第十三話:なんか、勝手に解決する
某ランドのオフシーズンについてはエミネムさんに聞いたので、実際はどうだか知りません。もうかれこれ何年も行ってないしなぁ。
どうしてこうなった?
天弧さんとのデートは、わりとテキトーである。
天弧さんは格好付けなところがあるので、きっちりと予定を組んで私を楽しませたいらしいけど、昔はともかく今の私はテキトーなところがあるので、欲しい物をその時々で思い付いては、思い付きで行く場所を変えたりもする。
というわけで、本日は行列のできるラーメン屋さんで昼食なのだった。
行列を見ながら、朝食抜きの天弧さんは達観したように言った。
「……三十分も並べば、そりゃなんでも美味く感じるよなぁ」
「並ぶのに疲れたのでしたら、もうコンビニで済ませちゃいますか?」
「ここまで並んだからには絶対に食ってやる。大盛りとトッピングも付けてやる」
天弧さんはわりとむきになる人なのだった。
京子さんに頼んでも視力は戻してもらえなかったので、天弧さんは左側が見えていない。そういうわけで……いつも通り、私が手を繋いでフォローしている。
デートっぽくて非常に良いんじゃないだろうか?
「コッコさん、なんか妙に楽しそうだね」
「デートですからね! そういう天弧さんは、ちょっと元気がなさそうですが?」
「あー……いや……正直なところ、心配事が多くて……」
「まぁ、そうでしょうね」
あんな破天荒な母親が近くにいたら、心が休まるわけがない。
しかし、それはそれとして……どうせ絶対に後で困ることになるので、今は今でデートを楽しんだ方がいいような気もする。。
「そういえば……天弧さんって望ちゃんの下にもう一人妹さんがいるんですよね?」
「ああ……うん。いつの間に産んだんだかよく分からないけど、間違いなく父さんと母さんの娘で、僕の妹がいる。ゆずりって名前なんだけど……うん……」
「かなり歯切れが悪いですね」
「僕はゆずちゃんからは蛇蝎のごとく嫌われててね。こっちは歩み寄りたいんだけど、向こうが『私の身内に女性を五人も囲うような鬼畜は要りません』って感じで」
「とても二歳児の発言とは思えませんね。最近の子供は本当に聡い……まぁ、十年後には手の平を返しそうですけどね。織さんの娘さんですし」
「否定したいけどありそうだなぁ!」
「反社会的、反常識的なことをやっていれば、そういうこともありますよ。むしろ、宿に来る方々の心が広過ぎるというか、常識がゆるゆるなのが問題ですね」
「そうだね……与一ですら忠告はするけど、正面切って否定はしないからね」
「友樹君とか由宇理ちゃんは?」
「半笑いだよ」
「………………」
でしょうねぇ。私の知り合いや妹も引きつった半笑いですとも。
まぁ、反社会的、反常識的なこともあれば、そんなこともある……が、半笑いで済ませちゃいけない正義の味方もいるので、その辺は自分のことを省みて欲しい。
毎日のように妹から愚痴のメール(長文)が届くので、ちょっと困っています。
天弧さんは不意に微笑んで、ぽつりと言った。
「正直、不安で仕方ないこともあるよ。みんなの言うことも、もっともだと思う。一度決めて絶対に曲げないと誓ったことでも……揺らぐことはあるんだ」
「揺れたら支えますし、曲がった端からブッ叩いて直します。ただ、言葉にしてくれないと分からないので、ちゃんと言いましょうね?」
「お腹が減ったよ」
言いながら、天弧さんは少しだけ嬉しそうな顔をした。
カイネさんも言っていたけれど……この人は『人間』としては結構バランスが悪い。ツンデレの象徴のような人で、デレると際限なくデレてしまうけど、育った環境が環境なのでかなり人見知りをするし、限界まで頑張ってしまうことも多々ある。
もちろん、私の方がバランスが悪いので、人のことは言えないけれど。
バランスが悪い者同士で、今はそこそこバランスが取れているとも、言える。
微笑みながら、天弧さんは言葉を続けた。
「コッコさんもなにかあったら言ってね? 僕ができる範囲でなんとかするから」
「借金がなかなか減りません」
「それ以外で」
「別に、今更お金で脅迫しなくても、一生側にいますよ?」
「いや……コッコさんに十万円以上の現金を渡すとロクなことにならないし。この前も勝手に鍋とか作ったでしょ?」
「わ、私の要求する火加減に耐えられる鍋がなかったもので……」
「そういう鍋を使うのは魔女だけだから」
鍋は料理ではなく、そのままの意味の、調理器具の『鍋』である。
ちょっと高温に耐えられる鍋が欲しくなって、あり合わせの道具でこっそり作ったのだけれど、ちょっと失敗して水を同質量の金に変えるだけの物質になり果ててしまった。
