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第七話:大した理由はありません(前編)

如月与一、家に帰るついでに恩返しするの巻。

なんで家に帰るだけでこんなに文字数がかかっちゃったのか、その理由は誰も

知らない。自分も知らない。

 ハチャメチャが押し寄せてきやがった!

 泣いてる場合じゃないんだよ!





 彼女についてちょっと考えてみよう。

 黒い霧という中二病っぽい名字に、舞という非常に似合った名前を持つ彼女。

 黒霧舞という名前の、彼女だ。

 年齢は二十歳。眼帯と同じ年齢で同じ大学。この宿では珍しい常識人。腰が細く胸が薄い。モデル体型。特徴はつり目と長い指先といつも付けている髪留め。実際洒落にならないほど器用。器用というより指先が別の生き物のように動く仕様。カジュアルで動きやすい服装を好む。さりげないお洒落を好むけど派手に着飾ったりはしない。髪の長さは肩まで届くか届かないかくらい。髪型は毎日変えているらしい。余談ではあるけど、彼女の髪はコッコさんが適当に切っていると聞いた時は冗談抜きで戦慄した。

 目に優しいミニスカート派。最近の流行は二輪車。バイトで事務員っぽいことをやっているが、さりげなくあっちこっちのフォローに回っているのをよく見る。

 眼帯の嫁。……ではなく、眼帯が嫁。

 黒霧姉というのが面倒になったので、黒ねーさんと呼び始めたら眼帯が睨んでくる。あの男が黒ねーさんに対してだけ妙に強気なのが意味不明。

 とまぁ、そんな感じの人物が……黒ねーさんこと黒霧舞さんだ。

 僕は彼女のことを常識人だと思っていたし、彼女も恐らくは宿の中では常識人として振舞っているだろう。彼女の妹であるアホメイドと婿である眼帯が、はっちゃける時ははっちゃける性質なので、ストッパー役を買って出ていると言ってもいいかもしれない。

 買って出ているだけで、彼女もこの宿の人間だ。

 意外とキレやすく、沸点が低い。

「うふふふふふふ」

「えへへへへへへ」

 他所の姉と、ウチの妹が、睨み合っていた。

 まぁ……恥ずかしながらというかなんというか。

 身内が迎えにきやがった!

 妹の名前を、如月五月という。きさらぎさつきと読む。

 ウェーブのかかったロングヘアーと可愛らしい顔立ち。大きな目に人懐っこい態度。背は僕と同じ程度。体のの凹凸は慎ましいものだが、そのうち成長するだろう。

 僕にとっては可愛くない妹なのだが、可愛い可愛くない以前に今日の妹は怖かった。

「ですからぁ……必要書類は全部揃えてありますから、さっさとお兄ちゃんを引き渡せって言ってるんですよ。日本語分かりますか? ガキ相手だからってナメてません?」

「いやいや、あのねぇ……ちょっと待ってって言ってるのよ。具体的にはあと三日。あと三日で、つつがなく引き渡せるの? 分かる? お子様の頭で理解できる?」

「お子様だから理解できませーん」

「ぐっ……このクソガキッ……確信犯のくせにっ」

 歯ぎしりの音が聞こえるようだった。

 ああ……こういう時に限って、どうして眼帯はアホメイドを連れてどこかに行ってしまったんだろう。確かにアホメイドの奴、今日は前々から休暇だってはしゃいでたけどさ、妹が来る日じゃなくてもいいじゃん。マジでさ。

