第十一話:メイド、休暇を取る。
モンハン4発売&夏に夏らしいことができなかった記念。
あと、本当は登場させる予定がなかった奴が登場していますが、やり過ぎた
ツケは大抵後払いになので、仕方ないねww
有休消化します。黒霧冥。
黒霧冥は、遊びを知らない女である。
真面目な仕事と少々遊びの入った生活態度。仕事人としてはまぁまぁ理想的な心の在り方ではあるが、休日の使い方というものをいまいち知らない。
誰かが暇していれば、誰かと一緒に遊ぶことくらいはする。
しかし、独りになると、困り果てて部屋の掃除かゲームを始めてしまう女だった。
『三日くらい休暇取ったんだけど、どうしようか?』
『海にでも行けばいいんじゃねーの? 暖かい地域ならまだ泳げるだろ、たぶん』
数少ない男友達にメールで聞いたところ、そんな感じの返信が届いたので、少しだけ困りながらも海に行くことにした。
輝く白い砂浜。
煌めく青い海。
寄せては返すさざ波。
頬を撫でる潮風が心地良い。
なるほど、人のアドバイスにも従ってみるものだと、冥は少しだけ感心した。
「与一もたまには役に立つってことかな?」
「……おい……おい、駄メイド」
「んー?」
振り返ると、そこには頬を引きつらせ額に青筋を浮かべた少年が立っている。
成長期前で身長は低い。上半身は傷だらけでわりと痛々しいが、傷の程度で言えば彼ほど派手ではないにしろ冥にも細かい傷は無数にあるので気にならない。
真っ黒な目が特徴的。頭には熊を乗せていた。
「うん、とりあえず言わせろ。……色々と違うよなァ!?」
「なにが?」
「なにがじゃねーよ!? ここにいるのは、本来なら眼帯であって僕じゃねーだろ! しかもなんで姉貴と五月まで引きつれてんの!? 肩身が狭過ぎるんだけどっ!?」
「こらこら、お兄ちゃん。スポンサー様になんてことを言うのよ」
「全く。与一は全くだな。……あ、今日は本当にありがとうございます。見ての通りウチの弟は出無精で空気読み過ぎの馬鹿なもので」
「姉貴も五月も一旦散ってくれ! 話がややこしくなるから!」
「はいはい、お兄ちゃんはホント面倒くさいよね」
「そのうちハゲるぞ」
「この程度のストレスでハゲるかぁ! 頭髪気にしてる人に謝れ!」
与一が砂を蹴り飛ばすと、彼の姉と妹は肩をすくめながら海に飛び込んでいった。
その様子は実に楽しそうだ。家ではわりとギスギスしているのが嘘のように。
肩で息を吐いてその様子を見ていた与一は、不意に溜息を吐いた。
「こーゆーのは女友達とやれよ。僕を強制拉致すんなよ」
「そう言いながら胸はガン見してるじゃん!」
「胸をガン見しないと写メが撮れないだろーが。とりあえず、真っ先にコッコさんに送信しておいたから。眼帯は後で直接頼んでご覧ください」
「与一は山口さんにだけ異様に甘い気がする!」
「あの人の暴力性は眼帯にのみ発揮されるから、わりと話しやすいんだよ」
などと、ヘタレ……というより、暴力を忌避している少年は笑いながら語る。
その笑顔を見つつ、冥はなんとなく溜息を吐いた。
「まぁ……女友達もいるけどね、中途半端な時期だしみんな忙しいし、彼氏いる子は彼氏と行ったらしいし、彼氏いない子とは喧嘩友達って感じだから」
「宿でなんかあったのか?」
「与一が心配するようなことはなにもないよ」
「んじゃ、冥自身になんかあったんだな。先に言っておくけど、そりゃ仕方ねぇよ。人間だもん。一度出力した感情ってのはっうおおおおおおおおおおおおおぉぉぉっ!?」
喋っている途中で、海に投げ込まれた。
盛大に水柱が上がり、キラキラと水滴が光を反射して、綺麗だった。
「なにすんじゃー!」
「くっくっく、今の私は余計な詮索や説教を聞く気分じゃないと思いなさい! っていうか、旅費やらなにやら全部私持ちなんだから、素直に楽しめこの野郎!」
「海水浴はほとんど行ったことねーんだよ! どうやって楽しめってんだ!?」
「とりあえず、焼きモロコシ買って来て。四人分ね♪」
「……姉貴は焼きモロコシ苦手だから、焼きイカでいいか?」
「身内の好みは完全把握か……相変わらず女子力高いね!」
「うるせー!」
ひったくるように紙幣を受け取りつつ、与一は律義に屋台へと向かう。
中学生三人を引きつれて、わざわざ少しお高めの海水浴にやって来る十九歳。
「まぁ……私は舞ちゃんと違って、あんまり友達いないしね」
ほんの少しだけ物悲しさを感じたりはしたが、それでも冥はそこそこ楽しかった。
某月某日、冥さんが家出をして与一君から連絡が来た。
正確には家出じゃなくて、有給休暇申請を出してひょっこり旅に出たと形容すべきなのかもしれないけど、いつもニコニコ働いてた子がなんの前触れもなく休暇を取ったりしたら、心配するのは当然のことだ。
「天弧さん、なにをやらかしたんですか?」
「いや……それが、今回に限っては全く身に覚えがない。有休は友達と一緒に旅行にでも行くのかなって思って、美里も僕もサクッと許可出しちゃったんだけど……」
「じゃあ、なんで与一君から『アホメイドが僕を拉致。海水浴中なう。さっさと引き取りに来てください』みたいなメールが届くんですかね?」
