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第五話:お客様、マタタビはご遠慮ください(後編).

この項目を書く時は『素敵な前書き降りて来い』と思っています。

が、素敵な前書きが降りて来たことはない。現実は非情である。

 暗く平穏で真っ暗な平和の底。



 あれから特にフライングする人もおらず、結局徹夜する羽目になった。

 とはいえ、眠ってはいられない。朝も早くから宿の一室を使ってお見合いの会場を設置しなければいけないし、滞在期間が一ヶ月ということもあるので失礼にならない程度に賓客が宿泊する個室の準備も進めなければいけない。

 最悪、式場の手配なんかもやらなきゃいけなくなる可能性があるけど、最悪なことはそういう事態になってから考えるとして……今は休憩の時間だ。

 背もたれのある人間座イスに頭を預けつつ、私はお土産の大福を食べていた。

「ふぅ……ようやく落ちつきました。お見合いって意外と大変なんですね」

「コッコさんも着物とか着ようよ。いや、着るべきだ。もう既に何着か買ってあるし、その中から選んでくれていいから!」

「必死過ぎます。着つけが面倒なので、却下で」

「……舞は着てくれるのになぁ」

「毎度思うんですけど、舞さんは天弧さんに、かなり甘いですよねぇ」

 私たちが厳しいからかもしれないけど、飴と鞭のバランスとしてはちょうどいい。

 しかし……着物か。たまに着てもいいかもしれない。この宿にいるとフリルの付いたメイド服を着ることを強いられているけど、世間的には『もう無理』って感じだろうし。

「まぁ、私の服のことはともかく……天弧さん、今回のお見合いについてはどう思っていますか?」

「どうって……与一には本当に申し訳ないと思ってるよ」

「京子さんから聞きましたけど、今回の五名の方々は天弧さんがマジギレした女性だそうですね?」

「僕にも我慢ならねぇ相手や態度ってのはあるよ」

「いえいえ、そちらを責めているわけじゃありません。女性に暴力を振るっちゃいけないとは思いますが限度というものもあります。問題なのは『彼女らが全員天弧さんをキレさせている』ということなんですよね。怒りを覚えた相手に見合い相手を斡旋するというのは、どうにも不自然じゃありませんかね? 相手がお金の面で上客だったとしても、お金と感情は別です。天弧さんは与一くんに悪感情があるわけじゃない。むしろかなり親しい。それなのに、やっていることは嫌がらせのように見えないことも、ありません」

「………………」

「私こと山口コッコはこう考えています。『今回のお見合いの選出には、なにか裏があるのではないか?』と」

 上目遣いで背もたれになっている天弧さんの顔を覗き込む。

 天弧さんは目を逸らした。なんだかんだで、私にはあまり嘘は吐かなくなった。

 その事実に少しだけ嬉しさを感じながら、私は言葉を続ける。

「まぁ、天弧さんの悪だくみは大抵お宿のことを考えてのことだと思いますけど……正直な所を聞かせてもらえないかなーと、思いましてね?」

「……えっと……与一の利害とも噛み合うからいいかなーと……思って」

「ほう? 具体的には?」

「クッソ生意気で人を路傍の石程度にしか思ってないお譲どもが、懇切丁寧にフラれて心が折られる様が見てみたいなぁと……まぁ、半ば冗談で半ば本気で考えていたんだけど、昨日美里に看破されてしこたま怒られちゃったんだよね」

「それは私でも怒りますよ。そのお譲様方のことは置いておくとしても、与一くんと彼女たちが仲良くなっちゃったらどうするんですか?」

「あの世界をナメたお譲どもと上手くいく男なんているわけないって♪」

「昨夜、白楼家と渦巻家のお譲様方が前倒しでやって来ましたが、二人とも与一くんと接触した後は、まんざらでもなさそうな顔してましたよ?」

「………………え?」

 天弧さんの表情が蒼白になった。

 この高倉天弧というご主人様は、自分に厳しく家族も友達も大切にするし人を見る目もあるけど、敵と認めた相手にはそこそこ容赦がない。

 敵に容赦がないということは『敵に厳しい』ってことでもある。

 あまりに厳し過ぎて『敵に優しい人』を失念するくらいには、敵に容赦がない。

「いくらなんでもモテ過ぎだろ!? あの性悪どもに好かれるってどんだけだよ!?」

「天弧さんが高校生の時も似たようなもんでしたけどねぇ」

「僕はあんなにモテてない……いや、僕のことはいいんだ。与一はもっとこう、純粋というか初心な子にモテるんじゃないかと思ってたんだ」

「初心なんじゃないですかね? 性悪過ぎて男が寄りつかなかっただけで」

「……美里が怒るわけだ。やっべぇ、どうしよう。今の時点でかなり与一に迷惑かけてんのに、さらに災厄を積み重ねてどーすんだよ……俺、最低過ぎるだろ」

「友達がさらに減りますねぇ」

「やめてマジやめて友達少ないんだからホントやめて」

「天弧さんの友達事情はともかくとして……本人的にはそもそも絶対数が少ないから切実な問題なんでしょうけど、それはそれとして……ホント、どうしましょうかね?」

「ここはコッコさんが『私に良い考えがある』と言い出す局面じゃないかな?」

「良い考えではありませんが、考えはなきにしもあらずって感じですね」

「マジで!?」

「喜び過ぎです。……まぁ、今回は私がなんとかしますよ。冥さんと舞さんをお借りしますね。美里と京子さんはバックアップで」

「……なんかするつもり?」

「そんなに積極的なものではないですよ」

 苦笑しながら、私は天弧さんの口に大福を詰め込んだ。

「私はただ、先輩としてチョイと教えてあげたいことがあるだけです」



「塚胎黒依です。よしなに」

「如月与一です。本日はよろしくお願いします」

「よいちさま……で、ございますか。綺麗な名前でございますね」

「ありがとうございます」

「っ……ああ、申し訳ありませぬ。私は、その……世事に疎いもので」

「はい?」

「我が塚胎は蟻の化身にございます。巣を作り、雄を囲い、子供を育てながら、世界のあっちこっちの後始末を行っております。私のような姫蟻は年頃になるまで巣から出ることは許されませぬ故……世事に疎く、人を怒らせるようなこともありまして」