 ダモクレスの剣、あるいは針のむしろってのは、まさにこのことだと思うんだよね。

「お兄ちゃんは家に帰りたいよね? 一ヶ月も拘束されるなんて異常だもんね?」

「如月くんはあと三日ここにいるわよね? 約束だもんね?」

 相反する『YES以外の返答は認めない』問いかけが、圧倒的なプレッシャーになって僕を押し潰さんとしてくる。

 僕は眼帯ほど精神的にタフじゃないんで、もうちょっとお手柔らかにお願いします。

 胃がギリギリしてきやがった……。

「あ、あのな五月。僕はなんていうか……あと三日ここにいなきゃいかん理由が」

「お兄チャン?」

「いいいい言いたいことは分かるけど、脅しは無駄だゾ!」

 やばい怖い帰りたい。

 いや、そもそも最初から帰りたいんだけど、一ヶ月もこの宿にいるもんだから愛着が湧いてくるというかなんというか。

 最近だと『あと三日か……』とか、考えるだけで泣きたくなるし。

 いつでも遊びに来てもいいとは言われてるけど、それでも僕はここでは『外部の人間』でしかないのだ。帰る場所もあるし行かなきゃいけない学校もあるのだ。

 僕の返答に頷きつつ、黒ねーさんは勝ち誇るように言った。

「ごめんね、五月ちゃん。でも、あと三日の我慢だから♪ なんならお兄ちゃんと一緒にここに宿泊してもいいのよ? 宿代はもらうけどね!」

「はい」

 五月が鞄をひっくり返すと、ドサドサとなにかが落ちてきた。

 一瞬、それがなにか分からなくなる。普段からチラチラと見ているような気もするがそれはそんなに数が多いものじゃない。ましてやドサドサなんて音は立たない。

 僕が見ているそれは……札束だった。

 五月はさらに鞄から五通の封筒を取り出して、黒ねーさんの目の前に叩きつけた。

「三日間の宿代はそれで足りますよね? それから、ウチの兄貴にへばりついてるクソ神様たちへの『書状』の追加です。こんなこともあろうかと、用意してもらいました」

「書状って……一体なにが書いてあるのかしら?」

「さぁ? 私はクソバ……じゃなくて、師匠に依頼して一筆入れてもらっただけですからね。知りません。あと、宿代も確認してもらえますか? それ、全部千円札なんで足りるかどうか分かりませんし。ほら私って、中学一年生のクソガキですから、お金の計算とかできませんし?」

