美里エンド:貴方のいる世界
大遅筆中。数ヶ月も待たせて申し訳ありません。
ちょっと覗いたら更新してたラッキー程度の認識で読み進めてくれると嬉しいかもしれなかったり(笑)
注1:田山歴史はコメディ書きである。正確にはコメディを書けてない部分の方が圧倒的に多いわけだが、それでもコメディ書きだと主張したいところである。尊敬する作家先生は多数どころか5つほど両手が必要なのだが、コメディというかお笑いという分野ならば魔術師●ーフェンの秋田先生とさ●竜シリーズの浅井ラボ先生と戯●シリーズでお馴染みの西尾先生となっているが、これはもうストーリーの組み立てとかそれ以前に『なにこの会話超面白れぇ』という分野で尊敬している。最近で西尾維新先生の『傷物語』を読んでみたのだが、主人公の趣味が最高すぎて笑い死ぬかと思った。あのパンツ談義が読めただけで2000円近くのお金を出したことに後悔は無い。そういう意味ではアンサイクロペディア(ウィキペディアの悪意満載系。ネタとしてお読みください)とかも大好きなので、はっきり言って趣味が悪いとしかいいようがない。あと、あららぎさんのきちくっぷりはほんとうにじょうきをいつしているとおもいました。
注2:趣味が悪いのは読者にとっては心底どーでもいいことだとは思うのだが、今回のエンディング群を書くに当たって、趣味の悪さのために思わぬ障害にぶち当たることになる。その障害は自分が小説を書いてから今まで一切合財手を出そうとしなかったジャンルに関連することで、別に書く必要はなかろうと軽く見ていたところもあった。
注3:はっきりと忌憚なく、きっぱりと容赦なく現状を把握するという目的で書いてしまえば、田山歴史はベタ甘えの恋愛ものを書いたことがまるでねぇのである。
注4:冥エンドは舞の視点で描き、京子エンドは基本卑怯バトルでまとめるつもりでいたのでなんとか回避でき、恐らくその二人は人前でべったべたに甘える真似はせんだろうと思っていたのであえて描写しなかったが、今回の美里さんはちと事情が違う。さてどうしたもんかと考えて、仕方なく血を吐いてありのままを描くことにした。
注5:それじゃあ、頑張って甘い甘い物語を描いてみよう。話の都合上多少アダルトな流れになってしまうので、その辺が苦手な人はごめんなさい。意味が分からない箇所はいつか学校で習うのでそのままにしておくのが吉。どうしても知りたい場合は自己責任で検索ソフトを使用してください。
注6:あ、最終話より4年後の話になるのでよろしく。
注7:なお、Sランクエンドの方では、『彼女』が生まれるのは親子喧嘩の一年後のことになります。
注8:別の長編執筆中のため、大遅筆中。どこかに投稿できたらいいなぁとは思いつつも、さてどうしたもんかと悩む今日この頃。
テーマは『自己詐称』。
知らなければ諦められたことがある。
知ってしまったから諦められなかったことがある。
自分を騙してでも成し遂げたいことがある。
自分を裏切ってでも守りたいものがある。
それは、素直に生きることが許されなかった、一人の嘘吐きの物語。
……面白いテーマだと思うんだケド、どうかねぇ?
エンディング条件。
・本編における京子と美里の仲を取り持つこと。なお、左記の条件が満たせない場合、自動的にバッドエンドになるので注意。
・お屋敷から離れた後、京子さんと一緒のアパートに引っ越すこと。
・オーレリア救出作戦失敗及び仙道火凪戦死により、アパートが炎上。橘美里を始めとしたアパートの面々を救出し、執念のヒナギを全開フルパワーでボコボコにしようとする美里嬢を制止する。
・選択肢『この人は僕がいないと駄目だ』を選択。源さん家のシズカちゃんと同じ道を辿ってください。
・耳が痛くなるほど繰り返すケド、高校編で舞さんとの以下略。
以上を踏まえて、ご覧下さい。
Aランクエンディング・美里編:貴方のいるせかい
世界には、二種類の人間がいる。
それは朝が強い人間と、朝が弱い人間だ。
僕の恋人さんこと橘美里は、朝が弱いタイプに属する人間だった。
正確には起きようと思えば起きれるがなるべくなら一秒でも長く寝ていたいなぁと思っているような女性であり、この悪癖のために美里は娘である美咲ちゃんにそれなりの苦労を強いてきたらしい。
ちなみに、その美咲ちゃんは僕の娘というわけじゃなく、美里の前の夫との間にできた娘さんである。僕とは昔からの知り合いで、美里と恋人になった今じゃ親子というより、もう一人妹ができたような感じだ。
「やれやれというか、なんというか。毎朝面倒っちゃ面倒かもな」
キッチンでスクランブルエッグなどを焼きながら、僕は少しだけ溜息を吐く。
僕と美里と美咲ちゃんが住んでいる家は、僕の友人から召し上げた一戸建てはかなりの広さを誇り、駅から徒歩5分で到着するという考え得る限り最高の立地条件を兼ね備えた家だ。これで月々の家賃が5万円なのだから、友樹には本当に感謝してもし足りない。
今度……由宇理と一緒に酒でも奢ってやろうか。
「あれ、パパ。朝からなんでそんなに黄昏てるの? なんか辛いこともあった?」
「んー……辛いことというよりも、面倒なコトかな。楽しいから別にいいんだけど」
「あはは、パパってば相変わらずね」
「そっちもね、美咲ちゃん」
フライパンを片手に振り向くと、そこには僕の娘兼妹のような女の子が笑っていた。
橘美咲。見た目はどこからどう見ても健康的な元気美少女。部活の助っ人をこなすほどのスポーツ万能だが、その反面計算や暗記がとことん苦手という典型的な性能を有している女の子。顔はまごう事なき美少女なのだが、少しばかり趣味がアレなせいで男の子にもてるという話はあまり聞かない。
そんな彼女は食卓につくと、いただきますと手を合わせてから遠慮なくトーストの上にスクランブルエッグを乗せ、ケチャップとマヨネーズをかけてかぶりついた。
「ん〜……おいひい♪」
「美咲ちゃん、口の周りが真っ赤で行儀が悪いよ」
「分かっちゃいるけどやめられないってね。大丈夫よ、外じゃやらないしママも家にいる時は大体こんなもんだったから」
「……前に美里が住んでた家の惨状を見た時から予想はしてたけどね」
散らかり放題の家の惨状を思い出して、僕は少しだけ溜息を吐いた。
プライベートがしっかりしてると仕事がグダグダになり、仕事がしっかりしてるとプライベートがダルダルになり、両方ともしっかりしている人は大抵疎まれる。
前の職場というか、僕の家だった屋敷では美里は仕事もしっかりしていたし人望もあったので、プライベートがダルダルだった。
「ま、あんまりきつくは言わないけどその辺はちゃんと自己判断するようにね?」
「分かってますって。……っと、そろそろ時間だ」
「部活の助っ人だっけ? 休みの日なのに大変だねぇ」
「体を動かすのは嫌いじゃないから別にいいんだけどね。今日は野球部だからそんなに辛くはないし、一応練習にも少しだけ参加しておかないとまずいから」
「野球部の助っ人ねぇ。小学校の頃に友樹がよく野球部の助っ人に呼ばれて、女の子にやたらともてまくってたのが癪だったから、ホームベースを落とし穴に改造したら顧問の先生と野球部の連中にものすごい勢いで怒られたな。友樹が落とし穴に落ちた時の顔は本当に傑作だったと思うんだケド」
「パパ、それは殺されても言い訳ができないと思うの」
スポーツ少女の美咲ちゃんは、凍りつくような冷たい目で僕を見つめていた。
うんうん、蔑みの視線が心に痛い。美咲ちゃんにはこの調子で、引きこもり気味の男をガンガン嫌ってもらいたいもんだ。
「じゃ、パパ、私はそろそろ行くけど……あんまりママを甘やかさないようにね?」
「りょーかい。そっちこそ、人のいい男の子にあんまり迷惑をかけないように」
「ん、それじゃあ行ってきます」
「行ってらっしゃい」
今日も元気ハツラツに、僕らの娘はあっという間に家を飛び出して行った。
家。僕と美里と美咲ちゃんが暮らしている家。美里が友樹から笑顔で巻き上げた、それなりに暮らしやすい場所。
今は……ここが、僕の居場所だ。
「さて……と」
口元を緩めて立ち上がる。食事も済んだし、そろそろ戦いの時間だ。
夫としての勤めを果たすとしましょうか。
「……で、旦那さん。貴方は私を起こさずになにやってんですか?」
