことを言っただろうか?
「ま、まぁ、アンナちゃんの仕込みはどーでもいいとして! 舞ちん、最近なんか面白いことあった?」
「面白いことはないけど、不愉快なことならかなり」
「キツネに下着姿見られたこととか?」
「アンタの愚痴に付き合わされる方が、かなりしんどいんだけど。テンは……まぁ、食事とか作りに来てくれるし、昔ほど不愉快じゃないわ」
「昔って……あんまり知らないけど、キツネの屋敷があった頃?」
「そう、その頃」
元々、テンのことを利用しようと思って忍び込んだ屋敷だったけど……結局テンには全部お見通しだったり、お見通しだったくせにあえて見逃してたり。
執事長こと新木章吾さんが辞めてからは、色々ときっつい仕事を押し付けられたりしたし、あまりに辛くなった時はテンに八つ当たりしたりもした。
ホント……色々あった。テンが甘やかしたあの人のことも含めて、色々。
「ま、今じゃそう悪くない思い出かな。テンにとっては別かもしれないけど」
「そのキツネのことだけど、藤原ちゃんがこの旅行中に告白するってさ」
「………………へ?」
えっと、ちょっと待て。
今、なんか。全身が焼け爛れるだけじゃ済まない発言を聞いたような。
「いや……え? なんでキツネ? アレはないわよ。うん、あるかないかって言われたら絶対にありえないって。間違いなくないわよ。いい性格してるもん」
「いい性格してようが、性格が悪かろうが、少々つり目だろうが、絶対に悪い奴じゃないッスよ。ついでに優しいし」
「……いや、それって長所なの?」
「長所ッスよ。世の中の女性はどう見るか知らないけど」
由宇理は不意に足を止めて、苦笑しながら私に向かって言い放つ。
「少なくとも……優しさに飢えた女には、あいつはちょっと刺激が強いッスね」
うっかり惚れてしまう程度には、刺激が強い。
そう付け加えてから、由宇理はゆっくりと溜息を吐いて空を見上げた。
なんとなく、その横顔が若干切なげに見えたのは私の気のせいだろうか?
由宇理は再び溜息を吐いて、それから不意に苦笑を浮かべた。
「と、いうわけなんだけど、舞ちんはどう思うッスか?」
「どうって……テンが藤原ちゃんを選ぶんだったら、別にいいんじゃないの?」
「ちなみに、藤原ちゃんが失敗したら次はあたしだったりするんだけど」
「あ、そうなの? ……いや、ちょっと驚いたわ。あいつってもてるんだ」
「………………」
由宇理は不意に真顔になって、首を捻った。
「あのさ、舞ちん」
「ん?」
「前々から思ってたケドさ……舞ちんってもしかして、男を見る目とかさっぱり?」
「えらい失礼ね、アンタ。特に男には興味ないだけよ」
「逃げてー! みんな逃げてー! ブリザードが来ましたよー! 彼氏もいない女の余裕を見せているフリした寒い発言! 夏場で肝試しとかやってる場合じゃねぇー!!」
「どついたろか、馬鹿女!」
さっきまでの切なげな表情はどこに行った! それともあれは私が見た幻覚とか幻想とかそういう感じだったのか!? なんかさっきから霧が濃くなってるし!
「舞ちんって本当にクールビューティで腹が立つッス。まさかシスコンの上にレズなのかっ!? だとしたら、あたしはダッシュで逃げるしか他に生きる術はないッス」
「本当に殴るわよ、由宇理」
「や、まぁ男は別にいなくても生きていけるケド、キツネはちょっと欲しいッスよ?」
「……むしろ、私はキツネが要らないんだけど。というか、テンはもう冥ちゃんのものだから絶対にアンタらになびくことはないと思う」
あの男は、良い意味でも悪い意味でも一途だから問題はないだろう。
が、由宇理は頬を掻きながら、ちょっと困ったような顔をした。
「ありゃ……やっぱり言ってないか、キツネの奴。まぁ、仕方ないと言えば仕方ないッスね。どう考えても無理難題だし」
「どーゆー意味よ?」
「実は……これがなんというか、一休宗純でも匙を投げるくらいの無理難題でね。あたしもほとほと困ってるわけだ」
「いやだから、どーゆー意味よ? アンタにしちゃ歯切れが悪いわよ?」
「その辺はキツネに聞いた方がいいッスよ。あたしの立ち居地じゃ、舞ちんの味方をするわけにもいかないし、かといって藤原ちゃんに肩入れするわけにもいかない。倍率は悪くない漁夫の利を狙わせてもらうだけッスから」
「だから……どういう意味?」
「そういう意味ッスよ。分からないなら言い直すけどさ……」
由宇理は不意に鋭い目つきになって、きっぱりと断言した。
「舞が要らないなら、キツネはあたしがもらう」
本当に、きっぱりと、はっきりと、真正面から、宣戦布告した。
戦意のない私に対して、きっぱりと勝負を申し込んだ。
「舞ちんがもしも夏休み中にケリをつけられないのなら、あたしがキツネをもらう。舞ちんの妹さんもその辺は了承済みだし、あたしが望めば多分あいつは悪いようにはしないでしょ。……あたしたちは、親友だからね」
「………………」
親友だから。
仲が良いから。
恋人にステージが変わってもなにも変わらない。
トモダチでコイビトなだけ。
それだけ。
「由宇理は……テンのこと、好きなの?」
「友情って意味ではね。愛情ってのは良く分からない。好きなのか嫌いなのかなんてどーでもいいんスよ。あたしは、単純にあいつと馬鹿やってたいだけなんだから」
「でも、あいつには冥ちゃんが……」
いるはずだ。
いたと思っていた。
私の思いを見透かすように、由宇理は呆れたように笑った。
「隣にメイドがいりゃ、あたしもこんなことは言わねぇッスよ」
「……テンはふられたの?」
「キツネに聞けってさっき言ったッスよ。……言っておくケド、普段のあたしだったらなんにも言わずに掻っ攫うところッスからね。これは、あくまで友情サービス」
頭をガシガシとかきながら、由宇理は思い切り溜息を吐いた。
「舞ちんが動かないとなんにもならないんスから、ちゃっちゃと動くように。ホントはもーちょっと空気読んでくれると、キツネの様子がおかしいことに気づいたはずなんスけど、それは仕方ないッスね。あの男、隠し事とかやたら上手いし。と、いうわけで以上。警告及び出血大友情サービス終了。上首尾にコトが運んだら何か奢るように」
「………………」
私は唖然としていた。
なんとなく分かった。テンが由宇理に甘い理由。甘過ぎる理由。
テンが冥ちゃんに無理難題吹き込まれたから、夏休み明けまでにはきっちり助けてやるように。由宇理は、確かにそう言っていた。
いやいや由宇理サン……あんた、ちょっといい女すぎない?