なお、そのお鍋はこっそりとカイネさんにあげたのだが、えらいことになった。
「とにかく、創作はなるべくやめて欲しい。やりたい時は僕が側にいる時にしてね」
「……あんまり二人きりの時間とか、取れないじゃないですか」
「いや、二人きりの時間が欲しいなら思う存分滅茶苦茶増やすけど」
「はい、ごめんなさい! 以後は控えますので、滅茶苦茶はやめてくださいね!」
滅茶苦茶増やされたら私がポンコツにされてしまう。
正直言えば、五人でもこの人の相手をするのは持て余し気味なのだ。織さんも天弧さんの妹さんもそうだが、高倉の一族は愛が深くて重い。
適度に距離を保っておかないと、ズルズルと深みにはまっていくので注意なのだ。
「そういえば、カイネさんに織さんを任せてしまって大丈夫なのですか?」
「大丈夫じゃない? あいつ、色々酷いし」
「まぁ……酷いですけど。与一くんはなんであの人に懐いているんでしょうね?」
如月与一というお得意様がいる。気だるげなロングスリーパーで、神様にとてもおモテになられる。彼が来ると宿が賑わうので、程々に滞在して欲しいお得意様だ。
しかし、与一くんは人の心に聡い。生きて来た時間があまり幸福ではなかった反動なのか、人の本質を見抜く力に長けている。警戒心も強いし距離感を取るのも上手いけど、その本性はわりと毒舌で、古今東西どこでも受けない『デレツン』である。
正確には……私も最近初めて知ったけど、『デレツンデレ』なのである。
ぽりぽりと頬を掻いて、天弧さんは眉間に皺を寄せた。
「僕にもよく分からないけど……なんか、通りすがりに助けてもらったとか……」
「助けてもらっただけで、あそこまでデレますかね?」
「それ、童話のヒロインの前でも同じこと言えるの?」
『………………』
天弧さん以外からツッコミが入った。
なぜか……本当に、理由の程は定かではないけど、私達の目の前に彼は立っていた。
墨汁を煮詰めたような漆黒の瞳。疲れたような横顔。第二次性徴前か途中くらいなので身長は低く、声変わりもしていない。頭になぜかカタツムリを乗せた少年。
如月与一くんだった。
「与一くん……なぜここに?」
「コッコさん。ここは僕の地元で、このラーメン屋は僕が教えたはずですが……」
「いえ、それはそうなのですが、与一くんに行列に並んでラーメンを食べに来るようなバイタリティがあるとは思っていなかったので」
「……色々と事情があるんですよ」
与一くんは目を逸らした。その表情はなんだか暗いような気がする。
が、次の瞬間にはいつもの与一くんに戻っていた。
「で……さっきから話を盗み聞きしていた限りだと、どうやら親族にカイネにーちゃんが気に入られて、眼帯は大層ご立腹って感じなのかな?」
「最初から聞いていたのなら話は早い。与一、どうすりゃいいかな?」
「放っておけばいいと思うよ」
あっさりと、ごくごく軽く、彼には珍しく、与一くんは言い放った。
「眼帯としては、カイネにーちゃんは他人だし、親も兄弟も他人だし、嫁も他人だ。思い入れのある勢力に肩入れすればいいんじゃないかな?」
「いや……えっと……俺は若輩者だから、そこまで割り切れないんだけど……」
「じゃあ、共有する時間が長い方に肩入れすればいい」
つまり嫁であると、与一くんはざっくりと断言した。
彼は極めて深い情の持ち主ではあるが、切り捨てるべき所は最低限を残して全て切り捨てる覚悟は決めていると……彼の魂を虎視眈々と狙う神様達は語る。
友達は切り捨てるし、恋人も切り捨てるし……最悪、家族も切り捨てる。
自分のためにならない人と、寄り添うことはできない。
最期まで寄り添う覚悟がなければ、側にいることを許してくれない。
「これはカイネにーちゃんと眼帯の親の問題で、眼帯には関係ない。そう思っておくべきだと思うよ?」
「関係ないって言われても……気になるし、やっぱり心配だよ」
「心配するなとは言わないよ。気になるものは仕方ない。心配が的中した時はざっくりと絶縁すればいい。眼帯はもう選んでいる。五人の手を離すつもりがないんだから、余計な干渉をしてくる親の手を離すしかないでしょ?」
そう言って、与一くんは肩をすくめた。
いやまぁ……たぶん、織さんは私達を排除したりはせずに『やっべぇ、孫の顔がすぐに見られるとか、あたしもしかしてすげぇラッキーじゃね!?』くらいは言っているアホの子なので、与一くんの発想は杞憂そのものなのだけれど。
しかし、一般的には与一くんが正しいのだろう。