「いえ、別に怒ってはいませんよ。ただ、自分の名前があまり好きではないだけで」

「なぜでしょう?」

「七歳の頃まで、世事どころか人道を知らぬけだものに飼育されていたもので。親は子を選べませんが、子も親を選べない。言ってしまえば、ただそれだけなのですが」

「まぁ……それは、お辛かったでしょう?」

「それでも、今はまぁまぁ幸せですから。辛かったことも、昔のことです」

「お強いのですね」

「いいえ。僕は強くはありません。強くはなれません。……例えば、この部屋の真下までこっそりと穴を掘り進んでいるあなたのように、(したた)かにはなれません」

「……まぁ。いつ分かったのですか?」

「今です。嘘を吐いてかまをかけました。ごめんなさい」

「あらあらまぁまぁ……これは迂闊でした。私としたことが……恥ずかしい」

「まぁ、お見合いの席で相手の顔を見ずに下を見過ぎだとは思いました。それから、音や気配に敏感な女の子だとも、思いました。僕が自分の名前を嫌っていることを察することができる程度には、気配や空気を読むのにものすごく敏感なんだな、と」

「察しの良い殿方は、あまり好きではありません」

「どうしてお見合いの席でこんなことを? 下手しなくても略奪婚なんてやらかしたら色々な人を敵に回すと思うのですが」

「あのねばねばした女に渡すくらいなら、略奪の方がましです」

「ねばねばした女って……明らかに渦巻さんだよなぁ。なんかもう……お見合いっていうよりギスギスした同窓会だよね、これ」

「忠告します。あの女にするくらいなら、私にしておくべきです! 色々な意味で!」

「僕はそういう妥協した考えでお付き合いはしません」

「お堅い考えですね。そういう考えは嫌いではありませんが、私たちは基本的に数人男性を囲って過ごすのが普通なので、今から改めていただかないと」

「……この話はなかったことに」

「ちょっ……待って! 待ちなさい! いきなり逃げるとは何事ですか!」

「逆転大奥とかじゃねーんだから、好きな相手が他の奴に抱かれてるとか普通に嫌だろ。相性的な意味で絶対に無理なんで、このお話はここまでってことで!」

「基本的にと言ったでしょう! 応用的には一人の男性だけ囲ってる女王も少なくないんですよ! 私のお母様とかもう年中お父様とイチャイチャしてるんですから!」

「ムカつかない?」

「ものすごく腹が立つので、一刻も早く巣立ちしたいのです」

「あ、その辺はなんか割と普通の理由だね」

「私はもう大人です。なのにお母様もお父様も『雄が見つからなきゃ巣立ちしちゃ駄目』の一点張りで、私の言うことなんて聞いてくれないんです!」

「じゃあ、逃げちゃおうか。二人で一緒に」

「…………え?」

「じゃあ、逃げちゃおうか。二人で一緒に。どこまでも」

「……ちょ……ま、待ってください……なんでそんな……」

「まぁ、躊躇するのは当然だけど、躊躇した時に真っ先になにが浮かんだかな? 心底困った顔をしている、君のお父さんとお母さんじゃなかったかな?」

「……そ、そんなことありません!」

「まぁ、肯定しても否定してもいいんだ。それを知っているのは君で会って僕じゃない。逆に言えばどんなに否定しようが君だけは知っている」

「うぅ……っ」

「世間じゃ『世事に疎い』は通用しないし、親の言うこと省みず家を出るくらいのガッツは必要だと思うよ。少なくとも、君のお母さんがお父さんをどういう風にゲットしたかくらいは聞いておいていいんじゃないかな? と、僕のような愚かな人間は思うわけで」

「お父様とお母様の馴れ染め……って、あんまり聞きたくないんですけど」

「ちなみに僕の初恋は十歳の頃で、相手は八十九歳の女性だった。しわくちゃのお婆ちゃんだったけど、とても聡明で心が優しくて、温かい人だったよ」

「え? えっと……それは、本当に恋だったのですか?」

「ほら、食わず嫌いは良くない。僕の大したことない初恋ですら聞き返さずにはいられないんだから、君のお母さんの恋もそれなりの超大作だと思うよ?」

「……よいちさまは、本当に十余年しか生きていないのですか?」

「うん。本当にガキでさ、我ながら嫌になっちゃうんだけどね」

「よいちさま……その初恋のお話、聞かせていただけますか?」

「あんまり大した話じゃないよ? 塚胎さんを退屈させてしまうかもしれない」

「私のことは黒依と呼び捨てになさってください」

「年上の女性を呼び捨てにするのは抵抗があるんだけど……」

「呼び捨てになさってください」

「分かったよ、黒依。……えっと……なにから話せばいいかな……」



 地下を掘り進む怪しげな団体がいると冥さんから連絡が入ったので、私と舞さんが即時突入し、蟻の眷属……というか、黒依嬢の姉を制圧し捕縛しておいた。

 地面を掘り進んでいたのは総勢で五名。彼女らの話……というか、ガールズトークによると、引っ込み思案でアホな妹ではあるが、我らの姫の一大決心である。どんな手段を用いても、恋路は達成させねばならないとのこと。

 とまぁ、そこまでは想定の範囲内なんだけども。

「舞ちゃん。ちょっとここから糸を伸ばして、お見合い盗み聞きしようよ」

「……却下で」

「えー? 舞ちゃんも興味あるでしょー? 与一のヤロウをぎゃふんと言わせる良い機会なんだから協力してよ。絶対に顔真っ赤にしてやがるに違いないんだから!」

「妹がアホの子になったのは絶対にテンのせいだ」

 その姉の方は、過剰な妹への愛情を天弧さん他へ、天弧さんへ向けていた厳しさを妹に向けるようになった。

 バランス的にはちょうど良いので、私からはなにも言うことはない。

「舞さん。冥さんの意図はともかくトラブル防止のためにお願いします。色仕掛けとかならまだいいのですが、実力行使に及ばれると……その、色々とまずいので」

「…………了解です」

 なにを想像したのか、少々頬が赤くなっていたけど、その辺は突っ込まずにおく。

 作業の方は舞さんに任せて、私と冥さんは捕縛した方々を厨房に放り込む。厨房で忙しく立ち回る京子さんをからかっていた美里にその方々を任せて、私たちは従業員控室に戻ることにした。

