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第九話:大した理由はありません(後編)

前書きとか考えた奴は爆発四散しろ。

ここの隙間に文字を埋めるのにどんだけ苦心すると思ってんだ。

もういい! 俺はウォーキングに行くぞ! こんな場所にはいられるか!


描いてる時に聞いてたBGM『拍手喝采歌合』。

刀語の再放送新OPになります。

 実際の所、大した話じゃないんです。

 嘘じゃありませんが、信じなくても構いません。





 ピョンピョン跳ねた髪、ふっくらとした横顔、大きな目とそばかす。額に三日月の痣。実家が農作業やら養蜂やらやっているせいで体格はしっかりしている。何が可愛いって笑顔が可愛い。背は僕より低い。ぱっと見では分からないけど、胸は結構大きい。

 純朴といえば純朴。純粋といえば純粋。ある意味、とてもしっかりしている。

 月乃輪薄紅姫こと、紅ちゃんは、そういう女の子である。

「………………」

「………………」

 そういう女の子だが、虫の居所が凄まじく悪いらしく、現在沈黙中なのだった。

 紅ちゃんに連れて来られたのは、手入れの行き届いた日本家屋だった。ぽつりぽつりと聞いた話を繋ぎ合わせると、紅ちゃんのお婆ちゃんが元々住んでいた家らしく、今は空き家になっているのだとか。

 紅ちゃんはお婆ちゃん子だったらしく、彼女が亡くなった後も、時々空き家に手を入れているらしい。

「紅ちゃん、お茶もう一杯もらうね」

「…………うん」

 番茶をカップに煎れ、冷ましながら飲む。

 女の子が塞ぎこむほど落ち込んでいたら、どうしたらいいでしょうか?

 古代から現代に至るまで、男の前に立ち塞がる命題ではある。女性なら後ろから抱き締めるなりなんなり、様々な回答が用意されているんだろうけど……残念ながら、僕は男なので、手を握っておくくらいしかできない。

 他人なら『拗ねてんじゃねーよクソが。死ね』くらいは言えるけど、紅ちゃんを他人だと思うことは絶対にできないので、こうやって気休め程度に手を繋ぐ。

 神様はどうか知らないけど、人は勝手に立ち上がる。

「……うしっ!」

 自分の中のなにかと折り合いをつけたのか、紅ちゃんは両の頬を思い切り叩いた。

 息を吐き、苦笑を浮かべて、それでも笑った。

「なんつーか……悪がったな。気ぃ使わせちまってよ」

「なにかあったの? って、まぁ、大体言わなくても分かるけどさ……」

「おっとうと喧嘩しちまってな……正直、オラも勘当は覚悟の上だったから、その辺は仕方ねぇべって思ってたんだけどな。おっかぁと叔母上様ともう一人の叔母上様と伯母上様と、大ばーちゃんがすげぇ剣幕でおっとうと衝突しててな……」

「何それ怖い。どういう勢力図なのさ?」

「おっとうが孤軍奮闘して孤立してる感じだべな……」

 それは駄目だなァ。勝ち目なしだと思う。四方八方からフルボッコじゃんか。

 思ったことが顔に出たのか、紅ちゃんは苦笑を浮かべた。

「与一はあんまり好ましく思わねかもしれねけど……月乃輪の家は縁故をとても大切に思っててなぁ、おっとうも昔の恩人に報いるために結婚さ反対してる所があるんだ。でも、与一はおっかあ達にすげぇ気に入られてっから……それでなぁ」

「気に入られる要素あったっけ?」

「オラにもよぐ分がんねぇけど……おっかぁも叔母上様ももう一人の叔母上様も伯母上様もばーちゃんも大ばーちゃんも『男さ選ぶ時は格好付けてなくて偉ぶってなくて、醜女(しこめ)でも可愛がってくれる優しい男を選べ』って、口を揃えて言ってるしなぁ」

「紅ちゃんの家に醜女は一人もいねーよ? ああいうのは愛嬌があると言うんだ」

「そーゆー所が、与一の良い所で悪い所でもあるさ。女子を容易く褒めたらいかん」

「褒める人は選んでるよ。紅ちゃんの家の……ほら……えっと、あのクソババァとかさ、ちゃんと貶したじゃん。僕は香水臭い女とか苦手だから」

「あれは肝が冷えたぞ……あの人に意見できるの、大ばーちゃんくらいだもの」

「自分の家のルールが、他人に適用できると思ってるしみったれた根性見せつけてくれちゃったもんだから……つい、ね。僕がこんだけ気を使って毎日生活してるのに、好き放題生きやがってこの野郎絶対に許さんと思ったのも事実だけどな」

「……与一は意外と毒舌だべなぁ」

「共同生活というか、同居というか、同棲しなきゃいけないんだから、多少は本性を出していかないとへこたれちゃうじゃん? ちなみに僕は根暗で底意地が悪い上にかなりエロいぜ! 今からでもやめておいた方が無難だと思うんだぜ!」

「知ってるし、今更だべ」

「あれェ? エロは隠しておいたつもりなんだけどなぁ……」

 おかしいなぁ。どこでバレたんだろうか?

 眼帯みたいに寝てる間におっぱい揉んだことはないし(冤罪)、頭の上におっぱい乗せて悦に浸ったりもしないし(梨本さんの甘え行為)、黒ねーさんのスカートを無意味に引っ張ったりもしないし(眼帯の甘え行為)、コッコさんを膝に乗せたりもしない(笑)。

 むしろ、今まで結構我慢してきた方だと自負している。

「与一は……なんつーか……雰囲気がエロいべ」

「雰囲気かぁ。絶対に気を付けようがない方向から攻めて来たな」

「あと、詳しぐは言わねけど、無防備過ぎて誘ってるんじゃねーかと思ったもん。他の連中も似たり寄ったりだったんじゃねーが?」

「…………むぅ」

 誘っているつもりはない。……が、後半はテキトー過ぎたのも認めるしかない。

 風呂上りで『頭拭いて』とかは、さすがに甘え過ぎだったような気がする。

 わりと寛大な心で応対してくれちゃうもんだから、どの辺までOKなのか試してみたくなったのも事実だけど……そういうテキトーさが今の事態を招いているのだろう。

 まぁ、仕方ない。自分が招いたことだ。

「それにしても、紅ちゃんがみづちから僕を強奪とか、すごく大胆なことするとは思わなかったな。僕、すげぇびっくりしちゃったよ」

「ん? 昔の女を根まで叩くのは普通だべ?」

「昔の女じゃないし……いや、うん、その辺についてはもうなんも言えんけどさ……普通でもないッスよ?」

「性根の優しい男はモテるから、昔の女は叩いて叩いて根まで叩かねば駄目だとみんな言うてたべ。おっかぁも叔母上様ももう一人の叔母上様も伯母上様もばーちゃんも大ばーちゃんもみんな言うておったし、オラもそう思う」