「や、ちょっと起こすには早いかなーと思って本読み出したらこんな時間に」
ちょっと不貞腐れたような顔で読書中の僕に声をかけたのは、僕の奥さんこと橘美里。ちなみに夫婦別姓なのは籍を入れていないせいだ。
年齢は32歳で、それを指摘すると本気で怒る。そのくせ若々しく見えるのは普段の努力かあるいはなにか魔術的なものでも使用しているのか、僕には判別できない。見た目はとても美人で穏やかで貞淑で、いかにも『母性を持った理想の女性』のように見えるのだが、それはあくまで見た目だけのことで、実際はそんなでもない。
むしろ『大人の女性の皮を被った子供』と言い換えてもいいかもしれない。
「旦那さん。……なんだか、とても失礼なことを考えていませんか?」
「気のせいでしょ。ま、それはともかくおはよう美里。今日はいい天気だよ」
「おはようございます、天弧さん。……それはともかく、なんで起こしてくれなかったんですか?」
「よく寝てたから起こすのも悪いかなと思ったんだけど、悪かったかな?」
「……悪くはないんですけど、貴方に頼りっぱなしなのは、彼女としてはちょっと良くない気がします」
少しばかり拗ねたような顔で僕を見つめる美里。
ええ、その顔がものすごく可愛いから進んで家事をやっているわけだけど、それをおくびにも出さずに僕は口元を緩める。
「んー……まぁ、それはそれとして朝食はなにを食べますか? 僕らはパンで済ませちゃったんですけど、昨日の残りのご飯とありますから雑炊や和食も可です」
「うーん、そうですねぇ。『はい、あーん☆』ってしやすそうなのは卵雑炊ですかね」
「……朝からそれをやれってのは拷問に近いんですが」
「じゃ、おはようのちゅーとかでも」
「はい」
……5分30秒ほどお待ちください。
再起動。
「じゃ、卵雑炊でも作るから、少し待っててね」
「旦那さん、さらっと流そうとしてますけど、朝からいきなりなんつーことするんですか……」
はっはっは、そんなこと言われても可愛かったんだから仕方ない。
もっとも、それを言ってしまうと下手をすると殺される可能性があるので、あえて黙っておく。ウチの奥方は褒めまくると照れ隠しに人を殴る癖があるので要注意なのだ。
と、そんなことを考えているうちにさくっと卵雑炊が完成。食卓に持っていくと、美里さんはなんだか腑に落ちないような表情を浮かべていた。
「なんていうか……毎度思うんですけど、天弧さんって本当にマメですよねぇ」
「師匠や母さんにしこたま鍛えられたし、屋敷にいた頃にも色々あったしね」
屋敷。僕の昔の家。自分とみんなで作って、最後には僕が壊した家。
寄りかかってもたれかかって……甘えの末に壊れた家。
まぁ……今更だけど、思うことがないこともない。
「天弧さん。また気分が暗くなるようなこと考えてますね?」
「人は過去を振り返り、己のやったコトを回想するもんさ。いつも通りと言えば、いつも通りだよ」
お茶を煎れながら、僕は口元を緩める。
昔に思うことがないでもないけど、それはもう終わったこと。
終わったことに思いを馳せて、今を見失うのは本末転倒ってもんだ。
「それにね、僕は美里の顔を見れば嫌なコトは大抵忘れられるから」
「……それ、20年後にも同じことが言えますか?」
「うん」
なんの迷いもなく、僕はきっぱりと即答する。
32歳だろうが52歳だろうが、年齢なんて関係ない。僕は美里が美里だったから惚れたのであって、それ以上でも以下でもない。
しわくちゃのお婆ちゃんになろうとも、美里はきっと変わらない。
そう……絶対に、僕の大好きな奥さんのままだろう。
僕がお茶を差し出すと、美里は顔を真っ赤に染めて拗ねたように言った。
「貴方はずるい人です」
「ずるをした覚えはないけどね……ま、美里が言うならそうなんだろう」
「私は……20年後も貴方を愛していられる自信がありません」
「ん、そういうことなら愛してもらえるように、努力は怠らないようにしよう」
僕はいつものように頬を緩めて、当たり前のように言った。
「僕は美里のことが好きだ。愛してる」
昔は言えなかった言葉。今も少しばかり恥ずかしい。
恥ずかしいけど、自分の想いを伝えるにはこれが一番手っ取り早い。
手っ取り早いぶん面倒で、いちいち相手のことを気にかけなきゃいけない。
面倒で、楽じゃないけど、僕はきっとそれを楽しんでいる。
自分のことを一番に考えられない僕だけど、美里の笑顔を見るのはとても楽しい。
その笑顔のために生きていたいと思える程度には……僕は、美里のことが大好きなのだった。
と、まぁ最近の僕の生活はそんな感じで、こんなに幸せでいいんだろうかって感じなのだが、それは家庭内だけで実際のところは腐れ職場にいるせいで毎日が激務っていうかぶっちゃけそろそろやめたい。
アンナさんに紹介してもらった職場は高等学校で、僕はなぜか年齢を誤魔化して新任の教師として働く羽目になっている。
なぜ教師なのかとアンナさんに聞いてみたこともあったけど、アンナさんは「うーん……キツネさんには普通のスーツ以外ではテールスーツかメイド服しか有り得ないので、私の専属付き人でいかがでしょう?」と言われたので丁重にお断りしておいた。
……まぁ、そんなわけで僕は今教師なんかをやっている。
「眼帯教師。この漢字ってなんて読むの?」
ボサボサの髪をショートカットに切りそろえた彼女(現在補習中)は、男子の間では『狂犬』で通っている女の子。背は167センチ。女子ではかなり高い部類に入り、運動能力もそれに応じてかなり高いのだが、可愛さを姉と比較すると月とマリアナ海峡の最深部くらいの差がある。
彼女の名前は竜胆心得。僕が副担任をやっているクラスの、お馬鹿さん筆頭である。
僕はにっこりと笑いながら、いつも通りに答えた。
「ああ、それはベディアスマリウスって読むんだ」
「キツネ先生。いくら私が知識の足りない女の子でも、そんなアグレッシブな読み方をする漢字が存在しないことだけは知ってるよ?」
「漢和辞書を引くといいと思うよ」
「……漢和辞書ってどうやって使うのか分からないんだけど」
「………………」
まぁ、気持ちはなんとなく分からないでもない。
画数や部首が分かるんだったら、その漢字を読むことくらいはできそうな気がする。
でもなぁ……高校生にもなって漢和辞典の使い方が分からないってのは致命的だ。
それでも飲み込みは悪くないので、教えやすいといえばそうなんだけど……問題児がもう一人いるのが問題か。
「高倉。オッサンはもう疲れた。帰ってビール飲みたい」
補習の担当教員のくせに机に突っ伏してだれまくっているのは、草薙神威という名前負けしまくっている不良教師。死んだ魚のような目と不精髭。着崩したよれよれのYシャツに咥え煙草(時折棒状のお菓子)という教師失格な男だ。
僕はゆっくりと溜息を吐いて、不良教師を睨みつける。
「草薙先生。テメェがテスト問題作るの遅れまくったせいで、僕の仕事にまで影響してるんだろーが。いいからさっさと作ってくれやがりなさい」
「はっはっは、どーしてもティガレックスが狩れなくてなぁ」
「………………」
僕が軽蔑の眼差しを向けると、草薙先生は思い切り目を逸らした。
「い、いやだってなぁ。ゲームだろうがなんだろうが、難しい障害を越えてみたくなるのは男の性ってもんだ。つまり、なかなか狩らせてくれないティガレックスが悪い」
「いい歳こいてゲームばっかりやってんじゃねーよオッサン。四の五の言わんとさっさとテスト問題作らねぇと本気でしばくぞ」
僕がドスの効いた声で脅しつけても、草薙先生はケラケラと笑うだけだった。
「はっはっは、いかんぞ青年。人生はもっと大らかに楽しまんとな。この仕事が終わったら、綺麗なお姉さんたちとおしゃべりできる空間に連れて行ってやろう」
「必要ないです」
「必要ないとは大きく出たな、おい。まさかとは思うが……お前のよーな眼帯男を好いてくれる変人女がどこかにいるとでも?」
「どこかにいるっつーか……一緒に住んでますし」
草薙先生の頬が、思い切り引きつった。
ついでに、頭を抱えていた心得ちゃんは不意に無表情になった。
あれ……なんか、二人の僕を見る目が『人間→理解できないモノ』になったような気がするんだけど、気のせいだろうか?
