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第三話:お客様、マタタビはご遠慮ください(前編)

不定期更新だと言ったな? あれは本当だ(重ねて本当)。

ただ、忘れられた頃に投稿することになるとは、自分でも思ってなかっただけで。

これからも不定期更新なのは変わらない。

久しぶり過ぎてキャラ違ってたら色々ごめん。

 黒曜石は砕ける。



 執務用の机の上に山と並べられたそれを見つめて、溜息を吐く。

「マタタビでも持ちこんでるんじゃないでしょーか?」

「いや、着の身着のまま……うん……そんな感じでここまで来たし……」

 それ。いわゆる見合い写真の数々である。

 見合い写真といっても、ただの見合い写真ではない。さる有名な血筋……というか、神格というか、とにかく頭に耳や尻尾の生えている方々のお写真である。

 ちなみに耳の上には猫の文字が付く。時折犬も混ざっている。熊や猿の時もある。

 まぁ……詳しいことはさておいて、さる名家の方々が、こぞって競って争い合って、我が宿に宿泊中の、とある客人へ求婚しようとしているのだ。

「どーやって断るんですか、これ」

「えっと……人の世界に干渉するのはうんたらかんたらとか……」

「そもそも、なんで毎度毎度変なお客様を連れて来ては無料で宿泊させたり働かせたりしてるんですか?」

「せ、世界の選択とか……」

「ちゅー」

「やめて。いや、やめて欲しくないけど集中できないお仕事できない」

 私の相方というかご主人様というか、眼帯の格好付け野郎は、サキュバス的な攻撃に大層弱い。やり過ぎると反撃がとてもとても怖いけど、やり過ぎなければどうということはない……と、思うけど、どこで反撃が来るか分からないのがちょっと怖い。

 ちなみに今やっているのは仕事が無暗に増えたことに対しての、膝だっこの刑。

「まぁ、世界とか干渉とか、ウチのお宿に関係ないことはどーでもいいのです。それよりこの見合い写真の山は本当にどうしましょうかね?」

「んー……そもそも、あそこまで激しくモテる理由がなぁ……」

「心当たりはあるけど、あんまり言いたくないなぁって顔ですね?」

「うん」

「ふむふむ。では、こっちで勝手に考えますけど……そういえば、彼は猫にはもてますけど人間にはもてませんよね? 宿の面子だと、私以外の全員が苦手に思ってますし、時折来る人間のお客さんは『気持ち悪い子供』って評する人もいましたし」

「…………ふむ」

「また変なことを考えたでしょう? そして、また黙っている気でしょう?」

「あいたたたた。ちょっ……こぼす。コーヒーこぼすっ」

「信頼してくれているのは嬉しいですけど、任される側は飴がないと『チッ、また厄介事かよめんどくせーな』と思われて、そのうち仕返しをされてしまうのですよ?」

「今度デートに行きましょう」

「……え?」

「え?」

「ああ……はい。デートですね。それならまず車のメンテナンスが必要ですね」

「カーナビが変だと思ったらやっぱりコッコさんのせいかよ! 『さっきの角を左です』って言われた時はどうしようかと思ったわ!」

「それは冥さんです。私がやったのは、舞さんの速度が通常の歩行を越えた場合に五十メートルほどずれるように細工しただけです」

「なんの意味があるのそれ!?」

「おふざけに意味があると思ったら大間違いです!」

「なんで逆ギレよ!?」

「ぎゅー」

「苦しい、首苦しい、ちょっと加減して。あと前が見えない仕事できない」

 べたべたと、張り付きくっつき、惰性で仕事。

 彼にはまぁまぁ迷惑だけど、こういうことをしないと私は成り立たないのだ。

 うん、今日もそこそこ幸せだ。

「で、話は戻しますけど……この見合い写真はホントどうなさるおつもりで?」

「テキトーな理由を作って断りたいけど、猫は執念深いからなぁ……」

「彼の反応は? 十四歳でモッテモテなんですから、もうドッキドキわくわく状態なんじゃないですかね?」

「妙に嬉しそうだね……。期待に添えなくて悪いけど、普通だね。異常なくらいに」

「……実は男色なのでは?」

「目を輝かせて酷いことを言わないでください」

「BLが嫌いな女の子はいません!」

「知ってるよ!」

「でも……実際どうなんでしょうね? 私以外の四人が彼を苦手に思うのも、猫たちが彼に好意を寄せるのも、似たような理由なんじゃないですかね? あなたの歯切れが悪くなるのも理由は同じ。人には重く猫には軽い。そんな理由が彼にはある」