「分かったわよ。妹の不始末は私の不始末。テンには散々迷惑かけてるし、ここらでちょっと恩を売っておくのも悪くはないわ」
「売るのは恩だけで済めばいいんスけどねェ……」
「………………」
由宇理の苦々しい表情に、私は悪い予感がした。
黒霧冥。私の妹。現在は……えっと、なんかメイドになるために修行中。
ちょくちょく連絡は来るんだけど、なにをやっているのかは未だに釈然としない。
と、私がこっそりと溜息を吐いたとほぼ同時だった。
「おや? ねぇ、舞ちん。……あのプレハブ小屋、なんか明かりついてない?」
「ん……? いや、全然見えないけどプレハブ小屋なんてあるの?」
「うん。肝試しのルートから外れた場所に、木々に隠れて目立たないようにプレハブ小屋が建ってるんだけどさ、昼間見た時は人はいなかったはずなんだけど……」
「仕込み役の人たちの休憩所かなんかじゃない? さっきだって下半身のない落ち武者がものすごい匍匐前進で追いかけてきたじゃない。金持ちに雇われるのも大変よね」
「…………うん。そうだね。大変だね」
由宇理は思い切り顔を逸らして、平坦な声で相槌を打った。
やっぱり由宇理も怖いんだろうか? 怖いならいっそ、怖いと言っちゃえば楽になれるのに。由宇理も案外意地っ張りだ。
「んー……なんか腑に落ちないッスね」
「どういうこと? ただの休憩所ならそんなに気にすることもないでしょ?」
「腑に落ちない根拠その1、キツネのくせに争った痕跡がない」
「へ?」
「腑に落ちない根拠その2、キツネのくせに拉致された形跡あり」
私は夜目が利かない。由宇理は月明かりでも多少は夜目が利く。
そう、私には見えないけど、由宇理は『男性を引きずった形跡』を視ている。
「由宇理。それってもしかして毎度のことだけど」
「そうッスね。……どうやら、また面倒なコトになりそうな感じッスよ」
由宇理と私は同時に溜息を吐いて、肝試しのルートから外れて歩き出す。
全く、お姫様じゃないんだから毎回毎回面倒をかけさせないで欲しいもんだ。
この時は……そんな呑気なコトを考えていた。
「ねぇねぇ、テンちゃんって好きな子とかいるの?」
「いるよ。わりとたくさん」
鮮やかなフライパン捌きでオムライスを作る高校三年生は、当たり前のような顔をしながら最低の返答で切り返してきた。
テンちゃんをベースキャンプに運んですぐに、私はお腹が減ったのでテンちゃんを叩き起こして夕飯を作るようにお願いした。テンちゃんは呆れたように口元を引きつらせていたけど、『あり合わせの材料でいいならね』と言いながら、自分を袋叩きにした相手に対し謝罪を要求することもなく夕飯作りに取りかかっている。
うわー。やっぱりいい男の子だなぁ、こいつ。ちゅーしたい。
「あ、あの……ミナ? 眼帯の彼は一体何者?」
私が男子高校生のエプロン姿にわくわくしていると、不意にまこちーに袖を引っ張られた。ちなみにまこちーは未だに鬼のコスプレをしたままだったりするので、不安げな表情がさらに可愛らしい。
「ああ。そーいえばまこちーは知らなかったね。あの子の名前は高倉テンコー。見ての通り一家に一台あれば便利な男の子だよ」
「勝手に伸ばさないでよ。それだとマジックが得意な人になっちまうだろうが。天下の天に円弧の弧で天弧。なんか狐と良く間違われるけど、弓に瓜で弧の字だから。父さんの提案で、普通に『狐』の字だと面白くないから、丸くなった狐と三日月のイメージからこの字にしたんだってさ」
「ほうほう、なるほど」
そりゃまた随分とロマンチストな父親さんだ。実に羨ましい。
こっちなんて、浮気しまくってあっちこっちに愛人作った末に海外に逃げて戻ってこないっていうのに。
まぁ、父親と言っても血は繋がってない。そもそも私は養子なのだ。
養子じゃなかったらもーちょっとましな人生になっていたと思うんだケド、それは言わないお約束ってやつだろう。底辺には底辺の楽しみ方ってのがあるもんだし。
たとえば、食事前のビールとかはもう至福以外のなにものでもないわけで。
「真さん、卵の具合は半熟と完熟どっちがいいですか?」
「あ……えっと、どちらでも。強いてあげれば半熟が好きかな」
「いやいや、まこちー。オムライスの卵は完熟以外は断固として認められないね。あと、オムライスの他に鳥の唐揚げとか食べたいな」
「じゃ、半熟でいいか。鳥の唐揚げは胃が重くなるから却下」
「こらこら天の字。人の意見を無視するのはよくないと思うよ?」。
「ハイハイ、分かったよ。それじゃあ、ミナねーちゃんの要望に応えてオムライスはガチガチの完熟にするし、鳥の唐揚げも作ろう。あと、僕が個人的に食べたいからヒレカツも揚げちゃおうかな。ミナねーちゃんも食べるでしょ?」
「うん、食べる食べる。いやぁ、さすがはテンちゃん。話が分かるねぇ」