「ハッハッハ、キツネくん。それはない。それはないよ。どーせアレだろ、モニターの向こうにいる美少女だろ? 髪の色は赤とか緑なんだろ?」
「ぶち殺しますよ、オッサン。ちゃんと実在する女性ですよ」
「いかんぞ、青年。嘘吐きは俺に殺されるんだから」
「いや、嘘じゃないですって。ほら、これ写真です」
僕が普段から持ち歩いている宝物(着物姿の美里さんの写真)を見せると、草薙先生は目を見開いて写真を見つめ、それから神妙な顔つきになった。
「なぁ、キツネ。弱みを握ったりとかそういうのはよくないと思うぞ?」
「どっちかっつーと弱みを握られてるのは僕のほうなんですけど……疑うにしても、もうちょっと品性のある発言をしましょうよ」
「いや、だってこれはないだろ。オメーみたいな変人に、こんな綺麗な彼女がいるわけねーもん。現実世界舐めんなよ、小僧」
「………………」
なんかもう色々と面倒になったので、僕は草薙先生の頭を机に叩きつけた。
「そっちこそ現実舐めんなよ、オッサン。俺は定時に家に帰るためなら拷問すら辞さない男だってことをそろそろ理解してもらえませんかね?」
「キツネ、目が怖いから勘弁してくれ。いや、まぁ実はテスト問題作成なぞ一時間前には終わってるんだが、お前が『彼女います』とかふざけたこと言うから」
「草薙先生?」
「いだだだだだだだ!」
指の関節を逆方向に曲げようとすると、流石に不良教師も悲鳴を上げた。
いっそこのままへし折ってやろうかとも思ったが、いくらなんでもそれをやってしまうと仕事をクビになってしまうので、仕方なく僕は手を離す。
「……まぁ、僕に彼女がいるってのもかなり信じ難い話なのも分かりますけど、本当に色々あったんですよ。その色々ってのを説明する気にはなれませんが」
「はーい、キツネ先生! 馴れ初めとか聞いてもいい?」
元気良く手を上げたのは補習の状態が芳しくない心得ちゃんだった。目がやたら輝いているのは……まぁ、女の子だから仕方ないか。
とはいえ、馴れ初めと言ってもどこから説明していいのかちょっと分からない。僕は少しだけ悩んで、屋敷のことは伏せながら思いついたエピソードを口にした。
「出会いは中学生の頃で、母さんの知り合いってことで僕とも顔見知りになった感じかな。当時は僕も中学生だったせいか凶悪な馬鹿だったし、彼女の方も子供育てるのに手一杯で……当時は、あんまり好かれてはなかったかもしれないな」
「子供って……先生の彼女さんって、もしかしてバツイチ?」
「バツイチではなく未亡人が正解だね。前のご主人は病気で亡くなったらしいから」
「ふむふむ、先生もなかなかにマニアックだねぇ」
「それは否定しない。……ところで、心得ちゃん。そろそろ半袖の季節だね?」
「……な、なにが言いたいのかな? 先生」
「いやぁ……別に」
男が女子の半袖に多少以上の興味があるように、女の子なら男子の半袖にはそこそこ興味があるだろうと踏んでかまをかけてみたのだが、予想以上の反応でちょっとびっくりだった。
心得ちゃんの趣味はともかく、僕は少しばかり遠くを見ながら話を続ける。
「まぁ……頑張り屋さんな人でね。端で見てても頑張りが行き過ぎて明らかにオーバーワーク気味で、このままじゃ間違いなく倒れるんじゃねーかって常々思ってた」
「そこで先生が格好良く手助けしたってわけ?」
「いや、プライドの高い人だったからね。手助けなんて絶対に歓迎されないと思ったから色々と仕事に難癖つけたり、機会を見ては休むように誘導したくらいかな」
「先生、それって明らかに邪魔してたんじゃない?」
「うん、邪魔してた。それがばれた時はさすがに鼻っ柱をへし折られたけどね」
「……あの、先生。その鼻っ柱をへし折られるというのは、天狗になってる若者が挫折を味わうことでしょーか? それとも……」
「普通にぐーでぶん殴られたけど?」
「………………」
心得ちゃんはもうなにも言わなかった。ただ悲しそうに苦笑いするだけだった。
「キツネ先生、なんでそんな人と付き合ってるの?」
「女の人は強く可愛ければなにをやっても許されるんだよ。逆に、強くもなく可愛くもない女の子に容赦する必要は何一つないってことだね」
「……キツネ先生って思った以上に容赦ないよね」
「僕は、どんなことであろうとも努力できる人間こそが好きなんでね。テキトーに理由つけてサボったり、テキトーに生きるのは個人の自由だけど、それなら僕個人の好みで差別したり区別したりしても別に構わないのさ」
「む……それじゃあ、私のことはかなり嫌ってるってコト?」
「成績の方は自業自得だとはいえ、補習に積極的に参加してるだけでも立派なもんだと思うよ。ね、草薙先生?」
「……んー、まァな」
草薙先生は気のなさそうな返事を返したが頬が少し赤いので単なる照れ隠しだろう。
ま、自宅ほどではないとはいえ、いい加減にやめたくなっているとはいえ、この職場もそこそこ平和だ。以前のように生傷が絶えないってわけでもないし、急に殴りかかってくる人もいない。いる方がおかしいのかもしれないが、とにかくいない。
学期末には一年があと一ヶ月あればいいのにと思わなくもないけど……それを除けば休日もしっかりしてるし、給金だって悪くない。
今日だってそう思っていた。
ドゴン!!
いつかどこかで、そんな音を聞いた気がする。
当たり前のことだが、バズーカを至近距離で打たれたような衝撃に耐え得るような作りをしているわけもなく、教室の扉がまるで紙のように粉砕する。
それと同時に激烈な殺意が解放。僕らは蛇に睨まれた蛙のごとく、その場で身動きが取れなくなった。
「タチバナ流戦技、塵雷砲・戒専」
聞き覚えのある声が耳に届く。それは愛しい人の声。
多分、世界で唯一僕を殺す権利のある人の声。
彼女はゆとりのあるカーディガンにロングスカートという私服姿の彼女は、ゆっくりとした足取りで教室に踏み込んでくると、にっこりと笑った。
「こんにちは、あなた。殺しに来ました♪」
美里はまるで笑えない言葉で、そんなことを宣言した。
理由を問いただそうとして、僕はそこで気づいてしまった。
美里の背中に、見慣れない、赤ん坊が。
僕は少しだけ考えて、絶対に説得できないだろうことを覚悟した。
「……あのさ、美里」
「なんでしょう?」
「とりあえず、ドアを吹き飛ばすってのはわりとやりすぎじゃ」
「死になさい」
美里はにっこりと笑いながら死刑宣告をし、拳を握り締めて真っ直ぐに突き進む。
やれやれ……本当に、災難ってのはいつやってくるのか分からない。
ここに京子や冥がいれば力づくで止めてくれただろうし、舞がいれば穏便に済んだ。あの人がいれば真っ先に暴走して、美里はその歯止め役。
僕はいつも被害者だけど、自業自得で丁度いい。
……ま、これも自業自得か。
と、僕が覚悟を決めた瞬間、僕の目の前に誰かが立った。
「んー……なんつーか、な」
欠伸混じりに頭をかきながら、草薙神威はポツリと呟く。
「羨ましい話だ、本当に」
怒りに燃えた美里の拳が繰り出される。頭に受ければ即死。腕や足に直撃すれば確実に骨が折れ、肉が裂ける。腹に受けようものなら内臓破裂は間違いない。
草薙神威は半身に構えて、目を細めた。
「ひゃんっ!?」
それは、ただの一撃だった。
カウンターでおでこを手の平で押すという、ただそれだけの一撃。
それだけで美里はあっさりと倒れた。傷一つ与えることなく、最短にして最速にして最良の方法で、彼は美里を無力化した。
草薙神威は欠伸をしながら、シニカルに笑って言った。
「じゃ、とりあえずなにがあったか話してもらおーか?」
その目は、『退屈な休日が楽しくなってきやがった』と物語っていた。
高倉天弧。新任教師のくせに、いきなり副担任を任されるよく分からない男。
ヤクザと見まごうばかりの鋭い目つきに、なにもかもを嘲笑うようなふてぶてしい態度。特徴的なのが髑髏やら猫の肉球がプリントされた眼帯で、理由を聞いてみたこともあるが『昔やんちゃしすぎて失明しちゃったんですよ』と軽く語っていた。
口癖は『嫌ならやめればいいんだよ』という最悪この上ないもので、大声のおしゃべり等、授業の邪魔をする生徒は容赦なく後ろ頭を引っ叩く。そのくせ携帯電話をいじったり、漫画を読んだり、早弁をしたり等授業の邪魔にならない程度の行為はあっさりと見逃したりしているためか、教師からの評判はあまり良くない。
ただ……遠慮しなくていいためか、生徒からの評判はそこそこだったりするあたり大人と子供の温度差を感じずにはいられない今日この頃。
「はっはっは、竜胆。そんな世の中舐めてるとしか思えないような男が、ものすごい勢いで修羅場に巻き込まれつつあるぞ。超楽しい♪」
「ものの見事な修羅場っすね先生。私こういうのドラマ以外で初めて見るよ」
「黙りなさい、不良教師&スットコ生徒」
そのキツネ男の彼女だかなんだかよく分からない修羅に睨まれて、俺たちは一瞬で口を閉ざした。
高倉天弧の彼女、橘美里。
写真で見た時は物静かな美女にしか見えなかったが、今ここでこうして立っているその女を見ていても、付き合いたいとは思えない。むしろ初対面の人間を不良教師&スットコ生徒と平気な顔で呼べるような女とはお近づきになりたくもない。
彼女と書いて『飼い主』と読むような関係性なのかもしれない。
が、楽しんでいる俺たちとは裏腹に、高倉はなにやら難しい表情を浮かべていた。
「うーん……『貴方の子供です。育てるのに疲れました、後はお願いします』って置手紙があったって言われてもねェ。本当に身に覚えがないんだけどなぁ」
「じゃー誰の子供なんですか? このふてぶてしい顔立ち、ヤクザみたいに尖った目、どー考えても貴方の血筋でしょうが」
「いや、絶対に違うから。少なくとも僕じゃないことは間違いない」
「どうして断言できるんですか?」
「……それは、えっと、まぁ心当たりがないというか」
「本当にないんですか?」
「あー……いや、うん。ないと思う。多分ないと思ったり思わなかったり」
「じゃああるんですね?」
「あ、あるようなないような……ないようなあるような?」
「どっちなんですか?」
「………………えっと」
ものすごく気まずい表情で顔を逸らす高倉。橘美里とは決して目は合わせようとはしないあたり、なにやら深い事情を感じずにはいられない。
まァ、男と女には色々ある。ここは俺が口を挟むべきところだろう。
「まぁまぁ、そんな攻撃的な口調で問い詰めても言いにくいこともあるでしょう。ここは穏便に、男同士腹を割って話を」
「黙りなさい、不良教師。脳髄ブチ撒けますよ?」
「………………」
この人超おっかねーんだけど。ヤクザの100倍こえーんだけど!