重ねて言うが、反社会的反常識的なことしていれば全面的に否定されることもある。
「まぁ……大抵の場合、最悪の事態なんて起こらない。今回はカイネにーちゃんが噛んでいるんだし、わりと勝手になんとかなると思うよ?」
「いや、信用し過ぎだよ。俺はあいつをそこまで信用できないよ」
「信用じゃなくて信頼だよ。僕は人を信頼する時は、全財産貢いで捨てられて人には言えない目に遭うくらいの覚悟はしている」
「その覚悟は重過ぎる!」
「正直、僕が女の子だったらにーちゃんに告白してふられてストーカー化してるね」
「発想がおっかねーよ! なにがそこまで与一を駆り立てるのかさっぱり分からん!」
「これは僕の趣味なんだけど……僕は僕を甘やかしてくれる人が大好きでね。無条件で僕を助けてくれる人は、無条件で信頼することにしてるんだよ」
「そこまでかよ……俺は俺の尻を叩いてくれる人が好きだけどなぁ」
「……は? 眼帯はMに見せかけたクソサディストでしょ?」
「SじゃないしMでもねぇよ! 普通だよ!」
「眼帯の嫁はみんな、眼帯のことをクソサディストだと思ってるよ」
「僕がSなのはコッコさんに対してだけだ!」
「………………」
「そ、そんな汚物を見るような視線には負けないぞぉ!」
天弧さんはしどろもどろで答えたけど、与一くんの指摘はわりと正しい。
私に限らず、恋愛という一点に対してのみ、天弧さんはサディストである。
少し気になったことがあったので、与一くんに聞いてみることにした。
「与一くん。カイネさんってどういう人だと思いますか?」
「滅茶苦茶優しいね」
「……とてもそうとは思えませんが」
「そりゃ、コッコさんが幸せだからだろうね。あのにーちゃんは幸せそうな人は茶化すし勘違いしている人は貶すっていう、悪癖があるからねぇ」
「え?」
「カイネにーちゃんは自己満足のために生きている。でも、自分を満足させ得るのは『他人』しかいないとも思っている。自分を自分が認めてやって、他人に認められて初めて自信になることを、ちゃんと分かっている人だ。だから……僕みたいな重症者には特に優しいし、他人の幸福を茶化すことはあっても邪魔するようなことはしない。他人の不幸を願うのは簡単だし、実際自分を貶めてきた奴が不幸になると胸がスカッとすると思うけど『見知らぬ誰かが不幸になる』のを見たり聞いたりするのは、なんだか嫌な気分になるし後悔する……それをしないために、後悔をしないために、自分が満足できる範囲で頑張っている人だと、僕は思うよ」
「………………」
確かにそうかもしれない。恐らくは、与一くんの言う通りなのだろう。
しかし、私の心の中のデビルが『私の彼氏を馬鹿にした奴は絶対に許さんぞ!』とキィキィ叫んでいる。
与一くんの意見は正しいのかもしれないけど……納得はできそうにない。
「腑に落ちない顔だけど、腑に落とさなくてもいいんだよ。僕が勝手にそう思ってるだけだから」
「むぅ……しかし、彼のおかげで今日のデートが成り立っているようなものですし」
「それは眼帯のせいだね。休日デートの頻度が低いからそうなる」
「そうですね」
「コッコさん、あっさり納得しないで! っていうか、デートの頻度を増やそうとすると露骨に避けるじゃん?」
「天弧さんの言う通りにしていたら実生活がポンコツになるので、却下で」
「コッコさん。ちょっとその話はあとで……与一の視線が尋常じゃなく痛い!」
天弧さんは与一くんの視線から目を逸らしていた。
まぁ、直視はできないだろう。何度でも繰り返すけど、常識と反することをやっていればこんなこともある。
如月与一くんは、わりと真っ当な恋愛観を持っている中学二年生である。
視線を切って肩をすくめて、口元を緩めた。
「んじゃ、僕はこの辺で。人とここで待ち合わせしてるから最後尾に並ばないと」
「人と待ち合わせ? 与一って友達いるのか?」
「…………うん。まぁ、一応……いる」
「滅茶苦茶歯切れが悪いんだけど……こっちとしては『失礼な』くらいは言って欲しかったんだぜ?」
「積んでるエンジンが違い過ぎて、付き合うのが疲れるだけで、友達はいる」
「あっ……はい」
「前も言ったような気がするけど、僕が眼帯の宿に世話になる羽目になった発端みたいな方々だよ。高校生グループで、今ちょっと厄介なことになっているけど」
「厄介?」
「詳細は伏せる。眼帯のことだから勝手に怒って首を突っ込みかねないし」
「……俺が怒りそうなことに関わってるってことだよな?」
「愛情ってのは、行き過ぎると人を狂わせるんだよ。心当たりがあるなら少し見守ってて欲しい。本当にヤバそうなら、ちゃんと相談するから」