 控室には、既に舞さんが戻って来ていた。顔が真っ赤だった。

「舞さん? どうしたんですか?」

「どうしたもこうしたも……なんか、ものすごく不安になってきましたよ」

「与一くんになにかあったんですか?」

「聞けば分かります」

 そう言って、舞さんが差しだしてきたのは、糸の付いた紙コップだった。

 どうやら、糸電話の要領で会話の内容を聞くことができるらしいけど……そういう思わせぶりな態度を取られると、ものすごく不安になる。

「冥さん。お先にどうぞ」

「え、いいんですか? やったぁ!」

「山口さん。もう一つあるので、冥ちゃんとご一緒にどうぞ」

 冥さんの様子を見てから聞くか聞かないか判断しようかと思ったけど、どうやらそれを見越されていたらしい。

 観念して、糸電話を耳に当てた。



「与一! オラと結婚を前提に交際してけろ!」

「紅姫ちゃん。気持ちは嬉しいけど、ごめんなさい」

「ひぐぅっ! な、なんでだっ!? オラが田舎者だからかっ!?」

「いや、僕も田舎者だし。……そもそもね、神様基準じゃ分からないと思うけど、十四歳ってのは人間の世界じゃ自分のケツも拭けないようなクソガキなんだよ。紅姫ちゃん以外には言わないけど、子供の将来を女同士でバトルロワイヤルしてる今の状況は、正直逃げ出したい以外のなにものでもないね」

「……詳しいことさわがんねぇけど、オラの家に婿入りしてもええよ?」

「優しさだけもらっておくねー」

「頭撫でながら年下の娘ッ子をあしらう感じはやめてけろ! オラの方が年上だぞ!」

「男は年上だろうが年下だろうが、女の子の頭を撫でたいもんです……まぁ、正直調子に乗り過ぎた感はあったね。女の子は髪をいじられるのは嫌だろうし。ごめんね」

「べ、別に嫌ってわけじゃねぇけども、オラばかり撫でられるのは不公平だべ!」

「不公平と言われても……紅姫ちゃんも撫でたいの?」

「……え? ……あ、ああ、そういうことになるな!」

「それはお断りだな」

「……ぬんっ」

「あの、紅姫ちゃん。膝枕は嬉しいんだけど、無理矢理ってのはどうかと思うよ?」

「やかましい! 男ならつべこべ言うでねぇ!」

「………………」

「大体、与一は出会った時から図々しいべ。いくらオラが男湯と女湯を間違ったとはいえ前も隠そうとしねぇし悪びれもしねぇ。やたら馴れ馴れしいし今だって緊張してるんだかしてないんだかよく分かんねぇし、ガチガチになってるオラがアホみてぇじゃねぇか」

「お風呂の時は許して欲しいな。紅姫ちゃん、熊だったじゃん。……それに、ちゃんと緊張はしてるよ。緊張の連続で……紅姫ちゃん見たら、ちょっと安心しちゃった」

「オラは女として見られてねぇってことか?」

「ンなこたぁないよ。着物似合うし可愛いじゃん。僕がほっとしたのはね、紅姫ちゃんが見知った顔だったから。ぱっと見じゃ誰だか全然分からなかったんだけどね」

「そーゆーことを平気な顔で言うでねぇ……まったく」

「……そうだね。紅姫ちゃんの言う通りだ」

「ちゃん付けもやめれ。オラの方が年上なんだからな」

「分かったよ。紅姫」

「……お、おお。分かればいいんだぞ、分かれば……まさか呼び捨てとは……」

「ねぇ、紅姫。一つだけ聞いていいかな?」

「なんだ?」

「どうして僕なの?」

「どうしてって、言われても……なんとなくとしか言えねえべ。オラは頭があんまし良くねぇ。田舎者だし器量も悪りぃ。だから……その、そういうの、よく分がんねぇ。ただオラは与一が良いと思った。婿にするなら、与一が良いと思ったんだよ」

「………………」

「与一?」

「うん、ありがとう。本当に嬉しい……けど、ちょっと早いかな? 僕はまだ子供で、背も伸びるし髭も生える。オッサンにもなるし酒も飲むようになる。三年後には、紅姫のイメージとは全然違う人になっちゃってるかもしれない」

「時間が経っても、与一は与一じゃねぇがよ。オラは別に外見で選んだわけじゃねぇ。こいつとなら一生いても飽きねぇなと思っただけだもの」

「…………んー」

「だから、オラと結婚さしてくれ」

「とりあえず親友からじゃ駄目かな? 徐々にステップアップとか、そんな感じで」

「……まぁ、与一がそこまで言うなら」

「うん……ありがとう、紅姫」



「アマああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁい!」

 冥さんはテーブルを蹴り飛ばした。頬には青筋が浮かんでいた。

「っ……ちょっ……なにこの甘ったるい空気ッ! 例えるなら桃の缶詰! 甘いものを甘いもので漬け込んじゃった感じ! 声しか聞こえてないですけど、絶対にえろっちく指とか絡めてますよこれ。ご主人様と山口さんみたいに!」

「冥さん、落ちついて。あとさりげなく私に飛び火させないでください」

「なんか声が異様にエロい! ドラマCDのキャラかお前はァ!」

 怒りというか気恥ずかしさが収まらないのか、冥さんは椅子を蹴り飛ばす。

 舞さんの方を見ると、こちらも顔を赤らめて俯いていた。

 確かに、冥さんの言う通りである。与一くんは……なんというか、雰囲気がエロい。

「山口さん! お見合いはこのまま続けるにしても、与一は放っておいちゃ駄目です! この雰囲気エロスには魔性のモノを感じますよ!」

「でも、私たちの前だと普通でしたよね、与一くん」

「攻略不可能キャラの判別くらいはするのでは?」

「冥さん。そういう、ゲーム的な表現は控えめにお願いします」

 冥さんに注意を促しつつ、少しだけ思考にふけってみる。

 雰囲気がエロかろうが、声がエロかろうが、彼がモテているのは神様限定だ。

 京子さんは『人が欲しいモノをポンとくれる』と表現していたけど、神様というモノは基本的には寂しがり屋だ。寂しいからこそ神様をやっていて、寂しいからこそ強大なのだと私は思う。

 知り合いの神様は、強きも弱きも、意地は張っていても、みんな寂しがり屋だった。

 与一くんは『寂しさ』を埋める方法を心得ている……そんな気がする。

 四人の神様と相対した。彼女たちは全員与一くんに惹かれていた。現実にそんなことがあり得るわけはないと思いつつも、実際にこうして彼は好かれている。

 大丈夫だと言い切り、相手の頭を撫で、論理ではなく納得で相手を協調させる。

 少なくとも十四歳の子供がやっていいことじゃない。

 中二病に没頭していい年頃の……大人と子供の狭間の、最も苦しい時期の子が、やっていいことじゃあない。

 十四歳の私は馬鹿だった。みんなも多分似たようなもんだろう。

 過酷な過去の経験が彼を変えた。そんな風に表現するのは容易いけれど、それならそれで恋愛をあそこまで忌避する理由はなんなんだろうか?