「…………まぁ、ね」

「いや、正直どうでもいいんですけどね? 彼が悩むことですし」

「……そうだね」

「まぁ、私も少しは考えておきますよ。どうでもいいとは言いましたが、彼は大事なお客様ですもの」

「そうしてくれると助かるよ。……で、この姿勢はいつまで続くのかな?」

「お仕事が終わるまでです。もしくはエネルギー補充が済むまで……」

 言いかけて、口を閉ざす。

 態勢を整えようと思ったけど間に合わない。執務室のドアがあっさりと開いた。


「すみません、チェックアウトお願いします」


 いちゃつく私たちを見ても、彼は表情一つ変えなかった。

 ぼさぼさの髪。十人並の顔立ち。背は低く声変わりはしていない。服がないので浴衣をきてもらっている。汚物を煮込んだような真っ黒い目が特徴と言えば特徴か。趣味は睡眠と食事と聞いたことがある。快活でも前向きでもなく後ろ向きで飄々としている。

 勝負事には向きあわず、面倒事には付き合わず、感情的でもない。

 そのくせ友情や親愛や家族なんかは大事にしている……彼はそんな人物だった。

 如月与一という名前の、少年。

「受付に行っても誰もいなかったので、ここなら誰かいるかなと」

「あー……うん。それはそうなんだけどね、如月くん」

 彼は困ったように笑う。笑ったまま言った。

「前も言ったと思うけど、君の世界とこの世界はうんたらかんたらみたいな……」

「知ってます。その上で言ってんだよ眼帯。僕を元の世界に帰してさしあげろ」

「与一は微妙に口が悪いよな……」

「自分を客観視しろよー。①昼間から年上のお姉さんに、②メイド服を着せて、③膝だっこでいちゃつき放題、④みんな死ねばいいと思っていると思います」

「………………」

 ぐぅの音も出ないようだった。

 中学二年生に口論で負ける男にときめきます。

「いや、負ける原因の九十パーセントくらいはコッコさんだからね?」

「知っていますが、恋人というかご主人様というか相方というか、とにかくそういう人と真昼間からいちゃついてなにが悪いのでしょうか」

「悪くはねーけどさ」

 あっさりと、与一くんは目を細めながらも悪くはないと言い切った。

 言い切っちゃいけないことだと思う。色々と。

「そもそもさ、なんかちょいと前から思ってたんだけど、アンタらあえて僕をここから出さないようにしてるだろ?」

「ごふんげふん……ば、馬鹿を言うな。集客率とかそんな……ねぇ?」

「そーですよー。ところで、この子とか可愛いと思いません? 興味湧きません?」

「やっべぇ。超殴りてぇこのバカップル」

 与一くんは頭を抱えていた。気持ちはよく分かる。

 が、切り替えの早い性格である彼は、溜息混じりに言い放った。

「なら……せめて、僕の部屋に動物が毎日入りこむのだけなんとかしてくれ! 犬だの猫だの狐だの狸だの! 熊がいた時は死ぬかと思ったわ!」

「そのわりには、結構可愛がっていたような」

「実際、可愛かったからな。一緒に温泉入った次の日にはいなくなってたけど」

「………………」

 ああ、見える。死の星が見える。この子のこーゆー所が後々えらいことになるんだ。

「なにその半笑い。なんかものすごくイラッとくるんだけど」

「いやぁ……別になんでも」

「っていうか、動物までならいいけど、なんで猫耳とか犬耳付いた女の子が乱入してくるんだよ。確実にアンタらの差し金だろーが。マジでいい加減にしろよ。コスプレとかやめさせろ頼むから。ときめいたらどうしてくれんだ責任取れんのか?」

「それは普通に好かれているのでは?」

「ねーよ。常識で考えろ。可愛い女の子に男が群がるのは分かる。だって可愛いなら仕方がないものね。でも、逆はねぇよ。在り得ないね。ねぇからヘタレ主人公に女が群がるケースが蔓延してんだよ。現実にあったとしても財産とかそのあたりの兼ね合いに決まってんだろーが。アンタらの場合はレアケースなんだよ」

「………………っ」

 駄目だ。笑うな……耐えるのよ、山口コッコ!