「あの野郎、僕のメイドに懐かれ過ぎじゃね?」
与一君をあの野郎と言い放つ天弧さんの口調には、少々以上の嫉妬が入っていた。
コブラツイスト(手加減)をかけられながらも、主張すべきことは主張する。それが私の相方兼ご主人様の良い所である。
「というか、与一は真っ先に僕にメールをすべきじゃないか? 冥は僕のなんだしさ」
「天弧さんは時々凄まじい独占欲を発揮しますよね……。まぁ、多分いつも通り、色々慮ってのことじゃないですか? 与一君には、冥さんがなんでそういう行動に走ったのかとか色々全部分かってて、あえて私にメールを送ってきたような気がします」
「……実は、母さんじゃなくて与一がラスボスなんじゃないかな?」
「人生にはラスボスなんていう都合の良い存在はいません」
強いて挙げれば、私のラスボスは天弧さんだ。
この男、愛の囁き的な行為で私のライフを激減させてくるので要注意なのである。
「で、本当に心当たりはないんですか?」
「んー……ないなぁ。無意識に冥の嫌なことやっちゃったのかもしれないけど、そういう時はちゃんと言ってくれるはず……それとも、言えないことでもあったのかな?」
「まぁ、深読みし過ぎるとドツボにはまったりするのでなんとも言えませんが……」
その辺は冥さんにしか分からない事情なのだろう。
写メールを見ながら、なんとなく溜息を吐いた。
「海かぁ……」
「今から行こう痛いっ!?」
「天弧さんは無駄に行動力があり過ぎです」
普段から多少は鍛えているし、仕事で動いているので、今すぐ水着を着ても……多分、恐らく、きっと……大丈夫だとは思うけど、二十八歳にもなろうという女が簡単に水着を用意できると思ったら大間違いだ。
それこそ、水着選びだけで一日仕事になるだろう。
私の携帯電話に届いた写メールを苦々しく見つめて、天弧さんは溜息を吐いた。
「与一め……仮に、もしも僕のメイドに日焼け止めとか塗ってたら、次回宿泊時に割増料金にしてくれるぜ」
「仕返しがせこい上に根暗過ぎます」
「海かぁ……なんかこう、自分以外の誰かが楽しそうにしてると、異様に行きたくなるよね。行ったら行ったで大したことなかったりするし砂が鬱陶しかったり日焼けでヒリヒリして、結局プールでいいよねって結論になっちゃうんだけどさ」
「海で着る水着の方が露出が多いかもしれませんよ?」
「………………」
いつになく真剣な顔で悩む天弧さんだった。ちょっと可愛い。
個人的にはこれくらい素直で単純な方が、人生は楽しめると思う。
夏だから。格好良いお兄ちゃんが、可愛いお姉ちゃんが海岸にいるから。その程度の理由で海に行きたいと思う。人間はそれくらい単純でいいんだと思う。
天弧さんは溜息を吐いて、ちらりと私の方を見た。
「……まぁ、誰かと行かないと面白くもなんともないしね」
「負け惜しみっぽいですねぇ」
「海行きたい」
「本音が出ちゃいましたね。でも、今日から三日は仕事が少し詰まっています。冥さんが調整してくれたので、天弧さんが手伝ってくれればなんとでもなりそうですが」
「レポートを提出して少し休めるかと思ったらお仕事です! いいけどね!」
「とりあえず、庭の草むしりと倉庫整理お願いします」
「そして軽やかに押し付けられる意外とキツい雑用! 鬼! 悪魔! コッコさん!」
「お昼ご飯はちょっと美味しいものでも食べましょうか?」
「昼飯ごときで懐柔される僕だと思ったら大間違いだぜ?」
「京子さんがBBQの用意をしています」
「……ちょっと夏っぽいね。じゃあ、少しだけ頑張るかぁ」
「落ち着いたら私も手伝いに行きますので、それまでの辛抱です」
「いや、いいよ。二人きりになると、なんやかんやで仕事にならないかも分からないし、とりあえず一人でやってみる」
さりげなく恐ろしい言葉を残して、天弧さんは虫よけスプレーとカマを手に、軍手をはめて庭に向かった。
気温がちょっと高めなので、後で冷たい飲み物を差し入れしておこう。
「……今日も暑くなりますかねぇ」
眩しい太陽をちらりと見つめて、休暇を取得した冥さんを思う。
冥さんが天弧さんになにも告げずに休暇を取得するのは、極めて珍しいというより今回が初めてかもしれない。
なんとなく、理由の方は薄々察しはついているけど、その『理由』と戦うのは冥さん自身であって、私が口を出すようなことじゃないのだろう。
「海かぁ……ほんのちょっとだけ、実は行きたくなかったりしますが……」
海には少しだけほろ苦い思い出がある。
最初で最後の社員旅行は、無人島だった。
その無人島で三行半を突きつけられて、結局私は全部台無しにした。
ちょっとだけ、今でも後悔していて……海やリゾート地と聞くと、自分の犯した過ちを思い出して、少しだけ死にたくなる。
繰り返す罪と罰。仮に許してくれたとしても、私は私をあんまり許したくはない。
「……まぁ、一緒に行きたい人が忙しい以上、私が行く理由はありませんしね」
ただ……一番の理由はやっぱり彼だったりする。