「………………」
天弧さんはなにも言えず、私も口を挟むことはできなかった。
心当たりがあるどころではなく、天弧さんも私もそれで痛い目に遭っている。どこからどう見ても完全無欠の自業自得なので、仕方がないことなのだけれど。
しかし、与一くんに他意はなくとも、若さゆえの過ちは心が痛い。
私達の微妙な表情からなにかを察したのか、与一くんは口元を緩めた。
「ま、大丈夫だよ。心配したようなことは起こらないし、誰かが勝手に解決してくれることもある。全部抱え込むなって、誰かに教わらなかったか?」
「毎日言われてる気がする……」
「言ってくれる人がいてよかったじゃん?」
にやりと、少年らしく、彼にしては珍しく快活に笑い、与一くんは列の最後尾目指して歩き出した。
その小さな背中を見送ってから、私は天弧さんを見る。
心配そうな表情をしていた。そして……その気持ちはよく分かる。
「どうします?」
「いや……うん……むぐぐ……今回は経緯だけ見守ろう。すげぇ心配だけど」
「別に私の方を優先してくれなくても、いいんですよ?」
「もちろんそれもあるけど……男には覚悟を決めて、独りで戦わなきゃいけないことっていうのがあるんだよ」
ものすごく微妙な表情で、心配そうな顔で、天弧さんはそんなことを言った。
私には男の子の理屈はよく分からないし、独りで戦う必要があるとは思えないけど、彼が言うのならたぶんそうなのだろう。
男の子に限らず『自分の気持ち』とは、自分が戦わなきゃいけないものだし。
心配そうな顔のまま、天弧さんはそれでもきっぱりと言った。
「だから、今回は特になにもしないしできない。後で与一に話だけ聞くよ」
「……そうですか」
汗ばんできたので繋いでいた手を離す。
汗を拭って、再び手を繋ぐ。
「デートの時に手を離すタイミングって、なかなか難しいですよね?」
「手を離して腕を組めばいいんじゃないかな? コッコさんは心配事があると結構緊張しちゃう性質だしねぇ」
「……そーゆー風に見透かしたことを言うのは……いやまぁ、別にいいんですけど」
手を離して言われた通りに、腕を組む。
息を吐いて、ぽつりと言った。
「朝食はしっかり食べましたけど、お腹減りました」
「昔より消化が良くなってるんだろうね。……もう少し待てば食べられそうだよ?」
「そうですね……私も大盛りにします」
ぐぅぐぅ鳴るお腹と、色々なことを心配するのは少しだけ辛い。
彼の腕に掴まって、ほんの少しもたれかかって、私はゆっくりと息を吐いた。
「ばか! おばか! あなたは本当に馬鹿野郎です!」
「んだよぅ……幼女に言葉責めとか、変な性癖に目覚めたらどうするんだ? 責任取れないなら人のことを馬鹿と言うのはやめろよ」
「一体なんの話か分かりませんが、あなたがばかというのはよく分かりました!」
そんなわけで、二歳児に怒鳴られる僕ことカイネ=ムツなのだった。
高倉譲渡。たかくらゆずりと読む。
灰色の髪を黒く染め、灰色の瞳に黒いコンタクトレンズを入れた幼女。不幸なことに頭は相当良いらしい。年齢は二歳。母親に抱えられておどおどとピースサインを出す年頃のはずなのに、滑舌もいいし頭も座っているし、身長も同年代と比べて頭一つ高い。
年齢詐称してねーか、この子。
服装は黒のフリフリドレス。母親の趣味らしいが、ゆずっちは大層嫌がっている。そのくせ口にも態度にも出しゃしねぇ。嫌がってることならちゃんと言えやと思う。
ゲーム機とタッチパネル式の携帯電話を行ったり来たり……つまり、現実に飽きたり疲れたりして、ゲームに没頭している現代っ子である。
人の目を見て話をしないので、両方取り上げて遊園地にやって来た。
「ゆずっち、夢の国に来たんだからもっと喜べよ。世界一有名なネズミ様の王国だぞ」
「そのネズミの国に誰が来たいと言いましたか?」
「僕」
「あなたは本物のお馬鹿です!」
「はっはっは、もうネズミの手袋とカチューシャも買っちゃってる人間に向かって、その程度の罵倒は心地良いくらいなんだぜ?」
語彙が貧弱である。二歳児なので当然なんだけど。
しかし……たった二年しか生きてないんだから、もっと色々なことに興味を持ち瞳をキラキラさせて、馬鹿みたいにはしゃいでチュロスを貪ってもいいと思う。
「久しぶりに食べたけど、チュロスうめーな」
「……ハ、どうせ夢の国補正なのですよ。やたらお値段も高いのです」
「サービスに対する正当な対価だと思うけど……食わないの?」
「……いりません」
そーかなー? 食べたそうにしてるんだけどなー?