「………………」

 黒ねーさんの目に『あ、殺そう』という明確な殺意が浮かぶ。この宿の人間にしては堪えた方だけど、意外と堪え性がなかった。

 黒ねーさんが殺意を実行に移す前に、僕は口を開く。

「五月。ちょっとお兄ちゃんの弁解を聞いて欲しいんだけどさ」

「なによ、クソ兄貴」

「心配させちゃってごめんな? なんていうか……色々あってさ」

「…………ふん」

 不機嫌なままだったし、そっぽを向いてしまったけど、仕方ないっちゃ仕方ない。

 一ヶ月も兄貴が音信不通とか、普通を越えて心配する。

 五月は溜息を吐いて僕をじろりと睨んでから、呟くように言った。

「まぁ……元気ならいいけど」

「そっちも元気そうで、ちょっと安心した。親父殿たちは元気?」

「フツー。……お母さんはお兄ちゃんのこと気づいてないし、お父さんとお姉ちゃんは気づいてるけど、なんか知らないふりしてたし……本当に心配したんだからね?」

「悪かったって。帰ったらなんか奢るからさ」

「奢らなくてもいいけど、服選びには付き合ってもらうわよ」

「……ぐえぇ」

 僕がカエルの断末魔のような呻き声を上げた。五月の買い物は長い。今時の女の子らしく服選びはとにかく長い。おまけにこっちの意見なんか聞きゃしねぇときた。

 僕の嫌そうな反応を見て溜飲が下がったのか、五月は席を立った。

「ま、せっかくの旅行だし、楽しんで行くね。あ、従業員さん。案内よろしく♪」

「……ハイ、お客様。こちらにどうぞ」

 内心の憤怒を隠そうともせず、黒ねーさんは席を立ち、五月と一緒に客間を出た。

 後に残された僕は、ぼんやりと天井を眺めてから、外を見た。

「あと三日かぁ……」

 今日を含めて三日経てば、家に帰れる。

 ほんの少しだけ寂しくて少しだけ泣きそうだったけど。

 以前ほど、苦しくはなかった。



「もがっふふぇい! んがふぇいふぁぼぅ!」

「あの……舞さん。ちょっと落ち着いて食べましょうよ」

 夕飯時。本日の梨本食堂はシェフがライトノベル消化中のため、閉店だった。

 まぁ……確かに仕事はえらく暇だったので、暇を持て余すことに慣れていない私たちは少々戸惑ってしまったわけだ。仕方ないといえば、仕方ない。

 仕方なく、車で遠出をすることになり、焼肉食べ放題の店などに来てみたわけなんだけど……舞さんがいつになく荒れていた。

 肉を頬張り、ビールを飲み干し、血走った目で肉を焼く。

「如月くんの妹! あの女、ホントになんていうかこう、イライラするんですよね!」

「えっと、五月ちゃんでしたっけ? なんか可愛い感じでしたけど」

「あの可愛さは計算された可愛さです! 可愛さの演出に慣れた女の匂いがします! 私はああいう女がなんていうかこう……うぬがああああぁぁぁぁぁぁ!!」

 怒りを肉にぶつけるくらいに、苦手というか怒りの対象のようだった。

 しかし、中学一年生にそこまで怒れるのも、ちょっと大人げない気もする。

 と、そんな風に私が思っていると、お皿に色々載せて美里が帰還。

「んー……確かに、舞ちゃんの気持ちも分からないでもないのよねぇ……」

「でしょ!? さすがチーフは話が分かります! んぐっんぐっ……ぷはぁ!」

「私は今の舞さんに殺意が湧いて仕方ないんですが……」

 私が運転しないと帰れないけども。真正面で美味そうにビールを飲むのはやめて欲しいような気がする。正直私もちょっと飲みたい。

 こういう時、下戸の天弧さんがいるとすごく便利なんだけど……残念ながら今日は冥さんとお出かけ。仕事の打ち合わせという名のデートだ。

 美里は皿に山盛りに乗せた肉類を鉄板に乗せつつ、首を傾げた。

「京子ちゃんは平気みたいだったけど、昔の自分を見てる気がして……ちょっとね」

「美里も冗談が上手くなりましたね」

「コッコちゃん、なんか最近私への風当たりがキツくない? 嫁姑問題?」

「どっちが嫁でどっちが姑なのかはともかく……そういうことは、口の周りの泡を拭いてから言ってもらえません!? お肉焼きながらごふごふ飲んじゃってまぁ!」

「今時の食べ放題って色々あるのね。私、さぬきうどん持ってきちゃった♪」

「それは地雷です!」

 炭水化物は血糖値が上がりやすいので、お腹一杯になりやすい=肉の消費量が減る。

 まぁ、食べ放題だし好きな物を食べれば良いと思うし……舞さんはともかく美里は見た目に反して結構食べる方なので、元は取れるだろう。

 元が取れるのが美里だけだけど、食べ放題はそもそも元を取るものじゃない。

「まぁ……与一君が妹さんに甘いのは見てて分かりましたけど……」

「へっ、あいつも所詮は男だったということですね。斜に構えてても可愛い妹には甘いんですから」

 もしかして、同族嫌悪ですか? と、言いかけてやめる。

 その言葉はさぬきうどんよりも深く重い地雷なのは言うまでもない。

 お肉をがつがつと食べながら、舞さんは目を細めて言った。

「まぁ、正直『可愛いだけ』ならどーでもいいんですよ。全部千円札だろうが、お金さえ払ってくれればお客様ですしね。……でも、なんていうかこう……絶対になんか企んでそうな目をしているのが、一番腹が立つというか、なんていうか」

「あと三日で無事に与一くんも帰れるのに、ですか?」

「そうなんですよね……意味がないんですよね」

「…………んー」

 お肉をひっくり返しながら、美里は少しばかり眉をひそめて、ぽつりと言った。

「意味も意図もあるんじゃないかしら?」

「と、いいますと?」

「五月ちゃん、与一君とお見合いをした家に対して書状を持って来たでしょう? 内容を確認するわけにもいかないから、そのまま移送しちゃったけど……そもそも、中学一年生が神格者に対してなんらかのツテがあるっていうのは、少しおかしいんじゃない?」

「おかしくはないな。そもそも如月は祓い屋の家系だ」

 不意に響いた声に、私たちは慌てて振り向いた。

 灰色の髪の毛に金色の瞳。黒と紫を基調とした、蝶をあしらった着物。口元から覗く鋭い犬歯。あどけない子供のような顔には似つかわしくない、獰猛な横顔。

 シラヌイと呼ばれる彼女が、アイスとケーキを山盛りに盛りつけた皿を持ち、ニヤニヤ笑っていた。

「飽食極まれりとは、まさにこのことだな。このような施設があること自体が豊かさの象徴である。いや、甘いものが食べ放題とは、実に良い世の中になったものよ」

「ここ、そういう店じゃないですから」

「食えればどちらでも良かろう。少し邪魔するぞ」

 言いながら、シラヌイさんは舞さんの隣に堂々と腰掛ける。遠慮などもちろんない。

 ケーキを幸せそうな顔で頬張りながら、にやりと口元を緩める。

「話を続けるが、如月家は元々祓い屋の家系なのだよ」

「陰明師みたいなもんですか?」

「陰明師は公務員、祓い屋は下請けと言えば分かりやすかろう。祓い屋の仕事は陰明師の手が回らん木っ端仕事じゃよ。……祓い屋の創始者は私の弟子でな、与一の妹の師匠に当たる。管理している危険物に横槍が入りそうになったので、文句を付けてきたのだ」