いや……ない。本当にない。なんで高倉がこの女と結婚しようと思ったのか一寸も分からない。この男実はとんでもないマゾなのか。そうでなきゃ理由がつかない。
とりあえず、ゆっくりと深呼吸し俺は頭をフル回転させる。
「まぁ……教師として言わせてもらえるなら、とりあえずその子の出自を確かめるのが先でしょう。そのためには拳DEゴンよりも対話が必要かと思ったり思わなかったり」
「銃器DEパンという手もありますが?」
「そこには殺意しかないだろ、どう考えても!」
おっかねーよ、橘美里って阿修羅本当におっかねーよ。
どんな人生歩んできたらこんな修羅鬼神と付き合おうと思えるようになっちゃうんだろうかと少しだけ気になったが、触らぬ神に祟りなしなので聞くのはやめにした。
「と、とにかく! まずは……高倉、ちょっと来い」
「え……あ、はい」
修羅鬼神様はものすごい目つきで俺のことを睨んだが、幸いなコトに生徒がいる前でいきなり殴りかかってきたりはしなかった。
高倉を連れて教室を出て、真っ直ぐに教室の近くにある教務員室へ。
今日は休日なので誰もいないことは確認済みだ。
ゆっくりと溜息を吐いてから、俺は自分の席に腰掛けて煙草に火を点ける。
高倉も席に着いてから、ゆっくりと溜息を吐いた。
「えっと……草薙先生。本当に色々すみません。ああなっちゃうと美里の奴、怒る一方で手がつけられなくなっちゃって」
「だろうな」
男は理性の生き物。女は感情の生き物。どこの誰が言ったか知らないが、種族的に生き物ってのは大体そういう構造になっている。下品な表現をすれば、男は下半身が感情の生き物で女は上半身が感情の生き物なのだ。
種族的にヘタレている男は本能に頼らないと愛を語れず、
種族的に攻撃的かつ情が厚い女には時として正論と理屈が通じない。
どちらが悪いわけじゃない。ただ、生きてきた結果そうなっただけのことだ。
大抵の場合……それは、どうしようもないことだったりするが。
「で……核心なんだが、本当に心当たりはないのか? 男ってのは悲しい生き物だからな、仮に一夜の過ちだとかだったらフォローできん」
「まぁ、十中八九在り得ないと思います」
「確証は?」
「……言わなきゃ駄目ですか?」
「駄目だ。人生ってのはそう軽いもんじゃない。どんな恥だろうが、ここはきっちり晒して無罪であることを証明しておかないと、今後一生後悔するぞ」
「………………」
高倉は深々と溜息を吐く。それから、口元を引きつらせて血を吐くように言った。
「人生のどこをどう振り返っても、心当たりと言えば美里以外にはないんですよ」
沈黙が落ちる。
それは、深くて重くてどこまでもどこまでも静かな沈黙だった。
「……えっと、つまりそういう解釈でいいのか?」
「はい。恐らくは想像通りの解釈で間違いないかと」
「酒の勢いとかはなかったのか?」
「ないです。自分で言うのもなんですけど、滅茶苦茶酒癖悪いらしいんで、酒は一口しか飲まないようにしてるんですよ。少なくともそういうことはないです」
「が、学生時代とかは?」
「高校の頃は親友三人で馬鹿やってましたし、大学に入ってもなんかこう……好みの女性がいなかったというか、途中から美里一択になったというか、人生ってこういうもんなんだなぁとしみじみ実感しつつもそれなりに幸せだから、まーいいやと」
やべぇ、こいつ馬鹿だ。
単純一途どころの話じゃねえ。ゲームの主人公じゃねーんだから、もう少しなんかこう男女の付き合いという名の人生経験とか積んでてもおかしくないはずなのに、そのあたりのプロセスを完全にすっ飛ばしてやがる。
付き合った女の数、一人。
……確かに、ある意味では恥ずかしくて言いにくいが疑う余地もない。
「しかし……そうだとすると、あの赤子はどこのどちら様だ? 顔立ちが高倉にわりと似てるのは否定できない事実だと思うんだが」
「それがネックですよねェ。似てなきゃなんとでも言い訳できたはずなんだけど……ああ、いっそDNA鑑定でもすればいいのかな」
「一応言っておくが……確証があろうがなかろうがあんまり意味ないぞ。女ってのは一回疑いを持つと誤解だって分かった後も執念深いから。男もそういうところあるけど」
「その辺は美里と付き合うって決めた時に覚悟したんで大丈夫です」
付き合った女が一人のくせに、どれだけの修羅場をくぐってきたのか、高倉はまるで当たり前のように言い放つ。
なんつーか……ホント、どんな環境で育ったらこんな男が育成できるんだろうか?
世界ってのは広いなぁ。本当に。
などと俺が少しばかり生きていく不思議と死んでいく不思議と世界の謎などをぼんやりと考えていると、不意に高倉は見たこともないような真顔になった。
「……いや、ないな。それはない。いくらなんでもない。ありえない」
「どーした、高倉。なんか、世界の終わりみたいな顔してるけど、やっぱり心当たりでもあったのか?」
「ああ……えっと、僕には心当たりはないんですけど、ちょっと確認したいことが」
「そういうことなら確認して来い。万が一だろうが億が一だろうが、可能性を潰しておくに越したことはない」
「はい。……すみません、今度肉でも奢ります」
「気にすんな。後輩のフォローをするのは先輩の仕事だからな」
「ありがとうございます」
高倉は素直に頭を下げると、真っ青になりながら教務員室の奥にある給湯室に引っ込んでいった。
あの顔は心当たりを思い出したか、それともさらに重ねて最悪の可能性を思い出したか。どちらにしろロクなことにはならなそうだ。
と、そこで不意にこちらを見つめる視線に気づいた。
溜息を吐いてゆっくりと立ち上がる。視線の主はあの修羅鬼神ではないようだが、ここでの会話を断片的に報告されると、後で俺が殺されたりするかもしれないので、念のために釘を刺しておく必要があるだろう。
足音を殺して、俺は教務員室のドアに近づき、一気に開いた。
「ごぺっ!?」
全体重をドアに預けていたせいか、竜胆心得は蛙の潰れたような声を上げて地面とキスする羽目になった。
言い訳無用の説明不要。間違いなく俺たちの会話を盗み聞きしていたのだろう。
「なにやってんだ? 竜胆」
「えっと……あのおねーさんが『善意で男連中を見張ってくれる可愛い女の子はいないのかしら?』って、笑いながら拳向けてくるから仕方なく」
「初対面なのにやりたい放題だな。高倉の彼女って本当に人間か?」
「赤ちゃんのあやし方はわりと慣れてるみたいだったよ」
「……ますます怪しいな。実は、育児機能付きの殺人マシーンとかじゃねぇの?」
「そうかもしれません。ウチの甥っ子は超弩級のマゾヒストですから」
鈴の音のように、穏やかで涼やかな声が聞こえた。
それは、紛れもなく聞いてはいけない声だった。
突っ込んではいけない。
突っ込んではいけない!
突っ込んだら負けであることを、今一番俺がよく知っている……!