「……そーやってガツガツ食うからブクブク太るんだろ。正直、さっきから見てて思ってたケド、腹回りがちょっとぽっちゃりしてない?」
「ぐはっ!?」
予想外に酷過ぎる言葉の刃が胸を穿つ。
いや……えっとね? 分かっちゃいるんだケド、普通そういうことを臆面もなく女性に向かって言える男の子って果たしてどうなんだろうか。
ドン引きした私に対し、テンちゃんは溜息混じりに言った。
「真さん。食事はこの人の自由にさせるとたんぱく質オンリーになるから、なるべく適当にサラダとか海草も混ぜてやって。なんだかんだ言いつつも『あれば食う』から」
「あの、テンちゃん。その『あれば食う』っていう表現はちょっと。……おねーさんは尊厳ある人類であって、動物じゃないからね?」
「そう主張したいんだったら、鍋振ってる人間のご機嫌取りくらいはやってみせたらいかがだろうと思うわけだけど、それはどう思いますか、ミナおねーサマ?」
「完熟にしてくれないとセクハラしちゃうぞ♪」
「塩でも舐めてればいいよ」
うおお……ものすごい切り返しだ。明らかに私を女の子として見てない。
以前はこういうことを言うと顔を真っ赤にして恥ずかしがったものだけど、数年で見違えるように性格が悪くなってしまった。おねーさんは少し寂しい。
おのれ、こうなったらなんか触れちゃいけないのかと思ってあえて触れなかった部分に思い切り踏み込んでくれよう。おねーさんを舐めるなよ、少年。
「ところで気になってたんだケド、なんでいきなり眼帯なの?」
「年上のメイドを甘やかしまくったら、なんか眼球刺されて失明した。左側はまじで見えてないから、あんまり無造作に動かないでね」
「………………」
うーわぁィ、ちょーっと困っちゃったなぁ。思った以上に重い話だった。
男の子って生き物は成長期に突入すると別人みたいになっちゃうもんだけど、これはちょっと予想外もいいところ。まさか『メイドに刺された』という、異次元の言葉が知り合いの口から出てこようとは想定の範囲外です。
えっと……こういう時って、流石に謝った方がいいんだろうか?
「ミナねーちゃん風に言えば『事実』だよ。やらかした過去は変えようがない。今回の件に関しては、変えようとも思わない」
オムライスをテーブルに載せながら、テンちゃんは苦笑した。
「全部悪かった。だから反省して同じ失敗はしない。今回の教訓はそれだけ」
それだけでいいんだと、弟みたいな男の子は語った。
自分を責めて、他人を責めて、それでも足掻けばいいじゃんと昔語った男の子は、その通りに生きて、失敗して、その失敗を教訓に足掻いていた。
テーブルに載せられたオムライスは、テンちゃんとまこちーのぶんだけ半熟だった。
私のぶんのオムライスは、ちゃんと完熟だった。
「むぅ……私のぶんだけ完熟にするくらいなら、ごねないで最初から素直に作ってくれればいいのに」
「それだけ焼くの失敗したんだよ。別にミナねーちゃんのためじゃないから」
「ほら、まこちー。よーく見ておくんだよ? これが世にも稀に見るツンデレってやつだから。色々辛いのに意地張って生きてる、わりと綺麗で愚かな男の子だよ」
「ミナはなんでそう、ちょっと困った物言いしかできないのかなぁ……」
うお、まこちーにまで呆れられてしまった。ちょっとショック。
……っと、うっかり忘れそうだった。ショックを受けている場合でもないし、和んでいる場合でもない。テンちゃんの順応性が高すぎて忘れそうになったけど、私はあくまで自分勝手にテンちゃんを連れてきただけだ。
聞きたいことを、聞かなきゃならない。
「ねぇ、テンちゃん。ちょっと相談があるんだけど、いいかな?」
「ん? なにさ、やぶから棒に」
「あの子が駄目なら、この私で手を打つってのはどうだろう?」
「ぶっ!?」
テンちゃんは思い切り吹き出した。
うん、やっぱり天の字はこうじゃなくちゃいけない。ようやく男の子らしい可愛い反応が見れて、私は満足感を覚えた。
「い、一体全体なにを言い出すんだアンタは!? やぶから棒どころか虎が飛び出してきたみたいに唐突かつワケの分からないことを言うんじゃない!」
「えー? だって、テンちゃんみたいな優良物件、放っておく手はないと思うケド」
「にーちゃんに殺されるから絶対に嫌だ」
「おにーちゃんに殺されなきゃいいの? おにーちゃんを黙らす手段なら百通りは思いつくから安心だね。同時にテンちゃんを陥落させる方法は……三通りくらいかな」
「マジ怖え! なに考えてるのか微妙に分からない所が超怖い!」
テンちゃんは本気で引いていた。微妙に失礼な反応だった。
まぁ、気持ちは分からなくもない。私だって私みたいな女が存在していたら、躊躇なくボーリング球を投げるに決まっている。