 天弧さんのように『守るべきもの』があったわけでもないのに。

 自由気ままな独り身で、片思いの女の子の告白を断る理由。

 恐らく、そんなものは私の頭をひっくり返したところで、出てくるわけがないのだけれど……思考せずにはいられない。

 与一くんがここに来た理由が、必ずあるはずなのだから。

 そんな風に私が考え事をしていると、舞さんが不意に口を開いた。

「山口さん。なんか、今の如月くんって昔のテンにちょっと似てません?」

「え?」

「口で説明するのがちょっと難しいんですが、最低限の部分を除いて、後は相手のことしか考えてなくて、相手の話を聞くのに躍起になってるっていうか……お見合いで緊張してるって言われればそれまでだと思うんですけどね。私たち相手だと普通だし」

「………………」

 ストン、と腑に落ちた。

 思い悩んでいたことに明確な理由が見つかった。納得できた。

 よく考えれば分かることだった。徹頭徹尾最初から最後まで、与一くんは『似てはいるが絶対に違う』のだ。

 月とスッポンくらいには違うし……三角柱と円錐くらいには、違うのだ。

 むしろ、似ているのは彼ではなく――。

「冥さん。舞さん」

 私は決意を固める。正直、ここまで口や手を出すのは従業員のやることではない。

 それでも、やるべきことをやるために。口を開く。

「相談があります」

 自分のために、友達のためになるかもしれないことを、やることにした。



 一日目のお見合いが終わって、僕は少しばかり死にかけていた。

 僕……如月与一。女の子の告白に応えることもできないクソ人間は、それでも人間としての機能を維持したまま、お見合いが終わると同時に倒れ込むように眠った。

 何時間眠ったのかは分からない。目を開けると夜だった。

 翌日の夜ということはないだろうから、眠ったのは四時間くらいか。まだまだ眠いし寝足りないのだが、空腹がそれを許さなかった。

 お見合いの最中に食べたものは、全部吐いた。

 人はそれを『精神的に弱い』と言う。お前が弱いから悪いのだとそう言われている気がするから、見栄を張って大丈夫なふりをして、トイレでこっそり吐くのだ。

 お前の片腕を寄越せ。その上で同じセリフが吐けるなら、弱さを認めてやる。

 心の弱い部分がそう囁くのを無視して、僕は大あくびをした。

「……飴があったな、確か」

 鞄から飴の袋を取り出して、口の中に放り込む。

 映画のチケットが入っていた包装紙を見て、ものすごく胸が痛んだけど無視した。

 口に広がる甘味に、少しだけ心が安らぐ。

 飴を舐め終わったら寝てしまおうかとも思ったけど、喉も乾いていることに気づく。トイレの方は散々吐いたせいで、今は催してはいない。

 ベッドから体を起こして、立ち上がる。スリッパをはいて部屋から出て、今はもう歩き慣れた旅館の廊下をペタペタと歩いた。

 星が綺麗で、月が綺麗で、空も綺麗なら緑も綺麗で、楽しい場所だと思った。

 あのアホ眼帯が必死で築いてきた場所なんだろう。

 好きな人のために。好きな誰かのために築いてきた空間なのだろう。

 心底アホだと思う。最初聞いた時は『はは……』みたいな、ドン引きした笑いしか出て来なかった。しかも好きな誰かは五人である。正直キモい。素直にそう思った。


 そんな、(おとこ)になりたかったと、素直にそう思った。


 でも、それは叶わない願いだ。本気になろうがどうしようが、絶対に叶わない。

 幸せそうな奴は全員●ねばいいのにと素直に思う程度には、叶わない。

 ここは本当に楽しい場所だから。良い人たちばかりだから。

 その場所に自分はいちゃいけないと……どこまでも深く痛感させられる。

 素直に思う。僕はここにいたい。ずっとこの場所で笑っていたい。今まで自分が生きてきた場所を捨てて、あるいはテキトーに行き来して、バランスを取って要領よく生きて行きたい。……そんな風に、素直に思っている。

 旅館のドアを開ける。外に出る。空を見上げる。月が綺麗だった。


「ほぅ? 昼間見た時よりも可憐でなよやかであるな、少年よ」


 旅館の前に、灰色の犬耳を付けた少女が立っていた。

 背丈は明らかに与一よりも低い。少女というより童女と言ってもいいだろう。

 ピンと尖った灰色の犬の耳。髪の色も耳に合わせて灰色。金色の瞳。黒と紫を基調とした、蝶をあしらった着物。口元から覗く鋭い犬歯。あどけない子供のような顔には似つかわしくない、獰猛な横顔。

 師匠が僕を元の世界に戻そうとした時、僕の隣で僕の頭を撫でていた童女。

 僕の見合い相手。

「昼間は疲労困憊であったからな。覚えているか? 私がシラヌイだ」

「覚えてますよ。……師匠を殺そうとしたこともね」

 見合いの席でなにを話したかは覚えていない。他の四人と違って、僕は彼女に最初から敵意しか持っていない。

 僕が敵意を見せると、彼女はにやりと、獰猛に笑った。

「ははっ……お前、あの黒い雌が好みか? それともアレはお前の番いか?」

「好みだが番いじゃない。あの人は僕の師匠だ。生き方を教えてくれた人だ」

「番いじゃないなら問題はなかろう? 私がお前を奪ってしまってもいいわけだ」

「洗ってない犬の匂いがする女は勘弁願いたいね」

 腕組をしながら、童女を睨みつける。睨みつけるだけだった。

「まぁ、結果的に師匠に怪我はなかったからいいけど……今後はお互いに話さず触れ合わず不干渉ってことにしようぜ。敵は楽だけど関わりたくはないんだ」

「断る。お前は私のモノだ。お前の言葉を借りるなら『下等生物の頭を撫でるのは心が安らぐ』からな。お前は私が連れて行く。新居はどこがいい?」

「僕はロリコンじゃないからな。丁重にお断りします。一人でやってろ」

「外見なぞ簡単に変えられる。長く生きた神なら簡単なことだ。お前の好みに好きなだけ変えてやろう。巨乳で背が高いのがいいのか?」

「背丈はともかく胸は大きい方がいい。それはそれとして、とても大切なことだけど置いておくとして、僕は犬は好きだがお前は嫌いだな」

「犬ではない、狼だ。見合いの時にも言っただろうが」

「……そりゃ悪かったな。すまん」

 人はおまけにこだわる。出自にこだわる。生まれた場所にこだわる。住んでいる場所にこだわる。肌の色にこだわる。階級にこだわる。収入にこだわる。背の高さや顔の造作やおっぱいの大きさ、趣味までありとあらゆることにこだわり続けている。