俺と竜胆に察知されることなく、当たり前のように俺の隣に立っている女は、結い上げた髪に紺色の着物という、今の季節には少しばかり似合わない格好をしていた。特徴的なつり目に薄い唇と細い顔立ちも含め、総合的に見れば間違いなく美女のそれなのだが、まず間違いなく、『化け物』に属する人間だ。
その化け物に臆することなく、竜胆は怪訝な顔をしながらも話しかけた。
「……っていうか、おねーさん誰?」
「高倉未織と申します。みおりんとお呼びください」
「………………」
そこで助けを求めるような目で俺を見るな、竜胆。
くそったれ、誰だ『退屈な休日が楽しくなってきやがった』とかフラチなことを考えていた馬鹿な野郎は……って、俺か。馬鹿だ俺は。
俺がこの場からどうやって逃げ出そうか考えていると、未織と名乗った彼女は無表情のまま、ゆっくりと口を開いた。
「実は……少しばかり困っているのです」
「オイオイ、こっちの展開も無視していきなり話を進めようとしてるぞ、この人」
「実は、姉さんが年甲斐もなく産んだ赤ん坊の子守が面倒になって甥っ子に押し付けようとしたら、とんでもない大騒ぎになってしまったのです」
……今、俺は。
なにかとんでもないことを、聞いたような。
「……つまり、アレか。今回のコトは全部アンタのせいだと?」
「はい。不可抗力ですがその通りかと」
「……置き手紙とやらは?」
「甥の女性関係が円満すぎてむかつくので、ちょっとした悪ふざけを」
「アンタの目にはあれが円満に見えるのかっ!?」
「色恋沙汰には一切縁がなく28年生きてきた女にとっては、あの程度はじゃれ合いの範囲だと思いますがいかがでしょうか?」
いや、絶対に違う。じゃれ合いだとしてもライオンにじゃれつかれたら死ぬだろ。
俺と竜胆は恐らく同じことを思っていただろうが、飛び火が怖いので黙っていた。
必要のないことは口には出さない。社会を生きていく上での知恵の一つだ。
「まぁ……まぁ、とにかく。アンタがちゃんと事情を話せば解決ってことだよな?」
「お断りです」
「断るなよ! 元々アンタが頼まれたことじゃねーか! なんかもー修羅場とかそういうのはいいから、人としての責任を果たせ!」
「というか、今追われているので赤ん坊の世話などとてもとても」
「……追われてるって」
と、俺が口を開きかけたその時。体は反射的に動いていた。
覚悟を決める間もなく、体は戦闘体勢へ移行。窓ガラスを叩き割って突入してきた黒い『なにか』に向かって、俺は躊躇なく半身に構えていた。
視界に入ったのは、年端もいかぬだろう童顔の少年。髪は金色、瞳は藍、服装はなぜか小学校低学年の子が着用するような上着と半ズボンといういでたち。物腰から察するに格闘術の類を習得している。
ただ……その目は死んでいる。
どこか遠くを見ている目。昔の俺とほぼ同じ、黒い絶望を見た瞳。
少年はにこりともせずに無表情のまま、俺の隣にいる女を見つめていた。
「高倉未織さんは貴方で間違いないですね?」
「いいえ、私の名前は高倉織。職業は漫画家。旦那は浮気上手でしょっちゅう家を留守にします。息子が一人と娘が二人。赤ん坊を除いて大体性格は破綻してます」
「……嘘が超下手ですね、貴方」
嘘をあっさり看破した少年は気だるそうに溜息を吐いて、俺たちを見つめる。
「まぁ、それはどうでもいいです。こちらとしては、出すもの出してくれればそれで万事円満解決ですからね」
「そのために赤ん坊を攫って人質にしようなんて……外道ね、貴方」
「なんとでも言ってください。こっちはこれが仕事なんで」
そう言って、少年は悪意たっぷりに笑う。
確かに分かりやすい。
欲しいから、力づくで、奪い取る。
分かりやすいのはいいことだ。勉強を教えるのも分かりやすい方がいいし、仕事を覚えるのだって分かりやすい方がいい。シンプルイズベスト。実に素晴らしい言葉だ。
悪党だって分かりやすいほうがいいだろう。
俺は口元を緩めたまま、前に出る。
「竜胆。その訳の分からないおねーさんを連れて教室に戻れ」
「先生?」
「そう、俺ァ先生だからよ。学校で狼藉を働く悪党をぶん殴らなきゃならんのだ」
腕まくりをしながら、半身に構える。いつでも拳打を打てる構え。
まったくもって柄じゃない。俺ァもう28歳で、高校生のクソガキにとっちゃとっくのとうにオッサンで、それでも社会的にはヒヨコもいい所で、今日だってビール飲んで肉でも食いながらテレビ見て爆笑して、風呂入っていい気分で寝ようと思ってたのに。
騎士の真似事なんざ……たくさんだと思ってたのに。
「んじゃ、テキトーに本気で行くぞ、クソガキ。鼻の頭をコキャッとやられるくらいは覚悟しとけー」
「は? いきなり出てきてなに言って」
ゴギャッ!
容赦なしに顔に叩き込んだ一撃で、少年は割れた窓から外へ投げ出された。
ちなみに、ここは3階なので放り出されればそのまま地面に真っ逆さまなのだが、ああいう手合いが自由落下ごときで死ぬわけはないので、俺は追撃をかけることにした。
窓枠に手をかけそのまま窓の外に跳躍。最後に見たのは竜胆の唖然とした顔だったが、まぁそれはある意味では珍しい表情だった。
重力に従って俺の体は地面へと落下する。もちろんこのまま落ちれば下手をすれば即死だが、その辺は知恵と勇気でなんとかなる世界だ。
たとえば……クッションの上に着地すれば、かなり無事で済むのではないだろうか。
「うわああああああああああああああああああああっ!?」
知恵と勇気がたっぷり詰まった自由落下ドロップキックを、少年はなんとかぎりぎり……本当にぎりぎり避けた。
少年に避けられてしまったので、俺は仕方なく地面へ着地する。爪先から踵へ、踵から膝、腰、背、肩、首、頭と順番に着地し力を流すように受身を取る。もちろん受身だけでは重力に逆らうことは不可能だが、それは落下の途中に一瞬だけ窓枠に指を引っかけるという荒業で、落下スピードそのものを多少殺していればある程度は余裕だ。
普段はそこまでの無茶はやらないが……今回だけは特別だ。
ゆっくりと起き上がると、鼻血を垂らした美少年は思い切り顔を引きつらせた。
「な……なんなんですか、貴方は!」
「草薙神威。一介の教職員だ。ちなみに好きなものは春は焼酎、夏はビール、秋は日本酒、冬はウィスキー。季節を問わないのは焼肉と白いご飯。しかしアルコールとご飯はあんまり両立できないのが悲しいところだな」
「っ……分かりました。邪魔をするなら、排除します」
少年は少年らしくそう啖呵を切りながら、背中に手を回しなにかを取り出した。
どこに隠していたのか、それは、少年の身長を軽く超える無骨な長刀だった。
鞘も鍔もなく、刀身は曇っており、見た感じでは恐らくは刃も潰してある。ただひたすらに長いだけの刀。武器としての利点があるとするなら『長い』という一点のみ。
……なんてな。もちろんそんなわけはない。三階から突き落とされて無傷でいられる人間が、そもそも真っ当な武器なんざ使うわけがねーのだ。
「ああ、いいだろう。付き合ってやるよクソガキ。オッサンはもー疲れた。人生とか人間関係とかしがらみとかさぁ、もう面倒でかなわねぇ」
ホント……面倒くせぇ。
こうやって『どつき合い』に生きているほうが100倍くらいは楽で分かりやすい。
世界偽装開始。彼女より下賜され、廃棄された剣を虚空より引き抜く。
「正異を問わず、廃滅せよ」
剣の名はデストレイル。またの名を汚れし誇り。皮の鞘はボロボロで見る影もなく、柄には過剰だがあちこち欠けたり剥げ落ちたりしたりと欠損が目立つ。剣を引き抜いても刀身は刃こぼれでボロボロ。明らかに武器としては使用できない。
しかし……それは、代償と引き換えに力を差し出す剣だった。
こいつを使うと明日が辛くなるが……まぁ、それはそれでどうでもいい。
赤ん坊を強奪しようとするような相手に、明日のことを考えて戦ってはいられない。
「どちらに非があるか明らかなのに、貴方は彼女の味方をするんですか?」
少年が、呆れたように、あるいは感心したように呟く。
その言葉を聞いて……俺は、苦笑いを浮かべることしかできなかった。
生きて死ぬということは綺麗事じゃない。
生きている以上優遇なんてものはない。明日簡単に死んでしまうかもしれない。
今必死になってやっていることが、将来に役に立つ保証もない。どんなに疑問を抱いても、どんなに苦しんでも、腹は減るし明日は来る。
諸行無常と言い換えてもいいかもしれないが……俺はこう思っている。
「後輩が酒を奢ってくれるそうだ」
「は?」
「少年に非があろうが、あの女に非があろうが、そんなことはどーでもいいんだ。俺はただ、あの赤ん坊がちゃんと親元に戻って、そんで竜胆やら後輩やらと美味い酒が飲めればそれでいーんだよ。それを邪魔する野郎に容赦はしない」