 確かに彼の言っていることは理に叶っているけど、理に叶わず不条理の方がまかり通ることが往々にして在り得てしまう。『そーゆーこともある』のが世の常だ。

 ある意味ではひどい話になってしまうけど、本当に、そういうこともある。

「ま……別にいーけどさ。集客だかなんだか知らんけど、そっちの事情が落ちついたらさっさと帰してくれよ、マジで」

 そう言い残して、与一くんは執務室を出て行った。

 なんとなく、思ったことを口にする。

「スレてますけど、基本良い子なんですよね」

「そうだね。口は悪いけど」

 これに関しては、彼も同意見だったようで、深々と頷いた。

 如月与一。目がちょっと混沌気味の中学二年生。ある意味で我が強く、ある意味で我が弱い。暴力に弱く権力に弱く情に脆い。とても……いっぱいいっぱいで生きてる子。

 子供と、私は呼んであげたい。

 少なくとも、私くらいは。



 私にも仕事があるので延々といちゃついているわけにもいかないのが世の常だ。

 そんなわけで、お昼休みが終わったらいつも通りお仕事だ。

 今日の昼からのお仕事は、冥さんと料理の仕込みの手伝いだった。

「あの、山口さん。厨房の主はどちらへ?」

「今日は美里とお出かけですよ。与一くんから映画のチケットをもらったそうで」

「……あの男、年上にゴマするのは絶妙に上手いですよね。私も年上なのに」

 冥さんは脹れっ面で里芋の皮むきをしていた。

 なんというか……冥さんは、本当にあの子が苦手らしい。

「冥さんは、与一くんのこと嫌いなんですか?」

「んー……んぐぐぅー……嫌いでは、ぎりぎり嫌いではないですが、苦手です」

「いや、そこまで悩むんだったらいっそ嫌いと断言しちゃっていいような……」

「良い奴なのは知ってるんですよ。良い奴で友達だけど、苦手というか」

「うーん」

 根深い問題のようだ。彼は宿泊客なのでそのうちいなくなるのだから気にするなと言ってしまえばそれまでだけど、気にした方が良い気もする。

 これは、あくまで直感だけど。

 当てになるんだかならないんだか、よく分からない直感だけど。

「山口さんはないんですよね? 『くたばれリア充』とかそういう気持ちは」

「与一くんって、リア充なんですか?」

「リア充……うん? リア充? ……リア充に決まってるじゃないですか!」

「いや、だから悩むくらいなら違うと断言しちゃった方が楽ですって」

「趣味が寝ることっていうのも、なんかもーアレですよね。中二病の仙人気取りのやつですよ。もしくは女なんか興味ねぇみたいな感じですよ!」

「彼の場合はどっちかっていうとむっつりスケベではなくオープン過ぎるんですよね。この前なんて恐ろしく真剣な顔でエロ本読んでましたけど……」

「エロスが普通過ぎてこっちがおかしいんじゃないかって時々思いますもん。エロいっていうか、もういやらしいって領域ですよね」

「天弧さんが与一くんにぐぅの音も出ないくらい言いくるめられてる時、顔を赤らめて溜息を吐いていた冥さんよりはいやらしいかもしれないし、いやらしくないかもしれません。ただ、冥さんの方がサディスティック的な意味ではいやらしいと思います」