「まぁまぁ、そんなに深く考えないで。試しに一ヶ月くらい付き合ってみようよ」
「その一ヶ月で、二度と戻れない谷底まで突き落とされそうな気がする」
「あっはっは、テンちゃんは深く考えすぎだよぅ」
相変わらず鋭いなー、この子。そーゆーコトを言われると本気で落としたくなる。
おにーちゃんたちと一緒にいるのはものすごーく楽しいけど、将来性で言えば限りなくデンジャーなことこの上ない。一歩踏み間違えただけで確実な破滅が待つデスマーチを毎日繰り広げてるようなもんだし。
テンちゃんがなにに悩んでいるかは知らないけど、今現在フリーならちょいとばかり本気で奪い獲ってみるのも、悪くない。
恋愛は戦争なのだから、獲られる方が悪いのだ。
「と、いうわけでどうかな? 仮にここで断っても、惚れさせる気満々だけど」
「凄まじい自信だね……」
「ふっふっふ、昔からおにーちゃんに媚び媚びだった私は男のツボってのをそこそこ心得ているのサ。……その頃を思い出すと包丁で自分を刺したくなるケドね!」
「なんてこった。確かに、昔を思い出すと思わず衝動的に自殺したくなる気持ちはものすごく分かる! 中学校の頃の自分とかホント抹殺したい!」
「はっはっは、分かったようだねテンちゃん。相性以前の共感。このシンパシーこそが、私たちが接着してもなんら問題はないという証明なのだ!」
「……くっ、だがしかし過去の自分を抹殺したい程度は誰でもあること! そうそう簡単に僕が堕ちると思うなよ!」
「甘いねぇテンちゃん。経験不足が透けて見えるゼ! 彼氏という存在は、彼女に奉仕する代償としてある程度まで言うことを聞かせることが可能になるのだ!」
「……いや、僕は別にミナねーちゃんに聞いて欲しいこととかは別に」
「毎日和服とかでも別にいいケド。薄手の甚平で背中から抱きついたりとか。もちろん、振袖の時はそんなはしたない真似はしない。和服といえど多種多様。ケースバイケースなのは言うまでもないことだよね?」
「………………っ」
ケッケッケ、男の子め。今一瞬ものすごく悩んだな?
逆を返せば、私に対しては悩む余地があるってことだ。難攻不落の要塞といえど、穴が一つでもあれば簡単に崩せる。
さて……どうやって料理してくれようか?
「で、テン。アンタはここで一体全体なにをやってるわけ?」
背筋が寒くなるような、重い言葉が響き渡る。
一体何をやったのか、耳障りな音を立てていきなりプレハブ小屋のドアが吹き飛び、姿を現したのは凛々しい顔立ちの女の子。
外見では見るべき所は特にない。三つ編みにヘアバンド。パーカーにGパンというラフなスタイル。整えればそれなりに見栄えはするんだろうけど、ぱっと見ではその辺に必ず一人はいるだろう、ごくごく普通の女の子。
しかし……その眼差しは、とてもじゃないけど『普通』とは言い難かった。
勇者のように真っ直ぐで、英雄のように鮮やかで……だからこそ私は納得した。
彼がなんとかしたいのは、恐らくこの子だ。
高倉天弧は一途な男の子だ。好きな人ができたらその人しか見えなくなるくらいに一途で、だからこそ色々と理由をつけて女の子から逃げ回っているような男の子だ。
普通の男の子のくせに一番大切なものがなにかを知っているから、どんな時でも最速で行動する。散々悩むくせに一度決めたら真っ直ぐに突き進むような男の子だ。
恐らく、目の前にいる女の子は、そんな彼がたたらを踏むような子なんだろう。
まったく……女を見る目があるんだかないんだか。
彼女は真っ直ぐな敵意を私にぶつけてきた。
「で……貴女はどこのどちら様? 肝試しの脅かし役の人かしら?」
「最初はそのつもりだったけど、昔ちょっとお世話になった弟分がずいぶんと立派に成長してたからね、ここに引っ張り込んで雑談してたんだよ」
「へぇ。付き合うだの付き合わないだのって話が雑談ですか?」
やっぱりタイミングをうかがってたか、この子。
話の流れが悪くなってきたから、無理矢理乱入して話を濁そうってわけだ。
うんうん、悪くない。親しい人間に害が及ぶ前に、その障害ごと根こそぎにするタイプの女の子はそんなに嫌いじゃない。
味方にするのも、敵に回すのも。
「けどおあいにく様。その馬鹿は私の妹にとっくに売約済みだから、妙な真似はしないでもらえませんか?」
「……売約済み、ね」
「ええ。妹とその馬鹿は付き合ってる……とはちょっと違うかもしれませんが、とにかく一緒にいるんです。妙な横槍を入れるんだったら、容赦しませんよ」
きっぱりと言い放ちながら、彼女は私を睨みつける。
その眼光を真正面から見返しながら、私は曖昧に口元を緩めた。
「なるほど……よーく分かったよ」
「なにがですか?」
「キミ、相当に荒唐無稽な勘違いをしているっぽいね」
「……どういう意味ですか?」
そういう意味です。