「………………」

 僕は目を逸らした。僕の立場ではなにも言えない。好き勝手やれと言った手前、相手を敵対勢力だとみなして滅ぼしにかかるのも、傍観しなきゃいかんのだ。

 強奪される立場としては、その程度の腹は括っている。

「与一。なして頭さ撫でる?」

「罪悪感っていうのは理屈じゃないんだ。僕のせいで誰かに迷惑かかってると思うとプレッシャーがやばい。ヘタレと言われようが腹括ってねぇと言われようがね、僕が弱いって事実までは変えられないんだよ。だから僕は紅ちゃんの頭を撫でる。安心するからね」

「……ふんっ」

 足を払われ、体が空中で一回転した。景色がぐるりと回り、訳が分からなくなる。

 このまま地面に叩きつけられるのかなぁと思ったけど、次の瞬間には柔らかいものに顔を埋める羽目になった。

 ……やたら良い匂いだけど……いやちょっと待て。

 恐る恐る顔を上げると、紅ちゃんの顔がすぐ近くにあって、すげぇビビった。

「与一は時々訳の分からんこと言うげっちょ、大体これで解決するな」

「……いや、こういう力技は嫌いじゃないけど、さすがに恥ずかしい……」

「与一はオラのもんだ。誰にも文句は言わせねぇ」

「…………むぐぐ」

 頭を抱えるように抱き締められて、僕はちょっと幸せかつ息苦しかった。

 わしゃわしゃと頭を撫でられると脳髄が溶けそうになる。なにも考えたくなくなる。つまり単純に、僕が心の底から渇望しているのはこういうことなのだなぁと、他人事のように考えて、ゆっくりと息を吸って、吐いた。

 誰かに独占されるというのは……わりと嬉しい。

 と、僕がぼんやりと思いを巡らせていると、不意にぐぅとお腹が鳴った。

「……そういえば、朝からなんにも食べてないや」

「ん、じゃあ、肉と野菜があっがら、それで鍋でも作るべさ」

「肉って僕が食える肉かな?」

「猪肉だども、食ったことあっか? 豚と比べると癖が強いけども……」

「うん……あるある。美味いよね、猪」

「んじゃ、ちょっくら作ってくるがらちょいと待っててけれ」

 そう言い残して、紅ちゃんは台所に向かった。

 その後ろ姿を見送って、ゆっくりと息を吐く。少しだけ胸が痛んだが気にしない。

 付き合いそうになっていた彼女とその仲間たちと、一緒に猪肉を頬張ったことは、もう過去のことだ。だから気にしない。今の状況とは全く関係ないから、気にしない。

 気にしないと言い聞かせている時点で、気に留めてしまっているけれど。

「……にんげーん、失格ゥ……っと」

 心の痛みを無視して立ち上がる。というか……他の女性の家で、過去の恋愛話を思い出して悶絶している(気絶はしないため誤用)時点で、色々と駄目だろう。

 気を落ち着けるためにトイレに向かう。トイレは素晴らし場所だ。誰からも邪魔されずに独りになれる場所だし、排尿も排便もできて心も落ち着く。

 小学校の頃にうんこマンと言って笑っていた奴は、トイレの神様に謝罪するべきだ。

「ん?」

 不意に、足元に違和感を覚える。

 ぐにゅりというかぶにゅりというか……板でも畳でもない、なにかを踏んだ感触。

 凄まじい不快感が背筋を貫く。恐る恐る下を見ると、なにやら『泥』のような灰色のなにかに、僕は足を突っ込んでいた。

「……こういう不快な真似を平気でするよな……あいつは」

 溜息を吐く。次の瞬間、僕は泥の中に全身を引きずり込まれていた。

 女の子から手料理を振舞われるといったイベントをスルーし、貧乏くじは、神から神へと、流動していくのだった。



 邪悪なる彼女はトランプを丁寧にめくっていく。

 手札遊戯。ただのお遊び。ババ抜きにジジ抜きにポーカーにブラックジャック。七並べに大富豪。スピードに神経衰弱。幾多の遊びを繰り広げ、全てに『敗北』していた。

 私と天弧さんが全戦全勝だった。

 もちろん、これは遊興遊戯の類なので、彼女は黒い空間を解除したりはしない。

 しかし、それにしても……あまりにも弱過ぎる。

「運というものは、基本的には人によって総量が決まっているのさ……と、嘯いたりはしないよ。単純に君達の日頃の行いがいいからだろう。私はニートだからな」

「仕事しろ」

「なら、履歴書を出さずに済んで、定時に帰れるデスクワークを寄越せ」

「そんな都合の良いモノがあるわきゃねぇだろ」

 また天弧さんの勝ちだった。トランプからUNOに変えても結果は同じだった。

 さすがに眉をひそめて、天弧さんは言う。

「さっきから負け過ぎだろ……わざとやってないか?」

「君がそういう技巧やイカサマを持っているからといって、他人がそうであるとは限らない。私には本当にこの黒い世界しかないんだよ、高倉天弧」

 再びトランプに戻して、今度はポーカー。

 天弧さんはフルハウスで、彼女はブタ……つまり、役なしだった。

「ところで、高倉天弧。私の好きな漫画にめ●かボックスというものがあるんだが、知っているかな?」

「あんまり詳しくないけど、主人公より人気があるキャラがいるのは知ってる」

「そのキャラは非常に悲惨な人でね……私は、確実にアレよりはましだと思っている。というか……あそこに出てくるほぼ全てのキャラより、私は確実に幸福だよ」

 今度はブラックジャック。天弧さんは17という微妙な数字で、彼女は22だった。

 バーストで彼女の負け。16で6を引くというかなり微妙な負け方だった。

「逆に、君はどうなんだろうな? 高倉天弧」

「僕は幸せだよ。みんながいるからな」

「逆を返すとみんながいないと幸福ではないんだよ、高倉天弧」

 すぐに決着が付く勝負に飽きたのか、彼女は将棋盤を引っ張り出した。

 悔しくもなさそうな顔をしているけど……実は悔しかったりするんだろうか?

