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第四話:お客様、マタタビはご遠慮ください(中編)

不定期更新なら三日連続で更新してもいい。

心が重い。こんな気分で投稿するのは初めて!(本当)。

自分が投稿を始めた時代から、なんか機能が色々良くなっててもう付いて

いけそうにないというチャオズ状態のままお送りします。

 逆に考えるんだ。もう結婚しちゃえばいいさ、と考えるんだ。



 白楼 みづち。大蛇の大老。通称、輪廻喰い。

 月乃輪 薄紅姫。熊野の長の孫。唯一面識あり。

 渦巻 毎々。まいまいまいまいまいまいまいまいまいまい。害虫。

 塚胎 黒依。つかはらくろえと読む。最も強き土地神の一柱。分解者。

 シラヌイ。灰色の狼。大神の末裔。



 これは、単純な物語である。



 翌々日。私は早速大人の力を見せつけてやることにした。

「とりあえず、五人まで絞りましたよ」

「…………んぐふっ」

 サンドイッチを頬張っていた与一くんは、私をちらりと見た。

 そして、サンドイッチをよく咀嚼して飲み込み、口を開く。

「えっと……五人?」

「与一くんの見合いの申し込みについてです。最低限……これさえやっておけば後々はなんとでもなるという五人に絞りました」

「魔法でも使ったんですか?」

「んっふっふ。力やお金のある方々というのは、縦社会で成り立っているのです」

 この人が見合いを申し込むなら、ウチがしゃしゃり出るわけにはいかない。

 そういうことが、往々にしてまかり通るのである。

 お家の事情というやつだ。お見合いの申し込みで最大の難関の一つである。

「と、いうわけで。その五人と見合いをしていただければオッケーなのです」

「……ふむふむ」

「見たか中学生! これが大人のパワーってやつですよ。ふっはっは!」

「勝ち誇られても……ラスボスが五人残っただけでしょ?」

「ぎくっ……ま、まぁ百人とお見合いするよりは現実的ですよ」

 勘の良い中学生だった。小憎らしいほどに要点を捉えてくる。

 ただ、彼は分かりやすく中学生なのだった。

「あとはテキトーに話を合わせて、テキトーにお断りを入れるだけですね。よかったよかった。これなら二週間くらいで帰れそうだ」

「え?」

「……え?」

「先方の五人には『一ヶ月以内で口説き落とした方が勝ち。口説けなければ負け』というルールでお見合いの件を了承していただいたのですが」

「聞いてねぇぞ!?」

「大丈夫です。付き合って駄目そうならお断りすればいいんです」

「お断りしたことのない人が簡単そうに言っちゃ駄目だろ、それは!」

「確かにお断りしたことはありませんが、それは関係ないでしょう!」

「あるね! 中学生程度の恋愛経験しかない人たちがお見合いの話まとめちゃいかんよね? 誰か頼りになる仲人とか、そういうのを差し挟むべきだよね?」

「……ぐぅ」

 ぐぅの音しか出なかった。全くもって完璧な正論だった。

 小賢しいじゃなくて、賢しい中学生だった。

 与一くんは深く深く溜息を吐いて、天井を見上げた。

「まぁ……いいか。とにかく相手に気に入られないようにすりゃいいだけですもんね。ラクショーラクショー。はっはっは」

「与一くん。目が死んでますが」

「目はいつでも死んでいます。……くそ、一ヶ月ってのがネックだなぁ」

「日数がなにか?」

「僕は根暗なので惚れっぽいのです。日数をかけると不利です」

 わりと切実な問題のようだった。

 そうなったらそうなったで、現実への帰還を諦めて恋人と キャッキャウフフしてればいいと思うのだけど、さすがにそれはまずいだろう。

 けれど、口ではそう言いながらも、彼の目に悲壮感はない。

 その理由はなんとなく分かる。

「注意はしておいた方がいいですよ?」

「ん?」

「自分が好かれるわけがないという確信は、他人には意外と通用しないものです。おまけにここは一般常識とはかけ離れた場所ですからね。中学生で、低身長で、目が黒くて、髪はぼさぼさで、上半身傷だらけで……そんな欠点だらけの誰かを、むしろオッケーと全肯定して押し倒してくるであろう誰かが存在していることを、お忘れなく」