「あと、あの男、口説かれ過ぎです。旅館内での失楽園は禁止されています!」

「見合いの申し込みが百件越えてますからね……どうしてこうなっちゃんだか」

「というか、アイツの中で、私だけなんか年下のアホの娘扱いなのが気に食わない!」

「お前みてーなアホに巨乳が搭載されてるのが残念でならねぇよ」

「ツッコミに愛がなくなった!?」

 声の方向に振り向くと、与一くんが立っていた。なんだかお疲れ気味だった。

「あら、与一くん。厨房までなんの御用ですか?」

「飲み物もらいに。ここと風呂場は猫も寄ってきませんからね」

「お前に飲ませるジュースはねぇー! オレンジだろうがミルクだろうが、勝手に飲むと京子さんに怒られるんだからね!」

「なんで無銭飲食してる身分でジュースとか要求するんだよ。水道水でいいよ」

「通じろ皮肉! 伝われ悪意!」

 訳の分からないことを叫びながら、冥さんは牛乳をコップに注いだ。

 コップに注がれた牛乳を一息で飲み干して、与一くんは大きく息を吐いた。

「あー……疲れた。家帰りてぇ」

「ホームシック? 最近の子はだらしないね」

「出張から帰って来た途端あの眼帯に飛び込んで行ったメイドには勝てねーっすよ」

「ふぐっ」

 言葉の尖り具合では、与一くんの方に分があるようだった。

 目を細めながら、彼は言葉を続ける。

「大体この宿は一体なんなんだよ。変な眼帯に五人接着して、そのうち危ない変なのが二人。まともなのは三人いるけど、約一名は宿を留守にしがちだしさ」

「こら。山口さんに失礼でしょ」

「なんで自分のことを『まともな方』にカウントしちゃったの? オメーと包丁女は明らかに危ない変な方だからね!」

 どうやら、与一くんの視点では冥さんと京子さんが危ない変なのらしい。

 いや、正直私が『まとも』かどうか自信はないけど。

「っていうか、オメーが一番危ないし変だぞ? そっちの山口さんみてぇに人目を忍んで執務室でちゅっちゅするくらいにしておけよ。客の目の前でべろちゅーすんなや」

「山口さんは人目を忍んでるから、もっとエロいこともしてますー!」

「人目を忍ぶってのが大事なんだよ。相思相愛の男女なんだからエロいことくらいは余裕でするだろうけど、それを匂わせないのが肝要っつうか『まとも』な部分なんだよ」

「あの……二人ともその辺で。私に飛び火してますから。炎上してますから」

 人に自分の行為を客観的に言われると顔が真っ赤になる。

 というか、与一くんの意見が中学二年生のそれじゃない。

 エロス子爵とかそのあたりの意見だ。

 与一くんの言葉に少しは思う所があったのか、冥さんは大きく頷いた。

「むぅ……分かりました。万年メイド服だから仕方ないとは思うし、私が変な方というのは認めましょう。じゃあ、京子さんが変な人の部類なのはなんで?」

「聞けば答えてくれると思ったら大間違い……うごご」

 冥さんは目にも止まらぬ速度で与一くんの背後に回り込み、チョークスリーパーをかけていた。危険な技なので素人は絶対に真似しないように。

「そっちこそ、回答拒否してもなにもされないと思ったの?」

「やーめーろーよー。首絞めとかお前、フラバしたらどーすんだヨ……ゲグゥッ」

「…………へ?」

「冥さん!」

 私が声をかけるまでもなく、冥さんはすぐに技を解いた。

 元々、首を絞めるほど強く技はかけていないはずだ。冥さんにもそれくらいの分別はあるし、じゃれあう時にもちゃんと相手の技量くらいは見抜く。

 だからこれは、つまり……これこそが、彼の『異常さ』の一つなのだろう。

 首元を抑えながら、涙と鼻水を流しながら、彼はにやりと笑った。

「へっへっへ。……うっぷ……ひ、引っかかったな。今のは演技だ! 騙されひぐっ」

「いや、泣いちゃってるじゃん。鼻水すごい出てるし。どーしてそこまでして訳の分からない意地を張るかな……」

 冥さんは半ば呆れながらも、与一くんの顔をティッシュで拭っていた。

 この辺は少しだけ微笑ましいけど、与一くんの様子がわりと尋常ではない。

 冥さんからティッシュを受け取って、鼻をかんで与一くんは落ちついた。……この間約三十秒ほど。私の推測が正しければだけど、立ち直りの早さが尋常じゃない。

「ま、これが理由だよ。梨本の姉御、からかうと殴るからね」

「殴られるのが嫌だとか、そういう理由ですか?」

「正確には、女の子に殴られるのが『クる』んですよ。いつもはそうでもないんですけど今はちょっくら心が弱ってるもんで」

 なるほど。その『ちょっくら』がこの宿に招かれた原因らしい。

 この子はこの子で、かなり面倒そうな理由を抱えていそうだなぁ……。

「というわけだよ、冥。今の涙は反射行動だから気にすんな。なんの意味もない」

「気にするなと言われて気にしないような度胸は持ち合わせてません。ごめんなさい」

「………………」

「なに?」

「んにゃ……世の中の不公平さを少々噛みしめていたんだよ」

「今の言葉に噛みしめる要素あった?」

「いや……やっぱり自業自得か。頑張った奴ほど良い嫁をもらうのは当然だわな」

「な、なんですと!?」

「褒めたから、飲み物お代わり」

「くっ……転んでもただじゃ起きない小僧だ。いいさ! 今日は私が奢ってやる! この厨房にあるもの、なんでも好きなもの飲んでいいわよ!」

