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第八話:大した理由はありません(中編)

他人にムカ付く時ってのは、大抵の場合『他人が嫌な経験値をトレースしている』

か『他人が自分の要求を満たしてくれない』かのいずれかであって、結局勝手に

ムカついているのは自分である。

……つまり、他人を通じでムカつくことほど無意味なことはない。

でもまぁ、普通にムカつきますわ。人間だもの。

 中学生が夢見た幻のモテ期だと、いつから錯覚していた?





 朝。いつも通りに起きて、身支度を整えて部屋を出る。

 食堂で簡単な朝食を済ませて、旅館の基本である掃除にとりかかる。掃除を済ませたら洗濯。備品の準備等々の雑事、必要があればミーティング。趣味の鉢植えには外の掃除をするついでにちょいちょいと手を入れる。

 まぁ、景観を整えるという意味では『掃除』の範疇に含めて良い気がする。

 とはいえ、トラブルがあった場合なんかは数日世話ができたいこともあるので、最近はあまり世話をしなくてもそれなりに育つ草花を育てている。一度、強化した肥料と精錬した水を使って育ててみたけど、天弧さんにしこたま怒られた。

 なにがあったかは……まぁ……お察しの通りというやつで。

「宿の中は意外と楽なんですけどね。機械は偉大です」

 相棒の業務用の掃除機を使って、床を掃除していく。

 うん、今日もマシンは絶好調。天気は快晴だし、今日は良いことがあるかも。

「だから昨日言ったじゃん! こっそり注意したじゃん! 神格者はしつこくてねちっこくて粘着質でキモくてストーカー気質で我がままだって言ったじゃん!」

「あー、もう! 怒鳴らないでよ、頭が割れるでしょ! 今他の人に相談するから!」

 怒鳴り声を聞いた途端に、掃除機は前触れなく停止し、空が曇った。

 いや、まぁ……天候はともかく、掃除機まで私を見捨てることはないんじゃないかと思わなくもない。

 ここは本来の客室とは少し離れているので迷惑はかかりづらいけど、万一聞こえたらえらいことになるので、とりあえず足早に怒鳴り声の発生地点に向かう。

 与一君の部屋の前で、舞さんと五月ちゃんが言い合いをしていた。

「あ、山口さん!」

「どうしたんですか、舞さん。こんな朝早くから……って、大体想像はつきますけど」

「お察しの通り、如月君がいません。多分……というか、絶対、攫われたと思います」

 神様お得意、神隠しというわけだ。

 期日が近づいているからそろそろ来るかなーとは思っていたけど、やっぱり来た。

 そもそも……神様のようなワガママな方々が、紙切れの一通や二通でどうにかなるとは私は思っていない。

 全員諦めるならともかく、シラヌイさんの独り勝ちってのは一番納得がいかないパターンだろう。

 なにより、与一君(おもいびと)の手紙で恋心が手折られるならともかく。

 他人からの手紙で想いを摘まれるのは、神様として我慢ならないはず。

「……いやでもこれ究極的にはちゃんと三行半突きつけなかった与一君が悪いんじゃ」

「お見合い話持って来たのはそっちでしょうが! ちゃんと知ってるんですからね!」

 顔を真っ赤にして五月ちゃんが食ってかかってくる。舞さんには小憎らしく見ているんだろうけど、身長が低いのもあってか、なんとなく可愛らしい。

 眉をつり上げつつ、五月ちゃんは私を睨みつけた。

「そもそも、神様とのお見合いなんて危ないものをお兄ちゃんに押し付けた時点で、そっちにも責任があると思うんですけどっ!?」

「いや、与一君が異様にもてるので仕方なく……これでも収束した方なんですよ?」

「馬鹿言わないでください。ウチの兄貴がもてるはずないでしょ? ああいうのは、ちょっと長く付き合わないと良さが分からないんだから!」

 養豚場の豚を見るような目で見られた。そんな冷たい目で見られても、もてちゃったんだから仕方ないと思う。

 もてちゃったんだから仕方ない……自分で思っておいてなんだけど、なんだかものすごく頭に来る言葉だ。誰も悪くないのに誰かをぶっ飛ばしたくなる。

 冷たい目のまま、五月ちゃんは大きく溜息を吐いた。

「大体……お兄ちゃんには神様みたいなアホみたいに狭量な方々じゃなく、もっと寛大で母性溢れる人がふさわしいと思います」

「母性……?」

「アイ●スのあ●ささんとかですね!」

「………………」

 あ、駄目だこの子。携帯電話覗きながらニヤついてる冥さんと同じ腐り方をしてる。

 腐っているというより、輝いているんだけど、情熱は時としてなにより恐ろしい。

 とりあえず、手を振りつつ私は大人として言っておくことにした。

「そのあ●ささんとやらが誰かは知りませんが、母性溢れる方なんてそうそういやしませんよ? なかなかのレア種だし、そーゆー人はとっくに嫁に行ってます」

「そーですね。あなたとか母性なさそうですもんね。女性として点数を付けるとしたら2点ってところです」

「おや、手厳しい」

「そっちの美脚は5点。食堂のちびっこはマイナス30点。変なおっぱいメイドは1点。一見淑女ぶってる我がままっぽそうなガラスの剣はマイナス50点」

「……ちょっと厳し過ぎませんかねぇ」

 私はともかく舞さんで5点って、どれだけ評価基準が高いんだろうか。あと、今言ったことを京子さんあたりに聞かれたら、普通に殺されそうだ。

 そして、一体何点満点で、どんな基準で採点しているのか。

「ちなみに、自分は何点とお考えで?」

「現状0点。妹補正(×0)を付けて、重ねて0点です」

「さすがに、その基準じゃ100点満点はいないと思いますけど……」

「男女の仲や相性に100点満点なんてあるわけないでしょう? プラス過ぎても駄目だしマイナス過ぎても駄目。そっちはプラス70点~30点でブレまくるから勘定が楽ですけど、こっちは常時マイナス100点なんだから文句は付けないでいただけますか?」