ゆっくりと息を吐く。テンちゃんが攻めあぐねるのも納得というものだ。
そもそも……本当に『彼女』のような存在がいるのなら、高倉天弧という男の子は私の誘惑ごときに屈するわけがない。
一途でお堅い男の子だけど、そこがいいのだから。
(本人同士で嘘偽りなく、本音で話し合ってもらった方が早そうだね)
そう結論付けて、私は目を細める。
やれやれ……本当に昔から、手のかかる弟分だ。
私はゆっくりと溜息を吐きながら、ゆっくりと立ち上がった。
「テンちゃん」
「なに?」
「一度だけチャンスをあげる。立ち向かうつもりがあるなら、戦いなさい」
「はい」
本当に躊躇がない。昔のままに彼は一途だった。
その返答に満足する。残念なような誇らしいような曖昧な気分のまま、私は彼女と対峙する。勇者のような女の子と、真っ直ぐに向かい合う。
「ん、話は分かったよ。そういうことなら……あとは、キミと彼で話し合うといい」
「分かってもらえて良かったです。じゃ、そういうことで私たちはこれで……っ、な、なにこれっ!?」
真っ黒い手に足首を掴まれて、彼女は悲鳴を上げる。
残念だけど、虚飾だらけの場所で話し合わせるわけにはいかない。
キミも彼も嘘吐きだ。いざとなったら互いに傷つけ合わない選択を取るに決まってる。それじゃあ全然面白くない。全然さっぱりこれっぽっちも面白くない。
「適当な言葉で、曖昧に濁さずに、真正面から、傷つけ合うといい」
私は口元を緩めて、まるで魔王のように笑う。
世界から世界を引きずり出し、一時的に上書き。展開して彼女を引きずり込む。
昔取った杵柄を弟のために使う。元魔王としてそれくらいはやっておこう。
せいぜい、互いをぶつけて潰し合え。
そして……私は、『世界』に彼女を引きずり込んだ。
トゥルルルルル、トゥルルルルル、ピッ。
『私です』
『いや、冥。せめて名前くらいは名乗った方がいいと思う』
『いいではないですか。貴方は主で、私は侍従。一声で分かり合えてこその主従……になれたらいいなー、と思っているのですから』
『十分に一声で分かり合ってるような気がするケド……ま、いいか』
『実は、ちょっと訓練が厳しすぎて心が折れそうになったから電話したんですけど、舞ちゃんはどんな感じですか?』
『クラスのみんなとも仲良くなって、打ち解けてる。男子の受けはそう多くないけど、女子からはラブレターをもらうくらいに男前っぷりと発揮してるよ』
『ふっふっふ、私の思惑通りです。で、他には?』
『普通だよ』
『………………』
『あれ、冥? 急に黙ってどうしたの? なんかいきなり不機嫌になったような気がするんだケド、気のせいか?』
『いえいえ……なんていうか、やっぱり改善要求を出さないといけないのかなぁって少しだけ憂鬱になっただけのことです。大したことはありません』
『どういうこと?』
『ですから、大したことはないのです。ただ、意地っ張りが意地を張り過ぎて、前進も後退もできなくなっているだけのことですから』
『いや……よく分からないけど』
『じゃあ、はっきり言いましょう。私が欲しかったら姉さんに口説かれてください』
『………………へ?』
『だから、姉さんに口説かれてください。期間は夏休みの終わりまで。もしも口説かれることがなかったら、私は別の主を探します』
『あの……冥サン? 意味が分からないんで、せめて意図くらいは教えてくれないかなーって思うんだケド、駄目かな?』
『駄目です。意味は自分で見つけてください』
『……りょーかい。意味は分からないけど、やれるだけやってみるよ』
『おや、ご主人様にしては素直ですね。さては姉さんに惚れてますね?』
『惚れてるけど、冥みたいに相手にしてもらえないだけだよ。僕は、冥のことも舞のことも好きだから。……でも、冥には僕が必要だと思うケド、舞にとって僕は別に必要はないとも、思うから』
『……ちゃんと考えてたんですね』
『考えてるよ。冥はともかく……舞は、ちょっと危なっかしいから。僕にだけは言われたくはないだろうけど、舞の生き方は、いつか僕らの声も届かないような遠くに行っちゃうんじゃないかって思っちゃうくらいに格好いい生き方だからね』
『本当によく見てますね。ちょっとだけ妬けます』
『君が自分だけを見て欲しいって言えば、僕はそうする。正直、その方が楽だ』
『お断りです。貴方は、貴方以外の人を幸せにする義務があります。……では、期待を押し付けるようで申し訳ありませんが、少しだけ善処してください』
『そっちもね。心が折れる前に、たまには戻ってくるといい』
『はい。では……愛する我が主、お休みなさい』
『うん。愛してるぞ、我が従僕』
ピッ。
そんな会話を、夢の中で聞いた気がした。
いや……まぁなんていうか、ちょっとショックだった。
二人から見た時の私って、そんな感じなの?