「それ、経験談ですか?」

「ウチの宿のご主人様はちょっと変わってますからねぇ……」

 ほぼ肯定だったけど、事実だったので仕方ない。

 与一くんは少し唖然とした後、サンドイッチを齧って口元を緩めた。

「あの眼帯は、変わってるというか……そこだけ欲求に忠実なんでしょうね。変態紳士なんですね」

「なぜ格好悪く言い直したんですか?」

「山口さんの膝抱っこは……まぁ、山口さん主導だからいいんですが……なんというかそういう場面に出くわすことが多くてですね。中学生には色々と毒々しい」

「ほほぅ? そこのところ、もう少し詳しく」

「舞の姉貴が妙なコスプレであの眼帯の膝の上でくぎゅう」

 くぎゅうという妙な音を発して、与一くんは喉を抑えた。

 どうやら、首のあたりに糸のようなものが巻きついているらしい。

「キサラギくん? 口は災いの門って言葉、聞いたことあるかナ?」

「舞さん。今日は大学の方はいいんですか?」

「午後からは休講です」

 素っ気なく言い放ち、舞さんは手に持ったお盆をテーブルに置き、指を振る。

 その瞬間に与一くんに巻きついていた糸が外れたのか、彼は首を抑えてゴホゴホと咳をしながら、その場に蹲った。

「ごほっごふっ……げっほ……。舞さんよぅ、さすがに必殺仕事人みてーな粛清方法はやりすぎじゃないっすかね?」

「アレは罰ゲームなの。元々人に見られる予定はなかったの。お分かり?」

「そのわりには幸せオーラ全開だったよう……いや、なんでもないっす」

 舞さんに睨まれて、与一くんは口を閉ざした。

 本当に賢明な少年だった。

「つーか、姉妹で他人の首絞めるってどんだけだよ……おっかねぇな」

「冥ちゃんはともかく、私はそんなに絞めません。『ここで放っておいて言わせてたら後々えらいことになる』って時限定だからね?」

「へいへい、悪ぅございましたね」

「……ところで、喉乾かない? ジュースとか飲む?」

「うぅ……痛い。すごく痛い。これはジュースの他にカツサンドも付けてもらわないと割に合わないぞぅ」

「分かったわよ。分かりました。付けりゃいいんでしょ、付けりゃ」

 やり過ぎたと思った時の対応が、姉妹でそっくりだった。

 与一くんの方は昨日ほど過剰な反応はしていない。ただ、表情は青ざめていて、なんだか妙に苦しそうだった。

 突っ込んでいいものか悪いものか。少しだけ悩んだが、私がなにかを言う前に、与一くんはゆっくりと息を吐いた。

「大丈夫です。問題ありません。今は心が弱ってるせいでつい反応しちゃうだけです」

「心が弱るって……お見合いの件でですか?」

「いえいえ、ちょいとまぁ……ここに来る前に、柄にもなく失恋なんぞをしてしまいましてね。今も引きずっているのですよ」

「………………」

 資料で分かること、分からないこと。人の心まではなかなか調べられない。

 私が勝手に『与一くんは恋愛とかしそうにない』と思い込んでいたのもあるけど。

 まぁ……それは確かに失礼だったかもしれない。

 人は恋をするものだ。

 と、そこで舞さんがカツサンドとジュースを持って戻って来た。

「ウチの宿の事情とはいえ、失恋後にお見合いってキツくない?」

「キツいっすよ。まぁ……僕が撒いた種みたいなもんだから仕方ないですけど」

「あっちが勝手に惚れただけじゃないの?」

「普段ならそれで済みますけど、今回は、大人の事情が噛んでるからしゃーないです」

「ごめんね。ウチの馬鹿と山口さんがふがいないせいで」

「素直に謝られると、ちょっと色々困りますね」

 柔らかく笑いながら、与一くんはカツサンドを頬張ってジュースを口に含む。

 なんだかんだで私のせいにされているのがちょっとアレだけど、それはともかく与一くんは黒霧姉妹にはそこそこ懐いているようだ。

 私や京子さん、美里あたりだとちょっとだけ壁を感じるような気がする。

 ジェネレーションギャップ?