その場その場の行き当たりばったりだとしても、その場その場で必死になって足掻けばいい。諦めず、屈さず、怯えず……自分なりに、足掻けばいいのだ。
そう、それが人生ってやつだ。親に甘えるのはあの赤ん坊が始める最初の一歩だ。
だから……せめて、一時的だとしても、手助けくらいはしてやるのが大人の役目。
「さて、おしゃべりはここまでにしておこう。行くぜ、小僧」
「分かりました。……関わったことを後悔しながら、死んでください」
死んだような目を向けながら、少年は一歩を踏み出す。
そして、俺も剣を構えた。
死にたい気分だった。
いっそ死んでしまおうかと思ったが、それが許されないのは分かっていた。
僕の妹こと、高倉望に確認を取った後、僕は生きている心地がしなかったけど教室に戻って美里に説明をした。
美里が抱いている赤ん坊は、僕の妹二号だということを。
ちなみに、名前はまだない。
「だから早急に考えなきゃいけないんだ。純和風でかつ下品でなく、それでいて慎ましやかな願いが詰まった名前を、今すぐ、この場で、母さんが変な名前を思いつく前に、スイーツ(笑)とか呼ばれない程度の、いい名前を!」
「あの……言いたいことは分かるんですけど、天弧さん。大丈夫ですか?」
「僕は大丈夫。ちょっとこの歳で妹かよとかそんな気分で若干絶望気味だけど、なんとか大丈夫。僕はまだやれる。僕は不死鳥だ。僕は炎の中から蘇る」
「言っていることが徹夜明けの漫画家とほぼ一緒なんですが……」
その時の僕はどんな顔をしていたのか、それは美里の微妙な表情が物語っていた。
そんな彼女に心配をかけないように、僕はいつも通りになるように口元を緩めた。
「ま、そういうわけで一刻も早く名前を考えてあげないと、また僕や望のような犠牲者が増える一方だから、美里も協力してよ」
「えっと……協力するのはいいんですけど、その前に、ちょっと」
「ん?」
「その……ごめんなさい。早とちりしちゃって。私はてっきり、天弧さんが女性を弄んだ挙句に子供ができたと知った途端に見捨てたものだとばかり」
「………………」
美里が普段僕をどう見ているのか、よく分かる言葉だった。
うーん、少しばかりショックだ。僕はどちらかと言われれば確実に弄ばれる方の人間で、付け加えるなら見捨てられる側の人間だ。
「あのね、美里。はっきり言っちゃうと、僕は美里以外と付き合ったことはないから」
「冥ちゃんとはわりとべったりじゃないですか」
「ご主人様っていうより、兄と妹みたいな感じだよ、ありゃ」
「舞さんともちょくちょく連絡取ってるみたいですし」
「友達だもの」
「京子ちゃんともしょっちゅう会ってるみたいですし」
「友達だもん。美里に聞かれたくない悩み事とかも色々あるし」
「他にも色々と女性の知り合いも多いみたいですし」
「友達と仕事関係……と、言いたいところだけど。なにか含みがありそうだね?」
「いえ、ただの愚痴です」
言いながら、美里はそっぽを向く。
自分で謝っておきながら、日常の不満はまた別問題とばかりに怒り出すのは、まぁ美里に限ったことじゃないだろう。女の子ってのは誇り高く、情け深く、感受性が豊かだから理屈ではなく感情が優先される場合が多々ある。
ただ、それは決して悪いことじゃない。
僕は頬を掻きながら、拗ねる美里を見つめて、頬を緩めた。
「えっと……つまり、ちょっと妬いてくれてるってコトかな?」
「いけませんか?」
「いけなくはないよ。美里のそーゆー正直なところは、結構好きだからね」
僕がそう言うと、美里は顔を真っ赤に染めた。
うーん……この場でうっかり抱き締めたくなるほど可愛い。可愛いがしかし今それをやってしまうと学校内で破廉恥な行為に及ぶ変態野郎以外の何者でもなくなってしまう。ここは自重すべきところだろう。
そう、せめて頭を撫でて手を握ってついでに頬を撫でる程度で済ませておかないと。
「……あの、天弧さん。確実に狙ってやってますよね?」
「なにが?」
「……もーいいです。貴方のあだ名はミスター生殺しです」
顔を赤く染めながら、美里はなんだか諦めたように溜息を吐いた。
それから、さっきから赤ん坊の権利を放棄したかのように、ほとんど泣いたり笑ったりしない僕の妹の頬を突いて、口元を緩める。
「とりあえず、この子の名前を早急に決めてしまいましょう。この子が天弧さんや望ちゃんみたいになっちゃうのは忍びないですからね」
「うん、そうだね」
さりげなーく馬鹿にされたような気がするけど、それはいつものことだ。
まぁ、美里に任せておけば大丈夫だろう。なんせ美里は美咲ちゃんを育て上げたほどの実力を秘めた女性だ。赤ん坊の名づけなど楽勝にこなしてくれることだろう。
美里は少し考えて、やがてポンと手を打った。
「高倉心愛ちゃん、なんていい名前だと思いません?」
「……美里、それは本気で言ってる? そんなペットみたいな名前にして、子供にどれほど恨まれるのかとか考えて発言した? あと、僕は名前に関してはものすごく敏感だから、あんまりふざけたことばっかり言ってると本気で怒るよ?」
「や……えっと、嫌ですねぇ、冗談ですよ冗談。……だから、その、今まで見せたこともないような冷たい目で見つめるのはやめてください」
美里は頬に冷や汗を流しながら、再び考え始める。
「えっと、じゃあ高倉純愛ちゃんとかいいんじゃないですか?」
「美里サン、わざとやってません? 僕以上に悲しい名前をつけてどうするんですか? 名前が悲惨だと人生に影響を及ぼすことをちゃんと分かってますか? もしも美里がミサトリーナとか名前をつけられたら悲しいでしょう?」
「いや、これでも真面目に考えてますけど……えっと、分かりました。分かりましたから台所の黒い悪魔を見る時のような視線を向けないで下さい」
僕が本気で怒っていることを悟ったのか、美里は速攻で目を逸らした。
それから五分ほど熟考し、恐る恐る口を開いた。
「で、では……えっと、高倉」
「言っておくけど、これがラストチャンスだからね」
「た、高倉……」
僕の念押しに少し泣きそうになりながら、美里は意を決したように口を開く。
「そう、高倉光源氏ちゃんとか!」
言ってから、美里は『これはないわ』と思ったのか、今にも泣きそうな顔で頭を抱えてしまった。
とりあえず、明らかに人間の名前ではなかったので、罰ゲーム発動。
僕は懐から高校時代によく罰ゲームで使用したある物品を取り出し、美里の頭に軽く乗せた。
うん、実に可愛い。これは例外に認めてもいいくらいだ。
「……あの、天弧さん」
「なに?」
「猛烈に嫌な予感がするんですが、今私の頭になにを乗せたんですか?」
「一度つけちゃうと24時間は取れない猫耳バンド。頭皮と一体化しているから、無理に剥がそうとするとえらいことになる」
「ちょっ!?」
美里は慌てて頭の上に手をやって、それから今にも泣きそうになった。
「……あの、今年で32歳になる女にこの仕打ちは拷問以外の何者でもないんですが」
「可愛いね」
「全然ちっともさっぱり嬉しくありません!」
「可愛いのに」
「だから、嬉しくありません。もっと別のことで褒められたいです」
「可愛いから今度二人きりで旅行にでも行こうか?」
「…………まさか、猫耳つけたままでとかいいませんよね?」
「いや、美里の浴衣姿が見られるだけで僕としてはお腹一杯だよ。……だから、国内旅行だけは絶対に譲らない。温泉がないところも却下」
「国内旅行で温泉がないところを探す方が面倒だと思いますけど……まぁ、それはそれでちょっと考えておきます。天弧さんの仕事の支障にならない程度の旅行にしますよ」
「ん、よろしく」
僕は笑いながら、ちょっとだけ不貞腐れている美里の頭をポンポンと撫でる。
さて……それじゃあ明日のために少しだけ真面目に考えよう。
その人を示す言葉。名前という名の、運命。
親の最たる身勝手にして、親の最たる願いが込められたもの。
「……やれやれ、だね」
さっきから全然泣かない妹の顔を見つめて、僕はこっそりと溜息を吐く。
僕の名前は高倉天弧。母さんが天使みたいだから天使でいーじゃんと強行しようとしたのに対し、父さんがふてぶてしい面構えだから狐にしようと反発し、じゃあ二つ合わせて天弧でいいじゃないかというのが由来。
天を駆ける狐のように、ふてぶてしく笑って生きろ。
そういう願いが込められていると……父さんから聞いたことがある。
子供に背負わせるには、ちょいとでかすぎる願いみたいな気がしないでもない。
と、なれば身近なところで綺麗な願いを含めつつ、字数やら漢字の画数やら色々と考慮して考えなきゃいけないわけだ。奇抜な読み方は当然却下。言うまでもなく変な意味を持つ言葉を使うのも駄目。
ふむ……となると、あと考えられるのは……。