 弛緩していた空気が、一気に引き締まったものに変わる。

 管理している危険物。そういった類の言葉に、私は少々怒りを覚える性質だ。

 シラヌイさんは、楽しそうに笑った。

「事実……与一は危険物であろう? 私ほどの神格者と八時間もの長きに渡って死合う『現象』なぞ、私はあやつ以外には知らぬよ」

「それは否定しませんが……人間を『危険物』として扱うことに、少々引っかかりを覚える人間もいるのですよ。同類相憐れむってやつです」

「まぁ、生きていればそういうこともあろうよ」

 楽しそうに笑って、シラヌイさんは楽しそうに笑いながらアイスを口に運ぶ。

 なんだか、異様に上機嫌だった。

「あんまり聞きたくないですけど、良いことでもあったんですか?」

「ああ。これで、与一は私のものだからな。独りで勝手に盛り上がっておったのだよ」

「……へ?」

「私の弟子は貸しを作るのが得意なんだ。そして、肝心要の時にそれを取り立てる。少なくとも家に縛られておる、私以外の四人は脱落確定よ。はっはっは、愉快愉快!」

「………………」

 いや、なんかこの人なにも考えずにケラケラ笑ってるけど……。

 それは、絶対に大丈夫じゃないような気がする。

 なんというか……神様らしい楽観というか、敵が消えた途端に周囲が見えなくなるというか。敵がいなくなっても警戒し続ける天弧さんや与一君とは真逆のタイプらしい。

 与一君も大変だなぁ……。

 と、私がなにも言わずにいると、骨付き肉に齧りつきながら舞さんが口を開いた。

「でも……こう言っちゃなんですけど、色々と趣味が悪いんじゃないですか?」

「それは認めよう。確かに女として、十四歳の小僧にこだわるのはみっともないな。神格者といえど昔と違って多少は節度もある。『交尾できれば婚姻はOKは古い』という風潮は、少数派ではあるが存在するし、私はどちらかといえば少数派に属するだろう」

「………………」

「信用ならんという目だが、何事にも例外はあるものさ」

 肩をすくめながら、シラヌイさんは呆れ顔で、自嘲気味に言った。

「与一がまさにそれだな。奴は神が求めるものを全て網羅している。故にもてる。若い連中には自覚はないだろうが、奴は人外を惹きつける」

「求めるモノって……」

「古代の英雄と大体同じだな。女、名声、そして闘争だ」

 ケーキを頬張るその姿は、見た目通りの女の子の様でありながら。

 その口調は、神々しき神格者のそれだった。

「この一ヶ月……お主らはすっかり興味を外しておったようだが、私達が入れ替わり立ち替わり与一の頭に乗っていたのは、別に与一とべたべたするためではない」

「……そ、そうだったんですか?」

「いや、というか本当にべたべたしたいんだったら普通に人型でいちゃつくわい」

「私はてっきり、なにかのプレイの一環かと……」

「山口さん、テンに毒され過ぎです。あと、チーフも」

 私と美里は速攻で顔を逸らした。私たちの間には都合が悪くなると聞かなかったことにするという暗黙の了解がある。今回もその暗黙の了解を発動した。

 シラヌイさんは目を細めて溜息を吐き、言葉を続けた。

「お主らも見たと思うが、与一のいわゆる『切り札』とな、戦い続けておったのだよ。それがどのようなものか詳細は省くが、神格者ならばなんとか逃げ切れなくもない程度の、凄まじい総量の絶望だ。お主らが見たのは与一が外に出す量を手加減したからこそあんなもので済んでおっただけで、全体と戦うとなると、我ら五人がかりでも部が悪い。私達にできることは、増え続ける総量を少しだけ減らしてやるくらいだ。一番良いのは与一の根本を直してしまうことだが……まぁ、無理だろうな。あやつはあれで完成しておる」