「や、山口さん!? いきなり奈落より凹んでますけどどうしたんですか!?」

「いやぁ……うふふ……もう若くはないんだな、と再認識しまして」

「十分若いと思いますけど……如月くんもそう思うよね?」

「男がこの話題に触れると執拗な攻撃が始まるので、発言は拒否します。……まぁ、昼間から男といちゃいちゃべたべたしてるような人は、確実に若いと思いますけどね」

 与一くんの発言に、露骨に頬が引きつる。

 ちらりと見ると舞さんも若干顔をしかめていた。

 この少年の精神は地獄かなんかでできているんだろうか? おちおち、落ち込むこともできやしないらしい。

 その地獄少年はサクサクとカツサンドを食べ終わり、さっさと席を立った。

「んじゃ、部屋に戻ります。外出の予定はないので、御用がある時は部屋までどうぞ」

「あ……はいはい。それじゃあ、後で打ち合わせとか着付けとかあるんで、その時に」

「了解です」

 手を振りながら、与一くんは食堂を出て行った。

 なんというか……色々と、難儀な子だ。

 舞さんはお任せランチセットのアジフライを箸で突きながら、息を吐いた。

「ところで山口さん。如月くんのお見合いの相手って……」

「ああ、はい。昨日なんとか取りまとめましてね。こちらが名簿になります」

「どれど……れ?」

 舞さんは、絶句した。実に分かりやすく絶句した。

 頬を引きつらせ、目を細め、それから大きく息を吐いて天を仰いだ。

「……マジですか?」

「マジですけど……あの、もしかしてやらかしたパターンですか?」

「覚えてな……いや、違うか……しまった……そうか、山口さんいない時じゃん!」

 舞さんは慌てたように携帯電話を取り出し、どこかに電話をかけた。

 まぁ、どこかはなんとなく予想がつくけど。

「ちょっと、テン! あんた本格的なアホじゃないの!? そう、その件よ。察しが早くて助かるけど、どう考えてもこの選出はないでしょ! 馬鹿じゃないの!?」

 かなり怒り心頭で怒鳴り散らしている。

 どうやら、切羽詰まった状況になってきたようだ。

 と、舞さんの怒鳴り声に反応して、厨房から京子さんが出てきてしまった。

「なんだなんだ? 今日は一体なにやらしたんだよ、山口」

「どうやら、仕事をトチってしまったようです」

「如月の見合い写真? こんなもん今更見慣れた……もんじゃ……」

 内容を見て、京子さんも舞さんと同じように絶句する。

 大きく溜息を吐いて、口を開いた。

「あー……まぁ、これは仕方ないな。山口、その時いなかったし」

「どのくらいまずい事態ですかね?」

「最悪の事態で言うと宿が潰れるし与一も死ぬな」

「わぁお……」

「冥と美里は天弧について行っちまったから、明後日まで戻って来ない。今日と明日はあたしたちでなんとかする必要がある」

 京子さんは苦々しく表情を歪め、大きく深く息を吐いた。

「あたしらでなんとかするしかないか。やれやれ……予想はしてたけど面倒なことになったもんだよ」

「予想はしてたんですか?」

「今は、如月の身柄を確保するのが最優先だ」

「了解」

 返事をしながら、私と京子さんは歩き出す。

 与一くんは自分の部屋にいるはずだ。



「くっはっは……ずいぶんと痩せた小僧じゃのぉ。若い連中の趣味が悪くなったか?」

「……どちら様でしょうか?」

「白楼みづちという。白き蛇の一族……の、爪弾き者じゃのぉ」

「その爪弾き者が、僕のような痩せた小僧になんの御用で?」

「御用というほどではないわ。一族の者どもが声を揃えて『良い歳なのだから見合いをしろ』とうるさくてかなわんのでな、一番後腐れのなさそうな相手を選んだだけよ」

「良い歳? ずいぶんお若く見えますが」

「かっ! 我らにとって外見など当てになるものか。なにせ、我らは蛇じゃ。体を脱ぎ捨てて永劫を生きるが蛇よ。世辞などとうに聞き飽きたわ」

「お見合いは明日からと聞いたのですが……」

「人間風情が決めた日取りなぞ知るものかよ。我は我の決めた相手と添い遂げる。お主は間違いなく不合格じゃ。なよ竹のカグヤがごとく若い連中が熱を上げていると聞いたが、なんの見所もない。最近の女子は見る目がないのぉ」