昔を思い出し、ちらりと草刈りをする天弧さんの姿を見て、ほんの少しだけ口元を緩めてから、いつも通りに仕事に取りかかることにした。
如月与一は疲労の極みにあった。
冥と姉妹海に幾度となく放り込まれ、全力で遊ばれた結果、昼には体力を使い果たすという男の子としてはわりと情けないことになっていた。
ピーチパラソルの日陰で、レジャーシートに疲労困憊で寝転ぶ与一を見て、彼の姉である如月水瀬と、妹である如月五月は、にやにやと意地悪っぽく笑っている。
「お兄ちゃん、体力ないよね」
「与一だからな。仕方ないと言えば仕方ない」
「オメーらが冥と一緒になって海に放り込むからだろうが。……っていうかさぁ、家じゃギスギスしてるくせに、僕をいぢめる時だけ結託するのはやめてくんねぇかな?」
「利害の一致だな。まぁ、それはともかく、お詫びに昼飯は私達が買って来てやろう。ざっと見た感じだと焼きそばとか美味しそうだった」
「豚汁か立ち食いそばのテイクアウト」
「砂浜で汁物って、チョイスに悪意が感じられるぞっ!?」
「ウチらの兄貴は全く退かない媚びない省みないよねぇ」
そんな風に、兄妹で漫才を繰り広げている所を見て、冥は少しだけ口元を緩める。
三人の様子を見てて、なんとなく自分の弟のことを思い出した。
(そういえば、陸の奴最近どうしてるかな……便りがないのは良い便りって言うけど)
きっと尻に敷かれているのだろう。それだけは確信しているが。
そんなことを思っていると、不意に与一は口を開いた。
「なぁ、クッソ下らないこと聞いていいか?」
「ん?」
「同じ男を姉妹で共有して、その上で仲良くしていられる秘訣ってなんだ?」
「強いて挙げるなら……嫁の我慢かな?」
「………………」
「ウチのご主人様はマジでさいきょーですよ。ホント」
冗談めかしつつ言ったが、与一は絶句しているようだった。
肩をすくめて、冥は言葉を続けた。
「まぁ、世界は意外と広いから、与一の目の前にもそーゆー人が現れるよ、きっと」
「ねーよ。夢見過ぎだ。良い女は良い男に引き取られる。逆もまた然り。それが現実だ。ちなみに僕は一夫多妻制あるいは一妻多夫制を推奨している。人生に余裕のある奴はハーレムエンドかつ人生ハードモードでゆっくり死ね」
「あ、それは完全にブーメランだね。このハーレム野郎!」
「人間関係が面倒になるだけの、誘蛾灯みたいなモテ方は正直御免こうむる!」
「モテるっていう自覚はあるとか……いやらしい」
「僕が異形で誘蛾灯みたいなもんだって、あの宿は痛烈に自覚させふへぃ」
痛みを与えない程度に、冥は与一の頬を引っ張った。
「せっかくの海なんだからネガティブ発言は禁止します。これはスポンサーからの要望であり命令です。破ったら海岸に捨て置いちゃうぞ?」
「……馬鹿な。ネガティブ発言を禁止されたら、僕のアイデンティティが……」
「この際だから、少しはポジティブになる練習をしなさい!」
「女の子の水着サイコー! イェーイ!」
「そーゆーはっちゃけ方じゃなくて!」
「いや、でも、僕が宿を訪れる原因になったチームのメンバーのテンションって、男女問わず大体こんな感じだったし。大人しそうな奴も大体むっつりスケベだったし」
「人間は大体スケベだけど……どんな人たちだったのよ?」
「えっと、強運のリーダーと、背がやたら高くて兄弟の多い可愛いお姉ちゃんと、ラーメンが好き過ぎる腐女子ヒーラーと、空気の読めるむっつりスケベのエスパーと、いざとなったら人殺しも辞さないねーちゃん。ちなみに全員高校生」
「……その面子での与一の立ち位置が分からないんだけど」
「主に強ツッコミ。全員が全員、僕とは積んでるエンジンが違う連中ばっかりでさ、行動力がすげぇのなんの。……チーム解散まで付き合えたのが不思議なくらいだよ」
真っ黒い目に浮かんだのは、凄まじい量の寂寥と、わずかばかりの満足感。そして有り余るほどの後悔。
その後悔は、冥にも覚えがあった。
楽しい日々の終わり、自分の力不足が招いたこと。あの時の自分ではどうにもならなかったことではあるけれど、それでも後悔だけは今も残っている。
与一の瞳に浮かんだ後悔は一瞬で消えて、彼は年齢にそぐわない苦笑を浮かべた。
くたびれた、大人のような笑い方だった。
「そういえば、僕が海に来る時はいつも強制拉致だ。家族旅行は無理矢理だし、チームの海水浴の時も無理矢理だったし……今もそうだし……ちょっとびっくりだな」
「嫌だった?」
「いや、全然。おっぱいは偉大だね」
「妙なオチを付けるんじゃねー! あと、ガン見すんな!」
「なにを言う。僕ですらそうなんだから、あの澄ました顔の眼帯が冥の水着姿を見たくないわけがない。次は彼氏を誘って二人きりで海に行け。多分っつうか絶対喜ぶぞ」
「与一の頭の上の神様も大喜びだもんね。昨日は熊さんだけだったのに、今日は頭の上がすし詰め状態だし」
「背筋が寒くなるからそういうことは言うな!」
年上であるはずの冥を指差して、きっぱりと言い放つ与一だった。
(物怖じしないよね……こういう所がツッコミとして重用されてたんじゃないかな)