「ああ……だから、与一君はあなたたちに心を許してたんですか」

 最近の与一くんは、調子が良さそうだった。一ヶ月前よりもほんの少しだけ、元気そうに見えた。打って変わってというほどじゃ、ないけれど。

 軽く頷いて、シラヌイさんは大きく息を吐いた。

「本当は秘密裏に、ゲーム感覚でやるつもりだったんだがな……すぐに見抜かれた。奴の洞察力は異常だよ。で、仕方ないから五人で一日ごとにローテーションして、持ち回りでやることになったんだがな。これがまた酷いことになった」

「……具体的には、どのようなことでしょうか?」

「まず、みづちが完全に墜ちた」

 墜ちた。墜落すると書いて、おちたと読む。その心は……言うまでもないだろう。

 肩をすくめて、シラヌイさんは続ける。

「続いて、毎々が墜ちた。二人とも人間に例えるなら独り暮らしのOLだからねぇ。仕方がないっちゃ、仕方ないかもしれないけども」

『………………』

 私と美里は顔を逸らした。なんだか聞きたくない話のようだった。

 悟りを開いた僧のような無表情を浮かべ、シラヌイさんは話を続ける。

「いや、正直私もね、どうかと思ったんだよ? 十四歳のガキをさ、女五人で取り合うってそりゃね、神様だからってやり過ぎだと思ったわけよ。ただ、家とか面子もあるからさ、みんな渋々ながらも私に譲ってくれると思い込んでたわけ。ところがどっこいさ、一人また一人とガンガン墜ちていくわけ。段々引くに引けなくなっていく感じでさ、いやもう参った参った。与一は頑なに生きている奴からもりもり堕落させるね。魔性だよ魔性」

「……あの、もしかして私達に声をかけた理由って……」

「うむ。のほほんとした顔で肉を貪る小娘どもに、きっつい愚痴をかましてやろうと思ってねぇ」

「あ、チーフ! お肉取ってきますね、お肉!」

「いえいえ! 心配には及びません! 次はお寿司って決めてますから!」

「待て待て。そんなに焦らんでも食い物は逃げんよ」

 逃走を決め込む二人の袖を掴んで離さないシラヌイさん。私の隣は美里なので、美里が席を離れないと逃げるに逃げられない。

 着席したまま跳躍みたいな真似をすれば逃げられるんだろうけど、そんな真似をしたら入店禁止を食らってしまう。

 袖を掴んだまま、シラヌイさんは話を続けた。

「与一のアレを相手にするってのは……まぁ、控え目に見積もっても疲労困憊になるような真似なんだが、むしろ本番はその後でね……あの男は疲れている人間には極端に優しくなる傾向がある。試してみたが、腕枕までOKだった」

「中学生相手になにを要求しちゃってんですか……あなたは」

「戯言のつもりだったのだが、普通に許可が出たんだから仕方なかろう。……みづちや毎々がどのような対話を行ったのかは分からんが、少なくとも愚痴っぽい身内よりは与一の側が心地良かったのだろうよ。好きなだけ戦闘衝動を叩きつけても戦場はなくならず、戦闘が終わって疲れ果て、帰った先にはなんでも言うことを聞いてくれて、自慢話をしても積極的に頷き、褒めて撫でてくれる色っぽいにーちゃんが一人いるわけだ。これで墜ちるなと言う方のは、なかなか酷な話だと思うけどもねぇ……やっぱりねぇ……」

「……なんか、おばさんの愚痴みたいになってきたんですが……」

「気持ちは分かるはずだぞ? 例えば、帰って来た時、部屋に誰もいないあの孤独感。下らないダジャレを言っても反応がない寂寥感。少なくともおぬしには、覚えがあるはずだと思うがね? 自分はこのまま一人で死ぬんだなーとか、思ったであろう?」

「ひぎィっ!?」

 心の隙間に必殺必中。思わず顔が引きつった上に、ちょっとだけ泣きそうになる。

 おおおおおお落ち着け私! 昔のことだし今は楽しいから!