「全くもってその通り。お互い、手間がかからなくて良かったですね」

「手間?」

「見合いの手間です。着飾ったり時間食ったり、面接し合ったりで大変でしょ? 特に女性は準備が大変ですからねぇ」

「確かにのぉ……親父殿があまりに必死なので受けてみたが、やれ着付けだのやれ化粧だの失礼のないようにだの……面倒でかなわんわ」

「男としては嬉しいんですけどね。可愛い女の子が見れるので」

「世辞はとうに聞き飽きたと言うたはずじゃが?」

「聞きました。その上で言ってます。可愛い女の子が見れるので男としては嬉しい」

「ふん。まぁ……我が可愛いのは当然のことじゃがな」

「可愛いのに、どうして行き遅れてるんですかね?」

「凄まじく失礼なことを言いよったな! 貴様!」

「いやいや、だっておかしいでしょ。普通の男ならまず放っておかない美貌で行き遅れてるんだからなにかしら事情があると思うじゃん? 心に決めた男がいる……とか」

「おらん。昔はいたが……まぁ、色々あったのじゃ」

「手酷く振られてトラウマになっちゃったんですねー」

「ふっごぅっ! な、なぜそれを!?」

「表情でなんとなく」

「ハッ……たかが十四年しか生きとらん小僧が煙に巻けると思うなよ? おぬし、当時の我よりもさらに酷い顔をしておるわ! やーい、ふられ虫ー!」

「いや、個人的な事情で僕が振ったんだけどもね……まぁ、結果はどっちでも一緒か」

「あっはっは、急になんか殺したくなってきおったのぉ! 女の敵め!」

「即死で」

「却下じゃ。そう簡単に殺してもらえると思ったら大間違いじゃぞ、小僧」

「デスヨネー」

「大体、なんで振ったおぬしが凹みまくっておるんじゃ? ちと、聞かせるがよい」

「僕、ヤンデレだから恋愛向いてないんだよ」

「病んでおるくらいは普通じゃろ。恋は熱病じゃ。ゆくゆくは互いの重責を背負わねばならぬものよ。そういう意味では『向いてない』と逃げたおぬしが一番悪い」

「みづちさん、ちょっと正座」

「……は?」

「正座じゃなくてもいいから、僕の正面に座って。お話があります」

「お話? ハ、我の話に感銘でも受けて、愛の告白でもするつもりか? 我とて数多の相手に愛の告白をされた女ぞ? こんな短時間で口説こうなどと……」

「ちゅー」

「っ……!? なっ……ななななななななななななぁっ!?」

「逃げずに立ち向かうって、こーゆーこと?」

「ば……馬鹿を言うでないわ! い、いきなりなにをするか小僧!」

「ヤンデレって言ったじゃん? 人の話聞いてた? それともなに『自分は惚れられるわけないし他人事だから好き放題言っちゃえ』とでも思った? なんで思ったの? この場で僕に捕食されない理由があるとでも思ったの? ナンデ、この場から、ニゲラレルって思ったのカナ? 他人事だと、オモイコンダの、カナ? 大丈夫だよ! みづちさんほどの霊格を喰らえば僕一人でもみづちさんを養うことはできるからまずはペットショップで蛇の飼い方を聞かないとね最近は通販とかあるからラットとかも簡単に購入できるしお金はどっかの馬鹿から奪えばいい僕が二十歳になったら毎日いちゃらぶして野グソみたいな子供を死ぬまで大量生産しよう大丈夫全部僕に任せて大丈夫だから安心してね?」

「ひィっ!?」

「ほら、ドン引く。引かれるくらいなら先に引く。僕は逃げるんだよチクショーめ」

「………………」

「おーい、みづちさん? 生きてる? わりと冗談っすよ? ちゅーもふりだけだったしダメージはゼロだよ? ……あ、もしかしてお目覚めのちゅーの催促かなんか?」

「違うわ!」

「まぁ、ヤンデレってのは嘘だけど、恋愛が苦手なのは本当。みづちさんも似たようなもんじゃないの?」

「……おぬしに心配されるような生き方はしとらん」

「いや、行き遅れって時点でかなり心配だけど……」

「ハ……それなら、おぬしが娶るか?」

「おっと、これは予想外の切り返し。しかし、残念。好感度が足りません」

「ふん、そうやってふざけるのが楽しいからふざけ続けて、結局相手を振ることになったのだろうよ。我に見せたモノを見せれば少しは変わっただろうに」

「…………無理ですよ。引かれるの、怖いもん」

「我は引かぬ。退かぬ媚びぬ省みぬ。神格者を舐めるなよ、小僧?」

「格好いいですね」

「好感度は上がったか?」

「0から1くらいですかね」

「最初ならそんなものかのぉ……では、次は改めて、見合いの席でな」

「あれ? 僕は不合格じゃなかったんですか?」

「知らなかったか? 我は若いのじゃ」

「見れば分かりますけど、見た目で判断すると怖いと教わりましたもので」

「賢明じゃのぉ。まぁ、とにかく若いからな。若者の気持ちはよぅ分かるのじゃよ。娘どもがおぬしに入れ込む気持ちも、よーく分かる。我は若いからな」

「僕にはあんまり分かりません……あと、さっきから『若い』強調し過ぎ」

「事実若いからな。……そして覚えておけ、夜の闇は怖いが部屋の闇は怖くない。適度な闇は安穏であり安心なのじゃよ。人には分かり辛いが闇を侍らすのは、心地良い」

「………………」

「かっかっか。自覚があるなら悩め悩め。若者の特権よ」

「時折年寄り臭いこと言っちゃうけど、みづちさん実際すごく若いよね」

「そ、そうかの?」

「僕は若いと思うよ。若いけど、色々と賢しいから貰い手がいないのかもね。勿体ない話だけど、結婚ってある意味で馬鹿になれないとできないもんだから仕方ないね」

「おぬし爺くさいのぉ」

「よく言われる」



「と、いうことがありました。死ぬかと思ったのでオレンジジュースもらいます」

 死地から帰って来たにしては、与一くんのノリはわりと軽かった。

 与一くんの身柄を確保した後、私たちは食堂に集まっていた。通常業務は現在暇な状態でバイトさん達でも十分回せる状況なので、とりあえずは問題ない。

 問題なのは、与一くんが見合い相手と接触してケロッとしてるところだろう。

「こら、如月。オレンジジュースとか可愛いこと言いながらスクリュードライバーに変えるな。おいやめろ。未成年の飲酒は禁止だ」

「じゃあ、コーヒーでいいや」

「コーヒーはコーヒーでもコーヒーリキュールだろ!」

 執拗にアルコールを摂取しようとする与一くんの後ろ頭を平手で叩き、京子さんは大きく溜息を吐いて、熱いコーヒーを飲んだ。

「ったく……山口、よーく見張っとけよ。こういう野郎は簡単に死ぬからな」

「うっわ、梨本さんマジひでぇ。さすがヴァイオレンスおっぱいは格が違うぜ」

「与一くんはなんで京子さんには容赦ないんでしょうかね……」

 この子の基準がよく分からない。

 京子さんはコーヒーを飲んで、ちらりと与一くんを見て溜息を吐いた。

「あたしとしては正直、与一を今すぐ家に帰すべきだと思う」

「……そんなにまずい事態なんですか?」

「まずいなんてもんじゃない。五人全員それぞれが色々な意味でヤバい。全員一度はテンの奴をマジギレさせた上、全開戦闘やってるって点が、一番ヤバい。なんで白楼の大蛇が与一を無傷で帰したのか不思議で仕方ない」