どちらかというとボケる側に回る冥にとっては、打てば響く、きっちり丁寧に切り返してくれるというのは、なかなかに心地良い距離感である。
ただし、その不用意に距離感を詰めようとすると、逃げられる。
家に迷い込んできた野良猫のように丁寧な対応が求められるのだと、冥の同僚である山口コッコは言っていた。
『与一君は有体に言えば臆病者です。しかし、暴力から逃げることも許されず、相手の顔色を伺いご機嫌を取ることでしか生きる術がなかった少年に『勇敢であれ』なんてのは、ただの言葉の暴力でしかないでしょう。そういう男の子を相手にする時は、警戒心を与えないように時間をかけて付き合うのが一番です。与一君は猫ではないので最終手段《最大限のコミュ力で相手の事情お構いなしにガンガン突っ込んで有耶無耶のうちに仲良くなる》が使えないことはないですけど、根暗な私にはちょっと厳しいですね』
根暗な私という表現に凄まじい違和感を感じたが、そこはスルーした。
(根暗に関しては私も相当の自信があるんですけどね……山口さん)
少しだけ息を吐いて海を見る。
気晴らしをするために海に来て、遊んでかなり気は晴れたものの、少しだけ重い。
気持ちが、少しだけ重い。
「サラサラ」
「っ……なんで胸の谷間に砂を流し込むのかなっ!?」
「馬鹿面晒して、柄にもなく悩んでるからそうなる。もうちょっとで姉貴達が戻ってくるから、飯でも食って落ち着いてろ」
「馬鹿面って……私にだって、悩みくらいあるし……」
「悩むのは腹いっぱい飯食って、また海で泳いで遊び倒してからでも遅くないだろ。悩まない人間はクソだけど、悩むと幸せになるためのエネルギーを使うんだ。だったら、今は食って遊んで目いっぱいエネルギーを補充してから使った方が有意義ってもんだろ?」
「与一からポジティブな言葉がっ!? 嵐が来て有休が台無しになっちゃうっ!」
「安心しろ、受け売りだ。僕からポジティブな言葉が出てくるわけねーだろ」
「受け売りって確実に悪影響に見えるけど……誰からの受け売りよ?」
「如月家じゃ情は血よりも濃い。僕に悪影響を与えているのは、最も身近な存在だと知るといいんだぜ」
与一が指差した方向を見ると、与一の姉と妹が屋台の前で睨み合っていた。
店員が割って入ることもできないほどの険悪な空気を放つ二人は、なにやらネチネチと陰険な口論を繰り広げているようだった。
「……あれはなにがどうなって、ああなったの?」
「姉貴と五月は仲が悪い。外面を飾って仲がいいふりくらいはするけどね。普通に仲が良いそっちが羨ましいよ」
「まぁ、私も舞ちゃんも喧嘩くらいはするけど」
「弟さんもいるんだよな?」
「うん。……陸っていってね、今は彼女さんとラブラブしてるんじゃないかな……」
口元を緩めながら、冥は自慢に思っている弟のことを語る。
日差しは強いが潮風は心地良い。昼食にはもう少し時間がかかりそうなので、世間話で暇を潰すことにした。
与一は姉と妹に時折視線をやりながら、冥の話を聞いていた。
極々普通に、自然で、当たり前な、穏やかな時間だった。
「調理場のコンロで肉と野菜を焼いて、俺の部屋に持ちこんで食べるとか……いくらなんでも風情がないにも程度ってもんがあると思うんだよ!」
「宿には私達以外にもお客様がいるので、煙が出る行為は控えないと」
「……宿から少し離れた所に川もあるのに……」
「蚊に食われるので却下で」
串に刺したピーマンを頬張りつつ、天弧さんは珍しく文句を言っていた。
気持ちは分からなくもない。分からなくもないけれど……さすがに宿の近場でバーベキューは煙が出るのでお客様に迷惑がかかる可能性があるし、水場のある所は蚊が出る。
ちなみに、こうなることが分かっていたので京子さんと美里と舞さんは外食した。
天弧さんの面倒な部分を、私に押し付けて逃げたと表現してもいい。
この男、風情とか行事にやたらこだわるのだ。
「まぁまぁ、天弧さんの好きな白いご飯もありますし、調味料も付け放題ですよ?」
「それはつまり普通のご飯ってことだよね?」
「ビールが美味しいメニューです!」
「下戸にそういうこと言われても困るだけだからな。晩酌の楽しみとか語られても、殺意が沸きこそすれ、同意は全くできないから」
どうやら、本日はちょっとだけやさぐれている。少し不機嫌らしい。
あるいは……不機嫌の原因は別の所にあるのかもしれないけど。
「冥さんは引きこもりがちな中学生を連れて海に行っただけなんですから、そんなに心配しなくても……与一君のお姉さんと妹さんも一緒だそうですし」
「心配はしてないよ。僕も遊びに行きたかったでござるってだけで」
「世界で一番暇な生き物、大学生に言われるとちょっとイラッときますね」
「いや、暇じゃないから。暇な時間は営業とかその辺に使ってるから。宿の管理は美里や冥に丸投げしてるけど、その分客足が途絶えないように努力してるから」
「定期的に与一君を招いてるのも、その一環ですか?」
「半分くらいはね。残りの半分は……まぁ、僕が与一と話したいってだけなんだけど」
「天弧さんも懐き過ぎだと思います」
私が嫉妬してしまう程度に懐くのは心の底からどうかと思う。