「具体的に言えば、嫁に先立たれたら折れてしまう幸福さで……強さだと私は思う」

「そういうことは老後に考えるようにしてるから、今は知らんな」

「なら、君は『嫁に捨てられるかもしれない』と……一度でも考えたことはないと?」

「何千回何万回と考えてるな。その度に死にたくなる」

 天弧さんは居飛車で穴熊。彼女の方は振り飛車で美濃囲い。

 どちらも防御を固めてから攻撃するあたり、似た者同士かもしれない。どちらにしても指し手としては向いてないしあまり強くはないけれど。

 彼女が先に仕掛けた。

「だから、君は与一に優しいんだろうね。……気持ちが分かるから」

「それ以前に、あいつは滅茶苦茶気が回るというか、人の距離感を分かり切ってる奴だからな。なんとなく構いたくなるんだよ……昔の俺と似てるとは、思わんがね」

 仕掛けられたまま、天弧さんは桂馬を打ち込む。

 彼女は盤を見つめて口元を緩めた。

「まぁ、似てはいないね。与一はなんていうかこう……聡くて賢明だ。馬鹿な方が楽なのにね」

「馬鹿だって良いこともあれば悪いこともある。一長一短だろ?」

「ところがどっこい、私達『俗悪使い』に限っては、馬鹿の方が有利なのさ。王手」

「同金」

「同香成。さて、ここからの狙いは当然分かってるよね?」

「いや、さすがに桂打ちからの即詰みとか、分かり切ってるもん聞かれても……」

「あ、そんなのあったんだ。そういうわけで飛車はいただきだ。へっへっへ」

「………………」

 あ、ちょっとイラッとしてる。天弧さんがペースを乱されるのも珍しい。

 肩をすくめて、邪悪な彼女は口元を緩める。

「このようにね……私は『俗悪使い』には馬鹿であることを推奨している」

「いや、今のは確実に見逃してただろ」

「それが一番良いのさ。天然で馬鹿やれればそれが一番良い。……ちなみに高倉天弧、君は与一と将棋を指したことは? 知能ゲームでもなんでもいいけどさ」

「あー……楽しく遊ぶ程度かな? 将棋だけはなんか強いイメージがあるけど」

「将棋だけは実家の方で親父さんがそこそこ指すらしいから、その影響だろうね……まぁまぁ、良い傾向だね。与一も随分と成長したと見える。素晴らしいことだ」

「……どういう意味だよ? 与一が手ェ抜いてるとか、そういうことか?」

「そういうことでは、ありません」

 奪われた飛車が天弧さんの陣に打たれる。天弧さんは表情を変えずに銀を打った。

 すかさず、彼女は意味がなさそうな歩を進めた。

「私は勝負事には一切手は抜かない。一切手は抜かず、心に留めるなと教えているんだよ。真剣以上に真剣に戦い、勝負に固執するな。勝つな負けるな。結果だけを受け止めて勝ち気も負けん気を起こすな。遊興でも真剣勝負でも、それは全て同じことだ。勝ち負けは、その場限りのものでいい。悔しいことは悔しいままで……諦めろ、とね」

「負けん気を起こすなって……真剣にやりゃ、悔しいし負けたくないだろ?」

「悔しいから相手を負かしてやろう。負けたくない。勝ちたい。相手の上に立ちたい。その気持ちはね、その渇望はね……私達には邪魔なんだよ」

 天弧さんは飛車を端に寄せる。端攻めで相手の穴熊を切り崩すようだ。

 彼女はまたも意味のなさそうな歩を進めた。

「負けてはならない戦い。逃げてはいけない局面。……高倉天弧。君は逃げなかった人間だろう。負けても立ち上がり戦って来たのだろう。けれどもね、立ち上がれない人間はどうすればいいのだろうね?」

 自陣に歩が差し込まれると同時に、彼女は銀を打ち込んだ。

 天弧さんの表情が一瞬で曇る。

 歩ののっそりとした進行は無駄ではなく、無駄に見えた二手は必殺の手だった。

「私達『俗悪使い』は常に恐怖している。恐怖とは克服するモノだ。しかしね……長年恐怖と寄り添った結果、自分自身が恐怖になってしまったのさ。自分が怖くて他人も怖い。なにもかも全部が怖いから『克服』もへったくれもない。絶対的に精神的な弱者。プラスでもマイナスでもないしゼロでも平等でもない。……ただ、弱いだけさ」

 銀は食われるまま、桂馬で金を蚕食し、角を成歩で食い散らかす。

 自陣に打たれた銀も、歩を冷静に打ち込んで受けて、飛車を龍に変じる。

 この時点で、趨勢は完全に決まった。

「……むぅ……ないか。投了だ」

「投了? なに寝言言ってんだよ、高倉天弧」

「は?」

「お前さぁ、JOJOとか読んだことある? 俗悪使いは全員必読するように推奨してるんだけど……私達はね、特に第4部のラスボスに共感しちまうんだよね」

 金を打ち込む。完全に王は詰んでいる。それにも関わらず、彼女は金を打った。

「誰にもバレずに猟奇殺人してーっていう……サイテーなクズ野郎がラスボスだ。第1の能力も第2の能力も第3の能力も、全部『立ち向かうこと』じゃなく『心穏やかに生活すること』に特化してんだぜ? だから滅茶苦茶強い。オクヤス君が起き上がるまで、マジで勝負がどこに転がるか分からんかったもんな。……ほら、お前の手番だ。指せよ」

「いや、だから降参だって……」

「降参は認めないと言ったらどうするんだ? 弱者は敵に容赦がないのが常だぜ?」

「投了はちゃんとルールブックに書かれてるぜ」

「ルール? 知るかよ。あんなもん公式が言ってるだけだろ。私の将棋は相手の首を取るまでが将棋だ」

「確実に嫌がらせじゃねぇか!」

「うん」

 王を放置して、龍は周囲の駒を食い始める。

「弱いから敵は徹底的に叩く。弱いから弱点から攻める。立ち上がれないように徹底的に叩いて潰す。そこまでする理由は『怖い』からだ。負かした敵が復讐に来るだなんて、怖くて怖くてたまらない。だから徹底的に潰す。……お前さぁ、今までそーゆー敵に当たったことねぇの? あるよな? だって世の中なんて弱者の方が多いもん。女のいじめとか弱者の典型だぜ。でも、あいつらって『暴力』までは完全度外視でさぁ、無視されたり陰口叩かれたりしてイラってきたから、ちょっと顔面にぐーパンした程度で泣き叫びやがんの。マジ受けるんですけどー」

「いや……笑えないし。暴力はさすがにどうよ?」

「覚悟のない奴が陰口を叩くからそうなるんだよ。敵を攻撃するなら、自分も攻撃されるかもしれない。そんな当然のことが分からないから私が親切で教えてやったんだ。……ああ、例えば、お前の在籍する大学で『黒ねーさん』とお前の仲を快く思わない奴もいるんだよね。あのミニスカ、大学内じゃわりと人気あるんだぜ?」

「なんで今そんな話をっ……っていうか、お前後輩かよっ!?」

「全部嘘だばーかばーか。私がお前みたいなアホと接点があるわけねーだろ。そもそも私は中卒だよ。キャンパスライフを満喫する奴は、全員爆破死ね」

「………………」

 あ、滅茶苦茶ムカついてる。

 凄まじくテキトーなことを言うわりには、彼女の言葉は的確に急所を突いてくる。

 天弧さんの表情を見て満足そうに彼女は、にんまりと笑う。

「私達『俗悪使い』は密なメール交換を推奨しています。お前らの嬉し恥ずかしエピソードとかも、与一を通じて結構な数を知っちゃってるんだぜ? リア充爆死ね」

「……そうか。今俺はお前に対して結構な殺意を抱いちゃってるんだぜ?」

「遊びにムキになるなよ。ガキか」

 そう言って、ひょいっと王将を取って、彼女は駒を片付け始めた。

 天弧さんはマジギレ寸前だった。頬が思い切り引きつっていた。

「で……あんたはこの空間から、俺たちを出してくれるのか?」

「外の様子にもよるけど、出してあげるよ。私がトリガーを引いたわけじゃないし、私が尻拭いをするわけじゃない。……あ、救助は期待しないで。あるとしたら五月ちゃんと相対してる『黒ねーさん』だけよ。忍者だろうが雑魚だろうが『俗悪使い』は撤退や勝利を許すほど、甘くない。制限時間が来れば別だけどね」