「じゃあ、この辺のもの勝手にもらっていいな」

「ちょっ……駄目ぇ! そのエリアは京子さんの取っておきエリアっていうか、手を出しちゃ駄目なアルコールゾーン! 未成年お断り! ワインの高いやつ!」

「じゃあこれでいいや。ウマそう」

「それも駄目ぇ! 芋焼酎の美味しいやつだから! チーフのお気に入りだから! おいこら中学生、さっきからアルコールを躊躇なく選ぶのは色々と反則ですからね!」

「このコーヒーすげぇ良い香りだよね」

「舞ちゃん手製の水だしコーヒーです! えらい時間かかるから勘弁して!」

「仕方ねぇな。じゃあ、自分の子供にラギ●クルスみたいな名前をつけないと断言できるなら、この辺で妥協してやるよ」

「確かに天と冥だけどラ●アとか付けないよ! あとそれビールじゃん!」

「ノンアルコールビールはビールじゃない。清涼飲料水だ。たぶん」

「そっちのプレミアムはノンアルコールじゃねー!」

 ひょい、と缶ビールを取り出して、手慣れたように開けてぐびりと一口飲んだ。

 幸せそうに頬を緩めて、ぷはぁと溜息を吐いた。

「いやぁ、麦汁は旨いね」

「……おっさんくさい」

「おっさんで結構。んじゃ、僕はそろそろ戻るよ。じゃあね」

 ひらひらと、手を振って与一くんは厨房を出て行く。

 ビールを美味しそうに飲みながら、ひどく荒んだ目で、曖昧な笑顔を浮かべて。

 ちらりと、私と冥さんを見つめて、厨房を出た。

 彼の背中を見送ってから、私と冥さんは里芋の皮むきを再開した。

「山口さん。フラバって知ってますか?」

「さぁ? フラッシュバックを無理矢理略した感じだと思いますけど……」

「……それって……」

「概ね、想像通りでしょう。ただ、それだけであんな風に育つとは思えませんよ。それだけじゃなく、なにか色々あったんでしょう。想像もできないなにかが、色々と」

「気になりますね……とても気になります」

「じゃあ、調べちゃいましょうか?」

「ご主人様に怒られますよ? 皮むきをサボったということで、京子さんにも怒られます。余計なことすんなと与一にも怒られると思います」

「私は彼に自分で考えろとしか言われてないので」

「じゃあ、私も。あいつは悪ガキですけど……友達ですから」

「決まりですね」

 私と冥さんは、互いに目配せして、立ち上がった。

 後で京子さんに怒られるかもしれないけど、それはそれで、その時に。

「………………」

 やっぱり、色々と諦めて後で考えることにした。



 如月与一は、如月与一である。

 自分のものではない、たった一つの誇りを胸に、日々と戦う少年である。

 如月という性を誇りに、日常と戦争している少年である。

 大昔、七年ほど前に陰惨な虐待をされていた事実はあるが、本人は大したことがないと考えている。虐待そのもので『破滅』するくらいの、致命傷を負った人よりも、自分はまだましであり……彼らより劣っているのだと思うことができた。

 自分は、人間として終わっていると、諦めている。

 上半身もズタズタで、たくさんの数え切れない傷跡が残っている。彼の元両親……与一曰くの『飼い主』は臆病者で、服には見えない範囲に傷は付けなかった。

 世間の目は怖いものなんだなぁと、今更ながらに与一は思う。

「…………うぅ?」

 アルコールを飲んで、自室に戻って、すぐに寝た。

 何時間眠ったのかは知らないが、最近の睡眠時間は短くなってきた方だと与一は思う。この宿にやって来た当初は十八時間は眠っていた。

 その理由は簡単だ。極めて分かりやすく、当たり前な理由。

「……まぁ、それはいいとして……アレか。僕はそろそろ死ぬのか。最近ラッキー過ぎたからな。帳尻を合わすためには死ななきゃ駄目か。嫌だなぁ……」

 やや不機嫌に、かなり上機嫌に、与一は呟いて溜息を吐いた。

 そう簡単に死なないことは分かっていたが、今までの経験則が『死ね』と言っていたので呟いただけなのだが、それ以上は相手の不安を煽るだけなのでやめた。

 自分の横で、白い犬耳を生やした着物姿の少女がこちらを覗きこんでいる。瞳の奥の感情はやや熱っぽいような、熱狂的なような、そうでもないような……いやこの目は絶対に情欲のそれだろと確信はあったが、信じたくない気持で胸がいっぱいだった。

 如月与一は二回目の恋をした。つい最近の話で恋愛はしばらくこりごりである。

 相思相愛だった。……らしい。

 自分は告白することなく、相手の告白をきっぱりと断り、結局今に至っている。

 試しに付き合うという発想はなかった。断るしかないが結論だった。

 その結論の下らなさに、勝手に失望して、自分の生そのものに勝手に疲れ果てた。

「…………むぅ」

 少女に頭を撫でられて、与一は難しい顔を浮かべた。

 その行為をされた回数自体は多くないが、大抵の場合、優しくされると●●●なる。

 けれど、彼女たちはなんとなく違う。そんな気がする。

「うん、まぁ……下等生物の頭を撫でると、心が安らぐしね」

 そんなひねくれたことを言っても無駄だとは分かっていた。

 彼女らに撫でられていると、魂が癒されるような気がする。もしかしたら気のせいなのかもしれないが、少なくとも心は安らいでいるのだから、気のせいでも本当のようなものだろうと、与一はぼんやりと思っていた。