私の抗議の視線を察したのか、天弧さんは目を逸らした。
「まぁ、俺に男友達が少ないっていうのもあるけど、なんか話しやすいんだよな」
「特に女性関係のトークに話が弾んでいるようで……」
「……な、なんで分かったのかな?」
「あからさまにデートのバリエーションが増えてますもん。天弧さんの趣味じゃなさそうなお店とかにも連れて行ってくれるようになりましたし。前のイベントの時とか」
「あれかぁ……うん、あれね」
思い切り溜息を吐く天弧さんの表情は、なんとなく憂鬱そうだった。
ちなみに連れて行ってもらった場所はお酒の祭典。入場券兼試飲用の五百円の茶碗を購入し、あちこち試飲して気に入ったらお酒を買う……という、イベントだ。
天弧さんは絶対に近寄りたくないイベントだろう。
「友樹や陸君に相談した時は悪くないって言われたデートプランを、与一にちょっと見せたら『格好付け男の典型的な見栄っ張りデートだな』って一蹴されて……」
「十四歳中学二年生にデートプランを完全否定される二十歳……萌えますね」
「言わないで心がすごく痛い」
「意外と楽しいですけどね、見栄っ張りデート」
「見栄っ張りデートって言わないで!」
記念日的なデートの場合、天弧さんはちゃんとプランを考えてくる人なんだけど、こっちの気まぐれで予定を変えられて慌てる天弧さんを見るのは、結構楽しい。
串に刺さったタマネギを頬張りつつ、私は口元を緩める。
「まぁ、それはそれとして今週末はどうします? 午後から時間は空いてますよね?」
「……こ、今週末は、ちょっと……ご予定があるというか、なんというか?」
「えいっ!」
「うおおおおおおおおおおおっ!?」
天弧さんの顔の横に鉄串が突き刺さる。食事中のマナーとしては最低だけど、私の心の中はマナーなどゴミに捨てる程度には怒り心頭なのだった。
「全く、全くですよ、全く。コッコさん激おこぷんぷん丸ですよ。そーゆーご予定があるんだったら真っ先に言えって言ってるじゃないですか。今週末は休みだと思って、それを楽しみに頑張ったのに『やっぱり今週末もシフト入ってくれないかしら?』って、美里に言われた人の気持ちを考えたことがあるんですか?」
「そこで断れないあたりがコッコさんらしいけどね……」
「天弧さん、仕事以外の交友関係狭いし、大学も成績ぼちぼちサークル無所属で、格好付け以外にやることないはずですから、基本的に暇だと思うんですけどねぇ?」
「辛辣ゥ!」
「ちなみに、冥さんを迎えに行くんだったら午後六時くらいがベストです」
「……ばればれなのは今に始まったことじゃないけど、どうして六時なのさ?」
「さてさて、なぜでしょうか?」
質問を質問で返すのは良くないと学校の先生も教えてくれるけど、私はそもそも学校という施設のお世話になったことはほとんどないし、目の前にいるのは天弧さんだ。
私の家族だから、ほんの少しだけ意地悪をする。
天弧さんは少しだけ目を細めて、それから口元を緩めた。
「分かった。理由を聞きたければ『納得』させろってことだな? 確かに、最近はちょっと構ってる時間がなかったしな。たまには奉仕活動も悪くなさそうだ」
「え……いや、そこまで気合いを入れられると逆に引いてしまうのですが……」
「遠慮しなくてもいいよ」
天弧さんは、意地悪100%の、良い笑顔で。
「水着は何着か選んであるから」
季節のイベントに拘る彼らしく――にっこりと笑いながらそんなことを言った。
他人から見た時の僕――如月与一の話をしよう。
恐らく、僕は大層嫌な奴なのだと思う。正確には『都合が悪い奴』だろうか。
僕は典型的な『できない』人間だ。あれもこれもそれも、人並みにできたことは一度もない。コンプレックスまみれで、それを払拭することすらできない。
できないと思い込んでいる……そう教え込まれた。子供の頃に、徹底的に。
絶対に消えない傷跡を、刻み付けられた。
でも、それは誰も彼もが同じなのだろうと、内心では分かっている。
有体に言えば、僕が一人で勝手に思い込んでいるだけ。独りで勝手に思い込んで傷付いてイライラして……辛くて悲しくて寂しいだけなのだ。
分かっていても、そこだけはどうにもならない。
刻み付けられた経験値を、払拭できない。
自分を傷つけた誰かを許すことも、それでいいんだと割り切ることもできない。
だからこそ、僕は『都合の悪い奴』なのだ。
誰だって、楽しくて愉快でお金持ちで、きちんとしてて好感が持てる人物が好きに決まっている。……そういう、誰にとっても都合の良い人間が好かれる。
余裕がある人間がいつだって好かれる。
「…………はぁ」
感じた疲労感を押し殺し、溜息を吐いて目を少し閉じる。
冥に拉致されて海に来て二日目の夜。つまり、明日には帰れる。
冥には本当に心底悪いと思うけど……二泊三日という日程はそこそこキツい。姉貴と五月と同室というのもキツいし、女三人に男一人というのも、キツい。
コミュニケーションの一環だとは思うけど、姉妹喧嘩を止めるのも面倒だ。
自宅じゃその辺はお袋がなんやかんや、僕の心に支障がない程度に『優しく』どうこうしてくれるのだけど、見てて冷や冷やする。