 言いながら、彼女はにやりと笑う。

 邪悪に満ちた悪意しか見えない、嫌らしい笑顔だった。

「だから、あんたはあたしと延々遊んでくれりゃいいのよ。あんたがイライラした分だけ私は幸せになれる。幸せそうにしている奴の不幸は、甘露だもの」

「最低の発想だな……与一の師匠とはとても思えないぜ」

「そうね。でも、最低でも最悪でも、立ち上がれなくても、私達は生きるのよ」

 道化師のように、大げさに肩をすくめて、それでも彼女は笑う。

 今にも泣きそうな顔で、笑っていた。

「私達は、油臭く真っ黒に汚れたコールタールの底で寄り添うの。立ち上がる手足なんてないけれど……それでも、黒いモノを分かち合って生きるのよ」

 花札を叩きつけて、彼女は笑った。

 今にも泣きそうな顔のまま、私と天弧さんを嘲笑うように、笑っていた。



 茶色をベースに黒の斑が散った髪の毛。長さは肩を少し過ぎたくらい。

 背丈は全員の中で一番高い。細い手足と体。運動音痴で機敏さはない。

 胸は大きくもなく小さくもなく。ありなしのはっきりしている神様界隈において、理想的な中途半端さというのはある意味珍しいかもしれない。素晴らしい。

 見る人が見れば美人の部類に入るのだろうが、僕は瞳が渦を巻いているような女性を美人だとは思わない。時折渦がハートマークになったりもする。

 美人ではないけど……可愛いとは、思う。

 渦巻毎々。彼女の名前だ。

「で……この気持ち悪い空間はどこなんだよ?」

「んーとねー……私のお腹の中……かな~?」

 間延びした口調で、わりとキッツいことを、彼女は平気な顔で言ってのける。

 僕とは似て非なる混沌属性なだけはある。

「くっくっく、私は小娘どもとは違うからねー……こーゆーことも考えて、この半月の間与一きゅんのアレと戦いつつ、準備を整えていたのさ! お腹の中とは言えここはもう別世界。結界24層、空力変心炉3基、不随蟲と魍魎数十体、無数のトラップ、廊下の一部は蝕界化させ、侵入者を引きずり込んで栄養源にするからね~! 並の神格者なら、挑んだだけで廃人にする自信が満載だよ~!」

「与一きゅん言うな凍えるほどキモい……あと、結界24層は死亡フラグなんだよなぁ」

「なにそれ?」

「いや、こっちの話」

 マジでこっちの話である。金髪碧眼の無駄に高スペックな人が、チョイと無残な死に方をしたアニメを見ただけで、別に結界24層がどうこうというわけではない。

 まぁ、魔術工房(笑)はともかくとして。

「で……毎々。お前もかよ。僕に興味なさそうにしてたじゃん?」

「興味~? うん……正直今もあるかないかって言われると……ないけども~」

「ねぇんなら解放しろよ! お前のことは個人的には大好きだけど、さすがに好意も興味もねぇ奴にどうこうされたくねぇぞ!」

「失礼な。好意はちゃんとあります~……絶対に渡したくない程度の好意はね?」

「う………ん?」

 不意に、毎々の目が怪しく輝く。

 渦がぐるりとハートマークに歪んだ。……そんな気がした。

 毎々にあるまじき俊敏さで、彼女は僕の背後に回り込んで、後ろから抱き締めた。

「ツカマエタ♪」

「なんでちょっとヤンデレっぽいんだよ……怖いからやめろ」

「知ってる? 蝸牛って雌雄同体なんだよねー」

「なんで今その話をしたっ!? 怖過ぎるからやめろ!」

「ふー」

「ひゃんっ!?」

 耳に息を吹き込まれた! なんか変な声が出ちゃったじゃねぇかやめろマジで!

 僕を後ろから抱き締めたまま、毎々はその場に座り込んだ。

 無暗に逆らうわけにもいかず、僕は彼女にもたれかかる形で、座り込んだ。

 なん……だろう。妙に心がざわざわする。よく分からないけど……よく、分からないと思い込みたい、一月前に味わった、あの感触。

「あの……毎々? ちょっと離して……」

「すき」

 息が詰まった。涙が出そうになった。

 毎々は僕の言う通りに、ほんの少しだけ力を緩めて、耳元に囁いた。

「……好き。うん……好きだね。予想外だね。私も……好きだと思ってなかったから」

「どういうことだよ?」

「敵愾心でこういう結界作って、みんなを困らせてやろーと思ったのー……でもね、実家から『与一君と関わっちゃ駄目』って言われて、なんかプッツンしちゃった」

「………………」

「ちょろいんだね、私はー……今まで、こんな風に仲良く、接してくれた男の子、いなかったから。とろいって言われて、塩で溶けろって言われて、汚いって言われて、引きこもりだって言われて……大半の人が誰もなにも言わないで、離れて行って……」

「言っちゃなんだけど、自業自得だぞ?」

「……知ってるよ。知ってても……それを言ってくれたのは、与一君だけ」

 悪い所をズバズバ言って、ちゃんと言って、それでも一緒にいてくれたのは君だけだったよー……と、毎々はそう続けて、曖昧に笑った。

 大好きだと言ってくれたのも、与一君だけだったと、毎々は言った。

 小気味良く、曖昧で、踏み込みたくない友人関係。僕曰くの『ぬるい関係』ってやつで毎々もそういうことを望んでいたと、僕は思っていたし、恐らくはそれで良かった。

 彼女は自分しか考えていないようで、その実酷く臆病だったから、僕は適度に温く適度に傷つけて、適度に褒めながら、僕らは見合い相手じゃなくて友達としてやってきた。

 けれど、『友達』なんて関係は、いつでも容易く反故にできる。

 少なくとも男女間においては、反故にしてもいいものだと、僕は思っている。

「離れたくない。渡したくない……絶対に、誰にもっ……」

「………………」

「ごめん……ね。ごめんなさい……すき、です……大好き、です」

 謝りながら、僕の首元に頬を寄せて、きつく抱き締める。

 謝らなくてもいいのに。そりゃ……いきなりだったけど、嫌でも嫌いでもないし。

 普通に女の子として好きだしさ。びっくりしたけど、なんだかんだで嬉しいし。


 じゃあ、どうして僕は毎々と同じことをした彼女を、振ったのか?