 自分が信じられないから、他人の物差しにこだわっている。

「なぁ……なんで、僕なんだ? 神様ってやっぱりアホなのか? アキレウスがパトロクロスという唯一無二の親友を亡くした時、アキレウスの母親が『気晴らしに女の子でも抱いてきたら?』みたいな空気読めないこと言ったらしいけど、あんな感じなのかよ?」

「あっちの古代の神々は空気読めてないからなぁ……私も人のことは言えんが」

「じゃあ、なんで僕なんだよ。おかしいだろ絶対に。確実におかしいだろ。お前みたいな綺麗で可愛い女の子なら、もっとより取り見取り、良い男なんていっぱいいるだろ。なんで僕なんだよ。絶対に狂ってるだろ。下等生物扱いなら下等生物らしい扱いをしろよ。僕に了承なんて取らずに、勝手に家に持ち帰って一生飼い殺せばいいだろ?」

「………………」

 シラヌイと名乗った童女は、頬を掻いて僕のことを見つめていた。

 少しだけ困っているようで……少しだけ、迷っているようだった。

「私たちは、お前を男として見ることはできても……それ以外は無理だ」

「なんでだよ? 僕には男としての魅力なんてねぇぞ」

「ならば、男としての魅力とは一体なんだ?」

 返事に窮して、僕は息を詰まらせる。

 僕の中には一つの答えが明確にある。合体ロボの三号機に乗れるような男こそが、僕の中での『魅力ある漢』だ。そういう男になりたいと……僕は、思っている。

 でも、それはあくまで僕の価値観であって、彼女の価値観ではない。

「お前は自覚している。自分が救われないと自覚している。お前は優しい。自分を大事にするから他人に優しいのだ。お前は人の心の弱い部分がよく見える。自分がなにを渇望しているか知り尽くしているからだ。……お前は、素直で正直で、故に己に嘘を吐く」

「そんなものは、誰もがそうだろう?」

「違うよ。少なくとも……お前と、お前の師に限っては、まるで違うのだ」

 ズキリと心が痛む。言葉が刺のように突き刺さる。

 童女は苦笑する。悼むように、痛むように、傷むように。

 今にも泣きそうな顔で近付いて……僕の手を握った。

「絶望という概念がある。世界を殺す一つの概念だ。それはとても大きなモノで、あっちこっちに種を飛ばして人に寄生し、世界を試している。発芽すれば世界を壊すそれは……しかし、それでも世界の一部でしかないのだよ」

「いきなりファンタジーじみた話をするな。訳が分からん」


「お前は食べただろう? 生きるために、その種を」


 食べた? 食べたのかどうかなんて今更思い出せるわけがない。

 一週間飲まず食わずで監禁されれば誰だってそう思う。雨漏りの水で凌いで、最後の力を振り絞ってガラスを叩き割って、最初に目に付いたモノを口に放り込んだ人間の気持ちなんて、現実に体験してみなければ絶対に分からないだろう。

 みじめさなんてない。ただ必死だった。生きたいと願っていた。

 虫も草も渋過ぎる木の実も食べた。

「さすがに記憶にないぞ。他人の家に侵入してぬか漬けを食い散らかしたのは、本当に反省すべきことだと思ってるけどさ」

「記憶になかろうがお前は食った。問題はその後だ。その種は宿主の絶望や憎悪といった負の感情に反応して成長し、許容限度を超えると一気に発芽して、世界を滅ぼす」

「へぇ、そういう設定なんだ」

「ああ……そういう設定だ。ところが想定外はいつでも起こる」

 僕の言葉を遮るように、シラヌイさんは……今にも泣きそうな顔で言った。

「絶望の種は、お前に喰われた」

「それ、さっきも言ったぞ」

「意味が少し違う。お前の中にあった絶望の種は、お前の負の感情に耐え切れずに根腐れを起こして消滅したんだ。世界を壊せる可能性を……お前は圧殺したんだ」

「めでたしめでたし」

「めでたいわけあるか、ばかたれ!」

 怒鳴られた。怒られた。いきなり怒らなくてもいいじゃないか。

 シラヌイさんは、こめかみに青筋を浮かべて、僕に詰め寄って来た。

「ああ、ここまではただの前振りよ。話がここで終わればめでたしめでたしでもいい。だがなぁ……絶望を圧殺したお前は、寂寥を抱えたお前は、自覚が行き過ぎた」

「いや、僕はいつも自覚が足りないって怒られるタイプなんですが」

「その上で平気な顔で嘘を吐く! お前は自覚症状の塊だ。自分のことだけだ。自分のために距離感を測り、自分のために行動し、自分のために素直で、自分のために嘘を吐き、自分のために……自分のして欲しいことを他人にやってしまう。神格者は寂しがり屋や意地っ張りが多いからな。優しくされるとコロっと惚れてしまうのさ」

「それは、わりと普通のことだろ? 人として当然のことだ」

「私は『敵意を向けられた方が楽だ』と思っている奴を、普通とも当然とも思わん」

 おやおや、見抜かれていた。

 シラヌイさんは師匠を襲うふりをして、僕に敵意を抱かせようと『仕向けて』いることに、わざと気づかないふりをしてきたんだけど……最初からバレてたみたいだ。

 敵の相手は面倒だけど、向けられるなら敵意の方が楽だ。僕はそう思う。

 敵意を向けられたら、敵意を返せばいいだけなのだから。

「そう考えると、僕が接しやすいように気を使ってくれてたんですよね。冥と同じで最初から敵意丸出しの方がむしろ接しやすいですし。……まぁ、ふりであれフェイクであれ師匠に害を及ぼそうとしたのは永久に恨みますけど」

「そういう妙な気の使い方と根の持ち方をするからもてるんだよ、たわけ」

「神様っておかしい」

「おかしくはない! むしろお前がおかしい! 性格は糖蜜のように甘く苦虫よりも苦く、声色は鈴の音のようで、儚げでたおやかでなよやかで可憐とか、どこのヒロインだ! 普通の神格者なら大体欲情するわそんなもん!」