「や、山口さん? 大丈夫ですか? 顔が真っ青ですけど……」

「だ……大丈夫。全っ然大丈夫だから! 泣いたりしてないから!」

「続いて、黒依が墜ちた。奴は元々忙しい身の上なのでな、あまりアレと立ち合う機会は多くなかったし、私が代替することも多かったが……段々日が経つにつれ、目の色が変わっていくんだ。一度、物影からイチャついてる所を見られてて、えらくびびったわ」

「……ヤンデレじゃないですか」

「昔はそうだったんだが、今は……なんというか、育児に疲れる母親って感じだな。あやつ自身に子供はおらんが、一族全体で子供の数が半端じゃないのでな……忙しい身の上というのもそれが主な原因よ。誰かのことを考えなくても良い時間。自分のことを考えてくれる男との時間は、あやつにとってはかなり幸福な時間だったんじゃないか? と、私なんぞは考える。黒依はまだましだが、己の孤独と戦いながらの育児は大変だな」

「わっしょい! わっしょい!」

 美里の目がちょっとヤバかった。掛け声も色々ヤバかった。

 なにを思ったか山盛りのレバーと鶏軟骨を焼きだしたあたり、さっきの私を見ているようで色々怖い。

 舞さんが涙ぐむ美里の背中をさすっていた。

「最後に紅が墜ちた。まぁ、これは墜ちたというより、デレたといった方が正解かも分からんか。なんというか……与一は紅には甘い。紅はそもそも神格者の中でも田舎者で、それがコンプレックスだったのだろう。神様というものはやっぱり頼られてなんぼの所ところがあってだな、駄目な自分を頼ってくれる人間などいないと思い込む子だったのだが、その辺が与一の食指をそそったのかな……なんというかこう、女王様扱いでな。お姫様のように大切に扱う反面、些細なことでもすぐに頼る。コンプレックスが強く粗雑に扱われ自分を頼ってくれる人など誰もいないと思い込んできた田舎者としては……うん、まぁ、惚れても無理ないわ。あれは」

「オラァ! 店員、ビール持ってこいビール! ピッチャーで持ってこい!」

「ま、舞さん落ち着いて!」

 舞さんが壊れた。具体的には『お姫様のように大切に扱う反面、些細なことでもすぐ頼る』の下りでビールを盛大に吹いた後、いとも簡単にやさぐれた。

 場がどんどん混沌としていく……こんなことなら京子さんも誘えば良かった。

 こういう場合、大抵素面の人間が損をする。

「こういうのも『神殺し』と言うのかもしれんな。いずれにしても、今回の件で私以外の全員が与一に手出しできなくなったのも事実だ。こうなってしまえば、今まで争い、いがみ合ってきたことも空しいものよなぁ」