 どうして彼女が僕を好きになってくれたのか。今考えても、全然分からない。

 きっと、僕がガキだからだろう。中学二年生だからだろう……きっとそうだ。

 きっと……そうであって欲しい。

 僕は彼女が好きだった。彼女も好きと言ってくれた。付き合えない理由をその場で色々考えた。遠距離恋愛が駄目だから。置いて行かれるのが嫌だから。浮気でもされたら耐えられないから。悪いことだけたくさん考えて……結局、彼女を振った。

 五月は語る。距離なんてものは愛さえあればどうにかなるもん、と。

 僕もそう思う。恋愛はどう足掻いても距離が絶対と割り切れるほど、僕は大人でもないし大人にはなれない。

 彼女が頭が良くないから、後を追うことはできた。彼女が進学した大学に近い高校を選ぶことはできた。進路の下調べくらいは……僕だってやる。

 できることはたくさんあった。やろうと思えば、いくらでもできたはずだ。

 それでも僕はここにいる。やろうと思わなかったから……『彼女を振る』という、あくまでもやらない選択肢を選んだからこそ、今ここでこうしてこんなことになっている。

 なんで振ったんだろう? 大好きだったのに。

 友達みたいで、相棒みたいで……恋人になりたかったくらいに、大好きだったのに。

 今でも大好きだって言える。今でも愛していると言える。

 僕は惚れっぽく、本当にどうしようもない。けれど、彼女の告白に応えても良かったはずだ。神様に迷って人間に迷わない……そんな理由はどこにもない。

 はず……なのに。

 白楼みづち。

 月乃輪薄紅姫。

 渦巻毎々。

 塚胎黒依。

 シラヌイ。

 五人は彼女とは違う。どういう理屈で動いているのか正直よく分からないけど、僕にはない熱意と情熱で、無理矢理にでも僕と一緒に居ようとしている。

 僕が言えなかった好意を。好きだ惚れているという言葉を無理矢理引き出す強引さ。

 そういったものを……確固とした『我』を、僕は好ましいと思っている。

 好きな人に好きと言える強さ。宿の人たちのように、己を大切にする強さ。周囲を慮るだけではなく……時には己のために修羅となる。確固たる己を確立している彼ら。

 いつか、僕も彼ら彼女らのようになれるだろうか?

 いや……なれない、と、思う。それでも……僕は足掻くことを知っている。

 師匠に教わった。生きている限り、手足がなくとも、最後まで足掻くのだと。

 僕は、彼女に言わなかったことを、言えなかったことを……僕なりの、僕の責任を、僕の理由をちゃんと言うことにした。

 僕が彼女に言わなかったことを、毎々たちには、言うことにした。

 腹を括っておきながら、今まで散々迷って……迷い続けて、決めることにした。

 言わねばならぬと、思った。

「……毎々」

「……なに?」

 後ろからぬいぐるみよろしく抱き締められては、格好も確固も付かないけれど。

 僕は、愛らしい彼女に、僕なりの事情を語った。


「十年くらいしか寄り添えないけどさ……それでもいい?」


 毎々の手を握る。僕と同じくらいに細くて小さい手。その手を握って、僕は笑った。

 毎々の反応は薄かった。そりゃ知ってるよな……と、僕は口元を緩める。

「毎々がいいなら、いいよ。残りの一生を、君にあげる」

「……っ……ぅ……」

 顔は見えないけど、毎々は多分……泣いているんだろうと、思う。

 長くて十年。もう少しだけ長いかもしれない。

 俗悪使いは総じて短命だ。そもそも、俗悪使いに『成り果てる』までに、人の心は耐えられない。師匠が知る中でも三十四人……僕が知る中でも二人が亡くなっている。

 己の心が、性根が、己そのものを食い尽くしていく精神構造。

 誰よりも弱く、誰よりも軟弱で、誰よりも儚く……花咲くことなく、実は熟さず、不要として切り捨てられ、要らないもののように死ぬ。

 日々常に神経をすり減らすから、疲労が深く睡眠時間が長く。

 恐怖が強過ぎるから、なるべく衝突しないように立ち回って。

 いざ衝突するとなれば……敵が身動きできなくなるほどに、過剰なまでに叩き潰す。

 そうしないと疲労に食われる。疲労に食われて『頑張っている己はすごい』と勝手に勘違いをして、気が付いたら周囲には誰もいなくなる。

 そうしないと心に食われる。己独りでは生きていけないと他者に依存し、他者に捨てられて虚無を得る。俗悪使いの大半が自殺で亡くなっている。

 敵を許容できない未熟さ。敵を排除しなければ生きていけない脆弱さ。他者を叩き潰してもいいんだという許容。そういったものを抱えなければ、生きて行くことすらままならない。

 弱者として……弱者のように、弱く儚き者として、死なないように、日々を生きる。

 僕が師匠に教わったのは、そういうことだ。

 孤独でもいい。独りでも生きていける強さを、獲得するための日々だった。

 分かっている。みんな分かっている。それが強さでもなんでもないことを。けれど、誰かと寄り添うことができないのなら、独りで生きて行くしかないのなら……寂しくても僕らは我慢できる。生きるためなら、僕はなんでもする。

 中でも最も忌避すべきなのは『恋愛』だった。他人は容易く裏切る。容易く引く。体と心が触れ合ったとしても……身を引くという名目で、容易く、他人を切る。

 恋愛経験の多い俗悪使いは早死にすると師匠に聞かされ、僕はそれを言葉ではなく魂の奥深い部分で理解した。

 他の人は失恋の痛みに耐えて立ち上がるんだろう。強く……なるんだろう。

 僕には、そういうことが、どうしても無理だと分かっていた。

「……うぅ~っ……だ……いやだっ……」

「ホント、君らはお人好しだよね。こんな廃棄物寸前の男子中学生に引っかかってさ」

 毎々の手を優しく握って、優しく拘束を解いて、僕は毎々の腕から逃れた。

 予想通り、彼女は泣いていた。顔をぐしゃぐしゃにして、泣いていた。ぐずる赤ん坊のように感情に真っ直ぐで、好きな人を好いている自分を大切にしていた。

 それを……本当に好ましいと思う。

 手を握ったまま正座して向かい合って、頬に触れて、僕は笑う。

 笑えているはずだ。そのために生きてきたのだから。

「おいで」

「っ……うぅっ……よいち……くん。わたし……私、ね」

「うん」

 すがりつくように泣きじゃくる毎々の首に腕を回して、胸に押し付ける。

 身長とか手の大きさとか、男として色々足りないものはあったけど、それは三年後くらいに補われるだろうと思いながら、毎々を抱き締めた。

「わたし……こんなっ……こんなことしか、思い付かなくてっ……」

「……うん」

「私、大人なのにっ……神様なのに、苦しくて、悲しくて、辛くて……人間なんていくら死んじゃってもなんとも思わなかったのにっ……与一君がすぐに死んじゃうって思ったら訳分からなくなって……気が付いたらこんなっ……」

「……うん」

 僕の内面に触れて、寂しさと飢餓と戦って、彼女達は知っていた。

 僕があまり長く生きられないこと。どう足掻いても性根は変えられないこと。魂を食らうような心の在り様は、死んですらも治らないと、知っていた。

 誰かが要らない横槍を入れなければ、そのままでいられたかもしれない。

 一ヶ月。たった一ヶ月交流があっただけの小僧として、忘れられたのかもしれない。

 見栄を張って、恋心くらいは、忘れられたのかもしれない。

 僕と同じように。

「毎々は……みんなもそうだけど、駄目な大人だよね」

「………ぐすっ」

「でもね、そういう駄目さや馬鹿さを、僕はなにより愛おしいと思うんだよ」

 聡明で賢明で、そんなことになんの意味がある?