「……えー」

 訂正。神様ちょうきもい。

 散々回りくどいことを言われたけど、総括すると『雰囲気が美人だからもてる』とかそんな感じに落ちつくんじゃねーか、それ。

 普通に嫌だ。なんの抵抗もなく思う。普通に嫌だ。

「それに……お前は私のモノだ。最初から目を付けていたのは私だ」

「お客様、サインインした後予約手続きを行っていただかないと、予約したことにはなりません。おととい来やがってください」

「どうしてそこまで嫌がる? どうして好意をそこまで拒絶する? 別に私じゃなくても他の四人だっていいじゃないか。お前が誰かに決めれば、私も諦めるぞ」

「………………」

 もういいだろう。

 もういいさ。頑張ったもの。いっぱい頑張った。いっぱい我慢した。

 少なくとも僕が嫌いではない人に、暴言を吐いたりすることはしなかった。マジで偉いぞ自分。これは誰かに自慢できることだ。僕はよく頑張った。

 だから、口を開いて言いたいことを、言った。


「恋愛なんかしたら死ぬだろ。アホか」


 僕は僕だけで手一杯だ。

 自覚症状の塊とは言い得て妙だろう。僕は生きることに精一杯なんだ。

 善意も好意も厚意も迷惑だ。心の底から放っておいて欲しい……そんな風に思えたら、どれだけ良かったことか。

「上手くいくならいいよ。でも、上手くいかなかったら死ぬしかないじゃん? そんなことも分からないで、そーゆー軽いことを平気で言わないでもらえるかな。鬱陶しいし」

「いや……そこまで思い詰めなくてもいいだろう。たかが恋愛だぞ?」

「されど恋愛ですよ。あんたにゃ分からんと思いますが」

 その辺の植木を蹴っ飛ばしてやろうと思ったけど、さすがに怒りに任せて人が積み上げてきた成果を愚弄するのはアホのやることなので、自重する。

 代わりに、口を開いた。

「ねぇ、シラヌイさん。弱いってどういうことか分かりますか?」

「……なにが言いたい?」

「弱いとは弱いということです。僕も師匠も、弱者だから弱者なりに『よわくてもいい』と納得して生きようとしているんですよ。今も昔も……これからも」

 真正面から、彼女を見据える。

 精一杯の憎悪と絶望を込めて、きっぱりと言い放つ。

「僕は弱いんです。人の顔色を見て生きています。でも……たった一つ以外は、大体全部克服してきたんです。諦めてきたんです。人として平均的なことは大体諦めました。だから放っておいてください。もう構わないでください。僕はあなたが嫌いです」

「………………っ」

 嫌いという言葉に、彼女は反応した。辛そうな表情を浮かべた。

 目を細めて僕を睨みつける。僕はその視線を真正面から見返した。

 一分ほど経過した頃だろうか……彼女は、僕から視線を逸らして、口を開いた。

「最後に教えろ。お前の言う『たった一つ』とはなんだ?」

「言えません。言いたくありません」

「なら……あとは実力行使ってことになるな。嫌われようが知ったことか」

「そうですか」

 そうなるだろうと思っていた。神様は頑固だから、弱者になにを言われようが知ったことじゃないと言い切ると思っていた。

 ここで終わりか。あっさりと、そんな風に認めていた。

 必死で生きて来た。でも、僕の人生なんてこんなもんだと、諦めてもいた。

 けだものからけだものへ所有権が渡るだけだ。今度の飼い主はもしかしたら大切にしてくれるかもしれない。……そんなものなんだろう、人生なんてモノは。

 切り札を使えば逃げられる可能性もあるかと思ったがやめた。

 結局、男という生き物は好意を向けてくれる誰かに拳を振るえるようには、できていないのだと思う。

 だからまぁ……いつも通りに、ここで諦めるしか、ない。


「そうやって、おんぶに抱っこしちゃうから、付け上がられてしまうのですよ?」


 誰かの声が聞こえた。

 誰かは、ロングスカートを翻し上から降って来た。

 本人は否定しているけど似合いまくっているフリルの付いたメイド服と編み上げられたブーツ。漆黒の瞳に、肩で切りそろえられた流れるような黒の髪。

 その瞳に意地悪っぽいなにかを含んで、彼女は僕を背にして立った。

「と、いうわけで……お宿のメイドのコッコさん、ただ今推参です」

 穏やかな微笑を浮かべて、彼女はそこに立っていた。



 つまるところ、彼はヤンデレでもツンデレでもなく……素直なだったという話。

 思い返してみると、私たちと接している間は、彼はあまり極端な嘘を吐かなかった。皆無と言ってもいい。

 普段通りに普段で、自然で遠慮がなくて、友達のようだった。

 素直と言っても、場の空気と自分の事情を完全に自覚した上でのクールさがそこにはあった。……そこが天弧さんと似ている所で、私と違う所だろう。

 まぁ、それはともかく。

「シラヌイさん。お客様への狼藉は困ります」

「客? そいつは金は払っていないだろうが。金を払わぬ者は客とは言わん」

「私の生まれ故郷には『食客』という制度がございます。なんと言おうがこちらが『客』と言っているので与一くんはお客様なのですよ。……四の五の言わずにさっさと引いてくれませんかね? お見合いならお見合いらしく、愛の語らいで勝負してください」

「断る。それは私のだ」

「与一くんの意志は与一くんのものです。あなたもさっき言ってたじゃないですか。たかが恋愛なのでしょう? そこまで固執しなくても良いんじゃありません?」

「……小娘ェ」

「他人事だと侮って言葉を弄するから、揚げ足を取られるんですよ」

 肩をすくめて殺意を流しておく。

 とはいえ、これ以上怒らせるわけにもいかない。相手は私よりよっぽど強いのだ。

 だから、話の矛先を変えることにした。

「与一くん。二つ聞いていいですか?」

「……なに?」

「一つ、与一くんは本当にシラヌイ様のことが嫌いなのですか?」

「その辺は察して欲しいんだけど……いや、正直に言えって言われりゃ『嫌いじゃない』に決まってるじゃん。宿に泊まってる間に夜這とかされずに済んだのは、多分シラヌイさんが毎日毎晩見張りをしてくれてたからだと思うしさ」