 恋は気のせいかもしれないが、やっぱり本当だし本物なのだと、確信できる。

 如月与一は十四年しか生きていない。自他共に認めるガキだがそう思えた。

 思っただけだったが、思った。

「もう少し……寝れるかな」

 自分のものとは違う枕、違う布団、違う部屋、違う匂い。

 布団を被る。意識が落ちるまで少しだけ時間がかかりそうな気がしたが、それだけで済むなら御の字だと思い、目を閉じる。


「はい、そこまで」


 目を開ける。

 聞き覚えのある声。聞き慣れた言葉。背筋が少し寒く、耳に心地良い言葉。

 体を起こして声のした方向を見ると、そこには黒い女が立っていた。

 黒いジャケットに黒のズボン。肩まで伸ばした黒髪に、女性らしい凹凸の大きい体型。なによりもその瞳が真っ黒だった。

 憎悪以上でもなく以下でもない、憎むことそのもので生きている女だった。

 年齢は若い。与一よりは明らかに年上だか、宿にいる誰よりも若いかもしれない。

「来ちゃった♪」

「……なんで彼女っぽく言ってんですか、師匠」

「だってさぁ、与一くんってばいきなり失踪とかしてんだもん。私以外誰も『失踪した』って認識してないしさ。こりゃまずいと思って今まで探してたわけよ。彼女っぽく」

「お付き合いの契約を交わした覚えはありません」

「じゃあ、今から付き合っちゃおうか? 私は君のためならなんでもするよ」

「………………」

 それは、とてもとても魅力的な誘惑だった。少なくとも与一にとっては。

 彼女は師匠で、黒幕で、黒くて、憎悪で……数少ない自分を好いてくれる人物で、さらに数少ない自分を理解してくれる人なのだから。

 師匠と呼ばれた彼女は笑う。

「気づいていないと思うけど、君がここでモテる理由は、君が《そそる》からだ」

「それは気づいてるよ。みんな《ヒロイン》が好きそうな顔してるし」

「………………」

 師匠と呼ばれた彼女は絶句した。正直そこまで正確に自分の事情を把握しているとは思っていなかったし、把握して欲しくないと思っていた。

 憎悪に生きているとはいえ、憎むべきモノくらいは選んでいる。

 如月与一は憎めない……どころじゃなかった。

 見た瞬間に『矜持を曲げてでも優しくしなければならない』と、彼女に思わせた。

「っていうか、ヒロインは師匠も好きじゃん?」

「べ、別に好きじゃないよ!? 私はヒロインじゃなくて、目が荒んでて儚げな子が好きなだけだしね!」

「まぁ、心配してくれたのは嬉しいけど、帰りたくなったら意地でも帰るから」

「居心地いいんだ?」

「良いよ。温かい寝床と、傷に染みる温泉と、美味しいご飯と、優しい人たちがいる。これ以上の環境を望むと罰が当たるね。少なくとも僕はそう思う」

「……そんなに居心地がいいんなら、住んじゃってもいいんじゃないの?」

「嫌だ」

 きっぱりと、少年は断言する。

 それから、瞳の奥に潜む漆黒が、ぐるりと渦を巻いてなにかを切り捨てた。

「……帰ろうかな」

「え?」

「よく考えたら『僕がここにいたい』以外の理由がないんだね。帰れるならさっさと帰っちゃおうか。師匠は帰り方知ってるんでしょ?」

「…………っ」

 彼女は言葉を失った。

 連れ戻すつもりだったのは確かだ。彼が頷こうが拒否しようが、強制的に連れ戻そうと思っていた。それくらいの我がままを貫くことくらいは、平気の平左でやってきた。

 他人を憎んできたから、それくらいは楽勝だった。

 今更他人に気がねすることなどない。世界は灰色で境界線なんてなくていつだって理不尽で攻撃側が超有利で、だから自分が攻撃側にしてもいいじゃんと彼女は思っている。

 心が痛まない程度に攻撃してきた。憎いからだ。

 でも、憎悪というモノは燃財がないと燃えない。

 燃殻は燃やせない。

「分かった……うん。そうだね。与一くんがいいなら、いいかな」

「いつもお世話になりますね。苦労ばっかりかけてます」

 苦笑を浮かべながら、与一は起き上がって寝巻のままで歩き出す。

 と、不意に足を止めて、怯えたように与一を見つめる犬の少女の頭に手を置いて、言わなきゃいけないことを口にした。

「ありがとう」

 灰色の犬耳を持つ少女が目を見開く。それを見届けることなく与一は踵を返した。

「じゃ、師匠。行きましょうか」

「…………うん」

 師匠と呼ばれた彼女は、大きく深く溜息を吐いて、それでも歩き出した。

 見たくないモノを見ないようにして、歩き出した。



 調べても、特になにも出てこなかった。

 如月与一。旧姓、無月与一。七歳までは両親から虐待を受けていたらしい。この両親というのが親になっちゃいけないタイプの典型的なクズでありながら、そこそこ頭の回る嫌らしいタイプの人間だったようで、彼は人格を搾取されるように生きていた。