「要は慣れだって……あんなもん、絶対に嘘だよな」
こっそり買ったビールを口に運びながら、重く熱い溜息を吐いた。
……さっさと寝ちまおうか。
そんなことを思っていると、ガチャリというドアが開く音が響いた。
振り返ると、そこには風呂上りの浴衣姿の冥がペットボトル片手に立っていた。
「お、ビール飲んでる。この不良め」
「冥こそ十九歳なんだから酒くらい飲んでおけよ。なんでオレンジジュースなんだよ」
「我が家は酒飲みが多いからね。ちょっと自重してるの」
言いながら、冥はペットボトルのジュースを美味しそうに飲んだ。
半分ほど飲んだところで、冥は口元を緩めた。
「なんか陰鬱になりそうな、つまんないこと考えてたでしょ?」
「癖というより、生き様みたいなもんだからね。ポジティブになれたことなんてほとんどないし……最近は少しだけ楽だけどさ」
頭の上の神様のおかげで、ほんのちょっぴり、楽になった。
疲労感が少しだけ軽くなって、多少前向きになって、眠る時間が少し減った。だからといって、なにかが変わるわけじゃないけれど。
ビールを飲みながら、ちらりと冥の方を見て、口を開いた。
「で、海水浴は楽しかったか?」
「うん、結構楽しかったよ。海で泳ぐのはこれが初めてだったけど、いいもんだね」
「…………え? 初めてだったの?」
「正確には海辺で遊ぶのはこれが初めてだったかな。訓練の時に行った海は沖の方で二十キロくらいの重りを背負っての遠足だったし。波の上って走りにくいんだよね」
「………………」
違う世界観の話がポロッと出てきた。
いや……いくらなんでも嘘だろ? 嘘だよね? 嘘に聞こえないけどさ。
筋肉至上主義の親父殿や姉貴なら食いつきそうな話だったけど、僕は少し引いたので話題を少し逸らすことにした。。
「なにそれ? 冥って忍者かなんかだったの?」
「忍者じゃなくてメイドだよ。……まぁ、色々あってね。生い立ちやら背景事情やら努力の痕跡やら、その他諸々。色々と与一には負けてないよ?」
「へー」
「ものすごく興味なさそうっ!?」
「そーゆーのを気にするのは、冥自身か眼帯だけで充分だろ。十歩譲って黒ねーさんを筆頭に宿の面子だけでいい」
「実は私、学校とか行ったことありません!」
「無理に関心を引こうとするんじゃねーよ!」
正直ショッキングなカミングアウトだったけど、気にしていても仕方がない。
あの眼帯の嫁だし、それくらいはアリなんじゃないだろうかとも思うし。
「ま、私のことはともかく……与一は楽しかった?」
「あんまり楽しくはない。疲れたし眠いし、今こうしてる間にも眼帯が乗り込んでくるんじゃないかと気が気じゃないんでね」
「……ホント、色々無意味なこと気にし過ぎじゃない?」
「いや、この三日で冥の様子を探ってくるメールが三十通くらい送られてきたし」
「私のご主人様は粘着質♪」
「ラノベのタイトル風に言ってるけど、ストーカー気質の嫌な男だからな、それ。彼氏だとしても独占欲丸出しで普通に気持ち悪いから」
実際気持ち悪いので冥の水着姿を写メで送って黙らせた。一日目と二日目で違う水着を着ていたけど、それはそれであとで個人的に見せてもらえと付け加えておく。
しかしまぁ、付き合えば付き合うほど身内に甘い野郎だと実感する。敵もそれなりに多いけど、あいつの場合は敵に立ち向かう意志がある。
怯えているだけの僕とは違って。
冥の様子を探りつつ『俺も遊びたい』という意図が見え隠れしているのは……とりあえず見て見ぬふりをしておこう。あいつにはなるべく姉貴を紹介したくない。
「五月ちゃんはいいの?」
「人の心を読むんじゃねぇよ。……まぁ、ウチの妹は良くも悪くも普通の女の子って感じだからな。嘘も吐くし男を見る目は厳しいから、眼帯のことは眼中にないだろう」
「普通の女の子ねぇ……舞ちゃんと引き分けた子が普通とは思えないけど」
「僕に言わせりゃ、冥を含めたあの宿の人連中や、僕の頭の上にいる神様も含めて全員普通だよ。変わっているのは少し臆病ですごく優しい所だな。良くも悪くもお人好しだ」
「学校行ってなくても、普通?」
「当たり前だろ。冥は学校行ってなくてもメイドで、それが普通なんだよ」
「……与一は、女を駄目にする男ね」
「なんで気休めに対して凄まじい暴言が返ってくるんですかねぇ……」
照れたのかもしれないけど、その辺はわりとどうでもいい。
僕が欠伸をして重い息を吐くと、冥は口元を緩めていた。
「与一」
「ん?」
「今度はご主人様と一緒に与一の地元に行くから、エスコートよろしく♪」
「ラブホなら駅前に腐るほどあるから、好きなの使えば?」
「ボケを放り投げるんじゃありません! 与一と違って、私はラブホとか入ったこともないわよ!」
「中学生男子に向かってなんつーこと言うんだ! 僕もねーよ! 普通にねーよ!」
僕がラブホに入ったことがあることを前提にするのはやめていただきたい。
……気が付いたらラブホの一室にいたとか、そういうのはノーカウントだし。
勘繰られても困るので、さっさと話題を変えることにした。