 我が身を省みずに馬鹿やって命を落とす。きっと命を落とした方は後悔してるし、やるんじゃなかったとも思っているんだろうけど……僕は、僕にできないそういう『馬鹿』に憧れるし、焦がれるし、そういうものこそを、好きになる。

 毎々を強く抱き締めて、僕は囁くように言った。

「はっきりしない僕が一番駄目だし、ふわふわと移ろって、他人に意思決定を託している時点で本当に駄目なんだけどね……それでも、良いと思ったんだ」

「……与一くん」

「みんなになら、この身をどうされようが後悔はないと思ったんだ」

 惚れっぽくてどうしようもなくて、だからなにも選ばずにここまで来て。

 それでも……後悔など微塵もない。

 親父殿やお袋に迷惑をかけてしまうのが一つだけ気がかりだけど、後悔と言う程じゃない。

 今殺されようとも構わない。この一ヶ月本当に幸せだったし、これ以上は多分ない。

 あるのかもしれないけれど……『次はない』という覚悟で生きてきたのだ。

「あとね……毎々の行動は確かにやり過ぎだけど、恋をする女の子としてはなんにも間違っちゃいないよ。素直に嬉しいって思う」

「………………」

「楽しいのも、嬉しいのも、久しぶりだった。誰かを好きになるのは苦しいだけだと思っていたけどさ……普通の人はそうじゃないんだね。苦しいけど、楽しいんだね」

「……うん」

「それが分かっただけでも、良かった。毎々に会えて本当に良かった」

 本当は『達』を付けたかったけど、ちょっと無粋なのでやめた。

 毎々を抱き締めながら、息を吐く。

 さて……ここで終わりだ。シラヌイはお弟子さん……五月のお師匠さんに拘束される手はずになっているし、毎々が半月かけて『僕を拘束するためだけに』構築したものを、一朝一夕で破る手段があるとは思えない。

 ドタバタは、ここでお終い。

 勝者、渦巻毎々で決着と相成った。

 それは同時に……僕の流動先もここで終わることを、示していた。

「与一君」

「……なに?」

「勝者として、一つだけお願いがあります」

 毎々は笑う。今までで一番、可愛くて愛おしい、朗らかな笑顔を浮かべた。

 そして……彼女は『お願い』を言った。



 夕方過ぎに、与一君は戻って来た。それと同時に彼女達は姿を消した。

 まるで最初からいなかったかのように、電話一本で姿を消した。

 居残ったのは五月ちゃんだけで、彼女も舞さんに……まぁ、控え目に見てボコボコにされていたので、結局今回最も損をしたのは、彼女だということだろう。

 どんな経緯があったのか、結局与一君は語ろうとはしなかった。曖昧に笑って、一日なにも食べていなかったという名目でカツを自棄食いし……私にはそう見えた……部屋に籠って眠り、彼の宿での一ヶ月は終わりを告げた。

 翌日……来た時と同じ、中学校の制服に身を包んだ与一君と、体中のあちこちに湿布を貼った五月ちゃんを、私と天弧さんと舞さんで見送っていた。

 冥さんはものすごく残念がっていたけれど、残念ながら外出の用事がある。

 京子さんと美里は元々お別れというのが苦手なので、見送りには来ない。先んじてなにか渡していたようだけど、彼女たちなりに別れを惜しんでいるように、私には見えた。

 来た時とは違う所は、彼が朗らかに笑っていることだろう。

「んじゃ、世話になったな。眼帯」

「僕はなんにもしちゃいないがな。正直、色々押し付け過ぎたって気もするし」

「なにしみったれた顔してんだよ。……あ、師匠になんか言われたろ?」

「………………」

 思い切り図星を突かれて、天弧さんは目を逸らした。

 にやりと笑って、与一君は天弧さんの胸を小突く。

「気にすんなよ? あの人は性格が悪いが気に入らない相手にしか悪口は言わんから」

「そのまんまじゃねぇか!」

「気に入らないってことは、転じて『気にしている』ってことさ。眼帯は幸せそうだけど不器用だからな。もっと好きとか愛してるとか色々、言った方がいいぜ?」

 中学生に説教される二十歳に、ちょっとだけときめきます。

 たじろぐ天弧さんに微笑みを向けて、与一君はこちらに振り返った。

「コッコさんに黒ねーさん。ありがとうございました。ホント、色々世話になったよ」

「また遊びに来てくださいね。最繁忙期以外なら大歓迎ですよ」

「如月くんも元気でね。そっちの妹は二度と来るなよ!」

「べーっだ!」

 二人にどんなやり取りがあったかは知らないが、どうやら相容れなかったらしい。

 舞さんは容赦なく中指を立て、五月ちゃんは与一君を盾に舌を出していた。

 二人の様子を微笑ましそうに見つめて、与一君は不意に、鞄から四角いものを取り出した。CDケースのようだった。

 そのCDケースを、天弧さんに渡した。

「宿賃にはちょっと足りないけど……今までのお礼ってことで」

「なんだこれ? 与一オススメの神曲集とか、そんな感じか?」

「いやいや、そんな甘っちょろいものじゃねぇよ? それを作るためにウチのジェバンニこと、サツキ=キサラギが苦心し骨を折り血を流し作ったもんだからな。全く、ウチの妹は本当に仕事が早いし巧い。頭を三度下げても足らんぜマジで」