「…………おおぅ」

 天弧さんはわりと温厚な人だけど、キレる時は簡単にキレる人だ。

 具体的には家族や友達に危害が及ぶと、本当に簡単にキレる。

 つまり……与一くんの見合い相手というのはその『ほとんどない』をやってしまった曰くつきの方々なのである。

「月乃輪姫は温厚な常連だがとある一派と非常に仲が悪い。スケジュールの調整に毎度苦労するんだ。渦巻は……なんつーか、とりとめがないっつーか……会話があんまり成立しないタイプだし、黒依さん達は……常連だし団体客だからあんまり言いたかねーんだが、色々とキモい。シラヌイは性格が最悪」

「僕、眼帯に嫌われてましたっけ?」

「いや、恐らく他意はない。どいつも権力のある連中だ。無視できんのさ」

「大人って面倒くさいなぁ……たかが見合いで体面だの面子だの。アホくせぇ」

 仏頂面でオレンジジュースを飲む与一くんの表情は誰よりも大人っぽかった。

 肩をすくめて、京子さんは口を開いた。

「で、与一……どうする?」

「どうするって、お見合いはしますけど」

「………………」

「その『あ、コイツ頭イっちゃってる』みたいな顔はやめてください」

「いや、あたしの説明聞いてたか? 全員ヤベぇって言ったじゃん?」

「みづちさんを見た限りでは、この宿の方々ほどヤバくはないな、と思いました」

「……あ? おぅ? ……うん……そ、そんなことはないぞぅ?」

 色々思い当たることがあったのか、京子さんの否定は弱々しかった。

 与一くん曖昧な笑顔を浮かべながら、ぱたぱたと手を振った。

「まぁ、橘さんか僕の妹ほどやばい人がいなきゃ、多分大丈夫ですよ」

「お前それ、美里に聞かれたら殺されるぞ」

「やばさで言えば京子さんもどっこいです。一番ヤベェのは眼帯と僕ですが」

『…………あー』

「二人して納得しないでください」

 そう言われても、天弧さんがブチ切れるレベルの人を相手に、平気の平左で生還した上に相手が上機嫌気味というのは、もうこれは色々とやばいと思う。

 昔の彼と似たような、それでいてさらに混沌とした印象を受けるのだ。

「とりあえず、与一くんに護衛を付けることを提案します」

「異議なし。明日になりゃ迂闊に手は出せないだろうしな。ローテーションは舞→山口→私の順で、二人組で一時間交代にしておこう」

「そういえば、舞さんはどこに行ったんですかね? まさか、既にやられて……」

「勝手にフラグを立てないでください!」

「厨房でなにしてんだよ? 酒以外隠してないから、漁ってもなんにもないぞ?」

「調理してる時間とかなさそうなんで、すぐ食べられるものないかなと思いまして」

「ないよ? だからその手に持ってる燻製肉を今すぐ離せ」

「保存食ってこういう時に食べるものだと思うんですが……。あと、山口さん。焼き鳥缶をこっそり隠さないでください」

「これとワインで一杯やりながら天弧さんをからかうのが、最近の流行で……」

「それ、多分山口さんの中じゃ永遠に流行してると思います」

「そういうことなら、舞さんの手作り生チョコも出しちゃいましょう」

「異議なし。ベイクドチーズケーキとかアイツの好物じゃねーか。彼女気取りか」

「二人ともこういう時だけ団結するのやめてください! 甘いものの自作くらい多分普通です! あと、彼女じゃないですからね!」

「この前、宿の勝手口でちゅーしてたじゃん。……って、与一が言ってた」

「るぅおえっ!?」

「お帰りなさいのちゅーは欠かしていないと。……って、与一くんが言ってました」

「ちょ……如月くんっ!? 変なデマを吹聴するのは……やめ……」

 キョロキョロと周囲を見回して、舞さんは首を傾げる。

「如月くんは?」

「目は離してないけど、今消えたな」

「……へ?」

「気の早い方々ですねぇ。京子さん、どうしましょうか?」

「とりあえず腹ごしらえだ。その時までに与一が戻ってこなかったら、然るべき対応を取ることにしよう。どーせ、あたしのセンサーや舞の糸にも引っかからないだろう」

「そんなにゆっくりしてて大丈夫なんですか?」

「大丈夫……と、太鼓判押すほどじゃないけどね」

 京子さんは深く息を吐いて、口元を歪めた。

「大丈夫じゃないけど、大丈夫だと、あたしは勝手に思っている」

「それは、さっき言ってた『予想通り』ってやつですか?」

「そういうことだね。有体に言えば経験則だ。あんまり面白くない話だから詳細は省くけど私は与一みたいな奴を知っている。そいつは言葉が通じない化物と、相打ちになって死んじまったけどね。……もっとも、言葉が通じる奴が相手だったなら、あいつは殺せなかったんじゃないかと、私は今でも思っている」