「あ、土産は梨本さん手製の燻製ものとかでいいや。あと日本酒のいいやつ」
「中学生の要望とは思えないほどのオッサンくささ! しかも地味に難易度が高い!」
「まぁ……手土産なんて正直要らんけどな。遊びに来たいなら、いつでも好きな時に好きに来ればいいさ。友達の家に遊びに行くのは、普通だし」
「普通かな?」
「僕と冥の年齢を考えると友達ってのは普通じゃないかもしれんけど、友達なんて概念は当人同士で勝手に決めたらいいものだから、別に友達でもいいんじゃねーの?」
「……与一はやっぱり女の子を駄目にするタイプの男だね」
「なんで普通のことを言っただけなのに、暴言が返ってくるんだろうなァ!?」
「ご主人様ほどじゃないけどね」
「うん! そうだね!」
思わず、本当は人のことは言えないにも関わらず、大きく深く頷いてしまった。
眼帯ほど駄目人間とは思われていない事実が少しだけ嬉しい自分が、恥ずかしい。
頬が紅潮していたが、ビールを一口飲んで誤魔化した。
にやにやと、冥が楽しそうに笑っているのがものすげぇイラッとした。
「ところで与一クン」
「……なんだよ」
「友達らしく提案をしたいんだけど、与一って恋話とかできる男の子?」
「は?」
「いやぁ、私って初恋が成就しちゃったタイプだし、学校とかも行ってないからそーゆーありきたりなイベントにちょっと憧れててね?」
「………………」
中学生に恋愛の引き出しを求めるのはどうかと思ったけど、確かになくはない。
僕としてはあまり語りたくない思い出ばかりだが、そういうことなら別にいい。
「あんまり期待すんなよ? その辺の携帯小説の方が絶対に面白いと思うし」
「携帯小説レベルの奇をてらった恋愛トークとかは普通に嫌だよ……」
「そりゃそうだ」
納得しつつ、口元を緩めて、ビールを飲んでから思い出す。
楽しくて苦しく、おかしくて悲しい。
寂しくて寂しくて仕方がない、飢え渇き独りで佇んでいた僕が、独りじゃなかったあの瞬間。
「僕の初恋は近所のばーちゃんだったんだけど……次の恋愛ってのがさ……」
その瞬間を少しだけ切り取って、ほんの少しだけ脚色を加えて。
友達と、友達らしく、恋愛トークで盛り上がることにした。
「と、まぁそんな感じでリフレッシュしてきました」
「楽しかった?」
「まぁ、とんとんってところですね。お金の出費は少々痛かったです」
車を運転しながら、天弧は冥の話を聞いていた。
海に行きたい衝動やらフラストレーションは山口コッコを水着にしたり、色々したりで発散していたが、結局大学をサボって冥を迎えに行った。
(……また舞や美里に怒られるなぁ。単位は足りてるから大丈夫だとは思うけど)
そう思ったが、後悔はしていない。
車の運転に集中しているので、冥の顔を見ることはできないが、声の様子から楽しかったであろうことだけは、容易に伝わってきた。
「ところで、今回の海水浴にはなにか意味があったりする?」
「特にありません。リゾート地の旅館がどんな雰囲気なのか見に行った程度ですね。仕事一割、気分転換九割ってところでしょうか。お土産も買いましたし、満足です」
「……今度は二人でどっか行こうか?」
「そうですね。人が多い、いかにも観光地って所に行きましょう」
「いや、そうじゃなくて! 今度は二人きりで海とかさ!」
「私は海に行きましたもん。っていうか、プールで十分じゃないんですか?」
「僕の悪影響がこんな所に!」
自業自得はまさにこのことである。天弧は自分のしでかしたことを嘆きながらも、赤信号でブレーキを踏んだ。
「そういえばさ……与一を無理矢理連れて行ったのは、なんで?」
「ん? おやおや? 嫉妬ですか?」
「はっはっは……中二に嫉妬なんてそんな……ねぇ? 冥の水着の写メが送りつけられて『二着目は個人的に頼んで見せてもらえ』とか書かれてた時は殺そうと思ったけど」
「与一には自分の尻拭いをさせただけですよ。自業自得です」
「……自業自得?」
「私の方が役立ってるのに舞ちゃんの方が先なのかぁとか、思っちゃったんですよね」
「………………」
天弧は思い切り口元を引きつらせて、目を逸らした。
恐らく冥はにやにやと意地悪っぽく笑っているのが雰囲気で伝わってきた。怒ってはいないようだが、なにか含む所はあるような、そんな空気である。
苦笑を浮かべる気配と共に、冥は言った。
「だからまぁ、発端を作った奴に鬱憤晴らしと気分転換に付き合ってもらうことにしたんですよ。全部お見通しって感じでしたけどね」
「………………」
「私もあそこまで嫉妬するとは正直思ってなかったんですけど……こればっかりは仕方ないって与一も言ってました。一度思ったことは取り消せないそうなので」
思ったことは取り消せない。けれど、誤魔化すことはできる。
人はそれを気分転換という。
苦しくて辛いことばかりでは疲れてしまうから、誤魔化すのだ。
「誰のせいでもありません。疲れている時ほど魔が差すとお姉さまも言っていました。海に行った感想は『楽しかったけどやっぱり家が一番』ですし、指輪に関しても舞ちゃんは贈り物とか拒否する派だから、あれで良かったんだなと今なら素直に思えます」