「ふっふっふ、お兄様。そんなに褒められたら照れますのことよ? まぁ、私としても嫌いな奴に痛手を与えることは……やぶさかでもございませんので」

「……どういうことだ?」

「今回の件、仕掛けたのは僕じゃないけど、状況を利用させてもらったってことだよ」

 にやりと……与一君曰くの師匠のように邪悪に笑って。

 彼は、楽しそうに言った。


「発案・如月与一。編集・如月五月。協力・俗悪使い一行。『黒霧舞、告白大熱唱集』ってところかな。五月が命がけで収録したんだから、大事にしろよ?」


 舞さんの顔が一瞬で引きつり、真っ赤になる。

 笑ったまま、与一君は舞さんに顔を向けて、口を開いた。

「僕はバランスを重んじる。だからまぁ、眼帯に向けた言葉を黒ねーさんにも向けさせてもらおう。もっと好きとか愛してるとか色々、言った方がいいぜ?」

「……きっ……如月クンっ!? そ、それは余計なお世話かなっ!?」

「要らん世話を焼いてウザがられるのが俗悪使いさ。ちなみに僕は内容は知らない。編集はジェバンニことサツキ=キサラギに任せたから安心設計だ」

「ホホホ……お兄様こそ、なかなかエグい発想でしたわ。私、思わず爆笑したもん」

「黒ねーさんはメインヒロインのくせに、押しが足らんからしゃーないのさ。この眼帯に一番懐かれてる上に距離も近いのに、あんまりちゅーとかしないんだぜ?」

「ありゃー……そりゃいかんですな。ツンデレには生きにくい世の中なのに」

「こっ……このガキどもっ!」

 恐ろしい兄妹だ。あの舞さんを完全に手玉に取っている。

 渡す物を渡して満足したのか、与一君はにっこりと笑って背を向けた。

「んじゃ、そろそろお暇させてもらいます」

「ちょっ……如月くん!? とんでもない地雷を放り込んでさらっと帰らないで!」

「黒ねーさん、次に来る時はロードバイク貸してね。んじゃ、ばいばーい」

「次じゃなくて今! 今私すごいピンチだからね!? ちょっ……おーい……」

 立ち去る兄妹の足は決して止まることはない。

 それは、別れに見せかけた速やかなる逃走だった。ある意味で鮮やかな、なんの躊躇もない逃げっぷりだった。

 さて……そんなこんなで、私達三人が宿の前に残されたわけだけど。

 CDケースを恐ろしく真剣な表情で見つめていた天弧さんは、不意に口元を緩めた。

「んじゃ、僕は三時間ほど部屋に引きこもるから、なにか用事があったら呼んでね?」

「行かせるかぁ! そのCDをここに置いて行きなさい、テン!」

「だが断る! このCDは親友が命を賭して作ったものだ……僕にはこれを聞かなければならない義務があるっ! というわけでコッコさん、パス!」

「…………あら?」

 投げられたCDケースを鮮やかにキャッチ。押し付けられてしまったようだ。

 まぁ……押し付けられたからには、全身全霊で守り抜くしかないけど。

 悪ふざけは、意外と嫌いじゃない。

「ちょ……山口さん!?」

「すみません、舞さん。しかし、借金を肩代わりしてもらっている雇われの身では、彼に逆らうことはできないのです」

「口元が笑ってますよっ!?」

「そりゃもう……舞さんがここまで慌てる状況も、そうそうありませんからねぇ。一体何を口走ってしまったのやら。興味は尽きませんが……舞さんと天弧さんの秘密ということにしておいが方が幸せになれそうなので、私はこのCDをただ守るのみなのです。……今回は運が悪かったと思って、幸せになってしまった方がいいと思いますよ?」

「させるかああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!」

 涙目になっている舞さんの追撃を振り切るために、私は少しばかり全力を出す。

 とはいえ、舞さんの捕縛術は並大抵ではないので……私でも逃げ切れるかどうか微妙な線だったけど、まぁそれはそれとして。

 悪ふざけは意外と嫌いじゃない私は、全力で舞さんを振り切ることにした。



 天弧さんに渡したCDは中にデータが入っておらず、本命は京子さん経由で天弧さんの手に渡ることになることを知らず、この後私と舞さんは延々と三時間以上にも渡る鬼ごっこをする羽目になるんだけど。

 まぁ……それは、別の話だ。

 舞さんが少しだけ幸せになってしまったという結論は、特に変わらない。

 これは、少年がちょっとだけ恩返しをしたという、ただそれだけのお話なのだから。



 家に帰った。

 家に戻ると同時に、五月には見えない子犬が僕の頭の上で丸くなった。

 親父殿はなにも言わずに、なにか言いたそうにしながら、新聞を読んでいた。

 お袋はなにも言わずに、いつも通りに僕の頭を撫でて、背中を優しく叩いた。

 五月の話だと、学校と同じく僕が一ヶ月いないことは二人とも気づいていないという話だったけど……ウチの妹さんはちょっと鈍いので、あんまり当てにはならない。

 一ヶ月経っても、なにも変わらない。

 久しぶりに自分の部屋に戻ると、僕のPCを無断でいじっている姉貴がいた

 ホント……なにも変わらねーな。こいつは。

 肩まで届く髪を後ろで無造作にくくっている。凛々しい顔立ちはお袋似。太い眉は親父殿に少し似ている。全身に筋肉がきっちり付いており、ギリシャ彫刻かと言わんばかりの整った体型をしている。部活は無所属。文武両道。数学関係だけなぜか苦手。