「意外と、許嫁でもいるんじゃないですかね?」

「はっはっは、残念だが私は下調べは済ませておくタイプでな。私の弟子は見合いをゴリ押しするタイプのババァではあるが、さすがに十四歳の小僧に許嫁は作らんよ」

 十四歳の小僧に腕枕をさせた人の言葉とは思えない。棚上げにも程があるだろう。

 バナナクレープを頬張り、目を細め、シラヌイさんは口元を緩めた。

 犬歯を剥き出し、挑みかかるような笑顔を見せた。

「さてと、それでは私はこれで失礼する。少々準備があるのでな」

「……なんの準備ですか。どーせロクなものじゃないと思いますけど」

「与一の部屋に勝手に住みつく準備じゃが?」

「そういうのはやめましょうよ!」

「だが断る! 愚痴を聞いてくれた礼じゃ。精々楽しむが良い。ではな」

 バナナクレープを飲み込んで、シラヌイさんは財布からお札を二枚取り出し、私に押し付けてさっさと店を出て行ってしまった。

 場をかき回すだけかき回して、愚痴を吐くだけ吐いて、行ってしまった。

 お札を確認する。きっちり諭吉さんが二枚。好き放題食べてもお釣りがくる額だ。

「……自覚はないと思うんですけど、どう見ても一途なんですよねぇ」

 呆れつつ、少し焼き過ぎたお肉を口に運ぶ。

 なにやら厄介なことが起きつつある。なんとなくそれだけは分かった。

「山口さん! 聞いてますか山口さん!」

「うふふふふふふふ!」

 まぁ、今この時より厄介な局面はそうそうないんだけれど。

 溜息を吐いて、お肉を頬張る。やっぱり京子さんも誘えば良かったかなと、少しだけ後悔した。



 起きた。寝た。また起きて、寝た。

 寝過ぎて頭がだるい。

「…………うぅ?」

 やっぱり、この一ヶ月はとても調子が良かった。彼女たちには感謝してもし切れないほどに、僕の調子は万全だったのだろう。そんな風に思う。

 僕のような雑魚でも、普通に生きていけるんじゃないかと、錯覚した。

「っ……ああぅ……」

 妙な呻き声と共に体を起こす。だるい。眠い。もっと寝たい。

 時計を見ると零時を回っていた。あと二日で戻れる。眠い。眠い。眠い。眠い。

 無理矢理体を起こして、眠気を追い払った。

「……みず。水分……」

 喉が渇いているのに眠たくて仕方がないってのは、かなり疲れている証拠だ。

 頭を振って、体を起こして歩き出す。

 向かうのはいつも通り食堂だ。清涼飲料水を適当に買うことも考えたけど、今はなんというか……普通の水が飲みたい気分だった。

 食堂に到着。約一名ものすごくびっくりしていたが、無視して水を汲んで飲んだ。

「……はぁ」

 美味い。滅茶苦茶美味い。こんなに喉が渇いているのに眠りに着こうとする僕の体は、色々な意味でイっちゃってると思う。

「よ……よう、与一。まだ起きてたのか……あはははは」

「寝てたけど起きたんだよ。誰にも言わないから続行して、どうぞ」

「できるか」

 食堂にあるソファの上で、眼帯の膝を枕にして冥が眠っている。

 眼帯は、その寝顔を覗きこみながら、頬を軽くつまんだりしていたわけだ。

 本当に……微笑ましい連中だこと。

「食堂でイチャついてると、梨本さんに怒られるんじゃねーの?」

「イチャついてないから。酔っ払っちゃって起きないから介抱してるだけだよ」

「あー……未成年を酔わせて襲いかかるわけか。送り狼そのものだな」

「ちげーよ! あと、その未成年が勝手に食堂のビール飲むのはやめようよ!」

「大丈夫だよ。梨本さんの見てない所で飲む時は、ちゃんと食券買ってるし」

「そっちの心配じゃねぇ!」

 眼帯は二十歳。黒ねーさんも二十歳なので、少なくとも冥がそれ以上ということはないだろうと思っていたけど、やっぱり未成年らしい。

 欠伸混じりにビールを口に運ぶ、麦の香りが実に心地良い。

 冥の頭を撫でながら、眼帯は呆れ顔で言った。

「まぁ、少しくらいならいいけどさ……俺は下戸だから正直羨ましいよ」

「いいんじゃねぇの? この宿の連中結構飲むから、一人くらい飲めない奴がいる方がバランスが良いだろ。車運転するデートの時はなおさらな」

「毎度思うけど、与一の言葉は中学生のそれとは思えない。年齢詐称してない?」

「してないつもりだけど……一年位は誤差があるかもね。最近ようやく背が伸び始めたから、むしろちょうどいいのかもしれないけどさ」

「うお……冗談で言ったつもりなのに、思った以上に重い回答が……」

「気にすんなよ」

 気にするなと言われて気にしなくなる人間はまずいないけど、僕はそう言った。

 この男の積載重量はもういっぱいっぱいで、僕なんかを気にする余裕はない。だからあえて、突き放すようなことを言った。

「気にしたら負けだ。どうせ、他人事だぜ?」

「他人事じゃねーよ。友達のことだよ。少しくらいは気にするよ」

「じゃあ、気にするだけにしとけ。お前はお前の嫁のことだけ心配してりゃいい。その方が僕も安心できる。世話になった人が嫁に刺されたとか……自殺しかねないしな」

「………………」