 言の葉使いのような舌先三寸ではなく。

 もっと根源的な、根本的ななにかが、拒絶するだろうと、京子さんは語る。

 京子さんはゆっくりと息を吐いて、口元を歪めた。

「正直に言えば、あたしは与一が苦手だ。美里も似たようなもんだろう。『人が一番欲しがっているモノをポンと寄越す』ような奴は……心の傷に障るんだ」

「……でも、嫌いじゃないんでしょう?」

「ああ。如月は良い奴だ。だから色々と困ってるんだよ」

 心底困ったように眉をひそめて、京子さんは大きく溜息を吐いた。

「ま、とにかく今は待ちの一手しかない。待ってる間に飯を食おう」

「もしも戻ってこなかったら?」

「心配するだけ無駄だ」

 京子さんは生チョコを口に放り込んで、目を細めた。

「一番欲しいモノを平気な顔でくれる人間を殺せるのは、病気と化物だけだ」



「ぐるぐるぐるぐる……あなたは私を好きになーる……」

「目の前で指をくるくる回されても好きにはならん。トンボだって引っかかんねーぞ」

「おやおや? 馬鹿な、私の神通力が通用しないだとー?」

「精神感応系がわりと効きにくいだけで、他は通用します」

「あー……根性が比較的捻くれてるタイプの人なのかー……納得なっとくぅ」

「根性が捻くれてる言うなや。で、アンタ誰なんだよ?」

「渦巻毎々。うずまきまいまい。嫌いなものはタマムシ全般。あいつら人間じゃねぇ」

「……うん……人間ではないよね。マイマイカブリとか特に嫌いそうだよな」

「うん、大嫌い大嫌い。こっちが無抵抗なのに容赦ないからねあいつら。それはともかく聞き知っての通り、蝸牛の化身ですー。で、君のフィアンセ。ヤッフゥ!」

「フィアンセじゃねーよ。勝手に決めるな。あと、なにがどうヤッフゥなのかは知らんけど不意にハイテンションになるのはやめれ。なんか危ないお薬でもキメてしまってるんじゃないかと色々勘違いするから」

「駄目だよ~? 私はおねーさんだけど、子供には興味ないからね?」

「…………ああ、この黒い感情は知ってる。これが殺意か」

「やー、正直子供は好みじゃないのですが、私のお金のためにこうやって拉致監禁決め込んだわけですよー」

「子供を拉致監禁すなや。ここは一体どこなんだよ?」

「蝸牛は己の中に一つの世界を内包するのですよ。固●結界みたいなもんだね~」

「生臭いから早く出してくれません?」

「………………え」

「引くなよ! 否定しろよ! 生臭くないしむしろ良い匂いだから安心しろよ! なんでこの世の終わりみたいな顔してんだよ! やりづれぇよ!」

「アイデンティティーを否定されれば、誰でもあんな感じになりますが!?」

「逆ギレだし……拉致監禁決め込むくらいなら、もっと太い神経持っておけよ」

「なんかみづちちゃんの時と態度違うなー。むかつくなー」

「見てたのかよ……」

「みづちちゃんなんて基本ヘタレだから、もっとガンガンやってもいいんだよ~?」

「基本ヘタレにそれやったら確実に泣くじゃねーか」

「泣いてたねー。げこちゃんに男の子寝取られた時も泣いてたねー。うっとり」

「げこちゃんマジ最低だな」

「ガラスの剣をへし折る系の人だからー。みづちちゃんの涙舐めたいって言ってたし」

「げこちゃんマジ最低だな! 言葉にできないほど最低だな!」

「今回はげこちゃんがいっぱいお金くれるって言うから、みづちちゃんの邪魔をしにここまでわざわざやって来たんだよ~。いェーい!」

「わざわざとか言っちゃってるあたりで、お前もげこちゃんと同類だよ!」

「というわけだから~、勘違いしないでね~?」

「誰がするか。お前みたいな性悪選ぶくらいならみづちさん選ぶわ」

「…………え」

「だから露骨に引いた上に涙目やめろ! 今までの会話の流れで引いちゃ駄目だろ! オメーの方がみづちさんより、よっぽどガラスの剣だよ!」

「げこちゃんにも性質悪いって言われたよ?」

「なんで『信じられない』って顔してんだよ! 最低かも分からんがそれはげこちゃんが正しいぞ!? あー……うん。そうだな。ちょっとお話をしようか。今ここで僕はなにかとても大切なことを教えなきゃいけない気がしてきた」

「お話することなんてないもんね~。べーっだ!」

「いや……うん、まぁいいけどさ。毎々は、げこちゃんからお金がもらえるから見合いを受けたんだよな?」

「うん! お金大好き!」

「そうだな、僕も大好きだ。ちなみにその時げこちゃんからなにか言われなかった?」

「んっと……『みづちは絶対に誰にもやらないけど、あなたは馬鹿だし性質悪いしで最悪だから早くお嫁に行きなさい。相手の男にまずごめんなさいと伝えるのよ?』って言われたよ? げこちゃんって時々すごく酷いこと言うの!」

「言ってることは正しいけど、確かにすごく酷い」

「そーでしょー?」

「あと、さっき家の方や君自身はどう考えてるのさ? ないならないでいいけど」

「んー……お子様は趣味じゃないけど、おとーさんが妙に張り切っちゃってるの。『あの妙な宿で変な男見つけたから、見合いをしてきなさい。もしかしたらお前みたいな不器量な娘でも貰ってくれるかもしれない』って。変な男と自分の娘を見合いをさせちゃ駄目だよね~?」