「高倉意識なんてどうかしら? 高倉の系譜に名を連ねる者としては、そこそこいい感じの韻を踏んでいると思うんだケド」
「冗談じゃないね。アンタの提案する名前をつけるくらいなら、僕は母さんに全部委ねるさ。少なくとも、アンタよりマシな名前をつけてくれるだろうよ」
不意に響いてきた声に、僕は心の底からの悪意を持って返答する。
振り返るとそこには悪意たっぷりに笑っている女が立っている。
高倉未織。母さんの妹。ばーちゃんのもう一人の娘。トラブルメーカーにして『借金製造者』。親戚との顔合わせに顔を出すことすらできない……僕の嫌いなタイプの女。
未織叔母さんはにやりと悪意たっぷりに笑って、僕を見据える。
「あらあら、見ない間に随分と立派になっちゃってますね、甥っ子。数年前まで身を削るように生きていたのが、まるで嘘のようです」
「色々あったからね」
「なるほどなるほど。……で、まぁその辺の経緯は置いておくとして、とりあえずお金貸してくれません? 5万円ほど貸してくれるととても嬉しいんですけど」
「……頼まれた赤ん坊を放置して、その上お金の催促とは……なんていうか、母さんが呆れ返るのも分かる気がするよ」
「貸してくれないんですか?」
「借りれるもんならね」
僕の言葉と共に、パァンッとなにかが破裂するような音が響く。
単純なことだ。『頼まれた赤ん坊を放置』という時点で、僕が愛する彼女にとって未織叔母さんは敵でしかない。
僕が惚れた女は……橘美里は、なによりも子供の未来を重んじる女なのだから。
跳躍した美里のロングスカートがはためき、伸びた足が未織叔母さんを頭上から打ち据える。その一撃をガードしながら、未織叔母さんは笑った。
「あらあら、随分と躾のなっていない女性ですね。まぁ、猫耳なんてつけてる時点で躾がなっていないのは目に見えてますが」
「………………」
あ、やべ。美里、本気で怒ってる。
音も立てずにふわりと着地。それから、無表情のまま未織叔母さんを見据える。
美里は、ゆっくりと半身に構えた。
剣を抜き放つかのように、敵を見据えた。
そんな美里を前にして、未織叔母さんはにこにこと笑っている。
高倉未織。人呼んで『累乗負債』。自分の趣味のために人に迷惑をかけ、自分の趣味のために莫大な借金を好き好んで抱えている変人。
戦闘狂人と書いてバトルマニアと読む。戦うのが三度のご飯より好きで、『戦い』に困らないために借金を背負っているような……極めつけの馬鹿野郎だ。
「拳法ですか。いいですね、そういうのは嫌いじゃありません。血湧き肉踊る修練の果てに、人の拳は凶器となる。……そういうのは大好きです」
「……そうですか。私は、戦うのは嫌いです。痛いし苦しいから」
「でも、貴女相当やりますよね? 技術と力が伴った、完璧に近い一撃を『人間』から受けたのは初めてです」
人間ってあたりを強調するあたり、このド変態叔母さんがどの程度『戦い』ってモノを続けてきたのか……容易に想像できるだろう。
未織叔母さんは本当に嬉しそうに笑って、美里を見つめた。
「では……高倉未織、推して参ります!」
やる気満々。どこからどう見ても熱血バトル漫画の主人公そのものだった。
僕はゆっくりと溜息を吐く。
「未織叔母さん」
「ん? なにかしら、甥っ子。これからがいい所なのに邪魔はよくないと思うわ」
「選手交代」
美里に妹を渡しながら、僕は前に出る。
「僕が相手だ。僕を倒せたらお金はいくらでも貸してあげるよ」
「あらあら、随分と大出血サービスじゃない、甥っ子。そんなにサービスされても、私としてはハンデをつけるくらいしかできないわよ?」
「ハンデはもらうよ。未織叔母さんは僕に手出しはできないってことでよろしく」
「……甥っ子。それはつまりサンドバック扱いなんじゃないかしら?」
「手出ししたらばーちゃんに言いつける。ついでに父さんにも言いつける」
「…………え」
未織叔母さんの顔がこれ以上なく引きつる。
未織叔母さんが苦手としている相手はそんなに多くない。単純で簡潔で、戦うのが三度のご飯より好きな人なので、基本的に弱みを握られるというコトがあまりない。
が……未織叔母さんを育てたばーちゃんと、口を挟ませたら凶悪極まりない僕の父さんなら話は別だ。
拳で語るのは得意だが、口で語るのは苦手な人なのだ。
「黙って殴られてくれれば2万円くらいなら貸してあげる。僕を倒したら好きなだけ貸してあげるけど、その代わりばーちゃんと父さんに言いつける。……どっちを選ぶかは未織叔母さん次第ってことだ」
「いや……えっと、ちょっと待って? あの、よく考えなくても女性をぐーで殴るっていうのは男性としてはアレじゃ……」
「ああ、大丈夫。僕の中じゃアンタは女性のカテゴリには入らないから」
「……あれ? 思った以上に甥っ子が鬼畜野郎になってる?」
「じゃ、とりあえず歯ァ食いしばれ、バトルマニア」
僕はにっこりと笑って、拳を振り上げた。
結果は……まぁ、言うまでもないだろう。
今回の騒動の犯人を容赦なくぶちのめして、これにて一件落着。
草薙先生はどこに行ったのか分からなかったので、全部解決したことを心得さんに告げて僕と美里は早々に帰宅することにした。
僕の勤務地である高等学校までは、徒歩で20分程度だけど、猫耳の美里が大通りを通るのを嫌がったために遠回りでの帰宅となった。
「なんていうか……実にしんどい一日だったね。死ぬかと思った」
「というか天弧さん。貴方の親族ってあんなのばっかりですか?」
「格好良い名前をつけようとして、微妙に失敗してる人は要注意かもしれない」
「……そーですね。まさにここに一人いますからねー。そーゆー人が」
ゆっくりと溜息を吐く美里を横目に見ながら、僕は口元を緩める。
それから、未だに泣きゃしない妹二号を見つめて、ゆっくりと息を吐いた。
「しかし、本当に泣かないね君は。将来がとても心配だ。人生の先輩として泣ける時には泣いておいた方がいいんじゃないかとアドバイスしたい気分だよ」
「多分、とんでもない大物か、もう世界に絶望してるかのどっちかだと思いますよ。……とりあえず、親兄妹にまともな人はいないっぽいですから」
「……一応言っておくケド、僕と結婚したら美里もその中の一人として扱われるよ」
「結婚するかどうかなんて分かりませんもん」
「まぁ……美里がしたくないなら、僕的にもそれで別にいい」
「………………」
寂しさと殺意が入り混じった、ものすごい目つきで睨まれた。
あまりにもすごすぎて、妹二号が少し涙ぐんでしまうくらいだった。
ほんの少しだけ肩をすくめる。それから、いつも通りに口元を緩めた。
「冗談だよ。僕は、美里以外と一緒になるつもりはないから。……こういうコトに関しては奥手で不器用で一途で馬鹿だからね。君がどんなに僕を疑おうとも、僕は美里のことが一番好きだよ」
「……だからっ、そーゆーコトを真っ直ぐに言われると、な、なんかもうどうしたらいいのか分からなくなるじゃないですか!」
美里は顔を真っ赤に染めて怒鳴った。
はっはっは、本当にこの人はもう。……そういう反応が可愛らしいから、ついつい恥ずかしいセリフを言ってしまうんじゃないか。
うむ、我ながら実に馬鹿ップルっぽい。
「ま、それはともかくとして、今日は家に帰ってハンバーグでも食べようよ」
「なんでハンバーグなんですか?」
「昔からハンバーグはわりと好きなんだよ」
「子供っぽいですね。……まぁ、私も嫌いじゃないんで今日はハンバーグで」
そう言いながら、美里はくすっと笑う。
僕もつられるように笑いながら、自然に美里の手を握る。
「じゃ、帰ろうか」
「はい」
美里も僕の手を握り返して歩き出す。
今日みたいな騒がしい日は珍しい。大抵は仕事に追われたり色々なことがあって、それでも退屈に、苛烈な日々は過ぎていく。
「あ、そういえば天弧さん」
「ん?」
「この子の名前って、結局どうするつもりなんですか?」
「んー……一応考えてはあるけどね」
本人が気に入るかどうかは別として、僕なりに考えた名前がある。
「高倉友衛、なんてどうだろう?」
自分の幸せってのは、結局のところ周囲の幸福だ。自分ばっかり裕福で幸福でも、自分が大切にしている人が不幸なら、きっと自分は自分じゃいられない。
だから、友を守れ。家族を守れ。自分にとって大切な人を守れ。
貴方にとって大切な人が幸福でありますように。
そして……なによりも、今ここに生まれた君が幸せでありますように。
僕がそう言うと、美里は苦笑しながら貴方らしいですねと言った。
それから少しだけ強く手を握って、美里は笑いながらこんなことを言った。
「私は、そんな貴方のことが大好きです」
Aランクエンディング・美里編:貴方のいるせかい END