 眼帯は目を細めた。なにを考えているのかは、よく分からない。

 机の上に置いてあったグレープフルーツジュースを一口飲んで、眼帯は口を開いた。

「なぁ、与一」

「ん?」

「ここの生活は、どうだった?」

「楽しかったよ」

 それだけは、はっきりと言える。

 滅茶苦茶で最初は嫌々で、途中からも嫌々で、最後まで嫌々だったけれど。

 それだけは……はっきりと、言える。

「すごく、楽しかった」

「そりゃ良かった……が、一つだけ解せないことがある。与一、お前の『楽しかった』の理由の大半は、彼女たちのおかげなんじゃないか?」

「うん。まるで人間みたいに生きられた。感謝は言葉じゃとても足りないね」

「じゃあ、どうして全員に断りの手紙を出したんだ? 与一の妹さんの書状とは別に、お前はきっちり断りの手紙を書いた。誰かを選んでも良かったんじゃないか?」

「………………」

 口元を歪めて、苦笑を浮かべる。

 眼帯は誰かを選んでも良かったと言うが、僕はその権利を最初から放棄している。

 僕には、誰を選ぶ権利はない。

「僕は独りでいい」

「どうして?」

「捨てられるのが怖いから……と、考えるだけで死にたくなる」

 置き去りにされるくらいなら、孤独が良い。

 アパートの部屋に一週間監禁状態で放置されるくらいなら、死んだ方がいい。

 考え過ぎだと人は言う。でも……僕はそう思うしそう考える。経験則がそう告げる。

 捨てられたことがあるから、捨てられることを、なによりも怖がっている。

「眼帯がどう言おうがね、絶対に嫌なんだ。眼帯だって黒ねーさんを口説かれたりとか、そういうのは嫌だろ? それと一緒だよ」

「そういう、ぐぅの音も出ない例えを持ち出すのはやめて欲しいなぁ……」

「まぁ、またテキトーに遊びに来るよ。居心地は良かったしね」

「あ、いっそ俺が遊びに行くってのはどうかな?」

「嫌だよ死ね。眼帯みたいな人相悪い奴を家に寄せられるわけねーだろ」

「……そこまで言われると、さすがに傷付くんだぜ?」

「今の両親にあんまり心配はかけたくないっていう、せめてもの配慮ってやつだよ。別に眼帯が嫌いとか、そういうことはない」

「あー……それなら仕方ないか。俺の両親なんて、そんな配慮とか一切お構いなしに、むしろ無配慮でこっちに色々ブッ込んでくるからな」

「ブッ込んでくるって……」

「物件管理とか任されたり、いきなり妹がいるって言われたり、物件管理をいきなり解任されたり、また妹が産まれたって言われたり、宿の経営が軌道に乗った頃に見合い話とか持って来られたり他にも色々だね。もうめっちゃくちゃだよ、ホント」

「………………」

「ん? どうした、急に黙り込んで」

「眼帯の口から、両親とか身内の話を聞いたのは、初めてだと思ってさ」

「あれ? ……そうだっけ?」

「ぶっちゃけ興味はないけどね。男の自分語りほどみっともないもんはねぇ(自虐)」

「……わりと酷いことを言うなよ。たまには語らんと心が持たない時だってあるよ」

「はは……まぁ、申し出は嬉しいけど帰る場所があるからね。少々どころかとんでもなく名残惜しいけど、ここでのことは中学生が見た幻のモテ期だったのさ」

 ビールを飲み干してカップをテーブルの上に置き、僕はほろ酔い気分のまま、ひらひらと手を振った。

「んじゃ、また明日。OPPAIぶるんぷるんタイムの邪魔をして悪かったな」

「紛らわしいことを言うな!」

「ウェーイ♪」

 訳の分からない掛け声を上げながら、僕は食堂を出た。

 お酒のおかげか、ちょうどいい感じに眠くなる。本当は寝る前にアルコールを摂取するのはあまり良くないけど、たまには悪くないだろう。

「…………あー」

 思った以上にきつい。彼女たちが受け持ってくれていたものが、そのまま自分におっ被さってきたのだから仕方ないといえば仕方がないけれど。

 以前と同じ状態に戻るだけだと思えばいいだけなんだけど。

「今度……少しだけ聞いてみるか」

 この奇妙な場所ができた理由。なにがどうなって、こうなったのか。

 どうして大学生くらいの眼帯が……高倉天弧が、こんな宿を経営しているのか。

 きっと面白くはないし、胸糞悪い話も、あるのだろうが。

 それでも……僕は、聞いてみたいと……そんな風に思った。



 最初も途中も最後も全部嫌々で。

 それでも、楽しかったのだと思う。

 だから……なにができるのかを、考える。今日を含めてあと二日、考えよう。

 もう時間はほとんどないけれど……僕の生きる場所に戻る前に。

 人として、なにができるのか。考えることにした。

 身の程知らずだと、分かってはいたけれど。

負けない。負けてもいい。立ち上がって強くなればいい。

じゃあ……どうしてもそれができない人間はどうすればいいんでしょうか?


次回、第八話:大した理由はありません(中編)


あなたの話は分かりました。

それでは、お代にあなたの右腕をいただきましょう。

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