「……そっか」
「だから、ご主人様が心配することはないんですよ? そもそも私はメイドですから、話を聞いていただけるだけで十分なのです」
「うん、分かってるよ」
そう言いながら、天弧はハンドルを切った。宿とは逆方向の道で少しだけ遠回りすることになるが、むしろそれがいいと思った。
「あのさ、冥」
「なんでしょう?」
「せっかくだし、ちょっとお茶して帰ろう」
「ほほぅ、小規模なデートですね? それなら、与一に教えてもらったアホみたいに高いコーヒーショップに寄ってもらいましょうか?」
「……い、いいだろう。好きなモノを奢ってやろう! なんでも言うがいいさ!」
「冗談ですよ。ご主人様のお財布の中身は知っています。庶民の私達は、B級グルメを提供してくれるお店のチープなソフトクリームあたりがお似合いです」
「いや、それならそれでスタバとかでいいんじゃない?」
「B級グルメ感溢れる、チープな感じのソフトクリームが無性に食べたいです」
「はいはい」
微苦笑を浮かべながら、天弧はアクセルを踏み込む。
遠慮したのではなく、冥は本心で言っている。ごちゃごちゃした注文と、そもそもコーヒーがあまり得意ではないことを、天弧は知っていた。
共感し、分かり合えることを、素直に嬉しいと思った。
「冥」
「なんでしょうか?」
「色々、迷惑とか心配とか、嫉妬とか……負担かけちゃってごめんね」
「いつものことです」
「いつものことでもさ……やっぱり、冥のことが好きだから、気になるよ」
「心配しなくても、大丈夫ですよ」
冥はそう言って、にっこりと笑う。
助手席から手を伸ばして、ハンドルを握る天弧の手をそっと握った。
運転の支障にならない程度に、それでも己の想いを伝えるために。
メイドは、己の誇りを口にした。
「あなたがあなたである限り、私はあなただけのメイドです。だから大丈夫ですよ」
お話は綺麗にまとまる。
物語は綺麗に〆る。
あいつらの物語は、いつもいつでもそんな感じなのだろう。
「与一、玄関先で寝るな」
「………………」
「仕方ないな……おい、五月。手伝え」
「ウチのお兄ちゃんは虚弱だよね」
頑張っているから綺麗に〆る。努力しているから楽しく終わる。笑って済まされる。
少なくとも、立ち上がれないほどに疲労し、玄関先で眠りに落ちつつある僕よりは。
泥のように眠ろうとしている、僕よりは。
姉貴と妹に抱えられ、部屋のベッドに寝かされる、僕よりは。
「……………あぁ」
眠い眠い眠い眠い眠い眠い眠い眠い眠い眠い眠い眠い眠い眠い眠い眠い眠い眠い。
疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた疲れた。
友達のために二泊三日付き合ってみたけど、やっぱり駄目だった。
楽しいのは最初だけで、途中からはずっと家に帰りたかった。いつも通りに、体を蝕む疲労が精神を侵食していくのがよく分かった。
全身を受けとめてくれる布団の感触が心地いい。
足を焼くような砂浜。
広いだけの塩辛い海。
海を楽しむ人間の耳障りな歓声。
潮風で髪はべたべただ。
自業自得なのは分かっている。
やっぱり、僕がやったことは要らないことだったのだろう。僕がやったことが発端ではあったけれど、あの連中はあの連中だけで完結しているのだから……要らないんだ。
けしかけなくても、いつか眼帯は黒ねーさんに指輪を贈ったし。
どうせそのうち、冥は嫉妬で海にでもなんでも行ったのだろう。
僕がやったことは、全部要らないことだ。
柄にもなく友達をからかったりしたから、連休は潰れるし、疲労は蓄積した。
行かなきゃよかった。
「…………はぁ」
と、まぁ……ここまでが『疲労』が見せる幻覚だ。
敏腕のメイドの心を容赦なく弱らせ、思わず気分転換に誘う、人類の敵だ。
人は大抵のことに慣れる。もちろん慢性的な疲労にも慣れる。しかし、疲労に慣れた人間の末路はロクなもんじゃない。疲労はありとあらゆる余裕を奪う。
人間には余裕が必要だ。余裕がなければ生きていけない。
幸せになるためのエネルギー……それが余裕だ。
過度の疲労は、余裕を失わせ、人間をおかしくする。
「まぁ……アレだ。疲れたけどね……」
うとうととしながら、僕は呟くように言った。
恐らく、それだけは確かな事実だったから。
「楽しかったよ……たぶんね」
明日から、来週から辛くなってしまうだろうけど。誰かと海で遊ぶのは楽しかった。
とてもとても疲れたけど、楽しかった。
そう思いながら眠りに付く。意識はあっという間に闇に溶けて消えた。
僕はメイドじゃないから、大丈夫とは言い切れない。
それでも、気分転換はできたから、精一杯休んでからまた少しだけ頑張ろう。
そんな風に、思った。
というわけで、冥ちゃんパート終了。順番的に次回は京子さん(予定)。
予定は未定だし不定期更新だ。気が向いた時にパチパチ描いているけど、
この話自体四カ月ぶりの更新だということを忘れてはいけない。
短くてもいいから、一月に一つくらいは小説投稿したいねぇ(願望)。