 七歳の時に如月家に引き取られ、以後養子となる。

 それからは……普通に生きているらしい。

 十四年。たった十四年。私の半分くらいの年月しか生きていない子供。

 資料にしても数ページ。調べられる範囲で調べても、そんなものだ。

 かわいそうと言えば、その通りなのかもしれない。

 けれど……なぜだろうか。


「おろ、山口さんと冥じゃん。こんな所でなにしてんの?」


 食堂の真ん中で、酒を旨そうに飲む彼はとても嬉しそうだった。

 私が口を開く前に、冥さんが口を開いた。

「ウチのお宿のセキュリティはけっこーすごいんだから。無料で24時間完全防備。人間二人を追跡するくらい、なんてことないんだからね?」

「酒の付近が一番強固ってのもどーかと思うぜ?」

「お客様は大抵お酒好きだし、ご主人様を除いて全員結構呑むからね。で……アンタが今呑んでるそれは、私の秘蔵の日本酒なんだけど、なにか弁明は?」

「未成年がお酒飲んじゃってごめんなさい」

「それわりと最初の方に言ったよね!」

「聞いた聞いた。……で、この酒なんの酒? 親父殿の知り合いが杜氏やってて日本酒はよく呑むんだが、この酒はちょいと旨過ぎる」

「し、知り合いからもらったヤツだからね! よく分からないし!」

 どうやら、出所が色々とまずいお酒らしい。挙動不審になった上こちらの目を気にしている。あっさりとペースに飲まれる冥さんだった。単純というか、分かりやすいというか、明らかな格下相手だと、わりと脇が甘くなる子なのだ。

 冥さんだと丸め込まれる危険があるので、私が口を出すことにした。

「与一くんを連れ出した人は、どこにいるんですか?」

「師匠は帰しました。あと、連れ出したのではく、僕が自発的に出て行ったんです」

「………………」

「怒られても困ります。ホント、迷惑かけてごめんなさい」

 顔を赤らめながら、へらへらと笑って、彼は頭を下げた。

 確かに『帰した』『自発的に出て行った』というくだりで少しだけ集中を尖らせはしたが、私は別に謝って欲しいと思ってはいない。冥さんも同じだろう。

 逆を返そう。

 彼は私が意識を尖らせるのを感じて、怒られたと感じて謝った。

 感情の機微に優れているどころの話じゃない。かといって能力に依っているわけでもない。なにかもっと小さなもの……ほんのささやかな動きを見て取っている。

 与一くんはお酒を一口呑んで、大きく息を吐く。寝巻が少しはだけていて異様に色っぽかった。具体的には尾張の信長公がガッツポーズ決めるくらい。

 あと、この宿を訪れる人間外の女性なら、大体ガッツポーズ決めると思う。

 まぁ……それはともかく。

「帰したって、どうやって?」

「言えません」

「なぜ帰したんですか? 帰るチャンスでもあったはずですよ?」

「僕が帰ったら色々とえらいことになるでしょ」

「………………」

 理由は分からないが、ここで私はようやく悟る。

 彼は異常だ。尋常じゃないモノを身につけて生きている。

 場の空気を読む力。人の嫌がることを察する能力。そういったものが度を逸して常軌を飛び抜けている。才能もなく、補助もなく、ただの人間が『その場所』に至る。それがどんな意味を持つのか、私は知らない。

 少しだけ迷い、迷いながらもやっぱり聞くことにした。

「なぜ、えらいことになると思うのですか?」

「昼休みの『帰りたい』は伏線です。正直、なんのしがらみもないならあそこで帰してもらえると思っていました。帰してもらえない=どこからかのしがらみに縛られているってことですね。あの眼帯は集客とか言ってましたけど、実際は事態の収拾に躍起になってるんじゃないですか? 口で嘘は言えますが、書面で嘘は書けないですしね」