「…………うわ」

 あかん。あかんやつやこれ。

 変な関西弁使っちゃうくらい駄目なやつだ。

 なんていうか、この子。誰が見てもどこからどう見てもさっぱり与一君に似ていないけど、話してみると確信できる。

 この子……間違いなく与一君の妹だ。

「神様も悪くないんじゃないですか? 前向きだし一途だし、意外と与一君に似合ってそうな気もしますが……」

「一人なら個人的にもOKですよ。なんで五人も押し付けてんですか!」

「与一君がもてるから……」

「さもウチの兄貴が悪いみたいに言うのはやめてくれませんっ!? そもそもお兄ちゃんが、せっかくもてたのに告白を断ったりするからこんなことに!」

「恋愛は距離っていうのは、なんとなく納得できますよねぇ……」

「愛さえあればなんとかなるもん!」

「お宅のお兄ちゃんは聡明なので、もしも《愛でどうにかならなかった》場合のダメージを踏まえて、リスク計算しちゃったんですねぇ。アホですねぇ」

「私のことはいいけど、お兄ちゃんのことは馬鹿にするな! 殺すぞ!」

「いやぁ、与一君の妹って感じですねぇ。言うことが与一君そっくり」

「っ!?」

「さ、さすが山口さん……あのムカつくクソガキを手玉に……いいぞ、もっとやれ!」

 舞さんがやたら喜んでいたけど、まぁそれはそれとして。

 この子は本当に与一君そっくりだ。怖がりで懐かない反面、非常に情が深い。

 まぁ、怒らせては元も子もないので、この辺で対応に移ろう。

「舞さん。とりあえず天弧さんに報告してください。家の方には伝達は……しない方がいいかもしれませんね。穏便にとは言いませんが、退路を絶ってしまうと本当に『形振り構わなく』なってしまいます。痕跡があればそこから追えそうですが……」

「分かりました。……山口さんは?」

「音子さんに連絡が取れればいいんですが、難しいでしょうね。制御が難しそうですが最悪シラヌイさんに連絡を取ってみましょうか。冥さんや京子さんなら、神族関係で心当たりがあるかなとも思うんですが……どうでしょうかねぇ」

「分かりました。じゃあ、そういうことで」

「彼の貞操が失われていないことを祈りましょうか」

「嫌なことを言わないでください!」

 舞さんはそう言って、さっさと走り去ってしまった。

 冗談めかして言ったものの、極論を言ってしまえば今回の敵が欲しいものはまさにそれだ。詩的なことを言えば彼の全てが欲しいのだ。

 とはいえ、さすがに十四歳の少年に全てを差し出せというのは酷な話だろう。

 携帯電話を取り出す。まずは音子さんに……。

「…………あれ?」

 ふと、そこで気づいた。

 さっきまでそこにいた五月ちゃんの姿が、消えていた。



 切り揃えられた綺麗な黒い髪。背丈は百五十センチの僕より頭一つ高い。胸は手の平から少し余るサイズ。もちろん触ったことはない。あくまでも希望的観測である。

 普段着は赤い蝶の刺繍が施された黒い着物。硬質的な印象の瞳。真っ赤な唇。切れ長の目。髪の毛は肩のあたりできっちりと切り揃えられている。

 普段は物静かだけど、思い込みが激しく、直情的で激情家。

 塚胎黒依という女の子は、そういう子である。

「私にも、女の意地と矜寺いうものがございます。……あの犬畜生に寝取られるくらいなら、こうして奪い取った方がましというものっ!」

「いや、だからって寝てる間に新居に搬入するのはやめてくんない?」

 っていうか、どこだよここ。異空間っていうか、異世界っていうか、ファンタジー感が半端ない。窓から見える風景は樹海そのもの。樹木しか見えない。住居は一際大きな木をくり抜いて作ったらしいけど、どうやって出入りするんだろうか?