「………………っ」

 シラヌイさんは、見て分かるほど苦々しい表情を浮かべていた。

 本人的には秘密だったのかもしれない。まぁ、今この時まで毎日毎晩シラヌイ様が与一くんの部屋に通っているとは、私はおろか宿の人間全員が気づいていなかったけれど。

 神格者の隠形を見破るのは並大抵じゃない。

 ただ、この隠形というモノは心の虚栄部分を突く。嘘を吐きたい心。見たくないものを見ないようにする努力。そういったものを利用して隠れるのだ。

 素直で自覚が強い人間には、効力が薄い。

「ではもう一つ。こちらが核心なんですけど『たった一つ』とはなんでしょうか?」

「言いたくありません」

「そうでしょうね。拉致監禁拷問殺害くらいまで覚悟しても言わないくらいですからね。では、冥さん、舞さん。手はず通りよろしくお願いします」

 返事はなかった。

 声も足音も響かず、シラヌイさんの全身に糸が巻き付いた。

「ぬうっ!?」

「はい、そういうわけで秘密のお話ですから、お客様はこちらへどうぞ♪」

 身動きが一時的に取れなくなったシラヌイさんを、冥さんが背後から持ち上げる。

 冥さんとシラヌイさんが闇夜に消え、舞さんの気配も消えた。

 さて……足止めを頼んだ時間は五分だけど、なるべく手短に済ませたい。

 与一くんの方を見ると、案の定警戒されていた。

「山口さんは、一体全体なにがしたいんですか?」

「ためにならないお話がしたいだけです」

「は?」

「昔々、与一くんよりもっと駄目な女の子がいました。彼女は好きな男の子に甘えて依存しまくった挙句、彼に散々迷惑をかけて眼帯を付ける原因を作ってしまいました。彼が作ってくれた居場所も全部ぶっ壊して、結局逃げだしました。お終い」

「………………」

「そこは『駄目人間ですね』と言ってくれてもいいところなんですよ?」

 与一くんは突っ込んでくれなかった。神妙な表情で、私を見ていた。

 肩をすくめて、私は言葉を続ける。

「今思うと、当時の私は常になにかを怖がっていました。何か分からないものに常に怯えていたような気がします。彼がいなかったら……今も怯えていたでしょうね」

「………………」

「与一くんがそれを口に出さないのは『自分の問題だから』と割り切っているから?」

「そうです。これは、僕の問題です」

「でも、それを誰かに分かって欲しいと思っているでしょう?」

「はい」

 きっぱりと、彼は頷いた。

 単純な話だ。彼はちょっとした意地を張ったのだ。最初から素直にそれを言っていたけれど、空気を読む彼は決して真面目ぶって言わなかった。おちゃらけたまま、お笑いのまま、コメディに混ぜて『まぁ、いいや』と諦め続けていたのだ。

 自称、二歳児病。

 でも……その病は、恐らく全人類が死ぬまで抱え込むタイプのものだ。

 私はその病をこじれさせて、最終的に彼の目を奪ってしまった。


「僕は、寂しいのが嫌です」

「僕は、誰かと一緒にいたいです」

「でも……僕は、誰かに置いていかれるのが、一番嫌なんです」


 それは絶望を押し潰すほどの寂しさを抱えた男の子の、悲痛なる叫びだった。

 孤独は嫌だけど、孤独よりも《誰かに見捨てられること》に恐怖していた。

 私には分からないけれど、その恐怖は並大抵のものではないのだろう。

 それこそ、私の元同僚の嫁を危ない状態にした絶望なんかよりも、根深く、執拗で、危機的なものなのだろうと、私は思う。

 恋ができなくなるほどの……孤独よりも、なお耐え難い恐怖。

 それは比喩でもなんでもなく、彼にとって世界で一番怖いものなんだろう。

「本当に、ガキっぽくて嫌になりますけどね……置いていかれるのは嫌です」

「うーん……私や美里あたりは、ものすごくよく分かりますけどね、その気持ちは。私なんてその気持ちを自覚できなくて、最終的に彼の目を潰したわけですから」

「……話を聞けば聞くほどヤンデレじみてますね……」

「まぁ、私のことはどうでもいいとして……つまり、与一くんはこのお宿にそこそこの愛着は感じてるわけですよね? 早く家に帰りたがったのもそのためですか?」

「うん……。まぁ、そこそこじゃなくて、僕はこの宿、すごく好きだけどね」

「………………」

 照れもせずにこの一言である。むしろ私の方が赤面する番だった。

 シラヌイさんは色々言ってたけど、与一くんってもしかしなくても普通にモテるんじゃないだろうか。むしろ、『置いていかれる恐怖』が防波堤になっているおかげで、今まで修羅場になったりすることがなかっただけじゃないか。そんな風に思った。