「それは仕方がない。君はいつだって誰かのために生きてきたんだから」
声が聞こえた。
どこかで聞いた声。聞かなかった声。誰かに似た声。誰かの声。
やたら寝心地のいいベッドは、いつかどこかで寝転がった覚えのある感触。定期的に洗濯されているんだろうけど、染み付いたにおいは間違いなくテンのものだ。
いや……ちょっと待て。それはおかしい。
テンの部屋に遊びに行った時もあるけど、あいつの布団は今敷布団のはずだ。
慌てて体を起こす。寝惚けた頭に活を入れ、私はその光景を見た。
そこは、忌まわしくも懐かしい、一年前になくなったあいつの居場所だった。
清潔感のある広い部屋。本棚には専門誌が腐るほど。トイレやキッチン、空調なんかは当然のように完備され、この一室だけで人が楽勝で住めてしまう。
外を見ると、あの時と同じように奇妙な形にカットされた木々や、変な植えられ方をした草花が見えた。
なにもかもがあの時と……一年前と同じ。
全てが懐かしい部屋の中で、ただ一人、異質な人物が立っていた。
よく鍛えられた引き締まった肢体。傷跡の残るつり上がった右目が印象的。顔立ちは可愛い部類に入るかもしれないが、見た目がきつそうなのでかなり好みが分かれるだろう。腰まで伸ばした黒髪はポニーテールにくくっており、服装は白いTシャツとタンクトップという、ある意味健康である意味不健康。……下着くらいはつけて欲しい。
彼女はにっこりと笑いながら、私を見つめた。
「や、初めまして。ボクの名前は高倉天子。天の子供でテンコ。よろしくね」
「……は? えっと、どういうこと?」
「うーん……どういうことと言われると、ちょっと説明しづらいな」
彼女は肩をすくめながら、苦笑した。
どこかで見た笑顔だと思ったら……なんのことはない。アイツの笑顔だった。
彼女は笑いながら、私を見つめる。
「ここはね、君たちが『高倉天弧』と呼んでいる人間の世界なんだ。人一人の心象風景を形にすると、こういう空間が出来上がる。分かりやすく言えば、この屋敷が『高倉天弧』という人間そのもの。ボクはその世界の住人ってわけだ」
「………………」
信じられない。というか、信じ難い。
そんなことは普通に考えて在り得ない。
でも……この部屋は間違いなくテンのものだ。どこからどう見ても……あの屋敷にあった、テンの部屋に間違いない。
「信じられなくても信じなくてもいい。どうせ、君は招かれざる客だ。ボクの世界にはボクと数人が住んでいればいい。『個』に『他』は不要なのさ」
「数人?」
「君だって、人によって顔を使い分けるだろ? 冷たい自分。暖かい自分。無関心な自分。……それと同じ数だけ、『自分』ってものは存在するのさ」
彼女は目を細めて、溜息混じりに言い放つ。
なんだか……理由は分からないけど、苛立っているようだった。
「この世界におけるボクの役割は『仮想敵』。分かりやすく言えば『高倉天弧が考えた最強のキャラクター』ってやつだ。両目の色は黒だし、金髪碧眼でもないし、翼も生えてないし、もちろん手からビームも出ない。それでもイメージ上では『世界最強』を超えているから、スペックはどう考えても破格だ。……この男は常にそういうモノを想定して、打ち勝つための手段を模索してるんだよ」
「…………なんで」
なんでそんなことを?
敵なんかいない。どこにも敵なんかいやしない。
だって……あいつの周囲には友達と可愛い後輩と年上のお姉さんくらいしかいない。
私が悩んでいると、口元に呆れ果てたような苦笑いを浮かべながら、彼女は重ねて言い含めるように、神妙な口調で言った。
「さて、ここで問題です。『高倉天弧』ってのはどういう人間でしょうか?」
「……どうって」
なんでもかんでも自分を責める馬鹿で。自分に厳しくて、誰にだって厳しくて、でも好きな人には甘い。努力家で現実主義で成果主義で、高校生らしくはない。
最近は……少しだけ変わってきたみたいだけど。
「うん、そうだね。それで正解。自分に厳しく他人に厳しい努力家のように見せてるんだから、そう思ってもらわないと困る」
「見せてるって……どういうこと?」
「人は望んで努力はしない。怠けられるなら怠けていたいのさ」
意地悪っぽく口元を緩めて、彼女は続ける。
「でも、怠ければ怠けたぶんだけ『なにか』に届かなくなる。努力を続けていればできたことが、努力をやめることによってできなくなることを恐れている。だから頑張る。怠けたくても頑張る。……彼は、そういう強迫観念の下で生きている」
自嘲気味に笑いながら、彼女は言葉を続ける。
「小さな話をしよう。小学校の頃の話だ。愛すべき母親は数枚の万札だけを残して『ボク』を家に放置した。学校から帰っても誰もいない。帰ってくるかも分からない。それでも『ボク』は泣かずに耐えた。これはいつもの母親の気まぐれで、きっと帰ってくると思っていたから。……だから孤独が嫌いになった。寂しいのは嫌だった」
一人で生きていけるとしても、独りは寂しい。
そんな当たり前のことを彼女は語る。