「いや、その前に自分が不器量呼ばわりされてることを責めるべきだと思うけど……まぁいいか。とにかく、僕みたいな子供はNGで、お金目当てで見合いしたってことだね」

「うん! お金大好き!」

「お金が大好きなのは分かったし、僕も大好きだけど、繰り返すと嫌な人になっちゃうからやめようね? まぁ……それなら話が早そうだ」

「ふぇ?」

「いや、僕も今回のお見合いはぶっちゃけそんなに本意じゃなくて、受けないと世話になってるお宿が色々まずいってことで受けたんだよ。だから、別に僕を閉じ込めなくてもみづちさんに狼藉を働くつもりもないし、君になにかしようって気もない」

「……そうなのー?」

「そうなの。つまり、君は余計なことをしなくてもオッケーってことだね」

「ふむふむ……ちなみに、私とみづちちゃんならどっちがいいの?」

「断然みづちさん」

「それはおかしいよ?」

「真顔で言うなよ……仕方ないだろ、僕にも女性の好みってもんがあるんだ。具体的には胸の大きい女性にときめきます」

「胸の大きさ? 変な所にこだわるんだねぇ。大きさなんてテキトーに変えちゃえばいいのに。普段は邪魔だし、大きくても良いことなんてこれっぽっちもないよ?」

「神様っぽい人にゃ分からんかもしれないけど、ヒト科ヒト目にはそーゆーおまけ要素にこだわる人もいるの。大体、神様だって処女と美少女大好きじゃん?」

「童貞も大好きだよ!」

「なんか悲しくなるから力説すなや。大体、渦巻さんにだってこだわりあるだろ?」

「格好良くてお金持ちがいいなー♪」

「現実を見ろ! 格好良いのはともかく、お金持ちはもうみんな結婚してるよ!」

「大丈夫だよぅ。みづちちゃんみたいに顔にこだわってるわけじゃないから~」

「その妙な確信はどこから来るんだよ……」

「なんとなく、みづちちゃんよりは先に結婚できる自信があるよ~!」

「いや、マジでその妙な自信がどこから出てくるんだよ?」

「私がその気になれば、見合いなんてお茶の子さいさいだし、君くらいの子供なら楽勝で魅了できる! 蝸牛の神通力はそっち方面にも明るいからね~!」

「……絶対に無理だと思うけどなァ」

「好きにな~る好きにな~る」

「精神感応系は効きにくいってさっき言っただろうが」

「喉乾かない? 私特製のグワバジュースがあるんだけど」

「絶対になんか混入してんだろ!」

「君は蝸牛のプライドに傷を付けた! もうこうなったら最終手段しかないね!」

「最終手段はえーな、おい」

「お兄ちゃん、大好き♪」

「死ね」

「死ねって言われた!?」

「おっとごめん。死ねは言い過ぎだな。でも、義理の姉と妹がいる男は、そういうセリフには萌えねぇって。死ね。もしくはShine」

「最後英語っぽく言ってるけど、普通に死ねって言ってるよね!」

「大体さ……こう言っちゃなんだけど、渦巻さんは基本自分勝手過ぎます」

「………………え」

「凹まれてもはっきり言うよ。みづちさんは大人過ぎて行き遅れてるけどさ、君の場合は子供過ぎて行き遅れてるんだよ。男性と付き合ったことくらいはあると思うけど、その人たちは引いてなかった? 後で引かれてたって分かって、後悔したりしなかった?」

「う……うぐぅ」

「少しだけ、誰かの歩調に合わせてあげてもいいんじゃない?」

「……お、お説教なんて聞きたくないもん!」

「じゃ、お説教はやめよう。お金と容姿以外の話をしよう。萌えの話をしよう」

「……へ?」

「君は魅了に失敗した。僕の勝ちだ。勝者は敗者に言うことを聞かせる権利がある。渦巻さんはさっきからお金の話しかしてないけど……本当はあるでしょ? 胸がときめくシチュエーションや、見ているだけでわくわくするモノが。それを教えて欲しいな♪」