「出口などありませぬ。与一さまは、ここで私と添い遂げるのですから!」

「いや、添い遂げるって言われても……っていうかさ、この住居、一朝一夕で作れるようなもんじゃないと思うんだけど」

「与一さまのお顔を拝見した翌日から建造を命じましたが?」

「確信犯じゃねぇか!」

「ええ、その通りでございます! 小僧に一目惚れした浅ましい女子(おなご)でございますが、それ故の覚悟はできております! 存分に軽蔑なさりませ!」

「………………」

 やべーなおい。完っ全に開き直ってんぞおい。どーすんだおい。

 まぁ、やることなんて、決まってるけどサ。

 さて……腹を括ろう。

 僕の名前は如月与一。血よりも濃い情の一族の長兄だ。

「しゃーないよなー……ここまで想われるってのも初めてだしなー。うん、仕方ないか。こういうのは勢いとか速度とか、そういうのが重要だもんね。仕方ないよね」

「なんの話でございましょうか?」

「今宵のプレイはいかがいたしましょうかという話」

「………………はぇ?」

「優しくしましょうか? それとも激しくしましょうか? という、お話」

「え? ……えぇ? ……え?」

 おお、パニくってるパニくってる。実に可愛い。

 直情型で激情型ではあるけど、黒依は『間違っていることを間違ったまま激情で決行してしまう』タイプなので、間違っていることは自覚しているのだ。

 故に、自分の行動を肯定されると混乱する。否定されることを前提に行動しているので、肯定されるとどうしたらいいのか分からなくなってしまうのだ。

 でも、世界はそんなに甘くない。どんなに間違っていようがサクサクと上手くいってしまうこともあるし、どんなに正しくても間違っていることだって、いっぱいある。

「あ、その前に宿と家に連絡入れないとなぁ……眼帯あたりは自分の人生を生きたい派だから激怒するかなぁ。お袋は泣くかな? それだけが憂鬱だなぁ」

「あ……あの、与一さま? よ、よろしいのですか?」

「よろしいもへったくれもない。僕を攫うと決めたのは黒依だろ。僕はその辺の平均的な男子と同じでな……『体面がない』という条件付きではあるが、据え膳は食う派だ」

 体面。保つべきキャラクター。意地を張りたい人。愛しい家族に友達。

 弱者からそれを剥ぎ取って、感謝と好意しか残らない時、虚飾は終わる。

 そんな事態はほとんどないと思ってたけど、人生ってのは色々分からんね、ホント。

「ま、今夜のことは今夜決めるとして、飯にしようぜ、飯。腹減っちゃったよ」

「………………」

「ん?」

「あなた、さては巧妙に作られた与一さまの偽物ですねっ!?」

「人間ならともかく、神様連中は体臭とか気配とかで分かるだろうが!」

「きゃんっ!?」

 頭をスパーンと叩く。さすがに失礼だと思った。

 頭をさすりながら、黒依は僕の顔をじっと見つめて、少しだけ頬を赤らめた。

「いえ、ですが与一さまはこう……もっとグズグズしてて、男として腐ったような感じでワイルドさなど欠片もなく、優しさ一点特化って感じのお人でして、昨今の草食系主人公系男子のごとく、私のようなサブキャラは見捨てられるのがオチだと思ってたので」

「クソミソに言い過ぎだし、そこまで自分を卑下しなくてもいいだろ……。まぁ、間違っちゃいねぇけどよ。黒依のこと好きだし、先着一名様が貧乏くじ引くってことでいいかなと常日頃から思ってただけだから……まぁ、いいかなって」

「……さらりと『好き』といいましたか……」

「ま、どの辺が貧乏くじなのかはこれからおいおい話して行くけ……ど……」

 あれ……ちょ……なんか、視線が徐々に上に吊り上がっていくような。

 そう思った次の瞬間に、僕の体は三メートルほどある天井まで引き上げられていた。

 視点が急に入れ替わったせいか、頭がくらくらしたが、僕を抱きしめる誰かの匂いと柔らかさには……覚えがあった。

「っ……白楼みづちっ!? なぜここがっ!?」

「巣の近くにこんなでっかいもん作られてばれないはずないじゃろうが! 毎日毎日うるさくて敵わんわ! 『施工主:塚胎黒依』みたいな看板を堂々と建てよって! 恋敵の住居くらい下調べしとかんか! 普通に嫌がらせかと思ったわ!」

「あ……あら?」

「そして、この男は騒音に耐えて頑張った我へのご褒美っ!」

「ちょ……待ちなさい! 皆の者! 出会え、出会え! 狼藉者よ!」

「ふははははは! 既に脱出経路は事前に穴を開けて確保済みよ!」

「人の新築になにしてくれてんですか!」

 みずちに抱き絞められ(誤字にあらず)ながら、僕はぼんやりと思考する。

 さて、最終的に貧乏くじを引くのは誰になるでしょうか?

 自分のことは色々と放り投げて、大きく溜息を吐いていた。



 腰まで届く長い白髪。細い顔立ちに丸い金色の瞳。胸はわりと大きめ。

 舌が長い。背丈は黒依よりちょっと高い。僕よりは頭一つ半くらい。

 見合いの時はゴテゴテした着物を着飾っていたものの、普段着は巫女服。人間で言う所のリクルートスーツの扱いらしい。仕事をしている時はきっちりしているようだけど、僕はだらけている時の彼女しか見たことがない。だらけている時は下着のみだ。