「小さな話をしよう。中学校の頃の話だ。親友が転校してから、『ボク』は少しだけ荒れた。当然のことを言っているはずなのに、なぜか受け入れられることがなかったから、理由が分からずに荒れて、その時押し付けられた屋敷に傾倒するようになった。……だから家族を大切にするようになった。居場所があるのは嬉しいことだから」
今思えば、『あの人』の言うコトに従って生きていたから、清廉潔白に生きようとしていたから疎まれていたんだけどね。と、彼女は語った。
今は……ある程度、わざとやっている面もあるけどね、とも。
「高校の頃の話は、君も知っているだろうから省略するけど、少なくとも『ボク』は寂しがり屋で臆病者なだけの、努力家でもなんでもない普通の人間さ」
「だから……なんなの? そんなの、当たり前のことじゃない。別にテンだけが特別ってわけじゃない」
「ああ、そうだね。でも、君はそれを直接『ボク』の口から聞いたことがあるかい?」
そんなの、あるわけがない。
でも、それも当然のことだ。あいつはとにかく口が堅い。
「口が堅いのは『他人』に対してだけだよ」
彼女は、あっさりとそんなことを言い放った。
意地悪そうな笑顔は……いつの間にか、悪意ある笑顔に変わっていた。
「彼岸の女と書いて『彼女』と読む。言い得て妙とはまさにこのことだね。……結局のところ、『ボク』は君のことを信頼も信用もしているし、親愛も愛情も抱いているけど、黒霧舞という女の子が、まるで勇者や英雄のようにあまりにも立派に生きているもんだから、川向こうくらいには、遠くに感じているんだよ」
「私は、立派なんかじゃない。勇者でも英雄でもない。冥ちゃんのために人も殺した」
「立派だよ。立派で勇者で英雄みたいだ。冥もボクも君に助けられた。それを君が無自覚でやってしまっているから、『ボク』も気後れしているんだよ」
「………………」
自分から見える自分と、他人から見える自分は違う。
あの人がテンにとって憧れの人だったように……私は、テンにとって憧れの勇者様ってことなんだろうか?
彼女は、ちょっとだけ呆れているようだった。
「ねぇ、舞さん。君は『ボク』のことが好き?」
「……分からないわよ」
「じゃあ、それをちゃんと伝えてあげないと駄目だよ。分からないなら分からないでいいんだ。自分は勇者でも英雄でもないって、態度でも言葉でも伝えてあげないとさ」
「………………」
「ボクも、最近知ったことだけどね」
私はなにも言えなかった。
彼女は優しいんだか悪意があるんだかよく分からないけど、その『分からないなら分からないままでいい』という点は、いかにもあいつらしいとは思う。
私が……あいつに望むこと。伝えたいこと。言わなきゃいけないこと。
好きなのかどうかは分からないけど……言わなきゃいけないことが、あると思う。
「分かったのなら戻るといい。ここは全にして個の空間。他人が押し入っちゃいけない領域だ。独りよがりになりたいところを我慢して、君に分かるように噛み砕いて会話をするのも面倒だけど、『ボク』は君が大好きだからね。これでもサービスしてるんだよ?」
「ん……ありがと。それは十分に伝わってるから、安心して」
「うん。あれだけあからさまに伝えてるのに伝わらなかったらどうしようかと思って、少し不安だった」
ちょっとだけ、安心したよ。
彼女がそういった瞬間にぐにゃりと世界が歪む。
本当は、ボクは賢い生き方を知っている。
意地汚く、意地悪く、傲慢で、明け透けな人間の方が得をするんだよ。
でも、そんな人間になるのだけはお断りだ。
ボクは……君に好かれる『ボク』でいたいから、努力はやめないよ。
最後にそんな恥ずかしい言葉を聞いたような、気がした。
あの後のことは、本人たちは恐らく語ろうとはしないだろうから、部外者である私の口から語ろうと思う。
全部が終わった後、私は四個のたんこぶを作ることになった。
青あざを作ったテンちゃんが、手加減なく拳で一撃。
同じく青あざを作った舞ちゃんが、思い切り拳で一撃。
疲れ果てた由宇理ちゃんが、踵落としで一撃。
同じく疲れ果てたまこちーこと鬼末真ちゃんが、手加減の一撃。
悪いことをしたとは思っているけど、間違ったことをしたとは思っていなかったりするあたりが、私の悪い所だと思う今日この頃。
一夜明けて昼下がり。目が眩むような太陽の下で、不意にそんなことを思った。
「で……なんで私まで殴られるんですの?」
「そりゃ、雇い主だもの。やったのは私だケド、方法までは指示されなかったし」
ビーチパラソルの下で同じく四個のたんこぶを作ってむくれているアンナちゃんに向かって、私は曖昧に笑みを返しておく。
「現場の判断って、そういうものだと思うケドね。誰も彼もがスミスさんみたいに優秀でもないんだから、ちゃんと手綱は握っておかないと」
「本当に優秀じゃないんだったらいいんですけど、ミナさんの場合は明らかな確信犯じゃないですか」
「そりゃそうだよ。相川美奈子は、おにーちゃんを騙す極悪人なのだ」
はっはっは、と軽く笑いながら私は口元を緩める。