Aランクエンディング・舞編 :今ここにいるばか に続く
おまけ・小劇場、焼肉屋台での一幕。
※会話のみでの進行になります。時刻は午後の9時ごろ、河川敷付近の屋台みたいな場所で鉄板の上で肉をジュージュー焼いてる絵をイメージしながらお楽しみください。
「はいっ! そーゆーワケでアレだね! なんかもー気がついたら高倉とかその彼女とかはとっくにドロップアウトしやがりましてですね! 刀傷こさえて戦った草薙神威先生の立場とかはどーなるのかと、そういうわけでビール。キンキンに冷やしたやつな」
「はいはい、お客さん」
「すまんね大将! どうだ、竜胆。肉食って飲んでるか!?」
「うッス、先生。骨付き上カルビとか超美味いッス。あ、あたしにコーラ一つ」
「へい、コーラお待ち」
「あー……もう。もう嫌だ。なんで僕がこんな目に。ありえん。まぢありえん。就職した早々これだよ。ゆっくり職探しした結果がこれだよ。ビール一つよろしく」
「はい、ビール一丁」
「……二万円かぁ。あの甥っ子、容赦なく女性の顔をぶん殴るとは本当にいい度胸してきましたねェ。でも、母さんと義兄さんは本当に怖いしなぁ。芋焼酎一つ」
「お、姐さん。いい目してますね。今日はいいのが入ってますぜ」
「おろ、芋焼酎もいいな。オヤジ、なんかこうクセのあるチーズで一杯頼む」
「芋焼酎にチーズって合うの?」
「焼酎は懐の深い酒だからな、なんでも合うがこれといった決め手がない。それより小僧、お前明らかに未成年っぽいけど酒飲んでいいのか?」
「未成年って……僕、今年で一応29歳なんだけど」
「はぁっ!? 俺より年上じゃねーかっ! どう考えてもその顔で29はねーだろ! どこの研究所で改造された人間ですかっ!?」
「素晴らしいですねぇ。人間の科学はそこまで進歩してたんですねぇ」
「……本当、それよく言われるんだけど。低身長で童顔でなにが悪い」
「おっちゃん。つくねと特上カルビ追加。あとグレープフルーツジュース」
「はっはっは、くじけるな小僧。いえ、年上の小僧。低身長童顔の男が好きな女もいる。いや、むしろそっちの方が多いからな」
「そーだね。……さっさと帰らないと彼女達が心配するから、もう帰っていいかな?」
「帰すわけねーだろ小僧。今お前は俺の敵に決定した。つーか、彼女達ってなんだ? 人間関係のデフレスパイラルかなんかですか?」
「別に、特定の誰かとは付き合ってないし」
「うっわ、最低だコイツ。おい、着物女。なんとか言ってやってくれよ」
「大丈夫ですよ。きっとこの人は、殿方の股間にぶら下がっているモノが人の10倍から100倍の戦力を秘めているか、単純に数が多いんだと思われますから」
「アンタの方が最低じゃねーか!」
「下ネタ程度は普通でしょう。いえ、草薙先生はいつかそこにいる生徒ちゃんに手を出してちゃうような人ですから、下ネタは厳禁なんですかね?」
「生徒に手なんざ出すか!」
「おっちゃん。この時価って書いてあるやまけいぎゅうって美味いの?」
「牛肉大好きな他国の人が絶賛するくらい美味いよ。あと、それは山形牛と読むんだ」
「じゃ、それ一つ。あと、あたしは草薙先生とか本当に勘弁だから」
「俺だって未成年は勘弁だよ。あと、生徒とかおガキ様過ぎてありえん」
「じゃあ、28歳独身の着物が似合う美女なんかはいかがでしょうか?」
「……見た目はわりと好みなんだが、付き合った途端に全身が焼け爛れそうな大火傷を負いそうな気がする。予感とかじゃなくて確信できる」
「それ、正解。この人借金ものすごいから下手に手を出すと軽く死ねるよ」
「ひどいですねぇ。私、わりと尽くす女ですよ。惚れたら一途の貢ぎまくりですよ」
「……その貢物がどの程度の血と涙に濡れているのか、考えたくもないな」
「借金取りにとってはブラックリストの秘中の秘。呼吸する略奪魔だからね」
「おっちゃん、あとでうなぎの蒲焼三つほどお土産に包んで。あとこのキリマンジャロって飲み物なに? 飲んだら進化とかできる?」
「コーヒーの銘柄だよ。あと、飲んでも進化はできねぇなァ」
「もー、なんていうか最近の殿方は冷たすぎます。なんかこう……冷たい手をそっと温めてくれるような優しい殿方はどこの世界にいるんでしょうか?」
「そーゆー殿方はいい女がとっくにゲットして、とっくに婿に行っていると思うし、とりあえずアンタみたいな地雷源に惚れる男はどこの世界にもいねーだろ」
「……じゃーせめて金づるでいいですから。資産的に100億くらいでいいですから」
「せめて金づるってあたりで日本語がおかしいよね、どう考えても」
「あくせく働くのもわりと悪くないぞ。一日の終わりの酒が美味いからな」
「嫌ですよぅ。女の子はー……周囲の賞賛を集めつつ、楽して生きたいんですよぅ」
「そーだねェ。100億とは言わないけど、3億円とか欲しいね。宝くじとか当たらないかなぁ。そしたらこんな腐れ仕事速攻で辞めてやるのに」
「……おかしいな。高倉は酒は飲めないが仕事帰りの飯は美味い。また明日頑張ろうって気になるって賛同してくれたんだが」
「その言葉には天と地ほどの差があると思いまーす。甥っ子の奴、なんだかんだ言って彼女さんいるし、ご飯もその人に作ってもらってるんですよぅ。クサナギセンセーはアレでしょ、どーせ居酒屋とかそのへんのファミレスで済ませてるんでしょでしょ?」
「いや、酒は風呂上りに飲むけど、フツーに自炊してるぞ。最近凝ってるのは酒のつまみの手作り。最近は燻製チーズに凝っててなぁ」
『………………』
「あれ? なにその沈黙。独身の男がチーズの燻製とか作ってたらなんかまずいのか」
「いや……ねぇ。所帯じみてるっていうか、僕の口からはちょっと」
「ええ……なんていうか、その。気づいた方がいいかなって思うわ」
「おっちゃん。うな茶漬けと温かい飲み物でシメで。お勘定はこいつらが払います」
「こら、生徒。散々食っておきながら酔っ払った大人を放置して帰るんじゃねぇ。ここは大人の飲み物である酒を少し嗜んでおくべきところだぞ? まぁ、いい加減に夜も遅いしな。帰るんだったら家まで送るぞ」
「んっふっふ、帰り道に襲うつもり満々ですねー?」
「性質の悪い酔っ払いは黙ってろ。大体、そんなことしたら俺が紹介したアパートの大家に殺されるっちゅんじゃ」
「んー……まぁ、先生がどうしても送りたいならいいけどさ」
「じゃあそれでいいさ。最近は色々物騒だし、ここ数年は枠を超えて踏み外した存在をそれ以上醜くなる前にワイヤーでサクッと殺してくれる、『それは私のおいなりさんだ』が決め台詞の黒くて仮面で大きな鎌を持った、変態という名の紳士が出るらしいからな」
「……私が聞いたのはもーちょっと綺麗な都市伝説だったと思うケド、先生のそれ色々混ざってない?」
「混ざったんじゃない。混ぜたんだ。都市伝説とかって意外とおっかねーんだぞ? テケテケとか100キロババァとかおいてけ堀とか百物語とか学校の怖い●、花子さんが来たとかもうやってられんね」
「意外とヘタレなところあるよね、先生。都市伝説じゃないのも混ざってるし」
「はっはっは、好きなように言うがいい。じゃ、お二人さん。俺ァそういうわけでちゃっちゃと帰る。また機会があったら酒飲もうぜ」
「今度は貴方の奢りですねー♪」
「そういうことなら、僕も付き合うよ」
「おう。じゃ、またな。ここの勘定はよろしく頼むわ」
「……『またな』ですって。私達みたいな悪人に向かって」
「そうだね」
「いい人ですね、あの先生」
「…………かもね」
「お金とか……泥臭い話は明日にしません?」
「ここの奢りよろしく」
「……あう」
「先生。ちょっと聞いていい?」
「ん?」
「お酒って美味しいの?」
「周囲の環境と飲む人間と作り手の愛情によっては美味いこともある」
「……あの、それって要約するとまずいってコトじゃ」
「美味いかまずいかは自分で決めることだからな。他人が絶賛していることでも、共感できないことなんざ腐るほどある。要は、自分がどう思うかってことだ」
「先生のオススメは?」
「高校を無事に卒業できたら教えてやろう。ぶったまげるほど美味いのは保障する」
「ちっ……先生のくせに生意気な」
「先生ってのはそういうもんだ。分かったらもっと勉強して少し賢くなって、それからゆっくりと自分の道を選べ。そーすりゃ俺も安心できるってもんだ」
「はいはい、善処しますよ」
「次の補習は週明けだからな」
「はーい」
かくて、それぞれの夜は更けていくのだった。
おまけ・小劇場、焼肉屋台での一幕 END
てなわけで、次回は舞さんエンド→デラックスあとがき→コッコさんゼロ→本編開始という流れになるかと。
そこまで行き着くまでにどれくらいかかるか分かりませんが、記憶から風化してなかったら嬉しいです(笑い)