 大人ぶっているけど甘えん坊。泣き虫で怖がり。

 白楼みづちという人は、そういう女性である。

「うむ、そういうわけで、ここにサインをするがよい。血判でな?」

「……あのさ、みづち」

「大丈夫じゃ。ちょっとちくっとするだけじゃからのぉ」

「いや、だから……この重々しい書類、絶対に婚姻届的なもんだよね?」

「やっぱり若い方がいいんじゃなっ!? わ、私は確かに行き遅れじゃが、見た目を誤魔化すくらいどうってことないんじゃもん! 与一のためならなんでもするぞっ!?」

「前も言ったと思うけど、自分にとって一番楽な格好でいてね?」

 黒依の時も思ったけど……愛が重い。

 どうしてこうも彼女らの愛は重いのか? 彼女らが僕のどこが良いと感じたのかさっぱり分からない。

 いや、僕の愛も大概重いとは思うけどさ。

 肩をすくめて、僕は溜息を吐きながらきっぱりと言い放つ。

「どーでもいいけどさ、なんで逃げ込む先があからさまなラブホなんだよ」

「自宅は押さえられてるじゃろうし、大人っぽいじゃろ?」

「その大人っぽいっていう発想が、ガキそのものじゃねーか。もしくはエロ河童」

 なんで内装がピンクなんだよ。料金体系も『ご休憩』とか『ご宿泊』みたいにぼかした表現じゃなかったし、神様には慎みってもんがないんじゃねぇかわりとマジで。

「ところで……良い雰囲気じゃったが、黒依が好きなのか?」

「勘違いすんな。僕はみんな好きなんだよ」

「……ん?」

「前に言っただろ。僕は根暗だから滅茶苦茶惚れっぽいってな。黒依は黒依で大好きだしみづちはみづちで大好きだよ。毎々も紅ちゃんもシラヌイも大好きだ」

「むぅ……わりと最低な発言だが、さらりと『大好き』とか言いよったか……」

「最低だから今の今まで黙ってたんだろうが。腹を括らせたのは黒依だしみづちだ。僕は誰も選ばないから争奪戦でもなんでも好きにしろ。僕はもう知らん」

「……怒ってる?」

「多少ね。想ってくれるのは嬉しいけど……僕はぬるい関係の方が好きだから」

 言いながら、くしゃりとみづちの頭を撫でる。

 あの宿の方々から見れば『甘やかすからそうなる』んだろうけど、お前らだって似たり寄ったりだろうがと言いたくなるわけで。

 いつも通りにみづちに膝枕をしながら、頭を撫でて、僕は口元を緩めた。

「……ま、こうなったら仕方がない。腹は括った。僕は絶対に選ばないけど、争奪戦でもなんでも勝手にやってくれ。僕はその結果に従うよ」

「いや、さすがに自分が添い遂げる女子くらいは自分で決めるべきでは……」

「美味しく見える話には、裏があるもんだよ?」

 僕は選ばない。選択しない。今回も流れに流していただくだけだ。いつも通りだ。

 選べと言われたら自殺する。その程度の理由が僕にはある。

 僕が欲しいと言うのなら、それに従ってやろう。その代わりに、ある程度以上のリスクは背負っていただこう。

 とまぁ……ここまで言っても絶対に引き下がらない連中ばっかりだから、困る。

「裏があろうが知るかい。嫌じゃ。絶対に嫌じゃ。引き下がるものか」

「……どうしてそこまでこだわるかね。僕はそんな大したもんじゃないぜ?」

「好きだと思うたから想うた! 恋しいと想うたから惚れた! 添いたいと想うたから奪う! こだわる理由なぞ、それで十分過ぎるじゃろうが!」

「おー」

 男前過ぎて思わず拍手した。

 僕が女の子ならうっかり惚れてしまっているところである。男なので実はとっくに惚れているんだけど、みづちに限定していないところが、個人的に頭が痛い所だ。

 ホント……僕もこういう風に、男前に生きてみたかったなぁ。

「嬉しかったので、なにかご褒美をあげようか。なにがいい?」

「むっ!? むぅ……なんか、今日は優しくないか?」

「まぁ、ぬか喜びになるだろうなぁっていう算段がどこかにあるん」

 ドゴォッ!

 轟音が響いて、出入り口の扉が砕けた。

 みづちは慌てた様子もなく戦闘態勢に入る。彼女曰く『戦い慣れている』とのことなので、こういう荒事はお手の物なんだろう。

 僕はびっくりし過ぎて寿命が縮むかと思ったけども。

「さすが、黒依の眷属は索敵早いのぉ! しかし、その程度で私をぶりごきんっ!」

 最後まで言い終わる前に、地面に叩きつけられてみづちは気絶した。

 弱っ!? 想像以上に弱過ぎねぇかっ!?

 一瞬だけ失礼な言葉が頭を掠めたけど、みづちの『敵』の姿を見て、納得する。

「紅ちゃん……?」

「……ついてこい」

「え」

「勝ち取ったモンの勝ちなんだろ? じゃあ、オラが勝ってもいいでねぇか……」

「………………」

 その目には悲壮感が溢れていた。今にも泣きそうで、怒っているようだった。

 だから、僕は容易く彼女の手を握った。

「うん、そうだね。僕は紅ちゃんのものだ」

「……行ぐぞ」

「はい」

 言葉少なに、僕は紅姫ちゃんに付いて行くことにした。

 面倒なことは面倒くさいまま、貧乏くじの所有権は流動していくようだった。



「四人とも家から連絡が行った瞬間に連絡を絶ったみたいだね。白楼みづちさんと渦巻毎々さんは家から出てるけど電話連絡も付かないし家にもいないみたい。月乃輪薄紅姫さんは即座に家出。塚胎黒依さんはそもそもこーゆー事態を見越してたみたい」

「………………」

 天弧さんの報告を聞いて、私は思わず頭を抱えた。

 神様どもがアグレッシブ過ぎるのは毎度のこととしても、四人同時かぁ。

「ねぇ、天弧さん。与一君のことどう思います?」

「超良い奴だね。今回のこともそうだけど、良い奴過ぎて将来が心配になる。やっぱり、下の妹とか紹介しておくべきだったよな……一月前に気づいてればなぁ」

「……これだもんなぁ」

 天弧さんをたった一月でデレさせるってのが、もう際立って異常過ぎてやばい。

 京子さんが与一君を苦手に思っていた理由が表面化してきた。『人が一番欲しがっているモノをポンと寄越す』とは、よく言ったものだ。

 彼は本当に素直に褒める。

 劣等感が強過ぎて、自分が最低辺だと思っているから、自分以外が全部すごいのだ。

 もちろん、人を見るから冥さんみたいに増長する子はあまり褒めないが……冥さんはツッコミ待ちでわざと増長する所があるんだけどそれはそれとして。

 ピンポイントで、絶妙のタイミングで、後々思い出してにやけてしまう程度の精度で、褒めて欲しい所をさくりと褒める。

 とまぁ……そこまでなら、ただの『良い人』で終わるんだけど。

 問題はそこからなんだけども。

「天弧さんから与一君への親愛度が83くらいなのは分かりましたけど、逆はどうでしょうかね? 100をMAXとすると、どれくらいですか?」

「嫌われてないとは思うけどね……大目に見て75くらいかな?」

「私もそれくらいですね」

「ん?」

「与一→コッコの親愛度は75くらいだと思います。多分冥さんも同じです」

「コッコさんと冥には懐いてると思ったけど、そんなもんなのかな?」

「ちなみに、舞さんへの親愛度は68くらいですかね」

「あの野郎、僕より舞に懐かないとはどういう了見だっ!?」

「だからなんで舞さんのことになると容易くキレるんですか」

 面倒なので足払いをかけて転ばせようとしたけど、天弧さんはひょいっと私の足をかわして椅子に座った。

 むぅ……昔より手強くなってて、ちょっとむずむずする。

「昔は脇腹とか強打して、面白かったんですけどねぇ。時間は残酷です」

「下手すりゃ死んでますからね……毎度思うけど、よく生きてたなぁ、僕」

「責任は取ります。いや……むしろ取らせてください!」

「背景に『ドン!』みたいな擬音が出そうなほど力強く言わんでください……まぁ、話を戻しますけど、今の話とこの状況、なにか関係があるんですか?」

「私こと山口コッコは思うのですよ。神様みたいに血筋や親族を重んじる方々が、独りよがりな恋慕だけで、家族すらも捨てられるものか? と」

「………………」

 天弧さんの目付きが変わる。

 彼女たちが与一君に執心する理由は分かる。それはシラヌイさんが説明してくれた。

 でも……本当にそれだけだろうか?