 少しだけ矯正が必要かもしれない。

 まぁ、それは後でいいだろう。もうそろそろ五分だ。渡す物を渡してしまおう。

「このお宿が好きなあなたには、これをプレゼントです。……まぁ、正確には私からというより美里からなんですけどね。映画のお礼にとのことです」

「……なにこの汚い木片。嫌がらせかなんか?」

「通行手形ですよ。それがあれば自由にここに来られます。私は友達が極めて少ない方なので、友達はいつでも大歓迎です」

「………………」

 与一くんは彼曰くの汚い木片を凝視して、溜息を吐いてからポケットに入れた。

「ありがとうございます。……まぁ、多分遊びに行ったらみんなもれなく全員忙しくて僕は結局すごすごと自分の家に帰ることになると思うんですけどね」

「そういう時は手伝ってもらいます。バイト代も出しますよ?」

「……分かりました」

「ところで、もう一つだけ聞いておきたいんですが、美里がもらったと言っていた映画のチケットって、もしかして……もしかします?」

「物はモノです。僕が見れなかった映画を橘さんが見たんなら、いいと思います」

「………………」

 美里が気を使うわけだ。

 着の身着のままでお宿にやって来た中学生が、偶然映画のチケットを持っていた。

 映画を観る前にうっかり告白されちゃったとか、そういうことがない限りはまずあり得ないだろう。

 与一くんは、不意に目を逸らして、ポツリと言った。

「見たい映画だったんですけどね……ま、仕方ないです」

「今度一緒に見に行きましょうか?」

「山口さんと一緒に行動すると、あの眼帯が嫉妬するんで嫌ですよ。行くんなら二人で行ってください。僕を巻き込むな」

「……映画に行く予定だった子と、互いに好きあってたなら、付き合っちゃっても良かったんじゃないですか?」

「彼女、高校卒業したら遠い大学に行くんですよ。遠距離恋愛には耐えられません」

「……J-POPっぽい理由ですね」

「J-POP言うなし。……あと、J-POPは諦めずに喰い下がると思う」

 思ったより普通の理由だった。普通故に切実とも言える。

 なんというか、本当に賢明というか……賢し過ぎて色々と損をしているようだ。

 と、その時だった。

「山口さああああぁぁぁぁん! 無理! もう無理! うひゃぅっ!?」

「冥ちゃん! っ……いい加減にしろ、この駄犬っ!」

「誰が犬だ、狼だって言ってるだろうがボケェ! 人の恋路を邪魔するからには噛み殺されるくらい覚悟完了してんだろうなァ、小娘ども!」

 爆音と轟音。悲鳴と怒号。無傷だけど必死こいて逃げる冥さんと、それを血眼になって追いかけるシラヌイさん。そして殺意満々の舞さんが私たちの方に向かってきた。

 あらら……どうしよう。

 このまま死闘に身を投じるかどうか迷っていると、不意に与一くんが前に出た。

「ま、切り札はこういう場面で使ってなんぼだよな……貸し一つだよ、コッコさん」

「……え」

「もしくは、貸し借りなしかな。……ま、どっちでもいいけど」

 私が止める間もなく、彼は笑顔のまま死線に飛び込んだ。

 そして、夜明けまでの八時間をかけて。

 彼は、この事態をなんとかした。



 後日談……と、いっても大したことはない。

 その後、彼は三日三晩寝込んだ。シラヌイさんは方々から怒られた。

 四日後に彼は起きた。その日から約一ヶ月ほど、わりと苦労する羽目になるけれど、それはまぁ別の話ということで。

 今回の話は、わりと単純なお話。

「そういえば……コッコさんと眼帯の馴れ染めって聞いてもいい感じですか?」

「馴れ染めは恥ずかしいので言えませんが、この宿に着た経緯なら」

「どんな感じだったんですか?」

「お互いに言い忘れた文句とイラついてたアレコレを拳に乗せてブチ撒けて、わりとすっきりしたので、彼に借金の肩代わりと雇用をしてもらいました」

「あ、眼帯。ちょっと聞きたいことが……」

「いや、本当なんですって!」

「雇用? 永久就職の間違いでしょ」

「『やれやれ惚気かよ聞いて損した』みたいな目で、ツッコミはやめてください!」

 私に友達ができた。

 たったそれだけの……極々、単純な話である。





・登場人物紹介(いつもの面子は省略……一人は除く)


・如月与一


 色々とお察しな少年。基本的に目が死んでいる。

 中二病になれなかった『可哀想』な少年。見た目の印象は極めて地味。

 空気を読み機能搭載。性的な方面にはわりと寛容。オープンなスケベである。


 ここまでが概要。以下、詳細。


 人格そのものを切削する虐待経験と、心が満たされる幸福経験を積んでしまったがために『人はどこまでも寂しいから誰かと寄り添うが、誰かと寄り添えない自分の寂しさは癒されることがない』という境地に至ってしまった。

 寂しがりという点では宿屋の眼帯と同じだが、彼の場合は『置いていかれるのを極端に怖がる自分は、誰とも共有できる世界がない』という点で悲劇が加速した。

 自称《二歳児病》。自覚があるぶん凄まじく性質が悪い。

 孤独を誰よりも嫌う。しかしそれ以上に別離を嫌う。

 誰よりも『誰かと別れたくない』という渇望を持つが故に、人と離れることを極端に恐れている。極端に恐れるあまり、人と親しくなることそのものに抵抗を持つ。

 誰かに置いていかれるくらいなら、独りでいたほうがましだという理屈。

 絶望を根腐れさせる程度の寂寥。

 根暗なので惚れやすい。好きなタイプは大人と巨乳。

 空気読み機能が半端ではない。対人関係や対話に相当な神経を使っているため、非常に燃費が悪く疲れやすくよく眠る。彼が寝ている描写が多いのはそのためである。

 当然のことながらそんな風に生きている人間の寿命が長いはずがない。彼が『心を侵さないように生きている』のは、主に死にたくないからである。恋愛を忌避するのも『死にたくないから』という理由に直結する。

 ヤンデレではない。巷であまり評判がよろしくない『デレツン』である。正確にはツン状態はただ口が悪くなるだけなので、単純に『素直さん』でも構わない。

 山口さんにはわりとデレ。冥ちゃんにはツン。

 物語開始時点では、好感度的には冥ちゃんの方が上という不思議。

 神様にはモテる。常軌を逸した年上にもモテる。身内からもモテる。

 作中では雰囲気と声がエロいとされているが、生贄に捧げられた乙女やらその辺が醸し出すものとそっくりな悲壮感を常時発動しているのが、主な原因である。

 悲しみに堕ちれば堕ちるほどに、色気が増すという仕組。

 ハーレムものが嫌いな人には悪いが、仮に与一くんが女だったとしても今回の話は逆ハーレムか百合ハーレムになるだけである。圧倒的ヒロイン力である。

 彼が本来いるべき世界の立ち位置は『ギャルゲー主人公の友達』という眼帯と被るポジションである。ちなみにその時は高校二年生。

 意中の彼の隣にいる、なんか地味な奴である。

 独りでガンガン突き進んで、勝手に解決しちゃうタイプの迷惑なキャラ。


『飢餓寂寥』という切り札を一枚だけ隠し持っている。


 彼自身は上記の自分の性質を完全に自覚及び嫌悪しており『ゲッターパイロットみてぇな男。特に3に乗る男になりてぇなぁ』と常々思っている。

 自覚が足りないのも悲劇だが、自覚が行き過ぎるのも悲劇なのだ。

 某ライダーの歌にもあるが、知らないのは罪であり、知り過ぎるのは罠である。


・橘美里


 唯一出番がなかった人。ごめん。マジごめん。次があったらなんとかする。

この項目を書く時は『素敵な後書き降りて来い』と思っています。

その思いは昔も今も変わりませんが、素敵な後書きが降りて来たことはない。

現実は非情である。

美里さんをうっかり描き忘れたので多分なにか描きます。

……い、一年くらい以内には(震え声)。

冒頭だけ描いて放置みたいな小説あるあるみたいなのはいっぱいあるんですが、

使えそうなネタを探したり読み直すのが非常に面倒くさいですww

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