煙草も吸うしお酒も飲む。善も騙すし悪も利用する。おにーちゃんを好きになって、大嫌いになって、殺したくて殺せなくて、それでも開き直って生きている。
私は悪い人間だ。生きている価値もないと思う。
それでも……ああいうのを見ると、悪いことをするのも悪くないとは、思う。
「いや、なんかもういいよ面倒臭い。無理に口説いたりとか別にいらないし。冥も面白半分に言っただけだろうし」
「うるさい。こーなったらもう意地よ。絶対に冥ちゃんとくっつけて幸せにしてやる」
「そもそも今の状況が幸せじゃないんだけど……大体、舞になんか言われてもイマイチ嘘臭いっていうか、心がこもってないっていうか、とにかく全然嬉しくないし」
「あによ? 言葉でも態度でも伝わらなきゃどーすりゃいいのよ?」
「努力すればいいじゃん」
「どーゆー風に?」
「だから、気持ちを伝える努力をしろって言ってるんだよ」
「だから、どーゆー風にすりゃアンタに伝わるのよ!?」
「だから、それを自分で考えろって言ってるんだ! そもそも僕に聞くな! そーゆーのはエロテロリストこと友樹が一番詳しいから」
「……うるせぇ。死ね。バカップルがいちゃいちゃしやがって。死んでしまえ。面白そうなイベントに参加できなかった、俺の意思を汲み取って死ね」
「うん、その通りだ。死ねばいいよ。私なんて夜が明けるまで放置されてて危うくちょっと泣きそうになってしまったじゃないか。まぁ、実際には闇夜なんて怖くもなんともないんだが、本当にバカップルは死ねばいいと思うよ」
「……泣きそうっていうか、号泣してたッスよね。まぁ、藤原ちゃんの気持ちも分からないでもないッスよ。確かにバカップルは死ねばいいと思うッス」
「アンタらね……こっちだってやりたくてやってるわけじゃないのよ!」
「本当にね」
「アンタがさっさと口説かれればいい話でしょ!」
「いや、だってさ。なんか色々違うんだよ。ミナねーちゃんの時はかなりグラッときたんだけどさ、これが舞になると『お前は口説くって行為を根本から履き違えてる』って言いたくなるもん。……っていうかさ、『眼鏡さえあれば、相手がテンでもナチュラルに口説けると思うの!』って、力説してたケド、あれってどういうこと?」
「失われてから大切なモノに気づくことって……意外に多いと思わない? 眼帯も悪くないけど、テンには絶対に眼鏡だと思うの! スーツとかすごく似合うし!」
「……まぁ、言いたいことは分かるけど、夏休み中の完治は無理だから、口説きたいなら自力でなんとかして欲しい」
「じゃあ、一応参考までに聞いておくけど、アンタだったらどうするのよ?」
「どうにかするよ。冥が口説けって言ってれば、話はもうちょっと楽だったかな」
「どうにかじゃ分からないわよ。どうやって口説くのよ?」
「………………」
優しく強く大らかに、ぐりぐりと頭を撫でる。
それから、耳元でなにを囁かれたのか、舞ちゃんは顔を真っ赤にしていた。
全力の追いかけっこが始まって、テンちゃんは本気で逃げ、舞ちゃんは本気で追いかけて、仲間たちはげらげらと笑いながらその光景を楽しそうに見ている。
うん、実に素晴らしい青春時代。本当に羨ましい。
「混ざってきたらどうですの?」
「んー……でも、まこちーの世話をしなきゃいけないからねぇ」
私の膝を枕にして寝入っているまこちーは、昨日由宇理ちゃんと喧嘩した疲れと今日の午前中に遊びまくった疲れで、どんなに揺らしても起きようとはしない。
子供の頃のツケを払うように、誰かを好きになって、誰かと遊んでいる。
鬼末真という女の子は、今をそうやって生きている。
「貴女も似たようなものですの」
「ま、そーだね。私の青春時代はおおむね暗黒だ。取り戻せるわけはないけどね」
「取り戻せなくても、今を楽しむことはできますの。たとえば……ここで暇している金髪の美少女に、真さんの世話を任せてしまうとか」
「……獲っちゃ駄目だよ? この子は、私の家族だから」
「獲りませんよ。私には他にもたくさん欲しい物があるですの」
「なら、安心して任せようかな」
まこちーの頭をアンナちゃんの膝に移動させ、私はゆっくりと立ち上がる。
少しだけ足が痺れていたけど、まぁこれくらいなら大丈夫だろう。
さて、それじゃあ太陽光線でも浴びながら、可愛い弟分をからかってきましょうか。
私は口元を緩めて、久しぶりに思い切り走り出す。。
空は青く、海は冷たく、砂浜は熱く、ご飯は美味しく、みんなは優しい。
面白い夏は、まだまだ始まったばかりだ!
Aランクエンディング・彼編:いやいやちょっと落ち着こう。END
ちょーでらっくす・あとがき:ればたねねたばれ。に続く。
本当はBランクエンディングとか書きたかったんだけど、段々本編の方が書きたくなってきたので、それはいつかショートショートでやろうと思う。
と、いうわけで次回はデラックスあとがき。……自分が二年以上前に書いたものを今更読み直さなきゃならない地獄の作業の始まりなんだZE。
司会進行はコッコ嬢と■■■■でお送りします。
お楽しみに♪