 家族を捨てられるほどの激しい恋慕が、独りよがりで燃え上がるものだろうか?

 ヒロインじみた少年の甘やかし程度で、家族を捨てられるものだろうか?

 彼女達は神様だ。人間より長く生きている。人間より長く生きているから、色々なしがらみに囚われていて、大っぴらで派手なことはできない。

 シラヌイさんが勝利を確信していたのも、そのあたりに要因がある。

 目を細めて、私は言葉を続けた。

「結論は一つ。全員が全員、与一君と相思相愛だと信じて疑っていないということ」

「……やっぱり失敗だったかな。与一と彼女たちを会わせたのは」

「かもしれませんね。実際……見てて思ったことですが、恐らく与一君は彼女達のことが好きなんじゃないかと、会話の断片からでも推察できます」

 惚れっぽいと言って笑っていた。

 まさに、言葉の通りに。惚れていた。

「ここからが本当の問題ですが……惚れているなら惚れているで、誰かを選ぶこともできたはずなんですよ。誰か一人を、選んでも良かったはずなんです……でも、そうしなかったってことは、彼には『誰も選べない』事情がある。寂しさ以上の、なにかの事情が」

「……コッコさん」

「はい。なんでしょうか?」

「時間はかかるかもしれないし、手遅れかもしれませんが……与一が『師匠』と言っていた人を探すことはできませんか?」

「与一君が連絡先を知っているっぽかったので、なんとかなると思いますが……」


「探す必要はなぁい♪ なぜなら、私はもうここにいるからね」


 ぞっと、した。

 ただの言葉だったのに『今からお前を殺す』と害意満点に言われたかのような感触。

 振り返った先には誰かがいる。この世にいてはならないなにか。

 黒革のジャケット。無造作に切り揃えられた髪の毛。細い顔立ちに大きな胸。体格は私と同じくらいだろうか。全身を黒で統一した女。年齢は……まぁ、多分私より確実に年下で、冥さんよりも下手すると下かもしれない。

 その目だけが、コールタールのように真っ黒で。

「私が与一の師匠。人呼んで『俗悪使い』ってところかな? 以後お見知り置きを」

「なら、話が早い。早速お話を……」

「ん? 嫌だよ?」

 交流の第一歩を、彼女はあっさりと拒絶した。

 天弧さんが常備しているコーヒーを勝手にカップに注いで、彼女は笑う。

「後悔すれば? 神様のいたずらで人が死ぬ。よくあることでしょ?」

「今後悔してるから、これ以上どうにかならんようにしたいんだろうが! いいから、俺が知りたいことだけさっさと教えろ! 殺すぞ!」

 珍しく……本当に珍しいことだけど、天弧さんが本気で怒っていた。

 黒い彼女は、角砂糖をコーヒーに落とした。

充絶陣(じゅうぜつじん)

 忍法黒風(にんぽうこくふう)

 紅蓮恐惶(ぐれんきょうこう)

 飢餓寂寥(きがせきりょう)

「は?」

「だから、知っていることさ。『私みたいなの』は知っているだけで四人いる。治らない二歳児病にして弱者の暴力。私はその暴力の形にそれぞれ名前を付けた。名前に意味はない。いかにも『おっかない感じ』にして軽々に振るうモノではないと定義づけるため。まぁ、中二病らしく、カッコいい名前を付けたかったでもなんでもいいのさ」

 コーヒーに次々と角砂糖を投入しながら、女は言葉を続ける。

 彼女の目の中で、ぐるりと黒いなにかが渦を巻いた気がした。

「与一のそれは、四人の中でも最強だ。なにせ吐き出す手段がない。彼は典型的な善良型だからね。育った環境と親がことごとく悪かった。運がないとはこのことだ」

「それは……与一が虐待されてたっていう……」

「両方に決まってるじゃん。幸福も不幸も、彼のためにならないなら等しく暴力だ。『自分が気持ち良くなるためなら、他人を害しても良い』とどちらも教えてくれなかった。それは悲劇なんだよ。間違いなくね」

 さらりと、黒い彼女は言い放つ。コーヒーに角砂糖を放り込みながら。

「全ての悲劇は、緩急とギャップにこそ存在する。君だってお屋敷がなくならなかったら今頃まだダラダラやってたんじゃねーの? 高倉天弧くん?」

「……かもな。親父には感謝してるよ……ある意味、だけどな」

「で、オメーはそうやって耐えられるけど、ボクらはそうじゃないんだよね★」

 コーヒーに山のように角砂糖を積んで、彼女は上からミルクを垂らした。

「私達は弱者だ。具体的にはさっき怒鳴られた時に、ちょっと帰りたくなったくらいには弱者なんだ。敵意を向けないで。害意を見せないで。そういうのは面倒だから」

「アンタを見てると、とてもそうとは思えねぇよ」

「なら、与一を見れば納得できる?」

「………………」

「いっそ女体化でもさせてテメーで引き取ればぁ? 実は女体化の秘薬は持ってるから引き取っちゃいなよ。胸は控え目かもしれないけど、健気で良い女になると思うよ? 中学生が嫁とかすごいね! みゆきには気を付けろよ! ウェヘヘへへ!」

「よーし、そこを動くなよー」

「天弧さん。拳を握らないで! 全力で殴りたいのは分かりますけども!」

 なんというか、笑い方から所作仕草まで、なにからなにまで癇に障る。

 角砂糖で山盛りになったコーヒーカップにミルクを垂らしながら、彼女は笑う。

「ま、放って置いたら? ここまで来ればあの子も腹ァ括るでしょ」

「腹を括るって、どういうことだよ?」

「オレ、オマエト、ソイトゲル」

「…………な」

「甘く見るなよ、小童。私らはテメーみたいに甘い汁啜って生きてきたんじゃない。一日一日を大事に健康に元気で頑張るために最善尽くしてんだ。そのためならなんでもするぜぇ? 媚びも売るし仮面も付けるし嘘だって吐くし尽くしちゃうぜ? 特に与一は引き取られた家が最悪だからね。情に厚くて恩を倍返しするんだ。神様五人に一ヶ月すげェ楽にしてもらった? そんなもん……一生賭けて恩返しするしかないじゃん? でも、五人いっぺんには絶対無理だしみんな好きだから、そっちで『引き取り先』を『勝手に』選んでくれればいいよ的な流れなわけよ。簡単に言えば『捧げられた供物としての覚悟完了』なのさ。お分かり?」