しかし、二歳児にチュロスとか食わせていいもんだろうか? アレルギーとかあったらマジでえらいことになる。
「ゆずっち、アレルギーとかあったっけ?」
「ありません。色々と色はおかしいですが、お姉ちゃんのように体は弱くないのです」
「色がおかしい? 灰色でもいいだろ、光加減によっちゃ銀色だし綺麗じゃん?」
「私は黒がいいのです! 変に思われたくないのです……」
なるほど、そういうことか。
でもまぁ……仕方ないような気もする。この子の親がまず変だし、兄弟も変だ。朱に交われば赤くなるのが当然の帰結なのである。
しかし、それを言えばお前が楽しくなさそうにやっているゲームのキャラクターも変な奴らばっかりなのだが、それはそれこれはこれなのだろう。
実に小賢しい。
この世界に、自分以上に特別な誰かなんていやしないってのに。
「今日は曇天だし、ちょっと肌寒いし、夢の国には珍しくちょいとしたシーズンオフでキャストの人たちもやる気なさげだからアトラクション乗り放題だぜ? ホテルには今度親御さんと一緒に行った時に泊まってくれ。ものすげぇ楽しいぞ」
「……アトラクションは苦手なのです」
「じゃあ、城行こうぜ、城。シンデレラストーリーの中心地の城。ガラス細工とかもあるし土産も買い放題だ」
「別にガラス細工とかに興味はありません」
「んじゃ、とりあえず一通り回って気に入ったものから制覇しよう」
「歩くのがしんどいので却下で」
「面倒な彼女かテメーは」
「誰が彼女ですか! 子供がみんなディズ●ーが好きだと思ったら大間違いですよ!」
「は? 夢の国舐めんなよ。大人も大好きだよ」
「その大人ってあなたのことですよね!?」
「ハハッ」
「うぬあああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!」
理性的とはいえ、ゆずっちは子供である。挑発に乗ってあっさりとキレた。
彼女は子供なので容赦がない。拳を握って僕のふとももを容赦なく殴りつけてきたが、残念ながら体格差は、彼女の怒りなどあっさりと粉砕してくれた。
暴力という場においては、体がでかい方が圧倒的に有利なのである。
「二歳児の幼女よ、大切な言葉を伝えよう。この国には『踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら踊らにゃ損』という言葉がある。冷めた目で眺めるのは誰にでもできる。どんなことでも馬鹿になって楽しんだ者勝ちという素晴らしい言葉だな」
「ママみたいな馬鹿にはなりたくないのです!」
「それは分かる。しかし、オメェのママは毎日が超楽しそうじゃん? あーゆー笑顔に惹かれて、オメェの親父はママと結婚したんだ。しかし、勘違いしてもらっちゃ困るが二人にとって一番大切なのはお前だ。本当は夢の国だってママやパパと一緒に来たかったんだろ? 重ねて勘違いしてもらっちゃ困るが、別に放っておかれたわけじゃねーぞ?」
「………………」
「二歳児にゃ、ちっとばかり難しい話かもしれねぇが、親になるってのはいつでも緊張するもんだ。一番大切だからミスりたくねぇ。子供には胸を張っていたいし、なるべくみっともないところは見せたくない。だから疲れちまう。今日だって、別にゆずっちをないがしろにしているわけじゃない。最強だってなんだって、毎日は走り続けられない。ちょっとだけでも息抜きがいるんだ」
「……そんなこと、分かっているのです。パパとママは忙しいし……」
「きみはじつにばかだな」
「なんですか唐突に!? あなたに言われたくないのです!」
「忙しいからなんだ? それで分かるのか? 物分かりのいいふりと良い子ごっこは心を痛めるからやめろ。本当はパパとママと一緒に来たいのですと言えばいいことだろ」
「……そんなこと」
「んじゃ、嘘でも僕に言わされたでもなんでもいい。他言も絶対にしねぇ。『本当はパパとママと一緒に夢の国に来たかったのです』と言ってみろ」
「………………」
ゆずっちは、口を真一文字に引き結んだ。とても悲しそうな顔をしていた。
嘘でも言えないし、僕に言わされたくもない……それは、本心だったからだろう。
当たり前の話をしよう。
理屈で納得できる子供は、世界中のどこにもいない。
今は僕の言葉が通じでいるからいいが、大抵の子供に言葉の理屈は通じない。彼ら彼女らにとっては『親といる時間=愛情』なのだ。
子供は獣で、一番欲しいのは側にいる誰かのぬくもりなのである。
彼女の顔は色々なことを我慢している子供の顔だった。親に嫌われたくなくて、わがままを我慢し続けている子供だった。聡くて賢い彼女は欲しい物を我慢していた。
馬鹿野郎である。子供はそんなものを我慢しなくてもいい。する必要はない。
大人こそ、親こそ我慢をするべきだ。それが産んだ者の責任なのだ。
とはいえ大人にも許容限度ってもんがあるし、たまには息抜きもしたい。だからこそ僕はお金をもらって雇われた。
というわけで……この場合の、僕が取るべき行動は。
ひょいっと、ゆずっちを抱きかかえた。
「ま、とりあえず、今日は僕に付き合え。行きたい所がないんだったら、僕が行きたい所にガンガン行ってもらおう」