「書面って……確かに書類仕事でしたけど、彼があなたに見せるようなことは……」

「そうですね。守秘義務は社会人として当然です。で……ここまで全部中二病患者の妄想なんですけど、鼻で笑ってくれてもいいんですよ?」

「っ!?」

 与一くんの苦笑を見て、致命的な失敗を悟る。

 誇大妄想だと笑い飛ばしておけば、彼はあっさり引き下がったはずなのに、中途半端に的を得ていたために、私は暗に『えらいことになっている』ことを認めてしまった。

 言葉ではなく心で……動揺という形で認めてしまった。

「まぁ、僕の場合は中二病ではなく《二歳児病》なんですけどね」

 彼は笑顔を消した。目も笑わず、表情も緩めず、真っ直ぐに私を見つめる。

 酒を喉に流しこみ、息を吐いた。

「なんとかしましょうか?」

「……え」

「僕が撒いた種みたいなもんですから、僕がなんとかするのが筋ってもんでしょう」

「なんとかって……どうするつもりですか?」

「見合いを全部、ちゃんと受けて、断ればいいんでしょ?」

 目が点になった。絶句した。言葉を失って目の前が真っ暗になりかけた。

「全部って……百人以上いますよ? かぐや姫の十倍以上ですよ?」

「断れそうなのは断って、どうしようもないのだけ受ければ減りますよね? それに、あの眼帯があれだけ難儀しているってことは、面倒な連中も多いでしょうし対面を気にする親や娘に甘い親もいるでしょ。そういう連中は『見合いも受けずに断った』って事実だけで恨みます」

「与一くんが無理をする必要はありません。あなたはここに休みに来たんです」

「勝手に決めないでください」

 直感が告げる。こんな時だけ頼りになる直感が全力で警鐘を鳴らす。

 駄目だ。絶対に駄目だ。今になって良く分かった。分かり過ぎた。

 与一くんは良い子じゃなかった。

 張るべき『我』が少な過ぎただけだった。

 我慢できることがあまりに多くて、その代わりに我慢できないことはとことん我慢できない。ただ、それだけだったのだ。

 私の言葉を阻むように彼は溜息一つ吐いて立ち上がり、ゆっくりと歩き出した。

 話を、打ち切った。

「じゃあ、また明日。寝て起きて気が変わってたら、その時はその時で」

「待ってください」

「嫌です」

「迷惑なんてかけてもいいんです。あなたは子供で、私たちは大人なんですから」

「関係ないです」

 彼は一度だけ振り返る。

 ぞくりと、背筋が震えた。彼がモテる理由を、この時私はようやく知った。


「《二歳児病》って言ったでしょ? 僕はただ、寂しいだけなんですよ」


 それは、本当に諦めた人間だけが浮かべる、困ったような苦笑だった。

 燃えるように泥が湧き。

 喰らうように腹を這う。

 神様や英雄が一番欲しいものを、彼は諦観と寂寥と共に持っていた。

 それは、温かく、柔らかく、心地良く、漆黒で重く、優しく、狂おしいまでに一途。

 愛と呼ばれるモノ、だった。



 結局、私の頭では与一くんを説得することはできなかった。

 できたのは時間稼ぎだけ。私の主である彼と話をまとめたいから、少し時間が欲しいと言うことくらいしかできなかった。

 事情を話すと、彼は腕組をして、コーヒーを啜って眉間に皺を寄せた。

「くそ……大人をナメんなよ! 見合いなんてむしろこっちが断ってやんよ!」

「その意気です!」

「って言いたいけど……超お得意様とかもいるので、全部断ると宿が潰れます」

「……ですよねー……」

「そこで、私に良い考えがある」

「嫌な予感しかしませんが……具体的には?」

「ごにょごにょ」

「なんて酷い! 鬼! 悪魔! 大好き!」

「熱っ! コーヒーこぼしたんだけど!」

 とまぁそんなこんなで。

 平穏に終わるかは五分五分以下の悪い賭けになりそうだったけど。

 私たちは、ヒネた中学生に世の中を見せてやることにした。





・登場人物紹介(いつもの面子及びネタバレ部分は省略)


 師匠


 儀式さんではない。真っ黒くて真っ黒くて真っ黒い憎悪。

 自称、俗悪使い。黒い沼の底の沈殿した煮え立つボウフラに似たなにか。

 生まれた時から色々狂っていたので、何もかも全部憎んで生きるなにか。

 例えば、あなたがしたり顔で他人に注意をした時、『今からお前の腕をへし折るからもう一度同じことを言ってみろ』と言い放ち、にこやかに腕をへし折ろうとするモノがあればそれが彼女である。

この物語は感想やメッセージを送ってくれた人のために書いたようなところが

ありますが、興が乗ったというのが本当の所です。


さて、世間的には中二病とは『恥ずかしいモノ』として扱われていますが、

個人的には中二病というのは非常に大事な期間だと思うのです。あえて失敗を

促すための期間。そう考えるのが妥当なのではないか、この期間に失敗を重ね

ないと後々になってロクな人間にならない……そんな気がします。

成功を重ね続け、失敗のない人間にロクな奴はいません。


というわけで、今回のお題は『中二病になれなかった少年』のお話。

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