 捧げられた供物。僕を好きにしてくれて構いません。

 捧げたのは……私たちか。

 好む好まざるに関わらず、そういう状況になってしまったけれど。

 そして、目の前の黒い彼女は、悪意たっぷりでクソムカつくし、正直今すぐ殴って土下座でもさせてしまいたいくらいにイライラするけど……言ってることは、正鵠だ。

 与一君のことに限っては、彼女の言うことが恐らくは回答なのだろう。

 天弧さんは息を吐く。息を吸って、息を吐いて、コーヒーを一口飲んで、睨んだ。

「一つ聞くが……与一をそういう風に『仕込んだ』のは、アンタか?」

「そだよ。ん? なになに? 文句でもあるの?」

「文句はねぇよ……俺はともかく、与一はそれで納得したんだろうしな。文句はないが、もう一つだけ聞きたいことがある」

「聞きたいこと? なにかな? バストサイズとかだったら、まぁ……うーん」


「与一は、×××××××××?」


 コーヒーカップが地面にぶつかって、割れて砕けた。

 角砂糖が地面に飛び散り、大量の角砂糖とミルクに汚れたコーヒーが床を汚した。

 言葉を発した瞬間、黒衣の彼女は笑顔のまま角砂糖満載のコーヒーカップを天弧さんに向かって投げつけてきたのだ。

 ぎりぎり、本当にぎりぎりで、私はそれを振り払うことができた。

「天弧さん大丈夫ですかっ!? 火傷とか……」

 言葉が尻すぼみになる。私は言葉を続けることができなかった。

 天弧さんは険しい表情で彼女を見据えていたし。

 彼女は、特に感情を見せない無表情のまま、涙を流していた。

「分かってるなら後悔しろよ。自分がやったことがどんだけのことなのか、私達にとってどれだけ重いのか。自覚して後悔しろ。お前らがやったことは本当の意味で無茶で無謀で、その上でもあの子は引き受けただろうさ……男の子だからね」

「後悔はした。行動はこれからする。どうすればいい?」

「どうもしない。諦めろ。他人の恋路にナニを突っ込もうってのさ? ハハッ」

「分かったよ。お前はそこで腐ってろ。……コッコさん、彼女たちが行きそうな所をしらみつぶしに当たります。付いて来てください」

「それもさせない」

 不意、だった。

 部屋中が真っ黒に塗り潰される。真っ黒い影。彼女の目と同じ、黒いモノ。

 それは恐らく……憎悪と呼ばれるものだった。

 黒いはずなのに暗くなくて、光は差し込まないのに、彼女と私達の存在だけを、際立って感じ取ることができた。

 その黒い部屋の中でも、彼女はにやりと笑っていた。

「高倉天弧。君の言う通り、私はここで腐っているとしよう。君を憎み、周囲を憎み、与一が悲しい目に遭うのを傍観しているとしよう。……その代わり、お前も道連れだ。お前はここでなにもできずに、私と同じ目に遭え」

「お前……っ。それが『師匠』と呼ばれた人間のやることか!」

「勘違いしてもらっちゃ困るが、私は『俗悪使い』なんだ。……高倉天弧。なぁ、高倉天弧。私は分かってくれとは言わないよ。ちぐはぐな心と体を持ち、大好きな女の子に追いかけ回される男の気持ちとか、家業が嫌で嫌でたまらない臆病者の気持ちとか、一歳から今まで人格と人間性をお譲さまに踏みにじられて来たお調子者の気持ちとか、寂しさのあまり孤独を選択した男の気持ちとか……そういうことを分かれとは言わない。ただ、これだけは伝えておこう。今回のことは私だけじゃない。俗悪使い全員の総意として……私達は如月与一の選択を尊重する。生贄のまま好きな人と寄り添おうとする、彼の心情を最大限にまで汲み取り、私達は君の行動の一切を邪魔をすることにしたのさ」

「ふざけんな! そんなものは『選択』とは言わない! ただ流されてるだけだ!」

「言葉遣いに気を付けろよ。『流していただいてる』だろう?」

「俺はそんなモノは認めない! 人は意志の力で選びたいことを選ぶんだ! 真っ直ぐじゃなくても曲がっていても遠回りでも、選ぶことは、生きるってことだ!」

「じゃあ、君の宿と、君の女と、君の両目……どれか好きな物を選べ。君の右腕を対価として、どれかから手を引いてやろう」

「いい加減にしろよ、テメェッ!」

「分かれとは言わないよ……でもね、そういう選択を、何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回もっ! 選びたくもねーことを何ッ回も選んできたんだよ! 目の前に戦うか逃げるかみたいな幸せな選択肢しかなかった奴が偉そうな口を叩くな! 不愉快だ!」