「な、なに勝手に決めてやがるです! 離しやがれです!」
「はっはっは、僕は幼女趣味とかないから大丈夫。実は僕、夢の国は本当に久しぶりなんだよね。ゆずっちはどーせ何回か来てるんだろ?」
「来てますけども!」
「んじゃ、案内よろしく♪」
「よろしくじゃねーです! ばか! へんたい!」
子供が馬鹿を嫌がるのなら、僕の方が馬鹿になってしまえばいい。
聡い子供には楽しいことを腐るほど教えてやる。聡いだけではどうにもならない馬鹿がいることも教えてやる。
馬鹿になった方が楽なのだと、賢くなくても良い子じゃなくてもいいのだと、なんとしてでも教えてやる。
一日じゃ教えることなどできやしないが、精一杯教えてやる。
両親と引き離され、馬鹿と二人きりで夢の国を旅することになる、お姫様には考える間もないほど楽しんでいただく程度で、ちょうどいい。
子供の抗議は無視して、僕は夢の国を歩き出した。
『悪かったな……感情的になった。しかし、それならそれで言ってくれれば、私も大学を変えるとか就職するとか、色々できたんだぞ?』
『僕みたいなガキのために将来を棒に振るような真似をするんじゃないよ。そーゆーところが危なっかしいから、言うに言えなかったんじゃないか』
『そうだな……与一、お前の言う通りだ』
『……ごめん』
『いや、お前が奇妙なことを言い出すのは今に始まったことじゃないし……お前の気持ちが聞けただけでも御の字だ。正直、嫌われたと思ったからな』
『あの程度で嫌うんだったら、宴会でゲロぶちまけられた時に嫌ってるよ』
『そうだな。……よく考えたら、魑魅魍魎じみた変態性をいかんなく見せられているのになんで私はお前のことが好きなんだろうな……』
『ショタコンの上に傷跡マニアとかなんじゃない?』
『私を常軌を逸した変態にするな!』
そんな感じの……普段と変わらない、すっとぼけた会話があった。
心は痛い。痛くて重い。寂しいのは変わらない。それでも、言うだけは言った。自分の脆さと命の危うさを、彼女に向かってきちんと言った。
理解してもらえるとも、納得してもらえるとも思わなかったけど、言うだけ言った。
全部吐き出せとカイネにーちゃんは言った。
相手のことがどうでもいいなら愛想笑いで誤魔化せばいい。好きな相手を慮って本音を控えるのも大事なことだ。でも、今ここで、この場所で、覚悟を決めなければならない時があると、男なら言わねばならない気持ちがあるのだと……彼は真剣な顔で語った。
好きだからこそ、本当のことを言わねばならない時があると。
やるだけやって、玉砕しなければならない時が、必ず来るのだと。
「…………はぁ」
公園のベンチに腰掛けて、僕こと如月与一はコーヒーを飲んで息を吐いた。
今後は友達として付き合っていけばいい。そう思いながらも、今一番考えたくないことを、なんとなく呟いた。
「まぁ……姉御みたいに良い人なら、大学に行けば彼氏の一人や二人くらい、あっさりとできるんだろうね」
「いや、どうかな? 僕は延々とコッコさんのこと忘れられなかったぞ」
「……コッコさんが誰かとくっついてたらどうするつもりだったんだよ?」
「そりゃ仕方ない。断腸の思いで諦める……でも、今は僕のだからな!」
「はいはい」
僕は肩をすくめる。大人にしか見えない男が、彼女のことに関しては妙な独占欲を発揮している。それは……好きだから、なのだろう。
大好きだから、なのだろう。
子供っぽくて馬鹿みたいなところを見せても大丈夫だと、安心しているのだろう。
僕と同じように。
ふと、思ったことを、口にした。
「眼帯は、なんでコッコさんなんだ?」
「恩も恨みもたっぷりあって、好き合ったのはわりとつい最近で、それ以前は家族で、今後も家族として生きていきたいから……かな?」
「それは、どうやったらそう思えるようになるのさ?」
「へ?」
「いや……やっぱりいいや。変なこと言っちゃったな。忘れて」
人は、誰かを好きになる。
でも、僕と眼帯じゃやっぱりスタート地点が違うのだ。何事も最初と最後が肝心で、僕は最初で恵まれなかった。大切なモノを奪われてのスタートだった。
恨みは捨てられない。飢餓は忘れられない。寂しさを抱えて生きていく。
自分が幸せになれるだなんて、到底思えない。
『ところで、小僧。お前、女の子は好きか?』
にへへと笑って、彼は僕の頭を撫でた。
『僕は大好きだ。女の子は最高だな。おっぱいとかお尻とかもう最高過ぎる。僕の同僚に角の生えた魔神がいるんだが、アレとかもう本当に最高だぞ。ぷるんぷるんするんだ』
いきなりなんの話だと顔をしかめると、彼はあっけらかんと言った。
にやりと笑いながら、言った。
『お前は知ってると思うが、一度出力した感情は……思ったことはリセットできない。いいものはいいし悪い物は悪いし、むかついたり楽しんだり、そういったことはもう口に出しちまえ。胸に留めておくと溜まる一方だ。溜まると腐る。だから口に出せ』
そういえば、そうだった。
この宿の面子は、どいつもこいつもちゃんと、言いたいことを言っていた。
想いが拒否されても、決して屈さずにへらへら笑いながら、懲りもせずにああしたいこうしたいと言い続けていたような気がする。