 家でも下着姿でうろつく、不謹慎な姉貴である。

 名前を、如月水瀬という。みなづきみなせと読む。

「おや、久しぶりだな……与一。どこに行ったのかと少し心配していたぞ?」

「傷心旅行ってところかな。っていうか、ここは僕の部屋で、姉貴が使っているのは僕のPCだ。退け」

「………………」

「なんだよ?」

「私のような小娘がこういうことを言うのもなんだが……良い顔になったな」

「楽しかったからね。あと、色々考えることがあった」

「なにか吹っ切れたか?」

「そんな器用な生き方はできねェよ」

 吹っ切って、開き直る。そんなことができたら最初から苦労などしていない。

 僕にできることは……精々『お願い』を実践する程度のもんだろう。

「僕にできるのは、ほんの少しだけ諦めることさ。諦めて、諦めないことだ」

「意味が分からんな」

「僕は弱くてもいい。それでも生きることは諦めない」

 生き様が弱くても良い。手足がなくてもいい。弱いことはもう、どうしようもない。

 弱くてもいい。あの神様たちはそう言った。

 一人一人に僕の寿命のことを話したのに、全員が全員、生きていて欲しいと、生きることは諦めないで欲しいと、涙ながらに、手を握られて、同じことを言った。

 どうして彼女たちがそこまで僕にこだわるのかは、分からなかったけれど。

 弱くてもいいから、少しだけ……生き足掻いてみようと、思った。

 僕の言葉を聞いて、姉貴は微笑んだ。

「そんなこと、お前はいつでもどこでも、如月家に来る前からやってた気がするが?」

「ああ、だからこれからも同じことをする。姉貴は『強くならねば駄目だ』と言ってくれたけど……僕は弱くてもいい。弱いまま生きる」

「……そうか。典型的な中二病っぽいが……それも、悪くないかな」

 苦笑を浮かべながら、姉貴は息を吐いた。

 呆れているようにも、嬉しそうにも見える、奇妙な苦笑だった。

 あるいは、僕も同じような笑顔を浮かべているのかもしれなかったけれど。

 苦笑を浮かべたまま、姉貴は口を開いた。

「そういえば与一、土産はないのか?」

「ただいま」

「お帰り……って、そうじゃなくてだな。私は弟の無事だけじゃ満足しないぞ?」

「土産はない」

「ほほぅ? 旅行に行って土産がないとは……刀の錆になりたいようだな? 全く……全くだな。私の弟が心配をかけた相手に土産を忘れるとは。本当に残念だ」

「冗談だよ。土産はあるし、土産話もある。どっちにしようか?」

「土産を食いながら、土産話だな」

「……はいはい」

「本当に心配したんだからな?」

「悪かったよ。……うん、ごめんなさい」

 いつもなら『うるせぇ知るか。勝手に心配でもなんでもしろ』と、ちょっとした反抗期丸出しで暴言を吐くんだけど、少しだけ素直に謝った。

 姉貴はきょとんとした表情を浮かべて、それから苦々しく笑った。

「追いついたと思ったら一月で離されるか……ウチの弟は本当にハイスペックだ」

「なんの話?」

「なんのことはない話だ。ほら、土産だ土産。饅頭はあるんだろうな?」

「むしろ饅頭しかねぇよ」

 背中を押されるまま、僕はいつも通りに笑う。

 頭の上の犬が尻尾を振ったのが一月前と違う所だけど、それは些細なことだった。

 こうして、僕の傷心旅行は変に盛り上がって妙に盛り下がりつつ。何事もなかったかのように、終わった。



 心に誰かの足跡を残して、僕は少しだけ大人になった。





・登場人物紹介


・如月与一

 神様の嫁。OPPAI星の住人。普通にエロい。

 彼の物語はこの3年後、親友と妹が見合いしたあたりで、本格化する。

 舞→天弧の告白を録音するという偉業を成し遂げる。マジお疲れ。

 戦闘中でテンション上がっちゃってるのに加えて、妹に散々煽らせて言わせた言葉ではあるが、それで十分過ぎると言ってしまえば、それまでだろう。

 儚い系ヒロインの宿命として、短命……で、済めばいいけどねぇ。


・如月五月

 兄ラブではない妹。彼女の物語はこの3年後、兄の親友と見合いをする所から本格化する。如月家ではなく祓い屋の随一の使い手。間違いなく天才。

 周囲の過剰な期待値から彼女を守ったのは、血の繋がらない兄だったという回想。

 なお、与一は五月が天才ということは知らない。彼は単に『妹にはさせたいことをさせてあげよう』という兄心で行動しているだけなので、『よくできた妹だなぁ』と思いつつも、人間的には少々抜けている妹を庇って生きているだけなのである。

 五月にとって、それがなにより心地が良いことだとも、当然知ることはなかった。


・師匠

 読んで字のごとく師匠。俗悪使いの師範。憎悪遣い。

 性格は最悪。気に入った相手には優しく、気に入らない相手には厳しい。そして、無関心な相手にはまるで容赦がない。

 教師の腕を折り、陸上選手の足を折り、校長の舌に針を刺す。

 それらの容赦のなさを『応報でいつか死ぬ』と覚悟しながらやり遂げる女。

 高校時代はもっとましに生きられると信じて、人間のように生きようとしたが、全てに挫折し今のような性格に落ち着いて、高校は中退した。

『充絶陣』という奥の手を持つ。体に収まらない憎悪の具現。

 容赦なき弱者。自己の生存のために必要な全てを、誰かに教え続ける女。


・忍者&雑魚

 読んで字のごとく。二人とも俗悪使い。実際は登場してないけどまぁいいや。

 それぞれ梨本京子&橘美里コンビ、黒霧冥と戦闘して、逃走。

『忍法黒風』、『紅蓮恐惶』という奥の手をそれぞれ持つ。

 俗悪使いに共通しているのが『真面目な悪ふざけ』である。今回は与一の要請に応じてやって来ているが、この二人の主な理由は『面白そうだから』である。

 野次馬根性丸出しで首を突っ込むだけ突っ込んで、からかって帰る悪質な男達。


・シラヌイ

 恋する乙女その1。童女なのに心配の仕方がちょっとおばさんっぽい。

 彼女の良さが分かるまで、与一は実に三年もの年月を必要とすることとなる。

 乙女的には、普段ぶっきらぼうで、時折甘えてくる男の子にときめいたらしい。


・塚胎黒依

 恋する乙女その2。良い所のお譲。子供がいないのに子育て経験が豊富。

 如月与一は彼女や薄紅姫にはわりと甘える。理由は母性と胸。

 乙女的には、きちんとツッコミを入れられる男子にときめいたらしい。


・白楼みづち

 恋する乙女その3。OL。家から出てちゃんと働いています。

 肩肘張って神様っぽく生きてきたが、自然体でいていい男子に好きとか言われちゃってコロッといった感じ。好きってそういう意味の好きじゃねぇから!

 今をときめくチョロインである。むしろ全員チョロインである。


・月乃輪薄紅姫

 恋する乙女その4。五人の中では最も落ち着いており、大人。

 家事万能器量良し愛嬌良しの三拍子揃った最強の女子ではあるが、神様とか英雄が顔で選り好みするし、親父が過保護なせいで、なぜか売れ残る。

 男の趣味は一族通して肉食系。

 というより、月乃輪家の大婆様が修羅の国SHIMADU出身のため、月乃輪の女は全員ヤバい。


・渦巻毎々

 恋する乙女その5。美人だけどクソうっぜぇ害虫系女子。

 家から出て働く子供。

 あまりにもウザ過ぎるせいでこの歳まで男に縁がなく、親と親友から『頼むから見合いしてくれろ』と無理矢理見合いを設定されたが、見合い相手がポンポンと小気味よく話をする男だったので友達になってやるか(上から目線)という気分でいたら、いつの間にか惚れてしまったという、クソみたいに鈍感なことをやらかしたアホである。

 なお、直情一直線なので、行動だけは蝸牛なのに五人中最速である。

 当たり前だが、神様が欲しいモノを簡単に諦めるわけもない。最終的には難題を出さないかぐや姫の難題に、手を取り合って五人で揃って立ち向かうことになる。


・如月水瀬

 如月家長女。武道少女で思考が苦手。今回のオチ担当。

 堅物感溢れる少女で、あまりにも堅物過ぎて弟と喧嘩しまくっている。与一が一ヶ月消息を絶つ前にも二度ほど喧嘩しており、原因は自分じゃないかと内心怯えていた。

 ちなみに喧嘩の原因は『与一は五月ばっかりひいきしてずるい(要約)』である。

 如月家を代表するかのごとく、母親の情の深さと父親の豪放さを見習って育ったため、いわゆる女性らしさとは無縁になってしまい、そのせいで色々ゴタゴタする。

舞さんが絶叫告白を録音されて困る所が書きたくて描いた。後悔はしてない。

というわけで、如月与一退場回。奴はマジで良い仕事をしてくれたよ。


次回は未定。京子さん回か冥さん回……もしくはこの回の後始末。

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