 それは、悲鳴だった。悲痛なる絶叫だった。

 涙を零しながら、女は叫んでいた。

 恐らく、彼女は本質的に泣き虫で、けれど人らしく生きようと足掻いた。希望はあるのだと、自分も人間らしく素敵に生きられるはずだと……そう思って足掻いたはずだ。

 けれど……なりたいものには、なれなかった。

 折れた心を瓦礫のように積み上げて生きている彼女は、きっぱりと断言した。

「弱者には弱者なりの矜持がある。与一は助けさせない。黙ってここで見てろ!」

「………………っ」

「……天弧さん」

 激昂しそうになる天弧さんの肩を、そっと叩く。

 憤怒の表情を浮かべていた彼は、私の手を握って、大きく息を吐いた。

 彼にも私にも、この真っ黒な部屋を抜け出す手段は恐らくない。彼女を殺せばなんとかなるのかもしれないけど……もしも『なんとかならなかったら』どうしようもない。

 天弧さんは、ゆっくりと息を吐いて、彼女を睨みつけた。

「……お前は本当にそれでいいのか?」

「いいわけないでしょ。手も口も頭も全部出したいけど、我慢してるんだよ」

 涙を拭いつつ、黒い彼女は、苦笑を浮かべた。

「まぁ、与一だから大丈夫さ……あの子はちゃんと、弁えてるからね」

「っ……なんで、与一にそうやって諦めることばかり教えたんだ……お前はッ」

「薄々分かっちゃってるくせに、そーゆー問いかけをするのかい? やれやれだぜ」

 彼女は目を細める。目を細めて、彼を真正面から睨みつけた。

 そして……諦めなかった青年に対し、諦めるしかない言葉を、投げつけた。



「そんなもん、死にたくないからに決まってるよね★」



 如月五月は、宙を舞っていた。

 体中に巻きつく糸は柔剛長短ありとあらゆる素材が揃っていたが、この手の技術には多少心得がある。引き千切る方法も、心得ていた。

 糸を引き千切り体を反転させて着地する。二人の意識が切れた一瞬を突いて、窓から外に飛び出して逃走を図ったのだが……どうやら片方が追跡に来たらしい。

 溜息混じりに埃を払うと同時に、再び腕に糸が巻きついた。

 この時点で、五月は『勝つ』ことは諦めた。相手がその気なら自分などとっくの昔に八つ裂きだろうと、漫画やらゲームやら実戦経験やらその辺の知識を動員して、あっさりと納得した。

 うっかり森の中に逃げ込んでしまったが、それが失策であることは知っていた。

 視認できる中でも数か所、蜘蛛の巣に見せかけた《警報》が見える。どこに逃げても動きは丸見えだろう。

 そう判断したと同時に両足に糸が巻き付く。これで動きが封じられた。

「……はぁ。全く、全くだよ。お兄ちゃんは変な人と関わり合いを持ってしまったようで妹としては残念至極。とてもとても残念だよ」

「いや……あなたはそういうことを言っちゃいけないと思うけどね」

 物陰から姿を見せたのは、黒霧舞だった。

 その指先には糸。それらが縦横無尽に五月に巻きついていた。

「五月ちゃん。あなたの動き……玄人のそれ『どころじゃない』わよ?」

「ああ、私もよく分かんないんですけど、なんか天才らしいです」

 なんか天才らしいです。

 あっけらかんと言い放たれたその言葉に、舞はなんとなく口元を引きつらせた。

 嫌な感触がある。ざわりと胸を痛めつける感触。自覚はあるが……あまり自覚したくなかった、痛々しく重苦しい、見るも無残なコト。

「なんかえらくきっついことやらされて、千年に一人の逸材だとか喜ばれたんですけど、意味分からないんですよね。私は別に祓い屋とかやる気はないのに」

「えらくきっついことって……」

「お姉ちゃんが過労で死にかけた程度のことですよ。それが原因でお兄ちゃんとお姉ちゃんが滅茶苦茶な喧嘩したり、お兄ちゃんが家出したりで大変だったんですから」

「………………」

 さらっと言う。当たり前のように言う。肩をすくめて言う。

 家庭のよくあるトラブルのように……言う。

 ちくりとしたものを感じながら、舞は口を開いた。

「どうして逃げたりしたのよ?」

「逃げたんじゃありません。奪い返さないといけないでしょう? お兄ちゃんは私のお兄ちゃんであって、神様のおもちゃじゃないですもん」

「……子供はそんなこと考えなくてもいいのよ」

「んじゃ、お兄ちゃんがもしも帰って来なかったら、責任取れるんですか?」

 責任取れるんですか? と、子供が顔をしかめて口にする。

 大昔、もうあまり思い出したくない昔に、舞がよく使っていた言葉だった。

 渇いた目で舞を睨みながら、五月は口を開く。

「如月家は意外と亭主関白でしてね、お父さんの意見が無理を通してまかり通ってしまうことが度々あるんですよ。小さな頃からそうだったし、これからも多分そうなんだと思います。……私はそれがたまらなく嫌でした。味方になってくれたのはお兄ちゃんだけ」

「………………」

「なんか冷たい目になってますが、別に兄ラブとかじゃないです。如月家におけるお兄ちゃんの順位は下から二番目ですが特定の条件下において、上から二番目になるという特殊能力を持っているのです。時折、えらく頼りになるんですよね……」

「………………」

 その言葉からは、五月の与一に対する深い信頼が見て取れた。

 依存しているわけでもなく、ただ普通に頼りにしている。そんな感じだった。

 目を細めて、五月は舞に懇願するように言った。

「というわけで……お兄ちゃんを助けに行きたいんで、糸を解いてもらえませんか?」

「………………」

「ミニスカさん?」

「舞よ。私の名前は……黒霧舞。ミニスカさんじゃないわ」

「んじゃ、舞さん。糸を解いてもらえませんか?」

「残念だけど、解くわけにはいかないわね」

 強めに五月の全身を締め上げて、舞は息を吐いて五月を見つめた。

「というか、そういう荒事は大人に任せて……あなたは宿で待っててくれない?」

「大人というものは、色々企むのがお仕事です」

「……私がなにか企んでるってこと?」

「いえいえ。企むのは、私の師匠筋に当たる人で……今回の諸々を色々と画策したおばーちゃんですよ。通称クソババァとも言いますが」

「……っ……まさかっ!?」

「お察しの通りです。おばーちゃんとしては、どちらでもいいんですよね。如月家でも神様でも、自分の目の届く範囲であれば……お兄ちゃんの管轄は、何でも良いんです。どうやらお兄ちゃんは『模範的な危険物』らしく、最初に騒動を起こした以降はなにも起こしていません……クソババァとしては、供物としてちょうど良い感じなんですよね」