屈さず、笑って、懲りず、柔らかく、言いたいことを言っていた。
息を吐く。虚空を見据えながら、口元を少しだけ緩めた。
「眼帯」
「ん?」
「ありがとう」
「え」
「僕はこの失恋を振り切れないかもしれないけど……振り切れないまま、どこかで脱落してしまうかもしれないけど、本当にいつもありがとう。気にかけてくれてありがとう」
「………………」
「僕は、眼帯やコッコさんみたいな大人になりたい」
叶わない願い。切なる思い。嫉妬は裏返しで、結局願望なのだと僕は知っている。
あの人のようになれない。だから妬む。
でも……なれくてもいいのだ。『なりたい』と願うことが一番大事だ。
できなくてもいい。それでも心に秘めるなにかがあれば、きっと立ち上がれる。
枯渇した心の中でも、灰にまみれた心の奥でも、種火さえあれば戦える。
失恋を振り切れないまま、立ち上がる。寂しくて苦しくて仕方がなかったけれど、今はなんとか……側に誰かがいるから、耐えられそうだった。
背伸びをして、息を吐いて、口元を緩めた。
「んじゃ、失恋記念にラーメンでも食いに行くか?」
「ラーメンは昼間しこたま食ったよ! 与一も見てただろ!?」
「僕の先輩は『ラーメンは常食だよ。これはもはや世界の常識だよ』と言っていた」
「その先輩は一刻も早く改善が必要だな! 間に合わなくなっても知らんぞ!」
「じゃあ、肉か魚」
「……回ってない寿司でも食う?」
「マジっすか眼帯サン!? いやホント、僕は眼帯のことやれる男だと思ってたよ!」
「厚い手の平返し、どうもありがとう! いや、本当はコッコさんと食いに行く予定だったんだけど……唐突に『ラーメンが食べたいです』とか言われてね」
「その時の気分で食いたいもの食った方がいいよ」
「僕は寿司が食べたかったです」
「それはその時に嫁に言いなよ……デート中に格好付けたかったのかなんなのかは知らないけどさ。まぁ、今日は僕が付き合ってやろう」
「奢られる側なのに態度でかいな!」
「お、土下座か? 少なくなってきたとはいえ、人通りのある公園で中学生に土下座の強要か? いいだろう、受けて立ってやる」
「俺と一緒にお寿司を食べに行こう、与一くん!」
「はーい」
素直に手を上げて、やけくそ気味に歩き出す眼帯についていく。
流れた涙を指で払い、口元をつり上げた。
黄金の時間は終わる。信じた仲間たちは、それぞれの道を歩き出した。
走る彼らにはついていけないけれど、それでも一歩ずつ。
ゆっくりと……歩いて行くことにした。
もちろん、全部丸ごと解決するわけもない。
しかし……物事は着実に、勝手に解決する。
山もなくオチもなく、知らない間にとんとん拍子ということが、人生には時々ある。
たっぷり一日デートを楽しんで、日も暮れて既に夜になっている。
ちょっとした用事が入ってしまった天弧さんと宿の入り口で別れ、私がデートを終えて帰宅すると、宿の入り口に設置してあるお客様専用のソファに誰かが腰掛けていた。
彼は女の子を抱きかかえていて、まるで家族サービス後のお父さんのように優しく抱きかかえながら、それでも疲労の色を隠そうともしていなかった。
「カイネさん?」
「……よぅ」
ぐったりとしたまま、それでも彼は片手を上げた。
口元を緩めて、少しだけ満足そうだった。
「お姫様のエスコートは失敗だった。こんな時間まで付き合わされるとはなぁ……」
「事案ですか?」
「事案じゃねぇし幼女趣味もねぇよ。僕は女性らしい女性が好きなんだよ」
「それってかなり悪趣味だと思うのですが……」
「否定はしないよ。男としては正直どうかと思うしな」
あっさりと肯定して、カイネさんは適当に手を振りながら、息を吐いた。
「今日の教訓は『大人は全力を出してはいけない』ってことだな。体が大きい分燃費が悪過ぎるし、新陳代謝も子供ほどよくないから容易く疲れが残る……明日、大丈夫かな」
「大丈夫には見えませんねぇ」
「仕方ない。仕事の効率を下げよう」
「いや、それは駄目なのでは?」
「仕事場の言うことばっかり聞いてたら、生活できねぇもん。テメェの職場環境が劣悪なのを棚に上げてこっちに責任押しつけてきやがる。体調管理とか知るかボケ。いつもいつでも最大効率を出して欲しいなら、休みと金を寄越せ。話はそれからだ」
「かなりお疲れですねぇ……」
「まぁ、子供に全力で付き合うとこんなもんッスよ」
職場に不満があるわけではなく、疲労が過ぎて八つ当たりしたいだけのようだった。
実際は、体調に合わせて適度に手を抜きながら、折り合いを付けているのだろう。
彼は仕事を最優先で行動するタイプの人間ではないけれど、自分の現在の体調を考慮して動けるタイプの人間である。
「で、デートはどうだった?」
「楽しかったです」
「そりゃ良かった。デートの距離感が合わずに別れちゃうカップルもいるからな」
「……体験談ですか?」
「そんな楽しい経験をしたことはねぇな。この宿によく泊まってる暗黒小僧からの聞きかじりだよ。さっき電話があって、つつがなく終わったそうだ」
「つつがなく……ですか」
本当にそんなことがあるのだろうかと、少しだけ懐疑的になる。
綺麗に終わるお付き合いなど、そうそうないのではないだろうか?