「べ、別にそんな……ひィっ!? ち、近い近い! なんで異常接近するのっ!?」

「恥ずかしがらずに語れ。語らないと内部から食い散らかすぞ。寄生するぞ。頭を支配して取りに食わせるために高い木の上とかに登っちゃうぞー」

「分かったよぅ……分かったから、唇がくっつきそうな距離感はやめて……」

「まぁ、分かってたけど男と付き合ったこととかないよね」

「うるせー!」



「すみません。少々気が逸ってしまいました。彼には『後で覚えてろ』とよろしくお伝えください。……それでは、本日は失礼いたします」

 死地から帰って来た彼は、蝸牛の彼女に背負われて戻って来た。

 与一くんの体に異常はない。本当に寝入っているらしい。死地から二度目の生還を果たしたにしては、やたら血色が良かった。

 蝸牛の彼女の頬がやたら赤かったことを差し引けば、なんの問題もないだろう。

 寝入ってしまった与一くんは彼の部屋のベッドに寝かせ、私と京子さんで護衛をすることになった。

 ビーフジャーキーを噛みしめながら、京子さんはポツリと呟いた。

「与一の奴……本当に半端ないね」

「へ?」

「あたしは、あんなに殊勝な態度の渦巻は見たことがない。とにかく『しつこくて鬱陶しい上に会話が成り立たない』ことでテンをキレさせた奴だしね。面倒な奴なんだよ」

「ふむふむ」

 蝸牛というくらいだ。粘着質でしつこくスローペースなのかもしれない。

 さっきはそうは見えなかったが、あれは恐らく『外面』なんだろう。

 外で見せている自分と、家で見せている自分は、やっぱり違うのだから。

「女たらしの才能でもあるんですかねぇ」

「才能っていうより、能力だろうね。アイツは『年上に媚を売る術』を心得ているような気がするよ」

「……媚を売る、ですか」

「どう言い繕っても悪い言い方になっちまうけどね。山口も知っての通り、ご機嫌伺いや媚を売るってのは、決して悪いことじゃない。あたしたちにはそれができないからね」

「イラッときたらぶん殴ってますもんね」

「問題は……だ」

 クラッカーにクリームチーズを乗せ、京子さんは呟くように言った。

「あいつが、それを『神経質』レベルでやってしまっていることにある」

「神経質なまでのご機嫌伺いですか?」

「そう。あたしが与一を苦手としている理由の一つなんだが、あいつは人前だとピリピリしてるんだよね。隠すのが滅茶苦茶上手いから、あたしと美里くらいしか気づいていないかもしれないけど」

「え? 美里が気づくんなら、私も気づくと思うんですけど……」

「山口は懐かれてるからね」

「……そういうことですか」

「やたら睡眠時間が長いのも、それが理由だと思う」

 人の顔色を伺いながら、ご機嫌を取りながら、顔で笑って心で泣いて生きる。

 それは……悪いことではないけれど、誰もがやっていることではあるけれど。

 決して、楽しくはないだろう。

「なんだか、ものすっごく腹が立ちますねぇ。叩き起こしてやりましょうか?」

「拳じゃ直らんよ。いや……多分、永遠に治らないもんなんだろう」

「私は、そういうことを与一くんが完全に自覚してて、それでいて諦めているのが気に食わないんですよ……」

 一瞬、京子さんを怒鳴り付けそうになって、最後に残った理性で怒りを押し留める。

 ああ、そうだ。なんとなく分かっていた。

 与一くんの側にいるのは心地いいんだろう。

 適度な距離で、会話も適当で、まるで昔のお屋敷や『坊ちゃん』みたいに、楽しくて楽しくて仕方がないんだと……今の私には、よーく理解できる。

 でも、その楽しさは違う。間違っている。

 誰かを消耗して犠牲にして成り立つ楽しさなんて、今の私は、絶対に認められない。

「私は与一くんの家族でもなんでもありません。赤の他人です。でも、今こうして感じている怒りは私のものです。彼をああしてしまった連中にも、彼が気を配り気を払い神経をすり減らしていることに気づかない、彼の『家族』や『友達』や『同類』にも、腹が立って仕方ありません。自業自得で因果応報で、今こうしてツケを払い続けている私だからこそ、ここは怒るべきだと、思います」

「……そうか」

 京子さんは、口元を緩めていた。嬉しそうに見えたのは気のせいじゃない。

 少しだけ息を吐いて、京子さんはワイングラスにワインを注いで、私に手渡した。

「言いたいことは分かったよ。確かに、あんたの言う通りだ、山口」

「……京子さん」

「だが、実際問題どうしたもんかね? あたしも心底気に食わないのは同じだが、どうしてやれば与一のためになるのか、さっぱり分からないんだよ」

「………………」

「ヒネたガキ一人なんとかできやしない。それどころか心の傷に障るから意識的に遠ざける……ったく。我ながら弱過ぎて、嫌になっちまうねぇ」

「まぁ、強い弱いはともかく、自己嫌悪に浸る前に、やれることはありますよ」

「というと?」

「お酒を飲みましょう。で、後のことは私に丸投げってことで。目途なんて立ちませんが、なんとかできるように努力くらいはしてみますよ。幸いなことに時間は少しだけありますし」

「……悪いな」

「いつものことですよ」

 笑いながら、簡単なおつまみと共に、ワイングラスを打ち鳴らす。

 チン、という硬質的な……私たちにとっては、心安らぐ音が鳴り響いた。



 かくして、本格的なお見合いが始まる。

誰にだって我慢ができないことの一つや二つはあるだろう。

少年は不幸で幸福だった。だからこそ、大抵のことは諦めた。

曖昧な笑顔で、不規則な感情で、自由な心で、自分にできることとできないことを見極めながら、成長を知らず、成熟を求めず、他人の心には敏感で、寂しがりで、頭が悪く、敏感で、小賢しく、下卑た心と共に生きてきた。

そこまで諦めてなお、我慢できないことがあった。


次回、お客様、マタタビはご遠慮ください(後編)


この物語は、大したお話では、ありません。

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