 呆れたように溜息を吐いて、五月は言葉を続けた。

「が、ここで別の意見が絡んできます。私には三人の同行者がいました。黒ジャケットのおねーさんと変な忍者さんといかにも雑魚っぽいおにーさんです。彼ら彼女らはお兄ちゃんの味方だと言いました。与一の決断を尊重する者だと。邪悪な笑顔を浮かべながら言いました」

「………………っ」

「彼らを信じたわけじゃありませんが、言葉には真摯さと重みを感じました。妹としては兄の決断を尊重しないわけにはいかない。神様に惚れてしまったのなら……まぁ、しょーがないですよね。寂しいですけど」

 ぶぢぃっ! と、耳障りな音を立てて、五月を拘束した糸がことごとく千切れた。

 なんのことはない。ただ単純に『力任せに引っ張って』千切ったのだ。

 舞はその直前で糸を外していたので影響はなかったが……中学一年生の少女が、その細い指で絹糸のように金属ワイヤーを引き千切るのは、凄まじい光景だった。

「黒革さんが二人、忍者さんが二人、雑魚さんが一人、私が一人の割り当てなので……これで仕事は果たしたことになりますね」

「お兄ちゃんを助けに行くんじゃなかったのかしら……?」

「お兄ちゃんとはメールで密に連絡を取っています。如月家では、普通ですよ。助けは要るかと書いたんですが、要らないと今返信が来ました。残念無念です」

「脅されて、書かされているかもよ?」

「残念ですが、雑魚さんの情報収集能力は定評がありましてね……残念ですが、ね」

 そこまで言うと、五月は腰を落として構えを取った。

 左半身を前に。右半身を後ろに。右手は拳を作り、左手は開いていた。

「そういうわけで、一日ほど気絶してもらいます。ここの宿屋の方々は危険人物ばかりっぽいんで正直相手をするのも嫌ですけどね」

「……嫌なら、やめたら?」

「そうもいきません。私は如月家の女ですからね。いつだってお兄ちゃんの味方です」

「………………」

 ちくりちくりと、胸が痛む。

 ざくりざくりと、心を裁断する。

 分かっていることだった。分かることだった。舞はそれを誰よりも自覚していた。

 自分のことだ。他の誰でもない自分のことだから……よく分かる。

(……私は、この子に嫉妬している)

 過去、天才と呼ばれたことがあった。それは別に嫌ではなかったけれど……結局妹を連れて逃げ出して、逃げ出した先でようやく安息を得た。

 如月五月は、逃げ出すことなく、安息を得ている。

 嫉妬など必要ない。妬ましく思うことなどない。自分は今そこそこ幸せで、こうして衣食住なんの心配もなく生活できる。好きな人がいて、その人と楽しく笑える。


 それでも……心は叫ぶのだ。


 救われたかった。あの一番苦しい時に、誰かに助けて欲しかった。

 冥ちゃんを助けた私を……誰か助けてくださいと、心は叫び続けている。

 天賦の才を腐らせても、それでもいいんだよと笑ってくれる誰かにいて欲しかった。

「……なるほど。ムカつくわけだわ」

 叫びをねじ伏せる。宥めすかして頭を撫でて、多少の嫉妬を残してご退場願った。

 ゆっくりと息を吸って、息を吐き、呼吸を落ち着かせて前を見た。

「五月ちゃん」

「なんですか?」

「五月ちゃんの理由は分かったわ。……私にもね、当然引けない理由があるのよね」

 二十歳になったばかりだけど。そもそも大学生で大人ですらないけど。

 それでも、中学一年生の子供に、黒霧舞は語ることにした。

「私には好きな人がいるの」

「……あの眼帯の人ですか?」

「うん」

 舞は微笑んだ。見る人が見れば……宿の面子が見れば、その笑顔は、とても珍しいものだと分かっただろう。

 少女のようにはにかみながら、舞は言葉を続ける。

「あいつはね、好きな人の表情に影が差すのをすごく嫌がるの。誰かのことを構わないと生きていけない……そういうタイプの馬鹿なの」

「失礼ですけど、趣味が悪いと思います」

「知ってる。でも仕方ないのよね……惚れた者勝ちなんだわ、結局のところは」

「……どういう意味ですか?」

「あいつが嫌がるようなことは……私も嫌なのよ」

 他人の顔色は無視できる。影が差そうがなにしようが見て見ぬふりできる。

 でも……彼のだけは駄目だ。いつでもどこでも気になるし、嫌われていないかと不安になって仕方がない。また馬鹿やって自業自得に凹んでるんじゃないかと心配で仕方がない。それを口に出したりも、態度に出したりもしないけれど。

 そんな自分が嫌で嫌でたまらないことがある。

 けど、それでも。いつだって……彼は笑いながらあっけらかんと、あっさりと、舞が一番欲しいモノをくれる。

 僕は舞が好きだよ、と。一番欲しい言葉をくれるのだ。

「だから……ここで私がやることは、五月ちゃんを捕縛して宿に閉じ込めた後、京子さんか冥ちゃんに助太刀すること。山口さんが暴れてないってことは、また面倒な能力持ちなんでしょうけど……まぁ、いつも通りになんとかしてやるわよ!」

「……黒霧舞さん」

「なにかしら?」

「初対面から思っていましたけど……あなた、すっごくムカつきます!」

「奇遇ね……私も、初めてあなたを見てから、ずっとムカついてたわ!」

 似ていないけれど似た者同士の二人は、こうして意地を賭けてぶつかり合う。

 その戦闘は一日の長きに渡って繰り広げられることになるが、当事者同士そんなことはお構いなしに、全力で己の全てをぶつけ続けるのだった。



 かくて、状況は整う。

 誰もが貧乏くじを引き続け、物語は続く。

貧乏くじも当たりくじ。

誰が当たりを引くのかは分からない。


次回、第九話:大した理由はありません(後編)


ここまで追い詰められないと、理由を話してくれない男もどうかと

思うけど、人の理由なんて得てしてそんなもんだ。

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