いや、経験値が極めて少ない私がそんなことを思うのもなんだし、私が引きずる性質なだけで綺麗さっぱり切り捨てられる人も、たくさんいる。
けれど……与一くんは、私と同じく延々引きずる人だろうから。
「まぁ、口喧嘩程度で済んで御の字だ。よくやった。大したもんだ」
「それは『つつがなく』とは言いませんよね!?」
「は? 男女のもつれが綺麗に終わるわけないだろ。小僧が引きずるんだから、その相手も延々と引きずれよ。女は上書きとはよく言ったもんだが、容易く上書きされてもそれはそれで困るんだよ。自分の傷は見つめて見つめて見つめ尽くして、その上できっちり飲み込んでもらわないと次にその女と付き合うことになる奴が不幸になるだろ。私は悪くないじゃ同じことを繰り返すだけだ。せめて『あの時はあれが精一杯だった。しゃーない。でもあいつも絶対に悪かった。次の私は上手くやってくれるでしょう』くらいにしてもらわないとな」
「……ぐっ」
心当たりがある。ものすごくある。私も立ち直るのに時間がかかった。
傷を見つめて、認めて、彼に謝るまですごく時間がかかった。
言いたいことを言えるようになるまで、ずっと塞ぎこんでいた。
「大人げないとは言うが、子供なら大人げなくて当然。心は誤魔化さず痛めて覚えろ」
「それ、結構どころかかなり辛いですよね……」
「人間ってのはなんでも程々に痛めておくのがいいのさ。子供は回復力も早いからな。アフターケアはもちろん大事だが」
「そうですかねぇ……」
「なにより、大人になってから痛めたらぼっきり折れてしまうからな!」
「はうっ!?」
痛い! 心が痛い! トラウマを丸々刺激されているようで、ものすごく辛い!
自業自得だからこそ、乗り越えてはいるけれども、それでも痛々しい!
カイネさんは肩をすくめて、ゆっくりと息を吐いた。
「まぁ、小僧みたいに痛めた箇所が膿んで根腐れ起こしてる稀有な場合もあるが、今は性根のひねくれた変なのが五人も付いているしなんとかなるだろ」
「性根のひねくれたって……知ってるんですか?」
「なんか根に持たれてる。定期的にダンジョンにやって来てるあいつらを第一階層で追い返しているんだが、そのせいかな?」
「………………」
そりゃ、根に持たれるだろう。彼女達が望んでいるのは与一くんの全快だ。
この宿の近くにあるアトラクションこと『ダンジョン』は、色々な呼び名がある。なんでも第五階層を突破して門を開けると、願いが叶うらしい。
私の叶えたい願い事はダンジョンでは叶わないので、さっさと引き返したけど。
「アンタはもう一度、ダンジョンに挑んだりしないのか?」
「や、個人的にはあんまり面白くないアトラクションだったもので……」
「毎度思うが、アンタは眼帯の母親よりよっぽど化け物だ」
「失礼な。こう見えても色々と焦っている三十路間近の女なのですよ? ただ、焦ったところで今更周回遅れが取り戻せるわけでもなし、それなら寄り道しながら、目の前に転がっている『やらなければならないこと』を一つずつ片付けた方がいいと思いまして」
「……そーゆーところが化け物だと言ってるんだがね、僕は」
「まぁ、野望も願いもありますが、それは『願い事が叶う』では解決できませんし」
「ちなみに、どんな願い事なのさ?」
「真っ当な人間を十人くらい育成することですね」
「………………」
カイネさんは笑っているような、泣いているような、なんだかよく分からない微妙な表情を浮かべ、眠っている二歳児を抱き上げた。
そして、私の方に差し出した。
特に意識はせず、私は彼女の体を受け取る。その体はやっぱり重かった。
「んじゃ、あとはよろしく。僕はもう帰って寝る。疲れた」
「はい。お疲れ様です」
「これだけやって報酬はメルアドと小銭とか、ホント子守は割に合わねぇわ」
そんなことをぼやきながら、ふらふらとおぼつかない足取りで彼は宿を出て行った。
子供子供と連呼するわりには、彼も十分に若いように見える。
しかし……彼はたぶん、分かっている。
どんなに自分が情けない『子供』だろうとも、与一くんや天弧さんの妹さんから見れば自分は『大人』に見えている。
それが分かっていたから、ささやかな見栄を張ったのだろう。
男の子のように。
「その見栄とお人好しは、後々ボディブローのように効いてくる気がしますが……」
まぁ、それこそ世話になった私が言えたことじゃない。
私は彼のことがあまり好きではないけれど。
それでも、この恩は、楽しかった一日を提供してくれたお礼は、いつかしよう。
いつかどこかで返してやろう。そんなことを思いながら、少女を抱き上げる。
「やっぱり重いですねぇ……」
些細なことかもしれないけど、自分で決めた『願い』の重さを噛み締めながら、彼女を起こさないようにゆっくりと、宿に戻ることにした。
三年後、少年は知る。
黄金を忘れられず歩みを止めた少女と、一歩ずつでも歩みを続けた己の在り方を。
十五年後、青年は知る。
一つの恋慕を胸に己を焼き続けた少女と、己がここに在り生まれた理由を。
私達の知らない世界。関われない物語。ご近所の誰かの物語。
炎のように燃え、水のように流れ、鋼のように鍛つ。
これは、二人の男の物語の、しょうもない発端である。
なんかいつの間にか更新停止から一年経って大変申し訳ないことを(ry
が、今回の更新が終わったら、またダンジョンの方に戻りますww